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「川柳を作る人に」を読む

 

 

檉風が,大正九年「川柳鯱鉾」に、「『川柳を作る人に』を読む」を搭載した中から抜粋して掲載

 

井上剣花坊氏の「川柳を作る人に」と言う出版本を評したもの。

檉風はズバズバと誰にでももの言う性格なので、あまりの厳しい言いように可哀そうに剣花坊さんは喧嘩でも売られている気持ちになったのではと想像しますが、原文の侭掲載します。

(以下は指摘何点か在る中から、 柳多留、暦摺 関連を載せてあります)

 

 

前句興行の時期と摺物

剣花坊氏は「前句附興行は一年ぶっ通し有ったもので無く、恰も年中行事のやうに毎年八月(陰暦)から十一月まで四カ月間毎月三回宛興行をしたものだ。」と断言して居るが、此説必ずしも是ならずである。

成程現存せる川柳評の万句合を見ると、八月から十一月まで四カ月間毎月五の日、即ち五日、十五日、二十五日の三回宛開巻したもののように見えるが、此一事丈を以て当時に於ける前句附興行の時期を断定するのは余りに浅見と言わざるを得ない。論より証拠佗の前句附の万句合を調べて見れば著者の謬見が愈々明白で、その史実は却て之れと反対に当時の前句附興行は一年ぶつ通しに有ったものである事が判る。而して当時の前句附には、万句、五千句、月次といへる大中小三種の興行が有って頗る全盛を極めたものであったが、其中大会と称すべき万句合は、秋冬夜長の季節に興行するのを例とし、五千句、月次の中小会は春夏の比較的少数なる好士閑人達の間に行われたもので有る。此の他神社仏閣への奉納句、奉燈句等臨時の大寄せ小寄せの興行が随時随所に有った事は勿論である。然るに川柳評の版行物は奉納句外秋冬間の万句合に止まるのは如何なる理由であるかと云うに、それは遉が一隻眼を具する斯道の達人丈に其の選評が万句合の大会を主として、小中会には左迄余力を及ぼさなんだ所以に外ならんのである。否な初世川柳は江戸浅草安部川町の名主役であったというから、春夏俗間繁忙期に於ける中小会に携わるの余裕が無かったのであるかも知らん。否な々川柳評の前句附興行が春夏の交しかも正月早々から七月二十五日まで継続された事もあった実例は、十九目「古川柳の創作者」の項中百二十頁乃至百二十五頁に援引せる板行物に徴して、著者自身も認めて居る通りであるから、前掲著者の断定の矛盾した謬見であることが知られるのである。

予が手許に在る古前句附の暦摺中にも、雲鼓点の十二月三日寄、同十日寄各一枚、苔翁点の六月一日開き一枚、収月点の正月、正月会、正月初会、三月、三月会、三月上、四月会、四月上、五月、五月会、五月下、七月会、七月上、十二月会の分各一枚、見理評の二月中旬、四月、八月分各一枚、此君評の三月十日、四月二十日、五月十日の分各一枚、二溟の正月、二月会、四月会、七月披各一枚を所蔵している。又白應点は正月から十二月まで毎月欠かさず一年ぶつ通しに興行した摺物を都合七十八枚所蔵しているのである。唯川柳評の前句附興行が秋冬夜長の季節を例とし春夏の交は比較的少数、寧ろ例外稀有の事実であったと云う丈である。

又著者は万句合板行物の名称に関して二十三頁中に、前略「今日のやうに活版は無いから木版に起したもので、これを三枚或いは四枚の紙に刷った、形状が伊勢摺に似ているといふのでこれを暦摺と云った、又の名三枚摺、四枚摺とも云った」と説明してあるが、その形状及び体裁が伊勢摺に似通っているということは事実だが、又の名三枚摺、四枚摺とも云ったというのは全く著者がいい加減の附会説である。

当時の万句合の摺物には、川柳評の分に於いても一枚摺、二枚摺もあれば大きなものに成ると五枚摺、六枚摺もある。決して三枚或いは四枚の紙に限った訳のものでは無い。佗の選者の暦摺には寧ろ却て一枚摺、二枚摺の方が多かったのである。要は唯其の時の寄句惣高の多寡、番勝句員数の多少に依り暦摺の枚数に巻違いを生じたと云うに過ぎないのである。

 

 

誹風柳樽初篇の丁附に就き

『誹風柳樽初篇の丁附就き「五番目は同じ作でも江戸生まれ」を筆頭とするものと「三神は嬲ると読みし御姿」を筆頭とするものと「下駄さげて通る大家の枕元」を筆頭とするものとの三通りの本になって世に行われた。これは各自収めた句が違うわけでは無い。製本の際誤ってで無く、故らに丁附を前後に襲ね更へて、目新しくして売り出したものだと受け取られる。第一丁目が第二丁になり第二丁が第一丁になり第三丁が第一丁になったものに外ならない』

