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一七五八年      

宝暦八戊寅年 四十一歳

 

松平樂翁生

屋代弘賢生

小河原雨塘生

藤森素檗生

千代春道生

徳本上人生

 

正月二十五日大場寥和(一世)没年八十三、一説に宝暦九年没、咫尺齋、萬里亭、茶酒隣、規矩庵、初青夢と号す

二月九日亀田窮樂没年八十三

三月三日原田平入宗貞没七十一、石州流の茶人

四月二十七日皐月有佐没、露庵と号す、江戸の人

五月二十六日(或云六月一日)連歌師里村昌廸没年五十五

六月十七日中井秋瓦庵没年六十六

八月十七日石正猗筑波山人没年五十一

九月五日(或云二十五日)柳澤淇園没年五十三

九月二十四日元祖市川団十郎の息二代目団十郎没年七十一、才牛齋、初三升又柏莚と号す

十月湯川東軒没年八十一

十一月十一日林信充没年七十八

内田沾山(一世)没、玉桂坊、行輈軒、桂二房、初民丁と号す

九月田沼意次一萬石の諸候となる

九月金森式部少輔失政に因て其の領地を収公せらる、老中・若年寄・勘定奉行等連座所罰あり

金森様の有ル武鑑庄屋かひ

竹内式部捕へられて追放せらる、此の事に因り京都にて公家以下十七人罰を得たり

享保の頃は江戸中に屋形船百艘有りけるよし、菊岡沾涼が初板の江戸砂子に見へたるが、宝暦七八年ころは吉野丸(一番の大屋形也)・兵庫丸・夷丸・大福丸・川一丸など大屋形船にして総て六七十艘もありけり、然るに屋形船は逐年衰へて家根船(本名日よけ船)猪牙舟多くなり、文化の頃には猪牙舟七百艘も有りしと云ふ(明和八年の條下参看)

屋形船小べりでさすと寒く成り

吉野丸小べりてさすと寒くなり

吉野丸どたり〱と堀へつき

吉野丸出る度に のつく乗り人

吉野丸つもりの内へ入て置

吉野勢しづか玉屋へ大一座

おとり子の書ぬきの出る吉野丸

堀のじやま吉野一そうのりはなし

川口へ吉野ののぼるさむい事

千住川吉野の通るさむい事

落ぶれた姿は冬の吉野也

ゆふ〱と木の葉の中を吉野行

堀へ行ふ〱とよしの丸

ほととぎす吉野を青く鳴て行

大門に屋形一そううたつて居る

ぬけがらの屋形船の有る鳥居下

あやせを通る屋形船にとうのいも

あやかしがついて屋形船堀へこぎ

屋形から猪牙へ移ってつむの也

屋形から猪牙へ夜路のはしけもの

屋根船を追ひぬいてもふ松浦潟

二ケ國へ一艘うかむ吉野丸

猪牙で小便千両も捨てたやつ

猪牙のへどそら色かがをらりにする

猪牙のふみへんぽんとしてよんで行

猪牙のはなづらに一そくやわたぐろ

猪牙舟へとつくり入レるやかたもの

猪牙舟にたいこと見えてかしこまり

猪牙舟にのられぬ程のもん日なり

猪牙の跡都鳥迄ゆれて居る

猪牙舟の音ばかりする雪の川

猪牙の足元からにげる都鳥

猪牙が帰るに石舟は一つとこ

猪牙舟も小馬鹿にならぬ荷をこなし

猪牙に酔ふとは天命につきたやつ

猪牙の客四ツ手へ引ケる其当座

猪牙のあやうし山ン神のたたり也

猪牙舟はだんないものと江戸馴れる

猪牙舟を案じるやうに罷り成

猪牙で風めすなは美しい悋気

猪牙のかしぶく内はまだ青いなり

猪牙の恵をきめぬいて乗る浅黄裏也

御ゆるしと猪牙から其早さ

いち時に立て猪牙舟しかられる

おぞうさんていらに居なと猪牙を出し

もう一歩猪牙の板ごをはねてみる

手をついて猪牙にのつてる恥かしさ

やぼなのを猪牙へそ引くのらんがしさ

いてら気をまくつて猪牙へかしこまり

そらいろで猪牙へのるのは出来心

たのもしい奴猪牙舟へかぢりつき

母猪牙をあがつて三つ四つよろけ

よし原がたんぼへ引て猪牙はでき

見ともなさ猪牙で二三度ぶちかへり

そうせん寺迄かへと猪牙大義そう

まつち山今では猪牙の目あて也

くりかへし猪牙半分はふみに成り

さがやろをひよいとほうツて猪牙へのり

跡を見ぬ人の乗るゆへ猪牙といふ

国にない舟を店者あぶながり

玉にきず籠宿を出て猪牙に乗り

ふだらくの岸打浪を猪牙走り

是から日本の地だと猪牙を出る

きつい事猪牙が一艘のけて有り

取楫だべらぼうめがと猪牙ゆれる

役人のほねツぽいのは猪牙へ乗せ

二つ三つふつて火縄を猪牙へ入れ

諷ひ講猪牙へ乗るのは下モがかり

白日としらずや猪牙に目をこすり

おびえずにと能いに猪牙舟乗ならい

火をとぼす頃大川へ猪牙をまき

御せわさんながらと猪牙へ文をなげ

せめて一こしはと猪牙へやぼな事

夕暮の猪牙はじしやくのことく也

家からが猪牙へのるとは知らぬ親

大汐の猪牙大道へへさき来る

松水上にうかんでは猪牙はしり

目にたつた物猪牙舟の女なり

ふ惜身命猪牙にて海をこえ

三谷猪牙がほつきりと折レたやう

せがきから帰ツて母は猪牙をとめ

いいよふにつといい〱猪牙へ乗り

船頭が水をえぐると猪牙かける

大汐に松をかすつて猪牙通り

木下川の猪牙は女房の願ほどき

解脱上人が猪牙からちつと見へ

しよく通た年忘れたと猪牙へ乗り

大川を猪に乗つてく面白さ

ざんぶ〱とおよがせる所へ猪牙

直が出来て四五丁歩く土手の猪牙

ここははしぢか先ツ〱と猪牙へのり

風引かぬやうにめしませ猪牙とやら

船中の小便功者二人立ち

戻る猪牙だるまもあればねじやか有

舟ぎらひ一人は川のふちを行き

戻る猪牙船頭ひとりさおはよし

帰る猪牙女房の為の謀コト

帰る猪牙赤とんぼうと行違ひ

戻る猪意馬酒手を出して聟は乗

ぶら病ひ猪牙に乗せるは荒治療

品川へ猪牙は血気の矛で乗り

立たぬ約束で生酔猪牙へ乗せ

ひらり乗る猪牙は元と手の入たやつ

草履取ふせう〱に猪牙に乗り

振舞に行くのは猪牙にかしこまり

鞠がくづれて猪牙舟と変ります

一トさかり猪牙にて海を渡すなり

銀きせる四五間猪牙を漕ぎ戻し

江戸ツ子の生れそこない猪牙に酔ひ

取れぬ掛け猪牙を一艘棒にふり

都鳥つツかけきしに猪牙は行き

行き違ふ猪牙になれたる都鳥

とんぼうも猪牙も南へ尻を向け

舟までもほつそりしたが息子すき

くらつかあ〱ついほりへつき

その舟はどうするのだと矢のごとし

ものどもつづけと上下ひらりのり

一ト人のる舟はあんの外を行き

早い事ざんじに渡し二つぬけ

ちよツきり一寸した舟へむすこのり

とぶやうな舟であらふと問落し

ほのぼのと人丸堂を矢の如し

早い舟鳥居より先キ用はなし

筏乗り猪牙の行衛を見失ひ

約束の猪牙に目のまふ草履取

御亭主が猪牙で女房があたり丸

舟の両ぶちをとらまへる早いこと

手軽い舟で日本の地へ渡り

帰る猪牙寝釈迦もあれば達磨あり

ものどもつづけと上下ひらりのり

人丸のめうじへさほを持て来る

布団かひこんで弓ン手に火縄箱

堀までのつもりに火縄切て置き

聖天の横をそつぽうへ漕て行

四位と太夫の間を行面白さ

椎の木を木立矢を射るやうに漕

椎の木を飛越すやうに猪牙は行

椎の木を曽我ではうらみ猪牙でほめ

椎が本秋は御法の船も見え

さぞ椎の実がならうとは野暮な猪牙

一ト廻りほと猪牙からも見えるなり

おもしろや猪牙にて松浦潟を行き

名木を越すとおだんの下につき

吸ひ付ける内に柳が松になり

柳から椎茸そして様なり

松へ首椎へ首出す屋形船

猪牙でよむ文のぞくは松ばかり

柏餅椎と松との間を漕き

布團から首松へ出し椎へ出し

船頭は変哲もない松と椎

十ウ斗り水をこじると松になり

川へのめり落さうねが名木

椎と松見て行きながら遣ふなり

猪牙舟へこりやあどこへと枝が出る

猪牙に乗りたさうに松そなれてる

馴松の下いのしし走る也

厚い事出だつた松の方を漕き

面白し明き手の方に松が見え

余の船で見ればやつぱり唯の松

陸かで見ては三文にもならない木

首尾の松あたり息子はゆすぶられ

飾の木だとお目ざはりだに首尾がよし

首尾の松あれば不首尾の柳あり

首尾の松たび〱見たで不首尾なり

十返りも見ると不首尾の松となり

駒は止めたが猪牙舟は止まらねへ

あの松こそと出た石にけつまづき

駒は止め船は駆せ行く椎がもと

四位と太夫の間を行く面白さ

当時全盛を極めたる吉原通いの船宿(両国橋・柳橋・山谷堀)のことを詠める柳句を爰に収録す

柳橋如渡得船と乗って出る

柳橋人をなびかす所なり

柳橋出ると一と棹ぐいとやり

柳橋出て十分に艪を使ひ

柳橋どらや太鼓を積で出し

柳橋布団を川へほふりこみ

柳橋乗り出してから封を切り

柳橋出たおぞうめに百たおれ

柳橋鞠のくづれの二艘なり

柳橋弓やなぐひをかへすなり

柳橋切つて放せば矢のめし

編笠を笑顔でかぶる柳橋

君は船臣は帰れと柳橋

香車先突くやうに出す柳橋

愛恋に客を突出す柳橋

上汐で御仕合せだと柳橋

一葉づつ岸をはなれる柳橋

封じ文川へなげ込む柳橋

五ツ目へいくらはけちな柳橋

舟どもやいとよろける柳橋

もてるはず靡く橋から乗て行

柳から乗るとはどうか靡やう

消息で船宿猪牙をまねぐ也

船宿の女房深みへついと突き

船宿は沖へ〱とかぢを取り

船宿の女房たたせん置て逢ひ

船宿に左伝四五冊とんだ事

船宿は二度ほどしんを切て行

お見限りなでて船宿艪をおろし

米ざしは船宿にでも置けばよい

御宿から文と船宿にが笑ひ

船宿へ内の律儀をぬいで置

船宿へ上下ぬくが他人なり

船宿へ上下をぬぐ大一座

船宿に禿蛍を拝むなり

船宿の訴訟で禿蔵を出る

船宿の腰張見れば無心文

船宿にある内夜具へ人だかり

船宿は持佛へ文をあげて置

船宿の拍子木にうつ春じ文

船宿で化けやれと師ののたまはく

船宿へ来て狼も医者に化け

船宿にあるのがほんのから衣

もてぬやつ船宿へ来てわりをくひ

ふられたを船宿なだめ〱来る

不機嫌な客船宿の戸を叩き

うらの客船宿の前行き過る

一と握りあるを船宿ことづかり

吉原が田圃へ引けて猪牙が出来

山谷通ひといふ頃は馬で来る

大一座先陣既に堀へつき

せんこうやうに吉野は堀へつき

入王のやうに吉野は堀へつけ

けつちやくもせぬに船頭堀へつけ

施餓鬼船事をかしくも堀へつけ

銀きせるにて下知をして堀へつけ

猪牙を呑むやうに吉野を堀へつけ

口端の味噌を拭き〱堀へつけ

女房を吉野へ捨てて堀へつけ

是からははめだと藝子堀でいひ

屋根ぶから剃毛先いぢり〱出る

きつい込みやうちよこ〱と艪を使ひ

堀へ曲るとちよこ〱と艪を使ひ

堀の茶は味も覚えずのみ残し

下り葉で堀を出て来る屋形船

遅い猪牙堀に幇間が二三人

料理人堀に居る内鳴うして見

山谷堀船で子の泣く十三日

帰る船山谷の河岸へ入歯をし

串戯に堀の持佛りんを打ち

縄がなくなつて妓櫻で吸付る

六つ七つ漕いで何屋でござります

山谷舟一寸さわるとあの世也

へうたん屋山から里へ漕いででる

ぎうに手をとられてびつこ舟にのり

目うつりがして船宿を寒がらせ

堀の茶は味も覚えず飲残し

お宿から文と船宿にがわらひ

引つぱづれはづれて堀の女房也

それもさうだと上下をぬぐやつさ

上下をぬぐと無情も恋になり

船宿でむす子立派に衣モかへ

蒲団をほふるが堀の女房上手

舟やどの女房かしりを二寸ぬひ

舟がついて候ウとぶら持って来る

十二月二十五日馬場文耕時の政事を誹謗せし咎に座し斬罪に処せらる。蜀山人の「金曾木」に曰く、馬文耕うねの原にて講話せし時、平がなもりの雫といふ本を取にいたして召捕れしなり、宝暦八年戊寅金森騒動の一件いまた さる内に、私に栽評して書物に作りしなりと云ふ世上に一本も見へす森の雫といふ写本有り、石微田神主の訴訟金森一件の栽許を書しものなり、是は馬文耕か作にはあらさるべし、間宮氏よりかりて写さんとせしをはからず神田明神下の書肆にて求め得たりき

