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八世川柳

 

 

狂句虎の巻序

子軻氏謂る事あり、心誠にこれを求めば必ず飾師あらんと凡百般の事業師あらざるはなく、其業を教え導くのに道整備ざるはなし、特り柳風狂句の道のみ百有余年の間盛んに世に行われて師に就て斈ぶ者なく又初心を導書ある事を聞ず、茲に月迺戸須本太ぬし文明社会の欠典なりとて慨嘆のあまり故人友得氏の物せる一夜咄増益校補して狂句称け梓に上せ此道に遊ぶ初心の階梯とす、此挙実に狂句百年の欠典を補い文明聖世の余徳を尊奉する手術にて独学孤窓の飾師なるべし。

 

上野清水円通閣奉額柳風狂句合序

如是我聞旭海桜昇叟子は善男子昇旭子と倶に平素柳風の妙典を好み大乗の誉れ尠からず、常願膽仰の無尽意に因り王舎城北の大悲閣へ狂吟の扁額を掲げ救世観音の智力を以って自他平等の利益を仰ぎ柳風社会を度せんと題し其旨趣を衆生に告しに、座起偏祖の信者多く各知慧観を奮い実相真如の誠意を述べ譬諭方便の術を聯ね投吟有りて忽ち寄句福聚海の如く甚深無量の盛会とはなりぬ、夫を妙法八部の巻に記製し導師慈眼を乞い無垢情浄なるを額面へ登せ圓通施無畏の妙句を抜て摺巻とす、其員大士の御手に超え読誦の妙音恰陀羅尼を誦するに似たり各念彼力の擁護空しからず、聴衆は皆心耳を澄し多寶塔中に座するが如く恭敬礼拝の心を生せり、而して活版に付するに臨み妙典の序品を余に乞わる僻支仏心も解せざる魯耄の身をも恥ず槃特の愚痴を連ねて囑責を塞ぐ事爾り。

 

狂句百家仙序

古へ京橋黄門宇都宮入道の請願に拠り百人一首の和歌を撰み色紙に盛て與へられしを聞り其後何くれとなく百員の撰び世に澤なり、われも柳風狂句の編集を為ばやと思いぬれど其事の易からぬを恐れ逡巡ありしに羽前置賜の友人杜溪のぬし遙に此事を聞れ奨励補助して力を添らる思いきや我柳風中にも入道に勝る優人あらんとはと嬉しさの余り老と無識とをわすれ斯物する事とはなりぬ、文辞の拙きは素よりにて仮名手に遠葉の違い画容の合ぬ杯種々あらんが考え訂す暇を呑み先急ぎせる老のすさびと看許給わん事を希い侍るになん。

 

海内競争相撲狂句合序

神龜年間肇て相撲の節会行われしより世々行事を重んじ年々ことり使いをだして国々の力士を召し又是に因みて鶏合競馬の式等も出来しならん乎、下郷に至りては神事祈年の祭りに相撲を番いて神慮を慰め或は相撲の勝敗に依りて年の豊凶を占う杯奇しき風習も出来にけり、漢土の相撲は闘牛に起りて角觝の称あり又闘鶏闘犬の戯あり江北にはめじろを闘しめ甫人は銭爿魚(せんばんぎょ)を闘わし三呉の人は(たたおり)(むし)を闘しぬ許多の財物を賭して産を破る者多しと云り、近時我国の闘鶏も殆んど之に似たる者あり皆一時の遊戯に起りて時勢風土の習慣とはなれり、和歌は延喜の御障子に萌し天徳の歌会を始とす詩賦、連俳、狂歌の類も是に倣うて左右を番いて優劣を競い或は和漢の名将、勇士、文人、墨客、豪農、富商の輩又は遊芸、俳優、剣工、妓女の属に至るまで苟も世に名高き者は之を番いて相撲に擬しもて遊ぶ事とはなりぬ。我柳風に於ても是に模倣(まな)び安政年間始て相撲会の催しあり今回また蝶々子甘屋ぬし勧進元となりて本会の企ありしに国々の力士技量を擬し鋭意を振るいて投吟せられしかば忽ち一場の大会とはなりぬ。是を行司の批評に付し甲乙を定めて纒頭の麗景を分賦せらる会場の賑況は更にも言ず、力士の英名を東西に掲げて番付とし勝番の秀吟を集めて冊子とせられ年寄役に巻端に序せよと乞れ負ぬ氣出せど取る手も知らぬば幾たび硯へ水は入れても立揚るべき気合も見分かず待った待ったの辞みも聞かねばよろめく筆腰踏しめ踏しめ捻り合して陳謝たらたらことり使へ渡り侍りぬ。

