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五世川柳

 

 

小原女人形の賛詞

都の三橋ぬしより小原女の人形を賜りしに、長途の運送に果敢なく破砕したるは惜むべし。この美貌恙なく下りなバ京女郎を居がらながめ閨さびしさの伽ともなり、老を慰め得ありて失なき事なり、面影のかわらで年ぶりいつも媚めきたおやかなる粧いあれど紅白粉を費やさず夏冬とも仕着せの世話もなく何事も見ざる聞かざるを守りて人にさかしら云ず、或るハ子傳りの手だすかりともなりて彼方向すれバ三年も向た侭ゆえ色情に疎きと世の人は思えど外に恋慕う人もあるまじ、兎にも角にも閑遊の友なるべきに斯く空しくする事ハ恨めしの飛脚殿や情なの馬士のわざやと涙にかきくれ、しバしまどろみしに不思議や枕上に忽然と小原女一人立ちあらわれ、吾は是人形の霊なり盆よりちと早く来たれバ鼠尾草の水をそそぐにも及ばず。能く聞きたまへ、我此たび粉骨砕身して消息を取りつがんとよしあし曳きの山路を越え遥々あづまへ下りても人の奥も知らねバ、御身をあほうと知らず我身をさほど愛したまわば反魂香をも薫べきに愚痴をならべて人を恨むハ何事ぞ、會者定離の理りを知らずや迷いをとる事憐れむべし、されども邪正一如と見れバ色即是空煩悩ハ菩提の種なり、色には遊ぶべし、色に浮かるる事勿れと一首「色どりし姿に人の迷うらん 果にハ同じ土と思わで」我有無を放れて西方浄土へ行かず東方江戸の土となりて即身成仏のみのりを悟らん、天窓に載せし黒木ハついの薪とみなし煙になる事を思い心ハ白巾もじ白脚伴の如く色気を去りて我と共に火宅の苦をのがれたまえ、惑いたまうな疑いたまうなと云うかとおもえバ夢覚めたり。されば砕けし人形も我為の善智識と思い初秋二日昼寝の莚の上にて五世の川柳戯れて書す。

(按ずるにこれ天保十五甲辰(弘化改元)年六月なりけり)

 

初祖柄井川柳七十回き追福会告條

夫柳風狂吟の起こりは宝永の昔檀林風の俳一変して前句付世に行われてより、宝暦の頃に至り専ら流行した其点する者東都に数輩なりしが、柄井川柳浅草新堀より出て其撰める口調俗語耳近く古事にもわたり人情を貫き面白きにより年を重ねて柳風のみ世に知られ、中ごろ題を捨て一句立となり月毎万句の興行ありて則ち暦摺柳樽等に出版せり。然るに祖翁齢い古稀にして寛政の初め卒せられしゆえ、柄井の長子二世を継で柳樽五六十の編は此判する処なり。此人文化の末に没して其弟柄井孝達三世となりしが、故ありて文久七甲年八丁堀風流庵に点印渡り四代目を継ぎ此の道益す盛んなる處、天保八酉年墨引の業を予に譲れしより二十年余りの今、猶柳の根分け諸国に広ごり千さとを隔てず枝葉繁茂せる事みな祖翁の余光なれ、其扱恩旁た七十回忌の追福を悼んと発する志評の面々麗景を呈し執持せんと議す。されば此流に遊び狂句に心を慰めたまハん四方の諸君子斯吟を数多玉ハらん事を願いはべり。

                      東都狂句判者五代目

    安政四巳年十月             緑亭  川柳謹白       

 

狂句百味箪笥自序

示す者なければ胸中の事なれども是を知らず、教える者なければ目前の鏡なれども是を見ずと梵網経とかやに仏も説きたまえる如く、名医の目には薬ならぬ草もなけれど凡眼には秣に等しく、世にある事皆教えならぬものなしと雖も心に掛ざれバ只徒ら事なり心に止むる時ハ悪きも亦捨るに及ばず、見て慎めば教えの師となる毒草変じて薬となる如し。されば人の用うべき品にはあられど、狂句に事寄せ毒にならぬ物かき集めて一時の笑いの種とせしは心の臓より出る欠伸の薬ともなるべきかと案じよう常の如くなき智慧一ぱいに煎じ詰めて屠蘇祝う初春より薬子となる児女や童にのみ込ませ、養生の補薬にせんと一二帖製し狂句百味箪笥と名づく。薬能書ほどに利かずと嘲りたまう事なかれ。

 

俳人百家撰自序

夫俳諧の名ハ古今和歌集に出て世々に風骨つたわり其道の達人は守武宗鑑を祖とし貞徳に式を定め宗因に檀林の一派はびこり芭蕉翁中興也しかありしより貴きも賎きも俳を学バざるハなく句集は浜の真砂の数を知らねど皆趣ハ花を詠めて頭仙の色を増し月に移してハ百韻の世情を盡しみよし野の春の吟松島の秋のことばずかの松のねもごろに世に伝えぬること筆許なるや、そか中に年此聞置たる説近く見たる風調これ彼取集て書嚢に貯わうれど、玉の声こがねの響ハこいためなく只古をしのぶ心もて遂に俳人百撰とハなしぬ。しのの葉艸のかりそめごとに似たれども寓言を吐て人を欺くようにハあらじと書肆の求にしたがう是智者の眼にふることなくいときなき童長くもて遊びとなりなんかしとはばかりをも忘れて拙き筆を染ることしかり。

 

遊女五俳伝

 