 

燕都枝折二編(紀逸)・夜の花(瓢水、蘭州)・俳諧三部集(心祇)・連歌安心集(重清)・盲百員(心祇)

 

 

一七五九年      

宝暦九己卯年 四十二歳

七月閏

 

正月三日葛飾北斎生

紀定丸生

猪飼敬所生

乾坤坊良齋生

小枝繁生

大黒庵奇淵生

瀧澤羅文生

 

二月十三日橋本鱸船没年五十一

二月十七日岩本乾十没年八十、浅草誓願寺(或云浅草寺内人丸社前)に葬る、通称仁左衛門、名は子英満足軒、千歳兒、初呉丈と号す、沾州門、江戸の人、戯文に達す又河東節の曲を作り竹婦人と号す、新吉原妓楼天満屋の主人たり、

辞世

雪解けや八十年のつくりもの

六月二十一日服部南郭没年七十六

閏七月十三日石川麟州没年五十三

十月十九日元祖市川八百蔵定花没年三十

十一月二十六日三代目岩井半四郎梅我没

 

九月平賀源内湯島に物産会を開く

十月虚無僧の深編笠に付次の令達を出さる

総州小金一月寺武州青梅鈴法寺門弟共相用候深編笠在々にて売買仕候ものともは来番寺又は國々其最寄にて右派末の寺院より印鑑請取買合命 持参不致候はば虚無僧并商人たりともかたく売不申様可旨御料は代官私領は領主地頭より可被申渡候

傘と草履の入らぬ一月寺

たが来たかぞうりの見える一月寺

一と器量ある使者の来る一月寺

名はぼろでなりは立派な一月寺

間男の方が多イと一月寺

あのあばたではもつともと一月寺

一月寺小僧尺七程はふき

一チ月斗り稽古して寺を出る

一文は取りさうもない形りで吹き

当世はぼろ〱といふ形でなし

天蓋をぶる〱として吹きはじめ

じたらくな形でと小僧武をはげみ

いんきんに言って尺八ほどこさず

新世帯門トに虚無僧手を尽し

菜飯屋の前で尺八仕舞ふなり

墓所からこむ僧の出るすばらしさ

天蓋を笛でつつぱる町はづれ

虚無僧の見習ひに出るおもしろさ

虚無僧は貰はいでもの次めなり

虚無僧の碪にかける急な用

虚無僧の甲斐〱しさは麥も取り

挽割を貰ふ虚無僧わらじ也

つかむのを見ると隣りへ吹て行

編笠でさつばつな音を吹き歩き

口惜しさ似た顔も見ず吹き歩き

廻り逢ふ日迄は顔のうつとしさ

めぐり逢ふ迄は手の内受ける也

穴へ指あてて敵を討ちに出る

居る所を見たのが笛の吹き納め

内證もぼろ〱になる口惜しさ

御無用を気味わるくいふ敵持

御無用の聲が敵にそのまんま

先ンの亭主に御無用と運のつき

虚無僧の親は弓箭筋と見え

虚無僧は真綿に針を包んでる

虚無僧と乞食に油断せぬ男

虚無僧の親修羅道へ落ちて居る

虚無僧の出て来る大さわぎ

こも僧は皆坊主だとじやうを張

こも僧に出ぬ日は乳をもらふ也

こも僧に出るまへ曽我の宿へ行

こもそうは能く似た顔で二日来る

こも僧も木綿は貰ふ気で歩行

虚無僧の顔伊勢染に目が當り

こも僧のおし合ているくどいふみ

虚無僧はまいらせ候ではかどらず

てんがいを笛でつつぱるほととぎす

てんがいでよごれた顔をかくす也

てんがいをふつてなく子をだます也

てんがいを取ルとふられる男ぶり

むねんの涙天蓋で隠す也

口惜しくない虚無僧は立派なり

口おしくない虚無僧の面白さ

ふけ禅師とは尺八をすすめる名

尺八は衣装の能いがいつち下手

尺八も男もよいがきたない手

尺八でつツぱつて見る町はづれ

尺八を髭むくじやうな男かひ

尺八で五つたたいておつぱなし

尺八を日かげ町にて吹おさめ

惣領は尺八をふく顔に出来

さつばつの音の尺八で門トへ立

晝は尺八夜なべにはいやツとう

はなやかなこも僧娘などねらひ

普化禅師の末門に入てさがし

残念でないか立派な形て出る

寺の帰りに尺八を買に寄り

病人の手で尺八の稽古する

いんぎんにいつて尺八ほどこさず

なめしやの前で尺八仕廻ふ也

酢草であらひ尺八を下ケて出る

けんじゆつの間に竹のけいこなり

露切とひんをよくいふよだれふき

秋白隠禅師深川臨川寺に於いて講説あり、諸国の大衆都鄙の良賤日毎に群集し其の徳を仰ぐ

禅師は東海道の駅(駿河國駿東郡)の人、諱は慧鶴鵠林と号す、幼名を岩次郎と云ひ姓は杉山氏、貞享二年十二月二十五日を以て生れ明和五年十二月十一日八十四歳を以て伊豆の龍澤に示寂す、原驛の松陰寺は其の旧跡なり、後世日本禅宗中興の祖と称せられ、明和六年神機獨明禅師の證号を賜ひ明治十七年正宗國師と追證せらる。

盆石の自画自賛に

   盆石はいしやま寺へ参詣か

だん義僧すはると顔を十しがめ

談義僧一ト口のんでふたをする

談義僧のり地の時に目をふさぎ

すつと出て後ろを見せるだん義僧

ふせがねに蓋をして置くだん義僧

お談義のるすには堅に耳もなし

お談義をおむくな娘よく覚へ

御談義も聞きたし娵もいびりたし

談義場はしもげた男世話をやき

談義場を後家にくい程取廻し

談義場を後家は結ぶの佛にし

談義場は後生の種のきき所

談義場に野良の居るはそそり也

よめの物かりて談義でなぶられる

小便所談義で母へそうだんし

おにに引かれて御だんきへ娵は行キ

談義よりやの字を和尚解気也

じやうだんに談義などきく花戻り

夜だんぎを半座で母はつれてにげ

霊龍山四十四年の長談義

説法の場でさへ欲のすわり所

かたまりがよると説いてる御法談

御ほうだんすむと五つを打に出る

こんりへ手をあててせつ法とき仕廻ひ

せつきやうは梨子地の紙で泣て居る

高座からどつとわらはせなんまいだ

村だんぎ日のべえの木へはつて置き

村談義田原が死ぬと入りが落

せつぽうをはじめ百日芋をたち

おかしさはせつ法の内いもをたち

尻へ手をあてて説法ときしまひ

 

燕都枝折三編(紀逸)・俳諧近道(紀逸)・壬生山家(雨林)・温泉名所記(紀逸)・靱随筆(米仲)・名月抄(宗順)・場附むくの葉(亀毛)

 

 

一七六十年      

宝暦十庚辰年 四十三歳

四月朔日家重辞職大御所と称す、家冶十代将軍宣下

 

松浦静山生、肥前平戸藩主甲子夜話の著あり

八朶園寥松生

遠藤日人生

時太郎可候生

感知亭鬼武生

九月勝春朗生

保吉生

 

正月二十日津打冶兵衛英子没年七十八(或云八十余歳)狂言作家の名人なり

辞世

玉の緒のありたけ啌をかきつくし

         今ぞ冥途の道つくりなり

正月二十七日緒方蘭皐没年四十四

二月九日三橋檢校者没、筝曲師堂派

四月十六日前田青峨紫子庵没

四月二十六日英一蜂春窓翁没年六十四

六月二十四日小川笙船没

七月二十七日長坂平助黒肱没年二十四

八月二日溝口千谷没年六十五

九月十三日田川移竹没年五十一、烟舟亭初来川と号す、京都の人

辞世

たんたんの色も侍るぞ種ふくべ

九月十九日成嶋道筑鳳卿没年七十二

九月二十一日杉浦正齋没年五十

十月十六日生沼喜八蘭台没年四十六

十月十七日久野其律兀齋没年四十七、通称興四郎、號永日庵、家號橘屋、松尾流茶人狂歌は油煙齋門、尾州の人、

辞世

魂飛でいづれへさると尋ねたら

  おらも知らぬで事は済むなり

十一月九日渡辺孝泰弘堂没年七十二

十一月十日稲葉迂齋正義没年七十七

十一月十一日市野三右衛門光業没年三十五

十二月二十八日桃井仲良東園没年七十四

 

二月四日赤坂失火品川まで燃える、同月六日神田失火深川洲崎まで燃える、四五十年来稀有の大火なりと

三浦樗良近江に遊ぶ

婦女の衣類に丁子色流行す

 

燕都枝折四編(紀逸)・黄昏日記(紀逸)・風俗陀羅尼(尺龍)

 

 

一七六十一年      

宝暦十一辛巳年 四十四歳

六月十二日家重薨年五十一、惇信と謚し増上寺に葬る、正一位太政大臣を贈らる

 

成田蒼虬生

浅井寥和(三世)生

北尾政美生

並木五瓶生

七月朔日酒井抱一生

八月十五日山東京伝生

 

五月八日俳諧武玉川の選者慶紀逸没年六十八、谷中龍泉寺に葬る、墳墓は無縁撤去の為所在不明なり、自生庵、倚柱子、四時庵、竹尊者、番流の號あり、祇空門後鼠肝湖十の方券にして高名の俳人也、大病の折から辞世の狂歌して逆修に彫其墓

此としではじめて御目にかかるとは

    弥陀に向て申譯なし

されども此病平癒して後又も健なりしがここに至りて没す

六月二日細井之水没年七十三

六月十三日子河仲栗没年五十

六月二十七日片山寸長没年四十九

六月彫金工大津尋甫没年四十二

七月四日藤川逸風没年六十四

七月十四日天満屋宗全没年八十四

九月三日中村蘭林没年六十五

九月二十四日彫金工杉浦乘意没年六十一

十一月二十五日藤井晋流没年八十二

十一月二十七日井上通照没年五十七

十二月二日松木淡々没年八十八、半時庵、勃宰翁、呂園、曲淵、渭北、三楊、百川等の號あり、其角門、大坂の人、點印に青肉を用ふるは此翁の檢輿たり、辞世

朝霧や杖で画きし富士の山

十二月五日彫金工稲川直克没

 

