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元祖川柳

 

錦木塚回文二首

錦木と とさしてたにの 塚の間の

    かつ野にたてし 里とききしに

 

錦木と つたえもおきし 長の夜の

    かなしきおもえ たつとききしに

 

哀悼吟

李牛子は予が判する所の句情厚年々秀吟多し、就中当春分柳水組連会に手揃少なからず、おしいかな当七月七日初秋の風とともに彼の国へ身まからせいうと聞きに、驚き残りし秀吟を机上にひろげ殊に、連会結びの頃病床に臥しながら句を加入せられしに、妙なるかなその句書抜となりし事誠に此道の發才成る事おしみ感歎して、

    世におしむ雲がくれにし七日月 

 

李牛子の一めくりに

    今ごろは弘誓の舟の涼かな

追善冬の終

    上げつれておしや切れ行く鳳巾

岩戸神楽

    戸隠しも神楽の内は髭をぬき

落魄

    芸は身を助ける程のふしあわせ

手向

    かねて其覚悟ながらも花に風

国恩

    高枕是も日光細工なり

追慕

    孝行をしたい時分に親はなし

訓戒

見ぐるしや六日に残る江の菖蒲

 

俳諧觽十五員

うしの年斗取次顕はして

永坂や柳の水の陰清し

蓬莱や御納戸町の風薫る

四谷に羽子をのした鳳凰

三河丁そのゆかりあり杜若

風雪森ンと夜の丸山

広幸路迄もいろはの茶の薫り

二本榎に古き水仙

旭まだらに南国の霜

名木の薫りをしたう春木町

高根白々桜田の冬

新堀馴てわかなつむ友

八重垣に雷門の和らぎて

春日町にも曲水の宴

ふ断さくらに木山下の栄へ

 

前句にかかわらず古事時代事趣向よろしければ高番の手柄有すべて恋句世話事ばいしよく下女杯の句にあたらしき趣向むすべば手柄多し、年々の勝句を味わいて考えし。

 

 

 

 

二世川柳

 

俳風武蔵野むし撰序

筑波山の滴りたえず俳諧の道ひろがりて、都鄙の風士貴もいやしきも是を翫さぬはなし。はたその流れを汲で我柳ぶりの前句いうもの今世に連綿として春に木の芽の生まうるにひとしく草のもゆるがごとし爰に有幸のぬしこたえ新に大会を催せしに、衆議判東西を合わせて二百七十株斤勲高四千九百あまんの寄句となりしは爰有幸のいきほしとやいわんよりて以って一会の秀逸終に柳多留追加とす又幸いならずや。

 

草庵をいとなめる折四方の諸君に謝して

世の中の恵みをうけつ帰り花

父翁大士忌追善句

果てはみな仏の道に落葉哉

天満宮奉納句

日に薫る梅や社頭の道置に

神楽坂毘沙門天奉額軸

鶯やなれも百千の法の声

佃島住吉社額面会軸

しら波を神の花垣や御廣前

鼓腹

    並なき寶や民のはらずつみ

安臥

    邯鄲は物かは見代の高枕

八橋

    杜若二た鎌程は水をきり

三郎

    足腰も立たぬほど飲む恵比寿講

北廓

    桜までつき出しに出る仲の町

親疎

    渡し守一竿戻す知った人

放蕩

    傾城の泪で蔵の屋根が漏り

 

 

 

 

三世川柳

 

聖代

    鳳凰の曰く出ようかノウ麒麟

祝賀

    餅にかく寿の字は嘘をつかぬ哉

住吉

    田植笠禿を呼んでほどかせる

寂莫

    猪牙船の音ばかりする雪の川

物笑

    母の名は親父の腕にしなびて居

初恋

    少し名の立つも嬉しき若盛り

 

 

 

 

 

四世川柳

 

肖像自賛

元亀のはじめ足利将軍義昭公京都に御座ありし頃、雨夜のつれづれ宿直のひとびとを召集め給い和歌の御当座有し後、下の句を置いて上の句をよませみづから甲乙を定め給うにいと興深しとしばしば御催ありけるを、都鄙の老若承り伝えもてはやしけるとぞ是なん前句の始めと申し伝え侍る。此遊び元禄の頃より東都に行われて、宝暦に至り浅草新堀端にすめる柄井八右衛門というもの点者と成て川柳と号し流行日々盛んにして、文化に其子惣右衛門川柳の号を嗣ぎ文政に其弟孝達また川柳と号ケたりしか多病によりて予に其号を譲りぬ、しかりしより引墨に私なく心を用る事十有余年、今評を乞うもの三十国にあまりて益盛なるは初祖川柳叟のいさをすくなしというべからず、是しかしながら有難き大御代に生まれあいて人も我もうき事知らぬむさし野の広き御恵みなりけり。そもそも俗淡をむねとして人情を穿ち新しきを需るに今は下の句ありて上の句をいえるは少なく、はじめより一句作りたるが多ければ俳風狂句とよべるぞおのかわさくれなりける。此ごろ親しき友人画工国貞予が肖像を画て贈れるまま是に賛して此道の事の發りを書きつけ、永き代のためしになしぬ。

    こころにも上下着せん今朝の春

 

俳風柳多留七十四編序

柳樽と題せしはじめより、いま七十有余編にいたれり。世の中のこと何くれといい盡さぬはなけれどそかなに買色いうものはわきてよくそのあなをうがち、川ばたやなぎの見ずに夜を明す浅黄裏もゆうべに青柳鮓の声を聞て、あした身かえり屋難起の別を惜むたおやかなる柳の腰にしとけなくむすぶ小柳のひらくけも間真にそらとけあらんかとこころ憎しのちまたのひともと柳根引なしたる花屋が軒此あるじのもとめに応じてかと口へ植つけることかくのごとし。

 

五霊追善会序

家内喜多留の呑仲間川柳・玉章・有幸・菅裏・雨夕等はひとしからぬ浮世の酔さめてげんきに黄泉国へ婿入りしたりしを、おもえばなみだの泣上戸が声はりあげて諸君子の言の葉を乞いあつめて樒とし流行をふるい香となしてもって五霊位に手向ることとはなりぬ。

 

俳風柳多留百三編序

やまと歌はあめつちひらけはじまりてより八雲たつの昔も今ももてはやす事になんありける、いてやこの狂句いう物はその庇をかりて雨舎りをするにひとしかばあれど、世の中のあなを穿ちてつれづれをなぐさむるは此みちのいさほなるべく、人間わずか五十年ただに世をおくらんよりは、はらをかかえてかと口に福の神を招くにしかじと柳樽百三板目の巻のはじめにしるすものは俳風狂句の四世川柳なりけらし。

 

松歌居士追福会ちらしの告條

松歌翁は初代川柳さかんなる明和安永の頃より、此のみちに遊びて和笛見理はた二代の川叟三代四代と句案にこころをゆだね、就中文化文政の頃は専ら評を乞うものあまた成しに、おしいかな文政十三の年晩春末の七日よわい七十五歳にして身まかり給いぬ。その子二代の松うた追福を営んと諸君子の玉句をこい予に引墨を需む、爰においてふるき馴染の連たち我がちに髄評をせんとすでに十七評におよぶ、此おきな世に在せし時高番はたおかしみの句を好み給うゆえこたびそのたぐいを撰みあげて備えなば、蓮の台に腹をかかえてよろこびやしつらん是善智識の萬巻陀羅尼より百倍の手むけならんとすすむる功徳ともに成仏玉句澤山多比たまえと四代の川柳此ことわりをかい付る事斯のごとし。

 

俳風江戸川大会序

久かたの天津みくに風おさまりあらかねの国ついへほの動き大御身代こよのうめでたけき、ここに川柳のおきなの流れをくみ前句いうものくらいをわかてば、名におう花の江都川連雨柳錦重なるものもろ人靡く柳橋の辺りたかとののうえにその筵をひらく。されば千とせふるやなぎ化して松となるいうはめもあなればただ常磐なるみどりの色もかわらで、かの渕明かりがかともる五もとの柳のことにえだ葉しげりて朽さらんことを柳の糸のそめかえずしてながくさかえ繰り返し繰り返しよりくる人々、此みちに深緑ならん事をひたすらに願うものからこの巻のはしにつたなき筆をとりがなく吾嬬をのこの口はしもまた青柳のあさみどりなる眠亭銭丸述。

ときに文化といえる十あまりひと川のとし風まつ月

 

柳の葉末序

其昔柄井川柳引墨したる末番の句をひろい集め末摘花と題せしは版元の飾慶のもうけものなりしが、おしいかな更に今行方を知らず爰に赤子龍舎の助兵衛達チ大ばれ会の催主となり、四方の笑句を一冊となして桜木に花を咲かせ見る人毎に ああどうもどうもよい句 といわせん為是を柳の葉末と題し予に序文をせよとしばしば責めるより所なく箱根から腰をつかいながら五人組を頼んでかき付ケ侍りぬ。

 

元祖川叟画像賛

    行水やおもかげうつす夏柳

題俳風芽出し柳巻首肖像

    出つというとこへ竹の子つらを出し

勤学

    夜学にふけて埋火もほたる程

長閑

    諸鳥皆真似ても出来ぬ鶴の聲

秋露

    朝顔やからむ枯れ木の花盛り

菅公

    せうぜうナ名をけがしたも時の難

風交

    雪月花ともに睦し歌の友

神社仏閣奉納軸十九章

    咲匂えいく代も法りの花拓榴

    草刈笛を吹せたい神事也

    真っ盛り若枝の伸や神の梅

    松屋ばし其御利生の源みどり

    千はや振神垣涼し松の風

    信あれば徳あり守護に依怙はなし

    いく艘も竹芝浦へ松魚船

    川柳下風涼し法の聲

    いのれただ水にも月のかげ清し

    萬鶴の千代田に群る身のほまれ

    たち花を氏子にほしき御神体

    仰ぎ見よ神の恵みの弥高し

    仰げ唯神慮は人の非も鎮めし

    清濁をへだてず守る神の慈悲

    降る雪に枯れたる木々も花と見え

    伏して見ん宮居を照す秋の月

    不柏子の神慮に叶う午祭り

    三ッの田は程更守護の翁神

    仰げ唯広き恵みぞ神こころ

 

茶亭掛額軸三章

    居酒屋ですこすこをするぬるい燗ン

    産湯から洗いはじめよ玉の水

    錦手で汲まん故郷へ旅戻り

    

手向吟三章

世に愛る花も常なき風に散り

秋ならば露と答えん梅の雨

わくら葉に一枝淋し川柳

 

混題百八章

    当分ンは来やるなと母一ッぬき

    当付ハ首狂言ハ足ばかり

    行灯へじれったい穴二ッ三ッ

    米俵壱本ンささせしょつて行ク

    御脳気のせがれを紙でつつんどく

    ここをようききやと母おや小ごえ也

    糸道がついてハ猫もかけ出さず

    たいこ持さてどんつくでいけぬもの

    桂男の名所から式部書キ

    姉さんといいなと芸子つめり上ゲ

    道鏡が母馬の夢見て孕ミ

    十ゥ目の見る所にて犬つるミ

    うわ草履狸つくづく思うよう

    ふといやつだと大根は敵を追い

    おきやァがれ惚れたではなし藪にらめ

    それ見ねへなと尻を出す初がつお

    這った翌日下女ぬる程に〱

    満ン願の夜につめこの夢を見る

    両替屋鳥居にふ審紙をはり

    素人芝居かなだらいどやされる

    僧ことへ心づくしの御はなし

    だァまつて百万べんを嫁ハくり

    切落みかんの皮が飛行する

    根をおして聞ば根ぶとハ横根也

    錫杖で肩から御名をゆすり出し

    箱根からあちらの嫁を暮に呼

    雑兵に宿やはやめを買にやり

    座敷牢うらやましくもすめる月

    棒ほどな事針程に母かばい

    猫に灸ばかしてすえる三味線屋

    しつたかわくそをくらへの里なまり

    南国は山から化て梅へ出る

    金平ラの夢で化物うなされる

    つらつらおもん見るにきん玉ハむだ

    かわらけのように下馬先笠をなげ

    ばかな事犬のつるむを見ておやし

    身を伊達にせぬのでけつく名が高し

    宇治の蛍がそれて来て巻に成

    立田山顔にハ散らぬ紅葉也

    小指を切手大袈裟にぶっかける

    禿曰ク壱分ほつきやァ借いせん

    千歳を建て万里の春を待

    手をむなしくは返すまじ三会目

    素見だと見たはひが目か日和下駄

    とてもならなぜ吉原へうせおらぬ

    しつこけ帯を止メおれと親父ねめ

    あの仁がよしんばさそったにもせい

    金箔の付た浅黄を高尾ふり

    そもそも持参ン男だが女だ朝

    素読の師くすんだ息で子をでかし

    小はだ小平次肴屋と下女思い

畳さし一ト針ぬきに手をおやし

質屋の手代弁慶に縄をかけ

柿の花すぼんだように開くなり

悔ミ行て先ヅと言い跡が出ず

西と北こくふに花の降る所

錐をもむように拝むはひどい願ン

大小をなまくら者が曲に行

さればこそ金が付候大あわた

早業がきかず百文只とられ

はかり琴有りとか仲達引かえし

なきにしもあらず禿に仕て育て

鶯も蛙も鳴かぬ小倉山

繁昌さ今はもえ出る艸もなし

満面に笑ミをふくみて下女承知

五明楼浅黄愚案に落かねる

時に半へん菜を入る安す料理

四会目ハきりてやつぱりこわい面

富士の歌山の辺リの人がよみ

内の夜具四五十出来る程かかり

大黒を神うけ筋の手でぬすみ

ぢゃんぽん臍で吉原評議也

実盛ハ死出のはれ着をねだり出し

指のさしてもない札を梅へたて

其つみを身にしらぬ火の御ざんねん

人間ハわずか五十に足らぬ忠

出嫌いというやつ急度是かなし

へんてつもないと弁慶夫ッきり

しだらくそうな泥坊ハ袴だれ

三年ハつくらぬ孝の道普請

謎々かけよがとかんすか月の事

大山伏を夢に見て弓削召され

よわい武士月を切かけられて逃

こいつ妙だと思ったら月を喰い

浅黄裏うつうつとして楽しまず

時に斯ウいう理屈だと小便所

物思いそばで禿は春を待

持参金切れのある面ラ斗り也

おのれ時平と黒雲の絶間より

去り状を掘て乳をしぼり込み

二聲と啼かぬ小倉の郭公

金に色かえぬて松の位イ也

染かねて地名に残る紫野

引ク人の多いは丁子車なり

松の風果からはてへ吹届き

生キた鰹をぶち殺す銭で喰い

すばしりハ内ぶところへへそを入れ

終におくひの出る程は相模せず

桜田に駒のいななく初登城

山形に組敷キ夜具朝夫もよし

風呂敷のはしぬい多分女房の手

仰ぎ見よ音楽雲の上から来

一ぽんはくらい尽せぬえぼし魚

仁徳の御代人迄も放生会

うす墨で昨十九日娘事

五百の内に助兵衛が顔もあり

 

 

 

 

 

五世川柳

 

小原女人形の賛詞

都の三橋ぬしより小原女の人形を賜りしに、長途の運送に果敢なく破砕したるは惜むべし。この美貌恙なく下りなバ京女郎を居がらながめ閨さびしさの伽ともなり、老を慰め得ありて失なき事なり、面影のかわらで年ぶりいつも媚めきたおやかなる粧いあれど紅白粉を費やさず夏冬とも仕着せの世話もなく何事も見ざる聞かざるを守りて人にさかしら云ず、或るハ子傳りの手だすかりともなりて彼方向すれバ三年も向た侭ゆえ色情に疎きと世の人は思えど外に恋慕う人もあるまじ、兎にも角にも閑遊の友なるべきに斯く空しくする事ハ恨めしの飛脚殿や情なの馬士のわざやと涙にかきくれ、しバしまどろみしに不思議や枕上に忽然と小原女一人立ちあらわれ、吾は是人形の霊なり盆よりちと早く来たれバ鼠尾草の水をそそぐにも及ばず。能く聞きたまへ、我此たび粉骨砕身して消息を取りつがんとよしあし曳きの山路を越え遥々あづまへ下りても人の奥も知らねバ、御身をあほうと知らず我身をさほど愛したまわば反魂香をも薫べきに愚痴をならべて人を恨むハ何事ぞ、會者定離の理りを知らずや迷いをとる事憐れむべし、されども邪正一如と見れバ色即是空煩悩ハ菩提の種なり、色には遊ぶべし、色に浮かるる事勿れと一首「色どりし姿に人の迷うらん 果にハ同じ土と思わで」我有無を放れて西方浄土へ行かず東方江戸の土となりて即身成仏のみのりを悟らん、天窓に載せし黒木ハついの薪とみなし煙になる事を思い心ハ白巾もじ白脚伴の如く色気を去りて我と共に火宅の苦をのがれたまえ、惑いたまうな疑いたまうなと云うかとおもえバ夢覚めたり。されば砕けし人形も我為の善智識と思い初秋二日昼寝の莚の上にて五世の川柳戯れて書す。

(按ずるにこれ天保十五甲辰(弘化改元)年六月なりけり)

 

初祖柄井川柳七十回き追福会告條

夫柳風狂吟の起こりは宝永の昔檀林風の俳一変して前句付世に行われてより、宝暦の頃に至り専ら流行した其点する者東都に数輩なりしが、柄井川柳浅草新堀より出て其撰める口調俗語耳近く古事にもわたり人情を貫き面白きにより年を重ねて柳風のみ世に知られ、中ごろ題を捨て一句立となり月毎万句の興行ありて則ち暦摺柳樽等に出版せり。然るに祖翁齢い古稀にして寛政の初め卒せられしゆえ、柄井の長子二世を継で柳樽五六十の編は此判する処なり。此人文化の末に没して其弟柄井孝達三世となりしが、故ありて文久七甲年八丁堀風流庵に点印渡り四代目を継ぎ此の道益す盛んなる處、天保八酉年墨引の業を予に譲れしより二十年余りの今、猶柳の根分け諸国に広ごり千さとを隔てず枝葉繁茂せる事みな祖翁の余光なれ、其扱恩旁た七十回忌の追福を悼んと発する志評の面々麗景を呈し執持せんと議す。されば此流に遊び狂句に心を慰めたまハん四方の諸君子斯吟を数多玉ハらん事を願いはべり。

                      東都狂句判者五代目

    安政四巳年十月             緑亭  川柳謹白       

 

狂句百味箪笥自序

示す者なければ胸中の事なれども是を知らず、教える者なければ目前の鏡なれども是を見ずと梵網経とかやに仏も説きたまえる如く、名医の目には薬ならぬ草もなけれど凡眼には秣に等しく、世にある事皆教えならぬものなしと雖も心に掛ざれバ只徒ら事なり心に止むる時ハ悪きも亦捨るに及ばず、見て慎めば教えの師となる毒草変じて薬となる如し。されば人の用うべき品にはあられど、狂句に事寄せ毒にならぬ物かき集めて一時の笑いの種とせしは心の臓より出る欠伸の薬ともなるべきかと案じよう常の如くなき智慧一ぱいに煎じ詰めて屠蘇祝う初春より薬子となる児女や童にのみ込ませ、養生の補薬にせんと一二帖製し狂句百味箪笥と名づく。薬能書ほどに利かずと嘲りたまう事なかれ。

 

俳人百家撰自序

夫俳諧の名ハ古今和歌集に出て世々に風骨つたわり其道の達人は守武宗鑑を祖とし貞徳に式を定め宗因に檀林の一派はびこり芭蕉翁中興也しかありしより貴きも賎きも俳を学バざるハなく句集は浜の真砂の数を知らねど皆趣ハ花を詠めて頭仙の色を増し月に移してハ百韻の世情を盡しみよし野の春の吟松島の秋のことばずかの松のねもごろに世に伝えぬること筆許なるや、そか中に年此聞置たる説近く見たる風調これ彼取集て書嚢に貯わうれど、玉の声こがねの響ハこいためなく只古をしのぶ心もて遂に俳人百撰とハなしぬ。しのの葉艸のかりそめごとに似たれども寓言を吐て人を欺くようにハあらじと書肆の求にしたがう是智者の眼にふることなくいときなき童長くもて遊びとなりなんかしとはばかりをも忘れて拙き筆を染ることしかり。

 

遊女五俳伝

 

高尾

    君は今駒かたあたり郭公

三浦屋高尾は歌俳とも名人にて全盛なるは人のしる所也。画もよくし藤の画の自画自賛のさかづきあり。

    お情をくみかわす藤の裏葉哉

其頃客此盃を見て盃ひらきの酒盛せんと美酒佳肴をもうけ、高尾盃を客にさす客おさえたりと返しけるに高尾此盃のあいハ京島原の吉野太夫にたのミたしといえバ、面白しと尾情という茶屋に京の吉野かたへ持せ遣りしに、吉野も全盛なれバ今一度あらためてとおし返す、相手元改のあいを大坂新町の高窓太夫に頼んと尾情大坂へ持行き高窓呑で又江戸へ下し高尾呑で客にさす、此は盃を都がえりという。或時かの客伏猪の画をかきて高尾に賛せよとあれバ心にそまぬ客とおもい、

    いのししにだかれて寝たり萩の花

瀬川

    入相にひとのいさみやきょうの月

吉原町松葉屋の瀬川ハ和歌を詠又俳諧をよくす。遊客三文字屋何がしより凧をおくりこしたる返事に、

御約束の凧御こし下され早く揚て見参らせたくこよのう喜ばしきぞんじ、よよ此猩々凧こそ乙女の姿にハ似ずとも雲のかよい路ふらくとしてどこをまいぶみせんとてか、さりとてハあぶなく見えて一まい凧のすわらぬように、みだれ足とやらんハ余程酔てのことか、しかし盃と柄杓落さぬハほんの乱れあしとも見えず、又かたぶけんとや清其凧のにくげになまず凧のおどろおどろしきにうらまりて、おちてやぶられやせんと心くるしきうちに風もかわりて猩々舞をやめてえびすくうわざもおかし、いとめのちがわぬうちはやくおろしてたも。

    あげられてくるしき日ありいかのぼり      

 

濱萩

    うき人に手の恥かしき火鉢かな

濱萩ハ京島原難原難波屋与左屋与左衛門抱えの遊女なりしが、此家其此江戸の曲輪へ移る事になりて遊女十一人を連て下るに定りける。濱萩も其内なれば近き辺りにある父母を残し東に下らんこと悲しく、父母をも伴いて下らんことを願へど許さねば、客にかたらい願しに彼が孝心を感じ路金を与えてあるじに頼ミけれバ費をいとえばとぞ斯ハ申とうけ引けれバ○頓て同道して下り、濱萩ハ風雅に疎からぬ程の心なれバ勤の怠りもなく客も絶間なく此家おのずからはん昌しけれバ濱萩が親にも茶屋の見世などしつらいきし、はま萩も日々に安否を訪いその孝心世にかくれなかりしかバ後に冨家へ根びきせられ両親をも案堵させたり、これ孝のめぐみ也けり。