高尾

    君は今駒かたあたり郭公

三浦屋高尾は歌俳とも名人にて全盛なるは人のしる所也。画もよくし藤の画の自画自賛のさかづきあり。

    お情をくみかわす藤の裏葉哉

其頃客此盃を見て盃ひらきの酒盛せんと美酒佳肴をもうけ、高尾盃を客にさす客おさえたりと返しけるに高尾此盃のあいハ京島原の吉野太夫にたのミたしといえバ、面白しと尾情という茶屋に京の吉野かたへ持せ遣りしに、吉野も全盛なれバ今一度あらためてとおし返す、相手元改のあいを大坂新町の高窓太夫に頼んと尾情大坂へ持行き高窓呑で又江戸へ下し高尾呑で客にさす、此は盃を都がえりという。或時かの客伏猪の画をかきて高尾に賛せよとあれバ心にそまぬ客とおもい、

    いのししにだかれて寝たり萩の花

瀬川

    入相にひとのいさみやきょうの月

吉原町松葉屋の瀬川ハ和歌を詠又俳諧をよくす。遊客三文字屋何がしより凧をおくりこしたる返事に、

御約束の凧御こし下され早く揚て見参らせたくこよのう喜ばしきぞんじ、よよ此猩々凧こそ乙女の姿にハ似ずとも雲のかよい路ふらくとしてどこをまいぶみせんとてか、さりとてハあぶなく見えて一まい凧のすわらぬように、みだれ足とやらんハ余程酔てのことか、しかし盃と柄杓落さぬハほんの乱れあしとも見えず、又かたぶけんとや清其凧のにくげになまず凧のおどろおどろしきにうらまりて、おちてやぶられやせんと心くるしきうちに風もかわりて猩々舞をやめてえびすくうわざもおかし、いとめのちがわぬうちはやくおろしてたも。

    あげられてくるしき日ありいかのぼり      

 

濱萩

    うき人に手の恥かしき火鉢かな

濱萩ハ京島原難原難波屋与左屋与左衛門抱えの遊女なりしが、此家其此江戸の曲輪へ移る事になりて遊女十一人を連て下るに定りける。濱萩も其内なれば近き辺りにある父母を残し東に下らんこと悲しく、父母をも伴いて下らんことを願へど許さねば、客にかたらい願しに彼が孝心を感じ路金を与えてあるじに頼ミけれバ費をいとえばとぞ斯ハ申とうけ引けれバ○頓て同道して下り、濱萩ハ風雅に疎からぬ程の心なれバ勤の怠りもなく客も絶間なく此家おのずからはん昌しけれバ濱萩が親にも茶屋の見世などしつらいきし、はま萩も日々に安否を訪いその孝心世にかくれなかりしかバ後に冨家へ根びきせられ両親をも案堵させたり、これ孝のめぐみ也けり。

 

泊瀬川

    目ざましに琴しらべけり春の雨

はせ川ハ越前三国荒町屋の遊女也、俳諧に名高く其風吟、

    さそう水あらバあらバと蛍かな

    たたいても心の知れぬ西瓜かな

ある時江戸の何某殿爰に遊びいう事有しに、はせ川わがみあづまを一見せんと願う事久し、もし時を待て成りなバ御屋敷に暫止めいわんやというに心よく請ひきいいぬ、其後主人に身をあがない百日のいとまをこい、菅笠竹杖に身をやつし江戸につき御やしきに尋ねければ其君逢いいい、いうなれバかかるさまにて来りしと問るるに俳諧修行のよしをかたり、道の記など見せしかバ感じて日を重ねとどめいい同列の候に語り、はせ川が遊芸を手ずさびさせ諸方よりもいの数多在り帰る時は衣服種々の餞別馬五匹に負せて送りされど是を主人に皆とらせ其後出村という所に庵を結び生涯世を安く過せり。

 

三国野風

    来てのぞくひよどりにくし寒椿

野風ハ越前三国の遊女にて容儀勝れて才知あり風雅の道にも心ざし深く風儀気高しある時浪速より富たる遊客此里へ来り、野風をあげ芸子その外大勢を伴い花見に行けるが此客文雅ある人にて詩を作り歌をよみ手跡をじまんして扇にかき花の枝に下げさせ人々の無雅を嘲り野風の歌よまぬをさみし我ハ顔なるを見て野風をとりて、

    風いとう花に扇のぶすいかな

と短冊をつけゆるしいはれと立返りけり、其後彼の客猶通い来たれど断いうていてず人々いさめて身の為ともなるべき客なるに出いわぬハいかなることと問う人あれバ、

    ふり出しハかりそめごとのさつき雨

此客も其の気情をあらわして正しき事と皆人ほめけり。

 

梅翁宗因小伝

    浪速津にさく夜の雨や春の花

梅翁宗因ハ西山堂豊一とて肥後八代に住せしが加藤家にことありてのち、部門を遁れ身を雲水の行方に任せ心を花月の詠にとどめ一度伏見に寓居し又湖東に遊ぶ、又難波天満に移り正保のはじめ鴬の宿に隣れる住所をもとめ梅翁の名叶いけるにや、両枝に花の詞をひらき北窓に雪の力をそえて世にしらぬ人なく、武陽に下り俳諧の檀林をひらき年々盛にしてやごとなき人も此門に入る。

ある夏東山より大坂へ帰るとて、

    夏山や或ハ野にふす伏見船

夏の夜やあづま咄しに月ハ雨

あるとしのくれに

    くれ安しこんなことなら百とせも

その一夜明て元日

    立安しこんなことなら百とせも

 

檀林軒松意略伝

田代松意ハ江戸神田の産なり。宗因を招き友と計らいて始めて江戸談林を立飛鉢と号し、その口調変化の余情流行の体を説て衆人を励まし俳書数多著し、談林百韻をはじめ一字の働き一句の情こまやかに教えけれバ世間皆談林風せぬ人すくなし。

