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一七三八年      

元文三年戊午 二十一歳

 

十月二十四日山崎景貫生、字道甫、朱楽菅江と号し俳名を貫立と云う、市谷二十騎町に住す、御先与力なり、川柳家にして其の作品柳多留及び諸柳書に散見す

蜀山人の奴凧に曰く、「菅江」という名ははじめ俳名を貫立といいし故、皆人「貫公」々とよびしを菅江と書きしなり、中ころ菅江の名憚りあるべき歟とて漢江と改めしが、日光の宮公遵親王の聞せ給いて、菅江にても苦しかるまじと仰せられしより、又もとのごとく菅江と書したり、「朱楽」の字を加うる事は、寛永の頃我やどにてもろ人酒のみし時戯れに行灯の紙に「我のみひとりあけら菅公」と書きしを始とす

 

二月二十六日鳳譚法師寂年八十五

三月十日並河五市郎永崇没年六十九

三月二十九日飯田東渓没年七十九

四月二十七日岡秀竹没年三十九

五月五日入江太華千!没年十八

五月十日徳力恭軒有隣没

七月二日中村蘭石雪竹齋没年五十五

七月二十七日深川湖十(一世)没年六十三(或云二月三十日没年六十二)今戸宗林寺に葬る、初め曾氏、木者庵、謙堂、老鼠、鼠肝、露入道、永機等の号あり、其角門師没後普子点式を秋色より付属せらる

八月二日上嶋鬼貫没年七十七、重頼又宗因門摂州伊丹人没後名大いに著はる、辞世

笠とりて跡力なや春の雨

八月十六日井上竹渓没年七十

八月二十三日平野鶴歩没年五十三

九月七日小宮山宰陀没年六十四

十月十六日松本魯山没年五十九

十一月十七日後藤椿庵没年四十三

十二月八日松野龍谷没年七十四

 

五月深川富岡八幡宮に石の鳥居立つ

石の鳥居も一日は左官来る

願ったら出来さうな所富が岡

通し矢の未明に拝す富が岡

突きさうな地名で突かぬ富が岡

駒下駄のお馬五六騎富が岡

こわめしと団子をふかす賑かさ

鳩とねことは八まんのつかわしめ

向ヒと合ふ鳩八幡の御一字

八幡の氏子月見のいそがしさ

八まんはかんにんならぬ時の神

八幡を取り上げぢぢいたけの内

武内とりあげぢぢの元祖なり

武内ねんねん子守の元祖也

あやからせ給へと宿禰御抱上げ

武内ぽつぽで鳩を寝かしつけ

武内お孫さまかと度々とはれ

大あくひ尿であらうと武の内

其時に宿禰烏帽子をおかはにし

雑兵に宿禰はやめを買にやり

武内若イと評のつくをとこ

三百もあとの事さと武内

さかさまな事斗聞く武の内

ちかひしんるいはもたぬとたけの内

皇后をお救け申す武の内

雪折もせずに六代たけのうち

六朝に仕へてたけは弓になり

年寄を杖に皇后御ン頼ミ

つえなしで三ンかんくだりかけまわり

御産聲波も鷁首たたく頃

汐みちて船をはやめの御凱陣

あんずるよりもうみやすき御凱陣

ものの具の身幅もふえて御凱陣

お腹帯めだたくゆるむ博多じま

左孕の帆をあげて御征伐

胎教のために三韓攻たまふ

三韓が皆したかつた美しさ

三かんは女にまけて七ふくり

異国責女帝の身ではふとつ腹

朝鮮もしたがつたはず後家ざかり

勝たまふ筈腹中に弓矢神

枯野の船琴の音も浮き沈み

弓矢神備へる神酒も男山

釣りたまふ魚は神慮のお占

紫の一本に曰く、永代橋八幡の社より手前三四町が間は皆表店は茶屋にして、数多くの女を置て参詣の輩の慰とす、就中鳥居より内をば洲崎の茶屋と云う、十五六ばかりのみめかたち勝れたる女を十人ほどづつ抱え置きて、酌を取らせ小唄を唄わせ三弦をひかせ後はいざ踊らんとて、当世はやる伊勢踊り風流なること山谷の遊女も爪をくわえて塵をひねるとぞ云々、右洲崎と云うは後に繁華の柳巷となれる深川仲町のことなり