 

泊瀬川

    目ざましに琴しらべけり春の雨

はせ川ハ越前三国荒町屋の遊女也、俳諧に名高く其風吟、

    さそう水あらバあらバと蛍かな

    たたいても心の知れぬ西瓜かな

ある時江戸の何某殿爰に遊びいう事有しに、はせ川わがみあづまを一見せんと願う事久し、もし時を待て成りなバ御屋敷に暫止めいわんやというに心よく請ひきいいぬ、其後主人に身をあがない百日のいとまをこい、菅笠竹杖に身をやつし江戸につき御やしきに尋ねければ其君逢いいい、いうなれバかかるさまにて来りしと問るるに俳諧修行のよしをかたり、道の記など見せしかバ感じて日を重ねとどめいい同列の候に語り、はせ川が遊芸を手ずさびさせ諸方よりもいの数多在り帰る時は衣服種々の餞別馬五匹に負せて送りされど是を主人に皆とらせ其後出村という所に庵を結び生涯世を安く過せり。

 

三国野風

    来てのぞくひよどりにくし寒椿

野風ハ越前三国の遊女にて容儀勝れて才知あり風雅の道にも心ざし深く風儀気高しある時浪速より富たる遊客此里へ来り、野風をあげ芸子その外大勢を伴い花見に行けるが此客文雅ある人にて詩を作り歌をよみ手跡をじまんして扇にかき花の枝に下げさせ人々の無雅を嘲り野風の歌よまぬをさみし我ハ顔なるを見て野風をとりて、

    風いとう花に扇のぶすいかな

と短冊をつけゆるしいはれと立返りけり、其後彼の客猶通い来たれど断いうていてず人々いさめて身の為ともなるべき客なるに出いわぬハいかなることと問う人あれバ、

    ふり出しハかりそめごとのさつき雨

此客も其の気情をあらわして正しき事と皆人ほめけり。

 

梅翁宗因小伝

    浪速津にさく夜の雨や春の花

梅翁宗因ハ西山堂豊一とて肥後八代に住せしが加藤家にことありてのち、部門を遁れ身を雲水の行方に任せ心を花月の詠にとどめ一度伏見に寓居し又湖東に遊ぶ、又難波天満に移り正保のはじめ鴬の宿に隣れる住所をもとめ梅翁の名叶いけるにや、両枝に花の詞をひらき北窓に雪の力をそえて世にしらぬ人なく、武陽に下り俳諧の檀林をひらき年々盛にしてやごとなき人も此門に入る。

ある夏東山より大坂へ帰るとて、

    夏山や或ハ野にふす伏見船

夏の夜やあづま咄しに月ハ雨

あるとしのくれに

    くれ安しこんなことなら百とせも

その一夜明て元日

    立安しこんなことなら百とせも

 

檀林軒松意略伝

田代松意ハ江戸神田の産なり。宗因を招き友と計らいて始めて江戸談林を立飛鉢と号し、その口調変化の余情流行の体を説て衆人を励まし俳書数多著し、談林百韻をはじめ一字の働き一句の情こまやかに教えけれバ世間皆談林風せぬ人すくなし。

    されバ爰に談林の木あり梅の花         宗因

    世俗ねむりをさます鶯             雪柴

    朝露たばこの煙りよこたえて          在色

    駕籠かき通る跡の山風             一鉄

    詠むれバ供鑓つづく峯の雲           正友

此ころ江戸に此談林風をひろめらるハ此松意と伊勢の正友と二人して力をあわせ衆人に道をさとし東行の功を得たり、正友も雅舎強く名を得し句あり。

    入相のかね聞つけぬ花もかな

 

祇空略伝

稲津祇空ハ浪速の人にて始め青流と号し学に耽り詩文を翫い諸国遊歴の心出て、箱根早雲寺にいたり宗祇の墓の前にて髪をきり入道して祇空と改め奥羽北越に行脚して江戸へ出深川に仮住居して、

    寝ぬくまるあいにごそつく紙子哉

梅やしきに行て

    梅盛り手を引ほどの酔もなし

女達磨の賛に

    そもさんかとなさんかと出て

    九年なに苦界十年花ごろも

妙眞寺の大心禅師此句を聞いひ、よく禅意に叶へりとて誉められし、此人都に上り紫野に住て敬雨といい後難波より江戸へ来る途中箱根湯本にて没す。享保十八年四月十二日

辞世

    此世をバぬらりくなりと死ぬる也

         地獄つぶしの極楽し助

 

志道軒略伝

    遠近の人をはつきに呼子鳥

         覚束なくも過るとし月

深井志道軒ハ心学ようの講師にて浅草観世音境内に数十年出て講ず。無一草とて半紙六七枚の自分述作の本を種とし木で彫し陽物の形せし杓持て机を叩き終日可笑取しまりなきことを申せども、自然道理に叶うことある故にや人群集して是を聞く、されどもいうなる故にや僧をきらい出家が目の前に来る時ハことの外雑言をいいて滂る、然れどもただすむ出家一人も咎むるものなし、元来律僧にていみじき知識也と評判せり其名世界に聞えて一枚画小児の手遊の人形にも賣りひさぐ一奇物にして名誉の者なりしが明和九年酉三月七日死去す、無一堂と号す、その墓ハ観世音境内金剛院にあり。

 

俳風柳多留百十編序

十圍にして大きやかなるも百尺にして丈高きも柳のいさほしなりければ、から国のかしこき人も柳をめづる事すらなからず。又清水流るる柳蔭にハ西上人も腰を抜せたれど、風雅に枝折してゆくにハかわ柳にしく物あらじ。珍文漢文のむつかしき道に入らず風になびくの縁ありてさりきらびなく滑稽やわらぎて、おかしみあれバ見る物腹をかかゆるの能あり。予も是を見かえりて思わず笑いを発しあぎとの掛金をはずし、だらりと明たる口に任せ百十編の序をのべることしかり。

 

俳風柳多留百十一編序

柳樽ハ人の心を種としてよろづのことを見る物きく物につけ五七五に云出せるなり。鶯蛙ハものかハいきとしいきる物何れかこのまざるハあらじ。遍ことも是を見ばいたづらに心をうごかし黒主も立寄て見てゆかん事を思い在、中将や康秀ハ笑いて冠の緒をゆるめ喜撰ハ我庵に求メてかえらんとすべし、滑稽に穴を穿しにハ小町も顔を絵扇でかくさん程、此外の人々も一句をきかば人わるの心もやわらぎ、顔赤人の堅親父もはらをたたん事かたしというべし。されバ時うつりことさりたりとも青柳の糸たえずまさきのかつら長くつたわりて、心をえたらん人ハ狂句をあおぎ俳風をこいさしめかも。

 

遠州秋葉山奉納俳風狂句合序

隋提の柳は千三百里に植しと広大に聞ゆれども、今世に川柳ハ繁茂して扶桑に到らぬ所なし、是を異域の里数にせば広き事彼に百倍すべし、さればその根分せし遠江なる曳馬の連にて秋葉の御山に奉額の会莚を設しに、名にし無間の辺りとてここに三百かしこに五百三千あまんの寄句となれば、そが中より荒井鰻の筋よき趣向小笠松茸おかしみの句ハ勝番として賞するに、葛布のおりはえて誉れを得し者ハ小尾山鷹の羽をのしつつ光明の勝票とほこりかに喜び開巻の賑いさざんざ諷うに増れりと、かくして抜萃小冊となれば浜名納豆口びらきに風味のよさを披露して此滑稽も囲産に比し世に愛いえという事しかり。

 

吉例水滸伝会序

水滸伝と号て雅人豪傑を集め柳樽を開イ手舌鼓を打かつけ物を取てハ点の美禄と喜び其楽しミの抜萃ニ序を添よと乞われ、きき酒の味さえ知らぬと辞するに痺酒のしいるるなかれとゆるさず、下戸の勝手に其点味を賞ハ中華製しの上菓子の五羮餅餌に増るといわんと一寸おあいその口取に五世の川柳お茶をにごす事しかり。

 

絵本柳樽三編自序

茶人は古きを翫ど狂句ハ新らしきを賞す。人情すべて奇なるを好といえどもあまりに品替たるハ人また用いず。譬バ有髪の地蔵尊笑顔の閻魔王を開帳するとも信ずる者有まじ。胴のある観眼嗅鼻が頻迦鳥の湯出卵を売歩行ともさらに呼人あるべからず。されバ狂句の趣向も新しきを好といえども、柳はみどり花は紅い、やはり古風の姑のかたくな嫁の嗜、下女のはすハ居候の物に把えるなんど、皆柳風の道具なれバ其滑稽を画にあらわして絵本柳樽三編とす。此道をこのむ初心には是下流を汲で味わうの一助ともなるべし。

 

四世追福しげり柳序

草の朝露夕風をまたず、散かせ宵の稲妻暁の雲にとどまることなし、澪の菊を翫び園の桃を愛せし人もみな昔語りとなるためしにて、常なき世の有さまとはしれど爰に四世風流庵の翁風月にこころをすまし、久しく狂句のことの葉に判して其名四方に隠れなかりしが、過つる辰の春かりそめの悩ミと思いしに、如月五日夕月と世に雲かくれしたまいぬ。忘れては夢かとぞ思うと歎きしも、きのうたちきょうたちて此ごろ遠近の国々までこの流れを汲る人々さ礼句をつづりて蓮たいにそのふに心の泉わきいづる侭花鳥によそえて哀傷を沈吟し、露をしたう春の別れ朝霧をいたむ秋のおもい、すべて五七五の上にあまねく衆生のことわりも顕れおのずから法門に心をみずる中だちとなり、讃嘆巨益結縁厚け禮ハ是おん持経にまさる手向ならんと梓上せてなき魂の余哀をとぶらい、聊報恩のこころざしをのべすべる。

 

新編柳多留初集序

狂句ハ人の風俗に虚実をそえよろづの滑稽とハなりれける、そのかみふりにし昔より住吉の松久しく、浜の真砂数しらぬまでやぼとなれかしこれかたの、わきをもさらずひなのいやしき事とても、すつる事なくやまともろこしのおかしき事呉竹の世々につたえて池水のいいふるされず、先師まで四代机上にみてるを柳樽と題してもも飾りの冊子とハなれりしかゆえよしあるて今其数さだかならずなりぬしかありてのち、予がチ斧くわえしハ時にあぶみのいさら川、いささかなれど花の春月の秋に吉野川のよしといい、流せし句もまたすくなからず、たとえば土の中のこがねを取り石の中に玉のまじわれるを撰る如くぬきいで、葆しほ草かき集しをつかね置んもほいなく新らたに編を改め、しめの巻とし鴫のはねがきとはかきももと限らず幾編も稚人のもて遊ぶべき物としすがの根の長く世に伝えん克をねぎて天保丑の年の睦月五世の川柳佃の浜ひさしにおいて是をしるす。

 

新編柳多留十集自序

連俳のみな上ミなる酒折の宮より紫のゆかり求る武蔵野に維還する旅駅朝露ひかる玉川の辺りに柳に遊ぶ風流の林あり。あまつたう日野より高尾の山に隣りて琵琶瀑布のしらべたかく、万年水きよく伝い水無川ハしみ潤いを添る故にや、爰より出る狂吟ハ張るも勢いありて昔今人情に通じ恋が産の苦界の穴をも穿ち、或は月に影をたのしみ花に家路を忘るるなんどの滑稽ハ芦の下根の繁くして河原の砂利の数しれぬまで有けり。されば其溢るる水道に引て東都の柳橋に詰め俳風に入たつ好人等に汲ませんと巻を重ね編を継ぐこととハなりぬ、猶時うつり事さりてもよみ柳の糸長く常盤の清水たゆることなく一河の流れ百瀬に広ごり此道の栄んことを寿き聊つたなき言葉をそえ序辞を加えて及ぼし侍ることしかり。

 

新編柳多留二十一集序

爰に一種の造化あり。狂句天狗というものにて愛宕高尾の杉にも住ず柳の蔭に群つどい言語ハ虚にいて実を行い、又実に居て虚に遊び風流をこのめど天狗俳諧というにもあらず、小神通もある如くよく浮世の癖どころを知り穴を穿て雅言を仕出し打つけるに、判者の的をはづさざるハ天狗礫に等しく、虚空に景物をさらいとれバ慢心鼻に顕れて高く、又口此角のするどきもありて其宿然旨ハ弦めその天狗酒盛にも用いねど、柳樽の銘ありて深山幽谷までも是を翫ぶ者おおし、よく汲とれバ世の人情をしり一物多用の徳あれバ牛若も此一巻を乞い得て虎のまきに比すべしと手前勝手に誉バ其境界に居並ぶ緑亭という老天狗鼻をぐにやつかせよしなし言を述て序とす。

 

新編柳多留二十四集序

君子も愛る如意宝珠の玉川連にて七福の会といえるを催せしに、遠近の人々智慧の袋の口を明け大黒の槌もて打いだす如く滑稽自在にして、恵比寿の鯛ほど新しく磯部の岩のいわずともしれし狂句の柳の一曲天女の琵琶のしらべにまさり、趣向おかしみさまざまなれば観る者とうの眠りを覚まし、毘沙門の怖い顔も笑いをふくみ布袋も腹をかかえつべし、されば流行たえせず寿老の頭巾の折はへて巻をかさね編を継ぐ事とはなりぬ。なお福録寿のつぶりに比し長く〱吉く世に伝りて書肆の宝船となり、聲を帆にあげて人のもとめん事を寿きてはしがきすることしかり。

 

風嘯居士追福会序

奈麻余美の甲斐の国一丁田中いう里なる風嘯のぬしは、みやびを始める人にて早くより東渓の桃の林に柳を移し、月に日にすすみて狂吟をたのしみ花の匂いを添しことの葉少からず。然るに霜柱日に弱々水の抱きへやすきならいにて過つる頃はかなき数に入いひぬ。されバしたしき人々さら火別れのことゆかしう名残の露袖に飾り、且此里々柳風に遊べる人の澤なるも居士が丹誠なのハ扱恩もだしがたく遠近にしめして追善の狂句を乞いしに寄句三千に余れり。兎角して仲冬二十日菩提所に御莚を儲けひめもす吟聲の忘しをのべて牌前に備えしかバ是ぞ成等正覚の回向に比し随喜の功徳むなしからめやと其抜萃を梓に上せ小冊とはなしぬ。結縁のため此事のよしをしるすべき需もだし難く聊拙き筆を染すべりぬ。

 

日吉山王宮額面会序

しらまゆみ斐太の府なる五柳連といえるにて産神日吉の社に狂吟の額おさめんと会莚を催せしに、遠近の好人等橋のゆかりを求め籠の渡しの引もきらずに集い、高山の名にめでて寄句いくばくぞ冊なりて是を閲するによきたらみの材をきるが如く、雲のまさかり月の斧ことの葉をこまやかに砕き位山のかしこきふる克又ハ推読俚語ともに洩らすことなく、夜半の苗田の道もあかるく七夕岩の恋に基キてハ飛虹石の掛て物思うことを結び下さまの間府の穴までも人情を穿、宿灘の窟ならでいと広く言なし下呂の温泉の相応せし滑稽ハ大清水の吸どもつきせず、そが中に誉れなるハ古いいえ錺る錦山の茸に比して抜上げとなれバ、根尾の滝の勢い響き材木石のとことばに名をや残さんと撰たるをかき寄さす柳根はる梓にのぼせ松の橋の色かえず此道の久しくさかゆくことを悦び、ふつつかなる老木の雪を戴き腰も曲りてさし出たる拙さをかえり見ず打思うままをしるしてはしがきとはなしぬ。

 

柳の小多留序

昔いづれの上戸の詞にや世に酒樽ほど羨しき物はあらじ。つねに忘憂の薬をたたえたり何卒酒の尽きる神通もがな其酒を海となし、その糟を丘となし高きに居て仙遊観のことぶきをなし一挙万里の心をなぐさめんと言いしとかや、されど酒に得失ありたしはにも又上中下の差別あり、今仮に風雅をもて是に譬はば先ず和歌ハ上品の酒宴にて九献と称し美さかなハ何よけんなどとやぼとなき方のさま也、連俳に至りてハ酒の席も去嫌いあり巡る盃も法ありて人柄向也、又狂句は茶碗酒の如くにして肴ハ何でもありあわせ賢とすすめて聖と踊り興あれバ旨味あり、趣向は下昇ても口当りよけれバ好みて集い誉翫するもの多く抜萃編を継ぐ事もたけなバに及びぬれバ予も手伝て勝手をはたらき二ッ目の小樽の口をあけることしかり。

 

入船狂句集序

山は富士柱ハひの木魚ハ鯛といにしえ人の詞を其侭馴て世をふる日本橋のもとに入舟という柳風の連あり。名にめでて風雅にのりこみ發会の催しありしに、諸国に同意の人々の寄句ハ潮のわく如く網引の綱のひきもきらず、心に浮める智慧の海にしき波打て句数も増し浄書の筆の汐さきよく、冊は早舟送り撰みはまほに片よらねどかたほにえみの開きとなり、披講の口も八そう艦勝句の河岸揚人の山、さて景品の揃をわかち吾板舟へはこびとる是あたらしいに調の魚品、名を売る上手も書とめて水揚仕切に比したる小冊俳風好みのふるまいあらバ爰より買出し調味しいへとおのれもひいきの商いぐち催主とちなみの生ぐさき佃の島の川柳述。

 

入船角觝会序

それ人を賀するに鶴の齢いにたとへ亀の尾を引て長く祝うハ常なりと、短きかあればこそ長きもしらるれ悪ありて善もしれ下手もありて上手も顕れ得失一戦にしてうき世の道具とす、愚は賢に近きも此理ならん、周の老莱子は戯れ舞ておろかをあらわし親の心を慰む、爰に下手丸子ハ下手という名をひろめんと会莚を設け人々に楽しまするをよろこび上手に先を求めんとせす、他に誉られるることを頼む昇下して遜るハ頴水に耳を洗われし清き心と同じかるべし、されば得にも遊び失うにも遊ぶが風流なれバ寄句たちまち七千に扱い開巻の賑わいいわん方なし。偖其抜萃を梓にせしかハありしよしを記して序とすることしかり。

 

東宰府天満宮奉額狂句会序

東宰府のおおん神ハ緑毛の亀戸に跡を垂いいて、幾としなみも文道を守り筆のすさびを好ませたまへば、彼笠置連歌とハ一ト坂下りぬれど狂吟の会興行せんと雪杉よし同等是を披露せしに、風雅に遊べるゆかりの人々藤の花房心を揃えて飛梅の遠きをいとわず、風狂の詠草を投ずる事みたらしの魚ならで手を打つ間に集まり句高は万燈の数にもやや増たり、さればその編冊より反り橋の聞わたり、よきを撰りしたため額堂にかけて詩歌の中に交へぬれど鄙言俗風の賤き姿の立ならいていかでか松のに及ばん、されど柳の素直なるを神もまた愛いうらんとはばかりなくほこれるを罪にて浮殿の老夫の如く鬼に縛せられんも怖しけれバ只需が侭に拙くも序することしかり。

 

住吉奉額狂句合序

きしの姫まつ枝をさかえめぐみの露いとしげく時誠風静にして海原の月をてらし千木かたそぎの高きを仰ぎ住の江御社に狂吟の額たいまつらんと思い立しに同じ志の人々力をあわせ此夏ところどころに伝えぬれバ寄くる句ハしき波打て潮の湧如く筆の海汲ども尽ず心々に迷いハあがりたる世のことぐさ又は今様の世話克さまざまなる風情につきてものいわぬ花鳥にものいわせ、心なき艸木にもこころありげにいいなし其つとえたる澤なる中より目にも耳にもおかしとおもうを撰るて神にささげ梓にものぼせ不為の如くすり巻とはなりぬ。これや好める道のさちにして今や朽木の柳眉をひらく時いたれりとよろこびにたえず、何の魚なき事ながら拙き筆を染てはし書とハなしぬ。

 

眞琴楽只両霊追福会序

あしたに変し夕部に化すとハあたし世のならいにて桃渓連なる眞琴楽只の二人リハ柳ぶりに遊びて雅言のいさお少からずあること人にしれし身の忽一閃の電光と消えはかなき夢に名のみ残しいへり。唯いたましく人々惜ミあい追悼の莚を設け雅友に狂吟を乞う夫人の念慮ハ菩提の障也といえど、風雅に至りてハ心をすます中立となり悪念きおう事なく理を尽くし情を知らする事はさにて放逸おさまりをうす事なけれバ、よしや古禮出難の要文にあらずとも悪趣の因には有えからずと、その抜萃を一稙の香供になぞらえなきたまの飾哀を吊うという事を序のように盛くわえはべりぬ。

 

神田御社永代奉額狂句会序

武陽神田に鎮ます御神ハ霊徳の和光塵に交て民草を恵ミ置くよつに道を行う者にハ幸福を稟しめ、亦僻々しき者にハ罪を蒙らしめいえば人皆いたくかしこみ奉りぬ、然るに匂宿来方のふたり此御社を信仰の人にて狂吟の額を持んことを發し柳ぶりを好める輩へ其由云ふれしに、やがてざればみたることの葉数多く集りその風紀は高き綫き世にある限り又ハ友情非常遠き海山八重たつ雲のよそまでも洩す克なくそぞろけきことくれ計うべからず、扨もの定めの席にハつとめてより星をいただくまで青柳の枝に宿かる一日千鳥の声々おかしきふしぎこえなせば、神の御顔の程も笑みをふくませいうらんとすがすがしきを額にしるし其余を梓に上せぬ。それにはしがきせよとあれバいなびがたくあやしゅういろなきことながら唯ありしよしをあいしるしすべりぬ。

 

里童居士追福会序

詩歌連俳は諸宗多門の如く法海の智水ふかく秘訣おおしといえども柳風一派ハ去嫌いの雑行を除きて、弥陀一仏をねがうがごとく心を脇に振らざれバ無異のたのしみに至るべしとこれを得度せしハ里鳥子なりしか頃常なき風に誘われ三途の西河岸に弘誓の船の乗合とはなりぬ、ありし世にかわらず歎きをとぶらう親しき人々枝仏に花をささげんより好める柳を手向けんにハしかじと追悼の催し有しに、志評の功徳も四十八願風雅に擬たる有縁の衆生は悟念滑稽の思いあれバ願力不思議の妙句を吐とほり点に登る快楽ありて会莚歓喜の声のみ在れバ去此不遠の極楽と云うべし。されば其抜萃を一ト巻として読談せば讃佛乗の縁を以って善庸に生して佛果に至る因とも成なんと麁言を述て序とす。

 