    されバ爰に談林の木あり梅の花         宗因

    世俗ねむりをさます鶯             雪柴

    朝露たばこの煙りよこたえて          在色

    駕籠かき通る跡の山風             一鉄

    詠むれバ供鑓つづく峯の雲           正友

此ころ江戸に此談林風をひろめらるハ此松意と伊勢の正友と二人して力をあわせ衆人に道をさとし東行の功を得たり、正友も雅舎強く名を得し句あり。

    入相のかね聞つけぬ花もかな

 

祇空略伝

稲津祇空ハ浪速の人にて始め青流と号し学に耽り詩文を翫い諸国遊歴の心出て、箱根早雲寺にいたり宗祇の墓の前にて髪をきり入道して祇空と改め奥羽北越に行脚して江戸へ出深川に仮住居して、

    寝ぬくまるあいにごそつく紙子哉

梅やしきに行て

    梅盛り手を引ほどの酔もなし

女達磨の賛に

    そもさんかとなさんかと出て

    九年なに苦界十年花ごろも

妙眞寺の大心禅師此句を聞いひ、よく禅意に叶へりとて誉められし、此人都に上り紫野に住て敬雨といい後難波より江戸へ来る途中箱根湯本にて没す。享保十八年四月十二日

辞世

    此世をバぬらりくなりと死ぬる也

         地獄つぶしの極楽し助

 

志道軒略伝

    遠近の人をはつきに呼子鳥

         覚束なくも過るとし月

深井志道軒ハ心学ようの講師にて浅草観世音境内に数十年出て講ず。無一草とて半紙六七枚の自分述作の本を種とし木で彫し陽物の形せし杓持て机を叩き終日可笑取しまりなきことを申せども、自然道理に叶うことある故にや人群集して是を聞く、されどもいうなる故にや僧をきらい出家が目の前に来る時ハことの外雑言をいいて滂る、然れどもただすむ出家一人も咎むるものなし、元来律僧にていみじき知識也と評判せり其名世界に聞えて一枚画小児の手遊の人形にも賣りひさぐ一奇物にして名誉の者なりしが明和九年酉三月七日死去す、無一堂と号す、その墓ハ観世音境内金剛院にあり。

 

俳風柳多留百十編序

十圍にして大きやかなるも百尺にして丈高きも柳のいさほしなりければ、から国のかしこき人も柳をめづる事すらなからず。又清水流るる柳蔭にハ西上人も腰を抜せたれど、風雅に枝折してゆくにハかわ柳にしく物あらじ。珍文漢文のむつかしき道に入らず風になびくの縁ありてさりきらびなく滑稽やわらぎて、おかしみあれバ見る物腹をかかゆるの能あり。予も是を見かえりて思わず笑いを発しあぎとの掛金をはずし、だらりと明たる口に任せ百十編の序をのべることしかり。

 

俳風柳多留百十一編序

柳樽ハ人の心を種としてよろづのことを見る物きく物につけ五七五に云出せるなり。鶯蛙ハものかハいきとしいきる物何れかこのまざるハあらじ。遍ことも是を見ばいたづらに心をうごかし黒主も立寄て見てゆかん事を思い在、中将や康秀ハ笑いて冠の緒をゆるめ喜撰ハ我庵に求メてかえらんとすべし、滑稽に穴を穿しにハ小町も顔を絵扇でかくさん程、此外の人々も一句をきかば人わるの心もやわらぎ、顔赤人の堅親父もはらをたたん事かたしというべし。されバ時うつりことさりたりとも青柳の糸たえずまさきのかつら長くつたわりて、心をえたらん人ハ狂句をあおぎ俳風をこいさしめかも。

 

遠州秋葉山奉納俳風狂句合序

隋提の柳は千三百里に植しと広大に聞ゆれども、今世に川柳ハ繁茂して扶桑に到らぬ所なし、是を異域の里数にせば広き事彼に百倍すべし、さればその根分せし遠江なる曳馬の連にて秋葉の御山に奉額の会莚を設しに、名にし無間の辺りとてここに三百かしこに五百三千あまんの寄句となれば、そが中より荒井鰻の筋よき趣向小笠松茸おかしみの句ハ勝番として賞するに、葛布のおりはえて誉れを得し者ハ小尾山鷹の羽をのしつつ光明の勝票とほこりかに喜び開巻の賑いさざんざ諷うに増れりと、かくして抜萃小冊となれば浜名納豆口びらきに風味のよさを披露して此滑稽も囲産に比し世に愛いえという事しかり。

 

吉例水滸伝会序

水滸伝と号て雅人豪傑を集め柳樽を開イ手舌鼓を打かつけ物を取てハ点の美禄と喜び其楽しミの抜萃ニ序を添よと乞われ、きき酒の味さえ知らぬと辞するに痺酒のしいるるなかれとゆるさず、下戸の勝手に其点味を賞ハ中華製しの上菓子の五羮餅餌に増るといわんと一寸おあいその口取に五世の川柳お茶をにごす事しかり。

 

絵本柳樽三編自序

茶人は古きを翫ど狂句ハ新らしきを賞す。人情すべて奇なるを好といえどもあまりに品替たるハ人また用いず。譬バ有髪の地蔵尊笑顔の閻魔王を開帳するとも信ずる者有まじ。胴のある観眼嗅鼻が頻迦鳥の湯出卵を売歩行ともさらに呼人あるべからず。されバ狂句の趣向も新しきを好といえども、柳はみどり花は紅い、やはり古風の姑のかたくな嫁の嗜、下女のはすハ居候の物に把えるなんど、皆柳風の道具なれバ其滑稽を画にあらわして絵本柳樽三編とす。此道をこのむ初心には是下流を汲で味わうの一助ともなるべし。

 