深川は蚊やをまくるとすぐに船

深川はさつさとおしてかへるとこ

深川は品々出しちゃ見せぬ所

深川の文には二文添てやり

深川をのぼりにするはきつい事

深川へはやされに行舟きらひ

深川へ行って来る程長湯なり

深川らしいがうづらへ二タ人来る

深川へしのびかへしをさした客

深川で逢へば番頭野暮でなし

深川のどらは請人よびにやり

深川はのの字かないでうしろ帯

深川の土弓射習ふ草履取

新川と号し番頭深い川

ずつと来たなりで深川もてる也

風呂敷をとくと深川早がはり

字あまりも意気深川のせんどうか

突合で行く深川は箸やすめ

気の悪ルさ隣桟敷は深をつれ

入れ髪をして深川へ初会なり

入れがみをした入道にぬつて見せ

山のいもうなぎに成て羽織なり

きき酒のきげん櫓へこけるなり

深川は海にあひるの居る所

十一月京都にて大嘗会再興あり幕府経費上る

京都に於ける地理、風俗、人情等より洛中洛外の名所旧跡、近江八景並びに織田信長、明智光秀、豊臣太閤及び其の武将等の事跡逸話に関する柳句を爰収録す、但し御所及び王朝時代に属する詠史的柳句は寛政二年新皇居の條下に掲出せり

