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十世川柳

 

 

十世川柳嗣号立机披露会柳風狂句合跋

おのれが川柳十世の机を継ぎたることは実に意想の外にして回顧すれば七世広島川柳時代なりし。柳風界に出来ごとありてよしなきことども耳にするもいまわしければ袂を払いて川柳界を去ること数年、殆ど八世児玉川柳の世の中をばおのれ知らざるものの如かりしに、八世児玉氏死亡して後宗家の机を誰に定めんかというに際し錦多楼鉞布亭寶子の二氏来り、強ておのれをまた斯界に誘う時に九世川柳其人を得るの選挙会あり此会に於て和橋義母子氏多数の投票を得て以て九世川柳の机を継承す。氏暫く年あり九世川柳没するにあたり十世川柳の衣鉢を友人開晴舎昇旭氏に譲与せしは鳰の葛飾南かたなる三囲神社内に建たる九世川柳が碑文に裏記する所なり。然るに川柳社界の一部にこれの継承に異議の聲を高うして曰く川柳は世襲のものにあらず汎この道の人々に触て川柳を選ぶべしと衆論これに一致して其継承者を選定せらるに下手の雪雁を以てせり、おのれ此器にあらざることをして再三辞せどもゆるさず終りには昇旭氏来つて勧むるに、お前は正に斯界の認むる處なり拙者は家政の繁を未だまぬがるる能わず是非とも此机に輩すべしとのことを勧告せり。我れ茲に意を決して暫く十世川柳の机を継ぐの余儀なきを諾し斯界諸君の賛助を得て此立机会を開催し今此摺巻を頒つと云爾。

 

旭海楼主人が古稀の寿延を賀す

東京の東方に廓あり称けて洲崎弁天町と呼ぶ。此地や遠く房総の南山を望で寿を表し近くは東海の福潮水とともに漲り来たるという夜なき域の別世界、表に高く不老の門あり裡には楼台連り立て宛も蛤が蜃気海中にたつの宮居を現ずるに異ならず、かの浦島が子の玉子函得たりしも或はこのわたりにやと思うばかりにめでたき深川の浜辺に家居する昇叟釣人が古稀の齢いをことほぎて、其息昇旭子が開かれるよろこびのむしろに列ッたる我れ人の数を挙ぐれば千鶴万亀此盛会なる実に治れる君が代の千とせのかげとも仰ぐべし、つまらぬは唐土の僊人たとえ長寿は保つとも露を汲で酒に換え雲を食うていいとなすては、下手の考え休むに似たる囲碁の長尻内へ帰れば定めて宿なし何の劫なきため那杣それとは黒白打て変り我が日の本の蓬島不死の寿妙に巻老酒昔百薬の長という酒も鬻ぎて東京の東方にある不夜の廓花の街たの軒並び弁天町に家居してよるとし波の福寿海集まる徳も深川の叟とこそは祝い侍れり。

 

待乳山奉聯会狂句合序

おのれは浅草の大然閣の後畔千束の里に住めり。月花のあした夕辺あるは雪の眺ども近きあたり待乳山に詣う祭りて隅田川の清き流れを汲みしらず〱はたち余り七つというとし月をこの里に消したり茲に於いて

    春華千里   寶蓋至天

    秋月一川   金砂布地

という対句を撰びこれを自ら書きて此丘に祭れる観喜天の宝殿に納めたり、こは隠れ家の茂睡りこころにはあらねどここらあたり跡とう人のあらばよみて下手の横ずきをあわれとも見めかし斯て柳樽狂句界の友とちこの挙を賛し此附句を二字結びの柳風狂句にものし、鉞皆眞昇旭の三氏を立評とし都楽一盃の二氏楽判となり一三六氏主幹としてこの道のもろ人に觸れ本会を催し、今は武蔵の国鳰の葛飾南かたなる百花園に友集をなし此巻を開く、干時明治三十七年十月十六日の好天秋高く前裁の千種爛漫咲尽して菊花香薫秀吟の披口に交り紅葉萬朶を照らすの似なりき爾しるして序とす。