四世追福しげり柳序

草の朝露夕風をまたず、散かせ宵の稲妻暁の雲にとどまることなし、澪の菊を翫び園の桃を愛せし人もみな昔語りとなるためしにて、常なき世の有さまとはしれど爰に四世風流庵の翁風月にこころをすまし、久しく狂句のことの葉に判して其名四方に隠れなかりしが、過つる辰の春かりそめの悩ミと思いしに、如月五日夕月と世に雲かくれしたまいぬ。忘れては夢かとぞ思うと歎きしも、きのうたちきょうたちて此ごろ遠近の国々までこの流れを汲る人々さ礼句をつづりて蓮たいにそのふに心の泉わきいづる侭花鳥によそえて哀傷を沈吟し、露をしたう春の別れ朝霧をいたむ秋のおもい、すべて五七五の上にあまねく衆生のことわりも顕れおのずから法門に心をみずる中だちとなり、讃嘆巨益結縁厚け禮ハ是おん持経にまさる手向ならんと梓上せてなき魂の余哀をとぶらい、聊報恩のこころざしをのべすべる。

 

新編柳多留初集序

狂句ハ人の風俗に虚実をそえよろづの滑稽とハなりれける、そのかみふりにし昔より住吉の松久しく、浜の真砂数しらぬまでやぼとなれかしこれかたの、わきをもさらずひなのいやしき事とても、すつる事なくやまともろこしのおかしき事呉竹の世々につたえて池水のいいふるされず、先師まで四代机上にみてるを柳樽と題してもも飾りの冊子とハなれりしかゆえよしあるて今其数さだかならずなりぬしかありてのち、予がチ斧くわえしハ時にあぶみのいさら川、いささかなれど花の春月の秋に吉野川のよしといい、流せし句もまたすくなからず、たとえば土の中のこがねを取り石の中に玉のまじわれるを撰る如くぬきいで、葆しほ草かき集しをつかね置んもほいなく新らたに編を改め、しめの巻とし鴫のはねがきとはかきももと限らず幾編も稚人のもて遊ぶべき物としすがの根の長く世に伝えん克をねぎて天保丑の年の睦月五世の川柳佃の浜ひさしにおいて是をしるす。

 

新編柳多留十集自序

連俳のみな上ミなる酒折の宮より紫のゆかり求る武蔵野に維還する旅駅朝露ひかる玉川の辺りに柳に遊ぶ風流の林あり。あまつたう日野より高尾の山に隣りて琵琶瀑布のしらべたかく、万年水きよく伝い水無川ハしみ潤いを添る故にや、爰より出る狂吟ハ張るも勢いありて昔今人情に通じ恋が産の苦界の穴をも穿ち、或は月に影をたのしみ花に家路を忘るるなんどの滑稽ハ芦の下根の繁くして河原の砂利の数しれぬまで有けり。されば其溢るる水道に引て東都の柳橋に詰め俳風に入たつ好人等に汲ませんと巻を重ね編を継ぐこととハなりぬ、猶時うつり事さりてもよみ柳の糸長く常盤の清水たゆることなく一河の流れ百瀬に広ごり此道の栄んことを寿き聊つたなき言葉をそえ序辞を加えて及ぼし侍ることしかり。

 

新編柳多留二十一集序

爰に一種の造化あり。狂句天狗というものにて愛宕高尾の杉にも住ず柳の蔭に群つどい言語ハ虚にいて実を行い、又実に居て虚に遊び風流をこのめど天狗俳諧というにもあらず、小神通もある如くよく浮世の癖どころを知り穴を穿て雅言を仕出し打つけるに、判者の的をはづさざるハ天狗礫に等しく、虚空に景物をさらいとれバ慢心鼻に顕れて高く、又口此角のするどきもありて其宿然旨ハ弦めその天狗酒盛にも用いねど、柳樽の銘ありて深山幽谷までも是を翫ぶ者おおし、よく汲とれバ世の人情をしり一物多用の徳あれバ牛若も此一巻を乞い得て虎のまきに比すべしと手前勝手に誉バ其境界に居並ぶ緑亭という老天狗鼻をぐにやつかせよしなし言を述て序とす。

 

新編柳多留二十四集序

君子も愛る如意宝珠の玉川連にて七福の会といえるを催せしに、遠近の人々智慧の袋の口を明け大黒の槌もて打いだす如く滑稽自在にして、恵比寿の鯛ほど新しく磯部の岩のいわずともしれし狂句の柳の一曲天女の琵琶のしらべにまさり、趣向おかしみさまざまなれば観る者とうの眠りを覚まし、毘沙門の怖い顔も笑いをふくみ布袋も腹をかかえつべし、されば流行たえせず寿老の頭巾の折はへて巻をかさね編を継ぐ事とはなりぬ。なお福録寿のつぶりに比し長く〱吉く世に伝りて書肆の宝船となり、聲を帆にあげて人のもとめん事を寿きてはしがきすることしかり。

 

風嘯居士追福会序

奈麻余美の甲斐の国一丁田中いう里なる風嘯のぬしは、みやびを始める人にて早くより東渓の桃の林に柳を移し、月に日にすすみて狂吟をたのしみ花の匂いを添しことの葉少からず。然るに霜柱日に弱々水の抱きへやすきならいにて過つる頃はかなき数に入いひぬ。されバしたしき人々さら火別れのことゆかしう名残の露袖に飾り、且此里々柳風に遊べる人の澤なるも居士が丹誠なのハ扱恩もだしがたく遠近にしめして追善の狂句を乞いしに寄句三千に余れり。兎角して仲冬二十日菩提所に御莚を儲けひめもす吟聲の忘しをのべて牌前に備えしかバ是ぞ成等正覚の回向に比し随喜の功徳むなしからめやと其抜萃を梓に上せ小冊とはなしぬ。結縁のため此事のよしをしるすべき需もだし難く聊拙き筆を染すべりぬ。

 