海内柳の丈競序

夫相撲ハふたちとせの昔より始まりて、これに因ミ歌合する事も古くより世に伝わり、また連俳にも此ためしをまねう事あり、然るに小とりつかいという事ハ大内において殿上童の集い七夕の宴にすまい取ことにて、各夕顔の花をからえに挿を式とせり、是を今擬するにあらねど柳の一派を面に顕し大相撲を興行せしに、東西より数百の力士土俵に寄ていかめしく五七五にしこふみならせバ、行司ハ手に葉に目を配るに皆こっけいに手をつくし或ハ故事の持出しあり、句種のまかいも捻り出し鴫の羽返し細かにくだき警喩のつまとり大わたし、類句ハ突合組ておち無勝負となる者もあり、道に黒いハ烏とび飛逢いの怪我まけあり、寝るハ忘れずとも夢枕上手ハさまたを救い投、花になぞらう景物をたくりに取こみ、ほこりかに名指をしらせる功しあり、のこった名手も多けれど次の場所まで預り置脇より取手の番いもすみ、勝負は誰やら顔ぶれやら摺出す端におこがましく年寄役に筆をとりありし次第を誌になん。

東西何れも勝せたく判に依怙なき心を

    風の出ぬ団扇あけはや花相撲

            五代目 川柳

 

柳の多無気序

軒の玉水残りとじまることなくかげろうの有にもあらぬ夢の間に無常のかせいと度吹来れば、広野の苔の露消てはかなきハ世のならいなれど歎きてもなげきぬべきハざえある人の齢い短きなりけり。爰に桃渓連なる眞占梅園のふたりは世の中のことにさとくよそならず、おのれもはつひかたらい人々なりしが、とみに黄なる泉におもむき給いぬと聞て、あわれとも何ともことの葉さえなくて只涙おちてやらんかたなし。されば親しくふかき人々いとおしみ思いあえぬあまり、いませし時好める事とて追福に狂吟の莚を設け、悉得仏果の心もてくさぐさの吟聲を霊前に手向く実にも見やびハ花の薫りの如く物の潤いのごとしとあれば、御禮を微妙香潔のちなみにかたどり仏は縁により九界の衆生を助けぬいうとあれバ、開楽悟入要文ならずとも功徳のはしとなりなんとそのよしを拙き筆にしるしはべりぬ。

 

柳の露序

上田よしほのぬしハとしごろむつましうかたらいし中なる故、過にし春予がいたつきを訪いいし時たわむれに鬼のねふつの画賛を出し、こハおのれの辞世なりと覚悟めきて云ぬるに、そハ僻事也我に得せよと袂にして帰られしゆえ、さかしたちて見せしことを悔つつ夫よりいくばくもあらぬに、秋のはじめ思いがけづとみになくなりいいしかバ、心まどいて涙とどまらず新ねもころにといし人ハさきだちとはれしわな身ハ年を積世ハ只夢のゆめなりとしのいあえぬ折柄、其息よし子のぬし追福の狂句の会を催して摺まきにはしがきせよとあれバ、有し事ともと其画賛をも写し手向艸の数となして求にしたがいはべりぬ。

   鬼蓮もしゅうもく  

葉をうつ西の風

                    

           川柳画賛

 

新五百題自序

和歌は題林あり俳に五百題ありて世に流布し初心題詠の力草となれば、狂句も是に准じ部類をわけるふみあらまほしという者あれど、それ狂吟は題に着せず森羅万象句の種ならずというものなく、趣向をたくみにしてこころなき草木に心をさけ物云わぬ鳥獣にものをいわせ、山の邊の露のするがなるにも言葉に花を咲せ八万四千の思い皆句の題にしあれバ、いささに初学びの法りとすえきば人の詠せし句体を見て、わろきハ捨よきをとりて口調をまねぶ是才を盗に似たれど、いにしえ女をぬすみて芥川にさまよい、さくらを盗みて園に埴しこころにもおとるべきかハいたずらいなる僻事のようなれど風貴を行朝迫道とも云べし。ここに二百余吟ミ章知の抜萃あり撤て紙虫の栖とせんより、五百題と名づけて書肆の鬻むことを云ぬれバ萬こころにまかせぬ、されどこのふみ達人の用にあらず雅童の蒙撃にぞ能うるのみ。

 

地方判者立机免許案文

一、其許義年来柳風執心にて狂句の引墨致度旨任懇望立机員許候義実正に付然る上ハ左に証し候掟の趣急度相守可候申候。

    柳風式法

一、政事に関係りたるハ何事ニ寄ず作句撰を致すまじき事

一、近世の貴顕官員の実名など句中に取りむすびたる風調堅く引墨致す間敷事

一、恐れ有る事ハ不及申譬恵知己ニ候とも人名を顕し讒謗(ざんぼう)がましき句体ハ一切致すまじき事

一、賭博出火刑罰等の不吉ケ間敷句作ハ一切禁忌たるべき事

一、句撰の規則ハ天朝を尊敬し敬神愛国を旨とし往古の偉人忠孝道徳五常の教導技芸の名誉奇特句体を尊ミ高番に据べき事

    右ハ自然善行の道句案ニ浮ミ歓懲の一端にも成るべき故なり

一、句撰ハ決して依怙無之風流専一ニ引墨すべき事

一、累年我柳風に於てハ聊不将の者無之候得ども此後万一不法の族ありて句賞に事寄せ通貨など取引候哉の風聞もこれ有り候ては以の外の一大事の儀ニ付此段精々注意し是迄の規矩を崩さず柳風永続いたすべき様心掛け専一の事

一、開巻席上ニ於ても相済候迄ハ禁酒いたし雑言の上争論これ無き様慎ミ風雅ハ盟友と睦ミ交り厚く人和の基と申大意を心得幾久敷此道の繁栄となり候ハバ元祖柳翁への孝と風流の功と相心得承知可致候様大畧書送り畢

                    狂句判者

      月  日            五世川柳

 

梅柳吾妻振発行祝吟

    若木なお盛り見まほし梅柳

入船連発会祝吟

    岩に龜古具かくして波にしづか

神社奉額諸会軸六章

    みとし路に世々頭たれて澄る月

    帆数添う入津の的ぞ神の松

    邪鬼のみ朝暑も退くる夏秡

    敬して朝暑を遠ざかる神の社

    洩れたること程千代を経る子の小松

    信あれバ徳を積そへ湊入り

仏閣奉納会二章

    すかれ只解脱の因の善の綱

    苦逼身すかれと慈悲の善の綱

追善会手向五吟

    玉と見て惜しめともろき草の露

    根にかえり程慕わるる花ことみち

    散てなおにおいハふかし名取草

    枯落てこんじきと化す散松葉

    石碑にもなき名埋ず苔の花

題三香庵茶宝

    四季ともに茶は隔なき閑の友

初空

    一トとせの手力雄なり初がらす

春興

    虎の尾の花も嘯風は忌み

田家

    幾つ目の笠既顔優美な田植唄

七夕

    散り初めて秋を知らせる星の歌

豊熟

    掛稲の下へ垂るること民の汗

麗艶

    派手やかな重ね着見せん冬牡丹

雷公

    臍塚をつくべき程乃御怒り

瀑布

    瀧の音あつさはそばへ寄付ず

燈蛾

    蛍にも恥よ夜学の灯とり虫

混題百七十九章

    立澤も心なき身はすぐ通り

鷺とからすが泊つてる馬喰町

捨る子の膝に臍の緒くわし袋

蚊屋へ蚊をいれる娘の髪の出来

雷も及バぬ蚊帳の臍とへそ

枝豆の流れ矢憎い顔へ来る

照る月を微塵にくだく岩の浪

根引した松高砂の気にいらず

如菩薩の来迎花のふる夜也

三千ハ枕う用な春一チ夜

天井を釣我家を潰される

神代にもきかぬ千早のはかりごと

九ツの星で願道もくらからず

うその近所に八百の料理茶屋

桜の詩案山子のような形リで書キ

江戸の馬田舎ではねた役回り

番附の聲ハ娘にはつがつお

楽屋でハ御台所も茶わん酒

何よりの要害善を高く積ミ

四の足を踏で葛の葉別れる

ちくはいわねエほれたアと軽井沢

又喧嘩将も内儀と両隣り

間男のぬかりハ下駄をはき違イ

四ツ手駕籠餅をねだった例なし

宿下り朝寝の蚊帳も片はづし

其さそく末世に薫る香爐峯

障子の穴から垣間見てべっちゃくちゃ

子斗で亭主のしれぬ鬼子母神

死そうな六部のそばで境論

恋無常中の仕切に土手一ツ

武内死で孫子の施主ハなし

民の作実に有がたき菩薩也

末期の湯呑で寝顔最後也

折ふしは宗論も聞く木賃宿

奥家老髷を失念仕

異国から来ても鸚鵡ハ江戸言葉

笑う日はおもしろくない泣上戸

嫁が来て仙洞となる母の雛

相傘の片手を廻す水溜り

松ヶ岡雁も三下り半に下り

入仕事鉋を研ぐに念が入り

こぼさぬを自悟して呑む舟の酒

今になる苗を田中で仕付てる

釣針で襲女の縁に引っかり

橋の上女雪踏に人だかり

花や今宵と詠置て根へ返り

才蔵が乗地になると嫁かくれ

九太夫が髷蜘伸巣がからみ付き

思いしりなんしと宮城野ハえぐり

古へのがらくたならぶ霊寶場

有難さうらみるものは瀧斗り

寝返りをする筈夜具の無心也

大笑い腹をかかへて下女さがり

嫁の月星をさされる迄隠し

武の蔵へ五幾七度を詰メ給い

恐悦を月の名所へかつら姫

黒馬の節会行う相馬御所

はづかしさ知ると女の苦の始

居ながら名所を詠でる火の見番

女房の吟味もされて初回もて

鰒の家又死たいと禮に来る

食えぬはづ箸にかからぬなまけ者

どの道に帰る思案の橋でなし

心までとかすつもりで櫛をかり

嬉しさにつもるうらみもうち忘

涼ミたがるハむし付た娘なり

草をわけせんぎされてるきりぎりす

妹ゆえ生れもつかぬ二本ざし

転バぬ先に杖にする子を仕込

頼母子からぬ杓子だとほうり出し

ぴんとして女房は路次の錠をあけ

常羽織隠し裸にする気也

遊女下女済度ハ江戸と江口也

小便に陣屋へ帰る女武者

御預ケと号し立派な居候

代参のふ首尾は蓮の根をふられ

五十四帖は性わるの一代記

文もみずとは色気ない時の哥

ちとこわし親父小言を今朝いわず

そいとげて小指斗りハチト不足

鰐口をたたけばあけぬ山の神

恋の三代実録は紫女が筆

棒炭の針ほどになる寒い事

島々へ御慈然のわたる大法会

ひまな日はこよみ見ている結納屋

金五両とるべらぼうに出すたわけ

切レ文の文云いたい事ばかり

印形の盗人肉を分けたやつ

宇治の網代に甲冑の土左衛門

我智恵を子孫に譲る家の集

細見の馬が武鑑の馬をふり

急用にどもりすこぶる苦しがり

癪をおせとは過言なり身共武士

拂子にて集めた金をヒで捨

八雲立までは六義もおぼろ也

河内木締も高安の恵歌づけ

何をきにし奈良の団扇と涼み哂落

武者一騎虫干の座でしかられる

うつ水のぬかり思わず人にかけ

豆腐の湯度々貰うまめな下女

譲りもの通り名及にから箪笥

肌つきのいいめりやすが御意に入り

お流しなんし今に湯が出来んすよ

廬生が夢のなかばで平家さめ

敷居は高し梯子へは揚られず

月雪もよほど苦になる花の廓

ひよめきへ荷痛みの出来る黒木売

夫までは憎さ顔の寿もいのり

後家を皆泣せて廻る吉右衛門

いたむべし其前表を蜂がさし

太守でも傾ば城は落しかね

物くるわしく候ぞもん日まえ

藪と笹とで名の高いそばうどん

母も味方に付兼る昼帰り

都では梅を盗まれたと思い

にょいと出た顔が三国一の美女

酒を止メたれどやっぱり銭がなし

海に入ルみさおを山で御したい

穢多の子は先ヅ蛙から剥ならい

朝帰り見方と思う母は癪

御武徳は客を臣下となし給い

印和見よ廓は夜光の玉揃イ

引眉毛めでたくもない廓かえり

おむつにと九十二人に巴いい

やるもおしかざるもつらし母の雛

稲舟へ雀乗り来る最上川

啼ケバこそ鳥とは知れる雪の鷺

船中に腰縄で居るいたづら子

立チ習う子に行灯を母おさえ

玉垣に蔵書も多し村鎮守

りちぎな盛おき明細に借のこと

手が利て針の莚に嫁居とげ

高尾が失礼三浦屋は度々詫る

ますます立腹名代の高鼻

娘茶にして十三がそろそろだへ

世を捨た如くに芸者世帯持チ

そつと明く戸の内外の面白さ

九ら助へ礼参りしる二十七

門遠イ歳玉壱ツ損て濟

火縄箱中にからんだ文も入レ

孝霊の前は名のなき翌見於

十返りも見ると不首尾の松となり

別荘を烽ナ包む定家公

水に手遠し猿橋の月の影

ぬれる子におぼれて母はおよぎ出し

馬士矢がそれて櫓へとまってる

狆に吼られ口上の胴わすれ

床下へ念仏を法る善光寺

新関の初手はきびしい物とがめ

白拍子旗色のいい方へほれ

憎くない物ハ財布のふくれつら

あたつても見たく炬燵に後家壱人り

我が袖をぬらすが義理の愛合傘

鶴千羽放す気は似ぬ獣狩リ

立聞も人のにくまぬ儒者の門

稲田が勇に鰭のつく御盛状

武の国にまけたまけたは市斗り

釣りを見限り女房は河岸をかえ

犬のたいくつ椽頬へ腮を乗せ

江戸の気性柄杓のぜにをはちへ捨

    陣中に外科の居眠る勝軍

流行ル形リさっぱり親の気に合ず

猫を呑ミ井戸を替え干す長屋中

一休に毬や羽子板捨て逃げ

諸事前の通りと解る後三年

高い敷居を弐三寸酒が下ゲ

流し目の厭面は人の落し穴

笑い声屋根屋褌〆直し

箒でも灸でもきかぬ居催促

戸を明て礼を請取る御駕脇

楽しみにお七仏の日をかぞへ

びんぼるは顔に木目の皺が出来

間柱が突ッかいになるけちな内

明ケ建に襖の船の島かくれ

 

 

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六世川柳

 

本町連差柳序

からのふみにかしこきもの善々人と交て、ひさしゅうして是を敬すと誉たまいしに似て、有人ぬし盟友に信ある心からつかえのみちにたがうるなし、これや枕のそうしに有かたきもの主そしらぬ従者なるべしいまたとし若うしてなりきるよき幸ありて、都登りせしついでに日頃好める風雅に千代の古道分たと里数おおき名ところ見廻りてかえりしを待うけて、俳の友とち狂句を吐て賀莚をもうけ百川楼に集り巻をひらき賑い睦み楽しみしハ柳ぶりの本意にこそかくて抜萃小冊となし、はし書せよとのすすめにいなみの海いなみがたく只このよしをしるしぬ。

 

絵本柳たる序

夫智有ば財なし、財あれば智なし。甘水ハ渇し、貞木は切らる、得の下に失あるハ世の習なり、我柳振りは得ありて失なく、世俗に虚実を添えよろづの滑稽を云叶え、浜の真砂の尽せぬ趣向やごとなきかたの業鄙のいやしき事をも捨てず、うきたる様に聞えても内には教を守一と詠み孝を賞美し貞を誉又おかしみの句にハ笑に腹筋をより鬱を散して病をよせず、居候の不自由勝も身の錆とあきらめさせ下女のはすぱも自然と直る風狂言葉にのべがたし、されば句毎に絵をば添たるハ玉にあるとかりいるべし、見る人面白さに笑を催なば福の来る幸ともならんと思うままをしるしぬ。

 

寶玉庵三筥居士追福会序

夕部の露あしたに消え流水しはしも止ることなし、真砂連なる三箱居士ハ柳のながれに遊びめつる事一かたならずこと人にもすすめて根をふやし言の葉のしげりしげりしいさほ少からず。なんの糸爪と世を悟りふらりふらりと雅にくらせり通し頃尚歯会をせしに「長命さ弥陀も閻魔も待ぼうけ」と詠せしを人も知りしに、はかなき夢に名のみ残せしを竹柴の優いとたち其亡霊をなぐさめんと追福の莚をもうけおちこちに告しにさわに玉吟を投じて大会とハなりぬ。在世に好みし道なれば千部万部の経にも増る吊なるべし、しかして抜萃小冊となりぬこれも備物の数になしなば蓮の台にて歓びぬらんと拙き筆をそえ伝りぬ。

 

ことたま柳自序

夫大和歌は遺徳の祖にして百福の宗也、いづもの(すが)の地にて八雲立の神詠が礎と成り世々に名ある人出て千世の後も替ることなし。爰に我柳風狂句は明道の根元にして終身の長なり、祖の柄井翁は浅草新堀の辺りに此点を初しが起立(おなり)にて百の年も替る事なし。星うつり年立て七十四に及ぶ職報恩謝徳の為追福の莚開んと五世の翁其由をいい解しに心ある人々等是を助けし評をなすもの六十人になりぬ、おのれ会のあるじと成て遠近へ告しに四方の海しづかにて秋津嶋の月いたらぬ所もなきハ、祖の詠安きを教置し高徳道の幸ならめや、流れを汲でみなもとをたづねんと心々に句を吟じ詞に花を咲かせ言の葉に色を添、あめつちの事を始五際六情何くれとなくいいて下つかたなるたわれた筋や世話事を譬喩に云なして、投吟すされど古きより詠ぜし句数ハ五ツの車に乗すともたうまじ、しかあれど句作同じくて趣向は替れり、崑嶺の玉とれとも飾あり、ケ林の材切れども尽ず、今や此道盛んなりより句は森の朽葉数つもり汀のもくづ限りもなく古来に稀なり、かく茂りて大会と成しも理世撫民の大御代のありがたき余光なり開巻三日に及びぬ、其霊には経よみて僧に供養せし程の功徳なるべし、衆苦有事なくて諸楽を受極楽に車輪の如き大連筆に端置して此寸志届きなバ諸仏にも其佛の光ならん、かくてその抜萃を梓にのぼせ其麓にいたりて山のおもわんことを恥ず我おもうことをはし盛する事しかり。

 

楊柳懸額会序

浅草寺の境内なる楊柳の瀧はきょ水にちなみある名にして水は方円のうつわにしたがう茶亭ありし瀧壷の流れハ絶ずしてしかも元の水にあらず、流れに浮ぶうたかたハ消かつ結て久しくすめる家とかや、此瀧の家あるじ世の流行を好みて丸狸ぬしに狂句の額ほしとかたらいしに、とみにうけひきて五題を出しかば滝に縁ある朝遠近に飛々きみなぎる玉の吟を詠せんと瀧壷に乗入れしむかしに似て愛女の三味線儚もとどめ市中のかまいすきをいとうものは音なしの里をたづねす出しの筧の音にも耳をふさぎよみ出せし、素直なる吟は柳の枝ぶりに似て茂りしを撰て額にしるし、其余も撰て勝番にすえ折のこせる吟の残りおおきうらみもあらんがみてるをつ歓ごとハ天の道にしたがうにこそ抜萃を風狂の姿と見てこのみちに遊ぶものは心の屈せる苦をもしらず、いつも笑みをふくみ腹たつ事知らねば福も来りぬらん、そを人にもしらさんと梓にのぼせ、はし書をわれにすすむいまや昇平の鼓腹の世の楽しみを百世に示すに足なんと筆をとりておもうままをしるしぬ。

 

御嶽山奉額会序

御嶽山座五権現は霊現いちじるく神威ハ山とともに高く鈴の音絶間なく履杖は引もきらず六根清浄にして祈らバ利生ハ山に響く谺のことし、信に徳ある御やしろなれバ柳風一句毎に画を添て奉額せんと甲斐の国なる所田中になまよみならぬ桃渓連に三ッ輪藝成なるもの会莚

を催せしに、道に心ざし厚ハ句案に凝りてぬる間の夢山にも吟し昼ハ終日経石ほど趣向を尋山梨の色巧ミにうまみを含み作意に詞疋を咲せ言葉に艶をそへさハに送れり集メに黒駒山が教あるが肱と寄句ハ白嶺程嵩ミ冊なりぬ、そが中より逸見の御牧や種坂の牧勝れしを撰にえり出して寶前に捧く抜萃桜木にのぼせはじむをのぞむ差出の磯さし出て塩の山おしはかりに計りて延う猶祀吟の神慮にも叶て柳の茂れかしとねぎ事として拙き筆を染はべりぬ。

 

眞琴居士十三回追善会序

横おりふせる甲斐の国田中の里ハ文雅に遊ぶものおおく、柳風は五世の頃起り和にして枝をならさず穏に月花に富る連に眞琴なるもの道に志し、深く其爪音も調子よく仲国は駒を馳仲達は馬を走らしむ程に狂句も只律に叶い、ことの上達の六段にハ初手ゆるし勧懲秘曲の中ゆるし心をいつもつくし琴十三組のそれならで、警喩によみなす裏表言語虚にして遊び実に居て虚に遊ぶをよくしろへ覚しに奥許にも至らずして去りしをいたみ追福の莚を設く、琴に縁ある首尾の松其辺りなる茂樹子の会あるじと成り賑はしくとむらいしを、莱落というも草の名茗落ということ草葉の影へ露程なりと届きなバ、在世中好む道なれバ心も晴て西の空此善因に引接て仏果を得ん事うたがいなし、常に詠める天人座紫の雲閣に浮世を跡足浄土を前足就舌の常法を聞て諸仏に柱ほどに肩を並辺、快楽うけなんとわれも大乗の茶にうかされて八段の調子乱れ愉舌に人の笑いもかえり見ずよしなし事をかきつけ序とす。

 

新調画本柳樽自序

新調画本柳樽ひととせ事茂りてもだしぬ好人等我をせめてせん方なし言つけなせど聞入ず、されば連へも知せ新句をあつめて物しぬ、貴となく賎となく愛るハ今流行のしるしぞと心に慢じて、みんなみの窓の筆をとりて柳のいとにくり返し早いろりしてとくれからぬ斗りを撰て画を添て稿なりぬ、柳ぶりのやさしの姿好まんものの春旬のねむり覚し剪餅十枚茶一杯にはまさりなんと仕入凧するいと日みじかなる頃ふみやが春の賑いと端書して渡しぬ。

 

画入柳多留自序

歳も豊の睦月家を寿く萬歳に笑こぼるる梅が香や門を好くなる春風に、にこにこ入来る屠蘇きげん笑上戸の年始、客笑う山々佐保姫の笑産に化粧残る雪今朝とはしと朝みどり、其糸柳たおやかに霞に笑の眉ともり千葉の笑は善へ引、虎渓の笑ハ友の径笑亭損をしたはなしわらい顔には降ささず笑果が有りたなら楠殿は笑て抱えん、にくまれものの時平の大臣も七笑にハ人もめでこの小冊や笑の種にもなれバ家内和合の一助ともなりなん、朝夕笑てくらしなバ笑好の七福も悦いうなん、されば笑も其身にハ花なるべし。