 

寶集亭化笑佛一週回忌追福狂句合序

柳風狂句界にむかし男ありけり、号を開明舎名を化笑という、先考化笑氏の男にして父の名を襲うて年あり酒をたしなみ出鱈目の太郎冠者を舞い昔日流行せし大津絵節又は都々逸一坊仙歌の節を好み自ら一種の新作を案出して塩辛声の妙味に万場の聴衆を酔わしむ、然して世事に在ては中々に野暮ならず其行う所日進月歩に随がえども、今人交際上の軽薄に流るるを憤激し談ン偶茲におよべば感泣して江戸っ子の面汚しなりと怒呼す以て生の善良なりしを推知するに足る。おのれ曩に羽前の国東置賜郡漆山なる勢柳会の催主に係る日露戦没戦没大捷紀念狂句会の招聨に応じ降羽せし際、都楽化笑の二氏とおのれみたりが同行の名を笠のうちにしるし宮内の里に至りて本会の盛宴に列りたりき、其帰路塩釜松島等の勝地を探り水戸を経て東京に戻る此行旅に日を消すなぬか間斯くやとりをともにし寝食をおなじうなせし甲斐もなく爾来半年をも過ぎざるに化笑氏病むでたつ能わずして、曰く死して珍聞漢の御経に指せんよりは生前川柳の狂句をして引導を授けよと強ておのれにこれを求む、おのれいなむによしなく書きて下の一句を与う。

    惜しとは御世辞不足のないとしだ

化笑氏見て唸々大笑これにて大往生を遂くべしと後ち幾應もなく明治四十年五月十七日行年七十三歳を一期として卒す。翌年戊申初夏親族故旧其一周忌の追福会を開催し捻香経華はさらなり添るに狂句数千百詠を手向け以て此摺巻と為し十方諸彦に之れを頒つと施主一同の総代を兼ね十世川柳拜自序とす。

      軸

化笑氏氏生前わが狂句堂を訪う殆ど隔日、而して晩盛の卓を共に為すを常とせり中に就て雑談偶々其亡父のことにおよべば、おとっさんわるかったと云て若年時代の先非を詫う、今地下の状察するにあまりあり。

    極楽で親父に逢て泣き上戸

 

蝶々子甘屋追善会序

無き人の俤目のあたりに浮かびて手向る花の唇も物言わぬはいとかなしきものにこそありけれ。去年の春不帰の人となりし蝶々子甘屋仏が一周の忌を営まんとて其うがらと謀り友つ人開晴舎昇旭子之れの主設けしたるに五七五の陀羅尼ハ机上に集積して数万に及びたり、夫法界に名知識が一切経を涌するの功徳も遊魂何ぞ此川柳の上に出ること難かるべしと亡人甘屋の後ちを吊い声なき筆にもの言わせて本編の序となし手向る花に換ること爾り。

 

清柳自庵掛額会柳風狂句合序

叢中に玉を得たる竹取の翁がことどもは其物語に長く節々を伝えてめでたしおのれ川柳の翁は深川の冬木の古るき庭に家居して蕎麦切に名ある米市の開宴にやことなき姫のことは無論海老紫式部の庇髪奥様権妻居候下女乳母等を諷したる玉の狂句を拾い得て茲にひとつの巻となし川柳界の好男子餘多の聟に之を頒かつと狂句堂主人誌るす。

      軸

    満丸な芽の輪くぐれば月の秋

 