京の町たいらな所で上り下り

九重は小路々もあやにしき

着倒れの地名に叶ふ綾錦

包まれる物なら水は京土産

たツた一ト色どつとせぬ京の水

紫もけんくわも合はぬ京の水

紫はまんま鹿の子は粥で染め

水じまんいはせてはおかぬ紫

京都ではえもん江戸では式部也

むらさきを見ては京でもあきれべい

しわひ所コとてくれなひが上手也

加茂川の水でもいかぬ色があり

くれないはぜんたいしわいとこ出来

京と江戸とで朝夕そめる也

茶粥くふ咽に木遣はうたはれず

茶には能合がと京でふ思議がり

野にばかり紫あつてさへぬなり

冠はあれど烏帽子はないところ

公家のすむ都へのぼる塩烏帽子

目に青葉きりで句のなき京の夏

天はよし地へ無駄指の京の釈迦

大地へむた指をさす京の釈迦

馬の目は江戸けつの毛は京で抜

みやこ人わずかな水ですずんでる

御定めの通りを涼む京の町

洛中の汗が河原へまかりいで

一トねいりしても四條のわらひ聲

りんしよくな水には合ハぬはでな色

四條河原へてんぷらの見世を出し

上ミ方の小便朝のおつけの実

小便が野菜と化ける京の町

江戸では無用京都ではたごを出し

小便無用と書きさうな京の町

京の雪どこも黄色な穴がなし

小便も近いと京の仲人口

地に経があるで小便どぶにせず

包丁をはすに遣はぬ京の夏

首の無ひ女のあるく京の町

経を踏む名にいい数珠屋町

七條と五條の間がじゅずや町

文字に気がつくとふまれぬ京の土地

京女立ってたれるがすこしきづ

洛中のほたるは顔がひかるなり

らく中はあややにしきの中を行き

らく中は女を丸で見せぬ所

きぬかつぐいもが月見る京の町

縫上げた小袖のおしに京の町

悲田院を東でなほしでいでいイ

袴をたたんで静謐な都なり

袴をたたんで洛中静なり

京にない鳥百に一つなり

江戸は顔京は夕暮じまんなり

強飯を餅についてる戻り橋

蘓生せし迄は名もなき戻り橋

京の旅かど出を祝ふ戻り橋

分別の外に島原一トかまへ

島原の通は籬で直切つてる

島原の騒は今は桐紫檀

島原の女郎は公家のはだかを見

島原は名歌のぱつとしれる所

島一揆切ぬけて聟かへり

傾城をかける秤は京になし

こんな腰ありと出口に植えておき

やめてから出口の柳蛇のめし

傾城をたち賣にする京の町

うめうめするぞよと京の朝がへり

豆銀を豆腐にくづす祇園町

豆腐切る顔に祇園の人だかり

賑かで淋しい名なり二軒茶屋

田楽へ吸付けにくる夕涼

江戸にない奴祇園で落をとり

庖丁をはすにつかはぬ京の町

船鉾は人の波間をわたるなり

祇園会のひともし頃に油蝉

後家極源氏にもれた虫を聞き

上ミ方は神祇売気をむすび

雷と真宗臍をとつてくひ

お東の威勢日の出と門徒ほめ

東西に関取のあるいい宗旨

五戒をばしんらんなどとしやれた寺

御奉行は南北門徒は東西

東西の外は一句かたむかず

御再建他力は弥陀の本願寺

賑かに精進をする本願寺

イイ宗旨酒と肴て穴かしこ

お持佛で稲妻のする門徒宗

石塔がしめしをかぶる門徒寺

いい宗旨あたま丸めるぶんの事

片々は祢はん門徒の長まくら

塩釜も自製大臣(おとど)の萬子だんす

手作だと塩を諸卿へわけてやり

塩がまのけぶりもたえて数珠や町

融の古跡塩からい地にのこり

塩釜の旧跡じゅずだらけ也

御影堂たたいて不二を横に出し

御影堂おはらひ箱を持参させ

銭ほどに風をあてがふ御影堂

得道の要となりし扇の偈

五條には夕顔らしい宿もなし

清水は女に羽子のはへる所

色事に羽根の生えたる清水寺

添とげてのぞけばこわい清水寺

飛んだこととは清水でいひはじめ

傘で花見の中へどさりおち

琴最中へ人間と傘がおち

傘でとんだ話も花ざかり

ままごとのやうなで売れる南禅寺

瀬戸物ほどがらつかす南禅寺

南禅寺めんどう臭いものでくひ

拍子幕柄杓がこづかさして出る

知恩院降る日に建てたものと見え

上を見て法図のあるは知恩院

