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一七二八年      

享保十三年戊申 十一歳

 

六月二十八日 細川平洲生

新井風馬生

加藤野逸生

 

正月二日 岡崎冠山没年五十五

正月六日 狩野如川周信没年六十五

正月十三日(或云十九日)荻生徂徠没年六十二

昼三を初手買はせるは徂徠学

正月二十六日 山井崑崙没年四十八

二月十五十五日 福岡鞭石没年八十、井亀軒而笑堂と号す、辞世「終にゆく岸の柳や法の児」

二月十九日 各務柳雪没、通称吉右衛門野航亭と号す、美濃の人

二月二十八日 中村伝次郎舞扇没年五十七

四月二十三日 板倉九右衛門復軒没年六十四

五月二日 堀内雲鼓没年六十四、千百翁迎光庵と号す、方山門、京都の人、五条橋東観松片陰に寓す、剃髪して助給、貞徳派の俳人なり

五月十一日 水木勇之助勇梅没

五月二十日 嵐和歌野没

六月二十日 片山小右衛門没年三十九

七月三日 里村仍民没年五十九

七月十四日 梅原貞為没年六十、和海軒梯園三世と号す

九月二十四日 清水如水没年七十四

九月三十日 伊藤儀丸没

十一月十四日 春曙庵千山没

十二月十三日 越智正球没年八十五

長嶋甘谷没

十寸見蘭洲没、新吉原江戸町二丁目遊女屋蔓蔦屋の主人庄次郎、元祖十寸見河東の高弟なり

七月新吉原角町中萬字屋の玉菊三回忌の節見事なるきりこ燈籠をともしけるが珍しとて廊中大いに賑わいけるにより漸次美を尽くし細工を極むることとなれり、是吉原盆燈籠の始めなりとぞ、此時傾城水でらしという追善の河東浄るり出来たり、竹婦人作河丈、夕丈節付源四郎手附也

八月三十日 夜風雨出水

此年間浅草寺境内に霊全と言う辻読義を為す者ありて聴衆甚だ多し、志道軒は之を真似たりと言う

辻ばなしつばきをしてはふみつぶし

 

初茄子(呉大)・萬国燕(淡々)・袖草紙(玉菊追善句集)

 

 

一七二九年      

享保十四年己酉 十二歳

 

小野蘭山生

澤田東江生

三浦樗良生

平賀源内生・・・・

烏亭焉馬生

二世左簾生

金子萬嶽生

 

正月二十五日 山本京三郎柳子没

正月二十七日 跡部宮内光海没年七十一

正月二十九日 元祖市川門之助新車没年四十八

三月三日 藤川武左衛門没年百二

七月十五日 元祖芳澤あやめ没年五十七

七月二十七日 花千没、木者庵と号す、湖十の妻

七月二十八日 元祖鳥居清信没

八月六日 土田正祗杜若没

九月四日 河合安右衛門元仲没年六十四

九月二十五日 根岸権兵衛友我没年六十七

閏九月十九日 竹田近江清直没年八十一

九月三十日 山山本孟遠没年六十一、横許庵夢明房須弥師の号あり

十月二日 佐々木嘉武没年五十、文山の男家業を継ぐ

十月十日 辻五平次萩子没

十一月十日 大町敦素没年七十一

十一月二十三日 服部清助保考没

十二月十日 田中兵庫丘隅没年六十八

十二月 久米田杉尋柳居没、江戸の人、藤堂候の侍医たり

 

石田梅ー始めて心学を唱う

二月五日 吹上にて弓場始の式あり

四月二十八日修験者改行(三十一歳)死罪の上獄門に行わる、世に言う天一坊なり、其頃の狂歌に「天一は天上日に生れけりむくろは下段首は中だん」「天一は既に天上するところ太へ奴すでに蜜柑をつぶすとこ」

五月交跡国のケ大威という者廣南国の産大象を渡来

大象のけんくわは鼻がこぐらかり

象くしやみ普賢菩薩をはね落し

此頃迄毎年十二月に古札おさめとて非人来たり、年中神仏の札守の溜りしを銭を付けて持ち去ることあり

 

都のつと(魯石)・花紋日(言石)・紙蠶(貞佐)・俳諧花おほこ(常陽)・俳諧たつから(布門、来山追善)

 

 

一七三十年      

享保十五年庚戌 十三歳

 

高嵩谷生

中井竹山生

並木正三生

松岡青蘿生

 

正月十八日 服部杜芳没年七十四(或云六十二)此中庵、蓑虫庵等の号あり

三月十八日 深見十左衛門没年九十五(或云九十、九十一)本郷片町龍光寺に葬る、本姓深溝名は貞国、剃髪して自休と号す、寛文の頃江戸に六方男伊達というものあまたありけるが其徒の頭也

きおいの身あへてそこないやぶつてる

しらきてうめんがきおいのことば也

店うけにしかられている男だて

村きおいつくり酒やをぶちこわし

きおい三重でかけてく月のかご

三月二十九日 初代松本幸四郎没年五十七

四月七日 加藤松貞没

五月七日 川勝雪堂没年七十、畔甘舎吹松庵の号あり

五月二十二日 瀧方山没、通称主水、招鳩軒應々翁、初め峰山又芳山と号す、初重頼、後似船門、京都の人なり

六月十六日 志賀隨翁藤怒軒没年百八十三(或云百五十五)

六月二十四日 久田宗佐覚々齋没年五十三

六月 友田覚左衛門良品没、梢風尼の夫なり

七月十六日 三宅万年石庵没年六十六

七月十七日 人見愚堂芥耳軒没年四十八

八月八日 寺井西角没年七十(或云七或云七十一)輪花堂村雲翁要心居士と号す、辞世「月影を借つて今行く十万里」

八月十五日 瓜木晩山没年六十九、初二童齋永可と号す、辞世「まめて居よ身はならはしの草の露」

十月十一日 坂井学思齋没年三十五

十月 加藤守行遠澤没年八十八、探幽の門四天王の一人なり

十一月二日 大道寺孫九郎友山没年九十二

十一月三日 佐藤友扇桂花翁没年七十

十一月十三日 鴛田青峨(一世鴛田青峨(一世)没、春来軒、百花窓、牡丹堂と号す

十二月二十七日 山縣攀高没年六十四、杏花亭桂花翁と号す、友扇門

 

正月江戸町火消四十七組を十組に定めれる、将棋の駒形なり纒の吹流し止てばれんを付ける

五月金銀札を縦前の通り許す

八月二十九日大風雨深川三十三間堂倒れる

つよいふりひるねもおきてかしこまり

きついふりたはらが馬を引いて行き

きついふり傘をさし雨やどり

大ごまり戸板をしよつてはやて也

大はやて四手一挺立チずくミ

あらしの日客寒むさうに見えるなり

強い風ふくさをあごで下女おさへ

小べんをそつぽうへするきつい風

強物の大蛇に見へるつむじ風

おもしろく傘をとられるつむじ風

大風の頭は伊兵衛が宅に成

大風の頭に角兵衛と虎ばかり

大風の頭に万歳かしこまり

元祖瀬川菊之丞路考十一月始めて中村座に下り石橋を勤む、川柳には菊之丞が「梅ケ枝」「無間の鐘」の狂言を詠みたる左の如き例句あり

梅ケ枝は万年青の実まで拾い込み

梅ケ枝は南天などをうりにする

梅ケ枝は夫から飯をほつてくひ

梅ケ枝は金がほしっひとしやらでいひ

梅ケ枝は柄杓の恩で質を請

梅ケ枝は本金斗で質を請

梅ケ枝は利息にトンと気がつかず

質札に鎧一領梅印

手水鉢ぶたれた上で金をだし

手水鉢の引ならずごんといふ

八両で三百両の場をつとめ

八両の外はよまずにひろひ込み

産ぎぬはやつたわいなですまぬ也

此頃上方より宮古路豊後椽下りて路豊後椽下りて流行す後渓廉風を乱るとて禁ぜられしが止まず(元文五年の條下参照)

豊後節一流乞食唄ひ出し

豊後節湯屋で語るはきつい事

豊後節由兵衛どのて素湯をのみ

豊後節隣の国はよくかたり

律儀まっぽうな面らにて豊後節

楊貴妃に飯を禁かせて豊後節

豊後と素読隣同士べらぼうめ

琴よりも豊後の弟子は才はじけ

野掛道親仁の豊後初に聞き

番頭の豊後へんぴで初に聞起

大学がつい空古地にたきこまれ

中川乙由、加賀千代を訪う

 

三日月日記(支考)・正風集(不角)・続江戸竹千代(青峨)・父の恩(二代目三升)・続まさご(白應)・俳諧桜かり(蝶々子苔翁)・俳諧無想集(淡々)・俳諧浜の真砂(雲鼓、竹丈、白應)、俳諧太郎河(午寂)、俳諧水かがみ(紹蓮)

 

 

一七三一年      

享保十六年辛亥 十四歳

 

三陀羅法師生

大塚蒼梧生

渡辺林網生

松本應隋生

吉川五明生

三浦一徳生

島 津富生

 

正月九日 狩野栄川古信没年三十六

正月十六日 (或云十四日)釈歌鳥春朴没年四十六

正月二十九日 向井三省滄洲没年六十六

二月七日 各務支考没年六十七、初僧となり鎮蔵主と云う、獅子庵・瑟々庵・野盤子・東花坊・西花坊・蓮二坊・見瀧・花麦・桃花仙・白狂・渡辺狂・佐渡入道・十一庵等の諸号あり、美濃芝原北方村の人、初め伊勢山田に住し後相郷に還る、世に美濃は又は獅子門統の祖と称す

二月十一日 何處没

五月九日 夏繁高没年六十二

五月二十一日 安見晩山没

五月二十四日 西澤一風没年六十七、通称正本屋九右衛門、大坂心斎橋南四丁目に住す、書林版元戯作を好み豊竹座の戯曲作家となる、 辞世

 散りゆくや風に常盤の木の葉雨

六月十一日 中尾源右衛門槐市没

七月十二日 茶人野田忠酔翁没

七月二十日宇野文雅群雀寮没年五十一

七月 六代目杵屋六左衛門没

屋ともいふべき所を杵屋也

不器用な弟子を杵屋は餅につき

調子ッぱづれ杵屋さえ餅につき

杵屋とみぞやしょうばいに似合わぬ名

似たやうで杵屋と臼屋大違ひ

 

九月十一日 青木祖順没

九月十七日 狩野永眞憲信没年四十

十月二日 平岡暢好没年四十、通称與左衛門、文蛤子と号す

十月二十七日 田中丈竹雨齋月堂没年六十七

十二月十九日 吉田希賢没

鳳梧没年百十六

 

昨冬より麻疹流行す

二月二十八日幕府より倹約の令を出さる

四月十五日白○より出火芝及び鉄砲洲迄焼る

 

元祖瀬川路考中村座にて無間の鐘傾城道成寺を勤む大当たり

道成寺狂言の所作事及び安珍清姫の奇跡に関する柳句を爰に収録す

束ね熨斗釣鐘堂へのたをうち

つりがねを櫛巻にするおそろしさ

下着をば鱗と知らぬ美しさ

蛇になる脇ひらを見ぬ娘の気

かねはたちまちゆになってくさい也

山伏の寝こかしにした法もあり

わるがたい山伏めだと庄司いひ

兜巾など撫で々娘口説いてい

役者の法事石橋や道成寺

先の方おかばりて見る道成寺

門前に山伏無用道成寺

道成寺鱗が肌のぬき仕舞

道成寺うろこの肌は脱ぎおさめ

道成寺ゆくわん場へやる気がつかず

道成寺うっかりひょんな目に合せ

道成寺花見にへちをまくらせる

道成寺五はいのんだとせなあいい

あんちんははした銭などおっことし

あんちんは因果なとこへかくされる

安珍は死ぬまてとんとかくれた気

安珍は手前でいのる気がつかず

あんちんをぜげんはきついやぼと云

さめ肌がきさで安珍すっこぬけ

清姫がげち々を見てりりこはア

清姫は推量の能いをんななり

清姫が帯しれつたくずりこける

清姫は尻尾のやうに帯が解け

きよひめは添ひおふせると釜はらい

聞たびに清姫帯をゆり直し

石に成った蛇に成ったはきよと佐用

自然生のやうに清姫尻ッ尾が出

川ばたへ来た時髪はもうほどけ

渡し守髪のとけるを見て逃る

首だけはとっくに越えし日高川

蛇籠にも角ぐむ蘆の日高川

桑岡貞佐、活井舊室に野分の句を示し其の意を問う

俳家奇人談の桑岡貞佐の條下に曰、或時

野分の句とて「何事もなき野分跡」とい

う十二字を得たり、然れども上の五文字

を置なやみけり折、節聒々坊来たりしに談じけるに、坊いわく野分の意此十二文

字にて見たり、字数合さんとせば二儀に

渡て悪かりなんと、是に依りて十二文字

にて野分の一句を定たりかや

仙台蘆元坊九州を行脚す

 