祖翁忌柳風狂句合序

孔夫子は四十にして迷わずと云えども色好みの大年徒に四十島田の浮きな高し君子と後家とは堤燈に釣鐘軽いお尻と学位の重みたかき賤しき隔はあれども寄る年波に尊卑の別なし、人四十の坂を越ゆれば爺々となり婆々となりて盛年会の戸籍を除かる、めでたくもまたかなしからずや、今年明治の年も初老の四十という十月の央野山はむかしの春の花の俤緑り深き若葉の夏錦を飾る照る葉の秋もいつしか過ぎ、草木はかしらに霜をいただく冬の日さきつとしの今日此頃、凩やの句を辞世として逝かれたる柄井川柳祖翁を追慕しここに其為十八回の遠忌を祀り浅草の大然閣の傍ら御法の庭なる某亭に此追善会を開催し翁が画像に狂句を手向く、之れかなしくも亦めでたしかくいうものは十世の後に芽をふきたる狂句堂川柳省なり。

      軸

    天狗の木の葉こがらしの庭に群れ

 

よし原細見の序

五つの街のひと廓ハ五つの外の色世界いかなる学士博士でも忽ち染る遊びのかそ色名つけて思案外史とせんか。

    壬辰春日

 

狂句堂行事

一、飯は一食く三杯とすべし

    居候三杯飯を賛成し

一、汁と菜とは一品にして足る夏は茄子冬は大根を必ず採る豆腐と沢庵とは季を嫌わず用ゆべし

    味いハ豆腐に角の人こころ

一、酒は寝しなに用いて三杯を過すべからず客あるときはよき程までをゆるすべし

    しつかりと腹をくくって瓢酒

一、菓子煎豆にては歯ぐらに適さず塩煎餅また堅し老ては芋羊羹こそよかるべし

    口の端に掛けて甲斐なし人のあら

一、燈は瓦斯電燈の奢よりも種油の方旧弊ながら用慎よく且徳用なるべし

    油よの外は実らず吉丁子

右の條々堅く守るべし庵主に卑下の世辞なければお客の髭の塵も払わず此約束に違うものは千つかの狂句堂門とにしるしのひと本柳風に任せぬこころなれば即ち不信の人とすべし。

    争わぬこころよおのが川柳

俳士也有が意に做ふて書く

              十世 狂句堂川柳

 

羽陽の道記

羽前西置賜郡白鷹村の人瓏泉堂柳慰氏改名披露兼建碑会柳風狂句開巻に参列の為明治四十四年四月一日東京上野を発車し同地に降りるとき忍カ岡の桜今を盛りと咲たりければ

    帰るまで吹な頼むぜ花に風

夜行汽車より宇都宮駅を見て

    楠の謀ごとほど遠き火の

      影こそ見ゆれ宇都の宮駅

白河の駅を過ぎて

    ぬば玉のくらきやみよも白河の

      いくいにかかる波は見へけり

夜明て福島に着けば洗面の用意あり、車外に出れば空気爽やかにして自ら心地よし

    福島に着て旅家も恵比寿顔

自是板谷峠の隋道を潜行して関根と云う所に至れば見外広潤にて遠近の山嶽織るが如し

    成程山形県だナアと眺め

米沢を越え赤湯駅に下車す此地は温泉ありまた烏帽子山の春桜白龍湖の秋月等の名勝ある所

    薫に春は露の烏帽子山

    漣の鱗は月の白龍湖

此処より腕車に凭り漆山に多勢一民氏を誘い辞して長井町に及べば警察署郡役所銀行等ありて一市街地を為す

    鄙に稀れ並ぶる軒も長井町

荒砥に至り長岡檉風氏の門を敲く氏は地方の名流にして才学の士なり、雅談数刻辞して大路に出ずれば白鷹村より柳尉氏の出迎いに会し同市大蔵寺の天狗館に泊す、前庭残雪あり梅蕾いまだ南枝に笑わず

    折るはなもなくておかしい天狗館

翌三日字萩野なる開巻席へ至るの道に龍徳寺なる柳尉氏が碑文を探り群雀氏が家を尋ね案内を得て開場に充たる竹田吉重郎氏の邸に臨む此日午後二時本会を終了し又群雀氏の家に帰りて寝に就く、四日は天狗連の諸氏及び其他有志諸君の送別会を辰すし辞して同家を出れば傍に米搗場あり。