古骨が名所になつた知恩院

名の高イ傘一チ寺に坊主持

朝に傘あれどもひらく寺でなし

軒の傘恥にはならぬ物わすれ

雲なき寺に傘さしておき

屋根の傘十八壇の上へさし

十八をのぼりつめると軒の傘

寺にはれての大黒は軒の傘

ちをん院ののきにあるやうなをかし

軒に傘有れども!く寺でなし

通し矢のをりをりそれる祇園町

通し矢の堂は化身の間数なり

野暮でない名は通矢の紅葉也

竪横に尊き嵯峨と東福寺

兆殿司ばかりに猫はひつかかれ

東山よぎなきことを句によまれ

青葉時萌黄蒲団の東山

布団着た上へ反吐つく花の頃

雪解してひよろり面ら出す如意嶽

大の字で碁盤を蟻の這ふも見え

法の峯かすかにてらす大文字

気はらしがてら栂尾の鍬づかひ

明恵が檀家貰つては寝そびれる

明恵上人根をおしてきめられる

天ンこちもない事めうえ思いたち

結構な御再建なり二四不同

うしろむく御山は君の御!なり

守護には反かぬ後向くひえい山

断食の代り鼠になつて喰ひ

鼠見物でえい山きつい人

大騒一山猫よ枡わなよ

猫にとらせろと衆徒等も初手はいひ

論に歯がたたず経文くひやぶり

やれ鼠々と三千坊騒ぎ

佛欲は窮鼠却て経を食み

頼豪の外は借物をかぢる也

其当座一山ねずの番をする

守谷はつつき頼豪はがありがり

八瀬小原きれいに牛を叱るとこ

ちと早うあるきやいのと牛を追ひ

小原女はつむりで牛の背をたすけ

天窓から抜いてやさしく牛を打ち

牛の背で鳴いてる八瀬のきりぎりす

一抱づつうしをいたはる黒木売

虫の音をいただいて聞く黒木売

きげんよく負けずにかへる黒木うり

白い歯を見せて買はせる黒木うり

黒木うり呼ぶとやんわりふりかへり

黒木売まけぬあたもを重くふり

黒木売かねあひをして小便し

たきつける度に大原を恋しがり

十露盤へしたむ小原のせわしなさ

八瀬の嫁首の骨から先づ見立て

本猪呈娘と八瀬の仲人口

葵には雷も敬して遠ざかり

お怨の雷雨両賀茂さしひかへ

加茂よりも江戸に有りたき御祭礼

佛法の脇道を行く紫野

雑者所か御用心々

一休の手玉よほどしやれたもの

わるざれな坊主と三河すりちがひ

礼者も中を寂滅のをしへなり

一ト休ミ烟草はいかに新左衛門

一休の書讃表具も紫地

立者の子を出使の大徳寺

追善に生き肝をぬく大徳寺

猿と鬼との喰合は紫野

一も二もなく焼香は三法師

束帯で出る暫くは焼香場

お猿が守りで泣きやんだ焼香場

焼香場から諸侯みな烟たがり

金銀の寺王様の近所なり

碁盤より持棊に縁のある二ケ寺

分銅と桐で名高き京の寺

寺の名は金銀町はあやにしき

人のよく金閣寺から先に見る

稲妻も敷居の高ひ金閣寺

稲妻のはづかしく入る金閣寺

金閣寺くりに草鞋が二三束

御愛樹の松がしらべる筑紫琴

御愛樹の松千本に梅一木

一夜松よや我朝の奴賢樹

讒口を縫ふ千本の松の針

知ったふり千本通吉野道

松自在梅も自在の証拠なり

松の木を勅使はかぞへかぞへ行き

和歌の徳鳴かぬ田長に鳴く蛍

西陣のごみこぼれ梅ごぼれ松

西陣の!は諸方で着倒され

西陣の姫ははたの目をしのび

孟母をまねて西陣の小盗人

繁昌聞に行かずに絵馬を見る

書いたもの物をいふたは北野なり

珍らしさたしか北野の方で啼き

鳥なき里の一こえは北野なり

大神を拝し時鳥をたづね

北野では義理づめでなく時鳥

ほととぎす鳴きつる方は北野也

絵そらごととはいはれないほととぎす

絵に書いた時鳥さへ一羽ぎり

鳥のない里で一ト聲絵馬が鳴き

道の記の口元でなくほととぎす

光陰の一まく過ぎてほととぎす

青ぞらのたしない時分ほととぎす

にはとりと読みさうな字を時鳥

入替にゆく時聞いたふ奴帰

つり合はぬものてつぽうと時鳥

うツかりとお咄しのやむ時鳥

針仕事手のかるく成ほととぎす

御産婦を証人にするほととぎす

喰ふものでないのは花とほととぎす

時鳥二十六字は案じさせ

ほととぎすさしてもささんでもの!