犬新山家(湖十)・梨園(貞佐)・五色墨(素丸等)・長ふくへ前句冠句大成(不及子)・吏登撰集

 

 

 

一七三二年      

享保十七年壬子 十五歳

 靈元上皇八月崩

 

五升庵蝶夢生

加藤暁䑓生

上田秋成生

中井履軒生

十時梅告カ

十二月二十五日 本間四郎三郎光丘生、出羽酒田の富豪なり

 

正月十二日 矢野拙齋没年七十一

六月 朔日林信篤春常没年八十九

六月十三日 杉山杉風没年八十六、名は元雅通称市兵衛、採茶庵・茶舎・五雲亭・蓑翁・一元・鶴歩等の諸号あり、辞世

 痩顔に団扇をかさし作る息

六月二十六日 浅井吟竹沾○軒没

七月十九日 江左尚白芳齋没年七十三

七月二十三日 平野金華没年四十五

七月二十五日 安藤冠里侯卒年六十二、名信友対馬守、従四位侍従、奥州磐城平の藩主、信博の男なり

八月二十三日 田中源内東泉没年六十八

九月十二日(或云十月) 桑丘貞佐没年六十三或云六十五)、幼名平三郎字は永房桑々畔監車了我後平砂と号す、辞世

 中椀の白粥盈てり十三夜

一説に享保十九年没とするは誤ならん

十一月二日 垣内東白半全庵没年五十三

冬蹴鞠名人栗本光壽 没年八十

 

川柳に蹴鞠に関する例句頗る多し、次に数句を抄録す

仕廻ふ時ふたへ入れるはけまり也

りやうしゅんを用ひずまりが上手也

しょうじんが三ぜん出ますと鞠の客

名人のまり扨足に入ったもの

すいかんでころんだ上へ鞠は落ち

米つきのなげ込んでやるそれた鞠

晴天に井戸が笠着る下手な鞠

へいごしにおがむおがむと下手の鞠

尻ひつからげ立むかふ下手のまり

高足も不礼に成らぬ鞠の式

腰元は鞠ぐつはいてあるけいず

そろそろとむす子碁にあき鞠にあき

下手のまり扨にぎやかな義と覗き

下手のまりけられるだけはうぬがける

下手の鞠皮たびなどはのきと見へ

またぐらのひっつさけそうな下手のまり

鞠がくつれて猪牙舟とかはります

損の仕ついで鞠場から女郎買

おやアおやアとないはで鞠が大不出来

仕送りか付て鞠場臼を置き

まり場からつれへ一草くらわせる

渡したけれどわたされぬ下手な鞠

まり場から立派な形でひだるがり

じんじんばしよりなどしてる下手の鞠

壱足を二人で履くはけちな鞠

十五斗カ鞠場で音をさせて出る

けちな鞠片ッぽうづつ沓をはき

金つまり息子其日の鞠が出来

高足をかけとると下手はぶちがへり

法眼をまたせて四ッ五つける

足がそれたを手で返す塀隣

下手を嫌て塀を越し鞠はにげ

一方は紺屋でふせぐ鞠かがり

隣から紐でもつけて蹴ろといふ

腹のへる藝にむすこはあきがくる

まりもつきあきるとやねへなげてみる

まりをつくむすめはひざてあるく也

またくらの用心をもまりをつき

手まりうた日なしのやうなもんく也

子にやる鞠をついて見る若い母

しらみ取るそばて裸で鞠をつき

閏五月京の鍛冶某を召して吹上にて刀を打つを見る

刀鍛冶手附を取ルと注連をない

片うでになったと誉る刀鍛冶

火花をちらしたたき合う刀鍛冶

十二月呉服師染工を召して古法に因り染物をなさしむ

約束をたがへぬ紺屋哀れなり

からかさで行って紺屋に云ひ負ける

はやくよと斗は紺屋屁ともせず

無駄足を一日置きに紺屋させ

よい小紋着て紺屋まで引ずられ

さかさまな小紋紺屋の内儀也

張るばかりだとは紺屋の六段目

紺屋から持たせてよこす気の長さ

いつなりと染てよこせはすねたやつ

傘をさしてこん屋のまへをすぐ通り

羽二重を着るは紺屋のぶてうほう

合羽屋と紺屋と寄って境論

ころろい年を下ケ明後日迄と云イ

真ッ黒な手でつむじかぜ追ッかける

なべやぼり黒い手の出るいい日和

つぶれだと紺屋の衛るせうが市

啌をつく聟をと紺屋吟味する

色事に紺屋の娘うそをつき

染色は五色にもれた江戸自慢

染物やこの一品は江戸へやれ

紫屋是も同じくうそッつき

江戸店へたった一色染に来る

むらさき屋人目が有るで念を入れ

むらさき屋京のとぼしい金をとり

うちゃって看板にする紫屋

むらさきやゆるゆる染る女物

むらさきやとなりのべにやこして行き

むらさきを品玉ほどにしぶんそめ

一ト夜に染めた紫は賞をうばふ

紫もごぜに着せると只の色

とび色はしよ品を作るもめんもの

せんやぞめばばさま袖をつツて置

そら色は禿の目にも青く見え

うす柿やそら色で来て初回ぎり

月の出を空色の手で拝む也

六夜待百染程な手を合せ

車座へ紺の手の出る六夜待

此年代類焼に逢い新築する家屋は皆瓦葺となさしめ恩貸の事あり

江戸砂子初輯成る

掃溜の芥を沾凍かきあつめ

 

江戸紫(蝶々子)・百番句合(祇空)・柾のかつら(千翁)・俳諧武蔵野の月(苔翁)・俳諧或問珍(吏登)・文星観(盧元坊)・倉の衆

 

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一七三三年      

享保十八年癸丑 十六歳

 

関其寧生

圓山応挙生

市塲通笑生

伴閑田子生 近世奇人伝の著者

 

正月五日 生嶋新五郎菱賀三宅嶋の砲所に於いて没す、年六十三(或云六十四)、新五郎は大坂の生まれの役者にして元禄二年江戸山村座に出勤す、立役の上手にて初山村座の若衆たりしも中村七三郎の門に入り次第に技量上達し正徳年間遂に名人の域に達せり、正徳四年二月奥女中絵嶋の局と密通の事現れ三宅島へ流されたるなり(寛保三年の條下参照)

 

けんとくが苗字へあたる新五郎

ぬれごとをまことにしたで嶋へ行き

島へ島へ忍んだ果てが島の沙汰

満仲の役が仕納め新五郎

まんじゅうに成るは作者も知らぬ智恵

ただのまんじゅうでなきゆえ事が出来

ぬれ事で大評判は新五郎

箱入の男といふは新五郎

やつさずに濡れ事をする新五郎

江の島へかくれて参る新五郎

気がひけて出来かねますと新五郎

新五郎初手は女護の島へゆき

新五郎手足を打て乗つて行

新五郎うはつく筈さきでござり

饅頭に目鼻がついてやかましい

肉まんじゅうをくったのが落度也

千両のほこりを島へ置て行き

本生さ一箱捨てて島へ行

生島のあるひやうばんき茶人持ち

女護の島の幕で生嶋はたき

いく嶋が行ッたはきつい近所也

満仲と色をしたのが落度也

人化してまんじゅうと成る面白さ

まんじゅうの皮をかぶったいい男

箱入の男が来たと島でいひ

嶋中の女が新さん新さん

山村座適役の方は落付

御尋があるかと勘三竹之丞

生嶋の蒸籠に入りて大奥へ忍込の事は新五郎の弟生嶋大吉の長持に入りたることと混同して世に伝えられ、古川柳も亦此俗説を詠ぜるもの多きに似たり。今参考として前掲外の柳句を次に収録すべし。伊原青々園の日本演劇史第二編に掲げられたる大要に曰く、生島新五郎の弟生島大吉(女方)尾州侯の未亡人天龍院と通じて長持に入れられて閨房へ出入りし事顕われ寛永三年二月獄へ投ぜらる、然れども事幕府の親藩に係わるを以って過料五貫文に処せられ出獄の後発狂し同年四月三十六にて死し抱主中村勘三郎は遺責にて事濟となれり、此後八年には兄新五郎と江島との事あり兄弟同じ禍に罹りしも一奇なり、大吉の奥向へ出入せしは本町伊豆蔵と云う呉服屋の長持ちに入りてなりと

せいろうで深入りをするふとどきさ

島がくれ行せいろうは片荷づつ

蒸籠へあんに相違な物を入レ

蒸籠へうその革文箱を添へ

蒸籠の蓋をあけると狆が石へ

饅頭の化物蒸籠から出る

せいろうで島がくれゆくむまい事

せいろうが度々におよんでそこがぬけ

よく蒸籠の来る事とたもんいい

とんだまんぢゅうあんの條尻がわれ

で蒸籠を取りよせる

一蒸籠壱人で喰てふ首尾也

色男四角な智恵で奥へよび

名残惜しげに蒸籠へふたをする

狆をしばって蒸籠のふたを取り

是はといふをせいろうで聞いて居る

その時のせいろう島屋壱岐の椽

せいろうの中でおやすがふてエやつ

旦那はせいろうお次ぎへははりかた

せいろうも扨その後はかるくなり

あんまりうま過た工夫は蒸籠

蒸籠の底がぬけたらひょんなもの

蒸籠のあくる日新作のけつたるさ

八丈を着てせいろうへのってゆき

 

三月二日 重田梧山没年三十八

三月二日 千宗乾竺叟没年二十五

三月二十六日 青木鷺水没年七十六、京都の人、詞才に富み西鶴のながれを斟んでおおくの草紙類を著せり

四月二十三日 稲津祇空没年七十一、箱根湯本の早雲寺宗祇法師の墓側に葬る、辞世

此世をばぬらりくらりと死ぬるなり

  地獄つぶしの極楽の助

      (享保二十年の條下参照)

八月六日 彫金工横谷宗a没年八十三、名友常號遯庵、通称長次郎

八月八日 野々山晩山没年五十八

九月八日 天野信景没年七十三

九月十四日 内藤露沾没年七十九、諱は義英、下野守義泰公(風虎)の嫡、遊園堂傍池亭の号あり

十一月二日 藤江熊陽没年六十六

 

天下大に飢え死者十七万人に及ぶ、去年来米価騰貴小民乿を為す賑恤のことあり、秋夏の交疫癘天下に流行

武家の継上下(肩衣と言う)此ころより始まると云う、喜多村信節の喜遊笑覧に、つぎ上下などハ享保迄は花の略服にて暖気の時など着用し冬ハ決して用ひざりし元文の末御役人平日ハ染上下に不及つき上下小紋縞類取交用候様とあり押並てつぎ上下着用になりし天明の今は歴々も極寒に用らるとあり

のしめあさ上下であまえひさま通り

松の内麻上下の袖だたみ

長閑さは麻上下で貝杓子

貝杓子だぞと麻上下でいひ

こぶ巻のでんじゅ麻上下でうけ

年わすれ麻上下で礼を云ひ

暮のざま麻上下ではなすなり

どいつだと麻上下でおつて出る

今朝かけた土手を麻上下で行き

上下の音ばかり聞く年始帳

上下の音ばかりきくわたぼうし

上下で帰る大工はとりまかれ

上下を着て文盲な酒をのみ

上下は我侭に着るものでなし

上下をつまんですわる暑気の見舞

上下で上るか余程ひどく酔い

上下で三日帰らぬはんじもの

上下で乞食に聞いておっかける

上下へつくは駕かきたけたやつ

上下で追イ羽ねあい玄関番

上下をでっちのたたむむごい事

上下のせなかをさする禮の供

上下のままでうけ取る子ぼんのう

上下を身をもつ人はこしへまき

上下で朝ッぱらからきこしめし

上下で吸へば淋しい火縄なり

上下をぬぐと無常は恋になり

上下で供の手を引くとんだ事

上下を出すとしちやは御番かの

上下で久米平内へ朝ほどき

上下でやたらにかがむひとい借り

上下はかそう二百で来てくりやれ

上下で穴を覗くは身内なり

上下と褌並ぶいいてんき

上下で大きな金を切りに来る

上下のひざをつつくがわるいやつ

上下ではだかへ今の木村入り

上下でどやどやはいるろじふさげ

上下と衣のはなすふはんじょう

上下で大屋とッくりさけて来る

上下でかみゆひしかつつげられる

上下であぐらをかくは大屋也

上下で持ハあわれな蛍かご

上下で行くよし原は小言なり

上下を引ずり戻す中のよさ

上下のひざへおどり子こしをかけ

上下がたつとかけとりしゃべり出し

上下で抱て見る子は二三間

上下で鍋をのぞきにまわる也

上下で菜をもみに行く有がたさ

上下ではだかの中へわけていり

上下を着ると内でもかしこまり

上下で手なべをさげるとしおとこ

上下の鳴る方へさす耻しさ

上下は膳へ着せるがおんづまり

こうか迄上下で行くとしおとこ

上下で払ふは余程ひどいかり

不届きな男上下はじめたり

せきぞうの笠上下でかぶったの

間の抜けた事に上下で小松原

丸わたをとると上下横へむき

御きゃくさまだはとけちな上下で云ひ

百取るに上下を着て云ひ廻り

ふにやいの上下申入と来る

百里の上行き上下を着すなり

ものどもつづけと上下ひらりのり

御くろうな事上下ではなの山

数の子くふなと上下着せて出し

じぎをしすぎて上下二八なり

人ひゃくは上下を着た料理なり

なんのくも無く上下で武士あるき

八百の上下を着るありがたさ

大紋は笑顔上下泣ッつら

上下で是だと両目なでて見せ

上下を着るとねぢれて鼻をかみ

上下の御かげ子供にはやされず

上下でこわめしを喰ふ遠ひ寺

ふしぎふしぎと上下でうでまくり

上下ともも引帳をくつて居ル

け取ているに上下で出るやつさ

くれのざま麻上下ではなすなり

かた衣でみなさつたのと新枕

かた衣をかけて候文がのりをうり

かた衣で女房を化かすもんと宗

かたぎぬをかけ百ぜんをくいに行き

いそがしいつとめかた衣竿hwかけ

ふり袖でぶつを肩衣あひしらい

鍵屋両国川にて初て花火を揚ぐ、「忘れ残り」に曰く、両国吉川町に玉屋横山町に鍵屋とて大花火をつくる家二軒ありしが(中略)、むかしより花火をほむるには玉屋といひし、今かぎやの花火をほむるにも矢張たまやとよぶ