 

画本柳多留自序

柳の糸をくりためて和を結んだる床の間ハみどりなすてに春の色好む、根〆ハ玉椿玉の盃底ありて芽出度いはう数々ハ、としの吉事を幾重ね迎うる為の睦月雪間の梅もまけじとの、針もつ意地の笑顔とて飛こう笠ぬい鳥若やぐ聲のさえづりも、さえた口調の柳たる古文物の理をバせめにせめに俗語平話に姿情を画し三かかえ有ても高ぶらず、下見てくらすさとし草これや此やさしの物の長ならめ、ささればみどりの春に幼童の持いになしなバ心ある老のあな目出度あなおかしと誉たまわバいみじの幸なるらめや。

 

画本柳樽序

水ハ山の姿をふくみ山ハ水の心に任す人の睦も是なるべし、斐田なる高山の心高く古川に水たえず広照の里の心ひろく黒内の緩黒ならぬ睦ましの連会毎の句ハ牛も汗せんそが中を農楽庵の撰しを絵を添て好士に見せなば道の栄とも成なん、童蒙にみせなば教ともなるらんと我に送る見るに暁の空に向う心地すみかきし句な撰バ玉柳とす、古今もおなじ流行ハ狂吟のいさおし弁慶が楳に一枝を折バ一指を切べしといいしも、郭の柳こしハ一トえだ折バ一指を己に切り、酒ハ釼菱といいしもいろ娘に移り料理の一刀流も鉄砲の錫におされ、うつり替りし世の中に相かわらぬ柳振目出度ものの数ならめと祝して筆を染はべりぬ。

 

絵本柳多留自序

夫柳の情やわらぎを胸として風になびきて雪に折ず世々な者の風見草十雨にしだれ上を見ず、こやうやまいの教草其糸柳に道風は盛に秀で貨狄は其葉に船をエみ、いづれ名誉の物なれば此柳道も数ならねど堪忍をするさとし艸、喜ぬも水波の隔なれ柳ぶりのおかしみに笑顔なさば波たちし中も水となるべし、されば家内によろこび喜多留と手前勝手も笑の種なるべし。

 

柳の庭序

青柳のいとのどかなる玉の春、芽出たく祝う年始会其人数さえ年毎茂り巻さへ気さへひらきてハ心に一ッの藝もなし、此風柳のやさ姿花の兄貴にくらべてハ妹の美女といいつべし、是に打込連中はおつな気風の生悟り其を積といえば台所を見、慈悲をたれよといえば縁側をのぞき、また女色好めバ浮名うるさし、酒を好めバ家の二日酔もいや、金を溜れバ汚名をくだす、なんでも狂句が悟りの一理と懊したるも面白く有の侭を抜萃の序とす。

 

柳迺栄序

行川の流れはしかも元の水にあらずよどみに浮ぶうたかたは旦消かつむすび止る事なしと加茂の翁のいいし如く朝魚と露と遅速あるも保つ事なし、風の艸なびき安く波の月しづまりがたき世のならい六願に仕えし翁も七世の孫に逢し翁も碁に斧の朽たる杣も皆昔語りなり、ひまゆく駒艸とく飼手バなづまずやありけん五世も其数に入りぬ、はや十三回忌に成しかば諸人の追福せるにとここむ志評数おおきも徳の顕れとうれしく投吟も浜の真砂数しるぬまで集りぬ、そが中にハ高きいやしき何くれとなく虚実こもごも滑稽言葉に尽しがたし、そを土の中に黄金をとり石の中に玉の交れるを、おのおの抜萃して開巻三日に及びぬ句賞は虚空に花ちり席上賑いしく極楽というは是なるべし、さればたえなる詞も風の塵となさし光りある玉句も露と消失なんもおしく、さくら木にちりばめて萬世につたへなば霊には持経にまさる手向ならん、道のさかんを歓喜踊躍していさこの志しを述んと江の小鮮のこころもて大海の広きをしらず拙きをも憎からず筆を染はべぬ。

 

東照宮奉額会狂句合序

掛巻も畏き東照宮は至徳の余光かがやきて神威は弥栄えにさかえ、御やしろの森の木立も物経りて神さび尊く松梢の風に音曲を奏するは神いさめともなり、御水屋の桜は心を涼しめ池前の槇は枝長く垂れ高ぶらぬ形容や温和を示し、又桜は欝気をひらき人の気根を養い実に保寿の便りともなりぬべし。されば此柳ぶりも雪折れの患いなく風折れの歎みなきは耐忍の徳にして人の此道を好めりも自然の勢いというべし。句作は昔と変らねど四時に移りてかわり是を以て彼れを風化し彼れをもって是れを誘靡し其情稍風車の水を揚る工みに異ならず、そが徳ある柳ぶりなれば御やしろの賑いにもとこれを額に記し捧奉らんと遠近へ告しに、時移らずして集句一万三千余に及べり楽判にも至急を要せしに有志は伝線より早く玉吟撰りて巻となし、しかのみならず隔てし国の仁も遠きを厭わず出席せしは是も彼も賞賛すべきなり、山の八百善にて開巻なし席上ことに賑しく即日額成りて納めぬ、こは催主北山子年々子の労力と謂つべし、其抜萃梓にのぼせ端書せよとすすめに有しままを認めはべりぬ。

       軸

    色かえぬ神威や松の深緑

 

しげり柳跋

待乳山のあらしの聲万代に伝へ隅田川の波の色千歳にすめる大御代に逢る幸いにや、我柳風の行わるる事いにしえにも膳れかされん三囲なる五世の碑の傍におのれにも建築せよと社友のすすめ有しが、白髭の老のすさび都鳥の思わん事も恥かしき業にはあれど新物することとはなりぬ。然して古き三人の友とち其事を四方に告げしに、柳ぶり好める遠近の優人たち富士筑波の高き心を連ね隅田の流れ清き思いを述賀詠を寄られしかば、梅若塚の薫り深く柳島の翠りなるを撰び頓て堤の桜木にのぼせ摺巻とはなしぬ。竹屋の渡し直なる御代に逢うこもまた幸ならめと嬉さの余り佃の寄洲浅き心を忘れ堀切のあやめあやなき根なし言をつらね諸君の厚意を謝するになん。

    老柳ひれ伏四方の薫る風

 

金龍山奉額会柳風狂句合序

浅草寺や推古天皇の御宇中臣某左遷に三人慕い来て漁を営み忠勤怠り無し、亀戸川光り物にて夜は休業なりしに誠心を勵まし出し夜其網にて出現せしを藜の柱茅屋根に安置せしに霊験新なり、年経て今の地に移せしに益々御繁栄五大洲中他にもあるまじ千万戸も御徳の光りに照され世業美や、信には諸難も悉除なれば寶前寸地も無き捧げ物満みてり、柳風の額も古び掛替せんと会合せしに志評も数多あって寄句も二万余吟の大会とはなりぬ、開巻二日に及び其賑い旁しさは是連中の共和の睦み至誠の一致心大海の波静なる時は千山顕れ人心和らぐ時は通観すと、句作も昔に一変して会毎に進歩の姿秀吟夥し筑波山葉山しげ繁き詞の林良木多けれど能く切る斧を所持せず、窓の雪に疎く蛍に近付ねば唯無智短才に精微而朗暢を心がけ、柳の糸のよりよりにとけつもつれつ風に狂えるさまの目覚しきを撰りて額にしるし、捧ぐ額面は神戸なる関山に下谷竹町なる有人子の尽力にて落成しめ、新く狂句の盛大に成しも祝の高徳の顕れたるなるべし。下等の口調も黄金の鉄の巻多きにはしかざるが如しと慢誉して抜萃を活版に印刷し端書せよと進めにかたへのそしりをもかえり見ず拙き事を認め序とす。

      軸

    救うとの慈悲や無量の深如海

 

未歳且

怠らぬ鏡とうつせ初日影

歳且吟

    是にますよろこびはなし家内無事

歳且二句

    年の口元紅さした初日の出

    戸のすき間朝寝はづかし初日の出

三ケ日

    餅の外ふくれつらせぬ三が日

喰摘

    くいつみや玉のすがたをありのまま

賀昇平

    遊バるるだけハあそべよ世は富鏡

寸陰惜

    鐘つきに茗荷喰わせん桜時

杜鵑

    此病ハさ今のほととぎす

自像賛

    うつせかし人の善事を身の鏡

祝賀

    親類は笑い寄りする賀の祝い

月今宵

    月今宵僧にもゆるせ飲酒戒

八坂の宮に詣でて

    拍手をならす八坂の宮くぐり

男山の竹の珍器給りて

    千代のたからぞ御恵披の竹枕

明治庚午歳且会

    露の玉つらぬきし美や糸やなぎ

舞翁米寿賀

    賀の餅は耳をつきぬく聲で礼

旗亭掛額祝吟二章

    程という字を忘るるな美酒佳肴

    松ケ枝に群鶴の善や千代八千代

楊柳滝茶亭掛額会

    瀧で洗わん人の作を聞た耳

手向吟七章

    咲た戯花には風雨の慈ひ無し

    雅むしろや根に返りしも返り花

    茂る葉の散っても跡に根は丈夫

    美を散らす嵐や憎し落椿

    蓮華動くらし原志の柳風

    浄土の雛形不忍の花盛

    霊も嘸愉快和合の怯莚

祖翁例祭二句

    末世錆ず祝の苦心せし斧の針

    貴誉され苦心も余所に翁草

神社奉額軸句七章

    幣のそよぎや氏子へも邪は寄せず

    笑顔して拜せ神へ和にしかず

    尊慮の慈こぼれ幸い雅も水

    虎をうつ威は夷も恐た皇国の美

    出過ても憎む人なし富士の徳

    守護に依枯なし万水に月の影

    みがく気が自然と移る御神鏡

明治庚辰歳会

    あら駒をならす柳の木下蔭

蟹麿下阪餞別

    藘の地の根にも雅致あり月の蟹

旅別惜和歌

    かえるまで無のをいのりて待そかし

         今の思いを昔しかたりに

天保調三十五章

    くらせんか慮外者めと田舎武士

    ひどい生酔喰た蚊も酔て居る

    嫁芝居ぬき場を抜てはなす也

    本復の力だめしにたたむ夜着

    孝に湧く酒に見物盛こぼれ

    李白がほまれのめば吐き吐き

    酒の一徳生酔にかまうなよ

    序に蜆も見てたもれ滑川

    其頃は隅田に桜もありやなし

    李白来て見よ我朝の美濃の瀧

    初夢を対に見たいと新世帯

    定宿を名乗り三保谷身をのがれ

    乳をのむ子を笑わせて歯をかぞえ

    読経に美音の満しる嵯峨の奥

    俵の口もすぼめてるけちな扶持

    目が覚ず異見を寝言だと思い

    右に撥客をよわせる左に酌

    返されもせず本腹の記念物

    景図見まほしき捨子に添た歌

    二階に居ながらちゃんはなぜ留守だろう

    廻し部屋場末へ越した心持

    足は喰い道にのまれる女旅

    身代の痛み痣だのやけどだの

    水差しも薄茶も恋のいみ言葉

    奥方は捨つて恥ぬおとし胤

    何もかもやたら呑込む広い腹

    送られて来たを忘れて迎酒

    月の宴歌にはおしき目を眠り

    千代の下女翌日仕立屋へやりましょう

    弥次兵衛へ来るは落馬の膝栗毛

    乳母が家に食客いづれ不幸者

    新作も亜相にたのむ茶摘歌

    里主悪口十二雨は天の時

殿様を聟の氣妾の親ほこり

弘化調十五章

    洩してはわるいと智恵の底を入

    千両で紀文が買った閑古鳥

    くさいのは鰹も赤い頬ッぺた

    (こむ)(そう)の旅寝なさけの一夜切り

    柳絞りをあらそわぬ嫁に着せ

    世を持こたえ美食せぬ舞が腹

    云事が先へ届かぬ舌たらず

    貨機は細き煙りの狭布の里

    高い敷居の難所無ひくい腰

    初イ子持冬奉公と喰いくら

    継キ上下ハまつら戸に半ふすま

    傾城に泣レ女房ハほえっつら

    鶴の水掛丹頂に紅粉が付き

    なまなか眉毛物思い歯斗カ染

    易者へ生酔おれが名を先当ろ

嘉永調四十章

龍に翅は柳桂の御教訓

造営の時は筏も波に浮き

纉Eみ男痛あれど世に出ず

白龍も魚医者と化しふられ損

目隠しは見所が無イといわせる気

しりくめ縄を大門へ母はる気

さわる雲あるも奥あり月の宴

隹魚の中へだぼはぜの奥家老

月の洩る雅宅襖に瓦形

肌ぬいで水きる庭の羅漢槙

寝ぬうちに入ておくれと涼み台

明き店へはいる目くらの風の神

子持ちかね持参に交る親ごころ

子がなけりゃ女房とうにおんでる気

草履の仇討突ッかけ者には出来ず

欲と屏風は引あうと倒れがち

塵にある和光芝崎市のころ

夢に見て嬉し一夜に出来た山

扁鸛も及ばぬ補薬花に酒

人中で縮ンでいれば内はのび

恋ならで逢う嬉しさよ迎い傘

まむしに一能梶原に歌の才

余はおしてしると梶原船の滲

どろ水へ仙台糒つりあわず

敵をなで切伯耆から御還幸

ぬれつつの御製に干さぬ民の咽

すみません訳さと濁り酒をこび

即席汞知小料理の娘ぶん

出陣は人よりせわし武蔵坊

伊勢屋の芝居行食で成田屋ア

心なき撰集かなと圓位愚痴

角力で希位とり品なき虚説

衣類にもこび茶は嫌う賣茶翁

長頭丸内地届いたる御傘

尼の乳は花なき草におしき露

止事を得ず面に出る急用事

生酔をはづして逃る片たすき

琴〆る汗は芙蓉の花に御内

娘だと孟母地獄とうたぐられ

箱を連出され親父は四角ばり

安政調十二章

    火の消た多々良刃物もなまる頃

    和の風がさわると切れる鋸帆

    辛苦して後は寝安き暖め鳥

    長寿して恥多からぬ倭姫

    治ッて世には名もなし乱し箱

    喰よくなる気載て来る杓子

    今年はお高十三のおちゃっぴい

    天井の蜘下りてくれよめぬ文

    みとしろ豊鈴生りの実のり稲

    不義に膝折たら足の筋は無事

    かねをうならす一ッ目の橦木杖

混題年代不同三十四章

    細流わけめは末は涼み川

    船そとは親に告るな月に酒

    鯱をにらんで生れ鰭がつき

    心の柳あらそわず根が丈夫

    寝ぐるしい晩仙人に見せられず

    猫しばしさすらへの身の盗み喰い

    鞘がふ承知刀屋の聟破談

    横に捌ケバ肩衣の疵になり

    字の盛イた栖杓丁調の誘露

    栗下駄で帰り言訳蹴つまづき

    月に邪魔雪に誉たる花の杖

    化物の覗く箱根の西の木戸

熊野浦鯨分捕ル腕かぎり

疵のないのが痛入る屓軍

欲を荷わず身ハ軽し草の庵

顔を真っ赤に猪蓑を無雅解せず

詮は浦船進物は帆掛鯛

心爰にあらず目玉が余所歩行

庚申仕まい吸まいいじるまい

年老て孝子に恥る我が昔

二十七おもえば喧も尽ぬもの

壁隣リ角を隠して我も鹿

小町が歌で面かげの替る稲

酒で落ぶれ猩々の辻謡い

鶴の水掛丹頂に粉が付キ

高い敷居の難所無ひくい腰

緑毛となって昔をはなし龜

さあくらから出ると露も出るところ

下女がおもても白々と花の顔

若い時の遊芸役に立つた子房

年立チ帰りうつとしい嫁を見る

春や昔のとてふしから文通

かさをかす家の稲荷で雨がふり

ツイ左文字版木師の仕様帳

 

 

 

 

 

 

七世川柳

 

 

柳門七世嗣号立机会跋

我柳風の祖柄井の翁が凩やあとで芽をふけと一句を遺されてより以降代々に其号を嗣し判者たちは自から好める風致の少しく差異は有りとも、孰れも博く文よみ普く世態に渉りて許多集まる句をも諦かに撰まれし徳にて此門に遊ぶ遠近の風流雄の員増り、年々に柳の枝葉四方に茂りて隆んなる莚を回々開きしも実に祖の翁が功績と又詞宗たちの材幹に因るものなり爾るに、今や昔の景況とは事変り文の道漸時に進みて三尺の児童も異国の語もて譚りなす程に開ける大御代なれば、狂句よみでる輩らも各々学いの奥深く分入りしかは這の莚の祝いにとて楽評を賜わりし撰ミぶりを閲ても疎妄なるは更になく余が老衰の脚は稍後れて遠く及ばず、かかる迂拙き身をも先師の縁故あればとて此道の老練なる兄貴たちが手挙き腰推て誘なはれしまにまに七世の号を蒙りしは所謂栴檀の幹に榎の枝を接しに等しくいとはかなき芽生して祖の御霊もさぞかし本意なかるべし。

    何方へ向て可ならんさし柳         川柳

 

明治庚辰歳会狂句合序

(ふる)きを(たず)ねて新らしきを知るが中にも開け行く文明らげき大御代の年の(はじめ)の風俗は昔に替り、あら玉の春にはあらで魚方さえ西か東かしら魚はまだ幼児の翫弄ぶ凧にかえたる空気球玉に疵なくいと丸く治る国の時津風ひらめく国旗長閑さは万歳楽にいや優る、四海の億兆の腹鼓ことば拙き才蔵が廻らぬ筆を序にかえてお笑い艸に祝してもうす。

 

三圍神社奉額会柳風狂句合序

自古以詩文、得名天下者、無若唐土矣、然未聞悲哭淋漓有感鬼神者也、抑我朝以和歌冠天下以之感動天地者、往々有焉、如小町能因者、皆世人之所知也、巳而亦得名干俳諧者有焉、宝井其角其人也、時屬大旱、宝井氏傷農民疵苦、而驟雨一句、挿入由多加三字、獻三囲神社而祈雨、鬼神感焉、満天流墨、大雨如傾盆、於是乎、民各安其所、而鬼神霊徳、益輝干四表、蒙利者不少矣、今茲我柳門老誓沖魚者、歎遂平生素志、将篇柳風狂句干社前、於是遍告四方有志、即投稿者忽如驟雨来、乃編輯為一巻、而徴余序、余乃不辭舒以贈之

       軸

    おりこんだゆたかは大和錦の美

 

涼風集序

千びきなる石の巻の冷呵子が涼風集と云える(ふみ)を編んとて余に狂句の撰みをば需められしを閲すれば三つの題あり、其中に古今文武の英雄は往古よりも今までに其人数多有る中に女童の耳底に常に知られし人々は又句作にも類多く這を離るるはいとかたし又果物は売うめの三番叟々鈴生りの枇杷を始めに西王母が三千歳の寿を得たる桃なしとは禁句ありの実や千代が名誉の初ちぎり柿にも渋の有り無しを警えば人に善悪のあるに等しき物なるをならしがらにて改たまる心に美味の出るかし誕といえば他の句の糟をねぶるは拙なしと自ら意味を料理して動かぬ石の巻表其題号の涼風の潔きよき句をもろともに励みたまえと余も又涼風慕う残る暑の顔に汗して戯言を序文らしくも述る事しかり。

 

窓雪集序

初瀬山世の憂き者は住みぬべし杉の窓明く雪の下風と至尊の御身にて下民を慈しみ賜ういとも畏こき御製なるをや唐土の孫康は苦学の為に窓に雪を積て燈火に代えしに和朝の篤茂朝臣は窓の梅の北面は雪封して寒しと呟きたり、今や炬燵に暖まりて硝子の窓より雪の景色を眺むる果報者も有るは実に有がたき治平の恩沢なるぞかし、這回亦冷呵子大人窓雪会を催し其編集の端書を余に需められしかば古今の事跡に聊か感ずる情を述べて其責を塞ぐ耳。

      軸

    日々新聞も洗心の湯の盤

 

今井楼掛額狂句合序

あし曳の山梨の(あがた)に我柳ぶりの狂句を好める村雨ぬしがおなじ巷なる割烹家(りょうりや)今井の楼に額面を掲ん事を企画て此由を四方の同志に広く告げたるに、諸人より寄せられし水晶の玉の句は御岳の山ふとに積りぬそを(われ)人共に白根黒駒の可否(よしあし)を撰みし巻をば亮に開く日を期して告られしに、其所一里ならぬ遠き上総の国よりも成之阿豆麻ぬしだち遙々と吾(あばら)舎を訪はれて今より直に(かい)の国に赴かんとす、(いざ)諸ともに行れよと寝瀧の杜の耳に水灑がるる心地して這は夢山かと愕しが友垣結べる中の真心を毀ふも心にかかれば速に承引て伴に貸間立せが路すがら柳の門々を訪いなどして図らずも隙どり亀甲橋(かめのからはし)の這うが如く山路を辿つつ漸く縣の下につきぬ、夫の酒折の連ね歌にはあらねどもかかなえば早十年余りの昔、余此地にを引し事ありしが其頃には似もつかず今や開化に歩を進めて玉ぼこの道の繕いはさらなり、家屋の建築も石森の礎堅くその美麗なるに殆んど(まなこ)を驚かす斗りなり(やが)て後れ(はせ)ながら開巻の席に差出の磯年波寄する俤を知己(しるひと)に看らるるも物憂き思いをせり、此日や天麗にして遠近より友千鳥の群集て披講の朗詠は笛吹川の調べに合していと清らかに聞えぬ、一座各数多の当句に勝沼の深き楽しみを極め実り盛んなる(この)会の景況(ありさま)なりき這は皆会幹村雨ぬし及び補助に力を画されし三ッ輪かなめぬしの(おお)いなる勲功(いさほし)と謂つべし、其夜も稍暁(つぐ)る鶏の音と諸ともに披講終りぬ、爾して其秀逸を聚め一巻の句集となし余に序を書よと需められしかばいとおこがましきわざながら猿橋の三筋も足らぬ言の葉を雨畑の硯を干して述るは柳をそめし翁より七彦の末葉なる風也坊川柳。

      軸

    人は心の盃洗が身の徳利

 