時鳥あくる日からはへしになき

時鳥より此事といやうり人

時鳥ゆだんをするとなきたらず

時鳥下女居ねむつたのがしれる

ほととぎす下女は小袖でくるしそう

一聲に御硯水の御手がなり

明六つはあたまの上を啼いて行

仁和寺の茶ばんは事がもつちやうし

鼎のことはつれづれのちやり場也

兼好も鼎はにこりにこり書き

イヨ鼎ぶつさらいだと初手はほめ

かなへ舞を見さいなと初手はいひ

人間のからだて首は茶釜也

鼎ませぬ目くらになどと初手はしやれ

鼎のをとり角大師なとと誉免

筑摩祭に出るやうな御弟子也

仁和寺の障子にうつる角大師

紙袋仁和寺ほどに借騒ぎ

とらまへて酒のましやうと鼎出る

一曲かなて仁和寺の大騒き

徳利の指に鼎のものがたり

とんだ事鼎の中で酔がさめ

しんごんひンみつでもかなへぬけばこそ

外科の門仁和寺からとたたくなり

外科へ行鼎は道のはんじ物

医者へ行く鼎へ犬がやたらほえ

仁和寺の化ものみやくを見て貰ひ

脉を見る鼎なんとか云はいひ

ようだいをいへばかなへのうなづきて

屠所のあゆみで仁和寺へ立帰り

見に来る奴ツ仁和寺の門で叱り

鼎が帰り典薬で大笑ひ

鼎がぬけてやれ喰よやれ外科よ

仁和寺へ鋳物師もくる外科もくる

鼎の中からぬつぺらほうが出る

ぬけは抜けたがづんべら坊主になり

仁和寺の玄関にこにこ外科が出る

其鼎あとでつぶしに売ってやり

ええ気味は大根鼎は気の毒さ

元船で笑ふもしらず鼎!ひ

見る度にあかぬ双が岡の草

花も実もあるは双ケ岡の草

ならびなき草子は双ケ岡で書き

名の高い草は双ケ岡に生え

兼好は玉の盃底があり

いでや此世とつれづれに書れたり

いでや此世にうまれては文もかき

つれづれはへつぴり坊主までをいれ

馬のりの吉田か事も吉田書き

盗人を大根からひ目にあはせ

大根武者コレくつきやうのからのもの

二タ股はわけてはたらく大根武者

武具は皆あらかねの土大根

大事は障子より起る御教訓

いたつらに泣こま犬のあちら向キ

えの木一本であまたたび和尚じれ

一本の榎に三度はらをたて

榎の仇名三度目は蛙すみ

徒然に伊勢屋の食はぬ魚も書き

兼好は酒に二枚の舌を出し

兼好を馬鹿にして喰ふ珍しさ

嵐山花の名所とおもはれず

花ちる里といひさうな嵯峨のおく

嵯峨のおく世をすて人の住所

妻を恋ふ麻にねかねる嵯峨のおく

汗をかく佛の居るで清源寺

伽羅佛は涼しい寺で汗をかき

京ばかり大きななりできざう也

大きなほとけ金しやうと木しやう也

佛にも木性金性京と奈良

あの大仏さま御らうじたか銭となり

大仏は衆生済度の銭と化し

大仏は身をこにくだき済度なり

大仏のお足日本中をあるき

大仏のものまいらぬも世のたすけ

大仏は耳の供養に建たやう

耳よりのとこに大仏おはします

異国まで聞ゆる耳の塚を築き

日本のぐわいぶんになる塚一つ

日本の手柄は耳がいたい也

日本へみやげ木くらげ二三俵

耳をとりいよいよ日本鼻高し

土産もの木くらげ持参仕り

木くらげは俵にしろと小西下知

耳たぶの小い奴が塚になり

和のほまれ鋤鍬でほる耳の穴

耳をそぐは聞えぬと女唐人

あまたの唐人聞えませぬと泣き

大明の皇帝も耳こそばゆし

耳塚はあるがとぼしひ時鳥

大がねは耳をそろへて埋めた所

出来たままつらぬ鐘だがやかましい

つきもせぬ鐘に浪華の花がちり

つかねど此かね関東へはひびき

関東へひびき寂滅!楽なり

ぐわんといつてしまつたのはかね供養

鐘くやうぜんたいわるい矢先なり

鐘供養どれも仕舞は乱を入れ

鐘供養ばんくるはせが一ト人来る

何レぞあつたらの所へ鐘の銘

名護屋越前迄も出る鐘の銘

あらの出る長口上は鐘の銘

あんかうとかいたで鐘もつるしぎり

御名!の二字から鐘に音がなし

太平と書くと和尚につみはなし

おやおやと嫁とりかねる稲荷山

にくらしいなりに生えてる稲荷山

松茸の出そうな名なり男山

茶湯時みな緋威の二布なり

うかされて七つに起きる宇治の里

日にやけた嫁ほめられる宇治の里

御上りの鷹は穂をつむ宇治の里

飛鳥も落ちる威でゆく宇治の鷹

御茶壺へつめるは宇治の三叟

御茶々々と五十三ばいついでくる

