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千七百七十八年

安永七年戊戌   六十一歳

 

誹風柳多留十三編板行

 

四川川柳(人見周助)生

貫名海屋生

長谷川雪旦生

笠庵旦水生

金澤風谷生

飯田篤老生

蓬窓風外生

中村芝翫(三代目歌右衛門梅玉)生

 

正月四日大菅中叟没年六十四

二月十八日壕越二三治菜陽没年五十四

二月二十五日四代目市川団十郎(二世五粒)没年七十 夜両庵又三升と号す

二月二十九日尼妙海没 尼は堀部弥兵衛金丸の娘なり 幼名をおこうと云ふ 養子安兵衛とは許嫁のみなれども義士報讐の後貞節を守り十九歳にて剃髪して尼となり吾妻森地内に草庵を結び毎日五度づつ芝の泉岳寺に詣てけるが老後泉岳寺門前に引移り住居し九十三歳(或云九十)にて没すといふ

三月四日(或云三日)南宮大湫没年五十一

三月二十六日伊藤蘭嵎長竪没年八十六

五月四日香川容所没年二十六

六月五日越智鳳䑓没年四十八

六月五日藍原君章没年三十六

六月六日木澤hチ没

六月十六日小栗百萬伽羅庵没年五十四

七月四日山本蘭洲没年七十五

七月二十三日飯澤純次郎畏齋没年二十四

七月二十八日鹿嶋探春守房没

八月十六日金映没年四十五 京都の人 辞世あり

極楽のたねぞ草花南無阿弥陀

十月十九日上田澄里没年三十九 京都の人 辞世の吟あり

嘘に散る葉もなし四方の鐘の聲

十一月十三日釋大魯没 本姓吉分氏 蘆陰舎と号す

十一月二十九日横谷玄圃藍水没年五十九

十二月二十四日佐々木素堂(三世)没 名は一徳 來雪庵と号す

 

去年十月頃より当春にかけ「臍の下谷に出茶屋がござる柿の暖簾に豆屋と書て松茸うりならは入らしやんせノウ」といへる童謡流行す 「いきまのちよん」又は「いきちよん」などの通言行はる

 

三月二十八日深川八幡社内において角力興行晴天十日従来は晴天八日なりしに十日と定るは是れを始とす

船頭は男ばかりを八日漕ぎ

呼出しは晴天八日きやくがふへ (此呼出しとは子供屋より酒桜へ呼出して遊ぶ女郎のことにて角力に言掛けたる句作なり)

角力とり一つところをふんで居る

角力取着ものを着ると猫のやう

角力取壱番ほとの寝返し

わるくふりますとふらりと角力取

子をだいて惣身のすくむ角力取

しんだかと思へばおきる角力取

ふんどしを故郷へかざる角力取

ひつはなしてはおつつけるいい角力取

紅裏はついにもらはぬ相撲取

関取のうしろにくらいあんま取

関とりの乳のあたりに人だかり

関とりと嫁同年でおかしがり

関とりとしなのをよばる飯時分

大わらひ嫁関とりとおないとし

風上ミにすわり関取しかられる

きたアねへ貌で関取かしこまり

そんなものだと関取とながし合

すばらしいのは関取のわらはやに

足ばかり洗つて仕廻ふ関相撲

われ角力羽織のひぼをむすばせる

大判と角力さ立派なり

御ひいきの角力は勝て風を引

ちいツさな羽織を貰ふ勝角力

勝角力小太刀まとめて引つかつぎ

はきものをれんじへ角力置きはじめ

勝へ寝た子とは思ハぬ角力取

勝角力内へ来る迄肩がはり

関取の名もてつくりとふとく見へ

関取を産だ腹にも物あたり

角力取けしきはかりを申し受

羽織着ぬ人へ関取禮をいひ

角力好キ女房に羽織ことわられ

踊りにも投げた手の出る角力とり

假橋で関取二人ぐら〱し

散る花を帯でたばねる勝相撲

いい取組だがふしやうな天気なり

抑角力の初りもあるなり

関取に買れた翌の恥しさ

関取と相傘にしてずぶにぬれ

関取の後のぞけば按摩取

関取のこわ〱うけるすずみ台

人は發明関取と喧嘩せず

関取も不性な湯屋に投出され

抑角力の始より降りそう

灸をあつがつて関取笑はれる

角力取ちいさい灸はすへられず

げじ〱に関取馬鹿な形リて逃

はしごは入らぬと関取人をもち

師の恩を褌でおくる角力とり

関取りが立ツとすすしい風がふき

木に人をならせる村の花角力

木のえたに人のなつたる村角力

角力場は堀こぶしの置所

角力場はさしきのはしご持チまわり

角力場に気のない男ほうづえし

小結といへば角力も女めき

きん玉をちんまりとする角力とり

村角力蜂にさされて勝負なし

うち出しの頃あわ雪はくぢをねり

あらツぽい仲人をする庄之助

庄之助女を見ぬと天気なり

庄之助数万の人をいひふせる

足元を見て世を渡る庄之助

明日も来たく成るもの木村よみ

上下ではだかへ今の木村入り

庄之助うろつくやうに見て回り

上下ではだかの中へわけていり

風上に座り関取叱られる

土俵うらしろうとを呼ぶ急な事

関取に赤子をだかせ大わらひ

関取りのちよきをこわがるしゆしやう也

角力取腹をへこませふくらませ

居角力に土瓶ころげて勝負なし

居相撲の行司行燈さげあるき

土ひやう入まけるけしきはみえぬなり

大角力西のかたやはむごくまけ

さかる筈色気もまじる花角力

立て居る様に浅黄に角力取

夜着づつみ角力くづれのじやまに成り

大角力をなけはなけたか身かすくみ

勝負は尻の方から読み始め

大きな男ふんどしをねだるなり

かんばんに生国を書くいいおとこ

勝ときの聲なりやんで弓の式

いい男はだかで弓をとりをさめ

同を四五人で持つへぼ角力

けふは引わけ見ずとてもしれた事

夕すずみなげるななどと角力取

石坂を関取一ツ置に下り

なげるなといふは涼み角力なり

じやうとわみい〱木村たちあわせ

芝居より高い桟敷は縄からげ

縄でたばねても男の見る桟敷

御免をかふむりあぶつかしい桟敷

晴天の桟敷女ツきれはなし

晴天に戸張角力を取組せ

晴天に成て戸板も角力取

 

五月晦日豆を撒き大晦日なりと称し太神楽などと市中に来り 翌六月朔日世俗今日を以て元日として雑煮を祝ふ者ありしとぞ 此事もと宮中より出ると云 木室鯉といふ人試筆とて詠せし歌 「みな月の朔日ながら世とともににふしもふしの正月をする」

太神楽は元日より六日まて毎日来るを通例とするものなるが参考の為其の柳句を次に収録す

太神楽仕廻ふとししをしめころし

太神楽頭は獅子で尾は奴

太神楽どんとうつてはひよいととり

太神楽ばかりを入れて門を締め

太神楽格子へ顔をたたき出し

太神楽喉のあたりにのれんあり

太神楽ぐるりはみんな油むし

太神楽赤い姿に見つくされ

太神楽ししにおはぐろつけさせる

太神楽たばさんだのが上手也

太神楽見せる髪にはゆいとばし

太神楽まはせるそばへひらきさす

太神楽ふどんで釣つて来てみせる

太神楽あれは下手だとだますなり

太神楽しまの財布へばちをいれ

太神楽寝まきのままを抱て出る

太神楽新狂言の出ないやつ

太神楽人を屏風と思つて居

太神楽よめ入りをする故事を取

太神楽やんやと仲間誉るなり

太神楽御うばの尻を横に喰

太神楽人に振舞ふやうなもの

太神楽無藝の男大義がり

太神楽おどけて守リをぱくり喰ひ

太神楽鼻の下まではたらかせ

太神楽風の間へまりをやり

太神楽小売に来るは二三人

太神楽ぶてう法もの壱人りつれ

つつがなく茶わんを戻す太神楽

錆落し杯も所持する太神楽

手まりをば財布へつめる太神楽

一寸した雨を降らせる太神楽

世なみよくはやらせたがる太神楽

御はらひへ杓を付けてもつ太神楽

あかい頭巾で太神楽嫁ねだり

神楽獅子娘の方へ口を明き

神楽獅子もぐさのやうな衿ツつき

神楽獅子半供で来る日出イ日

神楽獅子首をねじるといとま乞

茶袋喰ているやうな神楽獅子

口中に茶ぶくろの有る神楽獅子

たつた一字の事で安い神楽

太神宮さまへとかぐら一人来る

笛うりは通り神楽をちつと吹き

能い月夜かぐらをふいて二度通り

ばちはふくろに納るとしづかなり

とつぱやひやうにけんぶつが五六人

とつぱやひやうからみているばからしさ

とつぱやひやうから見て居る馬喰町

丸一をやめけんやくで角兵衛じし

 附記  角兵衛獅子

角兵衛といふ人ししをまひはじめ

角兵衛じしかぶりをふるが始也

角兵衛獅子笛吹斗人らしい

角兵衛獅子全體無理な毛をはやし

角兵衛じしじたらくで無い姿なり

角兵衛獅子伯父らしいのが笛を吹

角兵衛獅子胸のあたりで物をいひ

角兵衛じししやれにおかめを交て来る

角兵衛じしそばで小言をぬかすやう

角兵衛獅子有さうもない羽がはへ

角兵衛獅子はや朝飯であるいてる

角兵衛じしどこで死んだかげせぬ也

角兵衛獅子壱歩が舞た事はなし

角兵衛じしねれけてくると仕舞也

角兵衛獅子五百が舞ふと立ぐらみ

角兵衛じしまくを明けが仕舞也

角兵衛じし仕廻ふと胸に顔が出来

いつ見てもずんと奢らぬ角兵衛獅子

おごりがましき事の無い角兵衛獅子

関守も毛の有ルを見る角兵衛獅子

尻の毛が天窓へ生える角兵衛獅子

ぬえはへんなりのならひに角兵衛獅子

瓜リ坊を三疋つれて角兵衛獅子

よこツぱらたたいてあるく角兵衛獅子

手のひらへ底豆を出す角兵衛獅子

あたまてん〱足でする角兵衛獅子

鶏とつがつて出来た角兵衛獅子

前足で天窓をたたく角兵衛獅子

あねエは女郎弟は角兵衛獅子

呼れるとのれんをおろす角兵衛獅子

芳町へ売られはぐつた角兵衛じし

かがさまの前角兵衛もたいこやめ

越後から羽根のはにてる獅子が出る

やぶなもの角兵衛及びくわいらいし

大あばた角兵衛に銭を入れたやつ

尤な事角兵衛を犬がほへ

鳥はものかわ角兵衛へ十に文

 

四月無宿者を召捕佐渡へ遣す可しと令せらる

ほれ茶佐渡から出るがいツちきき

光次の系図本国佐渡をひき

佐渡の山けんしの前でぶらつかせ

ふんどしに棒突のいる佐渡の山

金堀と井戸掘の気は十文字

日蓮の末世にのこる波のひげ

経の字を書きしまふ頃海はなぎ

石に妙浪には法リの花が咲き

妙の字は波と石とにしみわたり

祖師の徳波にもとまる鳥の頭

南無妙ならそも誠に波の上

法華経のきどく十四の角を垂レ

七十文字へ後光の見える御筆法

親鸞は川越日蓮波のうへ

 

五月あんけらこんけら糖売の歌大に流行す

なんで間違ったか出合あけらこん

たれるうちごぜ大道にあけたこん

 

本町一丁目に蕎麦煑売酒見世出来たりといふ

新見世のうちは二八にわさびなり

砂のもるやうな暖簾へ蕎麦と書き

新そばのきうじ廊下でつき当り

そば屋のまへで客みんな下乗也

そば切のあかりをかする夜蛤

夜そば切ふるえた聲の人だかり

夜そば切かけおち者に二つうり

夜そば切お上ミのだよと皿を出す

松の内夜そばしろうとうりもする

夜そばとんふたアりづれはみなんだか

不間な事客とそばやがすり違イ

明カぬ戸を外トて手伝ふ夜そば売

夜そば切ちよくで手水を掛て遣り

そば切りは嫌ひけんどんは五つ六つ

にうめんに聲がわりする夜そば売

ええ坪へぶちまけて行く夜そば売

姉さまやたんとあがれと夜そばいひ

ばかでやりやめのこがええと夜そばいひ

手打そば下女前だれをかりられる

耳へ口あててそばやへ下女をやり

夜そばうり立聞をして三聲よひ

夜そばうりいつの間にやら子をでかし

にわか客勝手の遠ひそばを出し

遠慮して縮むお客に蕎麦がのび

そば切でさへもてんやは汁すくな

おつと来たなとそば釜のふたを取

そばの皿かつぎ古法をもつて居る

気の毒や跡一杯は黒い蕎麦

五六人手打ちですます安喧嘩

蕎麦の荷へ鉦と太鼓を置て喰ひ

夜たかそば心せわしく斗喰ひ

二度添をして蕎麦かきを継子にし

見ともなさ二八の門へ銭をおき

新しい金を二八に崩す也

あまやどり五人で蕎麦を二はいくい

そばのせんかつぎはばかをめつけ出し

どうしてと嫁は二八をわけてたべ

一杓子ツッと二八の頭へもり

ぶつかけは嫁はづかしのもりを喰

ぶつかけを花嫁片手ついて喰ひ

ぐつとこごんでぶつかけを嫁は喰ひ

尻を高くしてぶつかけ娘くひ

 

新酒屋りやうじな事はいはぬなり

新酒屋さして二階をおつぷさぎ

新酒屋うらから女房度々逃げる

居酒屋は男世常で気がつよし

居酒屋へ通ふちろりは飲仲間

居酒屋の大手鉄砲並べとく

居酒屋で念頃ぶりは立てのみ

居酒屋のとおり産婦へ手をあてる

居酒屋も小判で呑ムは物凄し

居酒屋で下戸不しやうちの銭をつき

居酒屋でで四間ン燈したひまな事

居酒屋はちつと足らぬにうんざりし

居酒屋に馬と車の払ひ物

居酒屋のけんくわかたりの方へおち

かんにんがじまんで出した居酒みせ

いかぬかと馬士居酒屋へ聲をかけ

ちゆうけんび居酒見世を出し

そりや出たと子供のさわぐ居酒見せ

酒屋の戸銭で叩くは馴たやつ

酒屋の見世に両かけの四ツ手駕

なまくさくないを酒屋はむすび付

居酒をば仕らずとむごくかき

おれだよと酒屋をおこす高まんさ

中直り元の酒屋へ立かへり

起きて居て寝たふり酒屋上手なり

又一度酒屋のおぢる中なおり

銭のあるふりで居酒をのんで居る

二三本くい打て直り宿酒や

武者修行も一人リ交りし呑酒屋

此村になんと酒屋はござらぬか

そりや出たと逃る酒屋の人だかり

永の留守女房酒屋は置キばらい

見世中を雪にして行く居酒のみ

手わけして酒屋尋ねる野がけ道

酒が過キるとじや棒をは取りあげる

酒をあびては方々でせわになり

板の間で酒のしみたる甲斐もなし

ひとり見る花にくびれた酒をのみ

石一つ神田の酒でおつふさぎ

飲過たる畳の酔は梅雨に出る

立酒は一口のんであとをつぎ

御通りに馬子居酒やをよび出され

おしそほににおいふくろを酒に入れ

土ぐもの身ぶりでなめるこぼれ酒

なまえひに安いふんべつかしてやる

なまえひの大のきまりは反吐をはき

綿入はのんで酒着る男あり

はて知ツて居るよ居るよと注ぎこぼし

花催ひおの〱酒の四天王

膳なかば缼落をするよわい酒

胸倉をとる所なき二日酔

あぶなさはささのうへより酒のうへ

くせのある酒で鯨の太刀をはき

くせのある酒でくじら身さして出ル

くせのある酒で花見をはぶかれる

菰かぶり年こもりするよひ仕まひ

すきはらへ剣菱えぐるやうにきき

新酒をば御用が出るとふつて見る

船の酒體をかためてうと受

急ぐ酒つるんだとこで引ツたくり

面赤くなる程酒は面白くし

なまえひに一理屈云ふしょう者

乱びやうし生酔のふむひやうしなり

乳母が母油の様な酒といふ

はち巻で女房へ願ふむかい酒

禁酒の曰く飲まうかなあ味淋

鹿食(めし)を喰ひ水をのむ二日酔

茶碗酒下戸にも用ゆる旅のあし

かるくいつても八文がものはあり

酔ざめに土瓶のふたが鼻へおち

二日酔い冑をきたる心もち

初回にはみだりに台へぶちまける

いい上戸一杯のむとひじを曲げ

名月の生酔ひるの気であるき

生酔はぶち殺されたやうに寝る

さめてから飲んだ所を考へる

明日おツしやれと内儀へ下戸渡し

愚者の知る風味にあらず味噌の酒

八文は味噌を片手へ受けて飲み

たたぬやくそくで生酔ちよきにのせ

生酔の手やあし四ツ手うらこぼれ

屠蘇酒だまいれと長田聟にしひ

茶碗酒女の宵も面白し

因果なことを言ひたてる泣上戸

この縄を解いてくれろと酔がさめ

生酔はおどかすやうなあくびをし

生酔をふみ台にして花を折り

のまぬやつさうさ〱とばかり言ひ

一體は下戸さと赤い顔が云ひ

わるひ酒くだを巻たりからんだり

春の生酔ぞうりとりはさみ箱

やむことを得ず生酔をしばるなり

其みたかがん酒のばちで菰かぶり

ようてうとたおやかにして茶碗酒

鬼も蛇も酒でとらるる尻頭

松過にさやなりのするこもかぶり

馬の生酔をばくろう売付ける

馬に酒酔がさめると手におへず

手をとれば生酔とから振放し

赤ひ生酔青ひ生酔地獄めき

てうしをは旦那でかへてしかられる

大あくひ棚のおみきを見付だし

いツちいいくせの生酔詩をつくり

ちよつと見せやれとぬき身を下戸納

歌の賃は餅だから詩は酒だろう

一樽で三百五十詩を作り

呑事はのまふが出来ぬ詩一篇

嫁の酌ちつとといへばちつとつぎ

むちう作左衛門下戸にひつぱられ

はて知って居るよ〱とつぎこぼし

酒はたへやせんがわつちや上戸口

あくる朝女房はくだを巻戻し

甘口な霊見でいかぬ酒のどら

百毒の長だとおもふ二日酔

何を喰たらよからふと二日酔

とそきげん子のあいそうにたびへたち

酒は直段に茶が売れる美しさ

酢イ酒をのみなさるかとせなへ出シ

樽底になつたと下戸は椀を入

ほめぬ事娵みりん酒がきらい也

つかへ手をかけるで酒の興がさめ

前髪が来て酒もりをぶつこわし

神酒をすすめて手習子いとま乞

からかみへ御神酒の口をさして売

返されもせず三郎へ神酒をあげ

つれが下戸だからとよけいしいられる

酔たやつ二朱づつひなをつけ上る

立酒は一口のんであとをつぎ

亭主下戸ぬるかつたりあつかつたり

ううそふさ〱と下戸がつれて来る

大黒舞を見さいなと和尚酔

付ケざしで禁酒をやぶるはしたなさ

きでん身どもで酒代をつきちらし

花のあす下戸にしたたかいけんされ

菊酒も飲ミ落厂も好キなやつ

門番は縄をゆるめて酒をのみ

いそがしさ浮世袋の酒びたし

よく酔せなつたと袖で二ツぶち

よつたぞ〱と来るはこわくなし

きん酒ことわりて御用を追かける

阿部川で上戸手を出ししかられる

しいたのを下戸内へ来て腹を立

すけてやるやつさと酒をふき出させ

かずのこでむしやうに下戸はのめといふ

ぬり樽を下戸ふしやうちな坊主持ち

村ぶけんすみ酒ばかりのんで居る

つばきしてあるくがひどく酔つたやつ

酔ったのがつけかけをする手始帳

酒のちり筆で伴頭ちよいとはね

かけ取へもちの酒のいかぬこと

せいぼには酒で用ひるのをくれる

なぜ置いて来たと酒つぎ一つぶち

請けて来て新酒の礼をいつて行

玄関番のむ内御用待って居る

女房は酔はせた人をにぢに行

座敷らう酒をのませて母ぶしゆび

どかおちのしたさかづきで下戸はのみ

花の枝もつて風雅なたおれもの

是むちう作だと起す花の山

是ほどのんだら酔ふとかねへ入れ

あべ川はしらふさかわはよつぱらい

さりぬべきけいせいは皆下戸が取り

酒だるにこまのかしらも見えばこそ

幕串のあたまをぬいて酒を出し

傘で酒えなかへふわり落

鯛の湯づけの出る時分下戸あくび

よくよつかかるぞと下戸はうるさがり

引おいのろう人ふうふ今にのみ

おそろしい酒宴久しい木ずえ也

酒よりもささによつたの見ぐるしさ

口あけに忠義なものへ酒をうり

かわらけの銭跡へ来て下戸はらひ

五六日え樽のあかぬきつい下戸

折るべからずが見えぬと下戸呵り

十二文が酢を下戸にふるまはれ

けんをけんとして上戸は呑んで居る

すいこでん酒を呑んでは目をまわし

朝貌は酒の呑まれる花でなし

莨をばうんとねじ込み下戸野がけ

酒屋でもけんどんやでもぎよつとする

樽酒が徳じやとおもふたわけもの

上戸をつれて気遣ひな花を見る

酒買た内でおしへるあら世帯

わるいくせとかくに飲と切れたかり

駕籠代は三文酒手壱分やり

跡へ来てつばなの銭を下戸払ひ

酔かさめ見ればからたを巻レてる

縁遠さむかふの酒屋うるさかり

てうしの口をいたたいて下戸はなめ

こわくなひ呑人そろ〱涙ぐみ

よらばきらんず勢に下戸こまり

ほろ蚊屋を馬鹿〱しいと酔が覚メ

夫レ扇それきせるよと下戸の世話

下戸おんにかけ〱一ツぐつとのみ

情ウのなさ下戸平皿てのめといふ

のむやつらとは下戸のいふ言葉也

酒にする所か馬に蹴たおされ

袖口を買ツてる隣酒を出し

清濁で容をもてなす賑かさ

貴様は酔ぬおれが酔たとだまし

酔た時夜ばいはよせとこりたやつ

いふことをきかなぬ生酔木から落ち

胸ぐらを取る所なき二日えひ

盃も御符の時は気がぬける

生酔に二度めのぼうも又とられ

生酔にぼん〱つらをみだす也

別当はおれだ〱と呑みに来る

武士の生酔ひ遠巻きに人が立ち

盃の道は側からあけてやり

盃のやるかたを聞く美しさ

品川の見立てちらほら酔て来る

なさけまじりに酒の倹約をする

青銅拾疋めしも喰ひ酒ものみ

酔ふとねやすと前置のそのながさ

盃のたてつけて来る恥かしさ

盃の時なんにもおつしやるな

嫁の生酔ごしゅでんをひけらかし

生酔に嫁どこにでもあがる也

大道で生酔金をかせといふ

あんどんへ寄 るのを下戸とらへ

盃を持て立のが思ひざし

盃をむかふ下りに女郎持

四つ手うぬまてと生酔弐町跡

手をとれば生酔とかくふりはなし

生酔にあした切りやれと納させ

まん中をあるくは本の酔でなし

猿轡ゆるめて酒のあり所

下戸のつぐ神酒は徳利も吹出さず

生酔をやれ〱と落手する

鬼の手をたがひに出して酒をのみ

生酔はどぶでぬき手を切ている

生酔弐まけて大屋はあすのこと

後家の供くりで内すつて酒を呑

後家へ酒をしひる胸のおそろしさ

きき酒のきげんやぐらへこける也

くわ酒をぐわいのわるい人がのみ

素人のなま酔ひ松の内ばかり

生酔をしよつて女中をまつ二つ

此喧嘩酒から出来て酒で済ミ

是でおつもりと呑でる雪の酒

生酔をあつかわせてはとしま也

むすめの生酔ふんどし目立つ也

なま酔を家内中出て落手する

こはいもの見たし生酔嫁のぞき

床几にかかり飲で居る矢大臣

ふつりと禁酒しやれと研屈の子

れいふくの生酔も来るまつの内

生酔の女房あたりでほめられる

門松をとると生酔目つなり

きき酒のきげん一ト切あそぶなり

まづさうに和尚精進物でのみ

下戸の生酔息のあるぶんの事

えびす講ふじのぶらつく程酔はせ

道の子を生酔あいし〱行き

生酔弐沢山かけてしかられる

足音にてうしをかくすけちな酒

上戸のつくつたあま酒犬がのむ

丸腰の生酔手持ぶ沙汰也

えびす講上戸も下戸もうごけえず

智を以て生酔に成る大三十日

唐土に無い夢を見て神酒を上げ

萬人を酔はせてかへすえびす講

酒の徳高ひ敷居もつひまたぎ

酒ものみ餅も喰ふのは中戸也

つばなうり生酔に二把ただとられ

生酔を捨てたもつみの一つなり

渡し舟とかく生酔立ちたがり

例年のごとく田にしとどく酒也

味淋酒に口のほぐれるだまり坊

扨酔が覚て面目泣上戸

つかへ手をかけて生酔道をきき

生酔を大戸上げろとしよつて居る

生酔の内はさられたぶんになり

生酔はもたれかかるがきついすき

酔はせぬよと生酔の古句也

上戸よろこべ瀧水にあらひ鯉

つまぬ客ちよつちよと酌に時を聞き

八文が呑む内馬はたれて居る

酔うたあす女房のまねるはづかしさ

嫁の酌ちつとといへばちつとつぎ

たる酒であるのに内儀出す気なし

生酔を巻付て来る下戸の首

生酔の鼾きの上を毛虫はひ

生酔の女房寝声で禮を云ひ

生酔を家づとにする花の暮

一升でも飲むが一詩はふんとして

部家頭人をころして酒を呑み

朝酒をして味淋酒をのむけちなやつ

元日の小言生酔なればなり

飲む禮者朝の勘定大違ひ

飲む禮者所〱にて供を起すなり

永日の時を斯さぬは飲む禮者

呑口をねじる女房に毒をいふ

呑客へ鴉の反吐に蓼そへて出し

預けずに受取って来る飲む禮者

あづけるを嫌ひな禮者づぶになり

二三軒よろ〱すると日が暮れる

手玉そつくりようろ〱帰る

呑んで寝た所が極楽世界也

のむ顔をにくさうに見る礼の供

花の山下戸も酔はせてもちにつき

大詰は生酔の出る花の幕

生酔の突当るたび花の散り

月迫に寄って一夜さ飲みあかし

後の世は下戸の女房に生れたひ

野がけ道生酔蝶になぶられる

なまくさくなひを酒屋は結び付

仲人は酔ていふが本ンの事

土蜘身振でなめるこぼれ酒

玉子酒下女は淋敷あたたまり

早鐘を突て生酔縛られる

罰当り十日も持たぬ酒をたち

其うるはしき顔ばせて茶碗酒

鷹匠は勝手をわるく酒をのみ

めつからぬ様に生酔送られる

大喝一聲生酔見世を出し

生酔を少しあて身で引て行

女生酔ふんどしをいつそ出し

生酔のはじまり松や竹の中

別れ酒飲ば甘露もかくやらん

生酔にからくり一ツらりにされ

かれ木にも生酔出来る御ちうい

かり橋で生酔笊をはりのける

坊主もち生酔とんだむりをいひ

生酔に元ん日のあるかみな月

月雪のまん中生酔の夛さ

不届な智恵生酔に金をかり

くり引にして生酔たつた壱人

首二つうけ取つて生酔はたち

生酔を送って手代のびをする

よく〱な生酔花よめをつめり

生酔をつかまへて琴きいて居る

うけ合が出来て生えひしばるなり

生酔が来るよとにげるつばなうり

釣䑓の生酔對いによろけ出し

生酔のまくらあてがひ次第なり

市の生酔すりこ木にそりをうち

生酔は御慶にふしを付けていひ

生酔も顔の赤いはこはくなし

どぶろくの生酔ためへころげ込み

生酔のうしろ通れば寄りかかり

前をよく合せすかねイ生酔め

もつとのませろと生酔こうしゃなり

生酔はおもしろかつておん出され

物干でよめも生酔見たといふ

そら生酔でなんだ大三十日だと

生酔も祭の跡のにぎやかし

せんどうをなまえひにしてこまりはて

生酔を勝手で嫁はおかしがり

生酔もなく草市へ嫁は行

首斗り生酔になるいなかざけ

ひやうたんから出た生酔こわくなし

いふ事をきかぬ生酔木から落ち

のし餅のやうに生酔あつかはれ

ものを言ふまへに生酔身もんだへ

そくたいの中へ女の生酔出る

桜から生酔腕をこいで出る

おれが女郎はおめへかと大生酔

増上寺生酔の出る所でなし

四本さしたのが四つ手の値をきめる

生酔のわすれて帰るよめのかほ

生酔をひよつとおさへてはなされず

生酔のうたひやたらにおツつける

生酔はどぶで抜手を切ツて居る

生酔や無分別なる伏し所

生酔の小言をきけば酔ハぬ也

生酔のがのつてわたしの人がへり

生酔はよめをつめつて三日来ず

生酔をおかしいうちに帰すなり

生酔も松の内のは人がよし

生酔を後家は散して遠ざける

生酔は家に帰るを恩にきせ

生酔にどぶをおしへてしかられる

生酔の時くどいたで出来こじれ

生酔は下戸と桜ねじり合ひ

生酔の供もの拾ひ〱来る

藁をうつ音で生酔目を覚し

逃ケじたくして生酔をしかす也

生酔のつきのめされる形リに寝る

幽霊のなまえひちどり頭なり

とんだ事生酔坊主持にされ

人知らぬくろう生酔に金を貸し

生酔か後ろを向くと皆ンな逃ケ

些酒の足らぬ顔なる山桜

時酒は終にのまなひ番太郎

下戸の連ないと生酔立のまま

生酔か取ってはほふる放し龜

生酔もさかり桜もさかりなり

生酔にみんな売切ルはなし鳥

とても死ぬ物なら酒と呑明し

早足の女の跡に酔たやつ

鋪居を越スと生酔を嫁笑ひ

来て見ろと生酔花をふり廻し

 