日吉山王宮額面会序

しらまゆみ斐太の府なる五柳連といえるにて産神日吉の社に狂吟の額おさめんと会莚を催せしに、遠近の好人等橋のゆかりを求め籠の渡しの引もきらずに集い、高山の名にめでて寄句いくばくぞ冊なりて是を閲するによきたらみの材をきるが如く、雲のまさかり月の斧ことの葉をこまやかに砕き位山のかしこきふる克又ハ推読俚語ともに洩らすことなく、夜半の苗田の道もあかるく七夕岩の恋に基キてハ飛虹石の掛て物思うことを結び下さまの間府の穴までも人情を穿、宿灘の窟ならでいと広く言なし下呂の温泉の相応せし滑稽ハ大清水の吸どもつきせず、そが中に誉れなるハ古いいえ錺る錦山の茸に比して抜上げとなれバ、根尾の滝の勢い響き材木石のとことばに名をや残さんと撰たるをかき寄さす柳根はる梓にのぼせ松の橋の色かえず此道の久しくさかゆくことを悦び、ふつつかなる老木の雪を戴き腰も曲りてさし出たる拙さをかえり見ず打思うままをしるしてはしがきとはなしぬ。

 

柳の小多留序

昔いづれの上戸の詞にや世に酒樽ほど羨しき物はあらじ。つねに忘憂の薬をたたえたり何卒酒の尽きる神通もがな其酒を海となし、その糟を丘となし高きに居て仙遊観のことぶきをなし一挙万里の心をなぐさめんと言いしとかや、されど酒に得失ありたしはにも又上中下の差別あり、今仮に風雅をもて是に譬はば先ず和歌ハ上品の酒宴にて九献と称し美さかなハ何よけんなどとやぼとなき方のさま也、連俳に至りてハ酒の席も去嫌いあり巡る盃も法ありて人柄向也、又狂句は茶碗酒の如くにして肴ハ何でもありあわせ賢とすすめて聖と踊り興あれバ旨味あり、趣向は下昇ても口当りよけれバ好みて集い誉翫するもの多く抜萃編を継ぐ事もたけなバに及びぬれバ予も手伝て勝手をはたらき二ッ目の小樽の口をあけることしかり。

 

入船狂句集序

山は富士柱ハひの木魚ハ鯛といにしえ人の詞を其侭馴て世をふる日本橋のもとに入舟という柳風の連あり。名にめでて風雅にのりこみ發会の催しありしに、諸国に同意の人々の寄句ハ潮のわく如く網引の綱のひきもきらず、心に浮める智慧の海にしき波打て句数も増し浄書の筆の汐さきよく、冊は早舟送り撰みはまほに片よらねどかたほにえみの開きとなり、披講の口も八そう艦勝句の河岸揚人の山、さて景品の揃をわかち吾板舟へはこびとる是あたらしいに調の魚品、名を売る上手も書とめて水揚仕切に比したる小冊俳風好みのふるまいあらバ爰より買出し調味しいへとおのれもひいきの商いぐち催主とちなみの生ぐさき佃の島の川柳述。

 

入船角觝会序

それ人を賀するに鶴の齢いにたとへ亀の尾を引て長く祝うハ常なりと、短きかあればこそ長きもしらるれ悪ありて善もしれ下手もありて上手も顕れ得失一戦にしてうき世の道具とす、愚は賢に近きも此理ならん、周の老莱子は戯れ舞ておろかをあらわし親の心を慰む、爰に下手丸子ハ下手という名をひろめんと会莚を設け人々に楽しまするをよろこび上手に先を求めんとせす、他に誉られるることを頼む昇下して遜るハ頴水に耳を洗われし清き心と同じかるべし、されば得にも遊び失うにも遊ぶが風流なれバ寄句たちまち七千に扱い開巻の賑わいいわん方なし。偖其抜萃を梓にせしかハありしよしを記して序とすることしかり。

 

東宰府天満宮奉額狂句会序

東宰府のおおん神ハ緑毛の亀戸に跡を垂いいて、幾としなみも文道を守り筆のすさびを好ませたまへば、彼笠置連歌とハ一ト坂下りぬれど狂吟の会興行せんと雪杉よし同等是を披露せしに、風雅に遊べるゆかりの人々藤の花房心を揃えて飛梅の遠きをいとわず、風狂の詠草を投ずる事みたらしの魚ならで手を打つ間に集まり句高は万燈の数にもやや増たり、さればその編冊より反り橋の聞わたり、よきを撰りしたため額堂にかけて詩歌の中に交へぬれど鄙言俗風の賤き姿の立ならいていかでか松のに及ばん、されど柳の素直なるを神もまた愛いうらんとはばかりなくほこれるを罪にて浮殿の老夫の如く鬼に縛せられんも怖しけれバ只需が侭に拙くも序することしかり。

 

住吉奉額狂句合序

きしの姫まつ枝をさかえめぐみの露いとしげく時誠風静にして海原の月をてらし千木かたそぎの高きを仰ぎ住の江御社に狂吟の額たいまつらんと思い立しに同じ志の人々力をあわせ此夏ところどころに伝えぬれバ寄くる句ハしき波打て潮の湧如く筆の海汲ども尽ず心々に迷いハあがりたる世のことぐさ又は今様の世話克さまざまなる風情につきてものいわぬ花鳥にものいわせ、心なき艸木にもこころありげにいいなし其つとえたる澤なる中より目にも耳にもおかしとおもうを撰るて神にささげ梓にものぼせ不為の如くすり巻とはなりぬ。これや好める道のさちにして今や朽木の柳眉をひらく時いたれりとよろこびにたえず、何の魚なき事ながら拙き筆を染てはし書とハなしぬ。

 

