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木枯庵檉風(長岡不二雄)

 

米沢藩士長岡権左衛門の次男として、明治元年三月十三日現山形県西置賜郡白鷹町に生れる。

幼名辰四郎成人し不二雄と改名、諱は恂、字は子廸。

昭和十七年六月二十六日没。

町長、置賜織物組合長、県会議員等歴任。

資性風流にして川柳に通じ木枯庵檉風又は松露庵華月と号した。古川柳研究家として「やなぎ樽研究」「川柳鯱鉾」「山陰川柳」「現代川柳」等に筆を振るい「川柳つれずれ拾遺」「鉄硯未穿」「川柳丸山風俗誌」「川柳叢説」「武玉川雑考」「教訓柳樽」等を著し、別に柳雨・卯木・三面子・花月・鳴風等と共著の「誹風柳多留拾遺輪講」がある。

旭峰は漢詩の号、山廼家芋麿は狂歌の戯号。

 

 

 

 

 

 

今年は明治百五十年、明治元年生の檉風は分かりやすく生まれてきました。

掲載した「川柳史伝」資料は、全て毛筆で書かれ、特に川柳年譜の柳句は、細字でびっしりと隙間少なく、引用原本のまま書かれているので、素養の無い私には、大げさに言えば「蘭学事始」の杉田玄白に成った感じで読まなければなりませんでした。(写真参照)

 

遺稿ー1.JPG

 


そして、これだけの柳句をキーワード毎に整理して一時保管し、其れを年代の決めた場所へ挿入して編集する作業を、公務を辞した五十歳半ばを過ぎてから、根気よく一人でやり、そして書き直し修正の利かない毛筆で書き遺した情熱に感嘆してしまいました。

このままではもったいない。

世の人に読んでほしいとの意で書いたものであろうから、ちょうど今年生誕150年でもあるので、これを叶えてやるべきと思い、ホームページを開設し掲載することとしたものです。、

Uzenkawayanagi

 

 

 

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