六月朔日より本所回向院に於て信州善光寺如来開帳す 此時参詣群参夥しく六十日間の総参詣人数千六百三萬八千人其の賽銭高金弐萬千六百両なりと云ふ 淡雪の角にて牛のはこにしたるを売る 牛に引かれて善光寺参りと云戯言(鳥亭焉馬述作)を添へて鬻ぐ 蜀山人の半日閑話に曰く、一国の人狂せしが如く参詣群参おびただし夜深更より高提灯を燈し連れて参るもの大念仏を唱ふ後公より禁ずと以て当時の盛況を知る可し

江戸へ来て役者をたのむ神佛

十萬八千べん毎日回向

堀出した佛を銭で又うづめ

善光はほり出しものの元祖也

善光も初手はかつぱと思ってい

善光はえんぶたんこをみやけにし

善光も木佛なればうつちやる気

善光はふりむく度にまぶしがり

善光は米をつくときづしに入れ

善光のいのめ蓮華でひつこすり

善光と呼ぶは仏の土左衛門

ふりかへる時は善光まぶしがり

昼背中夜は善光腹が冷え

おもいかへなどと善光おぶつさり

難波池 浮だごんの如左衛門

 

難波からえんぶだごんのつれになり

二ぼさつはおいらがといふ立すかた

二ぼさつはあるかつしやいと本田いひ

後ろからゆるい髪だと如来云ひ

信濃まであはりごつこにおぶつさり

はる〱と負んづ負はれつ信濃迄

おぶはれた禮は其侭寺號也

善光寺麾でふり出ス御十念

ほとけにも本田神にも本田なり

守屋にハ餌をつかせて臼の上

 

両国広小路見世物に鬼娘出る 大に評判あり 橋向ふにも又似而非物出来て是又流行 鬼娘傳出づ

 

七月布衣以下の子材藝を以て審士と成る者七十余人

 

閏七月此頃野島地蔵湯島天神にて開帳あり地蔵尊へ奉公人となれば諸願成就すとて請状をあげ奉公人となる者多し

びんつるの気はもてないと地蔵尊

おびんづる地蔵の短気笑って居

地蔵より扨気のいいはおびんづる

地蔵堂泪のたねが上げて有り

辻地蔵山師仲間へ抱こまれ

辻切を見ておはします地蔵尊

萬屋の地蔵のまへで後家に成り

百旦那そのくせ地蔵ほどくらひ

きぬうりの墓を地蔵のわきへ立て

俗名に地蔵は一つたらぬなり

六地蔵お七が名にはふそくなり

地蔵が借り主でえんまがかへす也

無理な朝地蔵はしはりからけられ

箱根からこつちにや野暮な地蔵あり

大礒にきうせん筋の地蔵あり

下女が宿前出し地蔵の近所

野雪隠地蔵しばらく刀番

むだ書で還俗させる石地蔵

折々は火はたきになる石地蔵

褌を輪げさにかける石地蔵

くらい道汗をかかせた石地蔵

田舎道石の地蔵に聞いて行く

開眼をすると一休ぶうらぶら

親ぢいに因果地蔵の前であひ

地蔵さまなんの苦もない立姿

愚俗の為にしばられる石地蔵

迷ひ子の地蔵ぼさつは月行事

関の地蔵で笑ふまい〱

 

閏七月十七日菩提樹の実降る是れ善光寺如来の奇瑞なりと云ふ 水草の実鳥の糞に雑りて有りしとなり風来山人菩提樹辧を作り板行したり

 

十月鳥山権校を始め其の他権校

勾当の輩高利の金を貸し不正の利得を貪りし事露顕して入牢に処せられ後皆家財居宅没収の上追放せらる 此時権校勾当は惣権校作法の仕置可行由にて惣権校へ引渡浪人町人は大略遠島 鳥山権校は牢死せしとなり本件に付官金取立京鹿子娘道成寺、鳥山草摺引其の他落首数多あり其の中鳥山権校詠込の落首一二を掲ぐ

鳥山か崩れて瀬川水増て流れのすへは浮つ沈みつ

金の利をたた鳥山と思ひしにけふはは我か身を捕られこそすれ

やみくもに高利をかして鳥山かあけくの果は身をとられ山

尚精しきは津於正茶の譚海及び談海続編を見るべし

其時の座頭はためた甲斐もなし

座頭共高利を取ツた甲斐もなし

権校はわるいおどりをおどらせる

しやうもんをやいて権校縁をくみ

おもしろくないは座頭のおどり也

つツついて来るで借金めだつなり

権校のはじめて笑ふ御皆済

金をふやすのが琵琶より妙手也

なみ杖を四五本やつてはたらせる

琵琶は袋に納まって金を貸し

すもつたい付けて権校ひかぬなり

座頭のを借りて座頭の鳴りをとめ

けんきやうの使者は四五人つれて来る

けんきやうは又そしられる蔵を立テ

おねだんに御不足ないと座頭いひ

めくら千人程も来る御不勝手

十両へ座頭とう〱てんをうち

十両に目のないやつが点をうち

貸す時は至極静かな座頭の坊

座頭金金のあたまをはつて貸し

座頭の貌をねめつけて金かへし

権校になる前所々でにくがられ

光陰を座頭の急ぐすばらしさ

やみ〱と座頭に渡る町屋敷

無イもせぬ目をむき出してはたる也

ひどいかり泣いて居た子がだまる也

借り方はさぞやと思ふ紫屋

紫を見ては京でもあきれべし

証文を淋しくたたむ座頭の坊

大晦日紫雲たなびく御ふ勝手

鐵杖で御玄関へ来るおそろしさ

権校はねかねる蔵を建る也

権校も出来て乞食も其次出来

聞分けて権校たつた二日のべ

おそろしさ橦木をもつてはたる也

皮財布かつてこうとうにくまれる

座頭の坊みそ役人を言ひまかし

目あかしをつれて権校あるく也

権校の子どもほうそう重い筈

高利だと思し召なと座頭貸し

口おしさ杖の下からかりる也

蛭よりか座頭のせめるひどひ金

しぼり上ケ〱紫に染

都方より出たるがはたる也

 

八月枡の事に付達しあり

油やで升あらためは供をよび

 

めくり骨牌益々流行す

 

伝書の封筒は明和前よりありしが此頃漸々画様に物数寄出来たりとそ

 

お花半七開帳益札遊合(北尾政演画作)梓行山東京傳十五歳の処女作也

 

銅脉(畠中頼母)著の狂詩太平遺響梓行せらる

 

新撰猿筑波集(素外)

俳諧礎(一漁)

ももの親(吏登)

俳諧鏡の花(蓼太)

三篇五色墨(礎石)

 

 

千七百七十九年

安永八年己亥   六十二歳

 

誹風柳多留十四編板行

 

中嶋棕隠生

市川三亥米庵生 亥の年亥の月亥の日生る依って三亥と称す

五世桃隣生

文々蟹子丸生

六代目市川団十郎生

二世巴扇堂(筆の常持)生

 

正月四日村松團雪没年四十九 初山暁と号す

正月二十一日芥川貞柳(三世)没年八十一初丸山貞佐と号す

二月九日阿怒齋没年三十七

二月二十日松本百花没年六十四

三月六壁庵康エ没年七十九 通称澤屋伊兵衛初八椿と号す 越中戸出町の人 俳画を能くす 俳諧百一集の撰あり

五月二十一日中山玄亭没年六十

七月十五日菊池南汀没

七月二十日谷口田女没 名由眉齋と号す 樓川の妻

七月二十一日早川丈石没年八十五 千載堂初知雄 剃髪して宗順と号す 辞世

極楽に誕生日は今日なれや

七月二十九日山本文也梅園没年七十五(或云八十五)

九月朔日仲祇徳(三世)没年五十二 自在庵初祇貞と号す

九月二日(或云六日)足高五l梅隣庵没年七十六

九月二十三日烏石葛辰没年八十(或云八十一 或書安永元年没年七十)

他人の手似せて烏石は名が高し

十月二日富士谷成章層城没年四十二

十月十三日(或云二日)中井羅院没年三十六(或云五十六)又中村氏蟻牙齋と号す 故ありて壱岐島に流されて後許さる 辞世

身の秋ぞ絲瓜の皮のだんふくろ

十一月二十一日賀川子啓玄迪没年四十一

十一月十八日漣丈没黒水西錦退屈と号す 蓼太門

十一月二十三日笠家左簾没年六十六 名は古道 素湯庵初鴨之と号す 元新吉原三浦屋の主人にして後俳諧師となり山谷田中地蔵の前に住す 明和七庚寅六月絵本青桜美人合といふ俳書を板行せり 此書は五冊本(三冊本もあり)にして鈴木春信の筆なり 当時著名なる遊女の姿を写せしものに左簾が俳句を添へたる贅沢なる出版物なり

十一月二十五日石中庵班象没 初平舎と号す 吏登門 江戸の人

十二月十八日平賀源内獄中に没す年五十四 浅草橋場総泉寺に葬る 風来山人又鳩樗と号す 讃岐の人 博物の学に通す 志を当世に得ず窮居して戯作に従事す 名著頗る多し就中院本神霊矢口渡傑作と称せらる 院本には福内鬼外の号を用ゆ

此年十一月二十日の夜平賀源内発狂して日此無二の友人なりし御勘定奉行松平伊豆の守用人某を刃傷し折柄同席に在りし商家米屋久左衛門倅久五郎なる者を殺害し即時源内獄に下され終に獄中に病没せるとなる

光陰の矢口は福内鬼外なり

森川佳夕(五郎左衛門)没

 

馬場存義此頃茅場町に住し困窮して雨ふる時は屋内に傘をさして俳諧したり是を時人宗匠の夜の雨八景の一つなりと笑ひけるとぞ 其の後佐内町に居を移し頗る裕福に老を養ふ

 

三浦樗良 更科に遊ぶ

 

娼家の家名に楼号を用ゆることは此頃扇屋墨河が扇の異名に因んで五明楼と称せしより始まると云ふ 

此時丁子屋は鶏舌楼、松葉屋を松葉楼、又は館といひ玉屋を玉楼、大黒屋を甲子楼といひしとぞ

扇屋で一盃呑んで気をひらき

扇屋で御朝堂さと浅黄しやれ

夜市から息子扇屋的に行

あふがれてフハりと上る五明楼

新地の蛤吹出した五明楼

動かぬ星は北辰と五明楼

五明楼浅黄愚案におちかねる

五明楼上愁扇の色を見ず

 

六月新吉原江戸町一丁目扇屋宇右衛門抱遊女花扇向嶋三圍稲荷社に詣でて和歌を詠せし額を稲荷社に奉納す

花扇は東江源鱗の門に学び書を能くす又和歌に名あり其の詠歌自筆の額を稲荷社に納めたるよしは東都聯額に載せたり即ち次の如し

みめぐりの三の御社にまうて侍りしをただにやはと人のそそのかしたまひしかばいな舟のともはひかでにかいつけてたてまつる

みやいせるかみのこころもすみぬらし

  なになかれたるかねのほとりは

安永八年己亥六月  五明楼遊女 花扇

山東京傳著傾城觽花扇の條に曰く、含情魚片言尤考ふへし藝は書、歌学、茶、琴、香、好む物手飼の猫と以て其の風廣の洒落なるを知るべし尚ほ花扇が琴逸話等は寛閑楼佳孝編の北里見聞録、蝴蝶女著の「はちすの花」に詳ななり

扇屋へ行くので唐詩選ならひ

江戸町に身は末広の花扇

三歩金東江流の扇なり

 

柴又村題経寺の堂宇を修理せしに今の板本尊を発見す此日庚申なりしかば後縁日とす

 

此頃堀の内妙法寺流行り出し参詣者多くありけれども食事は腰弁当を携帯して行きしがその頃成子に婆々の茶漬といへる腰掛茶屋あり皆此處に寄りて食事しけるとぞ是江戸七色茶漬の元祖なりと云ふ 当時は成子より山の方細道を往来したりと「昔ばなし」と云ふ書に見ゆ

時花神野中にあじな道が付キ

他宗から妙にはまるは池と堀

他宗までだぶ〱はめる堀の内

通り者四五町しれるおめい講

こがらしの時分持佛は花ざかり

落葉の頃に橘は群集する

新宿へ宿るには是妙法寺

むまいものだらけと茶漬喰つて居る

にうり屋の念頃ぶりはつまみぐい

煮売店さはちへ海老をたてて置

にうり見世みの無いがんや鴨がとび

にうり屋でのませてかへす文使

煮うり屋は風負のする樽を積み

にうり屋へなんだ〱と聞て寄り

にうりやでつまみぐいするあぶらむし

黒鯛をたてものにするにうり見世

 

新吉原に男女の藝者を取締の為に見番を設くるは此頃よりと云ふ

けん番は皆俗名へ香をたて

 

歌念仏の飴売出づ「なまいだ飴」とて流行す 六年頃よりと云ふ

 

薩州候品川の前邸へ琉球産の孟宗竹を始て植えるそれより所々に根をわかち江戸に始まると云ふ

竹の子はあんまり母のわるねだり

竹の子のあじやがよいと母がいひ

竹の子は火をする垣へ顔を出し

竹の子もまだやハらかで歯につかず

竹の子はぬすまれてから番がつき

竹の子を親はほらせて喰たがり

竹の子はどこが前やら後やら

竹の子は一本ぬいて先づにげる

竹の子をぽんとぬすむはつみがなし

大かつ一声竹の子を捨ててにげ

まづ筍はおぶりじやまたと腰へさし

笋ぽんと手の頭尻の頭

しきみを下ケて竹の子を盗ム也

珍客へじまんの薮を輪切にし

竹藪へ子を堀に行親の為

いい藪をもつてとなりと中たがひ

わるくぬすむと竹の子は声を立テ

竹うりは子をうる時はふしをつけ

ゆるい黒木へ竹の子をさして来る

手へ息をふつかけて笋をほり

湯くわん場のきわなはみんな竹に成り

隣との不和は笋うらの事

とい竹はまけて来る時肩を替へ

竹やりではらえぐらるる米だはら

布袋竹ここをにきれとうまれ付

す状のそばでころげる火吹竹

我庵の蜘切丸は竹ほうき

女竹から男竹にうつるいそがしさ

四度目の竹はめで度黒うなり

竹の子をぬすんだやうに明智され

竹の子のやうだとあげをおろして居

かみくずを竹へはさんで申入れ

 

神田小柳町生花の師匠某其の近所なる町医の娘松といふ少女を犯し獄に下る流行唄市中に伝はる 翌年此事実に基き世噂花師匠の戯作梓行せらる

此後又天明元年辛丑十二月某所の勢家にて年忘れの茶番を行ひし時茶番の題は「鬼に鉄棒」「二階から目楽」「猫の尻へ木槌」などいふものなりしがこの中にて「猫の尻へ木槌」といふは本件を仕組みて当時有名なる新吉原の幇間五町が趣向に出で大受なりしとぞ

ひれふして仕廻ふと茶番々々也

つづきまして能御天気茶番よぶ

年忘れわすれずとよひ顔ばかり

年忘れ袴で来たでしかられる

年忘れ麻上下で禮を云ひ

年忘れしなのを呼びに太郎冠者

年忘れぎりでたいこはひま成り

年忘れかはれぬ時分一がきれ

年忘れいつか表は膝ツきり

年忘れ生酔水をあびせられ

年忘れとう〱一人水をあび

とし忘れ終イ夜が明てまた覚へ

年忘れ年忌とよんでしかられる

年忘れよろけて杭の穴へ落ち

年忘れしたとはけちな女郎買

年忘れ麻につけたる馬鹿の面

数へ日になつてとそねむ年忘れ

来年の樽に手のつく年わすれ

翌日は店を追はるる年わすれ

口ばかり九つぎりの年わすれ

入聟の叱られ始め年忘れ

むかしとつたるきねづかでとしわすれ

食い過ぎた年忘れだと猪牙へ乗り

月迫に寄つて一夜さ飲みあかし

 

新内節を始めて草雙紙に作りし仇競夢浮橋梓行せらる 此年案内手本通人蔵(喜三二作春町画)梓行盛んに行はれこれより後忠臣蔵の戯作は皆是に倣ふと云う

 

前句付自在袋(江北散人編)

うつら衣(六林編)

折句袋大成

蓼太吐月高點集(三鴼)

名所小鏡(蝶夢)

 

 

千七百八十年

安永九年庚子   六十三歳

 

誹風柳多留十五編板行

五月「田舎ふり紅畠」と題する柳書発行 本書は秋江齋楓呉の撰に依り出羽山形連(今の山形県山形市)なる所謂川柳風の前句本(誹風柳多留と同型其の取材も尚同様なり)にして京都寺町の書林橘屋治兵衛之を板行す 蓋し地方に於ける川柳本最古の珍書なり 全巻七百壱拾八章を収む 其の中より数句を抄録してその風調の一斑を示すべし

桃太郎わらじのいらぬ供まわり

花見とはむすこ風雅な嘘をつき

大せつに娘一冊持ツて居る

女湯は年かさなのが先キへぬき

通人になつててうしへ流される

在郷娵高もりくらい屁ともせず

地紙売土弓へ来てもつめられる

猿廻しばちて虱をかいてやり

寶引に娵居ずまいを度々直し

あいそうのよいに懸とり困つて居

首尾の枩ふり向キもせすむすこ行

おとり子は横にころぶで怪我がなし

村の嫁毛虫のやうな眉がみそ

二会目は丸太の蔭へ百ほうり

夜来風雨の聲うさく四ツ手かけ

何国から売られて来たと手をにぎり

地女のくぜつしんだい向キに落

年棚のみかん肩からのびて取り

駕にのるやぶ医ちよつ〱と顔を出し

京にさへつけぬ()の字を江戸のみそ

奥家老しなびきつたがじまん也

中條か娘こうしやな口をきき

すみつこで手拍子うつ無藝もの

根津へ来て見へぼう藝者望む也

うら門の方てほへたとをやじ起キ

代みやくにはかり娘は見せたかり

こんな目をして呵ツたと御用いひ

女湯ははたかになると腰が折レ

生酔かをつ倒れると蚊かたかり

丸木橋座頭かいるのやうに這ヒ

おめみへのひたひをちんになめられる

一ツ家の跡にでつかい仁王門

のり物の重くみゆるはおうば也

丁子屋を匂ひ袋に根津の客

引導をくりに見て居る古着買

親和(シンナ)門弟と初会に聟咄し

芥川あし跡みれは壱人也

蓮池の明ほのを後家見てかへる

精進を柳はしからをつことし

薬種屋の内儀やぶ医をまかす也

 

秋八月柳樽飾稿 川傍柳初編板行せらる 本書は牛込御納戸町蓬莱連の月次会選句集にして川柳評の柳書なり 朱楽菅江の序 蘭香の題画あり 板元は花屋久次郎・長谷川新兵衛の両書林なり

 

頼山陽生

橘守部生

魚屋北渓生 吉原十二時の挿画に高評を博せり

三代目尾上菊五郎生

 

蔦唐丸(蔦屋重三郎)没

正月八日猨山龍池季明没年六十余

正月二十一日石王安兵衛黄裳没年八十

二月七日鏡地庵湖中没

五月二日(或云二十日)宋紫石没年六十五

五月十四日篠田定孝明浦没大橋の門人明浦流と云ふ

五月十九日六代目森田勘弥残杏没年五十七

六月二十四日松宮主鈴観山没年九十五

七月二日二松庵萬英没

七月十一日大谷永庵没年八十二 京の人歌書とも能くす 名業廣法印に叙せらる

七月十五日深川湖十(三世)没 雷吼坊戀橋庵風窓と号す

七月二十六日田中五竹坊没年八十一

七月二十六日安田以哉坊雪炊庵没

九月四日飯嶋吐月没年五十四 子規亭不白軒松下山人初吏中と号す

九月五日長谷川雪洞等運没

九月十五日元祖三桝大五郎一光没年五十八

九月十七日河合夾々没年五十四 五湖庵 初湖貫と号す 辞世

帷子は我が秋去る衣かな

九月二十二日坂上峰房没 竹瓦楼と号す 伊丹の人

九月二十五日林周助東冥没年七十三

十月十五日山岡明阿没年六十九

十一月十六日三浦樗良没年五十二 諱は冬卿 通称勘兵衛 無為庵 後玄仲と号す

十二月六日元祖嵐吉三郎里環没年四十四

 

春碁太平記白石噺(紀ノ上太郎・鳥亭焉馬合作)は江戸淨瑠璃にて興行なる

他の草で妹大事トでからかし

他の草のかたきは首も鎌でかり

 

四月十六日より羅漢寺に三匠堂建つ八月落成す

 

五月高田に富士山を造る

孝霊五仰むくものにのぞくもの

孝霊五仁者の好むものが出来

孝霊五年すさまじいむぐらもち

孝霊四年あれを見ろ〱

せり出したお山孝霊五ツ月目

せり出しの山は近江の細工なり

我がままに国がへをする不二の山

天と地のつつかいに成る不二の山

道法りを榎の知らぬ不二の山

よう拜はどこでも出来るふじの山

生国へ顔を見せない富士の山

ながめてる方へつんむく富士の山

ふろしきのむすびめとかぬふじの山

肌ぬぐに半年かかる富士の山

日本の掘出しものは富士の山

平地だと榎を九本うえる所

平地だと榎を九本植る山

ほんごくも生国もあるたかい山

不二山ハみぢんつもらず一夜也

不二山がおツぱだぬぐと九十川

不二山も目出度見れば目は入れず

不二山は江戸のまなこで見える所

不二山は地に有物と思ハれず

ふじ山をかくす斗りが春のきず

ふじ山を北陸道でおつぱさみ

富士の山三とまり程ついて行き

富士山の文字は御代にも能叶ひ

富士の山ふ段の帯をかひの口

富士の高根に前ざしの横霧

富士山のあたまを押すは雪ばかり

不二を見なくしてちからのおちるたび

唐土にないのは山の四方めん

お高もり宝永の頃かさへ分け

宝永四年蒟蒻の価が上り

人にうらみツこいもなく不二はみせ

上の山とちがひは御里もしれて居ル

同日のろんはするがと近江なり

富士の裾引張ている三ケ国

さくや姫三国一のすそつぱり

咲耶姫近江にうみの親をもち

さくや姫琵琶は天女へおきみやけ

旧宅は天女へゆづるさくやひめ

甲斐の国まで白むくの裾を出し

さくや姫臍のあたりでごろつふれ

さくや姫桂男と同い年

咲耶姫日本一のやまのかみ

咲耶姫宝の山を一つ産み

赫耶姫俗名おふじさまといい

日月の両てんをさす咲耶姫

後姿を見せぬのはさくやひめ

かはいがられた竹の子はかくや姫

おつくりができると寒い咲耶姫

五人男をへこませた赫耶姫

ふじの山まくらの上にちやんと立チ

もろこしにない夢を見て神酒を上げ

目出度さは夜船で春の不二を見る

不二の夢はたして川留めをくらひ

富士の夢丸く締めすと乳母判し

ふじのゆめ三千五百九十一

不二の夢はたして白き御えり光

ふじの夢うたひのせきで御はなし

不二を夢見て番頭に直るなり

一升に少し足りないにぎりめし

するがへは九引てあふみ一残り

海は一国山は三ケ国なり

一合は弁財天のものになり

竹生島丈が一合に足なり

其後はこはごは翁竹をわり

孝霊に生れて今に二十ちなり

時しらぬ山はいつでも二十なり

うみ出した一人娘は二十なり

頭寒足熱六月のさくやひめ

蓬莱を目当に他から船がつき

表裏なき山を目当に貢船

高いこと五十四五里と通辞いひ

実語教不二と布袋をそしるやう

実語教よめば富士山腹を立

名山は裏から見ても富士とよめ

名山は絵に書てさへ山とよめ

天と地の間を九里余を登る也

餘の山と違ひ子宝迄も持ち

三国へ男も成らぬまたぎやう

俤の替らでつもる不二の雪

海と山とつかへこにはするがとく

秋津洲の鼻と口なり富士湖水

春のきず不二ををり〱かくす也

気取つて不二から配る初日の出

擂鉢の上にお鉢をのせておき

逆さ扇に日の丸の朝げしき

日本のつまみ駿河の国にあり

駿河者手前のもののやうにいひ

時知らぬ山入夏も布子なり

水無月の布子は天へとどきさう

くりから龍が富士を越す江戸道者

敵討おととひだよと不二まうで

日本の夢は一夜で出げんし

近江から駿河へ娵入る綿ぼうし

不二の寿角力で風になびきかね

摺鉢をふせたやうなに琵琶が出来

ヤレおきろ山が出来たとさわぐ也

あつぱれな山九合にはいいはかり

孝霊の御代から夢に当が出来

夢の番付孝霊の後に出来

ほらの貝だらふと近江中でいい

あの山に不老不死あり穴賢

孝霊の一夜のうちに大仕事

小人嶋不二山堀り飯で出来

 