風流集序

風に梳けづる柳の門を開かれし吾曩祖(さきつおや)柄井の翁の一派をなせし句調は其源深くして凡雨尚壌の間に限りもなく湧出て汲も尽せぬ言の葉を種とし風雅の田畑を作り易からしめたる流れの末は(しだ)()に江湖に漲ぎりて今や七株の早苗なる我実生の代に至る迄しづかなる広海(わだつみ)の内に遍く此道の行なわれざる隈もあらず、這ば皆翁の功蹟(いさおし)や其の高き徳に報わんがため茲に百年を歴ぬる霊を祀るらばやと遠近の風流士(みやびを)たちに附評を需めけるに有志の君の員は夫の小倉の歌人にも起て百名に余りぬ、斯よし四方に広く告しに忽ち戻りし詠草は棟木に支える程に成りぬ、艸が中より珍瓏たる光りあるを吾人共に撰みたる其数多の巻をひらきしは両日夜に渉りて最も盛んなる会莚せけり、即ち是を乾坤二巻の冊子となしてそのかみ開きし柳の門の基礎(いしずえ)の万世までも朽る期は勿れと祈る事爾。

       軸

    樹聖の祖我釋奠や百年祀

 

五世六世川柳翁の霊を祭る文

川柳の五ツ六ツ世の翁たちのみたまをここになぐさむる祭りの莚開らきしは同じえにしに列なれる前島うじのまごころなり、孫にひとしきわなみさえいと嬉しき心地ぞするそもや柳の誉れなる荒き風にも逆らわず吹うまにまにまきつつ枝をそこねぬ優しみは、世に堪忍の鏡にて新たの年の始めより歯固め祝う太箸や餅の花咲く繭玉にくり出す糸の深みどりさしかざしたる床柱丸く結いて睦ましく奢る心を削りかけととのう家ぞ栄うらん、さればいにしえもろこしの博士も門に五もとの柳を植ておのづから世に先生と呼ばれたり、又誉れある人々には儒になきは楊子にて賢者とたたえし柳下恵文墨には柳子厚詩文に昭りしは柳宗元柳儀曽の名士あり、楊貴妃の玄宗帝の髭も涎れに潤い吹面定からず楊柳の風とは宗志南か一聯の句に名誉ありと雖も我が国都良香う気は晴れて風新柳の髪を梳する妙作には遠く及ばず、柳の徳の尊とさは水に浮きし一葉もて船を造りし発明あり又は柳の蛙を見て和朝三跡とたたえられ傾城の賢なるは此柳かなとは蕉翁が一世の粋吟、雪月花一度に見ずると貞翁の美作有り一抱えあれどとは千代みづからお尻の大きさを吹聴し浅妻船の柳には一蝶の羽根が伸て遠く島へ渡り友に信わる柳里茶は居候に家産を減らし、柳は緑花は紅いと沢庵和尚は洒落に押をきかせ柳亭種彦は田舎源氏の色気に娘連を迷わせ柳畑ケの柳北先生は朝野に活論を吐露し富之家元はいよ柳橋と喝采の聲をかけられ、花柳寿助は振付の親玉にて柳葉の骨抜きは柳川一家に名を深たり、我柳樽の軽口は幾世汲めども尽る期はなしと茲に柳尽しの拙なき寝こと祝詞にかえて聊おまつりをことふく事しかり。

 

元祖辞世の句

柳風力競第三号に元祖辞世の句疑問の論説に「凩や」」は「凩の」の誤写なるべしとの事なり云々、曰凩やと云う時は無形の凩に跡で芽を吹けと下知されたるが如し云々、焉是を無形と云ん邪し凩は一句の兼題にて確に形ち有り如斯ば格外の()()遠葉(おは)にて故人の句にも適有り。芭蕉翁の句に「たんぽぽや鶴も来てつめ松の陰」蒲公英は題のにて切字なり、来て摘は下知のにて則跡で芽を吹と同格にて切字なり、是則二段切なり、然ね共蒲公英の花の美麗なるを愛感されしやなり、と居る時は其感情を失ふせ柄井翁の句も此格に效い凩に散り行く身をはかなみて嘆息されしなり、故にともとも居へ難き場なればと居へられたり、克々熟考して味わうべし。

 

吾齢ことし還暦なれば

    糸柳玉の緒環繰かえし

 

培柳蕃殖会序詞

抑も柳風狂句の江湖に行われしより以来本会の如き盛会のありし例志を聞かず、かかる美挙に遭遇せしは実に盲亀の浮木と謂つべし爾るに短才浅見の迂老をもて各位此大巻を余に撰ましむ譬えば蠡をもて大洋を測るに等しく遂に後世の謗りを遺す必せり。

    培養の挙や僥倖のさし柳

 

魁連披露会

    友の信靡く柳にかおる梅

手向吟四章

    咲けばちる世を悟れとや花御堂

    過去帖の其日を数珠に繰り返し

    くり返し霊も愛なん糸柳

    此世の大尾を満足に得たる友

伯父川柳翁に別れ悲歎の泪そめあえず

    散り急ぐ柳はかなし春嵐

六世追薦

    栄枯の一幹柳風の沙羅雙樹

五世六世祭祀

    衆吟の祝詞嘉みせん師父の霊

素遊寿楽二霊追善

    不足なき寿も国会を見ぬ遺憾

庚申歳且

    麗かな早緑月や松の御代

八幡宮

    仁は武の極意生るを放つ神

皇太子

    厩戸に似気なき耳の御聡明

老哀歎

    我写真経り行くわれの友ならず

同胞爭

    果は皆焚火の友ぞ雪つぶて

雪埋松

    姫松の祝いや雪の綿帽子

春十四句

    海老と野老は蓬莱の友白髪

    他には削れぬ太箸のにほん国

    憎むべきものは世になし初鳫

    其髭に鶴でも留よ飾り海老

    追羽根の敵を外した椋の加護

    花日記開始めに福寿草

    品行の美は閑にあり梅見酒

    雲雀鳴く野に旅人の腮合せ

    箒木も芽出し長居はならぬ雪

    佐保姫の花婿らしい太郎月

    凪の海亀にも乗て見たき春

    願わくば長閑につれよ花一斯

    花の春いつでも親の有る心地

    類は友気長な人と延桜

夏十二句

    親骨を大事に熊野の舞扇

    母衣蚊帳の口も守るか犬張子

    鯱鉾の金魚鉢も尾張焼

    酒乱の芸子は大風の郭公

    水で持つ昆布の魚も過去の因

    子に乳母の実意傾く日傘

    能因の旅に険阻な雲のみね

    思う事云た心地ぞ夏の雨

    欲しい物外には無いか火取虫

    日傘の娘葉隠れの白蓮華

惜しい者爪剥ぐ娘花五郎

萍も誘う水にも清み濁り

秋五句

    天造の美術糸瓜の網細工

    皇国の威羽ねはつぼめぬ蜻蛤形り

    農学の卒業重し刈た稲

    日くらしの聲に見残す御門の美

    鶺鴒の尾で振り出した四千万

冬五句

    煮こごりの鮫は悪女の深情

    親の掃く雪に消えたき朝帰り

    夜をこめて酉の仕込を熊手職

    心がけ常が大事ぞ寒苦鳥

    大晦日唯一日の名にあらず

雑題四十二章

    磨け唯人は残せし名が鏡

    賑わいは静な元ぞ君が御世

    慈然の種蒔けばいつでも福は内

    いつまでも親のある気ぞ花の春

    御代の恩酒池肉林も金次第

    盡せ孝のばされた身の届く丈

    身にやにがたまるぞ吸な長ぎせる

    放す気になる俎板の鯉の意地

    木地爐ぶち心もぬつた友はなし

    慈悲の目で見れば憎げな手柄鷹

    うつり行古事を照せよ身の鏡

    補巻せよ花の命も只七日

    光陰のおうつりが来る鏡餅

    憎まるる鳫が愛さ飾った夜

    千生りの発句万事によき教諭

    年来の望み叙勲する和歌の徳

    親類へ沙汰なし後家の茶振舞

    国の美や諸県に絶ぬ孝の賞

    人よりも美事時計の腹の中

    親へ其気兼して見よ居候

    外国の貞女重ぬ小夜ケット

    嬉しさは我余命なり此開化

    合作の書画も協和の一世界

    怠らず学べ遣わぬ桶は漏り

    碁盤より広し新都は涼台

    曲ろうとする處にあり告示標

    鼠鳴私情にけり人眠猫

    八文字世間はれてのつま重ね

    刎た奴ツぬく駒下駄も桂馬飛

    冷かした斗しや洗濯にはならず

    野州に日光荒れ寺に金屏風

    伊勢屋の端青顕微鏡持て来い

    井戸釣瓶句も一対の姉妹

    家内一同其余光兀天窓

    川岸へ出る怪鳥も尾張には恐れ

    能因の旅に険阻な雲の峰

    地獄で五右衛門ぬるいから焚てくれ

    寺阪の義は黒鯛の三ツ道具

    着倒れの地岳山までも寝た姿

    楽隠居寿も養川を床遍かけ

    文明の釣瓶にすがれ井の蛙

    煮豆に干瓢濱説に交るチャリ

 

 

八世川柳

 

狂句虎の巻序

子軻氏謂る事あり、心誠にこれを求めば必ず飾師あらんと凡百般の事業師あらざるはなく、其業を教え導くのに道整備ざるはなし、特り柳風狂句の道のみ百有余年の間盛んに世に行われて師に就て斈ぶ者なく又初心を導書ある事を聞ず、茲に月迺戸須本太ぬし文明社会の欠典なりとて慨嘆のあまり故人友得氏の物せる一夜咄増益校補して狂句称け梓に上せ此道に遊ぶ初心の階梯とす、此挙実に狂句百年の欠典を補い文明聖世の余徳を尊奉する手術にて独学孤窓の飾師なるべし。

 

上野清水円通閣奉額柳風狂句合序

如是我聞旭海桜昇叟子は善男子昇旭子と倶に平素柳風の妙典を好み大乗の誉れ尠からず、常願膽仰の無尽意に因り王舎城北の大悲閣へ狂吟の扁額を掲げ救世観音の智力を以って自他平等の利益を仰ぎ柳風社会を度せんと題し其旨趣を衆生に告しに、座起偏祖の信者多く各知慧観を奮い実相真如の誠意を述べ譬諭方便の術を聯ね投吟有りて忽ち寄句福聚海の如く甚深無量の盛会とはなりぬ、夫を妙法八部の巻に記製し導師慈眼を乞い無垢情浄なるを額面へ登せ圓通施無畏の妙句を抜て摺巻とす、其員大士の御手に超え読誦の妙音恰陀羅尼を誦するに似たり各念彼力の擁護空しからず、聴衆は皆心耳を澄し多寶塔中に座するが如く恭敬礼拝の心を生せり、而して活版に付するに臨み妙典の序品を余に乞わる僻支仏心も解せざる魯耄の身をも恥ず槃特の愚痴を連ねて囑責を塞ぐ事爾り。

 

狂句百家仙序

古へ京橋黄門宇都宮入道の請願に拠り百人一首の和歌を撰み色紙に盛て與へられしを聞り其後何くれとなく百員の撰び世に澤なり、われも柳風狂句の編集を為ばやと思いぬれど其事の易からぬを恐れ逡巡ありしに羽前置賜の友人杜溪のぬし遙に此事を聞れ奨励補助して力を添らる思いきや我柳風中にも入道に勝る優人あらんとはと嬉しさの余り老と無識とをわすれ斯物する事とはなりぬ、文辞の拙きは素よりにて仮名手に遠葉の違い画容の合ぬ杯種々あらんが考え訂す暇を呑み先急ぎせる老のすさびと看許給わん事を希い侍るになん。

 

海内競争相撲狂句合序

神龜年間肇て相撲の節会行われしより世々行事を重んじ年々ことり使いをだして国々の力士を召し又是に因みて鶏合競馬の式等も出来しならん乎、下郷に至りては神事祈年の祭りに相撲を番いて神慮を慰め或は相撲の勝敗に依りて年の豊凶を占う杯奇しき風習も出来にけり、漢土の相撲は闘牛に起りて角觝の称あり又闘鶏闘犬の戯あり江北にはめじろを闘しめ甫人は銭爿魚(せんばんぎょ)を闘わし三呉の人は(たたおり)(むし)を闘しぬ許多の財物を賭して産を破る者多しと云り、近時我国の闘鶏も殆んど之に似たる者あり皆一時の遊戯に起りて時勢風土の習慣とはなれり、和歌は延喜の御障子に萌し天徳の歌会を始とす詩賦、連俳、狂歌の類も是に倣うて左右を番いて優劣を競い或は和漢の名将、勇士、文人、墨客、豪農、富商の輩又は遊芸、俳優、剣工、妓女の属に至るまで苟も世に名高き者は之を番いて相撲に擬しもて遊ぶ事とはなりぬ。我柳風に於ても是に模倣(まな)び安政年間始て相撲会の催しあり今回また蝶々子甘屋ぬし勧進元となりて本会の企ありしに国々の力士技量を擬し鋭意を振るいて投吟せられしかば忽ち一場の大会とはなりぬ。是を行司の批評に付し甲乙を定めて纒頭の麗景を分賦せらる会場の賑況は更にも言ず、力士の英名を東西に掲げて番付とし勝番の秀吟を集めて冊子とせられ年寄役に巻端に序せよと乞れ負ぬ氣出せど取る手も知らぬば幾たび硯へ水は入れても立揚るべき気合も見分かず待った待ったの辞みも聞かねばよろめく筆腰踏しめ踏しめ捻り合して陳謝たらたらことり使へ渡り侍りぬ。

      軸

    雙方へ団扇上ゲたし相撲の持

 

両霊祭祀序

萬治楼義母子氏は我柳風宗家に親縁あるを以て夙くより此道に遊び生質の頴敏なると雑学の宏博なるをもて年来其誉れ高く狂句社会の巨擘と謂うべし、常に両師の風徳を景慕し五世翁の三十年六世翁の五十年祭を併せ江井生村の楊上に修せられ会場の正位に祭壇を設け両師の画像を掲げて神主とし筐豆を列ね山海の精膰を供え教正平岡氏を聘して齋主とし祝詞祭文を朗読し祭典の式を行い続て七世翁其他の有志輩祭文祝辞の奉読あり其体誠に整粛にして両師の神霊在すが如く氏が両師に忠順なるを好みし神霊爰に臨んで信典を亨るならんと懐旧の情に堪ず感慨轉た胸に迫り両師の風采を目前に見る心地せらる、又両師の遺墨或は平生愛玩せられし文房具等種々の什器を蒐集し次席へ排列して来会者に総覧せしめ而して本会集吟の志評百有余名及び副評立評等の抜粋を講読する事二昼夜の永きに勝れり、従来追薦の挙屡ばありといへども唯追悼を名として開莚を設け摺巻を同好に頒つに過ず斯く遺徳を称揚し霊魂を慰するや優渥にして式の備われる事柳風社会にありしを聞ず、実に此道の嚆矢と謂うべし聞く聊か当時の景況を記して叙辞の需を塞ぐ事しかり。

    梳けずる風にやなぎも優すがた

 

柄井川柳墓参法延会之序

慈鎮の和歌杜預の左伝は和漢一対の癖たり本院の笑癖王奔の好哭又是に類せり古今の英雄雅客一癖ある者多し、奇癖ある者は必ず奇功あり茲に風友萬治楼の主人好古の癖ありて閑あれば古人の墳墓を探り湮滅せる者を発顕し以て平素の楽しみとす頃日元祖川柳翁の古墳に詣し本年正当なる事を知覚し感慨の情に堪えず汎く江湖の雅友に告げ墓参会を企て同志の賛成を得て墓碑を修補し記念標を建設し又寺牒を徴して二世川柳の七十四、三世の六十四を附奠して法会を営み有志を集へて追薦供用せらる、曩には五世六世の祭典を修し今回又此浄挙あり尚四年の後四世人見翁の五十回忌営み歴代の吊祭を完修するの宿志なりと云へり、抑主人宗家累世の霊魂を吊慰するの優渥なる好古の飾癖惹て慈善に至り爰に及ぶ者乎実に奇癖と謂うべし、余が頽齢なる爰んぞ四年の後を俟んや、今余を遺逸するとも飾癖に関する事必ず邇きにあるべし前因頗る恃みあるに似たり主人幸いに謡る事勿れと云う。

      軸

    十辺りの昔柳の沙羅双樹

 

正当百年祖翁忌柳風狂句合序

光陰の移り逝く事流水奔馬も帝にならず佛家の電光石火に比せしも誣たりと謂べけんや、元祖柄井川柳翁世を辞せられしより思わずも今年一百年になりぬ、われ愚魯にして明年と予期し其時は斯せばやかく有なんと思い居しに過し頃、社友義母子のぬし祖翁の香華院に詣し古記を探りて本年百回に相当せる事を發明せられ墓参会なる者を企て広く江湖の同遊に告げ法要を修し紀念碑を建て霊魂を吊慰せんと謀らる時に社中に物議起りて一己単意の供養法典にあらず、苟も他力を交えて事をなすは衒名の業に近し、或は其鬼にあらずして之を祭るに類し宗類し宗家の任を閣凌するに似たり、杯喧すしかりしも幾程もなく事和らぎ障る事なく法要建碑も遂げられにき、祖霊のみかはわれの歓び此上や有べき然して回期目前に迫りて為すべき事を知らず十日の菊を手向んよりはと年毎修し来りし祖翁忌を壙弘し諸彦の志評を乞い追薦の会莚を開き塔婆一基を墓背に建て聊微意を表し宿念を消す事を得たり、是皆諸君の厚意に成りて忝さの余り事由を叙てわが怠と共に謝する事しかり。

      軸

    柳風の徳や頭痛もなき百会

 

燕家柳好居士追福会序

往時文久三年亥のとし余京師に在勤する事一とせばかり、六世翁の紹介に依り燕家柳好子、柳水園二橋子に邂逅する事を得たり、両子の待遇懇切にて恰も故舊の如く時々来訪して雅情を談じ或は誘導して名勝旧跡を尋ね旅欝を慰せらる、柳好子は余と同庚にして性温厚和順汎世情に渉り雑学に富み書を善くし又三弦に長ぜり且柳風を好みして五世風叟の門に遊び立机して京師の詞宗たり、其妻柳子も雅にして弦歌に巧みに頗る大雅夫婦の風韻に類せり翌子の春決別東帰するにおよび再び上京して両子の厚遇を謝せんと心に盟いしに攘夷銷港の論世上に喧すく殺気四方に起り身も亦軍隊に編せられ延て革命互解に遭遇し空しく光陰を過せしに、去年の夏汽車も全通の便を得しかば老を忘れて又都の花と共に子の風采を見る事もやと思い起せしに、はからずも今年の二月なかば圓位上人の跡を追い鶴林へ旅立れしと聞き年来の思いも皆画餅となり今は地下に逢見し時謝するの外なしと観念せし折から、柳水園のぬし東道となり追悼狂句の会筵を企て生前親しき友どち奠して碑補せられしかば、四方の雅客言葉の花を連ね蘭麝の薫りを集め手向られしかば忽ち稀なる大会となり開莚いと賑わしく披講の浄聲頻伽の如く麗景の華ぶり讃佛乗の因空しからず霊魂歓喜して浄土に光を増すなるべし、而して抜萃を摺巻とせられ余に端書せよと乞われ懐旧の情止みがたく歓歎交々胸に逼り言べき事を知らず、唯われが存念を記して需めを塞ぐ事とはなし侍りぬ。

柳好兄の遠逝を悼みて

    後れ先立も鳥邊野羽たたく間

 

成之居士追善会柳風狂句合序

雅功堂成之ぬしは南総馬立村の人にて世々其所の里正たり、先考不忘君より医業を兼其術に精しく人病いあれば祝疎を選ばず薬を与え其價を顧みず、子が交わる家の稚児幼童等に恙あれば子の来るを待に至れり隣里郷黨皆之れに拠り恰も仲景の都牧たるに似たり、又柳風狂句を好みし先進を諧らげ後輩を導き江湖の諸彦と交わり終身の楽事とせられ、佳句を吟じ其誉れ高き事余が言を俟たず実に此道の雅宗たり、われ天保壬寅の冬八丁堀なる六水園の小集会に侍し肇て邂逅し嘉永のはじめ日本橋なる入船連へ加わりしより屡々値い遇う事を得て、公務に因り年々三四回の出府毎に余が茅屋に起臥せられ花に月に手を携へて郊野に遊び観劇会場には必ず膝を交え災害疾病あれば救援を加えられ管鮑の交りも啻ならず、父兄にも優る思いをなせり又四男二女孝順にして家門栄え徳望缺る事なき君子なりしも、天命涯りある事にや去年の夏病に罹り蓍扁の術も徴しなく葉月のはじめ亡き人の数に入りぬ。われがかなしみは更にも言ず親戚僚友の嘆きのみかは知るも識ぬも皆惜しみあえりき、信友なる阿豆麻のぬし孝子達を裨けて生前好まれし柳風狂句の会莚を設け霊魂を慰めばやと思い起されしかば遠近の雅友志評に加わり麗景を奠へて孝情を補助せられしかば忽ち稀なる盛会とはなりぬ、都鄙の雅彦会吊して大夏も立錐の地なく開莚三日に渉りていと賑わしく子が供徳なる斯ありなんは素よりと思えど親しく盛莚を目撃せし嬉しさ感涙徐うに袖を浸しき、而して追悼の玉吟の抜萃を蒐集し冊子と成し同好に頒ち吊意を謝せんとわれに夫が端書せよとありしが余が不肖なる数十年の厚遇を受けしも幽現二つながら報ずる事能はず、以てや徳操を表彰する事を得ざれば唯年来の眷遇を受けし一二を記して序辞に換る事とはなしぬ。

      軸

    総括る柳の糸も切て行き

 