また玉屋だとぬかすはと鍵屋いひ

不出来なはみんな鍵屋へおっかぶせ

硝を玉屋は面白くつかひ

二ケ国の潤ひになるいい花火

連環を行ハせるは玉屋なり

れんくわんの中を花火の通ひ船

両国の分野流星おちるなり

花火よと呼ぶと御用ハどつか逃

提灯でのの字を書くと人が散り

昼時分起きて花火の話しなり

流星の内に座頭はめしにする

花火をもちひ日がくれろくれろ

一文の花火は人をおっかける

玉の出る花火を母の留守に買

からくりを売て淋しひ花火売

大笑ひねづミ花火を狆がほえ

火のきえた鼠をおげて笑ハれる

四五文花火暮るを待かねる

たてつめてせんから花火を昼とぼし

花火うりよし野川一チ追イめぐり

こわい物立ぎえのした鼠なり

駝鳥の屁ともいひさうな安花火

小べんのあとで屁をひる安花火

いよ玉やなぞとへツぴりわるふざけ

いよ玉やなどと行燈ぺえらぺら

此年近松門左衛門の傑作たる曽根崎心中をお初天神記名題を改め増補加作して豊竹座に出したり、

曽根崎心中は元禄十六年四月六日の出来事にして、事ありしより直ちに浄瑠璃本に作り竹本座にて行いしも日本王代記の奥行中に切浄るりとして五月七日に出したるが、当時見事なる心中と評判高きうちゆえ、特に人気に披し古今の大あたりなりしという、近松生前に其の作にして二度竹本座の勾欄に上りしもの丹波興作と国性爺合戦と此曽根崎心中の三種のみなりき、是実に世上世話浄るり心中物の始めにして、且つ其の文章の絶妙なると荻生徂徠をして驚歎せしめたりしことは蜀山人の「俗耳鼓吹」にも記されたるところなり

些とばかり曽根崎と出る微り疵

「付記」国性爺

上るりの通俗ものはこくせんや

ひさしぶりひつじを喰ふとていし龍

古渡りのおやじをもった和藤内

和藤内一家の義理はかきどうし

和藤内親には二貫生れまし

和藤内毛はへ薬をあごへぬり

和藤内どッちつかずの供をつれ

一世湖十浅草寺竹の門に住し老鼠と改名す、男永機二世湖十となる

 

俳諧江戸名物鹿子(露月)・俳諧六物集(紀逸)・片歌二夜問答(凉袋)・雨のをち葉(前句)

 

 

一七三四年      

享保十九年甲寅 十七歳

 

皆川淇園生

大屋裏住生

三世桃隣生

谷 素外生

釈弧桐生

玉雲齋貞石生

櫻田治助(元祖)左交生 狂言作者中興名誉の一人と成る、櫻田は並木につづく作者なり

 

正月二十四日 元祖澤村長十郎宗慶没年五十五

二月五日 二代目河東(庄右衛門)没

二月二十五日 石井暮四没年六十九

二月二十六日(或云七日) 山本経定没年四十八

三月十八日 初代杵屋六三郎没、長唄三絃の名人

四月二十二日 來木黙々齋没、二代目岡清兵衛井と云う

四月二十四日 紀伊国屋文左衛門没年六十六、深川霊巌寺塔中浄等院に葬る、五十嵐氏世紀文大盡と称す、普子其角に学び千山又敬雨の号あり、晩年落魄して深川に住し剃髪して茲に没す、法名を歸性融相信士と云う

 きの国やみかんのやうに金をまき

 みかん同前よし原で金をまき

 大きな門をざいもくでしめるなり

 大さわぎ五町に客がひとりなり

 文左衛門手まへ一ト人がおもしろい

吉原一えんにりやうしたは紀文

紀の国やいらいけいせい売れのこり

千両のうらは今だにつけてなし

両方の手で大門を紀文しめ

ひとりの客にあいかたが千も出る

文左衛門けいせいにちともたれぎみ

せき札を一晩建る文左衛門

千両でひぢ坪四つ聲をあげ

おらがよし原はからだと文左衛門

大門を池民のいッち下でうち

材木はもうかるものと遣手云ひ

紀の国やうらと大門叩く也

材木のかげて千住もみんなうれ

あたひ千金相客はならぬ也

初の字が五百かつをが五百なり

名の高い材木や紀文とおくま

大名が三人そして材木屋

下駄笠につづき材木きつい事

吉原も一座買〆したところ

鳥籠へ蜜柑を入れて口をしめ

我まくなあそびよふした文左衛門

めくらは染る材木屋門をうち

価千金で客留の札をはり

千両は買ばなしでもすさまじい

障子をねかすを紀文ハあざ笑ひ

門番はたまけ蜜柑籠は笑ひ

門戸をとざして客がたった一ト人

はした金めらを追出し門を打

す一方をなげるハ紀文以後の事

よしハら始りて一チのかいてなり

大門はまんじゅう杯て出ぬところ

よし原に買はぬ女郎はなひをとこ

これからははした金だと門を明ケ

五月十六日(或云六日) 志水延清没年六十九、怒匠子、出家して日柳と号す、京都の人、辞世

いつとても息引とるが身の歳暮

六月十九日 二代目森田勘弥没年五十八

八月八日 寺井西角没年七十

八月十二日 室鳩巣没年七十八

八月十五日 河合天幽玄真没年七十二

九月十五日 林春益没年六十四、実は高麗春澤法眼の二男なり

十二月二十五日 田中蘭陵没年三十六、徂徠門人少年四傑の一人なり

 

豊竹肥前椽大坂より下り義太夫大いに行わる、宝暦安永の頃は江戸中一般に流行し小者丁稚までも之をかたりけるぞ

義太夫の序ハ引導にことならず

義太夫がいいで引導面白い

引導のやうに義太夫序開きし

義太三昧ハ乗地の所でうなるなり

義太夫の道行一度づつおどり

義太夫は虫歯の手にてうなり出し

只太夫声のひやげる迄語り

道行きをぬいて義太夫本をよみ

うたたねのつらへ義太夫かぶってる

義太夫の本ふん付けたやうに書き

短くはしよる辻義太夫の鴨のあし

七夕に小女の美粧して団を為し太鼓を打ち踊ること流行す、之を小町踊りと云う、「続江戸砂子」に曰く、小町踊十二三の小女帯腰帯ようの物を襟にかけ襷として団扇太鼓とて団扇のごとくなる太鼓にて拍子をとりて諷うおどるにはあらず、ただむらがりてあゆみ行く也、男子は此事をなさず云々、尚其の頃の風俗柳亭種彦の還魂紙料に出づ、又式亭三馬の諢話浮世風呂にも見えたり

盆踊り是非なく乳母も地を唄ひ

盆踊り子を背負ったのが頭分

盆踊りもふちつとのが音頭とり

盆踊りは首二つのが音頭とり

休む内太鼓であふく盆踊り

あくたいの見習ひに出る盆踊り

月へ投げ草へ捨てたる踊りの手

生酔にぼんぼんつらを乱すなり

面白くない金貸の盆踊り

盆踊り心にはない毒をいひ

盆おとり割てやらうと男の子

七月二十五日世上へ毒の降るという妖言行われ一時井戸に蓋をなせしと云う

本年十月九日三浦屋の十一代目高尾太夫となり、わづか六年を過て寛保元年六月四日出廓せりと、この後高尾出でず、又三浦屋は宝暦六年家絶えたりと云う(寛保元年の條下参照)

三浦屋の有る細見に人だかり

三浦屋の有る細見をおやぢもち

船や車に沈む程三浦屋もおけ

いい年を取ッた男は三浦也

高尾二代に小八十若動き

水の中雪の中にて高尾死ニ

パッとした金三浦屋へ二度はひり

前船と後車の見受で高尾絶え

鳥籠の鷹は二羽ぎり後が絶え

三浦より姿海老屋ははねる也

傾城は三人あとは女郎なり

御納戸金が吉原へ三度おち

 

金基録・俳諧へらず口(不及子)・櫻鏡・糸柳鞭石追善句集(練石)・今空草(來山遺稿)・江戸今八百韻・高鼾(麥阿)・たつのうら(青櫨)

 

 

一七三五年      

享保二十年乙卯 十八歳 三月閏

        櫻町天皇十一月即位

 

八月十七日 西山拙齋生

市川寛齋生

鳥居清満生

歌川豊春生

 

二月二日 袖崎伊勢野没年三十九

二月 神澤杜口(其蜩庵)没年八十六、翁草の著に依ってその名高し

三月十七日 吉永升庵没年八十、長崎の人蘭医の祖

三月十九日 山田大佐麟嶼没年二十四

五月七日 佐々木文山没年七十七、春山桜花を画ける屏風の賛辞に其角と「此処小便無用花の山」と書きたる事世に伝えて風俗の話柄とす

小便を綺麗にふいた花の山

鳥居でも書くかと思や花の山

五文字足す迄はふ興な花の山

雨乞の外小便も名が高し

小便は五文字雨には十七字

小便に花を咲かせた俳諧師

五字足して名句になった小便所

通俗の小便無用鳥居なり

五月三十日 鷹見三郎兵衛爽鳩没

六月二日 浅井奉政没年三十八

七月九日 松崎蘭谷没年六十二

八月十五日 榎並貞柳没年八十一、通称喜八、又忠兵衛・油烟齋・鳩杖子・助栄亭・長生亭・珍菓亭・青雲洞等の諸号あり、初め良因と号す、貞因の男、貞峨の兄、大坂の人なり、狂歌を能くし二世豊蔵坊信海と号す、狂歌中興の祖と称せらる、辞世

百居ても 同じ浮世に同じ花

     月はまん丸雪は白妙

九月二十三日 香川宣阿弥没年九十

十月十三日 荒川温恭没年五十二

十月二十四日 坪井鶴翁没年七十九

十二月二十三日 細井廣澤没年七十八

二月四日 浅野家義士三十三回忌、浅野家の旧臣石碑を建て銘文南條小兵衛撰なり(寛延元年の條下参照)