六月雨多く近在出水永代橋新大橋落る

富士筑波左右に江戸の渡り初め

によつき〱永代橋の冬木立

橋多き中に永代うらみられ

花の江戸帆柱計り冬木立

さん用がせんで永代こえるなり

 

腰折れ人形此頃より始る

竹鑓をけつへ突ツさす人形屋

人形の中で野呂間は毒らしき

次男へはへろ〱武者にのしを付

よその子にすごされて居る人形屋

 

婦女の燈籠鬢流行す 鬢指を鯨骨或は銀にて作りて鬢の横より通す 髪の毛筋を荒く脹らかにせん為なり 名付て燈籠鬢といふ経木燈籠に似たればなり

桁ゆきのなかひあたまのうつくしさ

下女までもびんを出したり御延引

 

「大にお世話へ」と云ふ唄流行す 一竹齋達竹戯画作のはやりうた大きにおせわ金金金平と云ふ 青本出づ其の表紙裏に此流行唄十五首を載せたり

大きにお世話十六がどうした

 

新吉原の茶屋桐屋伊兵衛といへる者角町遊女中萬字屋といふ同気相求の者二三人の思付にて俄狂言を催す 後毎秋八月の定例に成りしと(安永五年の條下参考)

 

女髪結は大阪に明和七年よりありしが江戸にては安永の末山下金作と云ふ女形下りて藝者囲ひ者などの髪を結ぶを渡世とせるに始まり漸々此風他の地女にも移りたるは寛永二三年の頃なりと云ふ

かみゆひに一くし望むかゆひ所

へんな日にばかり髪ゆひやすむなり

さい日にかみゆひひくてあまた也

髪ゆひの四五あしならす下駄の音

髪結のだ口はほうきしよつて逃げ

しばられたやうに髪結ひまて居る

髪ゆひも百に三つはほねを折り

やらかしてくれろとはいる髪結所

夕べあれからいつてのと髪結所

翌日むすこ五六人居髪結所

髪結所どうだむすこといふ所

髪結所御用勧進帳をよみ

髪結のねぢつてつけるぼんのくぼ

あごの髭もつとぬらそとのどて云ひ

髪結は上手で首の数を取り

髪結床鏡馗が来るとうんざりし

かみ結は元結くとこしをのし

かり元結かけて髪結なで廻し

らんびんに成って髪結ひ追ひ廻し

とうだいもとくらし髪ゆひらんびん

髪結のぞうりはく日に手間を入れ

かみゆいをむぐらせて遣る大屋衆

結ふ内に二度つれて来てしかられる

根ぞろへをして髪結はさぐらせる

手前ものゆえかみゆひはぶつかぶり

そのきげんではと髪結こはがられ

髪結ひはきうなら爰でなさりやし

髪結をこわひあたまで追ひあるき

かみゆひはおウくれおくれ也

かみゆひも座敷があると一歩なり

かみゆいはもとゆひまくともめといふ

髪結は鯉をくわないやうな鬢

ざんぎりを田町の床は待て居る

引ツこぬくやうに髪結ゆびをふき

さかやきでこするは二文四文なり

かみゆひのすいで付けそる樽ひろひ

かみゆどこ地紙へ首をのせてそり

下駄はいてねころんで居かみゆどこ

かみゆひの好キにゆわせるしなのもの

さかやきそつて髪ゆつてしちをおき

髪ゆひもすすはき程の身こしらへ

いろ男ふたへまふちに髪をゆへ

髪ゆひか来るとあたまを撫て見る

髪ゆひの出来た相図は肩へしれ

あおむくとかみゆひのどをのぞくなり

あたまてん〱でかみゆひまねかれる

髪ゆひは背中をつくといとま乞

髪結を一艘つんで帆を上げる

髪ゆひに成ってかげ清ねらふはず

安女郎買がよつてる髪結床

二三げんかりて床見世つりを出し

急用であたまを持ってあるく也

髪結が替つてかはる頭形り

急がしい風姿で髪結のろり来る

下剃は障子を開けて水をうち

お覚悟はよしかと笑ふ剃習ひ

気のつよい女髪ゆひ床で聞き

三ツから日本は国の形りにゆい

月代をそるとりきんで耳をふき

首の座へ出る気で頼む剃習ひ

こんやのあさつてかみゆひたつた今

髪ゆひはもとゆひまくともめといふ

かみゆひに一くし望むかゆい所

元結紙首をふるのでしまる也

元トゆひを沢山にまく馬喰丁

ばんにいるあたまだ一つやつてくれ

髭切をとぎすましてる鬢だらい

人の気を結ふて髪結流行る也

髪結床寄合ふともふたぼはなし

かみゆひへつひさな勅使三度たち

髪結の頭痛此ころ風はやり

たんせんは何もないのに結ぶやう

 

富突は享保の頃毎年僅かに三回興行せられたしが其の後歳月を追ふて増加し此頃は毎月数か所の社寺に於て行われ就中谷中感應寺(天保四年八月寺名を護国山王寺と改称す)、湯島天神、目黒不動の三か所は最も著名なりき 此富突は神社仏閣の修繕の為に金銭の勧化をなすと称し孰れも公許を受たる上にて興行し私に行ふことを厳禁せり 其の当り高及び方法等は喜多川季荘著の守貞漫稿に詳かなり就て見るべし

谷中まで行くを湯島で突とめる

感應寺突べりが先づ二割たち

感應寺いのちから〱一分捨て

感應寺目をむき出してよんて居ル

かんのう寺いへばおらが近所にの

とん欲のため息つく感應寺

町内でごんめうに知る感應寺

感應肝にめいじ百両とる也

神明佛陀の冥感で百両

むりなこと富の取れぬをはらを立ち

ばいしよくを一わり入れて札がおち

お替地にくるまつて居て富を付け

おんねんがこわいと富をとらぬ同士

一のとみどこかのものがとりはとり

大わらい富場でしやくしおつことし

富の場へさい布をおとしわらはれる

富を取ツたをかくしてうたがハれ

にくい口富ても取って去りなさい

富の札あたり見廻し買て来る

首縊り富の札など持って居る

とみを取ルまでと間男へのむしん

今時の壁中富の札が出る

富札の引裂てある首縊り

百両を錐で突つく谷の中

百両はふらついて居てとかまらず

まアうんといへと無尽の指を折り

不首尾の杓子割りかへし計り取り

につこりと一人か二人富場でる

十三日富札の出る耻しさ

袋棚から札を出すむじん茶屋

よくのない富を講中つける也

当ります杯とよしずへけさをかけ

富に当つた気でじやもつつらを持

 

又その頃谷中感應寺の門前にいろはと書きたる暖簾を下げ水茶屋数十軒ありしとなり 此茶屋には俗にけころといふ隠売女を置き主として僧侶に淫を鬻がしめたりと云ふ

いろは茶屋客をねだつて富をつけ

いろは茶屋笠森近く気にかかり

いろは茶屋金より銀のきく所

いろは茶屋もちろん客はすみの析

いろは茶屋にて女郎かいならひ

いろは茶屋吉三ぐらいがはまる所

いろは茶屋大こくの湯が薬缶で来

いろは茶屋せんばをしてもはねる所

いろは茶屋五ツ下り程反古になり

いろは茶屋一字〱に夜があける

いろは茶屋医者で行く程間ヒはなし

いろは茶屋ぞくを引くには骨が折れ

御自身に出てはひつぱるいろは茶屋

留るなよ佛がくるいろは茶屋

たまさかにやろうもはいるいろは茶屋

かげまなど居そうな所いろは茶屋

丸いのをもつばらに呼ぶいろは茶屋

武士はいや町人すかぬいろは茶屋

門並(かどなミ)つツぱつて居るいろは茶屋

石の楯もかんまぜぬいろは茶屋

襟巻をしごきに貰ふいろは茶屋

囲れのなりこんで来るいろは茶屋

雁首でつツぱつて居るいろは茶屋

いろはから京町へ行くしやうたつさ

ねぜひきこんだといろはで生酔にち

八宗けんがくいろはの品川の

芋ほりといつたといろは大くぜつ

薬屋株が先ン僧正の形見なり

和尚さま善女人だとかわけがり

いろはから始めましたとどら和尚

よし町のけんへきになるいろは茶屋

いろはでは元日からも来なといふ

いろはへも二タえだ三えだよろけこみ

坊主持いろはのきやくを見て渡シ

さつとてはかへしたまへといろは茶や

たまだれの内やおかしきいろは茶や

 

此頃華奢風流を事とする者を大通又は通人、通家、通り者などと唱へて此驕風世に行はる 其の中にも所謂十八大通とて十八の通人ありけり其の人名次の如し

吉田(大和屋)文魚  竹内(大口屋)暁雨

大口屋稻有      大口屋金翠      大口屋有遊      平野屋魚交      片岡(大黒屋)秀民  樽屋萬山       桂川周輔       祇園a里       松坂屋左達      下野屋祇蘭      近江屋柳賀      犬崎雄石       村田春海(帆船)   加藤千蔭       扇屋墨河       菊屋可文

十八大通の人名人数には異説多く其の誰々が果して当時に称せらし真の十八大通なるやは定かならねども是等通人輩が時代風俗を代表し又風俗を作れる者にして此内大口屋治兵衛暁魚と平野屋太老次文魚とが其の巨擘たりし事は争ふべくもあらず 其の重なるものは蔵前の札差にて通り者として一時に驕名ありしなり 是等通人の事跡は残薬袋、蜘蛛の糸巻などに記述せられ遊女方言、十八大通百手枕など云ふ小説にもその風俗を描写しあり 近年又笹川臨風の江戸むらさきに詳記しある所なればここに之を漏しぬ

通人中の平野屋魚交、大和屋交魚は川柳作家にして其の作品当時の誹風柳多留に散見する所なり 通人社会の驕奢なる風俗に対しては山東京山も之を妖風なりとして蜘蛛の糸巻に諷刺しけるが読海続編に載せたる当時の通人痛罵の戯文は亦面白き対照なれば次に之を掲ぐ

安永の頃奇怪の人あり其名を通人と云ふ圖の如く(檉風云図は之を略す)譬は鵺といふ変化に似て口は猿利根にして尾は蛇を津かひ姿は虎のことく鳴聲吹に似たり貴人も袴を嫌ふ多く酒を食として世を一ト呑にする事恰も眞崎の田楽を奴にあとふるより安し忠といへは鼠の聲といき過き孝といへは東堂の屋根をふり向き燕雀何んそ大鵬の心を知らんや小紋返しの三ツ紋 ハ三ツ表ハ をあたへ裏半襟ハ仕立やの手間横三枚裏八幡黒は世上真黒の足元どんぶり多葉粉入と落もめん手拭の長きにもふきたら須穴知らずの穴ばなし親和知リの文字あいらず誹諧しらずの誹名通人の不通なる事まさかの時は親類不通の種ならんかし

通りものまさかの為にぶつかさね

通りものひるはまなこに血をそそき

通りもの女房もあればありつきり

通りものてうちんの火で床をとり

通りもの小袖の下へゆかたを着

通り者羽織ほうるがくせになり

通りものよみをうつのは病上り

通りもの将基をさすもあはれなり

通り者口から出して銭を買ひ

通りもの猫のしまいをつれて来る

通りものひざが光るで安く見へ

通り者図ぬけのたまる弐朱て買

通りものはるなへ願をかけてやめ

ある時はころぶ程着る通り者

いつわりまけてお引出す通りもの

ふんどしを帯にして居る通りもの

呉服屋ですぐに着て行く通りもの

不動迄女房を連れる通りもの

からツ手て来てさげて行く通り者

うらなひにさいなんと出る通りもの

鍋二ツかふるかハりに通りもの

朝湯には一人か二人通りもの

ただ今和尚大通とかわります

いくらするものか羽二重ばかり着る

かせぐよりあそぶ姿にほねがをれ

大通に上人御ふみをかいて置き

或時は白く寝て居る通り者

 

安永の頃男子の頭髪は本田髷流行し特に通人社会の如き一般に此風姿なりしと云ふ 安永二年刊本当世風俗通に曰 極上の息子風頭髪は者云なしに本田尤若干髪あり所謂兄霜本田、(めくり)本田、蔵前本田、五分下げ本田、疾病本田、金魚本田あらまし右の如し此内にて好みに随ふ然し上下着用の時は中にて品よきを用ふべす云々 又蜀山人の半日閑話巻之十二に 近来男子の風俗甚異にして髪は本田とて中剃りを大きくして髷を高く結ふ鬢は下鬢とて油をつけず櫛の歯を入毛筋を通し後の方は油を付て置境を潮堺といふ眉は三日月とて細くぬく衣服は細袖には薄綿にて重ねて着るに便にす此頃の諺に曰疫病本田癩眉(かつたいまみへ)宿無し姿と云へり

作左衛門夢中でなひは本田也

も郷の御噂と本田いい

うすべりをまくると本田よいと出る

二階で出来る本多は代百疋

ざんぎり本多のゆひちん壱分なり

わつきやつといふ内本田ぽたり落

本田あたまで今あきる四書をよみ

三みせんに合はせ本田をふり廻し

素見者本田にゆふは何事ぞ

田町にてえんやらやつとまめ本田

分散の店に小野郎まて本田

大三十日本田頭はまわりかね

たいこ持本田のわけち程に結ひ

ぜぜのない本田が来たと遣手云

羽織着た娘と本田五六人

やねぶからハケ先いぢり〱出る

三囲の渡しに本田二三人

本田めらがしやれぬくよと遣手いい

しなのものだれか本田に結つてやり

あつちだのつだの丁のと本田いひ

ぬいはくや本田へちよいとさして立

 

当時の落首に安永九年当世見立三幅對といへるあり 次に二三を節録してその内容如何を示すべし

広き江戸に類のなきもの

神奈川の男子 洲崎の枡や 糀町の小娘

勝たやうで負けたもの

神田橋の喧嘩 尾上梅幸 神田の火事

分限知らぬおごりもの

松平伊予守 富本豊前太夫 御蔵前板蔵

死後に至り今に人のおしがるもの

平賀源内 秋元絃休 王子路考

当時若手のきき者外に肩を並ぶる人なし

瀬川菊の丞 阿部備中守 谷風梶之助

めったにかきたがるもの

梁川親知 田にし金魚 加藤文麗

上手なもの

薬研堀おなを 阪東三津五郎 南涼しの

 

桃季集(蕪村几董)

梅柳(易難)

口合秘事手引草(梅亭等編)

 

 

千七百八十一年

天明元年辛丑   六十四歳

 

誹風柳多留十六編板行

 

五月柳樽餘稿川傍柳二編板行 朱楽菅江の序蘭香の題画あり

八月同三編板行 四方赤良及び朱楽菅江の序并蘭香の題画あり

 

篠崎小竹生

朝川善庵生

高梨一具生

林屋正蔵生

岩窪北渓生

 

正月九日湯浅元禎常山没年七十四

二月朔日(或云十二月)元祖常磐津文字太夫分中没年七十三

文字太夫けいこの時はちつとふり

文字太夫どうらくものの元祖にて

文字太夫さぞ手のひびが痛かろふ

爰はかの文字太が内とびくを下げ

文字太夫手習師匠としつたなり

若太夫文字太夫よりちつと振り

若太夫是もたいがい首をふり

二月六日蓮宿没 風窓湖十の妻 木幽子と号す

二月三日親英隼人没

二月十九日元祖小川吉太郎英子没年四十五

四月二十九日風律没年六十一(或云六十五)

閏五月十九日林懋信亮没年七十六

六月十四日井上蘭澤没年六十四

八月五日山科厚安没年五十三

八月十日五十嵐俊明穆翁没年八十二

八月十一日岡徳蔵鳳鳴没年七十

八月十六日元祖大谷友右衛門此友没年三十八

九月十日諸九尼没年六十八 湖白庵と号す 浮風の妻 夫没して後諸国を行脚し晩年故郷に帰住す 筑前の人なり

十月十三日浅井周偵南B没年四十八

十一月二十六日宇井黙齋没年五十六

八月上州武州の民党して乱を為す

九月水野忠友勝手掛老中となり権勢大に振ふ

水が出て元の田沼と成りにけり

九月洛東一條寺於金n宸ノ芭蕉庵及碑を建つ 蕪村会頭なり

九月晦日新吉原伏見町油屋安兵衛と云ふ茶屋より出火江戸二丁目焼失 同日江戸二丁目遊女屋家田屋まさ方遊女小夜衣放火 江戸町二丁目右側七戸

左側六戸仲の町十戸伏見町六戸焼失假宅孰れもなし(これを小夜衣火事と呼ぶ)

 

松井屋源左衛門居合抜をして歯磨を売る 松井源水獨楽を廻すも此頃より始まる

松井屋は奴一人を嬲り切り

松井屋は人を蛇の目の目にこしらへる

源水は抜身を下げて人を呼び

源水がもまはまつごを呼生る

剱戟を振って薬を売りつける

鍔元をくつろげて居て薬うり

寄らば切らんず勢で薬うり

大太刀をきめて鼻糞うりつける

二三合たたかいくすりうりつける

くすりうり日がな一日血判し

売薬のはなつはり手の甲を出し

薬売のはおさめると人がちり

あごばかりのきに残ると人はちり

長刀をはづして来たと木薬屋

木薬屋ひつを明けると人だかり

 

大島蓼太魚文を連れ筑波紀行あり

 

語尾に「これわいせい」といふ囃子詞ある小唄流行す

 

此頃大坂より利介と云へる者江戸に来りて魚肉の揚物を始めて製造し山東京伝が名付親にて天麩羅と命名し弟京山が天麩羅の行燈を置きはじめ利介が売り始めたものなりと云ふ 此説京山の「蜘蛛の絲巻」に記したれど遽に伝ずべからず 松井幹一の「とはずがたり」に異説あり就て見るべし

油揚の使は泣を見て帰り

油あげ二度目の使おとななり

油あげさらつたやうに鶴が舞ひ

あぶらげ屋出るより早く手者に逢

油揚にこぶは村での大法事

今朝の油揚はごふぎにいい匂ひ

鷹のゆめ下女油揚をさらわれた

油揚さげた斗で夜をあかし

人面じうしん油揚をねだり

鯨の油で煑た牛房下女は喰ひ

油屋のかいで出すのは値が高し

油うり是になさいとかいで出し

一月の利をすべつたり油うり

こりはてて油と醤油べつに置き

赤旗のへんほんとする油店

油屋は二代木薬やは一代

油や出升あらためは供をよび

うめられぬかはり油の中で死に

油見世折ふし居てははやらせる

油見世是も同じく役者にて

 

当時の世事を当世三ツ物揃といへる落首によりて掲ぐ

古今同くはやります

浅草観音 田沼主殿頭 中村富十郎

能く出来ました

新年号 一橋若様 さざい堂

近年はやります

 堀の内祖師 松平右京太夫 中村秀鶴

あまりばからしい

 笠森の団子 引ケ前の見世 清水の殿様

親よりおとりました

 志道軒 大岡兵庫頭 中村魚楽

人の能くほしがる

 感應寺の札 音羽丁の大黒 狩野栄川

浦山しがられる

 大師の宿坊 田沼の家老井上伊織 御年寄玉

 

宝暦明和に専ら行はれし嵐音八と云役者人形町東側に住し鹿の子餅を売る 同町西側斐禅豆当時名高し是は天明の頃より売出す

所々煮豆見世の元祖なりとぞ

かのこもちにつこともせず折ふしい

鹿子餅実は右近衛大納言

 

天明の頃地口変じて語路といふものとなれり

市川團蔵よびにはこねへか

 内からだれもよびには来ぬかときこゆるなり

ふざな客には藝者がこまる

 芝の浦には名所がござるなり

 

挿花正風遠州の流名は春秋軒一葉が天明中に江戸に来りて首倡せしなりと

 

寒中丑の日に紅粉をはき土用に入り丑の日に鰻を食する事天明の頃より始る

寒の紅顔を見い〱厚くはき

寒のべにせと物や程御さい持ち

方圓は銭ほど光る寒の紅

紅粉猪口のすりこ木にする薬指

口べにの時くちびるにそりをうち

口紅粉のうつろふものと気も付ず

口べにがさつぱり池の茶屋ではげ

口紅粉が時々殿の耳に付き

殿に見てよとてべにかねを付る也

べに筆をかして逃たるけずりかけ

のつぴきがならぬで娘紅がはげ

紅粉ふでの物いふ訳をしらぬ親

お里へは紅粉で夕べを安堵させ

行末はたが肌ふれん紅の花

赤く咲く偽りなしの花は紅粉

白粉も紅粉も頼まず水仙花

 

丑の日はのろ〱出来ぬ蒲焼屋

うなぎやはむごいといふとはらを立

うなぎ屋を止めた咄しのおそろしさ

うなぎを丸で貰ったもこまる物

錐よかなづちよとしろうとのうなぎ

釣て来た鰻是作なく汁で煮る

わるい思ひ付キ生たうなぎをくれ

鰻斗カ先キへくふなと母しかり

子どもよく湯づけ鰻そへて喰ひ

はなしうなぎもふといのを姑えり

放し鰻もふといのを選ツて居る

はんぎりの中にうなぎはのび上り

素人にや横ざけのするうなぎ也

かこはれの前で一声うなぎ売

鰻売少し秘事あるつかみやう

堅土をあがるなよふと鰻うり

うなぎやに囲はれの下女けふも居る

四ツを打迄うなぎにてのんでいる

辻番と思へば鰻焼いて居る

ぬかごから蒲焼までのうきくろう

向ふがわ無イでうなぎがうれるなり

罪に成数珠を持ってる鰻売

かばやきも斗ですまぬ所なり

うなぎをつかまへるやうにこんやいひ

死ヌ人をあてにうなきや見せを出し

かば焼を喰て隣へむぐりこミ

痛手に屈せずぱくり〱鰻

憎らしさ鰻を二疋放すなり

毒づかれまいと鰻を先づ放し

山の芋化して鰻を喰に来る

屋形舟うなぎを釣てもてあまし

真直になるがうなぎの暇乞

 

江戸趣味性の代表魚とも謂ふべき初松魚が天明の頃一尾二両二分なりしと山東京伝の蜘蛛の糸巻に見えたり

初鰹御用手を出ししかられる

初鰹辻番いらぬのぞきごと

初がつをつらをしかめてよんで来る

初がつを客も某所のぞくなり

初がつを是も左の耳で聞き

初がつをかと僧正はむがで聞き

初がつをはしをはなせとしかられる

初がつを一ト月むす子しかられる

初がつを女房に小一年いあはれ

初がつを女房日なしへいつつける

初鰹かつかちめいて江戸へ出

初がつをそばで茶わんをかき廻し

初がつを小半丁からげびた事

初鰹旦那ははねがもげてから

初鰹一ト口のめと下女へさし

初がつを高とき犬にくらはせる

初鰹あつかましくも百につけ

初鰹煮て喰ふ気では値がならず

初がつをふといやつだと猫を追ひ

初鰹十けんよんで一本うれ

初鰹かついだままで見せて居る

初鰹つき屋呼びつぐばかりなり

初鰹片身となりへなすり付け

初鰹めしのさいにはあぢきなし

初鰹薬のやうにもりさばき

初がつをふん込の衆天窓わり

初がつを家内残らず見た斗

初鰹どツさり来るとげひる也

初がつを内儀こわ〱百につけ

初鰹ばばあぐらいはおつこちる

初鰹親仁やつぱり貰つた気

初鰹ぶつかけにする座頭の坊

初鰹煮て喰ふ気から銭も出来

初がつを煮て本妻を大事がり

初がつをよんでかへるとげびる也

初鰹夫婦別有からし味噌

初鰹はかま羽織の跡へさげ

初鰹鎌倉河岸で二本売

初鰹女郎を買ふよりはまし

初鰹妻がたわけを御ろふじろ

初鰹牛をおいぬき〱来

初鰹ねだる女房は一ツなり

初鰹買人の方にひれか有り

初がつを半分値にはいいつけて

初がつを妻にきかせる値ではなし

初がつを喰てゆかたをかいはぐり

初がつを百もするかとたわけもの

初がつをせん立チをしてしかられる

初がつを呼ぶとすけんが五六人

初がつを買と大屋は店をたて

初がつを鶴このかたの人たかり

初がつをうつた先キ〱いいたてる

初がつを女房しきりににんといふ

初がつをそろはんのない内て買

初がつを山ほとときす嫁の禮

かみさまじや出来ぬとにげる初鰹

高いよと初手におとかす初がつを

高うはござりますれども初鰹

恥な事地借では呼ぶはつ鰹

二三日待なさえなと初ツ鰹

京町は沢山すきる初鰹

下戸か出て二百引かせる初がつを

祢ぎつたらぶちのめしそう初松魚

佛迄指ひさしをする初がつを

本性でさけては出来ぬ初がつを

あす店を追れるとても初がつを

はち巻も買人のするは初松魚

人間を羽子にして飛ふはつ鰹

かかり人覚悟してくふ初がつを

口よごしとは過言なり初鰹

はじめにははのたちかねるかたい魚

せいもんの度に水打つ初がつを

そう禮を見て初鰹値が出来る

なんぼじやときけば鰹の値は出来ず

あま茶な銭ぢやアいかぬ初がつを

れい年の事にたまげる初がつを

しやみなどのくふものでなし初がつを

おいらならもうかを着ると初がつを

百両はしまい見せろと初がつを

あま茶では喰へぬ鰹のはしりなり

そらおかけるつばさ地をはしるかつを

百人の内一ト人喰ふ初がつを

おつかけて一升ふやす初かつを

かつをよぶとなりはかりで金をかけ

鰹うりつるべを落し逃て行

かつをうりとなりへ片身聞に行

かつをの値据風呂でする面白さ

出格子で鰹買ふ日は旦那が来

かつをうり名でよばれるはあたらしい

おちぶれものはかつをのねだん也

そうおしてたまるものかと鰹うり

そんなのも今来ませう鰹売

初がつを女房の聲で呼びたらず

金持を見くびつて行く鰹売

初鰹玄関をふまぬざんねんさ

初がつを座頭に一つなぐられる

魚店にかりに居にけりはつがつを

春のすへ銭にからしをつけて喰ひ

魚店にこうまんらしい初がつを

値がけんじやとまねて行く鰹うり

意地づくで女房鰹をなめもせず

もう二人ほしいはけちな初がつを

底がぬけ鰹うら店這入也

唯来ると愛敬の有かつを売

千年も生キのびますと初に喰

鰹の値伊勢屋つけてる七ツ過

徒然さのままに鰹にきずをつけ

かつをうりとむらひの供わつてかけ

時鳥なきつる方にかつをうり

かつを売り値をする内も汗をふき

かつをより女房を誉て鼻をかみ

誕生のゆひは松魚と郭公

あす来たらぶてと桜の皮をなめ

横町はまだふミも見ず鰹うり

からしみそほめて気のどくな御娘ご

さし身にてひやめししひる下戸心

ほととぎす見に出た当主で猫がひき

女房釈迦詣りの留守に刺身なり

一日二日かつほの値ではなし

初松魚呼べど呼べどかぶりふる

たて引キで女房かつをに手もつけず

いほが違ひやすと鰹ふりむかず

其値では袷が新らしく出来る

片身煑るのを女房へ恩をかけ

まなはしはしは持てて鰹あつく切り

涙片手にすりこ木でこづくなり

惣銅壺拭き掛けて呼ぶ初松魚

下タに〱としかられる初鰹

絵の書た腕で値をする初鰹

伊勢町をだまつてかける初松魚

初鰹伊勢屋が門はすぐ通り

初かつほ初かつほとてまだ喰はず

二代目の伊勢屋鰹をかた身買ひ

発句にもならぬ鰹を伊勢屋買ひ

十両はしまひ見せてやれ初かつほ

初かつほ女房喰った上小言

初松魚恥かしからぬ片身分

かつほの生酔はち巻しめてねる

初かつほ座頭二三度たべました

伊勢屋に鰹つんぼにほととぎす

月を皿にして見たばかり初かつほ

聞いたかと問はれ喰ったかと答へ

月令に見えず袷が魚と化し

松魚売る聲も一とふし江戸なまり

とめるなといふ身で駈ける初鰹

江戸っ子はわたもぬかずに初鰹

鉄砲をみがいているにもう鰹

女房にいふなと下女に鰹の値

初鰹何処の者が買ひはかし

初鰹猫には火吹竹をくれ

初鰹下戸に喰せる物でなし

初鰹下女には骨をひろはせる

時鳥白いさしみはもふ喰へず

手のひらをなめてるうへを時鳥

はつを〱といふやうに売て来る

烏帽子首はねるとうらし買にやり

一トふしに千代をこめたる初かつほ

江戸だねになると伊勢屋で初松魚

刺身喰ひながら十二字考へる

初鰹一本(いっぽ)さばける髪結(かミい)(どこ)