紀逸の俳諧武玉川大いに行はる、冬至梅宝暦評判記巻四云、紀逸俳諧のそれしや山の手の大だてもの此度まぎらかし右衛門と成寄詠を平川天神へ捧る處おかし二番目家の重寶武玉川をいくらも出し又其句を點にする所の実悪大當り今での繁昌と申次に眉斧日録といふ適役湖十殿をとつてしめそろそろと味方を集め金をためる處大出来何にもせよ武玉川の売よく身上を仕上しまで仕内はねました宗匠の随一随一と以て当時の想見すべし

能く知つて居ながらはまる武玉川

旦那の練った膏薬と呼び市中に行商する者あり

芝三田の茶汲女に阿松と云ふ者あり、薼塚の辺に居たりし故芥溜お松とも異名あり、和歌を詠すとて名高し

塵塚のちりにまじはる松蟲の

   聲はすずしき物としらすや

勅には稀な塵塚此翼塚

お半長右衛門桂川の渡船にて殺害せらる世に桂川の情死と誤り伝ふ、近松東南桂川連理柵と云ふ浄瑠璃本を作る

お半長右衛門のことを詠める川柳は次の如く俗説の情死に関する例句のみなり

お半長右衛門ばくちのやうな色

道行でいつち大義は長右衛門

しよはずともおろせばいいに長右衛門

抱いた子をおぶつて逃げる桂川

其侭に月も流れる桂川

桂川より品のいい芥川

恋の重荷は芥川桂川

長さンやまた背負ツてと三途川

正月大坂天王寺に芭蕉の碑を建つ

 

七部搜(蓼太)・夏引集(桃鏡)・御傘難問(壽来)

 

 

一七六十二年      

宝暦十二壬午年 四十五歳

四月閏、九月天皇崩、同二十七日後櫻町天皇踐柞

 

高井蘭山生

館柳灣生

田川鳳朗生

勝川春英生

七珍八寶(福嶋仁左衛門)生

百花園菊塢生

倉田葛三生

島欄舟生

 

三月四日菅原飛良三居庵没年五十一

三月十七日石井蘭明没年六十六

三月二十日二代目今村七三郎狸鼓大坂に没す年四十九

三月二十三日元祖中嶋三甫右衛門重笠没年六十一

四月二十七日雲裡房没年六十六、有雅翁杉夫と号す、桑名の人

四月種豆庵星飯没、臥雲禅師の法弟となる

五月五日八代目市村羽左衛門何江没年六十六

五月十七日無腹没

五月十七日渉風没

八月五日二代目中嶋勘左衛門是少没年五十六

八月十三日山脇尚徳東洋没年五十八

八月十六日山下又太郎没

八月二十五日西川祏尹没年五十七、通称祏蔵、號得祏齋、祏信の男

十月三日船田耕山没年三十九

十月寺町三智没、幕府の表坊主、號新柳居、其の居處を換えること百度に及ぶ依て百庵と唱ふ、寛保元年十一月小普請入りと成り宝暦六年買閑の身と成るとてよめる歌

脱すててけふ夏衣かろき身の

かろきがうへに軽かれよとや

十一月十九日橘常樹没年七十五

十二月五日佐野川市松盛府没年四十一

十二月二十三日高井几圭没年七十四、几圭庵宗是と号す、几董の父、京都の人

 

江戸にてビイドロを製し始む

びいどろは心づかひのみやげなり

びいどろの中でおよぐをねこねらひ

びいどろの盃で下戸三つのみ

びいどろの盃わるとまどはせる

びいどろで二はいあをつて娵はひき

びいどろのかんざし村のはで娘

びいどろの逆に母は気あつかい

びいどろを逆さまにする化せうの間

びいどろをくれて息子は内にねる

疱瘡でびいどろかほんとうになり

わらすことちよびり〱と青くなり

夏合羽火事羽織始る

丸合羽おらんだの名はフルトキル

丸合羽袖打はらふせわもなし

丸合羽胸のあたりで伏拝み

赤合羽ぬれるよりはとむりに着せ

赤合羽あしのしろいでとつかまる

運のよさ赤合羽にて娑婆へ出る

いつしよけんめい傾城赤合羽

人参の白あへ雪の赤合羽

瘡寺の本地を聞ば赤合羽

俄雨合羽着たのは近所なり

後帯木綿合羽がむらにぬれ

十七屋木綿かっぱへ馬を入れ

笠合羽かんやう宮をかつぎ出し

合羽屋のから身でかけるつむじ風

合羽屋に血の池といふ姿あり

合羽屋と紺屋と寄って境論

合羽屋の看板火の見の雛形

五条坂合羽屋の子はうんがなし

合羽やへ馬かたが来りやさむく成り

借着の合羽ぶちころし尻を喰ひ

安合羽雪打はらふ袖がほい

きつい降り俗が坊主を着てあるき

合羽籠どろ〱〱とかしこまり

合羽籠さきがとまるとらんかしい

合羽籠部屋へは御用行かぬなり

納所来て椀をすす込合羽籠

脇差のぬけがらをさす合羽籠

合羽箱追付うちのやかましさ

合羽箱納豆を出スやすい寺

脇差に似たものをさす合羽箱

二三丁跡へつくばふ合羽箱

長崎より傳しと號し生年により灸治に忌む日を選びしとて一枚摺を売歩行

かんばんにいつはり灸すえの娘

子のきうはあくたい笑ひ〱すえ

あくたいに臍をかかへる灸見舞

子の灸をすえて四五日にくがられ

目をさまし丁稚もぐさを払のけ

物ぐさ太郎へ母灸をすえる

乳母の灸そばに泣人がついて居る

いきせいひつぱりふくろもぐさを下さい

大もぐさ下さいと継子来る

切りもぐさ大は大方売れ残り

切りもぐさ二度の節句にあぶれたの

豆いりを喰ひ〱跡の数を聞き

豆いりをかんだり顔をしかめたり

下女が灸ゆでそら豆を二合買ひ

冷めしのみいらを灸の時に出し

はたばりの無い気と灸をすえて遣り

二つ三つ灸をおとしてさとられる

百灸を落して高が四文なり

日ざんりをすえやれ人の目はまなこ

毎日々々灸をあしたにしよう

笑ひ止む迄灸てんを待て居る

灸すえた子を明け番のひざへのせ

二三人見物のあるごぜの灸

ごぜの灸あとで一毎のぞむぞへ

灸をむしなされますかとえりを打

皮切りは女に見せる顔でなし

皮切りがすむと浄瑠璃本を出し

一つ身をうしろで合すにきやかさ

またの灸あつくないのは哀れ也

もくねんとして肩の灸かきこわし

こしの灸入るほど明けて能くかくす

灸よりは男が娘おそなわり

関屋の巻を讀かけて灸をすえ

艾ついでに灸ぎやうに草双紙

ごほん〱で灸がすえにくい也

いやな沙汰妹に灸の火がまわり

妹はわつ〱といつて灸をすえ

妹の灸一ト所二タところ

娘の絵像で灸に大入りをとり

箱の中にて灸斗りすえて居る

灸の跡トなててめいとのものかたり

若い手をかりてむすめの灸をすえ

見世へ出る年迄ちれげすえてやり

ちりげとすじかひばかりを妹すえ

お内儀に灸をたのめば笑つて居

傾城の灸は錦にしがみつき

愛敬の出る迄灸をすえる也

くじ取りで遣手が灸をすえて遣り

灸すえる禿の顔を見にたかり

約束を遣手まで来て一火すえ

せうかちの点などおろすやり手ばば

せうかちの灸はときんの所へすえ

白状の日から娘の四火をやめ

よ火をすえやれとおんべい母がつぎ

せきがきたのでおつことす四火のきう

四所が火だに居ねむるむごい事

あきらめのわるい若後家四花の跡

ふり袖を着あきて四火の沙汰に成り

四火をすえ一ト火〱熱いかや

ふん切た事も知らせず四火をすえ

よもぎふの巻を見い〱四火をすえ

とをほへの四五けん先で四花をすえ

四火といふ沙汰を聞もしわたしやアね

ぬがせると腹を叩いて小僧逃げ

あつぱれな智恵で辻番灸をすえ

けんくわ半分で宿下り灸をすえ

けふ四百翌スは八百むごひ灸

一喧嘩すんで赤子に灸をすえ

娵の灸もう仕舞かの〱

又灸か久しいものと嫁はよみ

灸をあつがつて関取笑われる

御無心ながら細川爰でも灸

初手三火は振袖に似ぬけちな顔

灸の紙丸めてじやらす烏猫

碁会所へ灸がすんだと呼に来る

しやうばんに信濃もさんりすえて立ち

背中には滅多にすえぬ一人者

子曰クむしが通して切りもぐさ

安いてうぶく足跡へ灸をすえ

灸の背中を野馬䑓のやうに拭き

すい御らうじませあたたをすえた

三回目灸のあとなどいぢらせる

お前まあ昼間の灸を忘れてか

宿下り今度も灸をすえはぐり

藪入りを叱るを聞けば灸の事

春すえやせうと藪入舌を出し

又春といやるかと母墨を摺り

もつとりきみなと三升をすえてやり

切艾ほぐした売は獅子の衿

歌膝になつて三里へてんをつけ

十すえる内で九つあつくなし

味噌灸は卑怯な奴がすえ始め

四火すえるそばへ妹は抱いて来る

身上りも二月二日はおのが誉め

ふんぎつた事もしええず灸を据え

あい御ろうじませあたたをすえた

子曰むしが通て切もぐさ

長屋中笑ツていあtずら者へすへ

内中のにくまれものは灸上戸

すもの肌をあらはして下女は灸

灸てんを胡粉でおろす手長鵙

四斗リじや利くまいと親父云イ

病人へ半病人か四火をすえ

気にかけて母四ツ灸といい直し

愛敬の出る迄灸をすへる人

灸點に無筆よきなく筆を取

夜ル夜中かかとで灸をすりこわし

せめてもの孝と勅の灸をすえ

灸をすえるも孝行の一つ也

灸ですえ切るのはをしひ命也

新世帯灸を無にする出来心

せ中ぢゆ火を附させるしうと婆

とうにさういやれば能いと四火をやめ

倒れ者灸とはけちな気取也

夫婦仲能ひ女房に四火の跡

灸嫌切腹ほどの思ひなり

灸をしえ顔見て亭主思ひ出し

気のせいか菊之丞艾あつくなし

気のせいか瀬川艾はあつくなし

一つ身を前からきせる大さわぎ

浅間よりひろく燻るは伊吹やま

日蔭の豆のはじけたへ四火をすえ

悪方の出しそうな見世切もぐさ

あの菊を見やれと艾あふつてる

 

燕都枝折五編(紀逸遺選)・瀧の聲・初心抄(前句)・俳諧無門関(蓼太)

 

 

一七六十三年      

宝暦十三癸未年 四十六歳

後櫻町天皇十一月即位

 

小林一茶生

狩野素川彰信生

 

正月十九日篠田行休金溪陳人没年七十九、初関口金渓と云ひ後篠田と改め薙髪して行休と称す、大橋重政隆慶に書法を学び別に一流を成す篠田大橋流と云ふ、上毛の人なり

四月三日二代目花井才三郎桃朝没年六十二

六月二十一日狩野祐清英信没年七十三

七月十三日元祖中村助五郎魚樂没

七月十三日栗原桶川没年六十二

七月十六日柴山賣茶翁没年八十九(或云八十八)

八月十七日関海南没年五十九

九月二十三日文雄師寂年六十音韻学に通じ磨鏡の選者なり

十月六日奥村梨風芸暉堂没年五十余一説に宝暦十二年没

十月二十三日大口心祇没年五十七、玉皎洞、蕉六庵、靈白、初魚貫と号す、祇空門、江戸の人

十一月三日熊本自庵華岳没年三十九

十一月二十四日蘆萩庵鞭丸没年五十五

十二月二日鳥居清倍(二世)没年五十八

十二月二日菅沼文庵東郭没年七十四

十二月六日田中良齋存生齋没年八十二

十二月十日秋山玉山没年六十六

十二月二十三日二代目鶴屋南北魯風没年五十六

三上祇丞没、浮山外、菜舎と号す、超波門、江戸の人

六月萩野八重桐中州にて溺死す、風来山人八重桐溺死の噂を種に小説根なし艸を作る、此書稀有の大当たりにて三千余部売れたりとぞ

 