御茶壺の泊り一宿ねそびれる

名物の二つで宇治は夜をねせず

茶にうかされて旅人も蛍かり

茶畑の茂りに昼も光ってる

合戦を馳走に見せる宇治の夏

近江路は家の上にも川があり

ぬけがらも三国一の水たまり

あと野とならず近江はらみとなり

くぼい所へ水たまる孝霊五

法螺の貝だらうと近江中でいひ

人体にとれば琵琶湖は臍の穴

江州の馳走は腐れぬいた鮓

昆布巻も先祖は不二の後へ出来

きつつなれにし松前を源五郎

松前の屋根板を着る源五郎

名の高いのは鮒五郎鯉太郎

伊吹山さいかち蟲のなくところ

草餅がすぎて伊吹の赤団子

伊吹山風除たてる五本指

浅間よりひろく煙るは伊吹山

泥棒の国は名所もぜぜやかね

八景の一目に見える御城郭

八景はよけれど油断ならぬ所

柳行李鮒くら内にしてやられ

ぜぜの城裏に青海波がうち

石山をすべつた月が膳所へてり

京の鬼さたを大津で買って来る

鏡山うらは湖水の天下一

言の葉に調べきられぬ琵琶の景

えちごやのてらへひでさとかねを上げ

おすそわけだと三井寺へ鐘を上げ

一景は龍雲までも響いてる

藤太では不用三井寺では重器

鐘藤太ではおかしいで俵也

つきばへのせぬ三井寺の明のかね

へんてつもなく三井寺の明の鐘

三井寺の鐘きずものの天下一

怪我をした鐘三井寺て疵もいえ

つりがねの疵はあんまり口が過キ

三井の鐘なると唐崎くもる也

唐崎も又捨られぬ夜の雪

夜るの雨ところの人は小言なり

しつぽりと夜雨にぬれる名所也

夜の雨琴の雫がびわへをち

つりかねはうそだが雨は本にふり

琴の音と琵琶の音をきく夜の雨

松の勲禄唐崎は橦木杖

杖突で琵琶さしのぞく一つ松

水鏡湖水をのぞく一つまつ

星のふる夜は唐崎も松ばかり

琴の音は景色の外のかくし藝

から崎はほこりのたたぬ名所也

行春の名残竪田の足のあと

七景に後をあづけてかへる雁

雁行に並ぶ竪田の田植かけ

無雅な奴竪田へ疵の鳥おどし

八景で比良を見残す夏の旅

暖になると八景二つへり

瀬田の橋琵琶の袋の結目也

八景の内一景は下駄で見る

唐崎はくもり石山は冴えている

石山の霧に汗ばむぬり枕

石山寺に所縁の紫式部に関する柳句は寛政二年新皇居の條下に収録す

底抜の軍をしたは桶狭間

今川の流かいほす桶はざま

桶狭間ゆるんだ箍を打ってしめ

おけはざまついに勝利を得ざるとこ

ふんだりけつたりの目に今川出会ひ

勝頼は茶碗今川桶で死に

油売でも仕出たは道三

尾張勢先づ油屋をせめつぶし

姉川へ妹聟をせめに行き

姉川で深く負たは浅井ちえ

平蜘やうに松永わびるなり

平蜘をこなにしたので名がよごれ

平蜘をつぶして虻も蜂もにげ

平蜘の釜松永の業が煮え

松永がかまをのぶ長かけ

松永が立腹とんだ茶釜也

釜をかさないで松永しめられる

死際のかんしやく松永弾正

なめかたで織田ほど勝たものなし

かたのない智謀熱田のお賽銭

人の手をかりて信長はらをたて

十兵衛でよいにお目がね違ひ也

御馳走がすぎて光秀しかられる

光秀は不断うぬ見ろ々よ

おむりてんてんが十兵衛むねん也

先こくはなどと蘭丸次で云ひ

らん丸はおつうが尻をつめる也

愛宕うらあそこだなあと本能寺

おそろしい十七文字は愛宕也

五月雨にぬれぬは紹巴ばかりなり

眉に皺よせて紹巴は脇をつけ

天か下紹巴もやはり日和を見

五月雨をさすが紹巴はてでとめる

らん留がよいと紹巴へ明智いひ

本能寺それですめたと紹巴いひ

本能寺しやうは横手をはたとうち

愛宕にて買ったさつきは三日咲

皐月かなやうやう天気三日もち

五月雨を三日てらすは土岐あがり

四日とは天気ももたぬ五月雨

四日目に愛宕の額をひつぱがし

五月も取りそうな句で三日取り

本能寺安土の意趣で高みで見

主に引く弓も安土を的にうけ

いい相のちつと有つたは明智なり

ときあかり三日日向をてらす也

あきらかなちえに信長たばかられ

得がたきはときと本のふ寺へしかけ

ぶたれちやあきかぬと寄せる本能寺

正ウ子の刻に本能寺へ押しよせ

手がいの鼠手をくつた本能寺

短ヒものにまかれたは本能寺

土岐の鐘寝耳へひびく本能寺

本能寺寝耳に土岐の聲がする