伊勢屋から鰹を呼ぶやいなや留

初かつをからすり鉢をするごとし

通り町あきたか鰹横にきれ

伊勢屋さんまだ高いよと鰹売り

初かつを早うわせたと買はぬやつ

初松魚そうじやさかいと値をつけず

はやり医の前で二タ聲初松魚

きよ水にしあんして居る初かつを

五ツ文字の内はかつをも喰ひにくひ

十六本すると犬迄食ひあきる

初鰹搗屋呼びつぐばかりなり

百すると大道中があたまなり

どたばたを見れば鰹と猫と下女

数ならぬ身ではくへない初松魚

藍紋の魚袷より値が高し

大伊勢屋古背を二本百につけ

遅鰹短かき足で伊勢屋買ひ

片身こそ今はあだなれやす鰹

初鰹かついだままで見せて居る

ひやめしはあるかと下戸の初松魚

安松魚とく心づくでなやむなり

尾かしらの無いが伊勢屋の初鰹

きかな売りまちかね山のほととぎす

神奈川の文は鰹の片便り

時鳥より此事と料理人

御てい主の当主で鰹を手負にし

小やろうの使かつを半くされ

大ばすに切て松魚を安くする

しけかけて鰹を半分くれ

初鰹はしを放せとしかられる

ひり〱からいが伊勢屋の鰹なり

甘茶では喰へぬ鰹のはしりなり

鰹の手紙三月と書て消し

下置とやいはん舂屋へ刺身なり

芥子味噌ほめて気の毒御娘子

なんだをぬぐいよくきいた〱

こわい事さしみをくへといせやいひ

出格子で松魚買ふ日は旦那が来

伊勢屋では七十五日すぎて買

馬鹿な事鰹をやつて不和に成り

袷の解死人盤台へ打首

はんたいにかりにいにけり初かつほ

大地に鰹みち〱て伊勢屋よび

梅桜散行此に松の魚

 

隅田川両岸一覧出版せらる

種おろし(堤亭)

俳諧名知折(素外)

俳諧類句辧(素外)

獨わらひ(

千番左右句合(蕪村)

按翁宗因発句集(素外)

袖鏡(夢佛)

花實年浪三餘抄(麁文撫)

七柏集(蓼太)

 

 

千七百八十二年

天明二年壬寅   六十五歳

 

誹風柳多留十七編板行

八月柳樽餘稿川傍柳四編板行 朱楽館主人題辭并蘭香題画あり

 

岡田半江生

柳亭種彦生(或云天明三年)

田中毛孔生

 

正月十二日中村蘭石(二世)没年六十七 初如蘭と号す

二月五日(或云三月)加藤文麓没年七十七

二月六日千宗守直齋没年五十八

三月七日三井親和没年八十三 深川寺町増林寺に葬る 字は繻卿、龍湖又萬玉亭と号す 通称は孫兵衛(或云孫の丞) 信州の人江戸深川に住す 与力を勤む 廣澤の門人にして当時流行の書家なり

死ぬと値がすると親和むごい評

座敷持親和とやらが書きんした

おととしの親和を又候と頼み

どのまつりでも深川のおやぢ出る

あの爺様が書いたのと額を見る

ふか川は年をかくさぬ書キ人なり

あきんども手書キも三井名が高し

二タ所の三井で幟出来上り

唐紙を持て永代で何かきき

唐やうは一字はなすと読めぬ也

からやうにふで屋はいじりころされる

三月二十二日彫金工尾崎直政没

三月二十三日楫取魚彦没年六十

三月二十九日片山兼山没年五十三

四月四日後藤芝山没年六十 名人忌辰録に四月三日没亨年六十一とあり

四月十日初代阪東三津五郎是葉没年三十八

四月十日二代目中島三甫右衛門天幸没年五十九

四月二十四日北村隆志(二世)没 初錦志又隆雅と号す 京都の人

五月四日細井九皐知文没年七十二

五月二十八日青山浮流没

五月二十九日加々美櫻塢没年七十二

七月十七日二代目坂田半五郎杉暁没年五十九

七月三十日古筆了泉(八世)没年四十三

八月五日浅井頼母図南没年七十七

八月十三日北圃恪齋没年五十二

八月二十三日梅澤西郊没年五十六

九月十三日鬼谷少石没

十月十三日(或云十四日)堀田麦水没年六十三 通称池田屋長左衛門 樗庵暮柳舎と号す 加州金澤の人

十月三十日馬場存義(一世)没年八十一 浅草誓願寺に葬る 有無庵、李井庵、古来庵、初泰里と号す

十一月二十九日谷口樓川没 無事庵、木墀庵と号す

十二月二十七日宮田迁齋針峰没年六十六

十二月二十八日矢野玉州没

 

大伴大江丸此頃東武に在り

 

七月十四日地震小田原甚強しと 八月江戸近海津波あり

時は今雨を知らせる地震也

ふんどしへ大小をさすゆりかへし

桃太郎地しんのゆるを直にしり

 

十月諸社の神主等就戒飭せらる

神祇の事に関して他の條下に掲記せざる柳句を一括して爰に収録す

神主はひとのあたまの蝿を遂ひ

神主の身うちに猿田彦左衛門

神主と御寺おし合おやくがへ

神前で女中一むれ泣いて居る

神前でなまものしりな手をたたき

神子は湯をあび神主は酒をのみ

恥カしい訳も神へはうちあかし

顔へ袖あてても神はうけいふ

そわせて御くんなんしと神を拝み

朝ほとき叶ってわけの恥かしさ

よい男貧乏神の氏子なり

洗髪しばし神代の姿なり

ねんごろにかたねばといふ神のちわ

いざこざも無くて渡しせいひけり

神仏に御無沙汰もうすほどな無事

石灯籠みかげをいのるひとが上げ

内陣にいるで初穂のそれ矢が来

伯母君の腹にたねまく神の徳

元日に関八州の毛をひろひ

朝な〱故郷の方へ何か云ひ

正直のかうべは神に見立てられ

祈祷する夫婦の年は七十五

叶ふたりその満する夜とひら明

榊もち況香もたかすへもひらず

祭から戻るとつれた子をくバり

つまむほと道陸神に箔を置

なぜでもと鳥居の外におえん待ち

手付にて最う神木とうやまはき

あら事と出ねば神にもなりかたし

すすはきにはくせつかうを引ツからけ

七度半おちやツひいほとかけあるき

祭礼に獅子は毛ふりのうでが込

神道とじゆ道の米は雪とすみ

申し子は神と間男するこころ

乳母が子も御幣の下にちぢこまり

神仏をいじるもむすめ道具なり

鈴を持たぬと追剥に遇つたやう

何いのるらんとあんまりむこひ事

かうも手のぬかれるものか神のぜん

しやう神と申は夏の神でなし

たんせいをぬきんずへくがかなめなり

かなめ石よもやと神もにげをよみ

末廣の御代は麻島に腰石

腰石扇町さと知ったふり

首くるみ打ませにする曲太鼓

子がござりやすはなといふ神馬引

神馬引武士のめしをもくつたかほ

神馬牽市をつつつきつんまわし

御神馬にちよび〱じぎをさせて置

神の馬うやまふ施主に屁をかがせ

いものかハでもむかうかとじやまになり

神託をのこらず聞てやけとをし

さいせんをのんて神輿をよろけさし

御きげんを肩てうかかふみこしかき

鳥居にも笠木上へ見ぬ御神教

うさの神ちやアふうにした歌をよみ

御真筆つまる所は銭の事

祭礼に天の羽衣二日着て

祭礼にもやしのやうな四天王

童子にはあたり武士にはふしふ死

うつくしひ方へ神代もかたうでし

あつきもち五ツよなへて五ツ喰ひ

女神だけどふでも赤い方をひき

だい〱さまは年神さまの疝気所

なら茶喰ひ中黒はたえりへさし

あま犬も二十五日は馬にされ

につこりと人畜を見る時まいり

艸も木も寝るに女の神まふで

胸の火がもえてあたまを手燭にし

神木の寝鳥のさはぐ怖ろしさ

おそろしい角は蝋燭二本なり

正直の頭は神の御本陣

御酒徳利きやたつの上で振って見る

大あくび棚の御神酒を見附出し

白紙はへつらひの無ひ神酒の口

さまざまの朝取次〱神酒徳利

大破して宮は氏子へ朝をかけ

神道者身にぼろ〱の不浄を着

神酒どくり持った大屋に人だかり

からかみへ御神酒の口をさして売

屁をひりに屋根からおりる宮普請

まくの紋あてにまごつく祭客

外科を祭りの形リで呼に行

鰐口のぐわんと蚊のはく社

大キな鯉がいると金毘羅参り

御神徳坊が鼻まで高くなり

象に座ス神もお鼻が長い也

晦日とはめかりのきかぬ神事也

年波の底に布刈の神事なり

ぬらくらとしては刈られぬ神事也

一鎌であとは白波の神事なり

めかりの利いた神職が鎌の役

祭礼にまことあらハす鍋壱ツ

明日祭一村洗ふ鍋の尻

祭前筑摩の里へ鍋鋳掛

手にさげるよりもせつない鍋祭

鍋の数親の顔まで墨をぬり

不細工な筑摩祭りは土鍋なり

鍋かむる祭りも人が煑こぼれ

顔に火をたいて祭のなべの数

鍋の数かぶつて顔に火がもえる

尻軽で天窓に重き鍋の数

すりこ木をさすべき筈をなべかぶり

すりこ木の数鍋でしる御祭礼

御祭がいやさに美濃へ嫁入する

祭礼の度に植えるは播磨鍋

親心一つは鍋もかぶせたし

貞女だと嘘をつくまの鍋でわれ

鍋祭顔にもえ立つ丙午

君ならば手鍋も上げる筑摩後家

筑摩では茶釜も鍋をかぶつて出

囲つても蟲がつくまの鍋二ツ

女にごうをはたかせる神事なり

薄氷をふませぬ諏訪の御神徳

諏訪のうみ狐は馬の猿田彦

諏訪の湖狐が馬をのせる所

諏訪の海夏わたるのは月斗

諏訪のはし雪と霜にかけはづし

すわ狐が渡ツたとわれも〱

正法のふしぎ狐のわたりぞめ

足跡を諏訪の庄屋ははれあるき

花さけば諏訪の親類遠くなり

鵜坂ではたたき筑摩はおつかぶせ

うたれぬもつらい鵜坂のふけ娘

鵜坂の子親がうたれて尻に痣

鵜坂の鰐口たたく手にとがはなし

白浪は三峰山をよけてうち

やくざ奴に秩父の路銀皆にされ

三十三所一ツ身も秩父うら

ちちぶからかえるのを嫁づつうなり

七曲の玉には蟻もにくからず

みつ〱に蟻腰縄で七曲り

智恵の峠は唐国の七曲り

こまらせる工夫に曲る唐の国

日本のほまれ知ある蟲義ある蟲

曲玉をぬきしを蟻は鼻にかけ

煙官がつまり蟻通ほど工夫

妻の智恵七ツへ曲る玉つむぎ

名も鼻も世上に高い秋葉山

秋葉山紅葉の名所かとおもひ

三尺は火防六尺火の廻り

秋葉丈湯屋は四五日先にたち

一トよさは綱をしとねとおぼしめし

綱しいて笏で舟蟲おひたまひ

綱のあと渦巻く雲にのりたまひ

三輪の神どぶをまたぐとたまをやり

三輪の神ちよつかな事でためさるる

ふり袖の鳥居斗は三輪の神

三輪の神あげくのはては無心なり

いと長き物語なり三輪の神

糸ほどに霞のかかる三輪の神

蛇のみちを女の知るは糸と針

杉の葉を除け〱糸をたぐり行

おや〱と嫁とりかねる稲荷山

にくらしいなりに生えてる稲荷山

君が代はおれが天窓とx\寿

x\寿四五人まへの頭痛がし

頭巾には着るほとかかるx\寿

x\寿よくは坊主になられたり

ふくろくじゆおじぎの時はあとしさり

坊主とは能イしあやん也x\寿

ふくろくのあたまを娘つめつてる

いつくしま年季を切ツて守るなり

おこるのをねめ〱守るいつくしま

神仏も二十餘年はためてをき

鯛で無ひ時はうつちやる西の宮

えひす樽人たがひにてぬすまれる

俗めいた名は恵比寿さまばかり

鶴や麻鯛や小供を愛すなり

かたまつて灰をつつ突く恵比寿講

てうでうに九合入りでる恵比寿講

五節句の外に恵比寿が苦労させ

万人を酔はせて返す恵比寿講

やくたいも無いは伊勢屋の恵比寿講

えびす講旦那のこわくない日なり

えびす講十日過したおもしろさ

えびす講四五日骨をしやぶらせる

えびす講飯酣におよぶなり

えびす講ふじのぶらつく程酔はせ

えびす講あつかましくも傘を持ち

えびす講信濃はめしの二日酔

えびす講傘をかへしに来るやつさ

えびす講をどり子を呼ぶ息子の代

えびす講なますは見世でたつつもり

えびす講上戸も下戸も動けえず

えびす講亭主の曰きついしけ

付聲で恵比寿の鯛は嫁へ売れ

十月は十万両が飯をくひ

大黒は金のいる時ふりあげる

大黒のすきは大根のぶんまハし

大黒も恵方からくりや安く見へ

きのえ子に二また大根気がつまり

大黒は三分そこらの米をもち

大黒は盗んで罰にならぬもの

大黒をぬすみ一もくさんにかけ

大黒はそれからごろんじやりませう

大黒を手長島から買ひに来る

大黒の外を目掛けるわるいやつ

大黒はいいがあぶりこ手がわるし

大黒を盗んで手桶置て来る

大黒屋市兵衛油断せぬ男

大黒の御宮は銭の出たのなり

ふく神をかつてせつたをこしにさし

iE衛門などと市兵衛名をかへる

笑ふ門泥坊の来る市二日

暮の市毎年盗む律儀者

正直などろぼ大黒斗カ盗み

御人体にもと大黒取り戻し

かます小楯に彼の大黒をねらひ

市に俵をふんまへたもの目がけ

盗難に大あなむちの命あひ

盗人に祝ひ〱と市戻り

俵のついでに鯛までも盗まれる

貧の盗みは大黒に目はかけず

盗人に飛入のある市二日

盗人に捨てられて居る恵比寿様

盗みついでにお宮もと心がけ

市のあとやもめえびすか三ツ出来

市の不首尾はえびす屋にて買て来る

気の弱い奴が大黒買て来る

市帰りおんまかぎやらをそつと出し

見つかつて此大黒はいくらだの

事を好むやうなもの大黒買

米二表たもとへ入れる運のよさ

びしや門の外はあしよハ斗也

毘沙門は弁才天のふせぎなり

弁天をのけると跡はかたわ也

大こくの跡を弁天五日とび

六人の望でびわを御たんじ

弁天を唐のおく様だとおもひ

弁天はおどり子らしいたから舟

弁天さまだころすなと母はとめ

七歌仙とも云つべき寶ぶね

船頭の居所にこまる寶ふね

四十二の難を乗りぬく寶船

船頭を今に見かけぬ寶船

我が年を積むとは見えぬ寶船

紙屑のたまり初めは寶船

女房と乗合にする寶ふね

逆夢にしてもよきかな寶船

子心に早く寝たがる寶ふね

あとさきも無い夢を見る寶船

寶船金山寺から壱人乗

たから船ほうろくの入る神もあり

たからぶね逃て来たよな御すかた

寶船晦日の浦に着きにけり

寶船日本からも一人乗

寶船鋸の歯の帆をあげる

寶船並木の中を呼んで行く

寶船しはに成ほど女房こぎ

寶船逆さに読んで下女感じ

たから船逆櫓にしておなじ歌

寶ぶねすりこぎ六年鍋一ツ

二日の夜かうべは神の御本陣

回文のてにはの中を鶴が舞ひ

君が代の枕言葉はんがきよの

唐土に無い夢を見て神酒を上げ

なる程夢ちがひの寶船也

事ふれか来ては今年もいやからせ

ことふれの詞に乳母の乳かあかり

ことふれが長家の針を棒にする

事ふれを夫の留守にもてあまし

事ふれを遣りてしたたかかつけをし

灰かきに花を咲せる御神徳

ほうそ神ふんだんだるまもらふ也

神々の大たばを出す十三夜

人間の巣立ち成るべし宮まいり

なまはらひ是非なく絵をしばしかし

竈祓額で鈴を振り納め

釜はらひじや〱馬ほどに舞をまひ

かまはらひは乙女の気であるき

かまはらひしもげた親爺の箱をもち

かまはらひ吹き出す湯気に後じさり

釜はらひ寸志ばかりの扇の手

かまはらひ下女は笑ふに蔵へ逃げ

かまはらひ時々気障な聲を出し

かまはらひよそのとうこの評判し

神子のあなぶんまけて行かまはらひ

いやらしく鈴をいただくかまはらひ

飯焚のうやまつて聞くかまはらひ

万歳のあとで気のないかまはらひ

かましめの内めしたきはかしこまり

竈注連の値を聞きに来る新世帯

御かましめ何やら嫁にいただかせ

何の気もないに御幣をいただかせ

 

梓弓わらつた顔をつひに見ず

梓弓からかつて聞く里の母

梓弓亭主帰りてちや〱を付ケ

梓弓下女の涙は土間へ落ち

梓弓書置出して引くらべ

隣へも一ト云あてる梓弓

三寸の的へいあてる梓弓

奇な事を云てはならす梓弓

顔はかり心に見ゆる梓弓

偽りをいふかも知れず梓弓

ぼんなうの的へ当りし梓弓

世を去りし瘂も物いふ梓神子

いちツこをよふと女房の市かたち

大長屋市子で内をあけはだけ

一長屋気ぬけのしたる梓弓

後添の内儀いちこといぢり合ひ

いとあはれな聲にていちこいひ

おおさうさ〱にいちこかつにのり

幽霊の聲色いち子上手也

亡者のこわいろをきくには水をむけ

氏神のこわいろつかひおぶツさり

口寄せを嘲り息子叱られる

まま母の留守に梓の声がする

後添の内儀巫女とつかみあふ

ささはたき後妻はいとまくれといふ

 

浅草田圃酉の市此頃より参詣多し 市にて芉かしらを売る也 鷲大明神葛西花又村に在り 毎年十一月酉の日市立 三ツある時は三日共に市也 始の酉を専にす 近在より集りて繁昌の市也 当社神事の心なりと東都歳事記に曰く「酉の祭酉のまちは酉のまつりの縮語なり酉の町と書るは據なし又酉の市ともいふ二の酉三の酉とも参詣あり両所ともに開運の守護神なりと云ふ葛西花又於鷲大明神社別当正覚院世俗大とりといふ参詣の者鶏を納む祭終りて浅草寺観世音の堂前に放つ境内にて竹把粟餅芋魁を商ふ江戸より三里あり下谷田甫鷲大明神社別当長国寺世俗新とりといふ今日開帳あり近来参詣群集すること夥し当社の賑へる事は今天保三辰より凡五十餘年以前よりの事なりとぞ粟餅いもかしらを商ふ事葛西に同じ熊手はわきて大なるを商ふ中古は青竹の茶筌を鬻しといふ千住二丁目勝専寺に葛西と同體の鷲大明神ありて今日参詣をゆるす世俗中酉といふ」葛西は江戸より三里もある所とて参詣者の多くは船にて往復せり 而して其の参詣者の重なるものは遊女屋茶屋料理屋船宿芝居に係る業体の者などにてありしかばいづれの時かは定かならねども境内にて辻賭博が行はるるに至るといふ

一ト樽の酒屋の見える酉の町

ぼんござへこがらしのする酉の町

此餓鬼め土産どこかと酉の町

大だわけ町鑑で見る酉の町

鳳凰の買人も出る酉の町

酉の町遣手へ土産熊手なり

酉の町人からの手をちよいと出し

酉の町船でも伏せて行く所

酉の町江戸をくらつたどうが見え

酉の町不首尾な奴は屁もひらず

小一両鷲にとられる大不首尾

取られまいものか向ふは鷲の神

船ちんをましてやるはと坪をふせ

鷲の神へひりの神の本地なり

御みこしを据えろと芋を抛り出し

芋がしら落してどうに叱られる

運を両端に見芋を先に買ひ

神前迄は坪とござ敷きつめる

田の中が霜月斗り町となり

もみぢをうりしまひとうのいもをうり

いつはりのある夜なりけり唐の芋

唐の芋坪一式ではやるなり

道問へばばくちについて行かつしやい

参考として賭博に関する柳句を次に収録す

坪皿へ紙とは余程学がたけ

坪皿の明くを見て行く質使

ぼうがおやわんでふせてるまつの内

さいをつまみこむは春斗のつぼ

きつい目が出たと口から壱歩出し

ばくえきの事ハ聰明えいちなり

坪皿へ紙をはるのは人がよし

根津の妓夫勤を賭場へ取りに来る

夜盗ども見ろと両手でザラを寄せ

御預申て置くと勝ったやつ

勝た時仕廻ふ所たと愚痴をいひ

勝たなら仕廻へあしたは遠くだぞ

お勝ならもつとあかれと夜そば云ひ

勝った日は意見云はぬが女也

惣高の勘定をする負けた奴

本籤はたが取ったなと坪を伏せ

こわそうに罰を伏せる松の内

色々にからたの変るばくち打

裸カ身へ守を掛けて打って居る

勝ったなら逃げて来なよと女房いひ

かん病につぼ皿を出ししかられる

川どめに碁ばんの外はつぼをかり

しづかにしやれと大屋はる気なり

盤上は坪に押される無尽茶屋

それ〱の道具平ては伏セにくひ

よく知ツて来たなと坪を押ツ伏せる

四割ても坪は恐いと女房いひ

おつふせてばかてせなかをかいて居る

誰かもう水を汲むハと勝た奴

ヤンワリと伏せろ大屋の戸が明いた

坪皿を持て駈出す放れ馬

勝た奴紙と藁とのさしをより

花に坪皿とはさすが下部なり

ミミつちよく張りやれとせなあ坪を伏せ

百負けて爰に哀を下女とどめ

ひだるがる馬にばくちを見せて置き

押ツ伏せる坪へ静心なく散る桜

まけたやつこたつにねてて考へる

まけたものばかりのこつてはなしてる

負けた奴寄掛るのをきざにする

てうのはんの銘に曰く日々まけ

素人坪ゆかもふちぬくほどにふせ

およつたぞさあ坪にしやう〱

あんまりな事と一人でふせて見る

百目がけよほどこうしたばくち也

坪皿を持て碁ばんをわきへのけ

むだ坪をよしといふ迄ふせて居る

さいはしよじしたと島田でおつぱじめ

くらはれぬ丁稚奉加に土場へ来る

やすい土場百度参りを一人つけ

かこわれへ坪が廻るとさかる也

熊坂は外のばくちはきらいなり

小人かんきよしてやたらふせたがり

客が来るたびに二階で坪をやめ

損の仕序鞠場から丁へ行

言訳ばくち壱枚絵をつるし

くまどつたままでばくちを打て居る

博奕に勝て昼三を一度買ひ

かし座敷違棚から坪を出し

お妾の親取ると負け〱

今川も酒の次には坪のこと

だまつてろももんぢいだとおつぷせる

へんな目が出るといひ〱帯を解き

松過キのばくちなぐさミ所コでなし

ちよつとしたきてん蕎麦やでどばを聞

鶏はものかはとやめない負けた奴

銭ツ切りぶてと親分いけんなり

つまらない事は大屋が坪をふせ

只いようよりばくちだとのたまハく

てうはんも碁盤でするハ品がよし

つぼ皿は夜の明る迄つとめをし

紋つけをみんな附けたで取りは取り

いんのこ〱そつと伏せなさいな

金元は綿をぬくならいやといふ

あれにこう是にこうとてまけたやつ

どばの犬しちやの門に待って居る

すりはらひだとどう取は手をはたき

子守をばのがすなええとてうはんば

ぱつち〱と屋根舟の静也

はなれ馬さいをにぎつておいかける

やぶいりが来て二三日さいが出来

てうはんばのたたかい跡元ゆひこき

すじ骨をぬかれたなどとまけたやつ

目の赤く成るはばくちの朝帰り

盆蓙へ這はせる小僧百になり

勝ったやつそろ〱にげて音さびし

八分だぞ根こそぎ張れともんで入れ

あんまりな事と一人でふせて見る

ばくち場で利口に見えるけちな奴ツ

虎髭のぶつたくりめと長半場

爰でふせたいと数寄屋で大工いひ

幕打まはすその脇でつぼをふせ

かるた船堀へつけろは勝つたやつ

負けた奴百を手玉に取って居る

美しい手でにくらしく六をふり

とんだやつつぼなど下ケてすけんなり

ふてへやつ四のこで六か〱なり

女房につぼをふらせて五両ぬき

長髪であるくが土場の地主なり

はだか身へ守りをかけてうつて居る

あやかしがついて候舟ばくち

誰かもう水をくむわと勝ったやつ

雑役の馬子がまじつてばくちじやみ

手下共松の下にてぶつて居る

土場太夫たんにまけた男なり

どばで見た男かじきをして通り

かつたやつからうすに耳そばだてる

大屋のぶつのを天知ル地主知る

おもふしま勝チなと女房質をかし

かけ道は妾の舎兄ばくちどら

長なら来なんす半ならばきなんせん

御殿山三味の隣は伏せる音

これがうるさいと胴取奉加帳

鼻ツ張りこれべい受けたなどといひ

こりや見なとはだけて見せる負けた下女

お前いつ気が直ったとピンを打ち

一両まけるとよみもけがの内

よみの見物すい口でこれからさ

勘当の内おそろしいよみに成り

湯治から少しすよみもつよく成り

よみの湯へ筆添て出す奉加帳

歌かるたしやうたつをしてよみになり

は入るまいものか只とるやうなよみ

あんどんはふきがらだらけよみの朝

女よみおぢなさるなと釈迦を打ち

五二べたを日本橋からほうり出し

五二べたを女房ざく〱汁へ入れ

五二べたのさいを東海道へ投げ

四ツほんだよと五二べたほウり出し

しやか十が出たで煤掃けびる也

しやか十のやうに火の見の顔を出し

團十を袂へ入れて禮を受け

寝せ付ておりはの乞目叱りに出

うまいこと朱三朱四の目が出

後宮で朱三〱とうまい聲

けちなよみ團十郎が十二文

きり付キの團十を嫁出して取

穴一はいろはといつてたたく也

穴一をひつたてて行くにくい染

むへ山あらしはした銭巻上る

松の内七つの星を能くおぼへ

五月雨に四五文出して屋根を葺き

雨の降る夜は一入と屋根をふく

いち時に出るなとろじをそつとあけ

針打をおつたて跡へこざをしき

勝つた馬士青なしなどをかぢるなり

羽織着て居るお内儀に皆勝たれ

雑兵が二文四文は見逃がされ

むごい奴二文四文で弐歩ゆすり

寺箱を高徳の前へ出して置

草の化たにうかされて丁へ行

花の留守よん所なくばくち也

 