      軸

    雙方へ団扇上ゲたし相撲の持

 

両霊祭祀序

萬治楼義母子氏は我柳風宗家に親縁あるを以て夙くより此道に遊び生質の頴敏なると雑学の宏博なるをもて年来其誉れ高く狂句社会の巨擘と謂うべし、常に両師の風徳を景慕し五世翁の三十年六世翁の五十年祭を併せ江井生村の楊上に修せられ会場の正位に祭壇を設け両師の画像を掲げて神主とし筐豆を列ね山海の精膰を供え教正平岡氏を聘して齋主とし祝詞祭文を朗読し祭典の式を行い続て七世翁其他の有志輩祭文祝辞の奉読あり其体誠に整粛にして両師の神霊在すが如く氏が両師に忠順なるを好みし神霊爰に臨んで信典を亨るならんと懐旧の情に堪ず感慨轉た胸に迫り両師の風采を目前に見る心地せらる、又両師の遺墨或は平生愛玩せられし文房具等種々の什器を蒐集し次席へ排列して来会者に総覧せしめ而して本会集吟の志評百有余名及び副評立評等の抜粋を講読する事二昼夜の永きに勝れり、従来追薦の挙屡ばありといへども唯追悼を名として開莚を設け摺巻を同好に頒つに過ず斯く遺徳を称揚し霊魂を慰するや優渥にして式の備われる事柳風社会にありしを聞ず、実に此道の嚆矢と謂うべし聞く聊か当時の景況を記して叙辞の需を塞ぐ事しかり。

    梳けずる風にやなぎも優すがた

 

柄井川柳墓参法延会之序

慈鎮の和歌杜預の左伝は和漢一対の癖たり本院の笑癖王奔の好哭又是に類せり古今の英雄雅客一癖ある者多し、奇癖ある者は必ず奇功あり茲に風友萬治楼の主人好古の癖ありて閑あれば古人の墳墓を探り湮滅せる者を発顕し以て平素の楽しみとす頃日元祖川柳翁の古墳に詣し本年正当なる事を知覚し感慨の情に堪えず汎く江湖の雅友に告げ墓参会を企て同志の賛成を得て墓碑を修補し記念標を建設し又寺牒を徴して二世川柳の七十四、三世の六十四を附奠して法会を営み有志を集へて追薦供用せらる、曩には五世六世の祭典を修し今回又此浄挙あり尚四年の後四世人見翁の五十回忌営み歴代の吊祭を完修するの宿志なりと云へり、抑主人宗家累世の霊魂を吊慰するの優渥なる好古の飾癖惹て慈善に至り爰に及ぶ者乎実に奇癖と謂うべし、余が頽齢なる爰んぞ四年の後を俟んや、今余を遺逸するとも飾癖に関する事必ず邇きにあるべし前因頗る恃みあるに似たり主人幸いに謡る事勿れと云う。

      軸

    十辺りの昔柳の沙羅双樹

 