浅うらぬうらみひたいへきずをつけ

塩あまく見て上野ハなめすぎる

えぶしかり衣をぬぎ捨て外科にみせ

あさのみの一トつぶえりが四十七

石にせいあってかたまる四十七

塩辛くしたが怨恨の元と成り

あこうへの早あいにくとふり通し

四十七中にひとりは百だんな

内蔵之介くしゃみをしてもいしゃにみせ

内くらへみつじに四十五人来る

くらの介三年ふぐをくわぬなり

おやこして四十五人の下知をなし

小便を四十七人せずに居る

かかる所へ小林は義士のじゃま

忠臣の家老いたって身が重し

忠臣は初手くすの木でのちはいし

即菩提仮名書にして名を残し

そばや口書五十ぜん御あつらへ

五十人ほどと平八ばかり見る

まれ人も御らんすらんはみけん疵

えぼしでは手がらにならぬ向ふ疵

おやにて候ものうたれ拙者うすて

吉良びやかなるお寝巻が炭だらけ

切口へ塩がしみたはえぼし疵

若殿もうきにはもれぬかすり疵

内蔵介くじらを売りに行ケといふ

塀のやねふわととんだは数右衛門

一字づつ化けて屋敷の様子を見

そば売は門をこわしを見てにげる

すすはき竹や竹と只七は売り

衛門七は半弓をいるやくめなり

両どなり初手はすすはきだとおもひ

在城をしぶしぶとしてだいさんす

元禄のころはつづいてかたき討

切ぷくとにげ廻る死は雪とすみ

十三日目出たくいしゆをかえす也

古疵の再発師壱十四日

明店の札所々に張る十四日

一字づつ假名のはたらく十四日

恐ろしい夜分のていは十四日

十五日の御ざんねんを十四日

首一つ五萬石飾のかたにとり

そほのかたまり評定の度にへり

高い家大ばんじゃくでぶっつぶし

よくよくが十四日まで腹をたて

山科にいて関東の脈をとり

かる石も一つまぢって義をたてる

一家中手の外はほぐになり

城をとは家老のまくらことばなり

四十六膳こはごはにへいお蕎麦

すす竹を売に来たのはたけ林

そば切が二十うどんが二十七

あさの中の蓬は四十七本なり

ぞろぞろとそば屋へ這入る四十七

杉部屋にかくれると手におへぬ也

杉のうへからもすんでに来るところ

伸び々にされず蕎麦屋で勢揃

本所へいんきょをせぬとむずかしい

十四日鷹も出たうわさなり

かくらたるより顕はるる炭だらけ

腹わたを見せて一味の数に入り

其の夜には氷も降った吉良の家

半平と名をかへさかなうって来る

大手が二十四からめ手が二十三

三年目そしられた名を塩みがき

仮名書の手本に残るいい家来

をしからぬ命春迄ながらへる

戻りには両国橋もふみならし

小さ刀でも大きな事が出来

夜うちの時はいつかどのちからなり

黄金もござるはずだと大野いひ

両隣逃げ込んだならおん出す気

敵討親と主とは雪と炭

両国を越スまい夜具があったかい

ひとりもの一なぐりだと笹を買日

ぼだい所へうらだと首が二度に来る

炭部屋にきん玉ちぢみあがってる

塩のかたまりて本望とけるなり

楠に似て高輪の石になり

昼間来て五十膳程銭を置き

五十膳ほど昼来て金ををき

人のしらぬは大石は巻子ッ子

近所の口書煤拂と存じ候

桜から出ると露も出るところ

家老をはじめしぶしぶと国をのき

宗右衛門せっぷくすべきめうじなり

炭俵むく々したを見付ケ出し

御一家の顔迄炭でよごす也

むくむくと炭がうごいて百年め

龜津町の湯で炭部屋の噂

蕎麦屋の口御火消と存候

車がかりにかけ出すを家老留メ

わるくいふ沙汰を大石嬉しがり

春永カに越シなと義士の相長屋

炭だらけになって笛をふきたてる

這入はじめの這入納め炭部屋

立ツ塩がなさに城を枕といふ

不定日かまわず内蔵ハおもて立チ

浅疵を眉間へうける大さわぎ

蜂の咄シの中ちうしん々

下りかけ大師へ内蔵はちょっと寄り

発句ほど仮名を預ける和歌の家

なま首をはじめて見たと和尚いひ

義を忘れたで直介に殺される

芝中の穴塀どもをかりあつめ

和歌の家とてお預けも十七字

掃除しておいた座敷へお預り

端手本又して大名へ御預け

さっぱりと掃除をさせて首をとり

拙僧までも本望と首を見る

萬昌院は引導に首がなし

惜ひ事石碑大きな石でなし

廻り々の小仏は四十七

吉良の寺あれかと指をさした切り

首と胴萬昌院へ二度にくる

石塔の中でひとつはもめんもの

方丈は四十七声くこつといふ

せんがく寺他宗もみんな引うける

いかさまにくていな首と住寺いひ

首の無い仏吊ふ萬昌院

墓衛りしきみを九十四本買ひ

見物にむだ口の無いせんがく寺

今時は無いと出て来るせんがく寺

せんがく寺は客を墓所へつれて行

石塔を客へ振廻ふせんがく寺

知れて居るものをかぞへる泉岳寺

あいそうに墓所へ伴なふ泉岳寺

せんがく寺へはこうかなとふやできき

引導をつっ込にする泉岳寺

手泉一荷で足らぬ泉岳寺

去年迄只の寺なり泉岳寺

百旦那斗りたすかる泉岳寺

泉岳寺中に一人は百旦那

泉岳寺飾日もないにやかましい

大石がおも荷おろしたせん岳寺

泉岳寺旦那一人をおんなくし

石塔の外はお家の喰いつぶし

泉岳寺水道普請のやうに堀り

芝中の穴堀どもをかり集め

御主君は一人無刀の御石碑

高みでの見物茶人おちどなり

此寺と芝で公郷衆へ申上げ

抜きどこが悪いさかいと公卿衆いひ

洗たくをした魂が四十七

縁の無い寺へも逃げる一家中

御本家へ大な石のかけを取

翌日は夜討と知らで煤を取り

ねとぼけて煤掃竹でわたり合

ねぼけたで四百七人程に見え

十四日昨日は胴で今日は首

酒屋でもけんどん屋でもぎょっとする

山川に躓くやつが最後なり

山川を炭部できくつらい事

與五郎はかんざけ売りと思いつき

打の縁切の縁にて義士はそば

本望さすへ字を東へ飛脚也

盈の上で拾ったは五百石

四万九千五百石は御益キなり

戒名も無腰では居ぬ四十七

くらの字は三人ンと無イ国家老

一に富士二に鷹の羽の夜討なり

ぶりがれん知らぬに家中気がつかず

まいないをきうせん筋でつかむ也

首一つ五万石余のかたにとり

三月本所へ人参座立つる

人参に親の秤の慾がはね

人参を銭で買ふのはいぢらしい

人参を銭でかってくむごい事

人参に身を売り金に指を売り

つき出しの親人参をたんと飲み

みくじ本人参きざむ側で読み

みんな人参にとけちなかたみ也

鳳凰のたまご人参代で売り

七月十二日 大川にて水馬上覧あり

八月 諸侯の遊戯を戒めらる

本年江戸中瓦屋根を許さる

定紋の今戸へ知れるいい暮し

今戸では人間鬼をかまへ入れ

西行や鬼を今戸で焼て喰ひ

門松のなぐれ今戸で鬼を焼き

 

家根葺きは四五寸先も一つ打ち

金槌をかぎかぎ家根屋つまみ喰ひ

咳の出る度に家根屋は損をする

家根ふきは舌でかぞへる釘の数

雨の日は口淋しいと家根屋いひ

井戸掘は上り家根屋では下で喰ひ

口中医者へ家根ふきの弟子か来る

けふ切の屋根や柳を解て行

 

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秋 深川八幡宮の境内に俳師稲津祗空を祗敬霊神とて神に祭り小詞を建つ、吉田家に由緒ありし故也という