新吉原松葉屋瀬川を鳥山検校が請出せしより後天明二寅四月朔日瀬川突出し出来たり 翌三年秋後藤手代のもの千五百両もて贖ひしと云ふ

つき出しとみえてつくねたやうに座し

つき出しのしるしひたいで人をみる

突出しの一日二日ははれまぶち

顔上げていなとつき出ししかられる

突出しのひつじほど喰恥かしさ

突出しは七十五日客が来る

つき出しをお嬢さまだとたれかいひ

つき出すがさいごむしやうに水をこぢ

つき出しの袖ははしごへ引かかり

突出しの親は人参たんとのミ

突出し打かけ捌見ものにて

突出しの日は生贄の心持

突出しのしなんも心外無別情

突出しは二十四孝の外に出来

突出しのこわとゆふのはふるへ聲

突出しは素人向キさと息子云ひ

つき出しの噂素見の運が出来

突出しのお針へ助る二十日過

突出しか見立られると人がちり

つき出しの格子おしわけられぬ也

つき出しの評は間男したに落

是では地文だとつき出ししかられる

あいもなくつき出し力おとしなり

地女のやうだと娣にいぢめられ

娣女郎吹出すやうな伝授をし

娣女郎こよりを笑ひ〱より

客のない娣に反哺の澗ざまし

突出しは心がしれてあげにくい

つき出しは高てううちんで来たのなり

身揚りが来て墨つぼをこくらかし

身揚りの日はなき父へそなへ物

身請とはてうされぬいたおんづまり

請出されなき両親のなつかしさ

請出した禮をやたらにうみたがり

請出して見ればぐらつく塗枕

請出して見ればひるまのほたる也

受出され背中に帯が落ちつかず

請られて後へ帯をぶきにしめ

請られた当座気に成る後帯

受けられて初めて並の口をきき

請られて不足なし地の玉の輿

請られた夜は売られたる如く也

麦めしがいやで身うけがばれるなり

四五人をべらぼうにして請出され

うけ出されもん日〱になぶられる

なんの因果に大名に請け出られ

三太郎四五人でかしうけ出され

天孝心を捨ずして請出され

心中とまでにきたへて請出し

損のやうだが徳なもの身請也

大願ン成就家とくして身請也

 

女子の髷に綵切を掛ること流行し丸絎止む

 

此頃谷風梶之助といへる力士強く一度も負くる事なしが天明二寅三月二十八日浅草蔵前八幡の社内にて相撲ありし時小野川栄蔵に始めて負けたりと云ふ

 

切見世(下等の娼家)の高價五十銅なりしより之を五十(ざふ)(又五十嫂に作る)と呼けるは天明の頃なりと云ふ

切見世も所こそかはれ飲んでさし

切見世の口説一人は腰をかけ

切見世はたんこぶ迄をうたがはれ

切見世へ這入らぬものは施主斗

切見世へおうせいうりは引つこまれ

切見世でせんを越されて反りを打

切見世は唄を通してひよくつて居

切見世へ手前の腮で泊る所

切見世の口説手拭背をかへ

切見世のたま〱目立緋ちりめん

切見世は煙草のけむでもやが下り

切見世はからひちがひに煙草にし

切見世の一間こなたで味噌をする

切見世はせんからの場を戸をたたき

切見世はしんそう出すに戸のふしん

切見世はさてうがひをしきりをふき

切見世は青大将の匂ひがし

切見世はいた〱しひも出して置

切見世はつき出すやうにいとま乞

切見世のおしよく鼠をてうあいし

革羽織はいて切ミせくくし上

にハとりのゆうに切見世いそがしひ

えりくづてせげん切うりおつはしめ

竹べらをぬくと切みせろじを打ち

わうくわんをふさげ切見世たれて居

切あそび見ているやうに迎が来

切遊び吾妻女郎に京男

きずやみもせず切みせをはつて居る

切り見世のなじみ片足あけて居る

どどたれに出る切みせはすごいやつ

さい日のきやく切りみせでぐつろべい

切みせの口説くそでもくらへなり

閉門のなひ切見世は不首尾也

光いんを四つにキツた迎ひかご

つりの二朱かやのおもしと成にけり

あごなしに四百なげ出すけちな事

その気では来ぬといひ〱引ずられ

上総戸をビツシヤリ〆めて五十取り

五十ぞうもえひさつたる緋縮緬

五十ぞう江戸をくらつた奴と逃げ

五十ぞう留守のやうなは客があり

五十ぞうとまる腮をまかなはせ

手拭を人質になる五十ぞう

サア遊びなさいとせつく五十ぞう

 

安永天明時代に咏まれつぃ川柳によりて本所吉田町其の他に於ける私窩夜鷹の風俗を掲ぐ

寛天見聞記に曰く吉田町に夜鷹いふ有て四十あまりの女の墨にて眉を作り白髪を染て島田の髷に結ひ手拭を頬かぶりにして垢付たる木綿布子におなじく黄ばみたる弐布して敷ものをかかへて辻に立て朧月夜にお出〱と呼聲いとあはれなり予が幼き頃まで情を売こと二十四にして数ケ所出しが今は其出る所少なし姿も昔とかはり襟に白粉をぬり顔は薄化粧して髪に(きれ)などをかけ古き半天をを着て古き縮緬の二布したるもあり風俗奢てようハ価も百文二百文にもなりたるとぞ云々 又続燕石十種のわすれのこり上巻に曰く 夜発といひて庭訓往来にも載せまた辻君と云ては俳諧発句に季をもたせて吟すること多しされども今其風俗極めて鄙し浪銭六穴を以て雲雨巫山の情を売る本所吉田町また鮫ケ橋より出て両国柳原呉服橋外其外所々に出るうちにも護持院が原とりわけ多し 落首どぢいんをふたつにわけば二十四いんひるはおたかばよるは夜たかば云々とあり又江戸職人歌合上巻にも 晴る夜は護持院原の土手の霧敷寝の床に月そうつれると見えたり

吉田町實盛程の身ごしらへ

吉田町皆ぞう兵の手にかかり

吉田町大かた鼻は夏座敷

吉田町田にしのやうな口をすい

吉田町女房かせぐをはなにかけ

ふり袖の天命を知る吉田町

寒うい月と見くららべる吉田町

四十から志には入らぬ吉田町

鵺よりも化鳥の多い吉田町

頼政の射通しさうな吉田町

永じけにぎうの音も出ぬ吉田町

たはれ男のはな散里は吉田町

周易と交代をする吉田町

土手で売る奴は白狐のやうに見え

兼好か居た所から夜たか出る

柳原夜もばくもの売る所

柳原橋をチヨコ〱すてて逃げ

ヨツ引いた故事をいひ出す鮫ケ橋

鮫ケ橋からこざらつく売女出る

本所から出る振袖は賀を祝ひ

拾匁八文本所で売り初め

客二つつぶして夜鷹三つくひ

文銭を六文夜鷹くやしがり

たかの名におはなおちよはきつい事

急な事夜たかを小判金て買イ

夜鷹同前とは親父情なし

夜鷹も傾城の内だとじやうを張

男女の愛着夜鷹をいたく也

夜が明て鷹の炬燵は逃て行

夜鷹の眉毛はして行く通り雨

わつちらも武士づき合と夜鷹いひ

てうちんで夜鷹を見るは惨い事

鷹の妓夫箱提灯をさげて居る

材木屋さわぐと妓夫を呼びつける

およんねしと材木がものをいひ

材木の間へ落す鼻柱

五十づらさげて笑ひに出る女

かくし町何ンのけもない時もあり

材木になれば寝にくる鳥もなし

材木もねかして見れば安ひ物

てうちんで見てぬつたとは〱

おしろいを霜と見らるるはづかしさ

河岸へ出るかつハす鼻をぬきたかり

夜あきなひ手の鳴る方へいきな事

きばらしに二十四文はおほきすぎ

霜天にいただき弐十四文とり

金の沙汰地獄で親をすごすとは

客の無ひ地獄内所は火の車

百づらで居て振袖の仕打也

下総の鷹は武蔵へ毎夜来る

二十四ぞうに下駄を売るとんだ事

九十匁も二十四文も同じ味

くらがりでむね上をするたかのぎう

すつぽんと月吉原と吉田町

大部やへとやでのたかをつれて来る

人見も草も厭ハぬは夜鷹なり

鷹も明輩たのに耻辱をあたへ

声は女だがかたちは杉まるた

くさりにてすでに夜たかをしばる所

どふしても武家が多イと夜たかいひ

まきかしは人がわるいと夜たかいい

はな散る里は吉田町鮫ケ橋

銭がなかよしなと路次へ突き出され

夜鷹のしれ者鼻塚を築く處

夜鷹の尻と白玉は寒さらし

こふしほとあるて夜鷹をのり出させ

黒鴨に羽合せをする夜の鷹

飛ものによたかは客をはねとばし

てうちんで夜鷹をみるはむごい人

客二つ潰して夜鷹三ツ喰ひ

京は君嫁は大坂江戸は鷹

辻君はあまだれ程な流れの身

ちよんの間はあらぬ控の緋の袴

ちよんのまは手拭を濡らして帰り

出世する下女ちよんの間へ召し出され

綿の師へ母どなり込むむづかしさ

綿の師はやがてかぶれと指南をし

深川へ落ちたと綿の師匠いひ

直介へ落ちたと綿の師匠いひ

見るもあり見ないのもある綿の弟子

綿の弟子かわりぼつこにもりをもし

綿の弟子文をおとして一日来ず

綿つみは見世へ娘の子をかざり

わたつみは簑蟲ほどの音をさせ

悪ひ沙汰聞いて塗桶さげに行き

提重は胡粉下地のやうに塗り

提重は坊主殺しの毛饅頭

さげ重はおもたく成と又おとし

牡丹餅で提重になる気の強さ

そば切のあかりをかする夜蛤

手のひらへ銭をつかせる夜蛤

 

鶉衣後編(六林編)

続今宮草(来山)

あみだ笠(何来)

越旦(湖十)

花百句(素外)

柏掌千句(蒼狐)

花鳥篇

取付立

 

 

千七百八十三年

天明三年癸卯   六十六歳

 

誹風柳多留十八編板行 本編巻首に当時著名なる前句附萬句合判者連名を掲く 川柳翁の條下に「宝暦七年初メ当卯年迄二十七年に至る年分一萬句或は二萬安永亥年二萬五千餘句集る柳樽十八編末摘花初篇後篇出」と木綿の記事あり

誹風末摘花後編(即ち二編)一筆齋岸文調挿画出版の年月不明なれど柳多留十八編の記事を対照するに当年か或は明年頃の板行なるべし

秋八月柳樽餘稿やない筥初編板行 本書は麻布柳水連の月次会川柳評選句集にして板元は遠州屋與兵衛也

柳樽餘稿川傍柳五編板行

 

小山田與清生

熊谷蓮心生

石井了珪生

 

正月十九日森季順没年四十二

正月二十六日芙蓉花山人一本亭没年六十三

二月二日北沾凉(二世)没年八十五 初北村氏 東芭庵と号す 江戸の人 諸縁ありて沾凉の名を継ぐ

二月四日近松半二没年五十九(或云五十八) 大阪の人 穂積以貫の子なり少壮にして放蕩不覊好んで遊里に入り花柳を折る 中年に及び竹田出雲に従ひ浄瑠璃作者と為る 著述五十四種あり 太平記忠臣講釈、近江源氏先陣館、蘭奢待新田系図、妹脊山婦女庭訓、姻袖鏡、新版歌祭文、関取千両幟の如き最も世に著る

二月二十八日皐月平砂(一世)没年七十六 本姓石川氏名は良珍字美叔 解庵、閑花林、新花林、分洲の諸号あり 初其樹又律佐と号す 桑岡貞佐(平砂)門 江戸の人なり

二月二十九日清水道簡一樹庵没年六十八

三月十日(或云正月)松本應随没年五十三

三月十九日二代目中山新九郎舎柳没年四十六

四月四日高芙蓉没年六十三(或云天明四年四月二十四日没)

四月十七日蘘笠庵梨一 越前丸岡に没す 江戸の人

四月十八日松平君山子龍没年八十七

五月四日奥田総四郎蘭汀没年八十一

五月二十八日杉山活齋没年三十五

六月三日伊庭可笑没年七十七

六月十六日横井也有没年八十二 尾州海西郡藤瀬村西音寺に葬る 名は順寧通称孫左衛門 半掃庵、暮水翁 初野有と号す 名古屋の人尾州候の重臣禄千三百石を食む 俳文を能くす 鶉衣の名著あり

六月二十三日樋口芄月積素没年七十四 一説に天明七年没すと

七月八日市野川彦四郎可慶没年四十七 初代彦四郎實子

七月十三日白井震澤没年四十三

七月十四日依田豊前守政次没年八十一

八月二十三日梅澤西郊没年五十四

八月二十四日牧冬映桂窓没年六十三

九月十一日河原井保壽鵲巣没年七十

十一月四日松山天姥没年五十八

十二月三日原田吉右衛門東岳没年五十五

十二月四日三代目中島三甫右衛門狸十没年四十八

十二月二十五日谷口蕪村没年六十八 山城一乘寺村金n宸ノ葬る 名は寅字春星 夜半亭二世、浮風庵、長庚、三果、四明、東成等の諸号あり 巴人門 摂津の人甞て天王寺に住せしを以て蕪村の号あり 又丹波與謝郡に住して與謝蕪村と称す 辞世

白梅の明る夜斗と成にけり

没年に就て二十四日、二十九日、十一月十日亨年六十七、七十等の諸説あれ共皆誤なるべし(俳諧年表に拠る)

十二月三十日元祖尾上菊五郎梅幸没年六十七

混沌軒貞右没年五十 通称貞右衛門 初國丸と号す又鳥丸家より玉雲齋の号を賜ふ 丸山貞佐門 大阪の人なり

 

蕉翁九十回忌 暁基会頭となり粟津、東山、一條寺於三ケ所にて七日間の法莚を行ふ

 

正月十三日元の木網知恵の内子が催主となり網の破損針金方にて狂歌の会を開く 当日の参会者三十余名ありしと 江戸にて狂歌の会を始めしは唐衣橘洲にて其の時会せしもの僅かに大根太木、飛鹿の馬蹄、大屋裏住、平秩東作、四方赤良等四五人なりしと云ふ ついで真顔飯盛金埒光の輩おこり是を狂歌の四天王と称せり 江戸にて狂歌流行せしは天明年中より文化の始頃迄也

其の人々には四方赤良、鹿津部真顔、平秩東作、朱楽菅江、つむりの光、銭屋金持、芍薬亭長根、禄樹園飯盛、手柄岡持、問屋酒船、森羅万象、浅草市人、三陀羅法師、金濡入道、尚左堂俊満等連中を組て四方連と云ふ

 

二月二日江戸地震 春より雨多し 六月帷子を用ることなし 関東洪水大川橋落

 

三月十一日より永代橋にて鶴ケ岡八幡宮本地愛染明王

頼朝公髻観音開帳、此時境内へ出でし神楽巫女のおすてと云へるは美女の聞えありて錦絵に出でたり

鎌倉は今を距ること三十余年の昔右大将頼朝覇府を開き座して天下の英雄を統御し我国史に一大時期を劃したる武家政治の策現地にして源氏の正統は僅々三代四十年にて絶えたれども猶北条氏が陪臣を以て天下の権を握り高時の滅ぶるまで百十四年即ち前後通じて百五十余年間天下の政令の出でし處なるが故に最も歴史上の旧跡古跡に富み彼の鶴岡八幡宮に於ける静の舞、頼朝の放鶴、青砥藤綱滑川の撈銭を始めとして謡曲鉢の木に現はれたる佐野源左衛門常世と最明寺入道時頼の事跡などは頗る柳句に活躍して実に興味津々たるものあり 其の他護良親王幽閉の土窟、縁切尼寺の松が岡、星月夜の井戸、灑酒禅利の建長寺、和田一族の館跡、曽我兄弟の遺跡等より梶原の讒訴、義経の腰越状、蒙古襲来の神風、義貞稲村ケ崎の乱入など鎌倉当時の光景を偲ぶに足るべき古川柳頗る多し 今此等鎌倉時代のことを咏める柳句を一括して爰に収録す 但し係属事項の関係上曽我兄弟に関する柳句は宝暦三葵酉年の條下に又松が岡の柳句は寛政元己酉の條下に登載しぬ

科人の舞が頼朝きつひ好キ

かまくらは度々召人の舞つた所

鶴が岡袖でをがんだところなり

鎌倉で無理な所望に二人り逢

一世一代鎌倉で舞ふつらさ

主馬でさへ舞つたと静勧められ

大名を下方にして静まひ

身祝ひに望まれて主馬一かなで

七兵衛は主馬の舞つたを口惜しがり

鎌倉でさばきを受ける気の強さ

千羽の後の二の舞は静也

鶴の舞ふ頃は鎌倉日の出也

鶴が岡一箱ほどの舞をまひ

足元で鳥をたたせる右大将

かまくらを羽根のはへてる金がとび

金びらを切って羽をのすつるが岡

かまくらの方からひかるものがとび

金の降ルやうに鎌倉中ウへみへ

佐殿は金をいかして使ふなり

ひろわれぬやうに佐殿まきちらし

やツぱり鶴のよわひ程おもの入

千羽舞ふ時は黄金に日があたり

高く舞ふ時は小粒を付けたやう

佐殿大とりえんじやくをはなさず

天迄とどく鎌倉の御物入

神鏡へ一羽〱にうつるなり

お初尾をじろ〱と見て鶴は立ち

千年も用いる札は木で出来ず

かまくらの光明京か江戸へさし

鎌倉へ入らねへ籠が千残り

絵のやうに扇が谷を四五羽まひ

六七羽自分の岡へ来て遊び

稲村が崎で二三羽餌を拾ひ

まなづるの方へもひかり〱とび

江の島へ四十二羽程とんで行

すずめさへ一チ二羽だのに千ンはなし

天窓がちばつとした事放生会

東かがみに朝もない千羽鶴

放生会扇が谷も天地金

鶴は下け亀は山ほど金をしよひ

龜にてはいかがと秩父申し上げ

亀ははなされるが鶴ははなされず

亀ならば萬放してもしれたもの

鶴の日に在かまくらはみんな出る

白かねは猫こがねをば鶴へつけ

なまくらな武士に青砥はあわぬ也

蜆取るやうに探せと青砥いひ

青砥の由来一文を拾ひ上げ

序でに蜆も見てたもれ滑川

滑川愚者の目からはうつけもの

ほいこれは柿のへただと滑川

滑川一文いつ家雇はれる

なめり川今度の笊もまた蜆

川端で藤綱一分が銭を買ひ

青砥にて鎌倉のさび磨きあげ

銭は川黄金は岡で名が高し

相州を青砥で切磋琢磨する

源左衛門鎧を着ると犬がほへ

源左衛門馬ぬす人をくろうがり

源左衛門またざまわつたしよりやう也

源左衛門あすの朝のをしてやられ

源左衛門よくも鎧をくはぬなり

源左衛門あしろに組た足袋をはき

源左衛門すでにうたひで出るところ

源左衛門先花ござをかりに行

源左衛門さぼてんなどはとうにうり

源左衛門人にくれたとぜいをいひ

源左衛門さツさと着ずにそツくと着

源左衛門雪の中から堀出され

源左衛門走らぬ馬に鞭をうち

源左衛門あわよく宿を仕り

源左衛門ひんぷくりんの鞍をおき

源左衛門ヂイ〱と云ふものを焚き

源左衛門そつと乗ってそつとおり

源左衛門すべたの馬に乗て出る

源左衛門酒だと銚子貰ふとこ

源左衛門出世ぬれ手で粟のめし

源左衛門山吹花は飯ばかり

貧乏をかくさぬ男源左衛門

此雪ぢやそだも来まいと源左衛門

扨今朝は何を喰ハふと源左衛門

常世が武霊に御開帳ほどたかり

常世が系図を経景ひつたくり

合戦に及ぶと常世いかぬ事

本ンのいくさだとつねよはかぶじまひ

皆人にやつたは常世啌らしい

引ケものでこそあれ常世取りそろへ

人からのいイ貧乏は常世なり

あご蠅追ふやうな馬常世持

ひだるいをわすれて常世舞をまひ

雪隠はつぶつぶれましたと常世いひ

諸ぐんぜいつねよが為の出ものなり

豊年の雪とは常世言初め

泣き事を開き直って常世いひ

召出され常世焚火の間へつめる

参らせたとは表向き常世売り

むだつ火を源左衛門は焚かぬなり

佐野の馬扨首をたれ屁をすかし

佐野の馬かんろのやうな豆を喰ひ

佐野の馬下馬に置く内人だかり

佐野の馬戸塚の坂で二度倒れ

さのの馬はなれ山でも二度倒れ

佐野の馬いつぱし武士の馬でいる

さのの馬すでに車にのるところ

人なればとうに出て行くさのの馬

鹿でなし駱駝でもなし佐野の馬

佐野の粟これぞ栄華のたきはじめ

まけおしみ骨と皮との馬を見せ

よかれあしかれ長刀も馬もあり

やせ馬の一駄に重き三ケの庄

痩せ馬に三ケの庄は荷がすぎる

鉢ともに一分そこらで三ケの国

あのげんき戸塚までよう行かうぞへ

味噌をなめ〱時よりお数献なり

さいめうじ一人るきもした男

さいめうじもつと泊るときらずめし

さいめうじいんぐわな所へ宿をとり

さいめうじまだ有かのとかへて喰ひ

最明寺うたがひぶかひ勢をよせ

最明寺じたい庄屋へかかる所

最明寺其時口がむぐ〱し

最明寺なんのかのとてにじりこみ

最明寺殿の留守にも月や華

ろせいはたきたてひやめしはさい明寺

気をくさらかツしやるなと最明寺

それでこそ武士だ〱と最明寺

やれ根太はよしやれ〱と最明寺

銭儲けあるかないかと最明寺

あの馬はのれますまいとさいめうじ

かの馬にのつて来たかとさいめうじ

和漢の大雪玄徳の最明寺

イデ其時のおはちには粟の飯

粟飯はどれだ〱と諸軍勢

かげ干しの馬も世に出る勢ぞろへ

のう〱とよぶ宿引の品のよさ

宿賃に三ケの庄とは大き過ぎ

時を得て切くべた木に花がさき

がうせいな木賃でとまる佐野の雪

人知らぬ酒盛みそで名が残り

焼飯の世は生味噌で酒を飲み

雪ならばこそまだ漏らぬ佐野の宿

埋もれたる武士も世に出る雪の宿

扶桑木焚くとてんかをゆずる所

鉢の木がないと粟津を貰ふとこ

鉢の木は手前もおふねうす着から

鉢の木は火となり後に土と成り

鉢の木を土へうつして御返礼

鉢の木を大木にして御へん禮

 