眞琴楽只両霊追福会序

あしたに変し夕部に化すとハあたし世のならいにて桃渓連なる眞琴楽只の二人リハ柳ぶりに遊びて雅言のいさお少からずあること人にしれし身の忽一閃の電光と消えはかなき夢に名のみ残しいへり。唯いたましく人々惜ミあい追悼の莚を設け雅友に狂吟を乞う夫人の念慮ハ菩提の障也といえど、風雅に至りてハ心をすます中立となり悪念きおう事なく理を尽くし情を知らする事はさにて放逸おさまりをうす事なけれバ、よしや古禮出難の要文にあらずとも悪趣の因には有えからずと、その抜萃を一稙の香供になぞらえなきたまの飾哀を吊うという事を序のように盛くわえはべりぬ。

 

神田御社永代奉額狂句会序

武陽神田に鎮ます御神ハ霊徳の和光塵に交て民草を恵ミ置くよつに道を行う者にハ幸福を稟しめ、亦僻々しき者にハ罪を蒙らしめいえば人皆いたくかしこみ奉りぬ、然るに匂宿来方のふたり此御社を信仰の人にて狂吟の額を持んことを發し柳ぶりを好める輩へ其由云ふれしに、やがてざればみたることの葉数多く集りその風紀は高き綫き世にある限り又ハ友情非常遠き海山八重たつ雲のよそまでも洩す克なくそぞろけきことくれ計うべからず、扨もの定めの席にハつとめてより星をいただくまで青柳の枝に宿かる一日千鳥の声々おかしきふしぎこえなせば、神の御顔の程も笑みをふくませいうらんとすがすがしきを額にしるし其余を梓に上せぬ。それにはしがきせよとあれバいなびがたくあやしゅういろなきことながら唯ありしよしをあいしるしすべりぬ。

 

里童居士追福会序

詩歌連俳は諸宗多門の如く法海の智水ふかく秘訣おおしといえども柳風一派ハ去嫌いの雑行を除きて、弥陀一仏をねがうがごとく心を脇に振らざれバ無異のたのしみに至るべしとこれを得度せしハ里鳥子なりしか頃常なき風に誘われ三途の西河岸に弘誓の船の乗合とはなりぬ、ありし世にかわらず歎きをとぶらう親しき人々枝仏に花をささげんより好める柳を手向けんにハしかじと追悼の催し有しに、志評の功徳も四十八願風雅に擬たる有縁の衆生は悟念滑稽の思いあれバ願力不思議の妙句を吐とほり点に登る快楽ありて会莚歓喜の声のみ在れバ去此不遠の極楽と云うべし。されば其抜萃を一ト巻として読談せば讃佛乗の縁を以って善庸に生して佛果に至る因とも成なんと麁言を述て序とす。

 

海内柳の丈競序

夫相撲ハふたちとせの昔より始まりて、これに因ミ歌合する事も古くより世に伝わり、また連俳にも此ためしをまねう事あり、然るに小とりつかいという事ハ大内において殿上童の集い七夕の宴にすまい取ことにて、各夕顔の花をからえに挿を式とせり、是を今擬するにあらねど柳の一派を面に顕し大相撲を興行せしに、東西より数百の力士土俵に寄ていかめしく五七五にしこふみならせバ、行司ハ手に葉に目を配るに皆こっけいに手をつくし或ハ故事の持出しあり、句種のまかいも捻り出し鴫の羽返し細かにくだき警喩のつまとり大わたし、類句ハ突合組ておち無勝負となる者もあり、道に黒いハ烏とび飛逢いの怪我まけあり、寝るハ忘れずとも夢枕上手ハさまたを救い投、花になぞらう景物をたくりに取こみ、ほこりかに名指をしらせる功しあり、のこった名手も多けれど次の場所まで預り置脇より取手の番いもすみ、勝負は誰やら顔ぶれやら摺出す端におこがましく年寄役に筆をとりありし次第を誌になん。

東西何れも勝せたく判に依怙なき心を

    風の出ぬ団扇あけはや花相撲

            五代目 川柳

 

柳の多無気序

軒の玉水残りとじまることなくかげろうの有にもあらぬ夢の間に無常のかせいと度吹来れば、広野の苔の露消てはかなきハ世のならいなれど歎きてもなげきぬべきハざえある人の齢い短きなりけり。爰に桃渓連なる眞占梅園のふたりは世の中のことにさとくよそならず、おのれもはつひかたらい人々なりしが、とみに黄なる泉におもむき給いぬと聞て、あわれとも何ともことの葉さえなくて只涙おちてやらんかたなし。されば親しくふかき人々いとおしみ思いあえぬあまり、いませし時好める事とて追福に狂吟の莚を設け、悉得仏果の心もてくさぐさの吟聲を霊前に手向く実にも見やびハ花の薫りの如く物の潤いのごとしとあれば、御禮を微妙香潔のちなみにかたどり仏は縁により九界の衆生を助けぬいうとあれバ、開楽悟入要文ならずとも功徳のはしとなりなんとそのよしを拙き筆にしるしはべりぬ。

 

柳の露序

上田よしほのぬしハとしごろむつましうかたらいし中なる故、過にし春予がいたつきを訪いいし時たわむれに鬼のねふつの画賛を出し、こハおのれの辞世なりと覚悟めきて云ぬるに、そハ僻事也我に得せよと袂にして帰られしゆえ、さかしたちて見せしことを悔つつ夫よりいくばくもあらぬに、秋のはじめ思いがけづとみになくなりいいしかバ、心まどいて涙とどまらず新ねもころにといし人ハさきだちとはれしわな身ハ年を積世ハ只夢のゆめなりとしのいあえぬ折柄、其息よし子のぬし追福の狂句の会を催して摺まきにはしがきせよとあれバ、有し事ともと其画賛をも写し手向艸の数となして求にしたがいはべりぬ。

   鬼蓮もしゅうもく  

葉をうつ西の風

                    

           川柳画賛

 