芭蕉翁七十回忌

好古輩古銭を玩ぶこと流行す

古銭買待せて鍵どこにある

替り銭やり手のこしに五六文

池の坊華道は宝暦以降江戸に播まる古流も宝暦明和の間に伝播せり

池の坊道はかどらぬ小松原

銀きせるくはへてむす子花を立ち

花生けのぶつかへる程女房たて

立花師の筍かんもるに見所有

最うあきたそうで花生ころんでる

見くるしさから花生かけて有

いけ花やまあどぶの坊くらひなり

どぶの坊ほどは花屋も生けるなり

かれ切た手で生花ハできている

山もりに女房は花をいけておき

真鍮の花瓶へ斗り松を立

手がかれているので花は生キて見え

梅のなげ入れ白むくで生けて置き

釣花生に手拭のざつな内

つかみ込みましたと亭主花のみそ

古は新吉原に編笠茶屋あり、遊客編笠をかりて大門に入る、編笠を借りるに銭百文を出して借り、帰路に之を返せば六十四文返せしが、此頃より編笠をかふらさる事となれり、是は原富五郎(御留守居与力にて後武太夫と改む)より始まるといふ

大一座あみ笠えんりよすべき事

としよりだそうであみ笠迄わらひ

編笠を禿二人でよ高にし

あみ笠でけつかふざして諷也

五十貫かしてあみ笠にもならず

あミ笠がからかさひらく下地也

あミ笠のぬかれぬかほへ一チのとみ

宝暦明和の頃お千代舟船饅頭といふ物貰ひコウぽちや〱のお千代と唄ひ市中を貰ひ歩行しとぞ

「只今お笑草」に曰くおちよ舟舟饅頭寛政の頃迄はありしといふ今は絶えてなし、同じ頃にてありける舟まんぢうてふものの真似なるべし三十余りの男いと麁味にて張立てたる笘舟今見る腰附馬の如くにして半身を出し舳の方にはこれもきたなげに拵へたるお福女の人形手拭を着せたるを立ておのれはともの方にやれ手拭かぶり船頭の如く艪をおすまねして「エ

エおちよ引よつていきねいなアコウぼちや

〱のおちよ引コウ雨がふるか風がふけばの永久橋の下へ付るはナアコウよつていきねへナアコウぽちや〱のおとよ引」と唄ひて町々を物貰ひあるきたる

非人出ませいの様な舟で売り

お千代舟沖迄こうは馴染なり

ふけいきな晩とおちよは河岸をかへ

たつ事のならぬを船であきなはせ

股火して寝る程おちよ買ひこなし

客のある間船頭股火をし

釘ぬきと饅頭つんで漕き出し

思ひ切つて飛びねへなと船の妓夫

浅妻に似たが三十二文なり

着せやすかなどと饅頭売つてくる

元船へ丸い女を売にくる

コウ息子さん寄つて行キなコウ〱

饅頭は蕎麦に八文高く売り

お千代舟苫をしき寝のかじ枕

平家ではボチヤ〱らしい舟を出し

たかの右にお花おちよハきつい事

船が下置で帆柱に疵がつき

帆はしらの立たをねかす船ひくに

ゆれやむと竿をかひこむ船のぎう

此頃より草雙紙の外題を画にし赤きものは半紙を半切し墨摺一遍とす毎春新板を叢兌す世俗之を青本と唱へり是より先観水堂丈阿なる者盛んに草叢紙を作り署名の下に戯作と書す後の作者皆之れに倣ふこととなれり

 

標雑談(秀億)・俳諧棚○かし(蓼太)・俳諧古選(嘯山)・花故事(闌更)

 

 

一七六十四年      

明和元甲申年 四十七歳

六月十三日改元  十二月閏

 

谷文晁生

十一月高橋作左衛門東岡生

十返舎一九生

歌川豊廣生

 

正月十九日関口金鷄没年七十九

二月十一日奥村正信没年七十九(名人忌辰録には明和五年戊子年没と有り

三月十七日依田貞鎮没年六十六 一説に万治元年とす

三月二十四日菅谷小善甘谷没年六十九

五月二日鈴木傳蔵(宗對高守の臣通辞役)朝鮮の使者を刺殺し大坂木津に於いて死罪に処せらる年三十

五月六日大口空翠没

六月十日福嶋松江没年五十一

六月二十四日市川團蔵市紅没年五十四

七月十一日矢野客齋没年六十七

七月十七日守再賀没年七十三 一口仙・春來軒・兀山の號あり 二世青峨門江戸の人也、俳人にして画を能くし多くの俳画川柳書に画を描く

八月二十六日多田東渓没年六十三

八月二十七日正木風状没年五十二

九月六日北村隆志没年七十 錦花堂信安齋と号す、狂歌狂句を能くす、辞世の句あり

身はほとけわれといふ日に暮にけり

九月十三日豊竹若太夫梁塵軒没年八十四 豊竹派の祖、享保十六年九月領受して豊竹越前少椽重恭と云う

九月二十一日伊藤澹悠哉没年七十一

十月十二日山中翠柳没年七十二

十月十三日木村臣石没年五十二

十月二十日山本京四郎可中没年五十四

十月二十二日初代富本豊前太夫豊洲没年四十九

十一月二十八日活井舊室没年七十二 初笠氏、活々坊、活々井、初鰐糞、岳雨と號す

十二月二日根本八右衛門武夷没年六十六

 

二月平賀源内火院市を製す、後エレキテルを製す

二月二十日神田新銀町失火一石橋より丸の内燃える

繁昌さ金と呉服で橋が出来

屁のやうな由来一石橋のなり

六月亀戸聖廟の傍に俳人太甲連歌舎を建てる

堀田麥水諸子と盟会して大いに正風を談す

 

俳諧橘中仙(祇徳)・夜半帖(蕪村)・紙魚日記(風律)

 

 

一七六十四年      

明和二乙酉年 四十八歳

 

五月誹風柳多留初編板行せられる、編者は呉陵軒可有、別號木綿なるものにして川柳評万句合(暦摺)中より前句を離れて句意の明らかなる秀句を抜粋したる柳書最古の選集也、板元は星運堂花屋久次郎

 

大田錦城生

 

二月七日中根東里没年七十二

三月七日深井志道軒没年八十四 浅草寺塔中金剛院に葬る、風来山人風流志道軒傳の著あり、又滋野瑞龍軒と云う舌耕あり、その頃志道軒瑞龍軒とて両名とも高名にてありしとぞ

名の高いへのこ書籍の上へ置き

      奥女中透見して居る志道軒

三月二十八日三谷因石没年六十七 松養軒初君李と號す、丈石又林石門、京都の人なり、辞世

名もかへず花の浄土へ宿ばいり

三月二十八日八木此通没年五十八

五月二十八日入江南溟没年八十八

六月二十三日和智東郊没年六十三 山縣周南門人関西の第一等と称す

六月二十五日仲岐陽没年四十五

七月八日四代目嵐三右衛門杉風没年二十六

七月十日竹本政太夫(二世)没年五十六

八月十六日二朱判吉兵衛没年八十余 道外の名人、俳名一其幣間に妙を得たる者なり、宝暦年中まで江戸名代の侠客は二朱判吉兵衛を始め百三十四人ありしと云う

吉兵衛のある評判記二朱で買ひ

九月十六日松下昌林没年六十一

九月十七日(或云七日)岡井嵰洲没

十月六日松嶋茂平治其定没年六十六 道化形の名人家號大黒屋

十二月十日青木宗鳳没年七十六

十二月二十八関恩恭没年六十九

冬待必庵信夫没 蓼太門

 

四月東照宮百五十年神忌

日光及び宇都宮吊天井に関する柳句を爰に収録す

御神忌で皆はらつづみ宇都宮

下野は日の山出羽は月の山

御祭礼四九で三十六里なり

書き替へて山に一つの荒もなし

御威勢は天狗降馬へ御制札

梅の外松に勅許の御宮号

玉くしげ二荒山に神の号

朱の御橋黒髪山に櫛のなり

朱塗のおはし日光の膳へつけ

有がたさ日光膳で三度喰

高まくらこれも日本細工なり

粗相な細工結構な土地で出来

唐辛迄紫衣を着る結構さ

七色をあつめて辛い唐がらし

ほりものの無イのは鳥居斗也

その右に出づる鑿なし甚五郎

甚五郎右の爪から取はじめ

日光の咄し女房は耳に見る

責め道具とは申すでもうまいもの

責る防ぐの中下に〱也

責られた客はうらみの瀧へ行

ありがたさうらみるものは瀧ばかり

瀧の裏までかくれなきお山也

裏見ても実に貴きは富士と瀧

鳥に慈悲瀧に裏ある御山也

天然と鳥も慈悲あるお山也

慈悲心鳥も知って住む日の御山

住む鳥も神慮に叶ふ慈悲の聲

杣の斧おもはずたゆむ慈悲の聲

天井を釣我家を潰される

重いこと一枚肩の忠義なり

棒組もなしに武勇の戻駕

石川流にかついでく戻り駕

されど八ひだり賞は賞罰は罰

太郎兵衛を相手にせぬは八左衛門

十二月盲人の金貸に暴利を貪る者あるを戒めらる

    (安永七年の條下参照)