鎌倉時代江戸子も田舎もの

京都から見ればかまくら赤子也

頼朝は海より深い池の恩

頼朝は後家にぞツこんのみ込ませ

窮鳥を古巣へかへす池の慈悲

懐に抱いていたのにほろぼされ

二位どのは後生ごころも有た人

大あたま初手は平家に居候

いち門の仇は禅尼の慈悲から出

思慮の無い家老は池の庄司なり

人のすくかつをむね清きらひ也

田舎へはええ下るまいと宗清

地色をば伊東が館に御座の時

ごりごとで伊東の館はおしくじり

よい聟を伊東入道とりはぐり

人ン相をいとう入道見るが下手

北條はおつ付る気で知らぬ顔

いい夢を政子御前は買ひあてる

買ひあてた夢で女の天下一

おもふ胸あつて時政ちちくらせ

北條も娘にやもんをかへてつけ

時政へ與へたあとへ風がしみ

かとく公事時政といふおやぢが出

おそろしい舅三枚鱗生え

源氏の再奥文覚が大願主

文覚は一生人の尻をもち

文覚と一休あたまにてすすめ

六代を引イてもんがくばれるなり

文覚があるきをすると伊東いひ

文覚がやつと持上げた大天窓

文覚はぐわえんにするといい男

義朝のかうべもしやくる道具なり

黒染の袖に薄墨申うけ

奉加帳とぢて源氏を建立し

手合揃だと盛長ふれあるき

七ころび八牧義兵の御手はじめ

全体が佐奈田の與一無性なり

むきものへ土肥の次郎は口がすぎ

おつむりをやつと入れると鳩が飛び

朽木より命の親が飛んで出る

朽木から源氏の芽を出し

敵よりは蜂をおそれる穴の中

時政は懐中をして穴を出る

伏木から出るとしこたま小便し

危さは鳩めで度さは鶴の頃

落武者の一トつぶえりは七騎落

石橋を踏そこなうて七騎落

飛んで出るうそを梶原つきおほせ

梶原は二タ言目には穴をいひ

梶原は耳をかしなの元祖也

真鶴の岬から鳶をきめる船

佐殿は気でくつている木の根有

弓ながす日も鎌くらはふところ手

頼朝をうみ出す時は骨がおれ

頼朝の寝がへり枕おつつぶし

頼朝の兜拝領してこまり

よきにはからへで頼朝やくはすみ

時政はしらアん顔がきつひ好き

時政と景時門に市をなし

時政はかすりへばかりまわつてる

三角な法で時政世をふまへ

孫の手で時政かゆい所をかき

一さかり六十余洲後家差配

頼朝の後家にぞつこんのみこませ

おつむりと下は違ふと政子いひ

ほそい手で尼将軍は世をにぎり

里心始終有たは政子なり

あつけない右大臣だと政子泣き

帳箱に尼将軍はひぢをつき

頼家の幟は笹と三ツうろこ

たんざくは重忠しごくふどうしん

重忠はあざむかれない男なり

しげ忠が無いとあざはね打つ所

むくれると北條頓てとつかへる

しげ忠へ納りの能午のとし

重忠のやしきも今は畠山

重忠の居城の跡も畠山

奥中が相模で秩父もてあまし

逆艪より出来をおもに讒をする

御夜詰に梶原が出て大さわぎ

げぢ〱は二つ並んだやうな紋

梶原が下知は上意とあたまがち

げぢ〱に皆総毛だつ化粧坂

蝶々はすかれげぢ〱いやがられ

梶原と火鉢の灰へ書いて見せ

梶原の壁にはどくを書ちらし

拝領の頭巾梶原ぬひちじめ

げはうめと申しましたと讒なり

豆がらの豆で梶原たきつける

かぢ原も合せてよむと時平なり

かぢ原さまのあつらへとえまやいひ

時平は文景時は武を讒ンし

景清はお尋ものに能い男

あみゆひに成ってかげ清ねらふはじ

輪をふやすやふに景清縛られる

景清はむきみのやあうな義理をたて

かげ清に三つ多いが不断の名

かけ清はらうざしはせぬおとこなり

義理仁義知った男は七兵衛

御縁日だけに景清用捨する

とりかへた子を景清は度々みかけ

破ったと聞て阿古屋は願ほどき

和は見まい漢は見ようと目をえぐる

景清が銭をかしたらひどからう

かげ清がきず岡場しよになじみなし

参詣のたびに阿古屋ととち狂ひ

一匁花で七兵衛なれそめる

観音を七兵衛は度々売て行き

七兵衛は衣を着てもえり出さず

七兵衛一本遣ひにあるをとこ

世事者と主馬をあぢける七兵衛

五條坂八ツがものだと供かへり

五條坂けどい七兵衛せんぎなり

まあ小手をとりなんしと五條坂

五條坂合羽屋の子はうんがなし

朝参り主馬と七兵衛もくれいし

知切つて居るとあこやwp主馬なぶり

白拍子大かた主馬の指南なり

動くので阿古屋は琴へ砂利をかひ

二十筋かけて重忠責めるなり

蕗と茗荷で責めたのは畠山

横縦筋かひで阿古屋申しわけ

岩永も其後けいこじよ這入し

責められて弾く孔明嫁阿古屋

和田一家百がぬけても馬鹿にせず

朝比奈が居ぬと六文ぬけた和田

義盛は粟津か原でふるひ付

甲冑のままで巴は縁につき

九十三騎へ甲冑の嫁披露

九十三杯目は義盛がをさめ

出来合で間にあふともえなみのもん

高もりを常なら巴くふ気也

翌日は義盛きらず汁たかせ

義盛も飯をくふにはあきれはて

よし盛は世帯きづしを申うけ

木曽殿のったいた後を和田たたき

義盛はだき〆られてほつと息

新造がおれは好キさと和田はいひ

厄介のあるは義盛合点なり

義盛はおみやげらしい子を育て

陣中で巴は馬にふたつのり

腹から馬に乗ったのは朝比奈

その後は手もなく巴組敷かれ

腹にいあた時であつたとともへいひ

尻持以来と秩父は和田でいひ

和田どのへ冬奉公人は奥のえん

義盛へ鰹がとれておしよせる

和田軍きどくにばばア武者が出ず

和田合戦に名の見えぬばばあ武者

のりきよといへばあらくれ武士のやう

千本も煙管の出来る猫をくれ

ぶちころしても金になる猫をくれ

三味せんの千てうもはれそうな猫

三味線の千挺も張る猫をくれ

西行も初手は鼻づらさすつて見

世をすてる外に猫まですてたまひ

其猫をくれさつへとむら子供

其猫を鼠衣の袖へ入れ

おんぎやうのよふに西行取まかれ

此ねこで俗の時なら銀きせる

此猫も佐藤といひし時ならば

西行はしろねこむすめ黒いねこ

西行も昔し鍋取公卿ぐらい

西行も野郎の時は北をむき

西行も野郎あたまで一首よみ

西行は半分よんで吸付ける

不二山がなければぱつち坊主なり

西行も風呂敷ほどは世に残し

西行も柳の下で水をのみ

西行も女郎に一度手をあはせ

西行は炭消壺の影に居る

西行と五重の塔をほしかため

折ふしは佐藤兵衛の時の夢

よしや君などと西行理づめなり

きさらぎの其望月に西へ行き

西行はさとの桜を見ずにゆき

西行の嚏で鴫の歌が出来

鴫たつ澤で心ある歌をよみ

冬ならば鴫立澤とよむところ

とりにがす鴫は選者のとどかぬ目

田のほとり鳥で濁らぬ和歌の徳

焼鴫もくはれす円位見たばかり

立つ澤を心なき身の馬士にきき

世をすてた目に絶景は秋のくれ

苫屋よりまきより鴫は人が知り

同じ刻限に三人さびしがり

三人で一人魚くふ秋の暮

鳶よけのなわが西行気に入らず

西行と狩人ひとつ店にすみ

逆落しまては判官ぬけ目なし

用もない縁を組んだと源九郎

骨折りも腰越ぎりの耳つとう

腰越で物喰ふものは馬斗り

義経の首鎌倉で物をいひ

義経は弁慶の下書で含み状

佐殿もいたしかゆしのふくみ状

赤貝をむく手付あり含み状

讒者の舌が邪魔になる含み状

ふくみ状ひびあかぎれは書きおとし

義経の手紙子ともに習ハせる

よしつねは野宿もしたと書キのこし

片足は四十二町の浪にぬれ

浪銭をくぐつて取るは島子供

藤綱は馬鹿と七里の濱童子

足があぶないと太刀取海へなげ

旭夕日も消えはてて星月夜

鎌倉は下から星の出るところ

星の井のあたり大名小路なり

衣笠へ籠つたは百六年目

竹箒やたら買込む建長寺

こわくない掃庭のある建長寺

建長寺ぶせうなやつはおん出され

ぶせふな奴ツ建長寺を見ずに行

掃除をしかけあれ鶴が〱

光明寺夫婦火急に思立ち

となりあるきを馬でするつるが岡

鶴ケ岡後刻〱と乗ツて出ル

鶴が岡袖でをがんだところなり

じゅん足のわがこくげんに鶴が岡

一段にして鎌倉で迁化なり

かまくらがすむとあぶない所へ行き

重氏も寺号を聞かれこまるなり

鎌倉で今道心を母尋ね

鎌倉は旅の衣の下稽古

鶴が岡其国柄の石があり

松が岡辺に石までやもめなり

鎌倉のこせき尻目で娘見る

鎌倉の案内石が大尾なり

鎌倉の種がはびこる薩摩芋

御子孫は西の国でも大天窓

對にふる白髪立派な大天窓

菊一文字とそりあはぬ相模もの

ぬきさしもならぬ上意のすぐ焼刃

上の句はかめぎくとよし時が事

義時は違勅の罪でござりやす

人もおしとは亀菊の事と見へ

義時ちよくとう二分づつ遣はされ

修禅寺の煮え湯公暁の業がわき

鎌倉の魚も黄金の札をつけ

鶴が岡近所で松の魚がとれ

鎌倉からの早打は烏帽子魚

烏帽子魚今は有官の人も召し

兼好がなんといつても飲める奴

初鰹値を兼好にきかせたし

兼好は毒だといふが呑めるやつ

兼好のころから雑煮うまくなり

かつを売り北條九代出入りけり

つれ〱の骨は禅尼の障子也

切張のほまれ明るく世に残り

切ばりも五常の道は睹からず

切張は大事をしようじより教へ

三かくの法と切張母をしへ

家の継目へ切張の御教訓

きつとした霊見は障子の切張リ

風よりもしみる障子の御教訓

御教訓切張からの刷毛次手

神風にぶたやひつじのへどをはき

神風にこりてあきない船ばかり

神風にもうこりはててうせぬなり

神風のやうす三人告げしらせ

茶坊主科戸のかぜにもろくなり

粟散辺士とあなどりて風をひく

濱荻がそよぐと唐へ吹もどし

鋸の帆でも日本へ歯がたたず

日本へ鋸の帆は歯も立たず

扶桑木へ鋸の歯はたたず

弘安五年蒙古国では海施餓鬼

ちよつと顔見ては多々良へ投り込み

九代目は宮をらうひつ迄へ入れ

鎌倉は湿気の深い牢へいれ

怖ろしい首と途中へ捨てて行き

伊豆ぶしも八代迄はだしがきき

五代目はしやかで九代目かつぱなり

九代まで伴頭持ちで相続し

九代目で坊主が出たでばれるなり

九代目は〆りが無いでおつつぶれ

北條の時分天下は坊主持ち

口がいやさに九代迄しつじしよく

御主様ぶると北條つけのぼせ

鎌倉の汐干うろこの仕舞なり

せちがらひ軍北條塩をとめ

鶴は古いと入道は犬に金

大坂と北條犬にしまかされ

九代目はそこいら中ウが犬たらけ

犬もほうばい九代目にいひ初

初松魚高時犬にくらはせる

九代目の末にまちんの値が下がり

一トさかり鎌倉中が糞だらけ

高時の夜廻りやたら踏つける

おおしき〱と高時上意なり

犬骨折って高時滅亡し

やすい時仕出し高い時つぶれ

九代目は田楽好でみそをつけ

生味噌はけちと田楽にておごり

人知らぬ酒もり味噌で名が残り

田楽が過ぎて入道みそをつけ

みそでをさまり田楽で乱れ

鎌倉の田楽むかし羽根がはへ

天狗ふりつえて入道をどるなり

すすめてせなどと高時騒ぐなり

踊りはありや〱と高時は騒ぎ

恐ろしい音頭羽団扇口へあて

やあちよのはじめのと羽団扇をあて

東魚でせなどと天狗をはやす也

さがみ入道のはい名東魚なり

東魚きたりてかまくらばつたばた

人魚を買って来て汐干不首尾なり

義貞の汐干に東魚皆ごろし

きつい事東魚を汐干がりにする

田楽で飲んでる所コへ新田寄せ

田楽でのんでる所へ鍋の蓋

義さだの勢は念仏ふみよごし

汐がひて東魚おさへる鍋の蓋

義貞の勢はあさりをふみつふし

義貞の士卒あらめでつんのめり

龍のこけ義貞むごくおつことし

やきめしを三ツ義貞ふみつぶし

稲村が崎で取れるは太刀の魚

海へ太刀とは鰐際の智謀

太刀の魚新田このかた出来る也

海までがいふなりになる運のつき

 

北條高時と新田義貞の因みにより楠正成、兒嶋高徳の事跡其の他南北朝及室町時代に関する柳句を爰に収録す

鍋蓋と釜の蓋とでいぢり合ひ

鍋釜の蓋南北で叩き合ひ

鍋釜のふた弦と鍔つづくまで

煮えかへる軍鍋ぶた釜の蓋

鍋蓋が沈む釜のふた

なからはんじやくで義貞ずるけ出し

出陣もせずに内侍とつくし也

筑紫までどう行かりやうと内侍とめ

勾当のないしよろひを引ツかくし

勾当の内侍で番が大狂ひ

楠が来るとほうきを内侍立て

こび付て居て楠にるすといひ

楠がどうかしやうと内侍いひ

ひとりでに亡びやせうと内侍いひ

正が出りやよいと内侍によりかかり

軍に出たがいいのさと内侍ふて

甲冑にだき付き兼ねた北のかた

ねきよらんせに義貞くらひこみ

公当のないし因果とうつくしい

金が崎弱い馬から喰ひはしめ

新田さま品によつたらきん句なり

新ン田ンの義貞殿とせなア読み

しなねへと義貞腎虚する所

太平記もとが女の口ひとつ

辧内侍義貞ならば辞退せず

楠はつくりの方のひいきする

石になる木は南朝の柱なり

菊水は夢でほらせる智の深さ

南朝へ枝葉もかたく参内し

楠は仕掛とほめる軍をし

楠は糞の煮へたも知って居る

楠は鼻をつまんで下知をなし

正成は鼻をふさいで采を取り

千早の寄手黄縅になつてにげ

古だぬきめがとちはやの寄手いひ

神代にも聞かぬ千早のはかりごと

きたなきものの振舞や千早売

楠がよくは精進りやうりにし

藁武者の作は南北時代なり

藁巻きへ具足をつけて馬鹿にする

楠はたてかけて見ておかしがり

矢をうばふ智恵はすぐつたわら細工

南朝は藁でたばねた武者も出し

木とわらは和漢二人の智恵者也

楠は其あまりでも武者わらぢ

楠に歩三兵にてなぶられる

今とむらいが出るやうに左兵衛泣き

目をふいて杉本左兵衛めしにつき

楠はなきものにして扶持をくれ

杉本は他家でふぢよせぬおとこ也

なけ聞かうなどと楠目見得させ

子の死だやうに左兵衛は泣ている

なき女なれば楠まだはねる

楠のかやりに座中皆佐兵衛

かんの蟲らしい佐兵衛が幼だち

おととさまに似て杉本の乳母こまり

楠は吹矢なやうな塀をかけ

内職に佐兵衛悔の指南する

楠は美しいのをたておろし

泣がけも尊氏後は最うくはず

湊川ほんにないたと左兵衛いひ

湊川これぞ楠家の夢のあと

後ろ厄などと正成惜しがられ

奥方へ遺言はなし湊川

旗持はしびれの切れる湊川

北は晴れ南は曇る湊川

旗持ももらひ泣する湊川

楠はなきものにして湊川

鳴呼とまづ左兵衛の泣いた湊川

楠も後はとろ〱石になり

楠に不足なるものは運計り

一周忌あたり正成石に成り

楠は和漢にかをる忠と孝

楠をもう五六冊いかしたひ

三郎は筆で毛虫をはらひのけ

桜の詩案山子のやうな形りで書き

高徳の簑煮に毛虫が二つ三つ

巡礼のやうに高徳書いている

桜木にちんぷんかんを書いて落ち

高徳は板行舌のやうに書き

はしご屁を高点にする無礼講

無礼講衣通姫の給仕なり

忠臣の矢立の中へ散るさくら

御不運は笠の破れで御衣がぬれ

かくれがもなしとはけちな御せい也

逃げ足に笠置の城を一首よみ

おたまりはなしと笠置の勅り

藤房の外はわいろをみんなとり

さして行笠置破れて御衣がぬれ

馬喰ウをしても藤房くえる也

是万里の小路とごそら剃られたり

さツき見たはんにやびつだにあほう共

さぞ御きうくつと般若寺蓋をとり

骨付の方を尊氏しめて置き

尊氏はとほうづもなくにげて行き

足のきく大将筑紫までも逃げ

ぱつ〱と遣ひ尊氏物にする

南北に新都のできるにぎやかさ

年號も八重に吉野の御座敷

内裏中左近だらけな吉の山

本堂が狭いで吉野庫裡をかり

よしの山むだ花の咲く四十年

南朝は吉野の花の雲の上

切株の上へよし野の紫震殿

高徳は鰹に砕た躰に見え

備後は桜木豊後は桜草

梅の木は武蔵桜は備後なり

詩歌のさくらなきにしもあれにしも

名の高い桜備後と薩摩也

稲を刈りさうな苗字で麦をかり

猪武者にあらされる麦畠

子守のやうに大森がおぶつてる

彦七も初手は業平きどりなり

怨霊は彦七ひとりのめどにとり

これお半などと彦七初手はしやれ

彦七が手は気のわるい置所

ちつとばか矢口ではなす太平記

無念さは義興そこに気がつかず

渡りに船と義岑はおたはむれ

生きながら新田弘誓の舟にのり

呑口があるに義興気が付かず

応仁の戦紙とたばこなり

応仁は山と川との戦也

応仁の乱山と川いぢり合ひ

附記

江の島、藤沢、金澤の史跡及大山石尊参詣

江の島で鎌倉武士は片はたこ

江の島へ硫黄の匂ふはけついで

江の島はゆふべはなしてけふの旅

江の島はなごりを惜む旅でなし

江の島はういものといふ旅でなし

江の島はつツついてさへ行く所

江の島へ座頭一夜で朝ほどき

江の島へを見て来た娘じまんをし

江の島へのまたは六十一日目

江の島のばちで居つづけ尻がわれ

江の島の十里こなたに三日居る

江の島へおどり子ころび〱行

江の島へ黒かも斗り二三人

江の島へあははの追人まわるおり

江の島を売て女郎に買ひあきる

江の島のしやうじんむごい事をする

江の島で一日雇ふ大職冠

江の島のそうじは浪がほうき也

江の島へ行くが橦木の突はじめ

江の島は三冊ものの宮つくり

江の島へ口でばかりの連がふへ

江の島の留守に妾の高笑ひ

江の島へ江戸の福人遊山旅

江の島のしやれた土産は貝屏風

すみえがいいで江の島見て帰り

蛇におちずと江の島でいひはじめ

口をそろへて江の島へいつたぶん

紫を待たせて覗く稚子が渕

ちごが渕はなツたらしがしやべつてる

稚子が渕いはれを聞いてべらぼうめ

片言に古歌のいあはれも稚子が渕

船もこぐ岩本院のざうりとり

お寺か茶屋か宿屋だか岩本院

蛇の腹を内儀のくじるいい日和

念力で岩屋へ通る派手な旅

浪へ手を合せてかへる残念さ

天窓こつきり岩でする本望さ

鶴亀を道草にして湯へ這入り

とりたての鮑は四つを聞いてくひ

貝拾ふ右と左は千代よろづ

包から屏風を出して子へみやげ

弁天の貝とはしやれたみやげもの

弁天の前では浪も手をあはせ

弁天へむらさきの水引をあげ

時ならぬ衣替へ嶋へ参詣

常の衣にあらずして嶋へ行

龍池まて是作と座頭のねがひ也

 

藤沢のげび一さかり直をあげる

藤沢の鼠大黒ぎらひなり

よくづらをはつたを遊行ひたいで見

就寺になると遊行は追出され

西行と遊行は春の錦也

藤沢の蓮華末期の水でさき

藤沢の蓮は時候にかかはらず

 

江の島の剃毛で八景なでる也

筆捨てた松で筆とる旅日記

風景もふしぎとばかり筆をすて

書いたより捨てたで松の名が高し

萬木にすぐれて筆をうつちやらせ

金澤も湯治の内にまきこまれ

絵師の筆捨ふて帰る松葉かき

紫で金澤へ来るついでなり

 

水のない月に雨降山はなき

雨のふる山に日向の道もあり

あす立つと土場で切火をのんで居る

切先をそろへて渡る田村川

秋葉だけ湯屋は四五日先へ立ち

長局何たる願で納太刀

二の足で間男の買ふ納太刀

納まらぬ盆を納める太刀で逃げ

納まらぬ天窓でかつぐ納太刀

木刀の図抜親分持っている

親分と連立ツて行く初の山

大太刀へ巻きつきさうな肌をぬぎ

大山へ掛念仏で蕎麦屋行き

大山へどうか仕合ひに参るやう

大山の臍のあたりにふ動尊

鼻の高ひが大山の留守へ来る

所詮足りないと大山さして行き

借金を山ほどしよつて盆にたち

十四日油断をすると山へ抜け

十四日抜身をしよつて夜道する

十四日後は野と鳴れ山へたち

盆前は天狗例しにされれなり

盆前の借大太刀で切りぬける

盆山はかけ落らしい人ばかり

盆山に一筆たのむてんば下女

盆山は宿屋の下女も八天狗

盆山は火水を見せる不動尊

石尊へ信心で行く貸した奴

石尊はあげ坪しても気にかかり

石尊は土場からすぐに思立ち

石尊へ貸元投げろ〱なり

石尊は貸元贔眉あそばされ

石尊でかめのこ程にみえるなり

石尊へたつた二口きりかへる

石尊は不禮な形りでをがむ神

石尊はつひに袖では拝まれず

石尊で見れば山号甲を干し

路次の鎌かり石尊八日附なり

ととヲは山へかかアは内で言訳ケ

とうにやおちずにせきそんでかたる也

とふにはおちず石そんでさんげする

さんげ〱借金でまいりました

さんげ〱大黒を盗みました

さんげ〱間男を致しました

さんげ〱藤沢で遊びました

藤沢で抜身の分は右へ切れ

大瀧は一言ンもない所なり

大瀧でさんげ〱をぶちのめし

大瀧は根性骨を丸あらひ

吉廣を月次に買ふは急な事

吉廣はふいごの入らぬ刀鍛冶

よし廣は冬はうたない刀鍛冶

よし廣の太刀がこはいとだつきいひ

らんびんでよしひろをぼツこんて行

どうしたか山帰以後人のよさ

山帰りそふ〱女郎宿やめる

仲條は山の荒れたにこり〱し

江戸より大山石尊への参詣は浅草川にて十七日垢離をとりて後禅定する也

千垢離に呼出しのない中天狗

千垢離に行くのをこしやじろ〱見

千垢離に抜手を切るは他人なり

千垢離の泳ぐと岡でかんをする

千垢離を取る内衣うばひ取り

千垢離も二十人のが一人ぬけ

千ごりに十九人とは気にかかり

屋根船のうたせんごりにつぶされる

相模まで聞える程にこりを取り

夜の中チに吉原まで行く垢離を取り

井戸端であびるはへんのかわつたの

 

本年領内損毛ありし諸侯へ十ヵ年年賦にて金を貸す

 

三月二十四日草屋諸鯵が主催となり小石川の旗亭大黒屋方に御壽命川柳點と称する狂歌師連の川柳会を開く

御壽命川柳點の序

人皇万九代野暮天皇の御宇に当つて松葉屋瀬川、川柳翁両人に宣旨下りて小町が名代其角が代句雨のいのりの歌と句を一度に捧げ奉れば天も甚感應寺冨に当つた心持金の負数にひびきあれバ千両お褒美玉鉾の道にしたたる柳樽、樽ぬき書入まま青い飾程前句な書の下手さく〱作者の仲間入よも御承知あるまいと我等の顔も赤う様御母君の六ひじの賀めでたく奉鶴は川柳亀は万句ときこしめせ

 川柳てん明三千年

  百の作者の其中へ一りんめくむ

      花葉多急作

       實は草屋もろあじ

万九合米高拾弐萬三千四百五十六石七年八升九合

   現まへまんまへの内

          千百表

花の弥生に相印

壽 御うれしい事〱

  久しかれとぞ〱

  御代めでたの〱

    御壽命なが〱

てんのこんづの肴には人ン魚なり

     一萬三千年 池の端   つる亀

しらしけを薬師如来は小僧にし

     千八百年 牛込     松竹

かんもの木東方朔の息子ほり

     二千五百年 上の山下  常盤木

親和ぞめ壽の字のないは売れませぬ

     市ヶ谷         千とせ

鶴亀はなぜ十二支へはいりんせん

     四ツ谷         若竹

龍宮んへをつめておく玉手箱

     同

不老不死痰しやうは生姜湯でのみ

     浅草          鳳凰

浦島は空腹ゆへにふたをあけ

     池の端         つる亀

四ツ目やは年賀の席で落をとり

     同

今時の娘老莱子にまさり

     同

長命のくすり丸薬ではならず

     牛込          松竹

四萬六千二百十日たし

     同

御壽命は万々年とはむくやつ

     小日向         万歳

寝ごとにもまろが〱がと序生いひ

     糀町          千秋

漢の代にうかあり〱と菊慈童

     下谷          大叶

番勝の句もかん情ある句々をえらみ故事を引く盃の数々吸物椀の口に出任せば高點と定めあひて気に任せ墨すり物の趣をのせて句よせが一句十六文の點料を打ちかへして六十の賀のしりへにいふ

             鯉野 龍昇

 

四月二十五日竹杖為軽、元の木網及び平秩東作催主となり戯作者狂歌師を相会し寶合の第二回を柳橋河内半次郎の楼上に開会す 其の時の出品百十餘種内主品五十餘種は催主の出品にして餘ハ客品に係ると云ふ

 

七月六日より信州浅間山噴火関東凶作 九月十日罹災の民乱を為す 十二月浅草鳥越失火深川に及ぶ

 

此頃より京都烏丸枇杷葉湯売江戸市中を売歩く

 

歯がため(素外)

年浪草(麁文)

五車反故(維駒)

武蔵野三歌仙(蓼太)

俳諧七車(鬼貫自選)

俳諧狂菊抄(写本)

青木賊

 

 

千七百八十四年

天明四年甲辰   六十七歳

 

誹風柳多留十九編板行

柳樽餘稿やない筥二編板行

 

七草庵交山生(二軒茶屋松本六世なり)

 

正月十九日坂秋齋没年八十九

三月吉保没年二十五(或云三十五)

三月十五日丈可没

三月十七日鹽山善齋没年四十八

三月二十四日野村東皐没

四月十六日荼人清水玄昌龍鱗齋没

四月二十四日大島芙蓉印聖没年六十三 源逸記又高逸記と云

四月二十五日白水田良箏山没年六十二

四月三十日深田美之厚齋没年七十三

五月松岡太仲梅岡没年七十五

五月二日萩原宗固貞辰没年八十二

五月十五日蘇嶺山人見雅没年五十七

五月二十日野菊女没年五十八深川氏の女 本姓田本氏名は央又清 圓窓 初野菊庵秋色と号す 菜種屋清兵衛の妻となる

五月二十六日近藤壽俊没年五十四

六月五日伊勢貞丈安齋没年五十四(実は五月二十八日なりと)

六月十六日井上金峨没年五十三

六月二十四日片山周東文月庵没

七月九日大越露光没年八十一

七月二十二日菅井覇陵吉甫没

七月二十四日久世五市静齋没年五十三

八月一日堀内吟霞没年六十一

八月十日七代目森田勘弥千蝶没

八月十六日荷田御風没年五十七

八月十九日川村孫八郎華陽没年四十九

九月二十八日玉瀾女没年五十七(或云七十八)祇園百合の女 池野大雅堂の妻となる 和歌及び画を能くす

十月四日田中道麿没年五十五

十月二十一日鳳原没年七十三

十一月十日深尾滄浪九龍没

十二月九日交買明没年七十四 初高橋氏 独歩庵二世木原居初筆端と号す

 

飢饉米価大いに騰貴す

 

五月疫病流行するに因り薬方を掲示せらる

実母散子にあまさうな薬也

里へ来て気がねせず呑む実母散

持薬をと朔日丸を後家はのみ

朔日丸通ひお針がすすめに来

地黄のむうち間男が出来るなり

アア腎が少い候と地黄色丸

加羅よりも懐中したき蛍火丸

頼母しや夜道の肌に蛍火丸

うしろから丸薬をやる野暮な事

丸薬のひざをころげるその早さ

丸薬と椽側の日を追ひまはし

も一ツおもや丸薬ぞろり出る

印籠の中で目出度毛が生える

蛤は実を入替て高くなり

薬を付てをれこんだとげをぬき

女島まひ〱薬は正気さん

くらやみで龍王湯をがぶりのみ

本ぶくのくすり隣の店で呑み

いい女房きかぬくすりをせんじてる

むだな薬を煎じてるいい女房

次の間で毒が薬を煎じて居

粉薬をふくみ銅壺へ指をさし

かりそめに風のかけたる薬なへ

薬鍋計は錆のうく程が

貸すほうで大事にしなとくすりなべ

薬でもいかぬ病は裸むし

福引の玉はせんきの薬也

飯たきが死んで手療治やめになり

膏薬をのす内関羽ハマを上げ

 