祖翁九十八回目の祭典をつとむるとて

    国会や柳の糸は百繰り目

生前の面謁もせて失にし雪亭花月君を悼みて

    最おししまだ見ぬ花をちらす風

左巣庵老鴬ぬしの立机を祝いて

    谷の戸を出て一声に春を告げ

柳水園二橋ぬし立机祝吟二句

    寅に起り耳朶あつき卯の立机

    磨く世に玉を列ねし龍の巻

庚寅祖翁忌手向

    木枯しに眼を拭くきょうの魂祭り

歳且

    夕照の瀬田でも愛る初日の出

許由

    鳴り響く瓢は捨て松の風

世界

    日の上にたてず星ほどにある異域

皇室

    典範を堀へ竹園の根を固め

雄禅

    からき世を退れ小塩の山に住み

雅友

    鶯に訪れ客間の掃除をし

嘉永調四十章

    一疋の馬に借しきる渡し舟

    天窓の麓に髪を結ぶ福禄寿

    紙にくわれて羊毛の筆はきれ

    暦見ぬ山家晦日の苦も知らず

    我はとも父母には戸ざせ年の関

    茶を出しとうないの髪もたばこ盆

    ぼさつをも手作にする市坊主

    馬にみちひかれ我家へ雪の朝

    虫はみの顔にそねみの歯は立ず

    あざむかぬ猪の子孟母が信の味

    一艘は何万ぷくぞ烟艸の荷

    雨舎りからふり捨た子戻し

    ひり捨にするのはおしき麻対香の屁

    棒炭が針になる迄冬夜学

    昼ちかく朝魚売のしぼれ声

    存命でひとり物うき船こぼれ

    馴た瀬も心遣いのはらみ鮎

    初鉄漿はちいさな口もはばつたし

    本阿弥の手形で通る関の作

    五斗の酒なら渕明も腰がぬけ

    討までは無事にと祈る仇の命

    子のめづる松とも知らで雨舎り

    縁組に筋をただした市景図

    見し夢は覚れど腕の名が残り

    脂い願に夜更て此神もうで

    罪は流れて湯屋に遣る座敷牢

    眠い事しらぬ歟夏の朝烏

    春知らぬ楚辞には見えぬ花の兄

    炬燵の咄寝ころべば遠くなり

    鳥差の手には及ぬ雁の棹

    鳥を追う錐差梢の花を見ず

    釼に伏し母は義心をつらぬかせ

    鞆の跡弓矢を守護の御奇瑞

    拜む手の額へ遠い手長嶋

    殿様と合相傘は長柄もち

    姫と鬼色をあらそう百合畑

    小粒でも辛し晏子が楚へ使

    峯に日はあるに灯ともす谷の宿

    志道軒おのが住居も無一艸

    鉄砲を持て山家の野辺送り

安政調十五章

    末広に祝す産着の扇尺

    面ン彫りは裏からつらの皮をはぎ

    渡世にふけて目は渋し茶飯売

    水呑が寄て名主が瀧の世話

    駄賃馬判取帳も手づなつき

    空起請と烏の啼ぬうち夜討

    切先へ饅頭喰えぬ奴ツと見て

    乱軍になると喜平次人礫

    一ト目千巻経蔵の土用干

    喧嘩から酒手をねだる外科の僕

    首を洗って実撫にぬらす袖

    致仕の後雅友へ送る沓冠

披中にひそみ世界を蘇生させ

麻やの看板法性のたれ兜

万延文久調十五章

    子の闇にいやな夜桜母は見る

    儒者虚して曰く少い哉腎

    道命が思ば道祖神も忍び

    松一気味付吉野で目を休

    口ゆえに飴でつられるきりぎりす

    佐川田も愛る髟阿か井の蛙

    蟻に糸這う程老し年の切

    学に富む仁斎子にも蔵五つ

    嚊アを盗まれ追ヒ銭を出す難儀

    上ミ下で折目正しく屁を殺し

    七丈も有そう袈裟をうけた松

    死ンだなら酒葬にしろと李太白

    七草の弁天らしい女郎花

    戻す金衣装にまさる馬士の曠レ

    ともに無事石と菎蒻鉢あわせ

明治初年調二十九章

    つまんで捨てよ蓬莱へ付た塵

    火を吹て付木もいらぬ北地の井

    蓮痔は病の君子だと周茂叔

    屈原のような伊勢屋の居候

    人のからだを焼て喰う灸点屋

    日に向う霧から晴て曇ぬ世

    釣寄る為に蚯蚓をのたくらせ

    子を持て父母の寝汗の恩を知り

    死人口有遺状に歯は立ず

    薮入をして竹の子味を知り

晩年調

    始メを慎め万事皆昨日は非

    母の雛古物保存も孝の意味

    言の葉と茂る若木の仮名の会

    三才の子も天地人知る開化

    水さしはあれど隔てぬ茶の睦み

    切り張ハ鱗へ丸き諭し方

    嫁当座喜怒哀楽も皆笑顔

    口をすぼめて再縁をいたく秘し

    文化の肖会丹青の色競へ

    日本魂分析すれば智仁勇

    手が辷り頭々餅つく角兵衛獅子

    皇国の開明東轉の地球の理

    皇陵の温故知新の御追孝

    弘文と追謚皇国の詩の元祖

    洋人も和製に舌を巻煙草

    牛乳配達のろ付ては出来ず

    天人が見せたら粂は揚雲雀

    古稀を越践祚長寿は宝物

    啼バさぞ細長からん蛇の声

    片寄らぬ国神の祖も御中主

    風雅には根ぶか長明禰≠辞し

    秋風の冷り身にしむ氷店

    僧の名に苗字付け髪した風情

    朝顔の木戸から千代は居づくまり

    足るを知る庵に似気なき自在鍵

    女房の差図下女部屋をガラス張

    居は忍べ楚天の鯉は海に居す

    女の山師金蔓に掘らせ当て

    夢山を見るも楽寝のひじ枕

和歌一首

  六世柳宗の頓にみまかられしを悼みて

    きのうまで君が語りしことの葉の

       花も手向となるぞかなしき

 

 

 

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九世川柳

 

九世川柳嗣号十年紀念会序

夫紀念の文字はかたみと訓ず、即ち遺物の意にして俗に形見と書くも放て當を得ざるに非ず、かたみさえ今は仇なれなど謡うは皆これ有形の紀念物を示していうなり、近来紀念と云へる事法行の如く成りゆき彼も紀念是も紀念として社会に現わるる物多し、本年の如しは文道の祖神と仰ぐ菅公の一千年忌を初め仏門にては成田山の開基寛朝僧正の九百年、曹洞宗にては開山承陽大師の遷化、又法華の祖師日蓮上人の開宗等共に六百五十年の紀念として法要を覚めり、又武道の亀鑑として永世に名を残せし赤穂浪士の二百年其他千住の開市三百三十年祭に至るまで算へ来たれば数あれど、神祭仏事のみにては無形の紀念とや云わん故に石碑を建て又は絵画摺物其他一切形ある物を作りて後世に止めてこそ紀念なるべし。茲に尤も奇遇なるは吾祖翁宝暦三年に初めて柳門一派を開かれし百五十年に相当す、斯の如く斯道の為には大々的の紀念なるに夫を措きてわが紀念を執行うは実に嗚呼の業くれなれど社友の勧めも黙止難く具感ずる事あれば枉託す事とせり、回顧すれば十年の昔ふ肖の身を以て言の葉に斧あてる任に興りしが其当時障碍する者ありて一時因弊を極めてれども、邪は正に如ずの格言空しからず日を遂うて旭の露におけるが如く彼等は悉く消滅して其跡を断ちたれば夫より後は柳の根固り、来る年毎に枝葉茂りて昔の如く栄うる事になれり、これ然しながら吾徳の為すにあらず一は祖霊の守らせ給うと社中諸君の尽されし厚意によるべし、いささか粗言を述べて此摺巻の紀念に供う事爾り。

      軸

    徒らに年を重ねて老柳

 

課題川柳狂句集序

和歌に題林抄あり俳書にも類題集其他の書尠しとせず、我柳風もこれに倣い川柳五百題の類あれど多くは京阪地方に発行せしものなり、東京にては曩に七世柳翁柳風狂句万題集を撰れしが障る事ありて僅に四重部類を以て中止されしは予が常に遺憾とする処なりさるを這し亜羅城旭のぬし本書を編纂されしを閲るに斯道の眼目とする和漢洋の歴史及立体の人物を題としこれに全国一般古今の名吟を並列したればうい学の階梯となりて弘く世に行われ重宝とならん事期して待べきなり、著者の丹精柳の糸に玉をつらねしと謂うべし。

 

老楽亭九七四還暦寿延狂句合序

高き齢を尚ぶ会は清和の帝の御代貞観十あまり八年の春弥生に南淵の大納言始めて行われしより、安和二年の春弥生中の頃栗田の左大臣未だ大納言にておわしけるとき更に昔の跡にならいて七人の老翁を集えおのもおのもの身の老いたる條を言あげる会をなんせられける、是等は文時三位の序文にて知られ偖遥に年を経て承安二年の春弥生に藤原の清輔朝臣が古き例をおいて其事を行われけるが又幾ほどもなく養和二年の春弥生賀茂重保神主同じ跡を止めて長き短きを云わず歯優れるをあがめ傳くをむねとせられたり、夫より武家の代となり幾久しき年を経て寛文七年の春弥生西山の君東国の風習老を尚ぶことを知らずとて古き例の侭に属々賀莚を開かれ又近き世には景山の君先公の御跡を慕いまして養老会をぞ行われたりける、此会は唐大和のうたを能くし書画の技をも兼たる人を乗へて更に宴の筵を開れたるは彼の七人の尚歯会に似つかわしきわざと云うべきなん、是に倣いて我狂句の道に遊ばるる老業亭のあるじ九七四の翁は其はじめ雑俳いうものの連に列りて世に知られたる人なりければ、去年の春舊の弥生の頃ふるき友どちの打集うて彼の隆達が流れをくめる都々一節の唱歌を作りて六十余り一の年をむかえしを寿きけるが猶この上にも柳の枝に等く齢飾れるを祝いのばして一年を打過けりざるを、孝子一三六のぬし今年春の始めの頃より思いたちて此事を遠近に告げしに人の祝びを我歓喜とする風雅の友より景品を贈り祝いの句を寄せられけるを、今のさつき十余り二日会の席にて巻を開きけるが早くも此摺物の上りたると共に序言せよと請れければ、柳の糸の永き世までも語り伝えて老人を厚く養うべき孝道のはしだてともなりなんと己も嬉さの余り一言を斯記しつくるになん。

      祝賀

    堪忍の袋仕上て賀の祝い

 

水天宮奉額狂句合序

神は人の敬を以て威を増し人は神の加護に因て身を立てるは宜なり、掛幕も畏き水天宮の御社は筑後の国御井郡舊久留米領筑後川の沿岸に鎮座在す縣社を以て御本社と崇む祭神は従二位平時子命にして則ち尼御前と称す、一説には安徳天皇を御相殿と為し奉ると云い或は御剱を以て御神体と為すとも伝うれど倶に神秘にして伺うに詮なし、夫は兎に角此御宮は華族有馬家の守護神と称し旧幕時代には御文霊を三田の本邸に安置し在り毎月五日には衆人に参詣許され一年十二回の経典怠りなかりしが、維新革命の後一回赤坂に転じ夫より幾程もなくして今の蠣売町に遷座ましましたり、其位置は日本橋区の中央にして此土地を俗に人形町通りと云う、四下の便利宜しければ旧例の五日は更なり、近頃は一日五日にも門を開かれど就中五日の群集は夥だしくさしもに広き往還も人を以て埋めたるが如し、されば此辺に住める商人等は神の恵みを蒙りて生計を立る者尠しとせず、清楽堂楽清氏も同じ町に住で米商楽焼の業に従事し神を信ずるの余り今度奉額の企てを起したれども如何にせん覚業道に晦なければ之を芳野氏に託す、氏も亦快く之を諾い此由を遠近に伝えしに優事好める人々は心々に句作りして送り来る事は私田海に満れ浜の真砂比べて限りもなく、其中には海の内外を問ず昔の跡を探ね或は雅たる雲上の御式又はあまさかる鄙の手業浮世の状況、何くれとなく列ね花の匂い月の光り一層添て妙なり、実にや形に花あらざれば野蠻にも等しく心に花あらざれば獣にや比ぶとかや、斯る雅を愛ざらん者は野蠻の如く鳥獣にも近かるべしとわが田面に水引くにあらねど、自ら賞賛しつつ五十余りの狂句を撰て神殿捧げ猶好作を摺巻として拙きを省す(はし)(がき)する事爾り。

      軸

    水や天神の(こころ)に隔てなし

 

寶集亭懸額会狂句合序

講釈師見て来たように虚言を吐きと初代馬谷が口吟は穿ち得て妙なり、茲に講談と狂句の道を兼ねたる老翁あり釈師の名は先師の後を襲うて二代目花雲と呼び狂句にては先考の称号を嗣で二世の化笑と云う、基本業は佐竹が原公園に根拠を構えたる寄席宝集亭の主人にして其席たるや年中大入を占め宝集の亭号空しからず、席亭はいつも福々然たりされば其喜びを倶にせんと社友の人々打集い狂句の額を送らん事を計り翁が得意の太閤記を題とし是を四方へ披露せしに各自謀略を巡らしたる名案は忽ち壱萬余吟とはなりぬ、其内より抜群なるを撰りて既に席上に掲げたり、われ債々愚考するに狂句を撰んで順序を定める事宛も豊公一代の行為に似たり、抑も公は天文五年の正月尾張の国中村に誕生ありてより慶長三年の八月伏見城に薨ぜらるるまでには種々雑多の事跡あり、今試みに之を記さんに浅野氏の女と結婚し友白髪の八千代を契りは取りも直さず巻軸の大尾にして又松丸、三條、加賀、淀君等の関係は即ち大尾脇ならんか。駿海で別れしお菊、鵙屋の寡婦の如きは前後とも末番の内なるべし、公齢二十歳身を松下之綱に寄る後走りて織田氏に仕う信長卓号して猿面冠者と呼ぶ、当時木下藤吉郎と名乗りし頃は滑稽あり笑談ありて大いに興を添ゆ是等の行いこそ中番と謂うべし、天正三年筑前の守に任じ羽柴氏を名乗る時代こそ漸百番の内ならん、夫より累進して遂に姫路の城主となり毛利と和睦してより弥よ十番内に入る先光秀を誅せしは初り続いて美濃越前を取り小牧山に大軍を発して戦い、四国を定め徳川と和し島津を降し九州を治めて後聚楽邸に行幸を仰れしは第二番に位す、同十九年関白職に補し小田原陣に北條を亡ぼして関東諸国を平治し応仁以来の禍乱初めて天下統一す、文禄慶長に朝鮮を征伐して国威を海外に輝かせしは第一番の感吟なるべし、結局に判者の軸は豊国の神号に擬う様と拙きも顧みず本の素読の前座代り机に向つてよしなき事を叩くとなん。

      軸

    藘原を固め根拠を難波潟

    国豊カ今ぞ別格官弊社

 

海内競争相撲狂句合跋

俳諧の相撲は最古くより伝われど之を木に彫て世に行われしは仙化の蛙合をもてもて始めとす、我狂句も之に因み文日堂礫川行司となって興行せし事は文化年代の摺巻に見えたり、其後四世五世の宗師比例をひくと雖も只一番ひの勝負を分つのみにして所謂地取いう者に似たり、適々番付の位置を定むるも第一番を東の大関とし第二番を西の大関とす、以下之に倣うの法なり斯ては東より西の方劣れるが如し、相撲の東西素より甲乙を分たるものに非ず、往古は左右と称せしも勤進相撲世に行われてより何時か変じて東西となる、這ば力士の出所に拠り関東関西を分つとも云い、或は興行場の位置に依って斯号けたりとも云へり、夫は兎も角も狂句の相撲に番付面の公平法を行いたるは安政三年の秋有人和知海の両氏勧進元となり之を興行す時に行司の役は東の方五世川柳西の方腥齋ごまめ大人之を勤む、但し取組の法は二株を一組となし抜句の多数に依て上に位す、若同数なる時は高黙に譲る事とし茲に始めて大相撲の興行ありしも当時は未開の弊ありて位置の争いより紛紜を生じ遂に番付は空くなりて摺本のみ出版せり、然るに這回親友甘屋のぬし奮って勧進元となり絶たるを継ぎ廃れたるを興し三十四年ぶりにて之を再興す、実に同氏の功は高砂の松に等しく千年の色を顕し雅名は雷の轟くが如く四方に鳴響きたり、而して西の行司を予に勤めよと強て託せらるるも予は素より故実も知らず手さばき手碎き等も辧えねば再三之を辞すといえども免じたまわず、されば盲目蛇に怖じずの比喩を借り人の謗りも顧ず嗚呼かましくも土俵へ上がれどハッケよんやも覚束なく足元さえも分明ならねば東西の風士誤りありとて物言つけるはゆるされたまえや。

  干時明治二十二年七月 萬冶楼義母子記

      軸

    目移りで孰れを取らん花相撲

 

句調之沿革

故八世翁の曰く凡そ天地の気運も三十年にして一変すと云う社会の事物も大率皆然り、我柳風狂句の若きも風調の変換する事恰も時勢の遷転するが如し、假に詩を以て之を評せんに文政以前の作の如きは頗る古詩の礼に似たり、天保以降の安政の頃に臻ては盛唐の詩に比す可蔓延より維新の初年に迠んでは殆ど晩唐の作に類せり、爾来風調倍々変し方今の作の如きは綺言漢語を調せざれば句と称せず開明新奇を列せざれば撰に適せず、是を以て宋元の風礼に匹せんに尚剰り有が如し、故に五世時代佳句妙案と称せし吟も今より之を見れば児戯幼作のみ昔日は拙にして今日の功なるには非ず、数年の後より今の作を観る事あらば又復斯の如くならん、要するに句調の変換は概ね撰者の志探に因ると雖も時勢文運の然らしむるもの最も多し云々、先師の言実に予が意中に適せり、予は又之に倣い我国歌を以て比較せんに、文政以前は万葉集の如し四世の晩年より五世の修身までを古今集に比せんが、六世時代は後撰拾遺以下に類せん七世の初めより八世に至るものは風雅新千載以下の如し、今日においては全く改暦後の風調に変遷して専ら開明の現象を見るにあり、夫二十一代集中において人の多く知るものは古今集を以て第一とす、千載新古今となりては知る者又少し故に四世の晩年より五世に至るの風調は特に心学を旨とし教訓人をして善に導くを専らと為したれば今日より顧みるも猶流行におくるる事なし、願わくば今より後も茲に意を用い神社仏事の永代額は素より通常の会と雖も一時の流行に泥まず成るべく萬世不変の名吟を作られん事を希がうなり。

付記す  本会の道具とする居候を以て時代を分けんに

元祖の頃は    居候仕よう事なしの子煩悩

二世の頃     居候三ばい目には(そつ)と出し

三世の頃     居候面当(つらあて)らしく雪を喰い

四世の頃     居候もも引までが(まんま)喰う

五世の頃     居候月見の栗も喰つぶし

六世の頃     米代の言わけ辛し居候

七世の頃     演説も出来る身でナゼ居候

八世の頃     新聞を米価から見る居候

当代は      名誉職ですと無給の居候 又 割を喰い恨みをのんで居候

右大略斯の如し

 

判者の責任も難い哉

文政度より以前の事は暫く措き四世より六世迄の間に行われたる巻中抜萃の割合は百分の五なり、即ち一千句に付五十番又集句一万以上なる時は四分五厘即ち一万句に付四百五十番を以て通例とす、当時の入花は銀一匁より三匁を最高度とし一匁五分二匁を以て通常とす、予が覚えてすら第一番の句賞にお召縮緬の箱入一疋を出だしたるを見請たり、其頃の金位今日とは違うと雖も斯の如く立派なる商品を出だすは全く抜句の少数なるが故なり、されば句作を為す人もおのづから熱心にて譬ば句の種を見認めて初めに荒取りを為し而して中レコ上レコ等の鉋をかけ、猶木賊椋の葉を以て光沢を掛ると云うが如くに鍛錬したるを判者も亦洩れざるよう精々目を配りて抜萃せし句を列記するが故に其撰みは自然整い会員より苦情の出る如きは又稀なり、然るに明治十七年の頃魁連号披露会の際集句九千百吟の内より一千句を抜萃せし事あり即ち一割一分なり、時の判者は七世翁にて其苦心今猶想いやらるるなり、夫より以後は一割抜きを以て通常の如く成行きしが抜萃多ければ従って商品の麁に流るるは覚悟なれども抜萃多き時は句作も亦冷淡なり、投吟者は一句を得べき処二句得れば満足なるべけれど判者はしからず試に思へ鍛錬せし句を五分と冷淡なる句を一割と、これ素より比較すべきものにあらねど人或は六世以上の撰みを賞して七世以後の抜萃を詰る輩あり其多寡を論ぜずして此評を下すは実に酷と云わざるを得ず、予は願う今後課題を設けたると月並稽古会を除くの外は成るべく抜萃を少数になしたらんには前記の如く作撰共に相整うのみならず催主に於いても句商品の粗なるに対してあらぬ誹りを請ける事万々なかるべしと信ずるなり。

 

扇面画題句合并序

敷島の大和歌を合せて判する事はいそのかみ古き例しにして雲の上人よりはじまり中古に至り職人尽しいうもの三十六番七十一番の催しあり這ば戯笑歌にして今いう狂歌にやや近かるべし、文政天保の頃狂歌もて世に名だかき四方歌垣六樹園飯盛など判せるもの今も猶見る事あり、俳諧は彼の仙化なる者判者となり蕉翁の古池の句に我句を番いて判書をなし是を持と定めて巻頭に置き題して蛙合というに始まりしとかや、我狂句には扇面引きと穪へて扇面の画を題とし之に左右番いて勝負なす事は既に例ありて、其判する者博学雅才に長たる者ならでは勤むべくもあらず、僕浅学無識にしてかかる技を擬んとするは嗚呼の限りにはあれど事過りたるも亦興ある事なりとて雅友の勧めに任せ遂に判する事とはなりぬれど、開巻前日僅かに一日を余すのみなれば自然調べも届かず引書するの晦もなく只記憶に従い怪しげなる詞書を添えたるは蛙合の因みを引き酒蛙〱真面目と罷り出で水を漢ぎたる如く面に汗して筆を採り其言訳をなす事斯の如しと云爾。

  明治二十三年九月二十一日  萬冶楼義母子

日の出に群鶴

左勝     子の闇を離れ旭に遊ぶ鶴         こが祢

右      日に群れる鶴は国会衆議院        氷月

左夜の鶴恩愛によもすがら寝もやらぬを旭の昇るに従いやや安堵の思いをなして舞い遊ぶさま最とゆたかなり、右議事堂へ臨幸の節議員の集り来たるを鶴に見立たるものにて此類外にも数多あれば珍しいとも思われぬは作者のふ幸なるべし、左の舞い鶴高く見上げて勝と定むるによも議論はあるまじや。

  富士見西行

左勝     北面を辞し表裏なき山を愛        甘屋

右      露と悟つて蓮す葉の山を愛        雪雁

左佐藤憲清の昔に引換え今や俗塵を避け雪の山を望みて風雅に愛するの情面白く思い侍る、右妻子珍宝をふり捨たる我身を露に比喩たるは良き取合せなり、されど富士山の形を蓮の葉を伏せたる如しとは聊か附会の説ならんか、富士は元佛家にて開きたる御山なれば芙蓉の峯と名ずけたり、芙蓉は蓮葦の一称にして秋に到り花咲く木芙蓉とはおのづから別ものなり混ずべからず、偖この御山を蓮葦に比したるは頂上なる空坎の周囲にある八つの峯を八葉の蓮葦にたとえたるものなれば花の方至当なるべしゆえに「身は露と悟り蓮すの峯を愛」などしたらんには如何か兎に角この峰二つ並べて測量を試みるに左の方何ほどか高く見ゆれば勝ちとこそ申すべけれ。

