二世川柳
俳風武蔵野むし撰序 筑波山の滴りたえず俳諧の道ひろがりて、都鄙の風士貴もいやしきも是を翫さぬはなし。はたその流れを汲で我柳ぶりの前句いうもの今世に連綿として春に木の芽の生まうるにひとしく草のもゆるがごとし爰に有幸のぬしこたえ新に大会を催せしに、衆議判東西を合わせて二百七十株斤勲高四千九百あまんの寄句となりしは爰有幸のいきほしとやいわんよりて以って一会の秀逸終に柳多留追加とす又幸いならずや。
草庵をいとなめる折四方の諸君に謝して 世の中の恵みをうけつ帰り花 父翁大士忌追善句 果てはみな仏の道に落葉哉 天満宮奉納句 日に薫る梅や社頭の道置に 神楽坂毘沙門天奉額軸 鶯やなれも百千の法の声 佃島住吉社額面会軸 しら波を神の花垣や御廣前 鼓腹 並なき寶や民のはらずつみ 安臥 邯鄲は物かは見代の高枕 八橋 杜若二た鎌程は水をきり 三郎 足腰も立たぬほど飲む恵比寿講 北廓 桜までつき出しに出る仲の町 親疎 渡し守一竿戻す知った人 放蕩 傾城の泪で蔵の屋根が漏り
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