正当百年祖翁忌柳風狂句合序

光陰の移り逝く事流水奔馬も帝にならず佛家の電光石火に比せしも誣たりと謂べけんや、元祖柄井川柳翁世を辞せられしより思わずも今年一百年になりぬ、われ愚魯にして明年と予期し其時は斯せばやかく有なんと思い居しに過し頃、社友義母子のぬし祖翁の香華院に詣し古記を探りて本年百回に相当せる事を發明せられ墓参会なる者を企て広く江湖の同遊に告げ法要を修し紀念碑を建て霊魂を吊慰せんと謀らる時に社中に物議起りて一己単意の供養法典にあらず、苟も他力を交えて事をなすは衒名の業に近し、或は其鬼にあらずして之を祭るに類し宗類し宗家の任を閣凌するに似たり、杯喧すしかりしも幾程もなく事和らぎ障る事なく法要建碑も遂げられにき、祖霊のみかはわれの歓び此上や有べき然して回期目前に迫りて為すべき事を知らず十日の菊を手向んよりはと年毎修し来りし祖翁忌を壙弘し諸彦の志評を乞い追薦の会莚を開き塔婆一基を墓背に建て聊微意を表し宿念を消す事を得たり、是皆諸君の厚意に成りて忝さの余り事由を叙てわが怠と共に謝する事しかり。

      軸

    柳風の徳や頭痛もなき百会

 

燕家柳好居士追福会序

往時文久三年亥のとし余京師に在勤する事一とせばかり、六世翁の紹介に依り燕家柳好子、柳水園二橋子に邂逅する事を得たり、両子の待遇懇切にて恰も故舊の如く時々来訪して雅情を談じ或は誘導して名勝旧跡を尋ね旅欝を慰せらる、柳好子は余と同庚にして性温厚和順汎世情に渉り雑学に富み書を善くし又三弦に長ぜり且柳風を好みして五世風叟の門に遊び立机して京師の詞宗たり、其妻柳子も雅にして弦歌に巧みに頗る大雅夫婦の風韻に類せり翌子の春決別東帰するにおよび再び上京して両子の厚遇を謝せんと心に盟いしに攘夷銷港の論世上に喧すく殺気四方に起り身も亦軍隊に編せられ延て革命互解に遭遇し空しく光陰を過せしに、去年の夏汽車も全通の便を得しかば老を忘れて又都の花と共に子の風采を見る事もやと思い起せしに、はからずも今年の二月なかば圓位上人の跡を追い鶴林へ旅立れしと聞き年来の思いも皆画餅となり今は地下に逢見し時謝するの外なしと観念せし折から、柳水園のぬし東道となり追悼狂句の会筵を企て生前親しき友どち奠して碑補せられしかば、四方の雅客言葉の花を連ね蘭麝の薫りを集め手向られしかば忽ち稀なる大会となり開莚いと賑わしく披講の浄聲頻伽の如く麗景の華ぶり讃佛乗の因空しからず霊魂歓喜して浄土に光を増すなるべし、而して抜萃を摺巻とせられ余に端書せよと乞われ懐旧の情止みがたく歓歎交々胸に逼り言べき事を知らず、唯われが存念を記して需めを塞ぐ事とはなし侍りぬ。

柳好兄の遠逝を悼みて

    後れ先立も鳥邊野羽たたく間

 