座頭金たいこをくれるすまぬ事

座頭金十五夜月見ておどる

身代を杖に

目明よりにらむと座頭の坊はこはひ

座頭の坊悪るいおどりをおどらせる

座頭のむねをたちわると金が出る

檢校の掛物かねのかたに取り

藝のない座頭の口はつるぎなり

あつたかひ座頭は肩を杖につき

檢校のいふなりに書く口惜しさ

座頭の目以ての外にぬきにくし

えぐられるやうにざとうにはたられる

口のこをはねてけんぎやう金をかし

すまさない殿に逢はうと座頭くる

大なん所しゆもくの杖をかりてこし

ざらざらと出して座頭をだまらせる

あまくない口先かうりざとうなり

二十日過今が座頭のまなこ也

目はなひが耳はそろへてもつてくる

目のあかぬやつばら家にはたつてる

其の他座頭(按摩)及び瞽女に関する柳句を収載す

檢校の供は旦那が片荷づり

檢校の内儀はだめな美しさ

檢校の内儀間男そだち也

檢校はつかむ所をみせてつき

檢校の妻つれ立をせつながり

檢校のなりたちをいふ三味線屋

檢校の手柄は息子四五騎出来

檢校のめかけに顔を捨てに行

檢校のめかけ貌よりはだの事

檢校の落へ鋸捨ててにげ

檢校の女房からだにいもはなし

檢校の居間に一筋こけおどし

檢校在宿不成就日なり

檢校の娘以上へやる気なり

檢校の娘以下ならいやといひ

檢校の眼をぬく供の頬かぶり

檢校の庭は女房のさし図也

檢校は此糸さまのお客なり

檢校の物もふのない不成日

孝行で檢校へ行むごひ事

本くじは又檢校にしよしめられ

かぎをひねくつて檢校にじり寄り

こぜ間をしろと檢校づ横柄

狆を叱つて檢校を座にしやうし

何ふそく無いと檢校ほめられず

願ひある身だと勾当運がたれぬなり

以上なら百つけましやうと檢校

勾当は大きな物着星が出来

勾当はまだ気のすまぬ杖をつき

勾当は先ッの字の付ク出世也

目の一つが千両につくとんだ事

ゆび一本百両につくあんま也

ふかんなるやつは都にしやがんでる

江戸染一反価千金なり

同席の末席紫あたらしい

紫はきでん浅黄は身どもなり

千両出さずに着るのは殊勝なり

紫をならべて見るときやうがさめ

むらさきでしうとの見廻ふ御ふ勝手

吠るぞと檢校蔵をみせに遣り

千両は衣にしてもうらかなし

数千両出してしぶといものをかい

目かいは見えねど千両役者なり

一本の杖千両の道具なり

あづまから憎まれものを染て遣り

目の二つあるむこが来て無心なり

平家もかたらぬとびわはわかしもの

むらさきと男ならびにむだづかひ

むらさきをしめしめしやうが入ますぞ

御不勝手五色をもれたしうと入り

むらさきとかのこを仕切るあげや町

むらさきの中に出家が一やすみ

おとうとか来ると千両すてる所

間男をやみうちにする座頭のぼう

間がなと透がな檢校を召す

年迄あてる座頭おそろし

おらくじやといへばあたまをなて廻し

犬は目があるのにつえでぶちたがり

つみらしさ座頭の女房うわ気なり

どれお供しよふと座頭たれに行

紫をとの目で見るがやかましい

おかしさは座頭やみ目にしよつてくる

うみ出すと目のある子かと座頭聞き

糸をこきこき座頭の坊はなしや

見て居れば座頭明たがる目つき

座頭の坊せッつきながら年をとり

ねだりに来たよふに座頭大一座

たがじやもをつげたか座頭大おこり

かたづけといふと座頭は立て居る

千両のかけ手見きんで座頭さし

江戸者にぜひぜひ座頭成るつもり

立って居て座頭のぬれる俄雨

神と君とへむらさききて御礼也

狆がほえるぞと目めあきををこすなり

きついつみ座頭の内へ入りびたり

せみ丸をとつさまなどとよく見立

みりん酒を上てけんげう拝をなし

座頭のつめた跡たどん干場なり

せんとうのかくには座頭いかぬ也

よにごくぶきよふな笛は按摩也

ひどい事やりてと座頭同居なり

座頭の女房吸ふ度におッつける

人しらず生酔座頭目がすわり

大坂は座頭に用の無いところ

座頭の坊松をさぐつて一分やり

かわせ金わたして座頭旅へ立ち

年始申入ます爰にも座頭

親分は残念ながら杖をつき

流星の内に座頭はめしにする

御飛脚も久しいものと座頭云ひ

小座頭の三味線ぐるみ邪魔がられ

笑ふにも座頭の妻は向きを見て

座頭の坊せくと浅黄に目をひらき

座頭の坊おかしな金のかくし所

按摩とついびきをきくと手ぬきをし

座頭の坊しごく大事に芋をくひ

座頭の坊手綱を持てにぢて居る

座頭の坊何を聞いたかにこにこし

笑ふにも座頭の母は遠慮がち

土けむり中にまじまじ座頭の坊

此しゆくの太夫おしえるあんま取

はたらいて見んと座頭は罷立ち

そりやそりやと座頭にへどをまたがせる

げいの無い座頭は玄関から上り

うるしかき座頭に尻をつッつかれ

座頭の坊久しぶりじやと丸ぐられ

盃の二つ来て居る座頭の坊

待て居る座頭はゆびのあかをとり

一通り座頭に噺すすずちぶた

玄関番座頭に下駄をかりてはき

二つ三つならして座頭どぶをこし

玄関番座頭をのけて使者を上げ

御刀をよけたが座頭越度なり

座頭の坊やつぱりぬいた方へにげ

女にはいつそ目のある座頭の坊

座頭の坊木馬に乗せてみんま逃げ

よい様を書て来たかと座頭の坊

狆ころの四五寸上を座頭なで

座頭の坊どこにほれたか文をつけ

引ときで居のに座頭通ふ也

のみんしたななどと座頭をちよろまかし

くぐり出る座頭すだれにつき当り

座頭の坊おくの手は杖ふり廻し

紫もござに着せると只の色

三人で座頭のあたまそり仕廻ひ

旅あんまはちにさされるやうな針

長廊下座頭を一人ことづかり

ええかぶを目くらさがしにさがす也

ふけ米を座頭へ五俵おツ付る

大ような道さとあんまもんて居る

ゆさん船ごぜと座頭で安くみえ

御夜詰に御次へ座頭おして出る

座頭のばうからぼりをして立聞し

座頭のばうどられと一ツすけてやり

せわしなくつづいて座頭横に切れ

どこでどう書いたか座頭文をつけ

一疋の座頭江戸染着る気なり

下女ぶんといつても座頭きかぬ也

時も時ただの座頭も目立なり

名をいつて座頭にあふが久しぶり

むらさきはかぞへる程のかたわ也

むらさきのうん気座頭のやねに立ち

天命は座頭に二タ人おさへられ

紫の中間いまだにただのつえ

初に来た座頭のじぎの手の長さ

ゆびさして座頭におしへ笑はれる

檢校の妾ものごしのよい女

おめかけをそしり座頭でくちはてる

檢校と座頭のじきに人たかり

かぐはなは座頭みるめは松右衛門

檢校とびんぼうゆすりしてはなし

檢校もただつき合へば殊勝なり

檢校のかつを三だん切れてなし

座頭の坊またのありたけまたぐ也

お聞きそれ申しましたと座頭いひ

座頭さん又島かへとわたしもり

いッそこはがるに座頭の子ぼんのう

目あきだといいぶちものと玄関番

やく年の座頭はたるに過言せず

座頭の坊夢には見るが口をしさ

おやをさへおん出すやつと座頭いひ

按摩とる内ぴいぴいを袖にいれ

座頭の坊山ほととぎす初がつを

座頭の小便そられるだけそり

さかるからほえますと檢校の下女

檢校と人はともいへ取結び

仮親をしては檢校やる気なし

檢校になつて久しい腹がたち

檢校は玄関で斬られはぐつたの

糯米を檢校むしやりむしやりかみ

檢校を送って出づるはづかしさ

証文をとつて檢校垣のぞき

檢校と折ふし出合ふすれちがひ

能なしに檢校袴きせて出し

檢校の庭は女房の栄耀なり

檢校の年始はワキの姿なり

間者をたのみ檢校くやしがり

貧乏な聟を檢校もつている

紫で渡海大願成就なり

親の金出たは若紫を着る

あなとつて座頭の女房おさへられ

とし玉を座頭の枕元トへ置き

引越た座頭は探りくたびれる

かん声を座頭の遣ふげつはくさ

田楽を面白く喰ふ座頭の坊

かしこまる内は座頭のむごひ事

むつかしひものは座頭仲人なり

ただの状にぎつて座頭ふ義よばり

状を聞く座頭の顔の静なり

むらさきの先ツ目に見へぬ御物入り

歩と香車座頭の分は付木でし

千両はあんまの代と思召し

座頭の坊隣などへはそらで行

紫で都をすてる本望さ

きうな上京ええ肩につかみあて

檢校の息子はいつも軒にたち

仕合せな雨天に斗り下駄

丈にあまれるつえをつく小ざッとう

うろたへて座頭に評をかくす也

あの顔でなでられに行くおしい事

そがの代にいぢめた座頭うづめられ

座頭の坊火鉢のあとを叩いて居

なまなかに片目見えると無芸なり

丸薬を貰ふ座頭はちぢこまり

休めもうよしといあはれてつよくもみ

罪らしさ座頭の女房浮気也

横丁を座頭は風邪で合点し

笑ふにも座頭の妻は向きを見て

人間をつかんで喰ふは按摩なり

すいりようでつんぼ座頭も貰ひ泣

小便に座頭扇をえりへさし

紫は金のかかつたかたわなり

撫冥利尽て座頭に押へられ

水溜り座頭桂馬のやうに飛び

人なみに座頭の見るは夢ばかり

こりやどこへ御出と杖をとかまへる

一ト思案してけんぎやうの妻に成り

手や足を按摩よつ程引延し

座頭の坊金を取場で年も取り

どりや曽我へ行ふと座頭二三人

江戸町へけんぎやうもてる道理也

ひたひからはなをかんでる座頭の坊

紫の財布衣の切レで出来

新造に汗をかかせる座頭の坊

思案する座頭の顔は静也

仰山なものはめくらの衣かえ

座頭の坊そのくせ本がいつそ好キ

座頭の聲でものもうが有ますよ

玄関番座頭を二三服たをし

勾当の杖此上の片苦労

都になるとぼた餅を所々へ付ケ

いたずら大将座頭の杖をとり

都から江戸へ江戸へとこころざし

関取の後ロのぞけば按摩取

人の目をかりて座頭はをかしがり

節穴を座頭の見出すさむいこと

よつぽどなたわけ座頭につきあたり

檢校の衣を孔子悪ルくいひ

檢校の耳にあまつて隙を出し

なめくしをつかんで座頭こまつてる

もみ過て按摩出入を留められる

もみ所がわるひで内儀恥しめる

目を明キなさいと座頭をゆり起し

座頭の坊熨斗目の中を出て帰り

めくらが着ルとどぐどくしい江戸ぞめ

藝の有座頭はひまな十二月

色事の願弁天へ座頭かけ

のむ手引座頭もともによろけて来

旅座頭しやうじん張の三味をもち

おや方首尾ハといふ笛であんま来る

唐犬に剃付ケ座頭おして出る

切落座頭かうべをかたむける

目にあまつて檢校は妻を去り

智恵の輪をとうとう座頭くじらせる

座頭へも三年なさぬ孝の道

母親に斗おそれる座頭の子

尤さ座頭と座頭つきあたり

年始申入ます爰にも座頭

爪音が止むと奥から座頭出る

盃をかたからまわすあんまどり

勾当の内汁とめし汁とめし

座頭の幽霊うろたへて昼出たり

毛ばたッた文をとどけるあんま取

狆が吼ると女房をなで廻し

成田屋も揉んだと咄す湯の按摩

道中のつかれを取つて喰ふ按摩

うなされる座頭犬の尾踏んだ夢

頭巾から入らぬ目を出す座頭の坊

屋根船で座頭あたまをことわられ

新宅をほめる座頭はとげをたて

筋違ひに近づきになる座頭の坊

提灯が消えて座頭に手を引かれ

民眠りを生地にしている座頭の坊

六波羅の二十余年をびはにのせ

平家をかたらぬとびわはねかしもの

ひろい事琵琶の師匠でくつて居る

鳴子ひきよくよくみればめくら也

勾当は先ッの字の付ク出世也

此糸といふ傾城を座頭買

声のやさしいが座頭の女房也

親に似た子を持ざとうふしあはせ

丙午まさか座頭はいやと云ひ

座頭の杖にはなれたがづわうへい

間男も座頭は五両一分とり

蹴爪付所へ座頭はかしこまり

馴合で座頭熱湯五両のみ

愛そうにごぜはあやして泣出され

ごぜのかね口おしそふに見て貰ひ

せきばらひごぜも少々にが笑ひ

若いごぜ壁をさぐつて一つぬき

ごぜ斗一艘につむ渡し舟

ごぜのしりつめればだれだだれだ也

人をみなめくらにごぜの行水し

花の山ごぜ杉の木の方をむき

ぬい紋をさぐらせて見るごぜの母

厄年のごぜ三味線を踏み折られ

乳母が顔あやしてごぜは笑はれる

声斗りききしつて居てごぜはらみ

何もかも内ふところへごぜ入れる

ぼうふりとごぜに御ぞうは役不足