三月二十四日新御番佐野善左衛門政言田沼意次が一子山城守意知を殿中に斬る 政知は四月四日切腹死骸浅草本願寺塔中神田山徳本寺に葬る 香花を手向る人貴賤老若群をなしとぞ斯く参詣の群集せしは佐野が白刃を揮ひし翌日より高価なりし米価俄然として下落せしゆえ佐野を世直し大明神と市中にて唱へし故なりと云ふ 此争騒に基き黒白水鏡と云ふ黄表紙を始め安明間記実説夢物語田沼狂言休否録等の書出づ

水ともろとも諸色の値落る

 

四月十六日新吉原廊中水道尻秋葉常明燈より出火廊中残らず焼亡して假宅は両国馬道並木駒形町なりき此時両国なる今の淡雪の店橋より左の方の二階ばかりを吉原の若葉屋かり宅したるに(淡雪の隣二軒を借りて勝手とせり)何ものにや「世の中はさかさまにこそ成にけり上には若葉したはあは雪」と落首しけるとぞ(一説に水道尻提灯屋方或は京町一丁目遊女屋丸梅先屋物置より出火とも云ふ

 

六月十二日箏曲玅門派一世八橋檢校百年忌也八橋ハ貞享二年に七十餘歳にて没す

 

こいちは日本などと凡て愉快美麗上等などの意味に「日本」と云ふ言葉流行す 八人藝川島歌命当時評判高し

 

黄表紙の袋入出づること漸多し価一部五十文乃至る六十四文なり

 

四方山人選の通詩選、李不盡通詩選笑知、檀那山人藝舎集梓行

江戸河(素外)

新花摘(蕪村)

から檜葉(凡董編蕪村終焉之記)

 

 

千七百八十五年

天明五年乙巳   六十八歳

 

誹風柳多留二十編板行

柳樽餘稿やない筥三編板行

藐姑柳板行せらる 川柳評の月次選句集にして朱楽菅江の序あり

 

立原杏所生

大槻玄幹生

東里山人生

花笠文京生

澤村曙山生

松本樨河生

 

正月五日山村月巣没年五十六 名は春安時雨窓(一世)初盤古と号す

正月十五日高橋慎省没年五十二

正月二十四日高橋宗直没年八十五 寶石類書二百餘巻を著す

三月十八日i、雪岑没 号白鳳軒 御能役者

三月二十三日清田儋叟没年六十七

四月三日鳥居の三世初代清満没年五十一

五月九日宮薗鸑鳳軒没 初宮古路園八と云 園八節の元祖

五月十二日三宅綾呉没

五月二十二日小川泰山没年十七 名信成字誠甫通称藤吉郎 相州の人 泰山は相州大山の事にして人々大山の奇童と呼びし故に自ら号とせり 五六歳の頃より敏慧にして書を読むことを好み十歳にして経史を誦すること既に遍し其の父之を喜て江戸へ携へ北山の門に学はしむ 平生史類を読むことを好み其解しかたきを研究し解説数万言を著せり 此人若し存在せば一代の儒宗なるべしと有識者之を称して惜めとぞ 小石川光岳寺に葬る(名人忌辰録)

五月二十三日大場景明南湖没年五十

五月二十五日石田幽汀没 名は叔明 能く幽禅の画を模す 鶴澤探黥の子 京都の人

五月二十五日石川豊信没年七十五 通称糠屋七兵衛 号秀葩 浮世画師西村重長に従ひて絵を学び宝暦の頃紅絵を描く 江戸小伝馬町なる旗亭の主人にして六掛園石川雅望は実に其の子なり

六月六日山本松圃龍齋没年五十七

七月十日大鹽鼇渚没年六十九

七月二十九日九代目中村勘三郎雀童没年に十一

八月十日加藤枝直没年九十四

八月二十五日市村羽左衛門家橘没年六十二

八月二十六日松本三十郎没年四十一

八月二十六日五代目嵐三右衛門紫朝没

八月二代目佐野川市松没

九月二十日今枝文ケ節没年六十八

十月三日茨木素因没年六十六

十一月六日戸田可静没年五十八

十一月十二日吉田冠二没年六十二 人形遣の名人元祖なり

十一月二十六日左橋橙雨没年六十四(或云六十一)

 

二月十六日より市村家橘堺町へすけに出て三ツ人形の所作事大入也 此時狂歌の連中三枚の摺物各二百枚つつ贈る これ芝居狂歌摺物の始なりと云ふ

 

六月朔日より回向院に於て京都嵯峨釈迦如来開帳あり

諸国の霊像死人の上へ出し

戻りには釈迦と銭との丈くらべ

釈迦如来ざうりかくしの身で生れ

生れると大言ンをはく釈迦如来

行水の遣ひはじめは釈迦如来

お釈迦さま生れ落るとみそをあげ

お釈迦さまうまれ落ると茶つけにし

お釈迦さままくりも上ケず茶漬也

お釈迦様生れおちから茶人なり

お釈迦さま躰毒といふ御あたま

お釈迦様立のまんまでせんげ也

釈尊の生死の間は花盛り

釈尊は絞りはなしの置頭巾

釈尊の茶呑友達子ども也

たん生のしやかは寝耳へ茶だといひ

誕生の指は鰹とほととぎす

御誕生まくりもあげず茶漬にし

御誕生婆婆を茶にした産湯也

御誕生嫁をにらめる眼をあらひ

茶にされた元祖は四月八日也

行水の始めは四月八日なり

四月八日は行水の始めなり

初釈迦といひたき時分御誕生

茶をあびて如来の赤子味噌を揚

僧は聞き俗には喰へと釈迦教へ

あれお聞けあれおば食へと指をさし

天メ地チへ嘘と誠の指をさし

一度づつ茶にはされると釈迦はいひ

竹の根をほるとは釈迦も仲人口

水もくえましよ手鍋もと釈迦ハいひ

天はよし地はむだ指の京の釈迦

おかもちへお釈迦を入れて持ちあるき

屋根のある岡持へ釈迦いれて来る

岡持で駈る初釈迦はつ鰹

二四不同佛も横と竪に成り

しやく尊をよこ竪にする春と夏

春夏の釈迦よこたてに拜まれる

きさらぎは寝て卯月には立つて居る

虫よけをよみよく張るは無筆なり

卯の花に柊取って捨てられる

末世だと釈迦も笑ふて入らせられ

春の真ン中へ釈迦はぶつたほれ

十四日時分に耆婆は匙を投げ

十五日天竺の医者匙を投げ

伸〱とねて極楽の御姿

おびただし猫がくやみにこぬばかり

御臨終二月に蟲の聲を聞き

虫けらと一座に仁王泣て居る

えだものとならぶと仁王あはれなり

けだものや虫けらの中仁王泣き

釈迦さまへのうと泣てる涅槃像

吼えるやら泣くやら釈迦の涅槃像

祝ひ日に疵のついたる涅槃像

子供の目には面白い涅槃像

涅槃会もかまはず猫は妻を恋ひ

麻耶夫人以ての外の御なん産

人こそしらね門前に麻耶夫人

御名か麻耶ゆへ啌つきを産給ひ

身柱て虫のかふり出す麻耶夫人

まや夫人ソリヤ御虫気と茶をわかし

麻耶夫人舌が廻るとひよんな御名

アレサモウ涅槃に入とやしゆたら女

 

阿弥陀如来 附六阿弥陀詣

阿弥陀さま是がほしひの御手づき

阿弥陀さへ指を輪にして見せ給ふ

阿弥陀さまにくひ姿アへつまはぢき

阿弥陀如来こいつが無ひの御すがた

阿弥陀如来額へさくり附たまひ

三尊のみだは狸の無分別

銭金のあひだに光る阿弥陀如来

如来さま七子のやうな御あたま

如来さまつんとさんなの御手づき

薮入の何かすねたか六あみだ

ふせかねをくさりでつなぐ六阿弥陀

罪軽く足重く成る六阿弥陀

蛇の出這入に賑ふ六阿弥陀

六ツに出て六ツに帰るを六阿弥陀

小言の親玉つれだつて六阿弥陀

六阿弥陀此世の道でうんじやうし

六あみだみんな廻るは鬼ばばア

六阿弥陀土蔵造りがしまひなり

六あみだへび迄出たり這入つたり

五番目は同じ作でも江戸産れ

五阿弥陀にしてもらひたき腰ツき

五番目を吸付けて出て叱られる

五番目の弥陀は麦めしきらひ也

二の六はあみだの道もとび目也

五番目は一か六かへまわすなり

入らぬ事嫁田端から腰がぬけ

皆婆アづれ五六人阿弥陀笠

中ぬきでゆくはうさんな六阿弥陀

西ケ原阿弥陀にはいい地名なり

六番目嫁の噂のいひじまひ

あみだへ参る娘銭ほどひかり

あみだ道西行庵はまつい事

一体は地ものぎらひの阿弥陀も有り

阿弥陀を売て新造を買ひに行き

六体で七日ある日を群集させ

彼岸には一日足らぬ佛なり

彼岸中嫁の笑ひの本音が出

彼岸はと婆ア柱へ目をしかめ

手おいかけながら小遣イくだせんし

禅寺は彼岸の銭にふりむかず

ふり通すひがん堂守あがつたり

大日は指しつぺひの元祖也

 

七月十四日四千石の旗本藤枝外記新吉原京町二丁目大菱屋抱の遊女綾衣と吉田田甫に住める餌まきの家にて情死せしにぞ 宝暦元年比五千石の三浦肥後といへる士に就て作りし小唄を更に廊内にて唄ひ初め三絃に合せて興しけると云ふ

君と寝やうか五千石取るか何の五千石君と寝よう

 

九月琉球国連年凶歉に付米一万俵金一万両を薩州に貸して之を賑はす

琉球の野郎は次にへこんでる

琉球の野郎日本で尻にしき

木魚講きんまんもんの神のやう

 

九月稲葉小僧新助刑せらる

ぬす人でさい禮に出るきついやつ

盗人はせがれ同類女房なり

ぬす人のたけだけしきははかま着る

ぬす人ねこを豆からでくらわせる

ぬす人にいわへ〱と市をとり

盗人にあへばとなりでけなるなり

盗人にあつて三井のめしを喰ひ

ぬす人が這入りやすよと火をもらひ

ぬす人を大根からい目にあはせ

すつぱりと盗人にあふ一人者

ぬす人はほら貝をふく在郷寺

追はぎにあふたもしるす旅日記

しばられた飛脚を杣が来てほとき

承知せぬ夜這夜盗に落る也

いなびかり柿盗人をめつけ出し

金の有る所をぬきみの下でいひ

蔵の鍵ぬきみへ渡す不慮なこと

はや鐘に和尚を見ればさるぐつわ

どろぼうを一俵にするむごい事

はづしものとなづけす物をうり

ひんの盗みは大黒に目はかけず

どろぼうはならずとさがす火打箱

ぬす人に飛入りの有る市二日

どろぼうもしばつて置けばはなしする

どろ坊となんだあなばたおつかける

しらなみ〱と袴だれおはれ

はかまだれ馬どろぼうでみそをつけ

かやぶきへはいる夜盗ははけ次手

大ぞく身にあるまじきかこひもの

どろぼう〱といだてんおつかける

とろぼうは逃たといふに嫁ふるへ

つよいどろぼうも無いもの石灯籠

どろぼう〱と大黒屋おつかける

亭主がどろぼうするでどこへも出ず

ちよろツこい事をして居る常さらい

天に口あり一反またへ入れた

瓜ひとつぬすめばはたけ中うごき

どろぼう〱が亭主少と粗相

天の照覧まんひきはならぬ也

小どろぼう朝飯などにこらせ顔

松の木へしばられて居る金飛脚

きり〱と脱けと追剥すいつける

盗人は虎と熊とで名が高し

追剥も成たけ人は殺さぬ気

ぬす人のしんるいも有十三日

小便で盗人をしる西瓜ぶね

見つかつて馬盗人は乗て逃げ

とうなんに大あなむちのみことあひ

どろぼうさたがうんざりと平井いひ

三條の右衛門ぬす人めかない名

にんそうのいいぬす人は陽虎なり

盗人くさく見えないハ陽虎也

鍋之介事五右衛門とあらためる

けちな名歌を大釜の中でよみ

だいてはいらず石川は一首よみ

五右衛門はなまにえの時一首よみ

五右衛門は金のかかつたころしやう

石川やはまのまさこハかしう也

五右衛門は素手で帰った事はなし

五右衛門も夜は山門からひよぐり

権兵衛が足をふんだが運のつき

白浪に千鳥はたかく音を発し

すりはり太郎ぬす人にうごかぬ名

すりはり太郎巾着を切りはじめ

すりはり太郎は近江無宿也

入れずみの有るはすりはり太郎也

うめられぬかはり油の中で死に

大いそへどろほ〱と馬士は来る

僧正へ知れてぬす人百もらひ

よもや大こんであろうとは白波

抱て来てみりや盗人はかねを付

明け七つ時分熊坂手をおろし

一ツ国から盗人と佛出る

熊坂がたねであらうと嵯峨でいひ

牛若が居ぬと熊坂大仕事

人をよくすれば熊坂笠をとり

熊坂も人柄で居ちや鏡とぎ

くま坂が手下寝て居るやうに死に

くらやみの牛に熊坂気が付かず

いい鳥が来たぞと松の上でいひ

わんぽうはやると物見の松でいひ

長範を佛御前は見たといふ

熊坂はしさつて払ふまではよし

熊坂がさいごは五つまへと見え

笠のうりため熊坂ねらつてる

熊坂はひもじくなるとやれはしご

くま坂はのびを追ツたがおちどなり

熊坂をせめたら手下まだ出よふ

天狗すけ太刀に熊坂気がつかず

吉次が来るで熊坂はふるねなり

手取とは熊坂わるひ思ひ付

半分はあげてもよいと吉次いひ

高慢をいつて熊坂しめられる

熊坂が死にきつてから吉次出る

今時分だと熊坂も御てこなり

熊坂が手下ぎやうぎのええさいご

熊坂は一生人を下目に見

一思案して熊坂はしめられる

どりや〱と熊坂ゆらり〱出る

熊坂の足へとまつてみイんみん

死神が付てくま坂思ふよう

猿ぐつわまじり〱とぬすまれる

猿ぐつわ和尚をはじめたてまつり

さがす出すたびのび上がる猿轡

ひや飯シをくふをまじ〱猿ぐつわ

草の庵朝寝おこせばさるくつわ

盗人の糞を見ているたちのまま

無念骨髄盗人の糞さらひ

ぴい〱を吹くとお頭首尾はなり

山中に皮斗あるむごい事

昼あるきよせと盗人子を叱り

よく締めて寝ろといひ〱盗みに出

ざツくりと掴んだ所を母おさへ

さるくつわ下女ひやめしのありどころ

病人の寝たもぬすみにあふた晩

俵のついでに鯛迄ぬすまれる

泣く嫁の中に泥足五六人

人が居て昼どろ坊は道をきき

どろほうが来ると二かいでのぞくやく

はかま着の頃から手くせわるい也

縄の入る盗人でなしかきつばた

きついやぼどろぼうらしく引ぱられ

はい込ムとどろぼうといふむごひやつ

御ぬしゆへどろほうよはりされるわな

とろ坊〱と下女こころかわり

つよひどろぼうもないもの石灯籠

ひんの盗はしてみたが歌は何ンとして

御覚悟はよしかと笑ふすり習ひ

盗みついでに御みやもと心がけ

笑ふ門泥坊の来る市二日

海ぞくの用心い戸をさすつく田

恐ろしひ白浪へうつ天の網

ふてへ奴湯屋でして来る衣がへ

御ふ勝手どろぼうに迄見くびられ

瓜どろぼ学者と見えてはだし也

我持った財布の紐でしめられる

河原では人の天ぷら見勢を出し

五右衛門が釜は七斗と五ごう入り

国ざかひ美濃の方ではゆだんせず

 

十月十四日蔦の唐丸会主となり深川油堀土師掻安の家において狂歌百鬼夜行を開催す戯作者狂歌の師等会するもの多し

 

此頃迄は橘町薬研堀辺に藝者多く住し往来には振袖を着座敷にては留袖に着かへたりと云ふ

 

本年顔見世より中村仲蔵中山小十郎と名を改む

 

御手料理御知而大悲千録本(全交作政演画)梓行大に行はる 此作は名作二十三部中の最傑作と称せらるだけありて梓行当時に於ける評判は頗る盛んにして忽ち其の版木を磨減せしめたりと後嘉永の末年更に再板せり

 

無名集(玄化)

梅の絢(素丸)

 

 

千七百八十六年

天明六年丙午   六十九歳

十月閏 家齋十一代将軍宣下 九月四日将軍家治薨 年五十一 俊明と謚を東叡山に葬る 正一位太政大臣を贈らる

 

誹風柳多留二十一編板行

柳樽餘稿やない筥四編板行

柳籠裏三巻板行 高妙連の月次選句集板元は近江屋治助なり

 

菊池容齋生

平田篤胤生

菅長成生

塵外楼清澄生

歌川國貞生 長して一雄齋、五渡亭、香蝶楼等の号あり 四世川柳の肖像を描く

細川鼻山人生

碁聖本因坊第十二世丈和生 丈和十六歳初段の品に上り二十三歳七段にして本因坊の跡目となり四十二歳にして准名人に進み第十二世本因坊となり四十五歳を以て名人碁所に補せられ六十一歳にして没す 

碁会所で見て斗居るつよいやつ

碁会所へ灸がすんだと呼びに来る

碁会所と医者とへむかひ二人出る

碁の助言いひたく成ると庭にたち

碁敵は憎さもにくしなつかしさ

碁を打て居るはめてたい鬼簾

碁をうち側に弐る足げびた事

碁盤をば跡戸しらずがかりて行

碁の座敷勝負のついた音が出る

碁うちが来たでなまおしの小袖也

碁で無い時には黒石かくがいい

碁を打って居るはやかたの婆婆塞げ

白石でせんをしているまつの内

くろ石のごけを引合ひ久しぶり

死石が玄関へ来てはどなるなり

又碁かとくるまつて寝る草履とり

死水のそばで母おや碁のいけん

もうせんへのるが碁石のかくしげい

けんどん屋どのの碁石か二ツ三ツ

入王に成ると見物碁へたかり

いやらしさ夜宮のみせで内儀の碁

ぼんぼりの跡から碁盤持て出る

おやにもあはづ黒白をいかす也

僧正の一ツのすみはせき碁なり

僧正の気にいるおやぢせき碁なり

ふきがらをくはえて碁盤ねめている

石は生きたが死目にははぬなり

割返し杯と碁石を安くする

一目の負けに下手碁は滑川

足で戸を明けてごばんをどさら置き

島田で出したこのかたとごばん出し

ごしようぎてくらすはかたい川づかへ

旦那は碁家来はふせる川支

一二目湯治帰りは強くなり

小便に起きた女房碁を叱り

済んだ碁の愚痴をあとから並べたて

物もうにどうれ〱と二目打ち

褌のきらひな男碁は強し

お呼出し迄は碁盤で境論

腰元は隠居に二十五目置き

しばられて居て助言するふといやつ

茶屋の石劫が出来ると足らぬなり

碁を崩す音に若党よみがへり

吸口で灯をいじり消す碁打客

大三十日世間の義理で碁を休み

角の石やうやういきて吸ひ付ける

ふそくした碁石にさるのほうをおし

昔から碁盤の臍は四角なり

気の毒さ碁笥からさいが一ツ出る

すれば碁じや無いと親父ももう悟り

いさかひをしイ〱碁打中がよし

里のぢぢ仲人呼べと碁をしまひ

先手後手皆碁の友も石と成り

座敷中ごま塩にして中たがひ

碁にこつて莱の葉をついて吸つける

きう用がごばんのそばに二三つう

一目の負そこら中撫まはし

碁仲間の礼義もくろを譲り合

孝行な男ご石をなげて行き

さるのほつぺたから出して二目ク勝チ

もうせんの上でごいしのそうばたち

日蝕の生れ初段にだだを云ひ

生死のあまたたひある下手碁打

碁の留守に間男打てかへに来る

矢疵より関羽切られた手に困り

くらのかぎごばんの上へさけて来る

相碁の争ひ初手ツからつかみ合

夏の夜の碁に一手ふけ二タ手ふけ

蚊は逃て月代たたく碁友達

灸点がふへてへぼ碁あつくなり

せき込んてへほ碁火入の火をつかみ

宗桂にまけた噺も手がら也

宗桂は階子のやうな弟子を取

碁盤のそつほふくらませてハテナ

腰懸の角ミに目を持碁の御供

わたりが付て手を打た碁の喧嘩

切られても検使のいらぬ碁の喧嘩

作る時はま〱といふ碁見物

碁盤まて女房は足を上へ上け

碁の客の馳走に女房先に寝る

大こぶが出来たとへぼ碁猿眼

下手碁打南無三寶が癖になり

碁将棋がありて死に目につひ合ず

碁の客に勝手は将棋倒し也

見物も追立られる下手の持碁

聾に碁は勝てたりほととぎす

門番と中のわるひは碁打也

此石が生キりや勝だと知れた事

親指の隙な碁石のはさみやう

 

逆カ王を貰ひに出たる料理人

せき将棋先へくらつてしまひおれ

悶象戯くれんかへして歩を尋ね

ふり袖を将棋頭にしまい事

とこみせの将棋は一人腰をかけ

とこ見せの将棋は一人立って居る

将棋盤さし上げて居て乳母よ

友達は将棋の事で二日来ず

気のつきなよしやれと王をかす也

せめて助言ンの三分一させばいい

入王を子にくづさせて夜食喰ふ

入王は前九年ほど手間がとれ

あしたでも剃ってくれろと飛車なり

ろくな用じやア有るまいと飛車えおなり

雪隠で手間どる親仁一手すき

おもむろになりは成つたと飛車を行

かち将棋いかに〱とならして居

下手将棋しりつつかれてねめ廻し

下手将棋もろ手をくんで休んで居

負将棋なりふをひそかに雇ひこみ

頂いて飛車をとられる口惜しさ

成る場所で成らぬ飛車の一器量

ちとおしへやうかと代る下手将棋

サア王を取るが〱と下手将棋

お廻りを気をつけやれと角をなり

やす助言けつから金をくらはせろ

王よりも飛車を下手将棋

よは将棋雪隠へ入れやたらひり

王よりは飛車が逃げたい下手将棋

入王に成って鉄棒引て出る

入王になつてへんじを書キかかり

きき納め琴をと王の一ツすき

せきしやうぎ手を切ったりとげびる也

齋日に将棋をさすが店をもち

けふをそつちへふきやれとまけたやつ

返事書く筆の軸にて王を逃げ

主命てはさみしやぎをさして居る

将棋好内儀の二歩に気が付かず

飛車角行が蟄居して居る下手将棋

うろたへて並べる将棋負けたやつ

さう御座らうと存じたと飛車を逃げ

先はしの附木からつく下手将棋

へぼ将棋をなり込むせいた奴

下手将棋湯とのあたりで駒をなげ

飯處か飛車手王手を喰て居る

月代にかゆみが来ると負将棋

時過て二歩を見付る下手将棋

金や角座敷へまいて中たがひ

すみつこで将棋国元忌中也

かけしやうぎまけそうにしてよしにする

だや〱と将棋に付いて座替する

先づ盤の足をねぢ込む下手将棋

つめ将棋工夫が出来てどれのきやれ

下手将棋袖をひかれてねめ廻し

今日もよく降るわとはいる下手将棋

将棋をば二番負けては金を借り

まけ将棋逃るたんびにお手は何

入王と聞いて火を引く料理人

刻限を聞き〱角行の道をつき

かけ合ひにうはことをいふ将棋さし

吹がらを飛車でおさへる玄関番

はしの歩がすむと双方一ぷくし

吹けば飛ぶやうな将棋に附木の歩

勝将棋何処に〱とならしてい

下手将棋土産にしろと角行を出し

見物の下知に従ふ下手将棋

せつちんで石田にげ道くふうする

手拭を濡らしてはいるつめ将棋

手拭をしめしてかへるつめ将棋

おちやつぴい挟将棋が達者なり

提灯を消せといひ〱飛車が成り

ばんあたりちつと来給へどれも下手

入り王に成るとさかなや助言する

こりや〱とおうばはづした飛車をかり

助言ならいやよと内儀駒を出し

入り王をおつかたづけてぜんを出し

手を聞けば金銀山のごとく也

寺へ知らせてやれさと飛車をふる

指図してけつまこつく下手将棋

御手にナナ何と古手や将棋さし

詰んでるに肺肝くだく下手将棋

ふんとしをはつしはたかで王は逃け

ふきがらを飛車で押へる玄関番

はつきれた飛車のなり込ムひとい音ト

将棋てもふんとし至極きたない手

そばの客将棋の駒で数をとり

 

二月二日荷田民子蒼生没年六十五

二月九日心学者手嶋堵庵没年六十九

三月十三日楠本雪渓宋紫石没年八十二

三月二十二日鶴賀若狭椽鶴翁没年七十五(或云七十)宮古路豊後椽の門弟戯名を大木戸の黒牛と云 狂歌を能くす 彼新内と称する浄るりは皆若狭椽が作なり 辞世の狂歌

生て居る内は何かと神仏聖も

      いかひ世話でござつた

四月五日後藤厚甫没

四月八日趙陶齋息心齋没年七十四

五月二十五日尾崎伴右衛門敬孝没年五十七

七月十一日森扶卒年五十七

七月二十六元祖嵐小六杉鳥没年七十七 五代目三右衛門実子 幼名岩次郎後雛助 此小六雛助一世一代幾度となくせしかば落詞に

ひな助は角で一代中二代堺三代京で四次第

七月勝南豊没年五十七

八月三日元祖中村富十郎慶子没年六十八

八月十五日涌江舎葵山没 辞世

浮雲の晴て浄土の花見哉

八月二十日伊藤長秋没年五十餘

八月二十七日屋代龍岡没年七十七

八月二十八日林信徴没

九月十日米路没 京都の人

九月十三日雨森白山没年五十五

十月十一日中村松江里江没年四十五

十二月四日岡丹下昌信没年七十二(或云七十七)

黒鳶式部没年十六 山東京伝妹よね女なり

 

正月湯島失火深川に至る聖堂災に罹る(後寛政の年聖堂御再建)ありて神田明神の前の町家を払はれ聖堂の囲ひ広くなりし時前句附の句に 将門の前へ孔子は尻をだし、又其のち、公家悪の前に魯国の實事仕、といひしも亦おかし云々と蜀山人の奴凧に記しあり