    怠らず流るるみずは米を搗き

各位に見送りを受て山間の径路を過ぎ稲荷の茶屋に憩う

    ばかされたような道来て稲荷茶屋

此処にて袂を分ち元来し道を東置賜郡漆山に急ぎ予て戻りを約しければ多勢一民氏の邸に事を駐む此日は此家に泊まりを求む

    蒲焼になった昨日の山の芋

    雪解に磨出し青イ色リの漆山

五日は同家を辞し午後四時過田島尾形二氏の見送りを受け赤湯駅より乗車東京に帰る、翌六日午前五時上野駅に着せしに未だ花さくらのありければ

    今帰りましためでたし江戸桜

腕車に乗替日本橋に至りそれより浅草の千束の里狂句堂に入りしは午前七時の頃なりし。

 

蘇息齋送別会狂句合序

万葉集の和歌に旅にしあれば椎の葉にもると読しを四方の赤良が夷歌に下七文字を居え膳で喰うと反読せしは何れも其人其当時の行旅駅舎の姿なるべし。明治に御代となりては杖草鞋の調度とてもなく旦たに都の花に遊び夕に西海の月眺めて故郷を懷い、或は北越の雪の宿り爐辺に旧友を慕うの遠きに走るも、くろ鉄の道映時に数百里を行くの便あればなり。此好機に際し羽前の雅友蘇息齋子東京にもう上りて隅田川の辺に我が都鳥連のありやなしやと訪い来たる其親しさは彼の親王の息子株在五の君が心遣いとも唱うべし。かくして滞京いくほどもなくして帰途につくと聞き明鏡亭の主人氷月が企にて子の門出を祝うに柳風狂句に出羽能稀人六門美会(デワノマレヒトムツミカイ)の文字を結びしは擬して柳を撓むるの故事に因る、また其葉のうるわしき緑亭の二世を撰者として送別の宴を浅草公園に張り此一巻をものして燧袋の代用に贈りしことを東夷の雪雁うちつけにしるして序とす。

 