成之居士追善会柳風狂句合序

雅功堂成之ぬしは南総馬立村の人にて世々其所の里正たり、先考不忘君より医業を兼其術に精しく人病いあれば祝疎を選ばず薬を与え其價を顧みず、子が交わる家の稚児幼童等に恙あれば子の来るを待に至れり隣里郷黨皆之れに拠り恰も仲景の都牧たるに似たり、又柳風狂句を好みし先進を諧らげ後輩を導き江湖の諸彦と交わり終身の楽事とせられ、佳句を吟じ其誉れ高き事余が言を俟たず実に此道の雅宗たり、われ天保壬寅の冬八丁堀なる六水園の小集会に侍し肇て邂逅し嘉永のはじめ日本橋なる入船連へ加わりしより屡々値い遇う事を得て、公務に因り年々三四回の出府毎に余が茅屋に起臥せられ花に月に手を携へて郊野に遊び観劇会場には必ず膝を交え災害疾病あれば救援を加えられ管鮑の交りも啻ならず、父兄にも優る思いをなせり又四男二女孝順にして家門栄え徳望缺る事なき君子なりしも、天命涯りある事にや去年の夏病に罹り蓍扁の術も徴しなく葉月のはじめ亡き人の数に入りぬ。われがかなしみは更にも言ず親戚僚友の嘆きのみかは知るも識ぬも皆惜しみあえりき、信友なる阿豆麻のぬし孝子達を裨けて生前好まれし柳風狂句の会莚を設け霊魂を慰めばやと思い起されしかば遠近の雅友志評に加わり麗景を奠へて孝情を補助せられしかば忽ち稀なる盛会とはなりぬ、都鄙の雅彦会吊して大夏も立錐の地なく開莚三日に渉りていと賑わしく子が供徳なる斯ありなんは素よりと思えど親しく盛莚を目撃せし嬉しさ感涙徐うに袖を浸しき、而して追悼の玉吟の抜萃を蒐集し冊子と成し同好に頒ち吊意を謝せんとわれに夫が端書せよとありしが余が不肖なる数十年の厚遇を受けしも幽現二つながら報ずる事能はず、以てや徳操を表彰する事を得ざれば唯年来の眷遇を受けし一二を記して序辞に換る事とはなしぬ。

      軸

    総括る柳の糸も切て行き

 