わたくしの事わたくしの事とごぜひがみ

さあここでたれさつしやいとごぜの供

ごぜ何かひざでひやしを取て居ル

にわかごぜ母はなみだでむめうえん

つくねんとごぜはあばたを数へられ

かんの能ごぜ間男を持て居る

がつくりとせねばしれぬ瞽女居眠り

牛は牛づれ座頭は瞽女をくどき

瞽女顔をかけるが落るかに見られ

うつくしく結やつたのふとごぜへ御意

小便も屋かたのごぜは一トくろふ

瞽女の色口頭のよい男也

格段安ひむらさきを瞽女は着る

さすがは女まゆとるをごぜおしみ

さきざきの世話をいとふて瞽女国歯

かねつけるごぜを覗いてこわく成り

たれるうちごぜ大道にあけらこん

ゆさん船ごぜと座頭で安くみえ

手次手にかがみの前へごぜをすえ

われしらず鏡にうつるごぜの顔

ばちぶくろかくして跡をのぞむ也

ばちぶくろかくされてごぜ手を合せ

ごぜといふごぜ甲州を夜にげする

つら中へごぜの子乳をあてがはれ

ごぜの膝下女思慮もなくつぎこぼし

いい潰れやうさとごぜを手なづける

こうなんをさけんが為にごぜをぶち

目があるとええ女だとしれた事

目があると女房にするとごぜをほめ

鵜のまねをするごぜはした金もかし

つッつけて能く見ればごぜねぶる也

物干へひよいとあがつてごぜこまり

能いつぶれやうさとごぜはほめられる

歌がるたごぜは無筆ととちぐるひ

やきものをよそではよしやとごぜの母

旅のごぜ頭をひかへてしたひ打

ばちびんでこぜの手を引く主の命

先日の手引がとごぜいつつける

ごぜの聟気にはたらきはわからなし

御物見の下でごぜ又いとま乞

にイこにイこごぜ御物見の下を行き

振袖の瞽女が二ア人うれ残り

むごらしくごぜ蚊いぶしの先に居る

あつちへも来やとごぜへ久しぶり

どこかぶつたび母の泣くにはかごぜ

金持ちのこわいろでごぜくどかれる

ごぜの手を引くを黒がもせつながり

ごぜの顔寝入た内は無疵也

ごぜの風呂やつぱり笑ふ方へ向き

ごぜの供琴を出されて是もかへ

かんかへて見なよとごぜへ久しぶり

くどかれてごぜははるならいやといひ

ごぜ座頭互にさぐりさぐられつ

楼より瞽女の贔貧は梅の花

琴一つごぜおつこうに廻るなり

ごぜの供しつたのが来りや舌を出し

赤蛙ごぜはかすかに味を知り

おれもよい男とごぜをくどく也

勘のよいごぜろくな事しでかさじゅ

小紋がたごぜは多分のはうをきめ

ごぜの金御局そつとかりはじめ

ごぜの供何をはなすかにこつかせ

ごぜの灸頭で一だんのぞむぞへ

毎月のことを瞽女よくしんまくし

二か三か知れぬとごぜにさぐらせる

酔つたごぜ人さへ見るとからみつき

いやあな顔をして瞽女をくどひてる

たがわざかむごつたらしくごぜはらみ

姿見へ瞽女つくねんとうつる也

瞽女の文ばつちらがつて読て遣り

酒中花をのんだをごぜはくやしがり

むごい事向ふ桟敷へ瞽女を置

旅のごぜ竹べら抔でかき廻し

はつかねのごぜすいりやうで恥かしさ

つめられたごぜほれぬしをかんがへる

木綿ものつかむとごぜのいとま乞

ごぜがつらしよぞんが有つてはらぬ也

むごい事ごぜ容貌はすぐれたり

 

板木師金六と言ふ者彩色摺を工夫し始む

建部涼袋浅草を移居す、加舎白雄松露庵を立退く

 

歳旦帳(祇徳)・江戸芝笠(不角)・俳諧百一集(康エ)・古来庵句集(存義)・明和俳諧(武然棟・片歌百夜問答(建部綾足)・未来記(蓼太)・芭蕉翁真蹟集(蓼太)・小華籠(也有)

 

 

 

一七六十六年      

明和三丙戌年 四十九歳

 

四代目澤村宗十郎生

 

三月五日永富鳳介昌庵没五十五

三月十一日望月栄屋机墨庵没年七十九

三月十五日中村忠七東夷没年三十八

四月十六日元祖澤村宗十郎文福没年四十四

四月二十四日越智二楽没

五月四日藍泉二楽子玄没年六十五、軍学者なり、兵家秘書呈進に依って白銀を賜ふ

五月十日大口屋暁雨没

五月十二日元祖小佐川常世巨撰没年四十三

六月十五日岡田米仲没、八楽庵權道初沖巣又青瀘と号す

七月二十六日荒木維岳没

八月二十六日小田村伊助廓山没年六十四

八月二十三日樋口得楽華岡没年三十九

九月七日戸田文鳴九皐子没年六十一

九月二十七日馬場董水青海堂没年七十八

十月十六日武田梅龍蘭籬没年五十一

十一月六日小菅蒼狐没年五十五、名は觀文通称喜兵次、柳前齋笠庵と号す、菅神の奉納に一日五千句を吟す、是より五千堂の名あり

十一月十一日富永君巌没

十一月二十二日木部滄州没年四十六

十二月十九日八文字屋白露没、初代八文字屋自笑の孫瑞笑と称す、辞世

病む雁の夜寒に下りておぼつかな

秋風一窓葛才没、吏登門、駿河の人

 

御使番の火元見謁なり裏金陣笠馬上挑

灯の制を定める

三月御蔵門徒と称する邪法信仰者獄に繋がれ後明和五年戌子二月処刑せらる

六月此節娘評判甚だしく評判記など写本にて出る、よみ売歌仙などにして売歩行く、公より是を禁せらる

九月神田明神祭礼、水戸侯退城の際其の家来と多町の町民と争闘のことあり、祭礼此年より休みなり

神田明神祭神の称ある平将門御用祭礼(山王祭をも含む)に関する柳句を爰に収録す

将門は朕が不徳とへらず口

将門は朕を忘れてワンと云ひ

将門はくづしのきかぬ紋所

将門のうへをこしたるなますのこ

将門は一膳ものに店を出し

将門は愛想過ぎて見限られ

愛想のいいが将門越度なり

えい山で大きな山をたんじ合い

ええ山で内々をいふおそろしさ

ええ山で見おろす時分つかが鳴り

かわつた音のかねだとええ山でいい

下を見ておごりの出たは比叡山

純友が助言碁盤を打ながめ

不成日知らずえい山にて出合ひ

叡山の当で前日一つ鳴り

うましうましとすみ友はやせへおり

下総のだいり紋からしてがげび

下総につないだ馬のやかましさ

山ざるのかむりさるしま郡なり

毛の三本たらぬ内裏で乱を入れ

やみくものうへは相馬の内裏也

やみくもの上へ経あがる相馬公家

相馬公家おつこちさうな雲の上

相馬公家すそをふまへてぶち返り

相馬公家歌のかはりに五文字をし

相馬公家小松菜などをひき出物

相馬公家六兵衛六位五兵衛五位

いなか間につもる相馬の の頭

あづま百官平馬とはきつい事

百官名平馬数馬が初手に出来

一国の内はおそれた百官名

下総でしりのつまらぬひなまつり

繋ぎ馬口取り迄が百官名

放れ馬より騒がしい繋ぎ馬

下総のじゃじゃ馬影が七つあり

じゃじゃ馬に友が出来たで事成り

じゃじゃ馬にひたちの伯父御くつつかれ

参内をしろと国番をせめる也

なんだちよくしだと国番はらをたち

そうもんそうもんと国番状を出し

じゃじゃ馬にはねられ国番さいご也

じゃじゃ馬もわか丘隅はよくしつて

じゃじゃ馬と見たで藤太は乗らぬ也

秀郷はあたま見い見い挨拶し

飯時やかみをゆふとき藤太来る

飯時の客で将門業ざらし

生き馬の目を秀郷は抜いた人

秀郷はみかどのやうなものを射る

てうてうしひ王だと秀郷はいひ

下総の馬に俵はつかぬなり

こめかみ以来評判の俵なり

運の尽き俵に米を見付られ

ぐるをやめにして米かみねらふ也

馬はねを秀郷が来てぶちこわし

荒事と出ねば神にもなり難し

首が有たら江戸中が皆氏子

巻舌の唐人の出る佐久間町

野良の唐人に二日雇はれる

祭礼に獅子は毛彫りの腕がこみ

盗人で祭礼に出るきついやつ

金屏風物見の松で見て廻り

例の御屏風を拝借と九兵衛来る

山でも田でもたしか見た金屏風

急な事屏風と榊すりちがひ

六九での十五で金屏風借りて遣り

御祭礼要のあたり関もなし

天が下晴れて日吉の御祭礼

いつちよい町はどんどんかつかなり

鶏に牛を用いぬ伝馬町

拍子木を素人の打つ賑やかさ

榊もち沈番もたかず屁もひらず

後ろから追はるるやうな榊舁

ほうぼうて角をもがれて行く屋台

お内儀は神輿と聞て引込まれ

渋団扇かぶつたやうな神輿舁

御機嫌を肩でうかがふ神輿舁

すばしりは神輿の跡を追て行

祭りの子笑って通る内の前

お祭りに出たのを下女はきついみそ

祭りから戻ると連れた子を配り

生酔も祭りの後のにぎやかし

宵祭り盆に小豆の音すなり

祭り前洗ひ粉持って連て行き

祭り前伊勢屋の内でもめるなり

祭り前二日の店主やたら二歩

おみさまの聞きあきをする祭前

おめいさんお聞きなやしと祭前

こま犬の顔を見合はぬ十五日

二た樽の酒屋の出来る十五日

御用の外もかまはぬは十五日

牛方のあたまの出来る十五日

暗闇へ牛を曳出す十五日

迷惑な顔は祭りで牛計り

風まけのする荷を牛は二日曳き

満月の背中へあたる戻り牛

若殿の明店へ来る十五日

端近に屏風の光る十五日

よき絹を着た商人を御上覧

商人によき絹着せる御祭礼

祭礼に天の羽衣二日着て

木戸々々で角をもがれて行屋たい

若殿をやる約束で幕を貸し

甲の座は金屏乙の座幕のぬし

気の痛む屏風を二日借りて立

借りて来て見世に後光が二日さし

知るよしへ借りにいにけり金屏風

風ふせぐ外に役あり金屏風

紫の幕を覗けば金屏風

山王と神田でも見た金屏風

江戸半分はむし干の金屏風

金屏風暑い時分におもに立

金屏風元が元だと借りにやり

金屏風どこにあらうといふ道差

金屏風まだそこらだといふ道差

金屏風前に越後屋絽がすはり

金屏風の損料呑喰をする

金屏風疂むと常の見世になり

金屏風おつかけに又幕の事

幕はよしかと屏風出しに行き

紫の暖簾を掛ける御祭礼

祭りには御貸しなさいと暑気見舞

祭りに立てるを化物持参する

九二間のミせに通たる金屏風

あまり誉られ打あかす金屏風

絽とちぢみ斗りおつつく金屏風

皆誉ましたと返す金屏風

生酔にこころ遣ひの金屏風

おととしの破れでかさぬ金屏風

ひらく時いなづまのするよい金屏風

金屏風ききもせないにおらがの

金屏風立テにやうられぬ肴也

金びやうぶ生酔に手をあてるなり

金屏風のうしろ酒だの醤油だの

此金屏風御所持かとぶしつけさ

よいよいわいわい金屏風たたむ也

賑かさ家に勝たる屏風建

うつ津い屏風をきたない店へ立テ

金屏風立ると猿や象通り

物ほしい物は祭りの銀屏風

同じくば光方をと手紙来る

霍乱もどうか祭りの罰当り

義理をかき褌をする御祭礼

借金をいさぎよくする祭り前

撥鬢をみんなが笑ふ祭り過ぎ

祭りにも獣物を出す麹町

饅頭を足へのみ込む麹町

祭礼に天竺を出す麹町

麹町遠い所のものを出し

綿服の獣を出す麹町

麹町役に立たずが足になり

麹町象の皮にて足袋が出来

仕立屋にけだもののある祭り前

いづくらの鼠木綿は象になり

大キなけだもの三十五六たん

木綿十三反程で象が出来

唐風呂のやうだらうさと象にいひ

とんだいイ気こん毎年象に成

象につづいて暑いのは法師武者

けだものと法師がいつち暑い也

虫干を馬上でするは法師武者

法師武者其夜ぶたれたやうに寝る

象の頭から珍しく買て来る

江口は白象麹町は鼠

山王で見れば二階をたてるなり

外科を祭りの形りで呼びにやり

すばしりをそへて金屏風をかへし

金時をつれて屏風の礼に行

亀戸龍眼寺に萩花を賞する者多し、宮城野の種なりとぞ人是を萩寺と呼ぶ

萩寺に内儀の首がかしぐなり

萩は名物紅葉は土地にあはず

萩は売物買物は女郎なり

萩の木のかげへ息子をそ引キ込み

萩も紅葉も知り切って御座るぞよ

はぎが初会で御ふくろはまつはたか

かういふもんじゃやだとはぎへそ引きこみ

正直なおやぢ紅葉も萩もらひ

のみこみのわるさぜひなくはぎてすて

じやまなやつはぎのさかりもゆだんせず

朝がへりきのふのはぎにみそをつけ

なりひらのつとをかくしてはぎをみる

羽織の男物は従来丈短かかりしが此頃より長くなれり、塵塚談に曰く、羽織長短の事宝暦四五年頃は伊達男は短羽織にて袖より下はやうやう四五寸もありて袖はかりのやうにありし明和二三年の頃大坂より吉田文三郎吉田文吾なとといふ人形遣い下り長羽織を着せしを皆人わらひけるか其時分より段々と長くなり文化七八年に至り又々短く成しやうに見ゆ云々