十世川柳を継承したるとき

    擔がれて貫目のしれた樽みこし

十世川柳立机会のとき

    我庭の柳に遊べ四方の風

十世川柳を継承のことを思い出でて

迂老曩に十世川柳に推挙せられたるとき「擔がれて貫目のしれた樽みこし」とよみしことを思い出て

    ゆるむ箍あとの祭りの樽御輿

再び宗家の机を継ぎしとき

    飾られてよぼれを曝らす古机

塩堂薄暮和歌

    しお釜や真多名の岡は幾はてて

         千松島根に夕日さす見ゆ

先妻民子みまかりしとき詠める狂歌

    きょうよりはやもめ男となりにけり

         妻あらぬものと人は云うらん

英昭皇太后崩御あらせられたるとき

    諒闇に牛が引き出すなき車

昇旭氏長男をうしなわれたる時冬の空寒ければ

    寒しとて着せてもやれず経布子

六世川柳が碑に手向く

    泪の雨乞い三囲の碑に蛙

観艦式

    かん〱に重みのました錨形

戦捷記念絵端書

    捷て紀念の絵はがきに兜武者

淀君

    水出しの猿に玩弄の淀車

能因法師のかた

    草鞋食いなくて能因とがめられ

芭蕉翁

    伊賀の人鐘は上野の句も響き

明治二十四年乙未元旦

    取て五十一年去年は前世界

檉風氏点式 柳の友なる長岡華月氏が点式に檉風の名を以てせらるるを

    月華も尽し見あげた雅の柳

昇氏手向

    死ニ神へ裸参りは寒の明

かなめ氏一周忌

    世を去られ三くだり半の御棚経

よし原の俄

    横町へ曲る俄の出来ごころ

日韓合邦

人参を呑で国病やつと治し

礼にはじまるということを

    飾所行儀の心曠着に正す襟

祖翁川柳忌三句

    凩や松も柏も貰い泣き

    跡で芽の予言十返る川柳

    画で見ても元祖斯道の大天窓

陽花翁立机会に臨みて

安達陽花氏を挙げて斯道の地方判者と為したるとき其立机会に臨みて

    柳屋の暖簾出見世へ分る巾

    白鷹や柳を文みの力艸

徳川家康公

    三五まで満つむさし野の初月夜

達磨の画賛

    楚天の達磨に沓の有一物

社頭の桜花

    神風も花には厭へ伊勢桜

神田祭に詣て

    神武の山車に手古舞の鳶の金ン

浅草寺雑観三章

    此楽土天人しらす花の雲

    仁王は藤八平内は名主拳

わが川柳側なる長岡檉風氏五十歳の齢を寿きてて

    百相場片手でまけぬ年の市

故事十首

    東洋に武を張り肱の弓矢神

    産ン婆の雄スかと思つたら武の内

    橘中にあらぬ初平も石を打ち

    那智黒に競へて石と銀の猫

    浄海も流し目に見す歌卒都婆

    寶田の肥しになつた干鰯船

    度が早過た源内の究理学

    化けものの方ウに金時こわがられ

    嵯峨の花都の蝶は情け知らず

    木曽櫛に梳て兀た白髪染

時々漫吟十八章

    身をこがす男衆の果か燻へ革

   口憎からず初鐡漿の濡からす

    向い風不破の関屋の庇髪

    硝子の栄あぶなし二八水

    (いなづま)の車も嫌う曲り角

    門跡へ授壽仏へ伯を付け

    三ツ越で奴豆腐を酢に食わせ

    煙草好き五月あやめと引き競へ

    聞き流す方だに利のあり言葉質

    桶伏せを転がして来る門芸者

    記者の筆耳に挟んだ説を書き

    板一重下は奈落ぞ遊山船

    福耳に重みのかかる金眼鏡

    助六は煙草の雨に蛇の目傘

    かね持のくせに雪踏は足にされ

    風に身を任す行脚も柳箇李

    太神楽茶碗の曲も棒のさき

    上を見ぬ大黒傘に福が降り

四季混題二十五章

梅笑う門に福来る花やしき

    吝めども残念風の伊勢桜

    夢見草風に五臓を煩わせ

    花盛り無雅なおれ程楽はなし

    毒となるまでもやらかせ花に酒

    打水の露は撫子もらい乳

    釣舟に活て錨のゆりの花

    遠く遊ばず竹の子も親の庭

    昼顔に起る入谷のなまけもの

    火串より罪ぞ燃立つ緋縮緬

    子に迷い梅若あたり蛍狩

    咽えの暑さ忘るる氷水

    満丸な茅の輪くぐれば月の秋

    上見ずに居られるものか今日の月

    七艸にもれて桔梗はふくれ面ラ

    秋はいむ色も黄金の寶草

    是も尻叩く卯坂の西瓜市

    柿紅葉染るしぐれに渋蛇の目

    膝元は寒さも知らず桐火桶

    冬知らず大和炬燵に高枕

    滑ってあぶない門口の薄氷

    寒参り利口な人を寒がらせ

    終り初物除夜に咲く梅花

    腹さんざ食うとほき出す雪の下駄

    鴛鴦の中焼餅程の礫鴨

俳句十八章