祖翁九十八回目の祭典をつとむるとて

    国会や柳の糸は百繰り目

生前の面謁もせて失にし雪亭花月君を悼みて

    最おししまだ見ぬ花をちらす風

左巣庵老鴬ぬしの立机を祝いて

    谷の戸を出て一声に春を告げ

柳水園二橋ぬし立机祝吟二句

    寅に起り耳朶あつき卯の立机

    磨く世に玉を列ねし龍の巻

庚寅祖翁忌手向

    木枯しに眼を拭くきょうの魂祭り

歳且

    夕照の瀬田でも愛る初日の出

許由

    鳴り響く瓢は捨て松の風

世界

    日の上にたてず星ほどにある異域

皇室

    典範を堀へ竹園の根を固め

雄禅

    からき世を退れ小塩の山に住み

雅友

    鶯に訪れ客間の掃除をし

嘉永調四十章

    一疋の馬に借しきる渡し舟

    天窓の麓に髪を結ぶ福禄寿

    紙にくわれて羊毛の筆はきれ

    暦見ぬ山家晦日の苦も知らず

    我はとも父母には戸ざせ年の関

    茶を出しとうないの髪もたばこ盆

    ぼさつをも手作にする市坊主

    馬にみちひかれ我家へ雪の朝

    虫はみの顔にそねみの歯は立ず

    あざむかぬ猪の子孟母が信の味

    一艘は何万ぷくぞ烟艸の荷

    雨舎りからふり捨た子戻し

    ひり捨にするのはおしき麻対香の屁

    棒炭が針になる迄冬夜学

    昼ちかく朝魚売のしぼれ声

    存命でひとり物うき船こぼれ

    馴た瀬も心遣いのはらみ鮎

    初鉄漿はちいさな口もはばつたし

    本阿弥の手形で通る関の作

    五斗の酒なら渕明も腰がぬけ

    討までは無事にと祈る仇の命

    子のめづる松とも知らで雨舎り

    縁組に筋をただした市景図

    見し夢は覚れど腕の名が残り

    脂い願に夜更て此神もうで

    罪は流れて湯屋に遣る座敷牢

    眠い事しらぬ歟夏の朝烏

    春知らぬ楚辞には見えぬ花の兄

    炬燵の咄寝ころべば遠くなり

    鳥差の手には及ぬ雁の棹

    鳥を追う錐差梢の花を見ず

    釼に伏し母は義心をつらぬかせ

    鞆の跡弓矢を守護の御奇瑞

    拜む手の額へ遠い手長嶋

    殿様と合相傘は長柄もち

    姫と鬼色をあらそう百合畑

    小粒でも辛し晏子が楚へ使

    峯に日はあるに灯ともす谷の宿

    志道軒おのが住居も無一艸

    鉄砲を持て山家の野辺送り

安政調十五章

    末広に祝す産着の扇尺

    面ン彫りは裏からつらの皮をはぎ

    渡世にふけて目は渋し茶飯売

    水呑が寄て名主が瀧の世話

    駄賃馬判取帳も手づなつき

    空起請と烏の啼ぬうち夜討

    切先へ饅頭喰えぬ奴ツと見て

    乱軍になると喜平次人礫

    一ト目千巻経蔵の土用干

    喧嘩から酒手をねだる外科の僕

    首を洗って実撫にぬらす袖

    致仕の後雅友へ送る沓冠

披中にひそみ世界を蘇生させ

麻やの看板法性のたれ兜

万延文久調十五章

    子の闇にいやな夜桜母は見る

    儒者虚して曰く少い哉腎

    道命が思ば道祖神も忍び

    松一気味付吉野で目を休

    口ゆえに飴でつられるきりぎりす

    佐川田も愛る髟阿か井の蛙

    蟻に糸這う程老し年の切

    学に富む仁斎子にも蔵五つ

    嚊アを盗まれ追ヒ銭を出す難儀

    上ミ下で折目正しく屁を殺し

    七丈も有そう袈裟をうけた松

    死ンだなら酒葬にしろと李太白

    七草の弁天らしい女郎花

    戻す金衣装にまさる馬士の曠レ

    ともに無事石と菎蒻鉢あわせ

明治初年調二十九章

    つまんで捨てよ蓬莱へ付た塵

    火を吹て付木もいらぬ北地の井

    蓮痔は病の君子だと周茂叔

    屈原のような伊勢屋の居候

    人のからだを焼て喰う灸点屋

    日に向う霧から晴て曇ぬ世

    釣寄る為に蚯蚓をのたくらせ

    子を持て父母の寝汗の恩を知り

    死人口有遺状に歯は立ず

    薮入をして竹の子味を知り

晩年調

    始メを慎め万事皆昨日は非

    母の雛古物保存も孝の意味

    言の葉と茂る若木の仮名の会

    三才の子も天地人知る開化

    水さしはあれど隔てぬ茶の睦み

    切り張ハ鱗へ丸き諭し方

    嫁当座喜怒哀楽も皆笑顔

    口をすぼめて再縁をいたく秘し

    文化の肖会丹青の色競へ

    日本魂分析すれば智仁勇

    手が辷り頭々餅つく角兵衛獅子

    皇国の開明東轉の地球の理

    皇陵の温故知新の御追孝

    弘文と追謚皇国の詩の元祖

    洋人も和製に舌を巻煙草

    牛乳配達のろ付ては出来ず

    天人が見せたら粂は揚雲雀

    古稀を越践祚長寿は宝物

    啼バさぞ細長からん蛇の声

    片寄らぬ国神の祖も御中主

    風雅には根ぶか長明禰≠辞し

    秋風の冷り身にしむ氷店

    僧の名に苗字付け髪した風情

    朝顔の木戸から千代は居づくまり

    足るを知る庵に似気なき自在鍵

    女房の差図下女部屋をガラス張

    居は忍べ楚天の鯉は海に居す

    女の山師金蔓に掘らせ当て

    夢山を見るも楽寝のひじ枕

和歌一首

  六世柳宗の頓にみまかられしを悼みて

    きのうまで君が語りしことの葉の

       花も手向となるぞかなしき

 

 

 

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