と、さも製本の際立会って見てでもいたかの如く説明してあるが、其の実著者一流の独断的附会説に外ならない。誹風柳樽は、第三篇以下には毎葉丁附が附いてあるが、如何したものか初篇及び二篇には孰れも丁附が附いて無い。之が為重板の都度前後不揃いを来したものに外ならないのである。由来書肆が出版をするには先ず二三百部位宛て発行するを例としたもので、柳樽初篇も初刷、再刷、三刷と其の版行を重ねる毎に、別に丁附の無いところから初版の丁数順序に準拠するの手数を踏まずして製本した為に、其の丁数の前後したものが偶然に出来たもので、何も目新しくして売り出したなどというそんな商略的故意的手段に出たもので無いのである。其の証拠には第三篇以下一々丁附のある分には、落丁は別として丁数の前後したものが無いところを見ると一番早判りである。さもあれ此の丁数の前後した製本の種類に依って当時に於ける柳樽初篇の版行回数及び総部数を推定し得るべき唯一の参考となるのである。

 

 

同一案句を 複数点者へ投句や 他人の句を投句

「誹風柳樽の価値」の項中には、誹風柳樽の編者呉綾軒可有に対して

「苟くもこの柳道の法華経宣伝の阿難の役目を引受けるには、呉綾軒可有少しく重荷である。第一彼は無学であった。」と旁弱無尽の冷評を下し「而して彼の拾ふた句は、川柳点ばかりで無く露丸点からも幸々点からも拾ろつている。其の他の万句合からも無論拾ったに相違ない」

など途方も無い事を云うて居るが、是亦著者一流の臆説に過ぎないので、呉綾軒可有が柳樽初篇以下に拾ろた句は総て川柳点の暦摺から抜粋したものである。

成程著者の言の如く柳樽に拾った句と同様の句が、露丸点や幸々点や其の他の暦摺中にも見えるのは事実であるが、それは当時に於ける投句者一般の習俗として川柳評の句会の外に、露丸点へも幸々点へも白亀点へも机鳥点へも収月点へも苔翁点へも随意に同一案句を出句し、数名の点者中孰れかの選抜を得て自己の対倖心を満足せしめんと企てた輩が多々有って、甚だしきは他の俳書又は万句合等より兼題に似通った他人の句も剽竊して景品いう射利的手段に供した悪徳漢も多く有ったのであるから、川柳点の万句合に抜華された句と同様の選句が他の点者の暦摺に散見するのは素より当然の結果で少しも怪しむに足らない。

若し夫れ此の実情と消息とを詳悉したならば著者の如き憶測を下すべき余地は更に無いのである。予は此の点に関しもう少し研究を進めて考証詮索に没頭せられんことを著者に望まざるを得ず、其の事実の真相を究めず軽々筆を下して初学者を惑わすような事の無からんことを著者に切望せざるを得ないのである。

因みに記す。著者は万句合の中で川柳が選んで置いた名句を、いくらも反古の中へ捨て置いた形跡があるとて、呉綾軒可有を無学呼ばわりして居るが、それは人各好む所に偏すと云うべきで、滄海の遣珠己に渺然たるものであるから、上天を怨まず下人を求めずして可なりである。

 

 

雲鼓と九百翁は同一人

著者は初代川柳時代に於ける選者の雲鼓と九百翁とは全く別人と思い居るものと見えて、本書十三目「南華坊と雲鼓」と題する項中に

「この雲鼓と同時代の選者に九百翁といふ人が有った。筆のついでに其九百翁点の中から三四句紹介する」斯の如く記述して、雲鼓点の例句十五句と九百翁の例句八句とを各別に掲出して、ちがった畦の有るところなどと云っているが豈図らんや此の雲鼓と九百翁とは同一人である。之を別人と思ったのは全然剣花坊氏の思違いで滑稽千万な話である。即ち九百翁とは雲鼓の別号である事は当時の万句合(暦摺)を調べて見れば直ぐ了解し得べき事実で、何人も之を否定する事が出来ない的確事である。

元来雲鼓点の万句合には雲鼓点と署名したものと、九百翁と署名したものと、又九百翁雲鼓点と署名したものとの三種あって、現に予が所蔵の万句合中にも、雲鼓点に係るものが十九枚あるが、此の中単に雲鼓点と署名するもの二枚、九百翁と署名するもの九枚、九百翁雲鼓と署名するものが八枚ある。而して此の九百翁雲鼓と署名したるものは決して九百翁と雲鼓との二人の合評に成れるもので無い事は其の署名の形式が毎葉一律

  九百翁

   雲鼓撰(評)(点)

の如く九百翁の三字を肩書にして稍細字とし、雲鼓撰(評)(点)の三字を大書してあるのを見ても、九百翁は雲鼓の別号であると云う事を知り得るのである。然るに著者は此の事実を深く究めず、単に九百翁と署名せる万句合の摺物丈を見て、雲鼓と別人なりと速断されたのは、眞に不詮索の至りである。著者が世上の川柳創作者すべからく比較研究すべきであると呼号しつつある本書に対し其の価値を疑わずには居られないのである。

 

以下最後に書いてある内容も手厳しい。

 

「川柳を作る人に」は確かに傾聴す可き長所は有るが随分短所も多く有って、殊に俳諧及び川柳の歴史に関する部分の如きは、遺憾ながら初学者に推奨す可き斯道の良書とは言い得ないのであるから、更に第二声・第三声の場合には、より以上研究の歩を進め、深く考証詮索に留意せられ、且独りえらがりのみともなき怪気焔などは一切合切止しにされて、真個謹聴するに足る可き快著を提示せられんことを、予は切に望むものである。妄言多罪。

 

 

 

「妄言多罪」と書いている通り、内容に剣花坊氏の人格にも関わるような表現がありますが、其の侭掲載しました。      (uzenkawayanagi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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