羽織は長さをいとわずせがれ着る

長羽織片かハ白イ金を出し

羽織でももうしれやすと女房いひ

どの羽織着てござつたと下女に聞き

そツちらの羽織が女房すめぬなり

ひとりでに羽織がこけるひんのよさ

あくる朝羽織のかへる能いきげん

ゆきたけのたらぬ羽織をほうり出し

似あつたといふと羽織を嫁ほふり

さばかりの男羽織にうづめられ

こそ心得たとむす子羽織也

ぬかる物かへと袖から羽織なり

かへりなと羽織のすそへかしこまり

手に持て行くばかりだと羽織かり

そのきざし有て羽織はもたせたり

かくあらんとそんじ羽織を持参なり

さい日にたちあがつたは羽織なり

羽織着ながらあんどんですい付ける

ふくめんと羽織を取ると禮者なり

華羽織よしみも無いにかりに来る

夏座敷あはせ羽織はちそうなり

ふきの出た羽織着て来るかがみとき

羽織着て車をおすは荷主なり

置きつけぬ奴は羽織へ紐をつけ

絽の羽織着て出る所へ日なしかし

絽がないか暑中縮緬羽織也

来年はほたるかごだとおやじ着る

風なりに羽織をたたむ船の中

当腹の子供はみんなはおりを着

隣へもひつかけて行く家中者

霊岸島埋立蒟蒻島と云ふ

 

歳且寶古状揃(祇徳)・蘿葉集(也有)・峨洋篇(也有)・桂の實・俳諧和の錠(由和)・俳諧美図岐苧(律佐)・綺麗好(白馬評前句)・藤の元(五桃庵)

 

 

一七六十七年      

明和四丁亥年 五十歳

誹風柳多留二編の板行は本年ならん歟

 

大窪詩佛生

中井蕉園生

曲亭馬琴生

櫻井慈悲成生

 

二月二十七日鳥羽屋三右衛門没年五十六、四代目杵屋六左衛門の弟子初名文五郎、中興の名人なりき、仔細有りて中頃東武線太夫となり後三右衛門と改む

四月十二日赤松良平太没年五十九

四月十二日市川雷蔵栢車没年四十四

六月愬・朔日柴山豫章没年三十八

六月八日服部仲英没年五十四

七月二十二日大藪銭塘没年六十四

七月二日三代目榊山小四郎仙芝没年四十四

七月二十四日神陰流剣術師長沼四郎左衛門国郷没年八十

八月三日渡辺湊水鋤雲軒没年四十八

九月十五日山田由林一棒庵没

九月十七日荒木呉井没

九月二十日原雙桂尚庵没年五十

九月二十三日板羽紙隔没年五十一(或云五十三)京都の人

十月二十五日木村蓬莱没

十一月三十日赤松新助沙鷓没年百以上と云う

十二月八日岡白駒龍州没年七十六

十二月二十日飯田百川規濤没年七十四

 

四月九日浅草駒形失火雷神門焼

雷の内は年中どうろどろ

門の建つ迄は風来人で」居る

門の名で見りや風神は居候

風の神せなかをながすすがた也

雷の女房らしひが風の神

よい思案雷神門を二度通り

雷神の面は九やうの中の星

二度通る雷門はふんぎれず

かたいやつ臍をほしがる門から出

雷を這入り稲妻形リにぬけ

女房に雷門で出ツくわし

雷の内で仁王は臍を出し

かみなりの内で買つてる子の太鼓

雷の内へ太鼓を買ひに行き

雷の四五町へ玉が落

雷もすずめがなけばしまいなり

雷の鳴る時ばかり様をつけ

神鳴のなるたび○眼をおさへ

雷の子はごよごよと泣きならひ

雷はいつかけのある雲を出し

雷の楽屋をつくる雲の峯

雷も左勝手に落ちかかり

かみなりをまねて腹掛やつとさせ

雷のえてはねのける額ヒの手

雷も及ばぬ蚊帳の臍と臍

かみなりの落子拍子に後家も落

雷リにはなよめ蚊屋へろう城し

いい工面初かみなりに蚊帳をつり

初ものの内でかみなりいやなもの

褌をとりに雷唐に落ち

たたまれた蚊は雷によみがへり

来ずといい人迄雷の見舞なり

三毛猫は雷の子のおしめなり

ありそうでない雷の土左衛門

雷に耳と臍とへ手がたらず

雷の奢り出臍のむかふつけ

鳴り止んで折目をたたむ普門品

水論を分くいかづちの中直し

つんぼうは光るとばかり思ってる

稲妻の崩れよふにも出来不出来

稲づまは雲をえぐつてどつか行

稲妻は女郎の植た田へ通ふ

いなびかり男ばツかり涼むなり

稲光リ禿を二人ぶツちがへ

稲光根性わるがはやしたて

へそくりを子の雷につかまれる

七月田沼意次に金を賜ひ領地遠州相良に新城を築かしめらる

八月二十一日山縣大貳等死刑に処せらる、藤井右門以下獄門 

当時の世事を浮世三幅對に見立たる落書二十一項談海続編巻之八に収めあり、次に其の二三を節録す

   明和四年の浮世三幅對

飛島も落る三幅對 松平右近将監 松平摂津守 田沼主殿頭

全盛は古今の無双のーーー 松葉屋内染之助 萬字屋内萬きく 丁子屋丁山

けふがいの浦山しいーーー 蔵前の暁雨 堀留の二夕 小田原町の風蝶

かけられて逃る人なきーーー きりひしや姫菊 中近江屋ミやこじ 越前屋小式部

酒とはくちば玉に疵のーーー 瀬川菊之丞 尾上松助 市川雷蔵

しんじつの娘も逃るーーー 深川仲丁のお市 同おぬい 大橋のおかん

無藝で名の高いーーー 三段目左兵衛 風鈴五郎七 秋月三郎右衛門

萬能に達せしーーー 深川の千山 芝口の萬古 神田の和柳

珍ら敷身の上のよきーーー 大上総屋の繁之助 松葉屋の松風 蔦屋の志同きぬ

建部涼袋大坂に上る、玄々一勾当に進む

五升庵蝶夢歸白院を退き洛東岡崎村に住す

樗良伊勢に無為庵を結び新風と称す

原武太夫奈良紫(一名を三絃根元記ともいふ)の著あり、行年七十一歳也、名は盛和初富五郎後武太夫と称し表徳は原富三味線の名人なり、此書の外に北里劇場隣の疝気及び断絃餘論の作あり、森山孝盛の賎のをた巻に曰く

扨三味線の流行たることおびただしきことにて歴々の子供惣領よりはじめ次男三味せん引かざるものはなし野も山も毎日朝より晩迄音の絶る間はなし此上句下かたといふものになりてかぶきの芝居の鳴物拍子を素人がよりたかりてうつなり其弊止みがたくて素人狂言を企て所々の屋敷々々にて催したり歴々の御旗本何原ものの真似して女がたになり立役かたき役にて立さわぐ戯れなり