青木文蔵官令を奉じて甘藷を栽培す、人呼んで甘藷先生と言う、甘藷は寛永中薩摩より来たり、此頃多く江戸に栽え元文に至り広く行わるという

茘(草冠に支)でも喰ふべき顔でさつまいも

堀江町風しづまつてさつまいも

堀江町団扇と見せてさつまいも

さつまいもへにもならぬと上戸いひ

さつまいもなどで御用はころぶなり

かま倉のたねのはびこるさつまいも

さつま薯はたへひょうたん植えた沙汰

享保年中吉宗時代に大名小名妾を本妻にいたす事無用たるべき旨仰出ざる

お妾のきんこうやたらはらむなり

お妾の一門あまたうかみ出で

お妾の友だち今にはした也

お妾へとかまり立ちも二三人

お妾の手柄木刀だらけなり

お妾は三をくんなのむすめ也

お妾のす顔御払箱と見え

お妾と中のええのは御もっとも

お妾をだがよ々と江戸家老

お妾の母は大きな願をかけ

お妾の悪い手本をだつき出し

お妾のむつごとくれろ々なり

お妾はほうじを祖としねだり事

お妾に出すをまま母恩にきせ

お妾のきんげんばかり御もちい

お妾のきよくるこし元只でなし

お妾のひるまは至極無口なり

お妾の聲二ケ国へひびいたの

お妾の書物めりやすばかりなり

お妾のよく見て帰るひらぎさし

お妾はうられはぐったむすめなり

お妾が何をつげたかしくじらせ

おめかけの古さとさむくねだるなり

お妾はこころがつるぎと部屋でいひ

お妾の聲うつばかりのちりがおち

お妾はおもしろかってしかられる

お妾ははらみこじれてえんにつき

お妾の親元薬とりも来ず

お妾のいふ程の事是となされ

お妾の剃ってはしめるむごらしさ

お妾のおのれをみるは作るうち

お妾のくし箱しゆしゅな絵具あり

お妾は鼻の名所へすてられる

お妾に出るまへ所々でほしがられ

お妾とたてをつくのは古風也

お妾とのろまやつぺし立てをつき

お妾は鬼もおそるるいせい也

お妾はばちばッかりで利生なし

お妾は小袖ち入ウのせつねだり

お妾の勤めで銀のちろり出来

お妾のいきほい股で風をきり

お妾はみせんをさっしこかす也

お妾はこっぷですういすいとのみ

お妾の母小ぎれいなばばあなり

お妾の床に新もの五六冊

お妾は書物のはしも見ぬ女

お妾は木立を持て勝利える

お妾はこくうむてんに匂ハせる

お妾は勝てかぶとをかざり立て

お妾は麦の中にも寝た女

お妾は二三四ッわかくいひ

お妾はひつらわつても此世きり

お妾のまたをば家中くぐるなり

おめかけは日々に霊験あらたなり

お妾は白ひいもじをきたながり

お妾に理を説ている大だわけ

お妾は何ぞといふと祈祷にし

お妾はひつふの勇でふぐも喰

お妾は打ものわさはかなふまひ

お妾の疵は鼻から煙をたし

お妾に指をさされるそのこわさ

お妾は不ち々ま内ういつをへた

お妾の胸さん用は大きすぎ

お妾ハこがしか来たてきえるよう

お妾の下女一口もくらハれす

お妾のりんきすたつたことをいひ

お妾のうんのわるさは狆を抱

お妾の笑くぼは国のへこみなり

お妾はもと民間に人となり

お妾は前を告げたがしくじらせ

お妾の疵には一字ほって有

お妾に出たて石迄名が高非

おめかけの歌書は枝折にばちを入れ

お妾をじろじろと見る二けん茶屋

お妾のひばんはけつく気がつまり

お妾はあれくれ武士の妹なり

お妾もまけず平親王をたて

お妾の手がらは鬼をよせつけず

おめかけの拍子もちを願ふなり

おめかけはたった四五寸仕事なり

お妾を取てのけての御けんやく

お妾のし事と来てはとんだ事

お妾はめうりのために腎虚させ

お妾のきどくは文字が墓参

おめかけの弟はやぼな人になり

お妾のふ首尾てすへの夜具へねる

お妾は笛をくわへて一をうち

お妾だけに及付て上ケるなり

お妾はきがみはしったのはきらい

お妾のさくでこハんだて下ひん

お妾は白髪奥様気がひがみ

お妾のどらは役義の外にさせ

お妾の顔を関守先に見る

お妾とたてつきからき沙汰にあひ

お妾の妹をもらひにくまらる

お妾の菖蒲刀は切れる也

お妾の素顔おはらひ箱と見え

お妾に物を言れぬおっかなさ

お妾は二世と三世の間のもの

たった一人のお気に入るむづかしさ

わたくしをにらめましたと妾泣き

御姫様母方に似てきつくげび

あやさびへまつかにすくで妾げひ

のりものに酔たをめかけひしかくし

永の日をえりから上で妾つぶし

銀のひるまき若とのをうむともち

殿に見しょとてべにかねを付る也

妾が百年の命を拾ですて

おくさまと唱へませいと馬鹿家老

おれにあたるといッつけるぞとめかけ

御てん中あやかりたがるやせッぽち

先たばこぼんてお妾庭へおり

卒中風妾の方へ指をさし

清水で御妾ケ殿をつき落し

えちごやのくらじゅう妾かき廻し

身に付いたくわほうと妾にくい口

!両にそへ舌タをするにくい事

お鼻毛をかぞへて居るが勤なり

殿さまをおなかに入れてねだるなり

院号を付て妾はひだるがり

さじの柄で妾をのける御大病

殿さまの外はのこらずむかふづら

鈴の音をととこをよせる美しさ

殿さんと只の家老はこはくなし

おめかけの銀言耳にさからはず

御めかけの弟宮内とあらためる

湯女のへあがり奥中でにくまれる

大奥で歓あれや鈴の音

御家老に!!させるにくい事

お寝局からえみをふくんで妾出る

鳴る所でいんせいの出る鈴の音

さんごの鞭を上ケ御里へ吉左右

妾の前でにがひ顔してがなし

こそこそとはなせば妾気にかける

二タ人ふちまきへてやりはじめ

ぞくくりと持ってお妾聞きたてる

御殿中心のうごく鈴ひとつ

鈴の音がいつそきざだと妾いひ

くんねえ御前と一家中名を付ケ

私をば馬鹿にしゃんすとちんを抱き

御きわほうとほめて妾の気にあたり

妾がへど奥中むねをわるくする

ぞくなものばかり妾はねだるなり

なまめいた院号のある下屋敷

御下屋敷にいんがうの美しさ

ぬりたって殿のひたひをもんで居る

いたぶりでおらうと妾逢ひに出る

下から出る御むしんを殿御しょうち

ちとかしこ過ぎてにくいは妾也

御取立て殿のさいくと見えぬ也

試ミの出来ぬ目見への美しさ

こがね作りのさしもので妾出る

御はらだちおめかけの外無言なり

一チ女出世して九ウぞくうかむ也

たいまいな金を妾はさして居る

妾の目見えおすき見はきつい事

浪人をこしらへるのが妾上手

妾がおや来てはしょうじをつッ通し

妾がはは内のしょうでんゆるさるる

御主人と思ふとめかけふ首尾也

てのよいどくがい妾やたらしひ

愛敬が有て御めかけ安く見え

二の膳のやうに妾の床をとり

おれにあたるといッつけるぞとめかけ

叱られて妾の顔をよく覚え

むこい事らりやうの袖へ鈴をつけ

おかしさはおうむも五人ぶちねたり

玉のこし大きな殿のかつぎもの

十分に殿をくるめて五人扶持

はらからのために大小ねだり出し

腹斗りかしてりゃ妾いい女

ついそこに有っても妾人をよび

美しひ上にも欲をたしなみて

産だ子よりは妾がダダを云ひ

御短慮の袖にしばしの美しさ

たがいふとなしに妾に出たが知れ

御病後は御意を背くも御奉公

馬鹿はとんだばかものと妾いひ

五人のあごを御めかけはねだるなり

めかけのはねだり下女のはゆすりかけ

ばかな事妾がしんて武士をやめ

能い妹もってちゃらくら武士になり

わざわいとさいわいの門てかけもち

見めよけりゃするほどの事御意に入り

若殿の抜殻奥ではばをする

龍門のふとんへ妾の龍祭り

鯉をうんだで兄様は瀧上り

殿の火とともに高ぶる妾のつら

玉のこし親に逢れぬ疵が出来

ふぐ汁のやうなものだと妾を見

はきだめへ鶴おめかけのおなかなり

泣きめかけかかへてはかり事にあひ

我意趣を殿にいはせてしらんかほ

早くお国へ帰しなと妾いひ

とふにこたへのまっくらな妾也

奥中のよろこびめかけしつをかき

なぶらねば妾はとふもねつかれず

なさるともいはず御手がつきました

大丈夫おめかけ腹にあくまなし

兄はもんもふ妹はぞんざいる

殿の水減る度兄は加増也

口紅粉が時々殿の耳に付き

殿にいわせて美しくしらんかほ

御手かけの指十指よりこわい也

とんだ事夜中にお取だてが出来

舎弟とうぬと長い刀をねだり

馬五六疋におめかけむかふなり

はらからに迄御妾は糸を引

こびついて居るがめかけのかしょくなり

駒下駄の本音をはくが妾なり

大名の借りる道具は腹ばかり

立女横に寝るのが御奉公

殿のうしろへ顔を出す憎ひ事

人質をもった妾の口がすぎ

妾腹といったと御部屋いきとおり

御寵外へはつうんつんとする

お妾をねめ々こぼすせんじがら

馬も乗せかねるおもい者の舎兄

二タ人ぶち妾こそぐり出だすなり

ばかかたい子だとめかけの母しかり

ぜひ二本ざしはいやかと妾きき

おしそうにものをくれるが妾也

仏といはれたはめかけ一ト人なり

武芸には達せぬ兄を召抱へ

へどの出るせんさく妾歌を詠

顔に手をつくす計が御奉公

今死ぬと花をふらせる妾のおや

すさをするのがお妾の持病なり

文せんを妾そばからひったくり

きせるにて届かぬと妾人をよび

すいさんをねらってあるく妾が兄

大小をころしてさすが妾が兄

お妾のぶきび度しょうぞくで着る

御気に入り古郷ト寒きをんななり

にくい事御離縁の使者妾が兄

おやに候ものへ御ふちをねだり

今時のめかけは金を見て笑ひ

一度恵めば母親へ扶持が来る

能い娘もってあらくれ武士になり

むな高にめかけのあにご二本ざし

たった一度に百笑ふうつくしさ

御めかけのひとりあにさまはきき也

妾か兄事おかしくも鞭をさし

妾か兄何十人も指をさし

猫のおかげで弟はなまりぶし

いやらしさめかけ此ころ茶をはじめ

おたねをもやとしましたと宿も云ひ

ほうそうのやうでしまっためかけなり

ふんまたかつて御めかけはくじらせる

妾が母御取られそつと畜生め

畜生正直めかけのおやをほえ

むこい事うきが友には猫ばかり

うんたお子よりは妾がたたをいひ

つべこべとあらゆる事を殿へつけ

隠居の妾身もちとは落度也

をら殿両と一家だと二本きめ

はらむざん妾切られた夢を見る

しめかへす手を殿様にいただかせ

出しけたに結ふのか妾上手なり

おめかけとからかっているたわけもの

殿様を女中に渡す鈴のおと

手の裏を妾度々返へさせる

殿様を外へはやらじ鈴のをと

あんとんのかたハらにすむうつくしさ

やしき中わつちか思ふやうにする

こわい事めかけ四相をさとる也

たこのむと夢見て出来た子が妾

きんてうで妾を口説御用人

けいせいにふくりんかけた御奉公

奥様に勝て兜をうみ落し

御不幸のあとをこしもとへいとんし

新しひ妾の方へかた荷づり

見苦しいもの口取に引っぱられ

鍾馗を産んで御妾けんをふり

火まハしにおめかけ日なしかしと云ひ

つミかみに成っためかけのよいしまひ

地女に一塩したかめかけなり

楠の木にをさ々まけぬ妾なり

耳を喰ふやうに妾は何かいひ

奥様をないがしろにしくさる也

おめかけのやど見いかかきなどてのみ

おくさまの十九めかけのひかとまり

とうにこたへのまくくらな妾也

一ッ家中ハ金をぬかれたやうに成

たまりもあへず馬上うら兄貴落

御物師をひよつとお針と妾いひ

殿斗安ひめかけと思しめし

美しいひんほう神に気がつかず

掛もののやうに妾をとりかへる

蟷螂が大斤だと妾ふつハり

殿様の禁酒妾の手がらなり

殿様を空堀にする美しさ

ある夜のむつごとに親へ五人ふち

親るいにろくなのは無い玉のこし

おれともに上ハ五人と妾いひ

のそき地になっても妾つくり立

妾がおや来てはせうじをつッ通し

御妾の細工茶庭へとうがらし

御情かいく夜つもつて里へふち

はま弓を妾はあごでかんしょうし

酔た時ふちをねだれと母おしへ

十五点などと宗匠ふりかへり

きらすでそだちお妾は肌がよし

お妾の手がら門外からも見え

人先へめかけのきせるひしけたり

此ふくさおかんて置きやれなとと見せ

いきほいまうにののしるは妾か兄

妾が兄尻馬にのる事は妙

ひいきの沙汰として兄貴召出され

妾の兄尻馬に扨上手なり

むな高にめかけのあにご二本さし

御前ンさま耳を出しと妾いひ

口へ指さして妾の噂なり

御釈迦様さへと妾は学者なり

先殿のふかくおふくろ様だらけ

百姓はやせる妾はふとるなり

一妾は得かたきものと殿の御意

一妾の権万卒の歯がたたず

めの字からへの字に成るとつけ上り

おてかけのけんそく御の々百石

二十四五妾にくまれ盛り也

江の島の留守に妾の高笑ひ

夜ル夜中カ妾なま米ねだる也

見ねへけりゃ妾大キな口でくひ

御家老もだしておやりとふといやつ

いやらしさ妾二タはしやしなわれ

いい妾隠居あぶなっかしくもち

これ以てか愛気のなひ妾が母

口々に妾をにくむ御大病

捨扶持といわれたか母無念也

妾帯をやつとこさあとしよつて立

十九だといったで妾すみはぐれ

日に五合づつ妾五人にくハせ

腹はかり物とお妾不首尾也

あやしの手わざのみ妾巧者也

とんた美しいやつを武士ハおそれ

いとじんしょうな妾だかふとっぱら

関守の目ききの通り妾なり

御悋気のもう一足で玄関まで

屋根船でまま事をしためかけなり

妾もふくれる奥様の岩田帯

腹をかす替りおもいれだだを云ふ

讒言にかけてはすこひ娘也

政事をいうひたかるのが妾落度

何を手めへに隠すもんだと殿さま

したく金来てでい中をはちす出る

黄金にすかすを付ケて妾さし

小声でも御妾こわい事をいひ

われにうかりし人々を妾落し

ゆあみ櫛けづると妾日がくれる

横にさへ成ルと妾ケは智恵が出る

女房気でくりを出歩行にはこまり

肩で風のきりつくらを妾する

ひつたりと内ぶところへ殿を入れ

ふんどしと舌が妾は長ひ也

仕合せな妾鬼まで寄せつけず

妾が夢一櫛二帯三小袖

訓読のやうだと囲ひ三を下げ

大太刀をひねくり妾威を振ひ

娘は持ふもの町人をやめる

