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柳多留の落丁に就て(川柳鯱鉾第六巻第八号 大正六年八月一日発行に掲載)

 

川柳雑誌「獅子頭」の創刊号に今井卯木氏が「誹風柳多留に就て」と題し物せられたる文中に次の一項がある。

  「柳多留」の落丁

怎ういふものだか「柳多留」には落丁が多い。折角苦心して買ったものであるから火熨斗をかけて皺を伸ばし扨丁数を調べて見ると一二枚は必ず落丁がある。 (中略)  原本の「柳多留」も前記の如く満足なものは極めて稀であるから、或は図書館に通ひ、或は明友から借りて二十四篇迄は兎に角完全なものにした。併し左の三冊は落丁にあらずして「柳多留」出版の際、丁数の記入誤りであるといふことを推測した。

第五篇 十四丁、三十七丁

右は久良岐先生、百樹兄、半魔兄所持の原本にも無ければ出版の際の丁数記入誤りなるべし。

第二十一篇  二十四丁

 同上、三氏所持の原本になし。

第二十二篇  十丁、十三丁

 右は久良岐先生所持の原本を借りて写し二枚落丁あるを発見したるも、尚良く調ぶるに三十丁の次に又三十丁と丁数記入しあれば、これは落丁にあらずして、正しく出版の際の誤りなるべし。

 

如何にも卯木氏の言はるる通り「柳多留」には概して落丁が多く、研究上大いに遺憾とするところであって予も夙に卯木氏と其の感を同ふするものである。併し前記「柳多留」各篇に対し出版の際に於ける丁数記入誤りといふ卯木氏の説は少し速断の嫌があって、必ずしも正鵠を得た推定なりと断ずることが出来ぬと思ふ。夫の橋南堂の飜刻に係る「柳樽」の如きは、実に無責任極まる出版物で採るに足らぬものであるから之は例外としても、その他最も信頼ある国書刊行会の発行で饗庭篁村氏の校訂に成る近世文芸叢書第八篇に収録せし「柳多留」各篇すら往々誤りを伝へてある。又三教書院発行の袖珍文庫第十五篇に収めある「柳樽」を照合しても、両書とも前記の如き落丁ある原本(或いは後摺の異本か)其の侭を底本としたる為か、全く其の部分を逸しているところから見れば、卯木氏が云へる久良岐先生、百樹兄、半魔兄所持の原本(是亦後摺の異本ならん)にも無いとすれば、今日坊間にある「柳多留」は多分後摺の異本が落丁の侭で行はれつつあることと推想するが、其の所謂落丁とは誤謬的推定であるのだ。予は従来出版当時の「誹風柳多留」原本(初篇より第二十四篇迄揃)を所蔵しているが、今回卯木氏の疑問に就て試みに之を対照して見るに第五篇の如き十四丁も二十七丁目も立派に纒まりあって出版の際の丁数記入誤りといふのは全くの誤解であるといふ事を発見したのである。二十一篇は予の蔵書にも二十四丁目が欠けてあるが、二十二丁と記入せる丁数が二枚あるところから推測すれば、二十二丁前後の何れかが二十三丁であって二十三丁と記入しある分は二十四丁の記入誤りであらうと思ふ。国書刊行会本には前の二十二丁一枚分の十八句を逸しているから、他の普通本も同様で此二十二丁前後二枚あるものは必ず稀であらう。

亦二十二篇の十丁は国書刊行会本にもないが之は落丁ではない。十三丁は予の蔵書にも無く落丁のように見えるが、三十丁と記入しある分が二枚つ続いてあるから之は卯木氏推定の如く出版の際の誤りで、此三十丁前後の何れかの丁数は十四丁迄遡り各一丁づつ繰り上げ記入しあるべき筈で有ったろうと思ふ。兎に角予の所蔵本は今更斯界に珍らしき発見のやうにも思はるるから、本誌に割愛を乞ひ参考の為左に所謂落丁の部分を抄録して研究考証に資することとした。

        

誹風柳多留第五篇  十四丁

(「漢字及び仮名遣共原本に拠りて改めず以下皆同じ」と檉風は書いていますが「ゝ」を仮名文字にしてあります)

     

どの幕へ行とげい子をつけて行

いとびんの旦那はものがいひ安し

あと押へ通るときねをふり上る

だといつて今百両は出されまい

金平の夢を見て居る枕蚊や

まな板へあられで疵を付ケはしめ

飛鳥山ばたら三ミせん百でかり

入レがみをして品川をやたらほめ

口に戸をたてぬと御菜つとまらず

かけ取の跡トへ廻すは丈夫なり

政宗をくつたと質屋そつといひ

立ツて居て座頭のぬれる俄雨

着かへずに芝居帰りの夜をふかし

てんがいをぶるぶるとして吹キはじめ

ふつて来たなんとどこぞへこぞろうか

二人リ目は女房の傘をかして遣り

国さかい美濃の方ではゆだんせず

こう當の不足はたつた一二寸

 

同上  三十七丁

五尺ほど有ル書出シへ一歩やり

にげ尻てかいばくわせる寺おとこ

いつちよい町はどんどんかかかなり

まだ死もせぬのに泣イて呵れる

ちつとべいいもハあるがと村仲人

梅若は旅かげまにはいやといふ

やれでかいたくみをしたと田舎公事

八百屋から売ルとはぞくのしらぬ事

五十ぞう留守のやうなは客があり

あいさでも剃つてくれろと飛車が成り

まあうんといへと無尽のゆびをおり

すいりやうてむこふさじきのもらい泣

またぐらへ手をつっこんで下女ハぎみ

えぼし親祖父のかたきもうてといふ

御の字に成ツたと花見したくする

行水に寝る程娵はかこわせる

どうしても泊て来たがていしゆまけ

 

同第二十一篇  二十二丁(前の分)

三ツふとんつもらせてみてきれる也

はせをはを寺でもらつてしかられる

品川でうつたは寺にかつたどら

げい者でどらをうつたのも百の内

あかるんだうんさいで出るやす大屋

さい日の矢とりしりだのあたまだの

大石の中にかるいしひとつあり

下女鴨をなんにすべいと銭でとり

大日坊がいきてると七びやうへ

里の母はるこんじやうで暑気見舞い

芝居をかづけてむかしは女郎かい

いろは茶屋ぞくをそ引クほねがおれ

もう取ツて下タさるなよとはははうけ

まさかの時にしちに置くよろいなり

にへゆよりひどくしたのはかいの国

あほうきうらせつしたのがはききなり

通りものひるはまなこに血をそそぎ

朝はとうからおひんなり娵をねめ

 

 同第二十二篇  十丁

つみなくてはい所の月をつく田見る

くどきぞんした女房はきみわるし

ふく水盆にかへり内々で入レ

物もふのあきれてかえるずるいうち

たる酒であるのに内義出すきなし

たいくつなもんだとかたい川づかへ

疊しくじよごんの多い十三日

年玉そつくりとよふろよろかへり

だあまつて針でつくまねうまいやつ

ぐそくひつ紙ひなひとつまぎれ込

もち米をけんきやうむしやり〱かみ

くろねこをみじかい玉の緒でつなぎ

なな草をたたく所へくれの人

おとなに乳をふるまつて乳母不首尾

うさんといふにほひ女房かぎ出し

五十〆かしてあみ笠にもならず

百人のあたまの上にしつけかた

むこい事むす子のそはにからす猫

 

 

 

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