どふ思ったか聖堂でじゆずを出し

聖堂は晦日をしらぬ所なり

聖堂に四角な桜咲にけり

聖堂のふせぎろ組でいい理屈

下総の内裏魯国のうしろ也

将門へ尻を見やれと孔子出し

魯の国のわきで借馬に乗て居る

魯の国へ大田いなりは尻をむけ

孔子でも笄をさすいやな国

二十九の暮迄孔子いざりなり

水姓の字をくり出して孔子付け

寝入をばとるなと孔子のたまハく

権校の衣を孔子悪ルくいひ

酒斗孔子勝手にしろといひ

喰物にかけては孔子むづかしい

どろ〱の手をとり孔子よまい事

かつたいのそばで孔子はよまいごと

かつたいのまどで孔子のよまいごと

犬をよふやふに孔子は召し給ふ

もんもうな孔子手くせがわるい也

こいつだと孔子をうしろ手にしばり

もとどりを直して孔子たのみましよ

陽虎ではござりませぬとのたまハく

陽虎とまちがつたは四十二の歳

壁に耳あつて孔子の名を残し

かべに耳あると論語は今になし

かべに耳なくつて四巻世に残り

かべそしやうしたら末世に本はなし

壁土の中からときにあひに出る

壁の中カまでは手の届かぬ始皇

始皇帝かべの中には気がつかず

なんだなとかべ土はたき〱よみ

とんだ事壁をこわして物を知り

塗りこめた曰く左官はしらぬなり

なんだかと左官論語をめツけ出し

掘出しものの最上は論語なり

きついもの四百餘州に本がなし

かべに曰の有事が後に知れ

小便をしては顔渕書物を見

手のくぼをしましたと子路師へ告る

聖人のへこむは天窓はかりなり

御手も文宣王に二ツ増し

三千のうちにくされた儒者もあり

ぶりがれんまねるで孟母店をかへ

によぜがもんやめろと孟子しかられる

南無きやらたんのういやんなと孟母

習はぬ経を覚えたで孟母こし

ぢやらんぽんよせと孟子の母はいひ

口か辷つて瓜坊を孟母買ひ

瓜田の草履かくし孟母はしかり

方々の大屋に孟母おしがられ

寺町で孟母を聞けば越しました

又かへと車力孟母の荷をはこび

又たのみますと車力へ孟母いひ

おつかさん又越すのかと孟子云ひ

ひろつたとこへ置て来やともふ母

いんどうが上手で母は店をかへ

銅だらひたたひて孟子しかられる

鍬を買って何んにすると孟母云ひ

梨子へ木登り遊ひ孟母しかり

地主だと孟子は賢に成らぬ所

ももぢい出るともう母はおどかさず

如才なく孟母ふんどしだけに切り

機を切孟母は短慮功をなし

機の異見で賢人のおさとなり

 

此外支那古代の聖賢、秦の始皇帝及び儒者、素読の師弟に関する柳句を収録して参考とす

尭舜の代には錠まへ直し来ず

舜の田にのこる牙あと鼻のあと

太舜のちさな時はあざだらけ

家根ふきも井戸掘もした尭の聟

湯王のたらいちんふんかんを書

湯の盤の銘にいわくのもん所

聖人の代に木食が二タ人有り

聖人の代にも二タ人ひだるがり

片いぢな事だとわらび取がいひ

わらびをくひながらいつぱいをいひ

やせこけたしがいが有るとわらび取り

首陽山冬の分をもつみためる

蕨の中に意地のある墓二つ

干たる君子あり蕨ほり見付出し

首陽山二タ人干からび名を残し

伯兄弟が伸をする手も山わらび

鍵わらび腮をつるした首陽山

時々は米の夢みる首王山

此主湯王とたらいへかきつける

沢潟を神農横ににらめつめ

神農は質草斗なめてみず

神農と兼好草で名を残し

神農の腹下ツたりけつしたり

七十の賀の頃老子腹にいる

八十の守りを八ツで老子は出し

水では禹だと御髭を撫で給ひ

せい人のうさは井戸から銭を出し

聖人のへこむは天窓はかりなり

上足をとつて蒼頡字を造り

高慢んなやつらを始皇とつ〆る

文盲なやつをばうめぬ始皇帝

文盲の高慢をいふ始皇の代

へんな事始皇ちんぷんかんきらひ

草ぞうし迄もとりやげる始皇帝

詩の語のといはせず始皇皆埋め

始皇帝口がいやさに生きうづめ

あさめるとあなだと始皇おどす也

がん〱と始皇のみみのきわでなき

しんのじゆ者命なるかなと穴でいひ

生なから土葬にされる秦の儒者

穴の中いはゆるこれが秦の闇

儒の道をたとりかねたる秦の闇

ぱひ〱儒者もゆるすと秦の始皇不知

めくらをばいつそいたハる始皇帝

ありやこりやなものを始皇と武田埋メ

儒を穴にしたから鹿を馬にする

あほう宮をとこの聲は始皇なり

ほうハう〱のふわ〱を喰ふ阿房宮

日本のわりでは五十里ほどの家

内庭へ始皇えの木をうえさせる

三百里もちをふらせる始皇帝

三百里家をたつても雨にあひ

夕立にこり三百里ててつづけ

屏風飛びこし逃道は三百里

雨宿り始皇でからがみじめなり

始皇帝うちへ合羽をとりにやり

松一本かはつた色は始皇帝

下官等ははるか末座で雨にぬれ

松の木の下できぬがさしぼる也

供秦の官人松の木のわきでぬれ

木のそばにきみのまします雨宿り

松桜和漢昼夜の宿を貸し

和漢の雨舎り持資と始皇

不老不死始皇持薬に飲む気也

薬とりとう〱始皇まちぼうけ

笑ミをふくんで宮中を徐福出る

五六里は来たがと徐福一里塚

清見潟あたりへ徐福船をつけ

来は来たがはなし相手のない徐福

もろこしで永の御たつね徐福也

山ほとの啌をついたは徐福也

薬とり始皇まてどもくらせども

始皇帝七尺二三寸は飛び

始皇帝八尺ほどは飛あがり

始皇帝雁をとらまへそうにする

始皇帝が臍まんぢゆをはじめ

大もんを日々打タせる始皇帝

二十五の糸で大厄始皇ぬけ

そこが始皇だけ唱歌を聞分る

爪音は命の親と始皇誉め

雨よりも秦の難儀は琶の曲

朝やけのした日に始皇狩に出る

書物を買イ出スに高祖ほねを折り

周の代の亡びる迄は慈童生キ

夢見ぬとろせいは人のしらぬもの

粟飯のにへたの頃が即位也

目が覚てあぢきなく喰ふ粟の飯

朕々といふが盧生の寝言なり

寝言など云ひはせぬかと盧生いひ

かうやてうさのみ大キイ耳でなし

かうやてふはあさつての晩よみます

老莱子かん〱のうを踊ツてる

朝などはかくの通りと老莱子

柳下恵但しは図ぬけかも知らず

振新を買た気でいる柳下恵

春秋を周倉眠りながらきき

しんじちうよふせい人の縄め也

楚の国の土左衛門とんだ学者也

蜘の巣にかかつて荘子うなされる

猫におはれたで荘子はうなされる

虎のなきごえをきかれて儒者こまり

ばけもののはなしをじゅ者は引ツ叱り

子どもにも草履かくしを儒者させず

大晦日儒者ひやうそくがあはぬ也

つらやくで儒者も袋を一つ入れ

おらが大家は小人と儒者はいひ

きかれては儒者もうそふく虎の聲

韻事より儒者借金を暮にふみ

ラリルレロタチツテトには儒者困り

へぼ儒者の弟子二尺ほと去てふみ

うたたねて儒者は君子の徳をひき

鳥だの鳩のと学者は子をしかり

学者虚して曰すくないかな腎

少い哉仁多い哉しはんほう

急度した学者必ず女好き

貧学者絹の昌平の紋ところ

先生へいかかと問へばそんなもの

何をきいても煮へきらぬ生学者

学者必ず間抜けなる面っつき

なぜ妻よ昼いねたりと儒者小言

店ちんでいひこめられる論語よみ

髯をつかんで春秋をよんでいる

小人に店をおわれるそどくの師

子ばつかり出来てみじめなそどくの師

売られるをねつからしらぬ素読の師

蛍狩り案じ初めは貧学者

貧学のあかりに遣ふ夏と冬

注を読むときに蛍はゆすぶられ

大学ををしへ切らずにこして行

学文がたけて孔雀の尾はたてず

唐詩選よむと孔雀の尾がほしい

唐詩選見て居る息子けちな面

唐詩選切売りにする安い書家

孔子ののたまくとよんでしかられる

子ノ曰といつては咳をせき

子曰おふくろをあやなしやれ

息子の不将手地女と孔子なり

今川でろんごをおやぢしかつてる

論語よみねつから腎を腎とせず

論語よみ思案の外のかなをかき

家持の次に竝ぶが論語よみ

ろの国の人とむすこはつきあはず

魯の国の小言トまじりにしかられる

そどくなど不可也としてむすこ行き

不届さ昼寝の顔へ論語当て

こけおどしにも詩は少しつくりたし

詩をつくるのがいつちいい上戸なり

呑事はのまうが出来ぬ詩一篇

いツちいいくせの生酔詩をつくり

詩の出来るたびに徳利がかるくなり

きつい邪魔そどくのとなり引たてる

長吉點でよんたを他人知らぬなり

直くな道字突の杖てをしへられ

明徳の道捨かなの拾ひ読ミ

道五ツ草候ものに知れかねる

道しゆんてんを下げて来てさそい出し

ろんごは知らぬが細見はかうしやく

大屋をば尻にはさみしろんごよみ

いひ草にしおるとろんごとりあげる

細見を四書もんぜんの間よみ

今川は父百人しゅ母おしへ

今川をよんだ庄屋のやかましさ

閉戸先生間違ふと首くくり

あきらめて女筆しなんの札を出し

源氏もちつと解て来て病出し

せい人とむすこ此頃中たがひ

悪筆へまつてくれろは能書也

惜しい事八十七の能書なり

売物をかんがへて居る唐づくえ

書にいわくけふし御げんと唐机

四書五経よんで仕廻ふと息子死

四書の中から灸箸が片し出る

四書よりも枕草子が高い也

四書を拂ひ吉原大金を買ひ

ちうとふにして四書を売払ひ

やつと駕代さと四書の値蹈する

不審紙だらけな四書の払ひ物

どつどと笑ひ孝経を茶屋でよみ

父母をしへざれとぐならず遣ふなり

諸客床に入るの門なりと勤学し

足下は君子だと金を借りるなり

での坊べへ書キおると村師しやう

おかしい時は小便に師匠たち

師匠さま一うねづつにねめ廻し

謡をばおまけになさる師匠さま

学問と階子は飛で登られず

発音で論語と琴へ邪魔を入れ

師匠様親類書の伯父に成り

手ならひの世話がやんだら女郎買ひ

手習の跡で大学突ツつかせ

ものもふにばいやつて出る手ならひ子

かんばんにいつはりの無い手ならい子

師匠さまいろはのうちはこわくなし

師匠さま机はおもきとがめなり

師のかげを七尺さるともうあそび

よめぬ字を何といふ字によんで置キ

そどく指南の居た跡へにうりみせ

下手のよむ本は鼻からふしが付き

雪で見る書籍へ落つる水ツぱな

読メもしないで唐やうをやたら誉

かけものはほめたが絵師の名がよめず

師匠さまかしくと以上別に置き

御赦免に机を下りる黒ん坊

師匠様一日釘を直してる

らにのしをにと生がみの歌学者

軍学者弟子をあつめてほらを吹き

師の御恩頭はかかぬ筆の先

五十字にたらず万事の用に足り

けしからぬ師匠と娘急に下ケ

豆腐やを時計に遣ふお師匠

ぬけたのか立派に見へる筆の垢

おらんたならは豆蟹て読ところ

先生といはれてグツと反身かな

先生と呼で灰吹捨てさせる

先生といはれるほどの馬鹿でなし

 

同月西の久保失火芝田町に至る 此春雨なくして火災多く人心悩々た 秋出水飢饉

 

元日日食皆既

 

四月二十一日鳥亭焉馬昔噺の会を始て向島武蔵屋権三郎方に開く

 

七月金融の為寺社町人等に出金せしめ貸付のことを命せらる 誹謗多くして行はず

 

八月二十七日田沼意次其の職を免せらる

 

上野山下に放下師鶴吉出で諸種の品玉を演じて其の名高し

 

腹唐秋人著狂詩本丁文酔、銅脈先生著狂詩画譜梓行せらる

 

俳諧平河

種御十二編

附合手引蔓

俳諧句鑑拾遺

 

 

千七百八十七年

天明七年丁未   七十歳

 

俳風玉柳板行 本書は牛込築土連の月次会川柳評の選句集也

柳樽餘稿やない筥五編板行

五世川柳(水谷金蔵)生

五世鳥居情峰生

画工柳川重信生

谷文一生

大嶋對山生

鹿窪南臺生

 

正月十三日(或云十五日)加藤巻阿没年七十一 名既明字は士文 方圓居又貫阿と号す

正月十六日常生木丹没年四十九

二月八日山田宗俊図南没

二月二十七日新井邦賢没年五十八

二月二十九日洪珠來没年六十三 名師光字は公實桂花園 一石房 百花主人 初角浪と号す

三月二十六日岡嶋彭齋没年五十七

三月奥貫正助友山没年八十

四月七日佐々木徑童(二世)没年七十 一翠庵 初湊竹と号す  辞世

故郷への晴れや卯月の花鳥も

五月四日山中梅應(二世)没年五十一

五月七日村松盧溪没年五十七

六月六日菅貞香孺人没年五十六

七月十日佐藤蘭齋没年七十二

八月十三日小澤蘭江没

八月十六日角田琴雷没年七十九 通称庄兵衛 五渡亭と号す

八月十八日二代目尾上菊五郎梅幸没年十九 防州三田尻へ興行の途中船中にて急病発し死亡せり

八月二十日伊藤長秋去R没年五十餘

九月七日大島蓼太没年八十 深川六間堀要津寺に葬る 又櫻井氏本姓吉川氏名は陽喬 通称平八 雪中庵三世 空摩居士 初里席 宜來 豊來 老鳥の諸号あり 俳諧を吏登の門に学び白隠禅師に参じて禅を修む

九月二十四日小南圭助没

十月十五日宮川崑山没

十一月十二日岡本子晉東郭没年六十三

十二月十七日越谷吾山没年七十餘 名は秀眞 師竹庵 初古馗庵と号す 辞世

花と見し雪はきのふぞ本の水

 

二月力士釈迦嶽雲右衛門十三回忌の時其の弟眞鶴崎右衛門深川永代寺八幡宮の後に雲右衛門が等身の碑を建る 高さ七尺五寸松平出羽候の臣天愚孔平文を撰す

 

五月米価金壱両に付一斗七升市中不穏の事有り

此月二十日朝より二十二日暁まで市中諸方に打ち毀し峰起して騒擾を極めたるなり 二十日の峰起より二十四日まで江戸市中諸商人戸をとざして休業す 是が為諸人日用品に困る 二十五日初めて戸を開く 町奉行に公命ありて賤民に米金を賜ふ

 

六月松平越中守定信老中となり諸政を改革す

 

九月米沢候上杉治憲(鷹山)の治績を賞せらる

 

十月田沼意次の領二萬七千石を収め遠州相良城を毀たしめらる

 

十月十二日両水道に毒ありとの浮言ありて市中大に騒動す 此頃は未だ今の如く堀井戸多からざりしゆえ水道を汲み置きたるも捨て堀井戸へ至りみれば我より先に汲む人群集してよりつかれざればまた足を遠きにはこびてみればここも群集なしむなしく新桶をもち帰るも多し是夜中の事なり諸人水に噪ぐ事火に騒ぐが如し清潔なる水色に高野水の浮名を流したる事一日一夜にしていづこよりともなく止みぬ地妖といふべしと蜘蛛の糸巻に見えたり

 

十一月十九日新吉原角町分仲の町引手茶屋大黒屋又兵衛長屋より出火全廓焼失假宅は大橋辺深川新地同八幡前中洲高橋、中洲ありし頃は五月節句より夜見世ありきに彼の四季庵へ五明楼扇屋宇右衛門をはじめ北廓の娼家ここかしこへ假宅して夜見世の賑ひ天明中の一壮観筆にも詞にもつくしがたし。此の時五明楼は高橋の大屋茶屋石橋よろすと云ひしをかりて抱の遊女計はここにて客を迎ふ由を蜘蛛の糸巻に記す

 

高蒿谷浅草観音堂へ源三位頼政射鵺の絵馬を奉納して高手の名を著す

ここの宮にも源三位ぬえたいぢ

紫宸殿よく化物の出るところ

とりまぜた化物の出る紫宸殿

念力と法力を見る紫宸殿

内裏中兵庫呂と贔負なり

義家はおどし頼政じかに射る

葉桜へ雷上動を立て掛ける

頼政はお悩の前に小便し

鵺を待つ内に早太は髪を抜き

其暗さ早太桜につつ掛り

しんのやみ早太おるかと物すごし

弓矢とつてはひきぞわづらはず

五代目に唐の弓矢が用にたち

もろこしの弓矢で鵺は射ころされ

雁を射た其矢で化鳥射ておとし

橘の中へ射落す源三位

頼政も射てからあとは人頼み

主従で鵺に十ヶ所疵をつけ

猪の早太十ウよとなアとやればいい

射落した跡はけだかい人だかり

鵺を見に百人一首ほどよりたかり

逃げ足で鵺を見に出る美しさ

猿だ虎だとしばらくは鳴り止ず

及び越鵺の尻べた笏でぶち

夜ルといふ扁に鳥だと笏てかき

妖怪のうちでも鵺は細工過ぎ

取り集めものを頼政射て落し

射落すと十二支四疋いどみ合ひ

射落して虎だ〱と源三位

猿の早太猿だ〱とひつつるし

鵺の屁にくちなは毎度当惑し

猪の早太しつぽて肩を食つかれ

猪の早太鵺にへのこをすでの事

猪の早太歯をむき出しておどされる

尾にやにをなめさせろよと源三位

早太是尻の天窓をよく潰せ

猪早太尻屁の先をぶつつぶし

死んでいるはな見なさいと猪早太

かつがせて参ふといふいのはや太

猪早太さアきやツとでもいつて見ろ

猪の早太どうは馬氈にしやうといひ

もうどうもええしませぬと早太いひ

源三位めすかをすかに気が付かず

猪の早太をすかめすかとおつかへし

鳴く聲が似田たとは鵺でないと見え

鳴き聲は鵺本名はむじ知れず

きやつ〱と鳴いたが鵺は本の事

今朝見れば四五ヶ所鵺にひつかかれ

あくら朝もう鵺の絵図鵺の絵図

頼政はいい見世物を射て落し

此の変化四條へ出せと上達部

かるわさの座元てはたく源三位

早太おもへらく四條へ出したらば

猪の早太さまと尋ねて山師来る

猪の早太さまの御長屋山師きき

猪の早太見世物師から札を取り

鵺の絵図売りに来たのは角をつけ

猿虎に合せて蛇の役不足

鵺落て跡君が代のほととぎす

いるに任せてとは歌も矢つぎばや

夜の鳥時の鳥とで名を上げる

頼政はありがたやまの時鳥

いつ迄もないたは鵺のいとこなり

源三位首たけはまる歌をよみ

下されながら先づ引きぞ煩はせ

のつぴきならぬ名歌で官女へり

五月雨の歌であやめをひつこぬき

五月雨に水気たつふりのを給ひ

頼政は水沢山な歌を詠み

頼政は五月七月うろ覚え

頼政へ時節のものを下される

和らかにどれが菖蒲と源三位

何れとは少し菖蒲の不足なり

あのときは気がもめたよとあやめいひ

あの時はまごついたろと菖蒲いひ

嬉しさは菖蒲白歯の殿を持ち

白歯の殿御さと菖蒲羨まれ

頼政に添ふてはいらぬ緋の袴

頼政のはした其日に名を変る

文道で三位武道で女房なり

源三位ありがた山のほととぎす

知れぬものあやめおいれのわるい人

きつい事あやめのだいで一首よみ

おれがかかあを来て見ろと源三位

六十二字でもうけたは源三位

頼政は娵の五器までひろいこみ

御褒美に生き物の出る紫宸殿

鵺の跡美人天井より落ちる

大床の前へ結ぶの鵺が落ち

鵺も女房も雲井から落る也

頼政に駕籠は無きやと御たづね

鵺を射た戻りに駕籠を二挺かり

よい鵺をなどと頼政毒づかれ

鵺とまあどう一つにと菖蒲いひ

其当座あやめは鵺にうなされる

地下に成るなぞとあやめは毒づかれ

びやく衣ではあるきにくひと菖蒲いひ

蟇目から恋目になつた源三位

ぬえを射た労れにかづけ宵から寝

鵺を射てつかれたなどと宵から寝

殿様は鵺からは後の御朝寝

其当座朝寝の前となぶられる

かくへつの鵺と頼政せうびされ

頼政は団子の歌でよめを取り

頼政は夜ミせの中へ一首よみ

頼政にならべて置てわづらはせ

頼政の二の矢あやめの前に立ち

並べて置て頼政にわづらはせ

ぬえを射たあとで菖蒲を又射とめ

鵺を射るまではあやめも知らぬ闇

夜の鳥とつて夜伽をもらひけり

読んだのも射たのも同じ夜の鳥

鵺の雲逃げてくあとに時鳥

未前再びなひ物を頼政は射

鵺を射た此みづ〱とした男

典薬頭より政をあぢに云ひ

我花に菖蒲給はる和歌の値

和歌の値とは頼政がいひはじめ

頼政は見立早太は素見也

早太にはなんにもやらぬむこい事

早太には花しやうぶでも給はらず

下婢(はした)でもくれそうなものと早太いひ

真菰でもいいとすねてる猪の早太

猪早太ふせうぶせうに目出たがり

婚礼に佛頂面な猪早太

燃立し蚊遣に団扇猪早太

寅巳申四つめにあたる猪早太

旦那さますぎねばいいと猪早太

鵺の後ゆくへの知れぬ猪早太

ぬえ切りでおけばよいのに哀也

鵺ぎりで雷上動の沙汰もなし

 

此他頼政の事蹟及び高倉宮以仁王の御謀判のことに関し咏まれたる柳句を次に収録して参考とす

源三位あくせく二合程拾ひ

頼政は三文ほどが拾ひため

頼政の三位はほんのひろひもの

歌で昇進全くの拾ひもの

我カ国の梅より椎はしやれたもの

咏むたびに頼政とかく徳をつけ

もう一首ねだると二位になる所

恨みつぽい歌斗り咏む源三位

ひろい物とは頼政が官位也

古来稀なる頼政の謀判なり

いい年でわる智恵をかう源三位

あたまを丸めて頼政入らぬなり

首尾よく行くと源二位になる所

もと馬の出入からさと茶師話し

ていのいい馬泥棒と源三位

仲綱は傘屋の餓鬼に馬鹿にされ

馬ぐらい遣つたがいいと菖蒲云ひ

来るも〱坊さまだと菖蒲いひ

又公家か又坊主かとあやめいひ

竿先になつてと菖蒲たつてとめ

鵺時分まではる悪る気のない男

源三位鵺と謀判は雲と川

夕すずになると頼政勧めに来

源三位毎夜そくらをういにくる

蚊を追ツておすすめ申源三位

高倉を夜更て通る源三位

夜な〱入道の出る高倉道

高倉へそくらをかいに毎夜来る

あせ水に成てより政すすめこみ

源三位大きな智恵をつけ申し

智恵の無イ所に源三位ちへを付

国に杖ついで頼政思ひたち

助言して頼政王を動かせる

木に餅のなるやうにいふ源三位

つい亡びますとすすめる源三位

頼政は素人好きのする謀判

はやいがおとくと頼政すすめてる

ええかんにすすめなさいとあやめいい

信連を先こなづける源三位

信連と万事掛け合ふ源三位

お立ちだと長兵衛早太揺り起し

長兵衛毎夜お世話と早太いひ

長さん碁でも打ふかと早太云ひ

あやめさまへもよろしくと長びやう衛

高倉の迎ひ総嫁をそうて〱

鵺を射た手際に宮はふわと乗り

秘すぐし〱と源三位に御意

あやめにも能ふと宮様暇乞

頼政が毎夜通ふと禿告げ

高倉へ隠居が来ると禿告げ

高倉通ひを禿いつ付ける

御謀判も夏仕込だけもたぬなり

明き御所ののぶといつらで残つてる

石をたかせてものふつらしらん顔

のぶといつらで宮様の跡に居る

蟲干ついでに頼政すぐに着る

たたき集め源三位三百なり

上ミづつてしそこなつたは源三位

あきとのははむきがいいと源三位

馬くづしをうちそこなつた源三位

上州ものの仕業だと源三位

源三位まへ切はつて仕舞也

頼政は前きよげんをしてしまひ

扨よくしやべるやうだと源三位

傘張りの息子と馬の面へ貼り

馬の面傘屋と既に書く所

兜を脱ぐと宮方は坊主なり

高倉は落馬しそうな御名なり

高倉の宮さればこそ御落馬

六度目は茶の木の上へ落つこちる

御落馬を忙しい場で数へてる

蝉折を宮六度まで開けて見る

もう一度落馬なさるとかつ所

口とりに身にしみおれと源三位

頼政に口取六度しかられる

高倉の宮だと馬場でなぶられる

橋板は平等院へかつぎ込み

高倉は御いとしなげにたきこまれ

どつとほめたりと一來法師いひ

ぬえが出ますぞと二位どのたたき付

一徃一来橋げたを飛あるき

いとまでも出たか宇治川早太いず

宇治橋の下にひるてん張つている

宇治の網代にかかつてる木の葉武者

川越しの指南忠綱仕り

忠綱が来てばた〱と埒があき

宇治川はたのみに思ふ川でなし

源三位入歯をかんで口惜しがり

残念と腹切る場所を埋木の

軽業の次に扇の芝へ乗り

源三位窮屈さうな腹を切り

無駄骨を打つて扇の芝となり

打死が奈良だと芝の団扇也

平等院毛受けのやうな古跡なり

頼政は地紙の形りに死んで居る

頼政が死ぬと假橋願ふなり

頼政の謀判茶の木をらりにする

椎の實で栄え茶の木で終るなり

短命は松椎の木はながらへる

知れぬものあやめおいれのわるい人

頼政の後家が通ると茶摘いひ

ひんの能いばばア扇子の芝でなき

寺宮を入れて負けたは源三位

ほたるさへまけて平等院へにげ

宇治川は三人めから名が知れず

 

碑文谷法華寺仁王尊此頃より参詣群集し十年以上も流行せりと云ふ

 

曲亭馬琴初て洒落本「猫謝羅子」を著す

此頃より袋入本の表題藍摺なりしもの茶色となる。当時喜三二奉町金交万象亭三和通笑を戯作六家選と称し其の著作殊に行はれたり

 

四方山人の通詩選諺解(一名狂詩諺解)獨楽山人の狂詩選顚鰲道人の黒珂稿梓行せらる

 

絵本ことしの花(露月)

吏登句集(三鴼)

發句小鑑(蓼太)

俳諧ひつじ藁

俳諧一茶百話(其水)

乞食袋(重厚)

 

 

 

 

 

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