虎の威をかりて家中の笑ひもの

借りものの部へははいれど手柄なり

囲はれは下着ばかりたんと出来

口をききなんなと妾母にいひ

屁をひって妾は下女を一歩やり

おく両の御こしの元トをぶふきゃくし

御てかけは事のやふれとなる女

店賃の早く済むのは囲ひもの

かこはれは隣で死ぬと越しいたがり

御家中のまくらを妾ひくくさせ

よいかふのにくひつらなはめかけ也

おそろしいものはめかけの小声なり

お妾のさくてこんだて下びる也

象牙の臣といふべきは舎弟也

入らぬ事だんびう物を舎弟さし

妾ケ兄湯治落馬の打身也

妾か兄きゃたつへ上るやうに乗

氏なくして兄はこわごわ馬にのり

兄さま御馬尻持はめかけなり

なんもんをかけにかこいの兄が来る

御覚目出度度々の落馬也

妾が兄十本の指の先に立

妾が兄よろしくもない沙汰たらけ

たれござらふといふつらで妾が兄

ひとつ文道をしらず妾が兄

お妾の兄を最ナ馬につけ

武士だもしかざるべきや妾か兄

兄さま御馬尻持はめかけなり

殿さんわつちやあおねげへがごぜへす

妾か兄ずつきもつきと歩行う也

かけ道は妾の舎兄ばくちどら

どふしても馬のあハない舎兄也

御情が幾夜つもりて扶持と成り

妾か兄旡龍の悔!!をあて

浅利と名字付ていい妾か兄

風聞宜しからざるは妾か兄

此家督を日陰の花の落し胤

借物の腹から系図引出し

いい面の皮で二親すごすなり

下屋敷妾ハ凄く目見をし

風俗はけいせいていの御奉公

お妾に出るは一トどら打ったのち

手打金妾の兄は三度取り

損料はいひはうだいの腹を貸し

別義あるかこひ旦那を茶にしてる

母の来る度に妾ハこかすなり

運の無い妾二度迄転ふなり

里ぶちの度に出しを聞斗り

大名の道具に母はする気なり

囲はれは店賃でもの店を出し

小間物屋なめかと帳につけて置き

いい妹もって二むらいさまみに成り

娘の不首尾町人に立ちかへり

わるじへをかいにめかけの母は来る

大三十日こころくもなく妾弾

妾の前でにがひ顔してがなし

手の下のざい人めかけたんと持

初に逢ふ妾の癖を能く見つけ

御隠居へ人身御供の美しさ

落合馬之!家中でのはきき

外戚の武士は馬から度々落る

地主をば御めかけ伯父に書いて出し

うざっこい親類の来る美しさ

正ぜんの兄き御殿でこりはてる

とぶ鳥もおち馬からも落る也

夜ル夜中カ妾なま米ねだる也

侍で候などと馬に乗り

御てかけの弟正宗さして居る

御前ンおよしと論語をひったくり

侍と化して家中のもてあまし

御前よろしい武士度々落馬也

囲はれは長屋のものをくぼく見る

囲はれはいひわけ程の見世を出し

仕送りが付くと御妾おんだされ

囲はれは隣で死ぬと越したがり

囲はれは文の文句に米をいれ

囲はれのきゅうじはしごを大義がり

大黒は鼠のやうに里へひき

大黒はかけほしにするあらひ髪

大黒は五十に足らぬ餅を喰ひ

大黒は金のいる時ふりあげる

けふら来る日だとかこもれ!!たて

気の多さ医者に成てと囲ひやき

囲はれも二三人程琴の弟子

囲ひとはいへど大きなばれをんな

摺子木がけどつたさうとかこひいひ

知れて見な台座後光と囲いひ

囲ふのをにくえんの兄いけんする

囲ひ人のむだ足をする井戸ぶしん

囲はれへ髪のあるのが来てぬすみ

囲はれの子はととさまはないといふ

金銀を取られ和尚も囲切れ

かこハれの内へハ葷酒ゆるす也

囲はれはだれだといってにじられる

囲はれに地ごくは無いと実をいひ

囲ひ者じっとして居るたちでなし

囲はれへふいに来るのはじゃすい也

かこハれの不埒知らぬが仏なり

御妾の無念は酒がにごるなり

囲はれの姑の無いがとり得なり

囲はれは鼠とらずを供につれ

囲れの下女うんつくじゃいけぬなり

囲はれのしっつこいのはおくごなり

御離縁は鳥蝙蝠は妾也

御めかけの威勢蝙蝠ほどは附き

囲れの所迄福寺らしく見へ

囲から蟹の甲を捨に出る

囲女は着るものまでもかくしかち

囲ひものそふだと桜艸がいい

御めかけも尻のすはつた初愾

おめかけのすがれ二度めへつかハされ

囲レの障子に丸いかげがさし

囲れの母ねんごろにえかうされ

囲い者古ての兄には持てあまし

囲レの間夫御番所へ出ろといい

御妾も陣屋ぐらいは傾ける

御昼寝の側で妾は絵斗見る

かこはれのちん野郎をばほえる也

かこひ者あたりとなりへ者出ると遣り

かこわれの店かへ大屋若ひなり

かこひもの普天の下にそっと置

かこい女は普天の下にそっとすみ

御里方御めかと一字つめていひ

かこはれへくる法類はごくこん意

かこひものどか喰ひしたりかつえたり

衆生縁ある囲はれのやかましさ

やかれるぞくさくさすると囲ひいひ

寝てまてと名言をいふ妾が兄

春は出る奴がめかけを胴につき

もろ白髪迄囲はれのふはたらき

高をくくってかこわれの出来こころ

日ぐれからかこはれへ来るよ入道

組んでおちるとは囲ひのみらいなり

本性たがハず御妾にはかまハず

二世半と誓ひ妾へ御契り

広き事大学に過キ囲ふ也

井戸端で向ふのかこひこすられる

けちな囲者茶屋を門トへ出し

火を一つくんなはけちなかこひ也

ぬり立て仕廻ふとめかけ用はなし

よごれたる娘の顔の美しさ

かわかしがつくでかこひの所がへ

大ぞくの身にあるまじきかこひもの

功成り名とげ身しりぞき囲はれる

三味ござれ証言ござれいい女

氏なくて輿が此世のいとま乞

氏なくて皆輿に乗り供をつれ

ころもをばぬぎなとかこひ内気なり

内こうが付いあたでかこひにくまれる

茶をせぬが和尚囲イを持ッて居ル

うたがハれますと御妾ついとたち

運の能さめの字をへの字に置され

囲レはかへすがえすに米の事

大くぜつかこひ一枚起証かき

二つ三つぐらいは妾塗りかくし

間男と云われず和尚くやしかり

ぬつぺりと和尚妹で候と云ひ

本膳よりも二の膳が御意に入り

汝元来枯木の如し妾がとが

ふぐ汁やうなものだと妾を見

惜しさうに物をくれるが妾なり

狼に法衣妾の御院号

奥様をほつそりとした尻にしき

御の字の下に成るのは重ひ事

きせるにてとどかぬと妾人をよび

囲はれの針は世間の口を縫ひ

お妾は幟を産て立られる

お妾も尻のすはつた初のほり

御慰ものにはいやと初手はいひ

其罪軽からずめかけ色をもち

御隠居のてうちん入レは十八九

代参と号して囲ひ下女を遣り

母のおんはなはだかるいめかけなり

嶋!へめかけの宿で人だかり

酢てんがいなどこしらへて囲まち

又着せたよとかこひ下女来てしゃべり

既にかうよと見えしが妾に出し

したうたの藝は妾にうつて付

御機嫌を直すが妾得手ものさ

御隠居の杖に成る手の美しさ

和尚さまくるしいわけは二タ世帯

主婦別ありて妾は御供也

迷ふ筈めかけの口と支度金

柳橋をこき遣ふいい妾

おつたてと徳は妾の入句也

美しさ馬の骨でも玉の輿

横柄な野良めかけの弟也

針供養妾はしてもしないでも

入札は妾の親のひうへ落

いい事二ツなし妾兄が馬鹿

当分は妾おやおやたらけなり

おめかけの歌書細長い箱へ入れ

長うたへ妾枝折をはさむ也

新もやういつち早いがめかけ也

産ミ申たで剃刀をたまふ也

奥様内御妾は外へたて

物着星妾が分野にあらわれる

くれぬならかのをしやれと妾の母

妹のおかげて馬におぶつさり

さんごしゆのしらぬふりする毒に有

さんご珠も御側の毒は知らぬなり

はらからは鑓長刀でおどす也

「付記」褒似、楊貴妃、葛の葉及殺生石(姐妃華陽夫人玉藻前)

笑ふ度唐人の減る美しさ

お妾の笑くぼは玉のへこみなり

いちどきに百宛笑ふいい女

百笑ふ度に百人ころされる

とんだ花火を嬉しがる怖しさ

花火見るたび御妾は笑ふなり

花火にしんだいゆう王入れ上げる

つんとしたのに幽王はくらいこみ

ゆう王はこそぐる事に気がつかず

又例のむだのろしかと臣下来ず

笑ごつてはねえと幽王あわて

幽王のしまひが本の笑止なり

八百の身代笑ひつぶすなり

后の外は笑ひてはひとりなし

あっちではのろしこっちじゃ御悩也

楊貴妃はいふ程の目が出た女

楊貴妃はろくな一家は持たぬなり

楊貴妃ももとかつがれた女なり

楊貴妃は小原で壱ッのんだやう

楊貴妃を湯女に仕立るまはしもの

楊貴妃も元神玉のまハしもの

飛燕すうはりに楊貴妃はむつちり

三千の一は日本の廻ハし者

八日には楊玉忠へ加増なり

双六なかば玉忠様御落馬

双六で安禄山はどふを喰イ

おかあさんなどと禄山貴妃いひ

美しい顔で楊貴妃豚を食ひ

これからは楊貴妃様だとそびき

日本にかまいなさるなと貴妃はいひ

やまと言葉はおくびにも貴妃出さず

大玉の美人尾州に頭垂れ

熱田明神を楽天知って居る

唐の人魂を日本でめっけ出し

そうもふしや御が點だよと貴妃はいひ

楊貴妃は馬捨場にてさいごなり

むごい死様楊貴妃と高尾なり

七月の八日玄宗頭痛する

玄宗はおむく紂王きゃんが好き

睦言を勅使へかたる美しさ

ちよくとうにあたまの飾一本へり

玄宗は泣く々耳の垢をほり

月よりも玄宗星に思ひ出し

大汗になって玄宗さざめごと

勅答で見れば楊貴妃無筆也

夢に見た人相書も五月立て

楊貴妃の夜叉は鍾馗の手に乗らず

尋ねにくいは小督より楊貴妃

あっちからは玉藻こっちからは貴妃

天地の出合楊貴妃と織姫なり

睦言も愚痴をならべる長恨歌

此翼連理は凡人の睦言に非ず

此翼連理は平人の痴話でなし

湯あがりは玄宗以来賞美され

ばかされて徳をしたのは保名也

ほんたうの手は保名に九百の余

保名には九百余歳の大年増

葛の葉は折々にたく小豆めし

葛の葉は折々赤の飯を焚き

扨て味は変らぬものと保名云ひ

玉にくらぶるなら葛は地者也

くずの葉は何をいってもうそだろう

添乳をぬけて一首かく化の皮

葛の葉は破れたとこをよけて青き

御らうじろ年も相応とやすなほめ

本妻へわたす信用の置みやげ

青置の歌嵯峨様と伝田流

祇王は嵯峨様葛の葉は伝田流

わかれてく女障子へとかく清キ

こんの卦は母と晴明先づ覚え

きつねの嫁いりちう王のとこへ来る

死人の山でもねだれと殷の紂

ちう王のどら人だねがつきる也

こびり付いてて紂王に殺させる

気のふとい女は華陽夫人なり

落付いた仕方は華陽夫人なり

ぶちおどろきのせぬ女華陽なり

気のきいた女はくわえう夫人なり

とんだちえをつけたのはくわやうふ人

耆婆と論ぞつとするほど美しい

天下泰平くわよふ夫人ひき

弾きながら文句を華陽作る也

新物を弾たがくとよう大あたり

翠帳紅閨と華陽は諷ひ出し

三かんを玉ものまへはすぐ通り

さつさつと玉藻唐本よんで居る

つま立って歩く官女を御寵愛

御はきくの官女天竺うまれなり

人間のくわん女がみんなそねむなり

のつきつて緋の袴とは化もばけ

天ぢくの唐のと玉藻すれたもの

遠ッぱしりするやつは玉藻也

天ぢくらう人でわ上御のう也

天竺浪人をなめて御悩なり

おそろしい御のうは玉のあせをめし

鳥の羽を既に狐がしめる所

鳥の羽既に狐が喰ふところ

唐物で鳥羽屋はかぶを仕廻ふ所

御まゆにしめりけのなひ鳥羽の院

もちつとで狐王子をはらむとこ

古渡りの官女と云ふは玉藻也

せんぎして見れば玉もは無宿也

こんの卦が出たで泰成腕をくみ

やすなりが居ぬとそろそろ笑ふとこ

やすなりはしょうねのしつぽ見あらわし

大きなきつねつきをやすなりおとし

最後屁をひるとやすちか祈りやめ

最後屁をひらせたが和のほまれ

祈られて玉藻の前はおならをし

泰成は落し保名はばかされる

せうねの尻尾を照魔鏡へうつし

三国の王をはめたも一ッ穴

一国に三本あての尻つぽなり

三国を廻しに取った畜生奴

三国へ尻を一つづつひつて逃げ

から天竺はけつの毛をかぞえられ

日本へ来てはにんそうつらをやめ

十二枚着たのは稀な化の皮

おそろしさ御所毛だらけにして逃る

三投目を玉藻前ではたす也

金色の毛が落ちてる官女達

玉の先とつたら御のうへいゆ也

那須野まで十二単のままでにげ

くわいくわいのくわいと下野さして逃げ

玉ものが嵯峨に居るのに那須野逃げ

三国一の最後屁は那須野也

那須野にて両介おつに顔見合ひ

両介は屁にむせながらひきしぼり

両介は第一めしかうまく喰へ

両介がたたんでしまふ緋の袴

ほつき歩いて下野の土になり

射はづすと千里も逃るところ也

気味わるく那須の出水越へかねる

石になっても飛ぶ鳥は落ちるなり

官女のときも飛鳥をおとすなり

両介ほうさいえんにもめされたり

美しい玉玄翁でたたきわり

玄翁は石泰成は尻をわり

御てふあい石になつても又わられ

石に成ッても女だと和尚わり

石に成ても割られてる畜生め

初手狐後チの鳥羽には龜がつき

殷紂の謡傾国の獣なり

玉もよりすごいやつだと江間はいひ

かだものと女で石が二つ出来

 

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丸山権左衛門は享保の末仙台より出たる力士なり、身の丈六尺五寸重さ四十三貫目ありしとぞ

 

台肴屋を「きのじや」と云う事、此頃新吉原仲之町に喜右衛門といえる者台肴等をこしらえ売りけるに、珍しき仕出しなりとて評判よく、喜の字がかたへ肴を取りに遣すべきなどいいはやしければ、自然ときのじやと呼ぶならわしけるより、すべて台肴屋の家の名となりしと云う

きのじ屋は階子の口で人払い

きのじ屋にとりめの禿邪魔がられ

きのじ屋の松尾上より名が高し

きのじ屋の松に始皇のやうなつら

きのじ屋の台にはびこる始皇帝

きのじ屋の松野に禿よりたかり

きのじ屋へ戻るものには松ばかり

キの字やの松も熊手はばばあ也

きの字やで凩シのする二十日すき

くらつたりなときのじやはさげて行

小便に行くときの字やらりにする

オット暖簾をたのむときじ屋云ひ

喰積が小癪に出来て一分めき

中にも此松一分には高いもの

 