  大津絵の座頭と犬

左      居残りは按摩の笛に犬の声        旭

右勝     頭字へ瘤を付けると犬に津絵       雪雁

左大びけ過ぎの物おもい能く廓の情を穿ちたる此道の苦労人なるべし、右頭字へ瘤とは云わずして座頭の坊の天窓にある如し、津絵と杖の音ン確にしてトツ先なる丸き金物の假名も漫りならねば左の笛より杖の方長きをもつて勝と定め侍る。

  傾城高尾元禄姿

左勝     文もみじか夜奥書にほととぎす      旭

右      高尾の筆跡わすれねど思い出ず      甘屋

左みちのくに十八郡の太守も君は今の殺し文句に御身を忘れたまうも宜なり、八十八聲の口数より僅十七文字の方感情深きを其侭取りて短夜と作られしは奥書の奥床しく殿の官名さへ籠ての働き時鳥の声と共に一毎高く聞え侍る、右高尾の古筆無名にして思い出ずと這も亦一興を添られたり、左右のふみ比べ見るに左の方筆走りサラ〱として善し勝べくや。

  柘榴の実

左持     柘榴見て悟れ我身の熟不熟        骨皮

右      酢いも甘いも知った後人の味       雪雁

左木の実の熟不熟を見て我身を顧みるは柘榴のみに限らねどここには此題の儲けあれば敢て咎むるにあらず、兎に角この作者熟せし手際表れて見ゆ、右画題を云わずしてすらすらと吟じたるは這も亦酢いも甘いも知られたる作者なるべし、人の味は浮屠氏の説取るに足りねど俗説なる人肉を人の上に取成されたるは味わい深く覚ゆ、斯ては鬼子母神鴬信の千子多子も悪くは思うまじくや此ざくろ二個とも賞翫して能き持と定め勝負を分たず。

  大石良雄目隠しの戯

左持     泣きたさを笑い涙の目を隠し       甘屋

右      目隠しをすると鼻からぬける智恵     兒氷

左笑いに紛らし涙の目を隠す良雄の胸中さこそと手拭いも湿り勝なるべし作者の苦心も亦相同じ、右世の俚言に怜悧なる人を称して目から鼻へぬけるというを取りて作られたるさま狂句の本体を得たりと謂うべし、されど目隠しをすると鼻からぬけるとは聊か事欠たる心地す、若し目隠しをせぬ時は鼻からぬける程の智も出ぬかとの疑いなきにしもあらず、失敬ながら目隠しの「鬼は」と打つけに云いなしたらんには此疑いを解くべし、此句勝べくなれどこの疑いに拠り直して持とこそ定め侍りぬ。

  大石良雄前と同じ

左      炭をのむよりも苦しき廓の酒       こが祢

右勝     杉の囲も目隠しをしたで解け       東雄

左晋の豫譲が故事漢と和にたんだ二人とは加古川本蔵の台詞の通り狂言綺語却つて狂句の本意に近し能こそ斯は申されたり、右上杉家の警衛を解くの遠計至れり尽くせり囲も目隠しも皆杉板の上に云いなされたるは感ずるに猶飾あり此実説天晴名声と謂うべしまたき勝にこそ。

  楠氏桜井の子別れ

左      桜井の遺訓心の花がたみ         柳

右勝     桜井の遺訓若葉のめにも露        こがね

左花がたみは花を挿す籠にして四時何れの花をさす物ながら花とのみ申さば春の都に入る事例あり、茲には桜井と冠辞よりつづけて父が意中を我子に伝えたる作意確にそれと知られたり、右正行を若葉に見立てめにも露とは芽と目の秀句気候と共に能く叶えり、桜井の遺訓は建武二年の五月なれば茲に注目されたる作者の用心感深く思い侍る、此番い何れを優り何れを劣りと勝負見分難く難く持ともすべきなれど、句合に持のみ多きは興尠しと申さるる方もあるべければ強て勝負を定めんに散る花より露もつ若葉の方あわれにも聞けめればいささかまさるべくや。

 

紅梅軒立机披露会狂句集跋

色をも香をも知る人ぞ知る紅梅軒の主個魯山雅士が性行且雅道に熱心なる事は鬼外華村の両者本会の序文に誌されたれば予は何をか言わん、凡そ梅と柳は気候相同じうして其因みも亦深し、我狂句の道も是に等しく遠く溯れば難波津に薫を止めし梅翁が談林風の俳諧を原因とす、家祖川柳柄井氏も始め此道に遊び一個の判者たる事は当時の俳諧觽に見えたり、其後宝暦の頃梅翁の句調一変して柳風の一派を興してより以来代々植つぎし宗師も諸国へ枝葉を殖し代わりて判する者を許す事尠しとせず、茲に去年の春柳も芽ざす頃先師八世の翁より紅梅軒の許へ免状を送られしは決して偶然にはあらざるべし、されば蕉翁の吟にも「梅柳見よ若衆かな娘かな」と此二樹に優美を添られし事あり、世の俚言に梅が香を桜に添えて柳の枝にさかせたしとは美人の上を言なしたる語にして風雅の道も是に相似て主個が上に能く適へり願わくば今より後益々勤めて、梅が枝に花実を備え我柳風の茂らん事を寿ぎ君ならで誰にか見せんと拙き筆にあやしげなる詞を綴りて贈り侍る事とはなしぬ。

 

流祖柄井氏の家名を続ける時

おのれ拙なきわざもて川柳九世の号を嗣きしのみならず社友の勧めに因り去年の六月流祖柄井氏の家名をも続く事となりしを遠近の友人に告まいらすとて。

    培養は人に任せてさし柳

菊丸ぬし名弘の催しを嬉しくおもい侍りて

今年春のはじめ飛騨の人菊丸ぬし風雅の名を四方に弘めんとする催しあるを嬉しくおもい侍りて。

    来る秋の香を待つ菊の若葉時

穣芳園のあるじの嗣号を寿きて

穣芳園のあるじこたび先考の名を嗣ぎたまいしを寿ぎ参らせて。

    一しほの詠め若枝の花に月

龍寶寺に詣でて

川柳忌の当日龍寶寺に詣で祖翁の碑を拝し奉りて。

    凩の遺吟末世に石に判

柳宗忌

柳宗忌創設の日七霊を祭り奉りて。

    跡つぎて後を栄えよ川柳

蘇息齋を送る

蘇息齋ぬしの山形県に帰らるるを送る。

    下りにも無事を祈らん羽黒山

柳宗印譜を華月ぬしへ贈る

柳宗印譜を長岡華月ぬしへ贈り参らせしとき。

    継ぎ〱て世に跡絶へぬ川柳

乙未歳且

    天の戸を明けて祝簇の初日顔

庚子歳且

    堪忍を知る門松の股潜り

長岡華月ぬしの柳門に遊ばるるを祝し参らせて。

    斯道の明りとなれや華に月

壬寅五月初めて山形県の雅友諸君に見えて

    愛て給う程の価値なし老柳

決別 もう君と袂を別つはきぬ〱に等し

    送られてあとを見返る川やなぎ

いぬる秋日光へ詣でけるとき

    葛の葉も生うる裏見が瀧の道

白川にて即興

    汽車にて乗きる阿部氏の城の跡

安達陽花翁古稀寿延を祝して

    七十里越て花あり老の坂

去年の春身まかりし芳州ぬしを悼む

    嗚呼惜しや果敢なく覚た花の夢

護良親王

    六波羅に密事はもれて般若框  

源融公

    塩竈をうつし詠歌はみちのくの

神武祭

    神武祭国旗の先を飛ぶ烏

貞徳翁

    福禄の歎派放れた長頭丸

凱旋兵

    凱旋の兵隊秋の落し水

聖恩

    菊の露下流の民は皆長寿

二季

    戦国でなし春秋の御霊祭

衛生

良夜

    世界なす物とは見えず月と宵

奢侈

    漏刻のいくら運んで金時計

芳原

    鐵門の廓悟れば鬼が城

誡諭

    米にあるうまみにもてよ人心

瓢酒

    一瓢の飲にこころの酌楽し

時鳥

    時鳥幾夜釣られて蚊帳で聞き

長岡華月ぬしの若齢にして若白髪なるをよみ侍りて

    若白髪青葉に交る迭桜

霊芝庵主立机賀す

    春秋に富む芽柳や菊の花

柳水園二橋ぬし立机祝す

    織物の土地に柳の糸が伸び

豊穣

    世はゆたかに百十日をあとでしり

五世川柳翁三十七回忌

    見かえれば遥になりぬ柳陰

紅梅軒魯山君霊前手向

    花も実も名残りに散るや梅紅葉

鶺J自画賛

    能き事の教えはじめぞ和合の祖

狂句混題八十八章

    御遷都は平らにしかず山なき地

    都会で長寿仙人も知らぬ徳

    華族の五位も代つて鷺の芸

    足る事を知って祖翁は八右衛門

    金のなる木のこやしには身のあぶら

    世をバうらむなたらぬのは己が智慧

    読人を記さず無名庵の頃

    一力で乱酒舊水に遊ぶ亀

    出納は平均烏芋の玉子閉

    煙草をつまんで雁首をひねくらせ

    大たわけ昼夜寝て居て待つ果報

    大あれに越前屋でも家根がむけ

    ふんどしかつぎ六尺にたらぬ丈ケ

    漢文へ捨侮名畔に道知るべ

    見かけには人もよらぬぞ生蝋燭

    敷砂利の三日に埋む大都会

    北越の不思議も晴し世の徳化

    金短冊へ腰折は富る愚者

愚の多弁露の保たぬ萩の風

開拓の功に羆も里へ出ず

飢え渇したる昔しを思え美酒佳肴

実意ある醜婦鰻に持旨味

古来稀七十二県和の治平

猛獣の住ぬ斗りも和の果報

五湖の舟国をくつがえさせぬ忠

神楽の面打下女がつら能詠メ

飯豊を須臾即位の継目にし

松も威を震いし頃は十八世

日本画史菊池はおもに勤皇家

木の股を潜り陳蒼道を落ち

飛車で行く時勢に合ぬ将棊好

一休はおとなのくせに関で出し

飯盛は夜ルの御殿の説も書き

東洋の迷夢を覚す金烏章

崩れた内を白壁で塗り直し

大人国の割り箸か二本杉

鵜の真似で罰似せ物の濡烏

近眼の将棊朝霧に物見武者

金無垢に緑青は出ず和気の忠

燕雀に解せぬは鳥と化す御魂

地に乱忘れず改革をする三ツ井

気をつけよたら〱急の老の坂

大門を打馬鹿はなし開けた代

程美なり妻子を持て尽す孝

目笊へ鈴虫裏店で呼芸者

牛若の助命したのも涎ゆえ

きのうの歓も恥かしき今朝の春

論語さへ読ながらなぜ居候

うるさくも嬉しき春の人出入

雅ては混交守武も僧を友

敵へ塩女房廓へ遣い物

花七日硯もせハし躬恒形

良雄の心で遊興をすれば無事

頼まれて霊見売薬程きかず

古風をも笑うな親のゆづり物

馬鹿な後家男芸者を転す気

思案の外朝聖人もお子を持チ

花の吉原大門へ桜痴の書

皮肉など言ぬが骨ぞ雅の正味

楽寝して読も奢りぞ長門本

心根の柳貞婦へ緑緩章

塩原へ湯治は辛き世を知らず

大黒を砕き大国主となり

大たわけ書置をして河豚を喰い

下タを見る為にと二階堂を連レ

朝帰り悋気されぬも拍子ぬけ

から傘枕ハ開けない頃の唄

信用ハ世に諂らわぬ正統親

露置し野も玉敷の庭となり

快楽をせぬも御代の恩知らず

内に福満て溢るる笑い顔

神威の貫目は船で知る象頭山

知った振り談林調は十八字

蓮生の開帳に死へ背は向けず

月琴の表に似たり下女の面

真情が満ると雁は北へ飛び

独立は菊という字に訓はなし

花盛り君子の徳もいやがらず

松の余徳は年経りて公の爵

歌集より聖慮は賢を御勅選

大水で流れて多い村質屋

布団着て寝ても嵐雪句を案じ

斧当る難なし我立杣の和歌

遊べうしに仁寿の域に出た果報

附す気なら世業を欠くな四ツの恩

太秦の祭文産湯にて感じ

順風に世を渡るこそ宝船

 

 

 

 

 

十世川柳

 

十世川柳嗣号立机披露会柳風狂句合跋

おのれが川柳十世の机を継ぎたることは実に意想の外にして回顧すれば七世広島川柳時代なりし。柳風界に出来ごとありてよしなきことども耳にするもいまわしければ袂を払いて川柳界を去ること数年、殆ど八世児玉川柳の世の中をばおのれ知らざるものの如かりしに、八世児玉氏死亡して後宗家の机を誰に定めんかというに際し錦多楼鉞布亭寶子の二氏来り、強ておのれをまた斯界に誘う時に九世川柳其人を得るの選挙会あり此会に於て和橋義母子氏多数の投票を得て以て九世川柳の机を継承す。氏暫く年あり九世川柳没するにあたり十世川柳の衣鉢を友人開晴舎昇旭氏に譲与せしは鳰の葛飾南かたなる三囲神社内に建たる九世川柳が碑文に裏記する所なり。然るに川柳社界の一部にこれの継承に異議の聲を高うして曰く川柳は世襲のものにあらず汎この道の人々に触て川柳を選ぶべしと衆論これに一致して其継承者を選定せらるに下手の雪雁を以てせり、おのれ此器にあらざることをして再三辞せどもゆるさず終りには昇旭氏来つて勧むるに、お前は正に斯界の認むる處なり拙者は家政の繁を未だまぬがるる能わず是非とも此机に輩すべしとのことを勧告せり。我れ茲に意を決して暫く十世川柳の机を継ぐの余儀なきを諾し斯界諸君の賛助を得て此立机会を開催し今此摺巻を頒つと云爾。

 

旭海楼主人が古稀の寿延を賀す

東京の東方に廓あり称けて洲崎弁天町と呼ぶ。此地や遠く房総の南山を望で寿を表し近くは東海の福潮水とともに漲り来たるという夜なき域の別世界、表に高く不老の門あり裡には楼台連り立て宛も蛤が蜃気海中にたつの宮居を現ずるに異ならず、かの浦島が子の玉子函得たりしも或はこのわたりにやと思うばかりにめでたき深川の浜辺に家居する昇叟釣人が古稀の齢いをことほぎて、其息昇旭子が開かれるよろこびのむしろに列ッたる我れ人の数を挙ぐれば千鶴万亀此盛会なる実に治れる君が代の千とせのかげとも仰ぐべし、つまらぬは唐土の僊人たとえ長寿は保つとも露を汲で酒に換え雲を食うていいとなすては、下手の考え休むに似たる囲碁の長尻内へ帰れば定めて宿なし何の劫なきため那杣それとは黒白打て変り我が日の本の蓬島不死の寿妙に巻老酒昔百薬の長という酒も鬻ぎて東京の東方にある不夜の廓花の街たの軒並び弁天町に家居してよるとし波の福寿海集まる徳も深川の叟とこそは祝い侍れり。

 

待乳山奉聯会狂句合序

おのれは浅草の大然閣の後畔千束の里に住めり。月花のあした夕辺あるは雪の眺ども近きあたり待乳山に詣う祭りて隅田川の清き流れを汲みしらず〱はたち余り七つというとし月をこの里に消したり茲に於いて

    春華千里   寶蓋至天

    秋月一川   金砂布地

という対句を撰びこれを自ら書きて此丘に祭れる観喜天の宝殿に納めたり、こは隠れ家の茂睡りこころにはあらねどここらあたり跡とう人のあらばよみて下手の横ずきをあわれとも見めかし斯て柳樽狂句界の友とちこの挙を賛し此附句を二字結びの柳風狂句にものし、鉞皆眞昇旭の三氏を立評とし都楽一盃の二氏楽判となり一三六氏主幹としてこの道のもろ人に觸れ本会を催し、今は武蔵の国鳰の葛飾南かたなる百花園に友集をなし此巻を開く、干時明治三十七年十月十六日の好天秋高く前裁の千種爛漫咲尽して菊花香薫秀吟の披口に交り紅葉萬朶を照らすの似なりき爾しるして序とす。

 

寶集亭化笑佛一週回忌追福狂句合序

柳風狂句界にむかし男ありけり、号を開明舎名を化笑という、先考化笑氏の男にして父の名を襲うて年あり酒をたしなみ出鱈目の太郎冠者を舞い昔日流行せし大津絵節又は都々逸一坊仙歌の節を好み自ら一種の新作を案出して塩辛声の妙味に万場の聴衆を酔わしむ、然して世事に在ては中々に野暮ならず其行う所日進月歩に随がえども、今人交際上の軽薄に流るるを憤激し談ン偶茲におよべば感泣して江戸っ子の面汚しなりと怒呼す以て生の善良なりしを推知するに足る。おのれ曩に羽前の国東置賜郡漆山なる勢柳会の催主に係る日露戦没戦没大捷紀念狂句会の招聨に応じ降羽せし際、都楽化笑の二氏とおのれみたりが同行の名を笠のうちにしるし宮内の里に至りて本会の盛宴に列りたりき、其帰路塩釜松島等の勝地を探り水戸を経て東京に戻る此行旅に日を消すなぬか間斯くやとりをともにし寝食をおなじうなせし甲斐もなく爾来半年をも過ぎざるに化笑氏病むでたつ能わずして、曰く死して珍聞漢の御経に指せんよりは生前川柳の狂句をして引導を授けよと強ておのれにこれを求む、おのれいなむによしなく書きて下の一句を与う。

    惜しとは御世辞不足のないとしだ

化笑氏見て唸々大笑これにて大往生を遂くべしと後ち幾應もなく明治四十年五月十七日行年七十三歳を一期として卒す。翌年戊申初夏親族故旧其一周忌の追福会を開催し捻香経華はさらなり添るに狂句数千百詠を手向け以て此摺巻と為し十方諸彦に之れを頒つと施主一同の総代を兼ね十世川柳拜自序とす。

      軸

化笑氏氏生前わが狂句堂を訪う殆ど隔日、而して晩盛の卓を共に為すを常とせり中に就て雑談偶々其亡父のことにおよべば、おとっさんわるかったと云て若年時代の先非を詫う、今地下の状察するにあまりあり。

    極楽で親父に逢て泣き上戸

 

蝶々子甘屋追善会序

無き人の俤目のあたりに浮かびて手向る花の唇も物言わぬはいとかなしきものにこそありけれ。去年の春不帰の人となりし蝶々子甘屋仏が一周の忌を営まんとて其うがらと謀り友つ人開晴舎昇旭子之れの主設けしたるに五七五の陀羅尼ハ机上に集積して数万に及びたり、夫法界に名知識が一切経を涌するの功徳も遊魂何ぞ此川柳の上に出ること難かるべしと亡人甘屋の後ちを吊い声なき筆にもの言わせて本編の序となし手向る花に換ること爾り。

 

清柳自庵掛額会柳風狂句合序

叢中に玉を得たる竹取の翁がことどもは其物語に長く節々を伝えてめでたしおのれ川柳の翁は深川の冬木の古るき庭に家居して蕎麦切に名ある米市の開宴にやことなき姫のことは無論海老紫式部の庇髪奥様権妻居候下女乳母等を諷したる玉の狂句を拾い得て茲にひとつの巻となし川柳界の好男子餘多の聟に之を頒かつと狂句堂主人誌るす。

      軸

    満丸な芽の輪くぐれば月の秋

 

祖翁忌柳風狂句合序

孔夫子は四十にして迷わずと云えども色好みの大年徒に四十島田の浮きな高し君子と後家とは堤燈に釣鐘軽いお尻と学位の重みたかき賤しき隔はあれども寄る年波に尊卑の別なし、人四十の坂を越ゆれば爺々となり婆々となりて盛年会の戸籍を除かる、めでたくもまたかなしからずや、今年明治の年も初老の四十という十月の央野山はむかしの春の花の俤緑り深き若葉の夏錦を飾る照る葉の秋もいつしか過ぎ、草木はかしらに霜をいただく冬の日さきつとしの今日此頃、凩やの句を辞世として逝かれたる柄井川柳祖翁を追慕しここに其為十八回の遠忌を祀り浅草の大然閣の傍ら御法の庭なる某亭に此追善会を開催し翁が画像に狂句を手向く、之れかなしくも亦めでたしかくいうものは十世の後に芽をふきたる狂句堂川柳省なり。

      軸

    天狗の木の葉こがらしの庭に群れ

 

よし原細見の序

五つの街のひと廓ハ五つの外の色世界いかなる学士博士でも忽ち染る遊びのかそ色名つけて思案外史とせんか。

    壬辰春日

 

狂句堂行事

一、飯は一食く三杯とすべし

    居候三杯飯を賛成し

一、汁と菜とは一品にして足る夏は茄子冬は大根を必ず採る豆腐と沢庵とは季を嫌わず用ゆべし

    味いハ豆腐に角の人こころ

一、酒は寝しなに用いて三杯を過すべからず客あるときはよき程までをゆるすべし

    しつかりと腹をくくって瓢酒

一、菓子煎豆にては歯ぐらに適さず塩煎餅また堅し老ては芋羊羹こそよかるべし

    口の端に掛けて甲斐なし人のあら

一、燈は瓦斯電燈の奢よりも種油の方旧弊ながら用慎よく且徳用なるべし

    油よの外は実らず吉丁子

右の條々堅く守るべし庵主に卑下の世辞なければお客の髭の塵も払わず此約束に違うものは千つかの狂句堂門とにしるしのひと本柳風に任せぬこころなれば即ち不信の人とすべし。

    争わぬこころよおのが川柳

俳士也有が意に做ふて書く

              十世 狂句堂川柳

 

羽陽の道記

羽前西置賜郡白鷹村の人瓏泉堂柳慰氏改名披露兼建碑会柳風狂句開巻に参列の為明治四十四年四月一日東京上野を発車し同地に降りるとき忍カ岡の桜今を盛りと咲たりければ

    帰るまで吹な頼むぜ花に風

夜行汽車より宇都宮駅を見て

    楠の謀ごとほど遠き火の

      影こそ見ゆれ宇都の宮駅

白河の駅を過ぎて

    ぬば玉のくらきやみよも白河の

      いくいにかかる波は見へけり

夜明て福島に着けば洗面の用意あり、車外に出れば空気爽やかにして自ら心地よし

    福島に着て旅家も恵比寿顔

自是板谷峠の隋道を潜行して関根と云う所に至れば見外広潤にて遠近の山嶽織るが如し

    成程山形県だナアと眺め

米沢を越え赤湯駅に下車す此地は温泉ありまた烏帽子山の春桜白龍湖の秋月等の名勝ある所

    薫に春は露の烏帽子山

    漣の鱗は月の白龍湖

此処より腕車に凭り漆山に多勢一民氏を誘い辞して長井町に及べば警察署郡役所銀行等ありて一市街地を為す

    鄙に稀れ並ぶる軒も長井町

荒砥に至り長岡檉風氏の門を敲く氏は地方の名流にして才学の士なり、雅談数刻辞して大路に出ずれば白鷹村より柳尉氏の出迎いに会し同市大蔵寺の天狗館に泊す、前庭残雪あり梅蕾いまだ南枝に笑わず