古近江で岡崎をひく御ひめさま

古近江の糸まだいいにかけかへる

古近江といはずに鳴るをかせといふ

古近江がほしいと妾ねつをふき

子近江へ二歩とは質屋めくら也

古近江はといふ名は琵琶の仕入らし

古近江で稽古は物にならぬ也

古近江を寝物語にめかけする

古近江で弾て見やうとめくらへび

古近江よりもおもしろい中近江

古近江にある八景は乳の頭

よしか放スと古近江をわたす也

とりにこぬあふみにうへる雪のした

今近江ぐらいを妾やたらひき

三味線屋ぢぢの代には外記でくひ

三味線屋置手ぬぐひでひいて来る

三味線の師匠はあまりこはくなし

三みせんはあいつけたりとばちでぶち

佐見線をつめでひいてさがさせる

三味線のみね打ちわるい御酒のうへ

三みせんでくへるものかと母はいひ

三味せんで世間をおこす寒い事

三みせんの外に根締の能い女

三味せんを度々拾ふわるい酒

三味線を下げててよそをそ引也

三味せんのまんなか頃へはしをかけ

三味線屋座で出てくれの聞あきし

三味線屋かたり出すかと思いれる

三味線の撥をあくびのふたにして

三せんをかりる使も問ひつめる

三味せんをばらうきにひく音に浮かれ

三味線の稽古となりでおかしがり

三味線の箱をさがすときやつと言イ

三味線は這入るつたかへとひんまたぎ

三味線の近所にもある観世音

三味線が二てうと琴で弐歩に買

三味線は星の手向にならぬ也

三味線をすこしが内と船切手

三味線はいやと桐壺読んでいる

三味線を屏風の外トへほうらかし

三味線はあぢを遣ッても売かねる

三味線はそうでは無ひと爪で弾

三味せんを折る程のまじはりはなし

三味線がぱつたりやむとうさんなり

三味線をばつたりやめて通ります

三味線の外にもしのびごまをうり

三みせんと顔をのけるとすたり者

三味線で鈴むしの音をとめる也

三せんの稽古がへりは口でひき

盃を三せんひつたくつてさし

安い三みせんはたいこのかわではり

後の四ツ三味せんひきとあはた也

隣の三味にたばこぼんたたいてる

ええ男おんいかけかけ三味ならう

ひきならび雛のからくりほとになり

あいそうに聞く三味線のやかましさ

恋むこの先おつとつて三味がよし

ひいて見て又首ひねる三味線屋

猿回しえたいの知れぬ三味をひき

檢校のなりたちをいふ三味線屋

晩に来て聞と三味せんかりて行

隠居が来たで三味せん一挺やみ

不届な口血火をすへるは三味せんや

実棒と三味線打こしをきらひ

錠前無ひが奥様の三味の箱

琴はたまたま三味線は毎夜ひく

高直なやつ三味線の中に座し

嫁の荷を三味線箱で安くする

かかあが三味線ととおが持て来る

米舂の末家唄三味線をひき

ふもとから来る三みせんは桜どう

犬馬のろうをいとわぬは三ミせんや

妹は三味線拙者はこわいろ

奥様を三味線ひきがざんをする

奥様の三せんちツとふ出来なり

げんざいくわを見て三味線けいこさせ

三みの弟子七尺さつてなめたがり

ひまなばん見世で三味線手をつくし

せけんのきこえ三みせんおこなわせ

ねんぶつと三みせんやむと雪に成り

あわれさぎおんばやしに三味せんがなし

ねこまたになりそうな三味庄屋出し

琴三みせんを十六で娵うがめ

とんとん三みせんのいとがありやすか

上天気まくと三味せん先へやり

ひきながら三味線はこぶ十三日

十三日すわりさみせんころぶなり

三味の弟子破門のわけは師を口説き

三ミせんによりかかる内ほねが折れ

ひく斗ならと花よめ三をかけ

琴に無イ義を三ミせんは申あけ

ほめられる所で切れる三の絲

琴の師は三みせん乞食めくといひ

細い手で打つは三筋のきぬたなり

岡崎をくらやみでひく御上達

候べく候のさみせんを見世で弾き

妹の三みせんかりて蔵ば入り

三味せんを嫁うつかりとひざへ取り

とりがうたふやつさと三を下げ

やかましいもの三ミせんのかんざらし

岡崎を八乳で弾いて叱られる

犬にきうすえるとねこにばける也

三味線うしろぐらくも灸をすえ

弟子の来る程は三味線音がせず

三味線をそふでは無ひと爪で弾き

三の絲ちりちりちりとどツか行き

簪に一寸あづける三の絲

其意得ず座は三味線と撥ばかり

寄せ本を三の絲にてとぢるなり

縫ながら口三味せんで姉ハつけ

有てくれ南無三の絲たらぬ也

となりの三味にたばこ盆叩てる

岡崎を子の引ほどハ母もひき

三味線がやむと扇を鼻へあて

手のこんだ岡崎をひく所のよさ

岡崎をひくはきのふの調子也

三下りひかせて扇顔へあて

すいがらを消しなと撥の尻でつき

糸のくるうち手のひらを撥で打ち

撥貸して見にゆけば喉にでている

よッ程の機嫌母親撥をとり

違ツたら弾いて見せなに母こまり

御好みの内三みせんはむだをひき

柳の風は三味せんに通ひそふ

はらがきにして三味線を二朱まけな

大やたへは三ミせんのしなんなり

しいさな三ミせんつるのしつほでひき

琴ではわれる三味線ではえる也

四五度め師匠はばちでどうを打

撥音で論語と琴へ邪魔を入れ

七草ハ三味線の手もこまかなり

琴に三味引かへむすめの快気也

琴は飛こし三味線はころばかし

すまぬ事師匠折々ころぶ也

ひきながら三味線運ぶ煤払ひ

ばかなこと犬を猫だと三味線屋

あつたら若ひものべんべこを習ひ

買ってくる中三味線でひいている

おつくうに指ビをはだける引なぐい

糸道も骨のをれるは山尽し

連弾も向合のは稽古なり

奥様の三味線ちツとふ出来なり

とり縄も手じやうも見える三せんや

姉のひくそばでだだツ子三を下げ

薮入へここぞとむすこ三みをひき

三味せんかつひ禍ひを引出し

寝下り三をむすんで一つひき

しかたなくよめ一チを打ち三ンをうち

内川へはいつてよめはちつと弾き

糸の無い三みせんの出る寝下り

あつぱれでござると師匠三ンを下げ

生酔のをどり三味線にげあるき

川留にまつ三味線が目を廻し

三味線の手でもなん所は山尽し

弓は袋まつまつ三味線を張かへる

三味線の外に妙手で御気に入り

三味線と別々に成る気の毒さ

三味線は箱入娘入らず

三味線は馬皮で駆出すやうに弾

弾計ならばと花嫁三ンをかけ

たらぬ乳を灸で仕上る三味線屋

馬鹿な事犬を猫だと三味線屋

只一人茶と三味線を引て居る

三の糸下るがふざけはじめ也

犬の尿口三味線の糸がきれ

水中で三味線をひくあつい事

三味線のまんなか頃へはしをかけ

杯をさせばうなづく弾がたり

馬鹿にしてくはへ燈菅でひきがたり

三味せんの間の手にとるちりれんけ

息子の病六味より三味がきき

猫は魔のもの沈んてる気をうかし

枕獅子出して目見えの手を試し

はなうたはうぬが勝手にふしをつけ

三絃も風聲の出る入梅の内

二上りが過て身代三下り

ねんぶつと三みせんやむと雪に成り

琴及其の他の楽器に関する柳句を爰に収録す

八ッ橋のやうにならべる琴の会

琴のあなたへ花嫁を引すえる

八はしで世を渡ツてるひんのよさ

瞽女に手を引かれ八橋わたる也

九尺居琴をならはせそねまれる

御りえんのわけ琴爪のきづが出来

琴の爪たもとに有たながれしち

十六夜にこと三みせんでさわぐ也

十三夜琴は月へのちそう也

いじろぎもないに下見に琴きかせ

一筋くわんと鳴しそれ弾きやした

六つ七つからしこまれて琴しなん

爪音のするは古風な花見なり

ろく七人にのぞまれて嫁はじめ

琴箱を横にしよひつきまわされる

あるかれぬはず琴箱を立にしよひ

爪音は嫁ばつくんに秀でたり

他人に迄いびられる嫁の琴

せめられて爪ツくそ程嫁ならし

妹は琴それがしは馬下手

ひんのいい無心は琴を御恩借

くわたひしと下女邪魔にする琴の箱

内気嫁甚だ琴は妙手也

松のかげよりも深きは琴の恩

掛取は琴を弾ても押寄せる

中日に嫁番をたき琴をひき

美しひ手のかけ廻る事の上

たつ声を押へるやうな琴の唄

琴唄は腹一ぱいの声でなし

琴の音はられひめひたと妾いひ

あざむこし琴は屏風と櫓也

琴でをどつたのは始皇帝ばかり

人程にしぼつて入れる花の琴

さしもたへなる爪音を妾そしり

奥様の調べをそしるばちあたり

琴爪で灸のまはりを調べさせ

指三本やつとの事で嫁ねじり

嫁の琴近しい客へ馳走にし

琴の音をしたつて来たら黒拍子

琴がいやなら御手元トに嫁こまり

琴唄を只よんでいてすえられる

琴をいひたてにすんだはあばた也

琴はふ調法といい女目見え

小取廻ハしには琴箱いかぬ也

琴を習ふは娘でも浅黄うら

鳳凰も琴とはちつと馴染也

琴の上あるひて行て縁を切

琴唄を只よんでみてあくび也

十三年の稽古だと不器用さ

毛虫をはさんでて琴をせつく也

おつと虫の所は爰と琴の弟子

花の雨民家へ琴をかつき込

嫁藝にかけては爪が長ひ也

琴を直して嫁を引ツぱつて来る

爪斗しまつて頭を嫁頼み

栢をかみわつては琴の邪魔をする

濱屋敷はるかの沖に琴の音

むすこの琴はらうがいの下地なり

のめつたりおきたり琴のひきならひ

手のひらで琴をおさへるほととぎす

琴の師の守り本尊十三夜

花の雨琴しんまくにおへぬなり

えきもなん首持て来て琴をひき

琴爪をちんぼうへはめしかられる

おそれ入りましたと琴をかたづける

琴の師へつつぽう袖じゃいやといひ

六つ七つからしこまれて琴しなん

猫に十本多いのがよめのげい

琴箱を先へよこしてぎ王ぎ女

琴三味線をうかめると毛が生える

ついそばの爪を尋る不自由さ

琴の上ねぎをいつけてにげる也

琴の糸かつちらかして泣きやませ

琴爪は前の方からはえるなり

かくべつな琴かりるふみのぶん

琴箱へのびるを入れてしかられる

琴のごみ面白がつてはたくなり

ばかな事生酔琴でおどるなり

いい沙汰を聞いたと琴の邪魔をする

とびこすとくわんと琴へひびくなり

琴の音をかいかねよりもこわく聞

ぢん中で人を茶にした琴をひき

楼船琴を引てる馬鹿な事

孔明がひいたも生田流と見え

おいくさんおたさん来なと琴を出し

生田流くわよう夫人が引はじめ

天下泰平くわよう夫人ひき

ひどい事にげろにげろと琴で弾き

琴なりにげちげちの這ふらんがしさ

御ふ勝手おくさまびわも琴もなり

琴箱をかついだ袖へとつかまり

琴の音も止んで格子でわるい咳

一三とは花嫁むごく見られたり

もうおまへ三年程と爪をなけ

ぬけだくし四五へん踊る琴の上

よしはなしたりと請とる琴の箱

御ていしゆの琴をかせとはちくの也

琴の音を生酔こなしこなし行

唐の琴どれもあやうい所でひき

琴箱の通るも目だつ大三十日

琴の桂をひんもぐやうに仕廻ふ也

琴箱をよいよいで出す十三日

琴箱の行き所を見りや質屋也

昼過の娘は琴の弟子も取り

琴やめて薪の大くべ引き給ふ

生酔の琴をけなしてとふとふ寝

よしがきへ目はなが出来て琴を止め

琴の音にひらりとおりる文使

爪音に藪蚊を払ひ払ひ聞き

こと師はいたたく度に袖をとめ

いいさたをきいたと琴のじゃまをする

十三声もせがまれてよめは出し

琴の音をしたつて行ケば小道具や

からかへば琴へだきつ美しさ

どうにつく度ヒにどこでか琴が鳴り

花の山肉びやうぶにて琴の音

琴の上ねぎをいつけてにげるなり

かくし引き出しから嫁はつめを出し

仲人はやれまくをかせ琴をかせ

大三十日ていしゆ二かいで琴をひき

みじゆくなる琴の音のする御虫干

しやば中に花嫁琴のかりだらけ

嫁爪をえんやらやつととがらかし

つらあてにこころ尽しを嫁しらべ

嫁の音楽天からも降りそう

よし垣に人のなつてる嫁の藝

琴二めん座敷の内を廻り道

琴爪を乳母も小ゆびへすげて見る

蛮国の楽器で琴をさびらかし

爪斗しまつて頭を嫁頼ミ

三本の爪を能ある嫁かくし

四角張り岩永で聞くよめの琴

白魚に烏帽子かぶせて嫁しらべ

白魚を半ちよぼ出して嫁をがみ

袖口へ半ちよぼ出して嫁おがみ

琴の音のとぎれとぎれかもんと宗

琴箱へもやうを書たよふにちり

琴爪をはづせばそとの人がちり

弾そめの琴へ松風やよふなり

十二段三歩らしひが琴をひき

琴箱の花時分行く下やしき

売りすへにしそうな時に琴をひき

琴箱よりは椀箱が御気に入り

琴を弾やめて孔明舌を出し

下手な琴仲達ほとに座中逃

七本は白衣て動く嫁の指

品ンのよさ桐の背板て爪をとき

ついて行母も一段聞おぼへ

うら店で琴をひくのもはかり事

むごい事上旬までは琴の音

無理所望側からねぶる嫁のゆび

鏡台やかかみを払ひ琴を買

目くら僧着せ琴の師へ通ハせる

田舎嫁ふきや茗荷を爪で堀り

琵琶の曲下手か上手かしれぬ也

びわをひくまどへも一人二人たち

ひわの弟子ひとりふえると二人へり

すり鉢をふせたやうだにびわが出来

琵琶法師聞人は灰をかくならし

べろん々々は一門の物かたり

イヨ四糸と琵琶をほめてる大たわけ

蝉丸の社は背にも琵琶をしよひ

琵琶の曲行くもかへるも立どまり

尻やけ猿が琵琶の直を付て居る

峯の松脂は鼓弓の音によひ

何やつが来たら胡弓をかりに来る

笙の笛こごえたやうに吹て居る

しりやけざるがひちりきをならつてる

笛の音は垣根こしから問薬

今年より長崎にて銅鉄京都にて鉄銭を鋳る

   丸山竹枝

丸山の傾城船をかたむける

丸山の家は一万三千里

丸山は唐と日本の廻はし床

丸山へはまつて髯で蝿を遂ひ

丸山は義理がわるひとひげをそり

丸山は意休ももてる所也

丸山の女郎の意趣は髯を切り

丸山の起請は伏義などを入れ

丸山でひげ人参を花に出し

丸山へ来てぱあぱあにして久し

丸山へよこさけのする返事が来

丸山でかかとのないもまれにうみ

丸山は豚のむま煮で一歩〆

丸山の女郎和漢の味を知り

丸山にさんこ珠をうむ女あり

丸山でとるむなくらはぼたんうけ

丸山で口説にはぜがおつばづれ

丸山の芸者ラツパもすこかずり

丸山の新子唐饅頭のやふ

丸山へから撫子の種をまき

丸山のさわぎチヤルメロなどを吹き

丸山の蝨和漢の人をくひ

羊の臍分け丸山の文が出る

通辞兼帯丸山の若い者

新渡の蝨丸山で背負て来る

ほれたのを通辞一人がをかしがり

日本のことばを知って腹をたて

日本の恥は寝言がよくわかり

から口をきいて通辞は世をわたり

舌二枚はれてつかふは通辞也

長崎で鸚鵡のことばこぐらがり

バアバアは煙草の好な国言葉

唐土のきぬきぬコハぜ着てやり

 

家の栄・野の錦・雪の績・不断桜・豆鉄砲初編・片歌舊宜集(綾足)・木の葉かき(花妙)・一日記(竹筏)・十寸鏡(白楡館)・夢ひらき(百萬)・俳諧十三條(蓼太)

 

 

 

 

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