是より先鱗形屋の双紙追々行わる、又黒表紙のものあり一巻の価は五文に過ぎざりしと云う

すまんぞううろこがたやは暮れにすり

いかに春だってとせつく草紙売

絵草紙であふぐ側から取てくひ

絵草子を見い々嫁は餅をやき

似合ハない事蝋燭で革草子

あぶり子を嫁絵草子であをいでる

草ぞうしおうばつぶさに申上げ

お茶碗が壁に張られる畫草子屋

 

松木淡々此頃奢侈を為す

 

俳諧夏の日(祇明等)・親鶯(沾州)・続花摘(湖十)・木の葉漬

 

 

一七三六年      

元文元年丙辰 十九歳  改元五月七日

 

根岸肥前守生

柴野栗山生

本居宣長生

笠間巨山生

木村巽齋生

山内花縣生

四代目松本幸四郎生

高橋亀臺生

 

正月九日片岡左内可匡没年五十八

二月十日佐久間洞巌没年八十四

二月十五日足立來没、古鈴、水!、万界夫の号あり

二月二十六日袖崎三輪野没年四十七

三月十六日香月牛山没年八十五

五月十七日三宅袋河没年四十一、蝶々舎と号す、書画を能くす

六月二十四日岡林竹没年六十六

六月(或云七月三日)江嶋其磧没年七十

七月二日荷田春満没年六十九

七月十六本目権左衛門没、名親辰本目流二世

七月十七日伊藤東涯没年六十七

八月七日玉木葦齋没

八月九日山下又四郎應外没年五十一

八月二十二日其諺没年七十一、四時堂肖菊翁と号す、圓山正阿見弥の住職、辞世

七十一年ようはもつたるつゆのたま

八月三十日古筆了仲(別家三世)没年八十一

九月三日福井松泉没年五十三

九月九日南北孫太郎没

十一月二十三日香川景新没

十二月九日岡松良安没年七十二

 

女の高髷島田流行す、之を文金と云う

火燈口大事にくぐる大島田

角力とりの女房は髪もなげしまだ

鎌倉河岸豊島屋酒店繁昌す

谷七郷(ヤツシチゴウ)をと島屋で

おつぷさぎ

としま屋であわぬはめしのさいにされ

としまやとふり袖やとへ人を出し

としまやて又八文か布子を着

二月二十日はづさぬやうに江戸へ出る

白酒のかんばんいつくからも見へ

樽代で大屋白酒などを買ひ

白酒で出来た生酔高が知れ

白酒に舌の有丈のばすなり

白酒屋などは戸をさす手負猪

白酒の徳利へ下女きたなびれ

此頃舞子など金銀にて梅の枝折に短冊付けたる簪をさすこと流行す

元文の頃は江戸中踊子と云う女有りて、立花町、難波町、村松町を第一とし所々に在り、是後世藝子の濫觴なり、当時三五七組のゑもん、千蔵組のおてる、大助組のおゑん尤も有名なりしと云う(寛保元年の條下参照)

おどり子の袖を手伝ふかごの者

おとり子が来るとそばから碁を仕廻ひ

おとり子のつめるぐらいはえせ笑ひ

おとり子がすけて各やかましい

おとり子を五六人前あつらへる

おとり子の膳に今来た三の糸

おとり子は夜気にあたッたなといふ

おとり子のかくし芸迄してかへり

おとり子の母はあつかましいも見る

踊子を味噌とうしほの間へ出し

おとり子は一ばちぬいて蚊をはらひ

おとり子をくよくよと見る橋の上

おとり子の母にくらしいせきばらひ

おとり子も鮎と一所にさびるなり

踊子はぶうにしようてしひる也

おとり子がこしをかけると牛をぶち

踊子はわれ一ぞんで二度おろし

踊子はころぶとはくを付けてやり

おとり子は事ともせずに又おろし

おとり子のひとり兄さまたいこなり

踊子のはなし大きなうにこうる

おとり子は行くもかへるも大坂や

おとり子で江の島うごきわたるなり

おとり子におどれと留守居むりをいひ

おとり子が来るとしやぎをやめにする

おとり子は女の中でふにんそう

おとり子の跡へねり馬のせはア乗り

おとり子のぱつちあすこがこハく成

おとり子の上ケ場は石の鳥居なり

おとり子の下駄八の字にぬいでおき

おとり子はあまさかさまの供を連れ

おとり子の母人口にかかはらず

おとり子に気ばつかりさと堀部いひ

おとり子の取扱にして振られ

おとり子にもたれて居るが野暮な奴

おとり子の草履でかへる急な用

おとり子はおいらも鯛を包まちや

奥様のよぶ踊子はをどるなり

ちいさな腹が踊子の病み上り

えびす講おどり子を呼ぶ息子の代

鐘供養踊子が来てらりにする

むしりあふ内おどり子はてれて居る

正直にいふとおどり子大どしま

おしよくさんなどと踊子なめ過る

知れぬはづ使をどり子やとたづね

かかりはもなくおとり子ははらむ也

鵜が呑みこんでおとり子ひきはじめ

世が世なればと踊子を母しかり

のるものは落ちをどるものころぶなり

江の島へおどり子ころび々行

酔やしたなとと目元をとろつかせ

三文が程はおとり子むすめなり

やぼのこつてうおとり子をつめるなり

まんぞくにうむとおとり子孫があり

たん命な子をおとり子は四五度うみ

尾のさけたよふに大キな袖をふり

度々ころんだのて大キなこぶが出来

それのみでをどり子ぐつとはやる也

ずつと来ておどり子袖をぶつちがへ

とこをせぬのが母おやのきついみそ

三の糸ふッきり切れる聲のよさ

やれやれもいとでおとり子引出し

十三はすわりさみせんころぶなり

御屋鋪があるとそへ乳をゆりおとし

ひざをぶつたのは踊子の本ンのかが

世をすてたやうにおとり子えんにつき

盃がすむと三絃杖につづき

ころぶのもふうらくにすりや猶はやり

三ミせんの駒がゆるむところぶなり

三味泉の下手ハころぶが上手なり

おろり子の仕直す帯にへんとなり

此子ここにとつぐでよくはやるなり

武士の会席へおやおや二三人

稽古せぬ藝でおとり子はやる也

袖を投出して踊子すハるなり

壱人ころびてはおとり子土だらけ

舟の名を書ておとり子呼に遣り

三味せんはおへた転ぶは上手なり

ひざをぶつたのは踊子の本ンのけが

あつちこつちへころり々とはやり

ころふかんざん両袖をふまえそう

三味線の撥をあくびの蓋にして

ぶつさらひ居ると踊子胴突かれ

おとり子はつけ廻し程の己りなり

馬程な形で踊子よばりなり

おとり子のたのんで這入る馬の口

母もよろしくと踊子座になほり

おとり子に四五十上で気の若さ

おとり子ハ一ツねちれて下駄をはき

蚊ツくひを詞の時は撥でかみ

水換の咄し踊り子しつたふり

おとり子は駒もはずさず晦乞

踊り子は一万へんでついと立チ

踊り子を呼んで踊りをたなへ上ケ

ころんだて大きな瘤が出来る也

一ト盛リ舞子の言葉奇なりとす

おとり子を一味屋かたへ調合し

アレ馬がノヤと踊子笑い出し

生涯を半分しら歯にて踊り

駒下駄で出るとそこらで転ぶなり

踊子とかげまを揚て継子立

おどり子をすんでにぎけいのせる所

踊子をはにふの小家で仕込む也

踊子をおやだとほめるのはきん句

とりかじをしなとおどり子声を懸け

草木きばミ落ておどり子さびれ

舞子とはしるさぬ斗り伊達もやう

あんとんをかべへむけるところぶなり

二朱なげの屋根舟おどり子を畧し

火なわふつてからおとり子うたい出し

いつそづきづきしやすと撥であふき

よくよわせなつたとばちであふぐ也

かつてんの行カぬおとり子無手で行キ

本のおとり子は扇子を二本さし

あそぶ事ほうありせん香をたてる

せん香が消てしまへば一人酒

ころんだ子弐分とらぬ内おきぬなり

ころび子とたづねてつかひしかられる

ころぶ子を親は杖とも柱とも

すかぬ事師匠折々ころぶ也

むす子の気のかたに白ねこをかはせ

線香で仮寝の夢の尺をとり

線香をたてて酒宴のいそがしさ

おとり子はばちで股ぐら度々押へ

おとり子は何の苦もなくかしこまり

おとり子はねたり起たり二分〆る

おとり子は二役するも家業づく

おとり子へさせばきりりと下ケて置き

踊子を三味線堀ですくてる

おとり子の母外二分気にかかり

踊子の母口説のも聞て居る

おとり子の上へ転んで痛ひ事

踊子の病気産婦のやうに見え

おとり子がおどりあてたと家中いひ

わるひ事斗とおとり子口をふき

わこは化物とおとり子ぬかしたり

御仲間駕籠におどり子こりる也

御出しなと踊子間を打てかけ

面影の替らぬ内はおどる也

けちな御座しきをとり子ごみにむせ

おとり子の景て見たがるせがき船

もののふをも和らぐるは踊り也

らうたけた振袖母をすごす也

振袖の生酔ころぶした地なり

度々踊るから間にはころぶ也

踊斗ではなひ母の口ぶり

おどり子はすひもの椀に寝て仕舞ひ

 

小判、壱分判(眞文判)丁銀、板豆銀(文字銀)を鋳る、五月十二日より通用す

 

十月より小梅村にて銭を鋳る小の字を印シとす

 

刃物商名古屋仁兵衛浅草蔵前に開店す

見せずともよいに太刀売ひらり抜き

孫六はむこ引手にはよいかたな

孫六は千代を賀したる聟引手

正宗を切れそうなとはほめもほめ

正宗ではなはだもめるかたみわけ

兼房をどの質屋へか置き忘れ

長船もながれ次第の御不勝手

長刀を受つながしつ御不勝手

いくらいりますと質屋はすらり抜

目釘迄ぬくは一両からの質

浪人は長い物から食ひはじめ

町人で質屋を出でるひどい事

長脇差も預けてく上州屋

附家老両刀なども遣つて見る

御しんぷの見る細見は鑓が有り

とんだ産かんじやうばぐや取あげる

安産の後は莫耶が肓てあげ

うぶやうらすぐに鍛冶屋の手に渡り

八百に鯛四百には釼を売

 

元文中金龍山浅草寺内舊家桔梗屋吉兵衛といえる餅屋へ伝法院僧正より浅草餅の名を給わる

浅草には寛文中より米饅頭著名なりしが、元文度よりは桔梗屋(初代桔梗屋吉兵衛は天和三年開店浅草仲見世中一番古い店舗なり)の浅草餅の最も高くなりけり、当時浅草寺を兼帯せられたる上野の宮様隋宣楽院公尊法親王の御染筆を頂戴して名物金龍山浅草餅という大看板を掲げそれが評判となりて繁盛を極めたり

榎の僧正は餅屋の向うなり

餅屋の向ふのが榎の僧正

僧正に気をもたせたは榎なり

餅くいたそうに榎も口を明

榎の僧正の前から四ツ手きれ

椎は大名で榎は出家なり

別当の門ンともちやは向ひ合イ

山号でひろめた餅のにぎやかさ

山号を置イたのれんを下戸くぐり

お内儀は浅草餅を取って投

女房は浅草餅を叩きつけ

寺号をば仁王前で餅につき

毎日耳についた跡もちをなげ

かみなりの内で寺号を餅につき

 

よねまんじゅう初手一ト口はあんがなし

品川でよねまんじゅうをすべらかし

 

夏榎並貞峨法橋に叙せらる

 

新句兄弟(魚貫)・雪月花(見龍)・正風江戸菅笠(不角)・口よせ草(前句)・袖土産集(片石編)

 

 

一七三七年      

元文二年丁巳 二十歳

  十一月閏 中御門上皇四月崩

 

三月十日井上士郎生

二世梅應生

加藤千蔭生

司馬江漢生

閏十一月朔小川顕道生(塵塚談の著者)

 

正月二日椎本才麿没年八十二、本姓谷氏、名は則武字少文、松笠庵、甘泉庵,舊徳翁、狂六堂、春理齋、槃特小僧等の諸号あり、初め西丸又八千丸と号す、西部、宗因、西鶴に随従す、南部の人浪華に住す、中頃東都に下り元禄の調えお以って世に鳴る、当流の中興と称せらる、大坂西寺町萬福寺に墓あり

六月二日有賀(あるが)長伯没年七十七

六月十六日箕輪其蒼没

六月三十日清水道竿没、仙台侯茶道清水家三世

七月二日中村蘭石没年五十五

七月十九日(或云二十九日)池永道雲没年六十二、名栄春、号一峯書家也

八月十七日(或云十八日)植村信安没年六十八

八月二十日宮里忍齋没年五十四、一書に安永十年八月六日没年六十六とも云う

九月五日井上文曜東塢没年四十一

十月九日丸山権太左衛門長崎にて没す四十六、陸奥仙台産の力士、常に俳諧を好み蓼太の撰「蓮花会集」に一句有り、

 ひとつかみいざまいらせん年の豆

大坂天満川崎の吉田吐成方に丸山筒を珍蔵す

十一月六日小川雲汁没年五十

十一月三十日小倉尚齋没年六十一

閏十一月十一日英一蝶(二世)信勝没年四十四、通称長八、号栗舎、北窓翁の長男

十二月十日安積譫泊没年九十一(或八十二)