新五百題自序

和歌は題林あり俳に五百題ありて世に流布し初心題詠の力草となれば、狂句も是に准じ部類をわけるふみあらまほしという者あれど、それ狂吟は題に着せず森羅万象句の種ならずというものなく、趣向をたくみにしてこころなき草木に心をさけ物云わぬ鳥獣にものをいわせ、山の邊の露のするがなるにも言葉に花を咲せ八万四千の思い皆句の題にしあれバ、いささに初学びの法りとすえきば人の詠せし句体を見て、わろきハ捨よきをとりて口調をまねぶ是才を盗に似たれど、いにしえ女をぬすみて芥川にさまよい、さくらを盗みて園に埴しこころにもおとるべきかハいたずらいなる僻事のようなれど風貴を行朝迫道とも云べし。ここに二百余吟ミ章知の抜萃あり撤て紙虫の栖とせんより、五百題と名づけて書肆の鬻むことを云ぬれバ萬こころにまかせぬ、されどこのふみ達人の用にあらず雅童の蒙撃にぞ能うるのみ。

 

地方判者立机免許案文

一、其許義年来柳風執心にて狂句の引墨致度旨任懇望立机員許候義実正に付然る上ハ左に証し候掟の趣急度相守可候申候。

    柳風式法

一、政事に関係りたるハ何事ニ寄ず作句撰を致すまじき事

一、近世の貴顕官員の実名など句中に取りむすびたる風調堅く引墨致す間敷事

一、恐れ有る事ハ不及申譬恵知己ニ候とも人名を顕し讒謗(ざんぼう)がましき句体ハ一切致すまじき事

一、賭博出火刑罰等の不吉ケ間敷句作ハ一切禁忌たるべき事

一、句撰の規則ハ天朝を尊敬し敬神愛国を旨とし往古の偉人忠孝道徳五常の教導技芸の名誉奇特句体を尊ミ高番に据べき事

    右ハ自然善行の道句案ニ浮ミ歓懲の一端にも成るべき故なり

一、句撰ハ決して依怙無之風流専一ニ引墨すべき事

一、累年我柳風に於てハ聊不将の者無之候得ども此後万一不法の族ありて句賞に事寄せ通貨など取引候哉の風聞もこれ有り候ては以の外の一大事の儀ニ付此段精々注意し是迄の規矩を崩さず柳風永続いたすべき様心掛け専一の事

一、開巻席上ニ於ても相済候迄ハ禁酒いたし雑言の上争論これ無き様慎ミ風雅ハ盟友と睦ミ交り厚く人和の基と申大意を心得幾久敷此道の繁栄となり候ハバ元祖柳翁への孝と風流の功と相心得承知可致候様大畧書送り畢

                    狂句判者

      月  日            五世川柳

 