    両の手に受て捧げる初日かな

    きょうの雪つもると聞も萬よし

    梅開らく門や輝く獅子頭

    月の梅影も脉ある姿かな

    うら〱として芽の冴の柳哉

    引寄せて枕にしたし春の山

    五月雨も名残を錺る西日哉

    扇のみちら〱拜御幸哉

    寝て聞けば四五尺遠しほととぎす

    竹の子や石に悶て横育ち

朝顔や菊に競うる花の末

しら芥子の単に做ふころもかな

雲行を見てまは酔や月の酒

見えて居てまたきこえぬや雁の声

花ほどは騒がしからず散る紅葉

翳来し扇ぬらしぬ片しぐれ

つく限りつけばとれけり下駄の雪

紫に見ゆるを雪の露かな

和歌十四首

千鳥

    沖津波磯山松の梢まで

       かかると見しは千鳥なりけり

不忍池畔にて

    狩人のうれいもなくて遊ぶらん

       世をしのはすの池のあしかも

冬の道

    出る日のひかりも冴て霜氷る

       朝けの道の風の寒けさ

古今春水

    ふるさとの板井の水も青柳の

       かけはかりなる春は来にけり

隣梅

    夕霧たなびきこめし中垣を

       もるるも深き春の梅が香

浅草花やしき 菊の花見んと浅草の花やしきにまかりけるに雨の降ってければ

    ふるという千とせの艸にうるうひの

       静けき雨をきくのやとかな

対月知老

    ながめつつ月はむかしにかわらねど

       うつるがおのが影ぞ更ける

むさしの国小手さし原にて

    むさし野や尾花か末のちちぶ祢に

       向かいてしばし小手をしのはら

秋の夜長 ある人のもとより老ては秋の夜のいとと長きなとふみもて申を出しければ

    秋の夜の長き寝ざめにあく北ことの

       こころや月につくさざるらん

月下花

    夕月のかたふく春の梢より

       落る光りは桜なりけり

避暑

    水無月の照る日のかれぬ山の井の

       深きこころをたづねてぞ汲む

菊久盛

    さきしよりしたしら菊の花なれば

       うつろうべくもあらぬいろ哉

海邊雨

    散ればまたさきて時をもしら波の

       花は雨にもうつらざりけり

行秋来冬

    よもすがら秋吹き送るこがらしの

       あとこそ残れ辺のもみじは

狂歌十四首

十年の役に

    分捕にまつ篠原がたまのおと

       高瀬にあぐるかちどきの聲

狸法衣を着たるうた

    何事もさとりて腹はたたぬきよ

       このちくしょうと人は云うとも 

富士山

    時しらぬ山の麓の田子の海士に

       問ばはや富士にしほじりの名を

初秋

    秋来るとあしたに桐のひと葉かれ

       扨ゆふ便は雁の玉章

七夕祭 七七才の齢を重たる老婆の七夕祭に

    七十七(ななそなな)中かの()の字一点の

       星を加えて祝いまつらん

鹿

    笛の音やともしに運ぶ愚かさよ

       その大きさも馬程の麻

落葉

    落葉して皆摺る木となる樹々に

       羽根の生たる秋の色鳥

寄古家恋

    土台からおっこちて居る腐れ椽

       どうせ意見の釘も利くまじ

俳優の更衣

    締ぬきて入れ替袷内證の

       豊屋の幕は見せぬわさほき

不言恋

    はづかしきくわえしままにおのれから

       小指にしてと云よしもなし

忍恋

    弗箱と仇名娘の手をとって

       人めをぬすむ恋はくせもの

久忍恋

    云はて過く三十振袖四十島田

       聞えぬ人と終になりなん

尋恋

    妹がりは何所と磁石に訊ぬれば

       直くに指さす北のよし原

見恋

    見とれて流す涎の長良川

       積りて橋も恋に持なん

情歌二章

茶の湯に寄るという題

    鏡柄杓に思いのたけを

       うつしてこころの奥ゆるし

案山子という題

    かかしと立られ色鳥追って

       いつまでうわきのやまだもり

柳風狂句六章

某氏が六十一の賀に

    出世雙六一はまだ振りはじめ

米の齢を祝す二章

    長月の齢ぞ菊の翁艸

    万丈の寿山に眉の白髪松

菱雨氏古稀の賀 備後国尾道市の人菱雨氏古稀の賀を表し寿碑建設の挙を祝て

    菱模様備後表へ花を添へ

海人の蛸釣りあげたるかた

    春の海だと釣あげてふちの花

佃島の春雪

    水上にひとちよぼ雪の白魚舟

 

 

 

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