十二月二十五日匹田九皐没、酒井庄内侯の儒臣

十二月二十八日佛師高山没

 

亀井戸と小奈木川にて銭を鋳る川の字を印とす

 

早野巴人四月十九日京都を発し三十日に江戸に入る

 

五月三日下谷より失火金杉に及ぶ、上野御本坊類焼す、

上野東叡山内に於ける名所旧跡及び神社仏閣等を詠みたる柳句を一括して爰に掲ぐ

花の山鬼の門とは思はれず

寛に永く鬼門を守護の山

紫のゆかりは瑠璃の伽藍なり

瑠璃どのといかしくよむ三度笠

瑠璃殿の御門に絶えず三度笠

瑠璃殿の大見世になる花の頃

補陀落と瑠璃は竜虎御山也

東方に瑠璃は叶ひし霊地なり

白水のあとへは瑠璃の後光さし

年号が上にによつと出る

年号の誉れ寶と大伽藍

御寺号で時代の知れる霊地なり

通用のよい御寺号を御建立

金銀の寺より光る寛永寺

吉祥天も住みさうな御山なり

吉祥日に建てたる仏閣なり

天女の他へ吉祥の文字うつり

たまたまは吉祥閣で帆を見せる

文殊の智恵で帆柱がよく見える

げに花も吉祥閣を仰ぎ咲

寛永寺以後文せん堂も立ち

花見連れ文珠楼から智恵を出し

賽日に浮雰くほめる海面て

賽日に帆を見た野良うなされる

一手に二度高き家にのぼるなり

山門へ上るまいぞと二百やり

山門へええ手をして上るなり

山門を下から拝む気の古さ

鐘楼堂むかし時計の御間の頭

江戸の清水で飛ぶのは弐百づつ

清水の慈悲は飛ぶなと桜さく

清水で飛ぶとぶたれる花の山

清水をいのれどあざはぬけぬなり

清水に居て大名の評議する

浅草で喰へば上野で水を飲み

三度笠犬にあづけておがんでる

銅佛は拝んだあとで叩かれる

儒佛拝んだあとでたたくなり

糸桜消え入るやうな御!経

桜咲く山へ禿の放生会

花盛り一日山へ請出され

花ねくさでもさせさうに師匠つれ

鶴翼に伝へて師匠花見なり

花の山気のふれさうな御院号

花の山石に出家が二三人

花の山入相を待つとんだ事

御院号おらも知らぬと花の山

飲まぬやつ一日拝む花の山

枝垂桜へ飛つくと納所追ひ

爪音のするは古風な花見なり

瑠璃の桜も咲きさうな所なり

摺鉢で一杯のんで花を見る

花見から昼飯に来る下谷筋

ひぢり坂律義に花を提げ来る

上を下東叡山の花盛り

大名のつぼんで通る花の山

御くろうな事上下で花の山

入相をおつもりにする花の山

会者定雛きぬ々は山の鐘(?)

鋲打が続くと鳩は家督へ逃げ

葉ざくらに鋲打の来るおとなしさ

葉さくらになると国主の紋かはり

葉桜へさふはつねの人でなし

どうにも堂にも縁のある霊地なり

蔦を引きぬいて櫻を植ゆるなり

蔦の顔ししるりのとのづくり

花の山昔は虎のすみかなり

花の山やぐらの顔へ塔を立て

虎の顔竹!の圓生の御産所

櫻をばどれも御殿のあとへ植

藤の咲く時分は花の山でなし

お台所摺鉢山のあたり也

十月は地前をかせぐ大師桜

月々に変る上野の札の辻

金札も大師につれて山巡り

宿坊を十二に割って御縁日

執事札を枝折に立る花の山

花の無い春も賑ふ御本坊

花も葉もなくなつてから御本坊

四年樽も大師につけば山巡り

四年樽が大師の顔を追て行き

水茶屋は大師の顔を追て行き

水茶屋を大師引ずりひん廻し

御本坊花の外にはおねりなり

女房を参らせたがる練供養

練供養には女房を参らせる

残はなを和尚のちらす練供養

男どももらひ湯をたく両大師

両大師晦日がむりの坊主持

両大師五言絶句について行く安茶代

二人してこハごハ拝む朝大師

朝大師隣の内儀道で逢ひ

朝大師かづけて出るは高が知れ

おも黒ひ門をくぐつて花見也

まつ黒に櫻の口を〆めるなり

谷中門くぐるはけちな花見連

黒門の内は日照りに雪がふり

花見には師匠も戻る車坂

車坂むこを引ずりおろす也

屏風坂あたりお寝間のあつた所

八日目に茶屋は頭痛の屏風坂

純友が来てさそひ出す花の山

叡山の謀判は信濃坂を下り

しなの坂花も雪ほどつもる處

雪の降るやうな花ちる信濃坂

初春の山はおねばを飲みに行

ふたでておねばをとつてこんななり

いろは茶屋大黒の湯が茶錐で来

手玉の茶碗をむいて護国院

護国院諸行無常の遠走り

護国院別れをつげる合図なり

大黒の嗜てあるのは護国院

御霊屋を御花火師かと下女思ひ

上野から見れば宝の山ふたつ

上野からこぼれたやうな法華寺

天王寺斗りは額がごツちゃちゃ

鶯はむかしのままの盛應寺

衣のたてもほころびる谷中道

花の山幕のふくれるたびに散り

花の山足よわかれがぜつぴ出来

花の山ぬいた々があらしなり

花の山とうとう下戸は実出され

花の山下戸を酔はせてもちにつき

花の山いつそころせの三下り

花の山下女は拝借もので出る

花の山いまだおぞうが気は知れず

花の山ごぜ松の木の方へ向き

引張ると隣の出来る花の山

詩の出来ぬ李白の多い花の山

是むちう作だと起す花の山

生へぬきの幕串もある花の山

下戸どもはさがりおらうと花の山

おれは々とばかり聟花の山

ほころびを覗いてあるく花の山

つづみへもちらほらあたる花の山

本性で帰るは下昇た花の山

四五日は雛に押される花の山

シテワキで浅黄の通る花の山

盃へ模様のふえる花の山

又六ぽうや来やれはけちな花の山

何かしら有るとはけちな花見なり

そもそもどらのらんじやは花見也

むらさきのまくでゆかりの花見也

伊勢屋の花見どこまでも花見なり

花見さと下女軽石で手を洗ひ

むつかしひ文を花見のさきで見る

じれつたい文が花見の先キへ来る

女房の智恵は花見に子をつける

散るはんの頃より息子花見なり

一ト御殿ばかり故郷へ花見なり

人同じからず花見の仲間われ

乳貰ひはがつかりとして花見かへ

めしをたきこんで花見の女房出る

大木の花見はものがいらぬなり

息子の花見内を出る名のみなり

大木の花見は息子きらひ也

定紋であたりを囲ふいい花見

桜見に夫は一時あとから出

花を見るつらかと女房過言なり

花の供あまり急いて叱られる

花なればこそ稀人の坊主持

塗樽を下戸不承知な坊主持

花を見捨ててははたごやへ騒ぎこみ

桜なら桜で帰る極陰気

桜の下トにてさてめ何し玉ふ

桜へもやらぬと女房でかしだて

五百生さきは兎もあれ花の宴

!持月は見れども花に出ず

猫のめし入れ添へてやる花盛り

かういふ注文だと花の陰へ寄り

なんとかうしやうはと花の陰へ寄り

わつちをも連れなと花にけちをつけ

奴ふみ台で桜へ手が届き

入聟のつらさ花なら花ツおり

入聟は花の外には内斗り

入聟を桜の中でむごくする

入聟をあはれと思へ山桜

やかましさかたかたの子が花を持ち

酔ふた叔父さんが呉れたと花の枝

かうぼくへ桜を植えておもしろし

絶えて桜のなかりせば母安堵

本性は桜の下でたがふなり

しょせんなく桜へのぼりおりられず

吹売は桜の下でいぶり出し

戒めて置かぬと桜幹斗り

女房のひが目にあらぬ桜なり

松はつれないが桜は連れがある

女房に桜々とうたはれて

あたら桜を不如意にて見そこない

女房は桜であなを見付出し

二度とはつれぬとさくらへ下戸くくし

とらの尾も桜の時はふんで行

ぶきようねへつついを塗る初桜

木の間から木の間へ同じ事を盛き

折るべからずが見ぬかと下戸叱り

禁酒じゃとぬかしながらの山桜

飲まぬやつ弁当喰ふと花に飽き

真盛り花の外には猩々緋

桜花兄は莟の方を取り

花の枝もつて風雅な倒れ者

おもいれを寝たと桜をふつふるい

いつちよく咲た所へ幕を打

まくの内花をあざむく顔ばかり

むらさきの幕をのぞけば金屏風

むらさきの幕人を気をうばうなり

殿桜のものは花見の幕ばかり

わか殿を遣る約束で幕をかし

すれすれなものは花見の幕どなり

ひんのよい木祭りをする花の幕

内々で茶碗のくぐる花の幕

しら箸で毛虫を幕の外へ投げ

花の幕毛虫一つで座が崩れ

花の幕しぼるとはちと気に掛る

花の幕そつと覗いて叱られる

氈毛に座して花みるつらい事

毛氈へ狆を引づれ着座也

毛氈はどうつかつても面白し

もふせんはどこへ敷いても面白い

毛氈一投にこざ二投なぐれ

もふせんを一枝そへてかへしに来

花の枝にこり々と振りかたげ

花の枝おひとりの時あげませう

叱られた所へうつちやる花の枝

誉められるたび持ち直す花の枝

かしましい頭から花を一とからげ

桜花しらふで擔ぐものでなし

気の毒さ桜の下で雨宿り

物は相!傘と花と替へ

あらう事花をやつたら傘を貸し

百姓の茶屋になる日は降りたがり

今朝の花見が濡れやうといらぬ世話

輿中へ下塩あてる花の雨

傘の大束を出す花の雨

後生までいひたてられる花の雨

花の雨後は後生の沙汰になり

花の雨昨日!の坊主罪に落ち

花の雨下女気あげをむごい事

花の雨寝ずに塗つたをくやしがり

引窓をしめて弁当を内で喰ひ

空を睨め々弁当を内で喰ひ

花や散るらんで女中をこわがらせ

お座敷に散るは昨日!のお家づと

だいなしに散るはと奴起される

花にうづまつて奴の高鼾

落花するそばに奴の高鼾

骨斗りさしてよろける花戻り

尋常のはいぼくをいふ花戻り

弁当持を花いけにして戻り

桜さんおおいおおいと駕の者

花の明日下戸にしたたか異見され

花の明日お居間を毛虫一つ這ひ

花物をいはねど女房けどるなり

花を見に出たあくる日に仲人する

言葉戦ひ事終り花でぶち

お花見のあしたさしての話なし

 

九月飛鳥山に桜樹を植ゆ、同処に鳴鳳郷の碑建つ

瀬田問答に、飛鳥山の出来たるは元文四年秋九月頃の由を記しあり、果たして然るべきにや、尚他日の考究を按ず

花の山石にも絶えぬ人だかり

此花を折るなだらうと石碑見る

李白だと見えて石碑を読んで居る

なんだ石碑かと一つも読めぬなり

眉をひそめるハ碑の銘よめる奴ツ

飛鳥山なんと読んだか拝むなり

飛鳥山石ぼとけがとたはけもの

飛鳥山花の外には麥ばかり

飛鳥山禿は袖をつばさにし

飛鳥山浅黄の頭巾安い洒落

飛鳥山毛虫になって見限られ

飛鳥山ばたら三味線百で借り

お茶瓶がほしいと下卑る飛鳥山

桜散るたびに茶瓶の火がをこり

飛鳥山座頭おどけて一つ投け

飛鳥山素人投げても々

飛鳥山毛のないものを投げちらし

飛鳥山落つねば元の土になり

土器に下戸結び目をつかまへる

土器の銭あとへ来て下戸払い

其日遣らしに土器の投げを売り

飛鳥山うつむくものは樽ばかり

落れば元の土と成る飛鳥山

花は葉に替る!瀬の飛鳥山

葉桜に来たがさつさと石碑読

あすか山土の落ち葉もするところ

葉桜は呑む一式のやから出る

葉ざくらや毛だらけのものぶらさがり

 

市村竹之丞世子竹千代の名を憚り宇左衛門と改む

 

野遊(吏登)・六浦笠(團齋)・雪丸け

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