梅柳吾妻振発行祝吟

    若木なお盛り見まほし梅柳

入船連発会祝吟

    岩に龜古具かくして波にしづか

神社奉額諸会軸六章

    みとし路に世々頭たれて澄る月

    帆数添う入津の的ぞ神の松

    邪鬼のみ朝暑も退くる夏秡

    敬して朝暑を遠ざかる神の社

    洩れたること程千代を経る子の小松

    信あれバ徳を積そへ湊入り

仏閣奉納会二章

    すかれ只解脱の因の善の綱

    苦逼身すかれと慈悲の善の綱

追善会手向五吟

    玉と見て惜しめともろき草の露

    根にかえり程慕わるる花ことみち

    散てなおにおいハふかし名取草

    枯落てこんじきと化す散松葉

    石碑にもなき名埋ず苔の花

題三香庵茶宝

    四季ともに茶は隔なき閑の友

初空

    一トとせの手力雄なり初がらす

春興

    虎の尾の花も嘯風は忌み

田家

    幾つ目の笠既顔優美な田植唄

七夕

    散り初めて秋を知らせる星の歌

豊熟

    掛稲の下へ垂るること民の汗

麗艶

    派手やかな重ね着見せん冬牡丹

雷公

    臍塚をつくべき程乃御怒り

瀑布

    瀧の音あつさはそばへ寄付ず

燈蛾

    蛍にも恥よ夜学の灯とり虫

混題百七十九章

    立澤も心なき身はすぐ通り

鷺とからすが泊つてる馬喰町

捨る子の膝に臍の緒くわし袋

蚊屋へ蚊をいれる娘の髪の出来

雷も及バぬ蚊帳の臍とへそ

枝豆の流れ矢憎い顔へ来る

照る月を微塵にくだく岩の浪

根引した松高砂の気にいらず

如菩薩の来迎花のふる夜也

三千ハ枕う用な春一チ夜

天井を釣我家を潰される

神代にもきかぬ千早のはかりごと

九ツの星で願道もくらからず

うその近所に八百の料理茶屋

桜の詩案山子のような形リで書キ

江戸の馬田舎ではねた役回り

番附の聲ハ娘にはつがつお

楽屋でハ御台所も茶わん酒

何よりの要害善を高く積ミ

四の足を踏で葛の葉別れる

ちくはいわねエほれたアと軽井沢

又喧嘩将も内儀と両隣り

間男のぬかりハ下駄をはき違イ

四ツ手駕籠餅をねだった例なし

宿下り朝寝の蚊帳も片はづし

其さそく末世に薫る香爐峯

障子の穴から垣間見てべっちゃくちゃ

子斗で亭主のしれぬ鬼子母神

死そうな六部のそばで境論

恋無常中の仕切に土手一ツ

武内死で孫子の施主ハなし

民の作実に有がたき菩薩也

末期の湯呑で寝顔最後也

折ふしは宗論も聞く木賃宿

奥家老髷を失念仕

異国から来ても鸚鵡ハ江戸言葉

笑う日はおもしろくない泣上戸

嫁が来て仙洞となる母の雛

相傘の片手を廻す水溜り

松ヶ岡雁も三下り半に下り

入仕事鉋を研ぐに念が入り

こぼさぬを自悟して呑む舟の酒

今になる苗を田中で仕付てる

釣針で襲女の縁に引っかり

橋の上女雪踏に人だかり

花や今宵と詠置て根へ返り

才蔵が乗地になると嫁かくれ

九太夫が髷蜘伸巣がからみ付き

思いしりなんしと宮城野ハえぐり

古へのがらくたならぶ霊寶場

有難さうらみるものは瀧斗り

寝返りをする筈夜具の無心也

大笑い腹をかかへて下女さがり

嫁の月星をさされる迄隠し

武の蔵へ五幾七度を詰メ給い

恐悦を月の名所へかつら姫

黒馬の節会行う相馬御所

はづかしさ知ると女の苦の始

居ながら名所を詠でる火の見番

女房の吟味もされて初回もて

鰒の家又死たいと禮に来る

食えぬはづ箸にかからぬなまけ者

どの道に帰る思案の橋でなし

心までとかすつもりで櫛をかり

嬉しさにつもるうらみもうち忘

涼ミたがるハむし付た娘なり

草をわけせんぎされてるきりぎりす

妹ゆえ生れもつかぬ二本ざし

転バぬ先に杖にする子を仕込

頼母子からぬ杓子だとほうり出し

ぴんとして女房は路次の錠をあけ

常羽織隠し裸にする気也

遊女下女済度ハ江戸と江口也

小便に陣屋へ帰る女武者

御預ケと号し立派な居候

代参のふ首尾は蓮の根をふられ

五十四帖は性わるの一代記

文もみずとは色気ない時の哥

ちとこわし親父小言を今朝いわず

そいとげて小指斗りハチト不足

鰐口をたたけばあけぬ山の神

恋の三代実録は紫女が筆

棒炭の針ほどになる寒い事

島々へ御慈然のわたる大法会

ひまな日はこよみ見ている結納屋

金五両とるべらぼうに出すたわけ

切レ文の文云いたい事ばかり

印形の盗人肉を分けたやつ

宇治の網代に甲冑の土左衛門

我智恵を子孫に譲る家の集

細見の馬が武鑑の馬をふり

急用にどもりすこぶる苦しがり

癪をおせとは過言なり身共武士

拂子にて集めた金をヒで捨

八雲立までは六義もおぼろ也

河内木締も高安の恵歌づけ

何をきにし奈良の団扇と涼み哂落

武者一騎虫干の座でしかられる

うつ水のぬかり思わず人にかけ

豆腐の湯度々貰うまめな下女

譲りもの通り名及にから箪笥

肌つきのいいめりやすが御意に入り

お流しなんし今に湯が出来んすよ

廬生が夢のなかばで平家さめ

敷居は高し梯子へは揚られず

月雪もよほど苦になる花の廓

ひよめきへ荷痛みの出来る黒木売

夫までは憎さ顔の寿もいのり

後家を皆泣せて廻る吉右衛門

いたむべし其前表を蜂がさし

太守でも傾ば城は落しかね

物くるわしく候ぞもん日まえ

藪と笹とで名の高いそばうどん

母も味方に付兼る昼帰り

都では梅を盗まれたと思い

にょいと出た顔が三国一の美女

酒を止メたれどやっぱり銭がなし

海に入ルみさおを山で御したい

穢多の子は先ヅ蛙から剥ならい

朝帰り見方と思う母は癪

御武徳は客を臣下となし給い

印和見よ廓は夜光の玉揃イ

引眉毛めでたくもない廓かえり

おむつにと九十二人に巴いい

やるもおしかざるもつらし母の雛

稲舟へ雀乗り来る最上川

啼ケバこそ鳥とは知れる雪の鷺

船中に腰縄で居るいたづら子

立チ習う子に行灯を母おさえ

玉垣に蔵書も多し村鎮守

りちぎな盛おき明細に借のこと

手が利て針の莚に嫁居とげ

高尾が失礼三浦屋は度々詫る

ますます立腹名代の高鼻

娘茶にして十三がそろそろだへ

世を捨た如くに芸者世帯持チ

そつと明く戸の内外の面白さ

九ら助へ礼参りしる二十七

門遠イ歳玉壱ツ損て濟

火縄箱中にからんだ文も入レ

孝霊の前は名のなき翌見於

十返りも見ると不首尾の松となり

別荘を烽ナ包む定家公

水に手遠し猿橋の月の影

ぬれる子におぼれて母はおよぎ出し

馬士矢がそれて櫓へとまってる

狆に吼られ口上の胴わすれ

床下へ念仏を法る善光寺

新関の初手はきびしい物とがめ

白拍子旗色のいい方へほれ

憎くない物ハ財布のふくれつら

あたつても見たく炬燵に後家壱人り

我が袖をぬらすが義理の愛合傘

鶴千羽放す気は似ぬ獣狩リ

立聞も人のにくまぬ儒者の門

稲田が勇に鰭のつく御盛状

武の国にまけたまけたは市斗り

釣りを見限り女房は河岸をかえ

犬のたいくつ椽頬へ腮を乗せ

江戸の気性柄杓のぜにをはちへ捨

    陣中に外科の居眠る勝軍

流行ル形リさっぱり親の気に合ず

猫を呑ミ井戸を替え干す長屋中

一休に毬や羽子板捨て逃げ

諸事前の通りと解る後三年

高い敷居を弐三寸酒が下ゲ

流し目の厭面は人の落し穴

笑い声屋根屋褌〆直し

箒でも灸でもきかぬ居催促

戸を明て礼を請取る御駕脇

楽しみにお七仏の日をかぞへ

びんぼるは顔に木目の皺が出来

間柱が突ッかいになるけちな内

明ケ建に襖の船の島かくれ

 

 

 

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