    折るはなもなくておかしい天狗館

翌三日字萩野なる開巻席へ至るの道に龍徳寺なる柳尉氏が碑文を探り群雀氏が家を尋ね案内を得て開場に充たる竹田吉重郎氏の邸に臨む此日午後二時本会を終了し又群雀氏の家に帰りて寝に就く、四日は天狗連の諸氏及び其他有志諸君の送別会を辰すし辞して同家を出れば傍に米搗場あり。

    怠らず流るるみずは米を搗き

各位に見送りを受て山間の径路を過ぎ稲荷の茶屋に憩う

    ばかされたような道来て稲荷茶屋

此処にて袂を分ち元来し道を東置賜郡漆山に急ぎ予て戻りを約しければ多勢一民氏の邸に事を駐む此日は此家に泊まりを求む

    蒲焼になった昨日の山の芋

    雪解に磨出し青イ色リの漆山

五日は同家を辞し午後四時過田島尾形二氏の見送りを受け赤湯駅より乗車東京に帰る、翌六日午前五時上野駅に着せしに未だ花さくらのありければ

    今帰りましためでたし江戸桜

腕車に乗替日本橋に至りそれより浅草の千束の里狂句堂に入りしは午前七時の頃なりし。

 

蘇息齋送別会狂句合序

万葉集の和歌に旅にしあれば椎の葉にもると読しを四方の赤良が夷歌に下七文字を居え膳で喰うと反読せしは何れも其人其当時の行旅駅舎の姿なるべし。明治に御代となりては杖草鞋の調度とてもなく旦たに都の花に遊び夕に西海の月眺めて故郷を懷い、或は北越の雪の宿り爐辺に旧友を慕うの遠きに走るも、くろ鉄の道映時に数百里を行くの便あればなり。此好機に際し羽前の雅友蘇息齋子東京にもう上りて隅田川の辺に我が都鳥連のありやなしやと訪い来たる其親しさは彼の親王の息子株在五の君が心遣いとも唱うべし。かくして滞京いくほどもなくして帰途につくと聞き明鏡亭の主人氷月が企にて子の門出を祝うに柳風狂句に出羽能稀人六門美会(デワノマレヒトムツミカイ)の文字を結びしは擬して柳を撓むるの故事に因る、また其葉のうるわしき緑亭の二世を撰者として送別の宴を浅草公園に張り此一巻をものして燧袋の代用に贈りしことを東夷の雪雁うちつけにしるして序とす。

 

十世川柳を継承したるとき

    擔がれて貫目のしれた樽みこし

十世川柳立机会のとき

    我庭の柳に遊べ四方の風

十世川柳を継承のことを思い出でて

迂老曩に十世川柳に推挙せられたるとき「擔がれて貫目のしれた樽みこし」とよみしことを思い出て

    ゆるむ箍あとの祭りの樽御輿

再び宗家の机を継ぎしとき

    飾られてよぼれを曝らす古机

塩堂薄暮和歌

    しお釜や真多名の岡は幾はてて

         千松島根に夕日さす見ゆ

先妻民子みまかりしとき詠める狂歌

    きょうよりはやもめ男となりにけり

         妻あらぬものと人は云うらん

英昭皇太后崩御あらせられたるとき

    諒闇に牛が引き出すなき車

昇旭氏長男をうしなわれたる時冬の空寒ければ

    寒しとて着せてもやれず経布子

六世川柳が碑に手向く

    泪の雨乞い三囲の碑に蛙

観艦式

    かん〱に重みのました錨形

戦捷記念絵端書

    捷て紀念の絵はがきに兜武者

淀君

    水出しの猿に玩弄の淀車

能因法師のかた

    草鞋食いなくて能因とがめられ

芭蕉翁

    伊賀の人鐘は上野の句も響き

明治二十四年乙未元旦

    取て五十一年去年は前世界

檉風氏点式 柳の友なる長岡華月氏が点式に檉風の名を以てせらるるを

    月華も尽し見あげた雅の柳

昇氏手向

    死ニ神へ裸参りは寒の明

かなめ氏一周忌

    世を去られ三くだり半の御棚経

よし原の俄

    横町へ曲る俄の出来ごころ

日韓合邦

人参を呑で国病やつと治し

礼にはじまるということを

    飾所行儀の心曠着に正す襟

祖翁川柳忌三句

    凩や松も柏も貰い泣き

    跡で芽の予言十返る川柳

    画で見ても元祖斯道の大天窓

陽花翁立机会に臨みて

安達陽花氏を挙げて斯道の地方判者と為したるとき其立机会に臨みて

    柳屋の暖簾出見世へ分る巾

    白鷹や柳を文みの力艸

徳川家康公

    三五まで満つむさし野の初月夜

達磨の画賛

    楚天の達磨に沓の有一物

社頭の桜花

    神風も花には厭へ伊勢桜

神田祭に詣て

    神武の山車に手古舞の鳶の金ン

浅草寺雑観三章

    此楽土天人しらす花の雲

    仁王は藤八平内は名主拳

わが川柳側なる長岡檉風氏五十歳の齢を寿きてて

    百相場片手でまけぬ年の市

故事十首

    東洋に武を張り肱の弓矢神

    産ン婆の雄スかと思つたら武の内

    橘中にあらぬ初平も石を打ち

    那智黒に競へて石と銀の猫

    浄海も流し目に見す歌卒都婆

    寶田の肥しになつた干鰯船

    度が早過た源内の究理学

    化けものの方ウに金時こわがられ

    嵯峨の花都の蝶は情け知らず

    木曽櫛に梳て兀た白髪染

時々漫吟十八章

    身をこがす男衆の果か燻へ革

   口憎からず初鐡漿の濡からす

    向い風不破の関屋の庇髪

    硝子の栄あぶなし二八水

    (いなづま)の車も嫌う曲り角

    門跡へ授壽仏へ伯を付け

    三ツ越で奴豆腐を酢に食わせ

    煙草好き五月あやめと引き競へ

    聞き流す方だに利のあり言葉質

    桶伏せを転がして来る門芸者

    記者の筆耳に挟んだ説を書き

    板一重下は奈落ぞ遊山船

    福耳に重みのかかる金眼鏡

    助六は煙草の雨に蛇の目傘

    かね持のくせに雪踏は足にされ

    風に身を任す行脚も柳箇李

    太神楽茶碗の曲も棒のさき

    上を見ぬ大黒傘に福が降り

四季混題二十五章

梅笑う門に福来る花やしき

    吝めども残念風の伊勢桜

    夢見草風に五臓を煩わせ

    花盛り無雅なおれ程楽はなし

    毒となるまでもやらかせ花に酒

    打水の露は撫子もらい乳

    釣舟に活て錨のゆりの花

    遠く遊ばず竹の子も親の庭

    昼顔に起る入谷のなまけもの

    火串より罪ぞ燃立つ緋縮緬

    子に迷い梅若あたり蛍狩

    咽えの暑さ忘るる氷水

    満丸な茅の輪くぐれば月の秋

    上見ずに居られるものか今日の月

    七艸にもれて桔梗はふくれ面ラ

    秋はいむ色も黄金の寶草

    是も尻叩く卯坂の西瓜市

    柿紅葉染るしぐれに渋蛇の目

    膝元は寒さも知らず桐火桶

    冬知らず大和炬燵に高枕

    滑ってあぶない門口の薄氷

    寒参り利口な人を寒がらせ

    終り初物除夜に咲く梅花

    腹さんざ食うとほき出す雪の下駄

    鴛鴦の中焼餅程の礫鴨

俳句十八章

    両の手に受て捧げる初日かな

    きょうの雪つもると聞も萬よし

    梅開らく門や輝く獅子頭

    月の梅影も脉ある姿かな

    うら〱として芽の冴の柳哉

    引寄せて枕にしたし春の山

    五月雨も名残を錺る西日哉

    扇のみちら〱拜御幸哉

    寝て聞けば四五尺遠しほととぎす

    竹の子や石に悶て横育ち

朝顔や菊に競うる花の末

しら芥子の単に做ふころもかな

雲行を見てまは酔や月の酒

見えて居てまたきこえぬや雁の声

花ほどは騒がしからず散る紅葉

翳来し扇ぬらしぬ片しぐれ

つく限りつけばとれけり下駄の雪

紫に見ゆるを雪の露かな

和歌十四首

千鳥

    沖津波磯山松の梢まで

       かかると見しは千鳥なりけり

不忍池畔にて

    狩人のうれいもなくて遊ぶらん

       世をしのはすの池のあしかも

冬の道

    出る日のひかりも冴て霜氷る

       朝けの道の風の寒けさ

古今春水

    ふるさとの板井の水も青柳の

       かけはかりなる春は来にけり

隣梅

    夕霧たなびきこめし中垣を

       もるるも深き春の梅が香

浅草花やしき 菊の花見んと浅草の花やしきにまかりけるに雨の降ってければ

    ふるという千とせの艸にうるうひの

       静けき雨をきくのやとかな

対月知老

    ながめつつ月はむかしにかわらねど

       うつるがおのが影ぞ更ける

むさしの国小手さし原にて

    むさし野や尾花か末のちちぶ祢に

       向かいてしばし小手をしのはら

秋の夜長 ある人のもとより老ては秋の夜のいとと長きなとふみもて申を出しければ

    秋の夜の長き寝ざめにあく北ことの

       こころや月につくさざるらん

月下花

    夕月のかたふく春の梢より

       落る光りは桜なりけり

避暑

    水無月の照る日のかれぬ山の井の

       深きこころをたづねてぞ汲む

菊久盛

    さきしよりしたしら菊の花なれば

       うつろうべくもあらぬいろ哉

海邊雨

    散ればまたさきて時をもしら波の

       花は雨にもうつらざりけり

行秋来冬

    よもすがら秋吹き送るこがらしの

       あとこそ残れ辺のもみじは

狂歌十四首

十年の役に

    分捕にまつ篠原がたまのおと

       高瀬にあぐるかちどきの聲

狸法衣を着たるうた

    何事もさとりて腹はたたぬきよ

       このちくしょうと人は云うとも 

富士山

    時しらぬ山の麓の田子の海士に

       問ばはや富士にしほじりの名を

初秋

    秋来るとあしたに桐のひと葉かれ

       扨ゆふ便は雁の玉章

七夕祭 七七才の齢を重たる老婆の七夕祭に

    七十七(ななそなな)中かの()の字一点の

       星を加えて祝いまつらん

鹿

    笛の音やともしに運ぶ愚かさよ

       その大きさも馬程の麻

落葉

    落葉して皆摺る木となる樹々に

       羽根の生たる秋の色鳥

寄古家恋

    土台からおっこちて居る腐れ椽

       どうせ意見の釘も利くまじ

俳優の更衣

    締ぬきて入れ替袷内證の

       豊屋の幕は見せぬわさほき

不言恋

    はづかしきくわえしままにおのれから

       小指にしてと云よしもなし

忍恋

    弗箱と仇名娘の手をとって

       人めをぬすむ恋はくせもの

久忍恋

    云はて過く三十振袖四十島田

       聞えぬ人と終になりなん

尋恋

    妹がりは何所と磁石に訊ぬれば

       直くに指さす北のよし原

見恋

    見とれて流す涎の長良川

       積りて橋も恋に持なん

情歌二章

茶の湯に寄るという題

    鏡柄杓に思いのたけを

       うつしてこころの奥ゆるし

案山子という題

    かかしと立られ色鳥追って

       いつまでうわきのやまだもり

柳風狂句六章

某氏が六十一の賀に

    出世雙六一はまだ振りはじめ

米の齢を祝す二章

    長月の齢ぞ菊の翁艸

    万丈の寿山に眉の白髪松

菱雨氏古稀の賀 備後国尾道市の人菱雨氏古稀の賀を表し寿碑建設の挙を祝て

    菱模様備後表へ花を添へ

海人の蛸釣りあげたるかた

    春の海だと釣あげてふちの花

佃島の春雪

    水上にひとちよぼ雪の白魚舟

 

 

 

 

十一世川柳

 

十一世川柳嗣号立机披露会柳風狂句合跋

古語に狂は心に生じて外に出すと尤なる哉我狂句の千態萬状一吟以て恩神を笑わせ一喝以て石仏を動かす故に上は貴紳より下は下女居候に至るまで何れか狂句を読まざるべき、斯に狂句いうものの興を云わんに彼の芭蕉翁が狂句として凩の身は竹齋に似たる哉と発句に読まれしを初めとし、我祖川柳翁が前句付を一変して柳風の道を開き万世不朽の机を立てられしも彼の芭蕉が凩の吟を基礎とせられしや明らけし、されば祖翁が遺吟に凩や跡で芽を吹け川柳と此句や我道千古の遺訓と称えて世々其跡を継ぎ継ぎて根ざしも深く枝も葉も栄えて今は全国中柳の風も吹かぬ地もなし、斯くて十世狂句堂の主人は左り団扇の楽隠居と成らんとす、余が不学不才因より其任にあらずと固く御免を蒙らんとせしに柳風会員諸君よりも強て薦めて止まざれば覚束なくも十一世の机を汚す事とは成りぬ、されば古の狂や肆今の狂や蕩と論語読まずの論語知らず古今の差別も烏鷺覚え本の盲者の墻覗き全国の同好諸君が賛助の力を頼みにて川柳の名を襲ぎたるのみ。

    教えられ出来た柳の庭造り

 

旭海楼昇叟古稀祝賀会柳風狂句合跋

今年明治三十年えとうも丁ど酉るという歳を数へて七十の家尊昇叟が賀を表し年頃好める川柳のいとまのより〱むすべる友垣と計りて此会を企てたるに狂句に遊びたまう人々の交誼はあたたかにして春風の遙々と玉吟を寄せられたるもの実数一万九千に余れる事となりしこそ御当人なる親父より倅の拙者が大喜びめで度かしことしめ切つて此道に縁なる元柳橋の辺り鶯春亭に開巻せし此流風の一巻は名句佳什の寄取りみどり彼の錦上に花とやら雪雁翁が贈られたる祝辞を初め諸人が盛寄せられし言の葉を柳絮にあらで此の巻の柳序とせし大略を拙き筆に書いつけたる跋がわるいを跋と爾か云う。

 

渡海の寝言序

皇国の祾威日に盛んにして東亜のてんちは我陛下の洪恩に浴し三倍の国土膨張と共に海陸の便利交通の機関何一つ備わらざるなく実に有難き太平の御代にぞある。日進月歩の国運急速の発展は真に吾人の殆んど意想外に出て唯々皇恩を拜するのみさりながら退いて明治初年の頃を思えば感慨夫れ果して如何。

予が亡父昇叟が壮時駒込追分の素封家高崎屋の主管として主用を帯て阪地へ往復するにさえ随分不便を感じたるの状は即ち載て渡海の寝言にあり、夫れ僅に江戸と阪地の往復にすら渡海と記す程の事なれば他は推知するに難からずと思わる。

渡海の寝言は文士の筆にあらず又学者の文でなし故父が商用の片手間に墨斗の筆にしるせしなれば素より文に飾りなく見る可き価値は有りとも覚えずされ共当時の態を写して殆んど遺憾なき處些か恩故の料にやなる可し。

 

澤迺家喬友百花園栄蝶二霊追善柳風狂句合序

如是我聞、祇園精舎の鐘の聲は諸行無常の響を伝え沙羅双樹の華の色は盛者必衰の理を示すとかや観じ来れば噫人生は夢幻の如し。

人生まれて世に在るや七十年は古来稀なり、栄蝶翁はより以上一と昔の寿を保ち得て加之も钁鑠壮者を凌ぎ老てます〱壮んなるの人なり、然れども一朝二豎の侵す所となりて終に不帰の客とはなりぬ、惜みても猶余ありさりながら幵は遺族信友が情義の忍び難きに由る所謂望外の興望なるのみ或は思う翁自身は却つて冥府探勝の娯楽を夢見て結局遠足の洒落を望みたるも知る可からず、喬友子に至つては敬て然らす漸く半生の郷関を越え春秋猶富むの人にして実に有為の人才なりき、然るに天斯の人に年を假さす槿花一朝の夢と化しらんぬ哀しい哉、

栄蝶翁は天寿を全うし得て長しへに楽土に眠り喬君は夭折して空しく青塚一基の主とはなりぬ、哀れは齋しく哀れなれども此間豈多少の感なきを得んや。

されば両君生前の友どち誰となく彼となく茲一堂寄り集いて二霊が新盆に当るの月即ち本日を以て爰に法要を営み併而追福狂句大会を開催せらる、予も又生前相識の縁故あり殊に本会の撰者として此法莚に列なりつ荐追悼の念禁ずる能わず即ち一片の蕪言を述べ以て巻首に序すと云う。

      軸

    世は夢とさめて悟れば花に風

 

御親断

    唯仁以て寶田の地で施政

皇兄弟

    瑕瑾なき美談玉璽を譲り合

興発

    旭と夕日源平の盛衰記

魚不足

    倹約に気が付く木曽の旅戻り

媒酌口

    かたいのハ請合ますと嫁の世話

妖僧

    玄ム悲憤名を遂げて功ならず

注意

    二タ股の所ロが道に迷いがち

訓戒

    洗濯は出来ず汚すな親の顔

祖翁忌手向五句

    見ぬ俤のなつかしき祖の祭

    祖翁の引墨末世まで消ぬ徳

    未来をトし栄久の地に遺吟

    砕けても玉と美名を龍寶寺

    汲めども尽す吹き出す柄井の雅

五世六世霊前手向

    何事も云わで捧ん手向幣

九世翁七周忌追善句

    恩師今呼べども覚す涅槃像

故福子女史追善句

    逆さ屏風に哀れます孝と貞

甘屋居士追善句

    月雪も見尽し果て花の旅

化笑佛一週回忌手向

    呼べど答えぬ友恋し五月雨

八世川柳翁立机会祝吟

    霖雨の後愉々快々や五月晴

十世川柳翁嗣号祝吟

    桜木して緑弥ませ川柳

金子君の銀婚式を祝して

    花にまた錦添へたり金衣鳥

翠亭桑柳氏が立机を祝す

    ひろごるも培養にありさし柳

歳且吟

    貢の雪を豊ヨ年の筆初め

    人も斯く意地は持たし雪の松

    脇見せず進め亥としの一針路

羽前の雅友に見えて

    待ち兼ねし程の味無し初松魚

檉風大人の前途を祝し侍りて

    棟木ともなるためしありさし柳

昇九七四両公の寿延を祝す

    また花の咲く老松の若緑

故父昇叟追善手向吟

    八千代いう名もたのまれず落椿

混題一百四章

    世は共和武威も根の張る竹の園

    待つ内が花咲けば雲ちれば雪

    竹の台民も千代呼ぶ遊園地

    心の緒じめ珊瑚より五分の魂

    包むものでなし風呂敷を広ゲる愚

    開花の先鞭洋服の妓を身請

    甲信へ事掛りの道も出来

    胃病とは扨大贍な居候

烏にも恥よ塒を定めぬ愚

一年有半非民が長き夢

山も寝姿着倒れの土地自慢

無慾大慾洗う耳嗅だ耳

二万堂腹一ぱいの歌袋

練磨せよ印和の玉も元は石

篁は船の不平が身の浮沈

苦の娑婆へ遣ろと閻魔は子を叱り

橿から聖水源は山にあり

子寶らが殖て気張し国の父母

和漢の進歩後の雁先になり

神風に尻尾を巻た范文虎

散り際もよし勤皇の桜山

農事の改良先鞭の地も駒場

吉良の臣同じ忠死も雪の鷺

荷造りも俵でいたむ相馬焼

本来空論海を越す葦一ト葉

菫が出逢う公園の星月夜

御愁傷殺し文句の隣り部屋

飽食も暖衣も旨し国の恩

吝ならぬ才伊勢人が編む古事記

議長の松も内閣へ根引され

時鳥寝覚の廓のおそざくら

琴となる桐より下駄は実業家

暮しらず春待つ内が人も花

紅葉の手を曳き鹿を見る花屋敷

満れと欠けす上ゲ汐に人が殖へ

手術より奥あり棒でなおす皿

夢物語に目の覚ぬ幕吏の愚

宵の内戸籍調に来る喜助

琴の音も床し見越しの松の庭

鴫一羽哀れ千載集に洩れ

李太白一チ石ならば詩千篇

眼明き千人保は一に道を聞き

酔えば春上戸醒れば秋となり

佐吉が一服献したは裏千家

下女春着名もなき山の初霜

世にひびく雪に巴の陣太鼓

野は昔今人材の大林区

武士(もののふ)の是も花なり許六の雅

北條八代龍王に見放され

千枚通しで井戸を掘る小人島

孫の手は痒い処へよく届き

富士川の船は女の一人旅

天廳に達す山鹿の陣太鼓

釈迦よりも世尊聖主の御善行

去る者踈まず忠魂を御勅祭

世は開け軒の菖蒲も笑い草

不破名古屋一枝の花に蝶と蜂

林中落葉常磐木も艶がさめ

弁護士の人望口は福の門

医師のふく尺八脉を取る手つき

真似る児戯親煩悩の老莱子

残る花人に折らせぬのが手向け

穴のない針に用なし小町糸

交りは人もかく有れ水と魚

枕厨嫁は姑の雷を除け

消食器斗り働く居候

親の食い物十六の武蔵下女

五本骨時代ぞ払う扇函

狂歌の相撲に故実書く六樹園

風景の変り恨みの瀧となり

徳川の家の光は三代目

耐忍力は一身の福包み

精神を鏡曇らぬ大和魂

告発も出来ず娼妓の偽証罪

肩で切る風は身に咲く花の仇

備後か誠忠蓑着ても隠れぬ名

神代にも娘一人に瓶八つ

学林へ手放し志士は子を試し

星月夜最鎌倉の終列車

頗る危険鎗術の手長島

菊石一つが十円の持参嫁

秀吉が宿禰の寿なら四夷も伏し

平ッたく気は持て亀は寿の司

雛祭り桃と桜の姉妹

御降りは十両に優る世をしめし

難波料理に歩を譲る宇治の里

笹蟹の糸待宵の電気線

知ったふり薩摩の富士は八里半

返すのが親へ不幸ぞ口答え

投票売買高い程価値なし

氷屋の鉋の下に香炉峯

聞に恥なし聖主にも顧問官

今なら議員に佐倉から出る宗吾

賎心なしと道僅初手思い

別れたる人に又逢う花の山

粉骨で返せよ肉を分けた恩

松原に続く佳景の鶴の芝

茶会の夜身の泡沫と知らぬ吉良

法論に勝て甲の地を教化

他人の飯で喰分けた親の恩

お目出たい心配親のする浮気

一日にありと祈年の四方拜

世間見ず初音をしらぬ宝の梅

我が足へ己れを繋ぐ小荷駄馬

 

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