本能寺はしに歩をつくひまはなし

本能寺安田は玉に疵をつけ

本能寺三日あわぬがふうんなり

らん丸をいつちおしがる本能寺

七つ目もあてにはならぬ本のう寺

おしい事信長妻戸ぐるみやき

三日でもとられぬものを明智とり

たんばのとののむほんだと京さわぎ

是からはおれがさきだと三日いひ

取逃げをしたやろうめと明智いひ

元ト人の物だと明智へらず口

あいづめはもと黒がもと明智いひ

いい寺を壱度明智はしてもらい

らく中にききやうの花が三日咲き

らく中へじひは三日の口ふさげ

丹波のねづみ京へ出て馬をくひ

三日正月を丹波の庄屋ふれ

四日とはたち廻らせぬ主のばち

山ざきをこうべをかかへねづみにげ

八まんの前をすたすた明智にげ

!次兵衛が門を光秀やツとにげ

引かへしの幕で明智はしてやられ

中指を折ると明智はしてやられ

光秀も素人細工にころすなり

数より功のもの明知を殺し

光秀を突たは野夫に功の者

責て藪から棒ならと明智いひ

槍の出た藪は小栗栖ばかり也

小栗栖の竹を手にしてひさご伸び

猿におはれた小栗栖の濡鼠

栄花は三日竹槍は百年目

大願じやうじゆといふと死ぬ光秀

福来る則ち死すは明智なり

明らかな智恵でもたつた三日也

十兵衛日なたへたつた三日出る

たつた三日にてころりと山椒みそ

かなしさは三日からさきかすむ也

らく中は光秀信士とぼすなり

光秀は扇子の形リに箔を付け

光秀はあつかいぎりて絵がくさり

光秀と長田ならびにしなのもの

むらさきのむらを奪ひしえききやう

今以て三日にあはず京でほめ

三日咲く桔梗を誉る京の町

桔梗をば三日ほどにて染めて遣り

へうたんの留守に桔梗の花ざかり

桔梗袋に三日とはもたぬ銭

四日目は明智日陰の守となり

桔梗より盛の長いさるすべり

義太夫は股引もなき裸武者

雲龍の湖水をわたる三日過

琵琶の音を蹄でならす左馬の助

小栗は碁盤左馬助は琵琶を祭り

ほまれさは敵へかたみに茶器を出し

左馬頭おきを越したる武勇なり

いけしはい国司信雄を養子なり

桃山は猿の住家にうつてつけ

敷物に霊国のまじる桃の御所

馬印千なり桃でいいりくつ

人の毛に三本足らぬ御名将

凡人に智恵もましらの御相顔

雲井迄のしたはまれなやつこ凧

関白はもとわんぱくの御末也

飽きられた猿中間に預けられ

猿の腰掛松下が最初なり

ずい分ねぎつてかへよと喜兵衛かひ

もうかへる筈だと喜兵衛指ををり

松下もおそひ事だと初手はいひ

うけ人を呼べと松下せきにせき

松下は日ざん用ではがてんせず

喜平次はこわい奉公人を置き

具足代もつて貸かんばんで逃げ

松の木の下へ草履をすててでる

松下をこぼれた頃はまだ葉武者

手の筋を見せて尾張へ道をかへ

大しやぢく尾州の地へといそぐ也

三面の像を秋葉で猿ひろひ

大黒をしててとんぼをおさへたり

信長へお国者だと申上げ

鷹になるきざし草履をぬくめどり

草履から片道付いた天ケ下

沓よりもこつちの草履名が高し

へうたんの運だんだんとぶら上り

沓とつて末はかむりの御すがた

きやつきやつと手筈を配る割普請

なりさがる瓢箪で身はなりあがり

敵の目をさます智術の一夜城

御出陣猿のかしらへ龍を召し

出世して登ツた瀧の偏が取れ

秀よしのつとめたころはちらし也

秀よしが出て小田原のこけをひき

豪筆に仕出した伊勢屋は新九郎

評定のうち外郎を士卒くひ

出来ぬ相談を二日路先でする

吊ひを済ませ御幣はあと払ひ

雲よりも恨のつもる柴田勢

和でもしば唐げもしばは瓶を割

和漢の瓶わり温公と勝家

歯のはえたやう川口に天保山

すり鉢と檑木羽柴三拝し

世を握る手で味噌をする尼ケ崎

福島もし津が嶽まで女形

雁もへの字になつたしづケ嶽

七本の槍ほのこらずしづが作

風のよひはうへ順慶!發帆をむける

三韓の犬も猿には尾をはさみ

わが朝のさる三韓の犬をせめ

てうせん場はひやうたんでらりにする

八道を一呑にする蛇の目なり

日本の蛇の目唐までにらめつけ

唐人はみんなきらいな蛇の目ずし

朝鮮で引きぞ煩ふ桔梗の根

日本の虎をからでは鬼といひ

日本の虎は霊国でおにとよび

猿と虎渡らぬ先と唐でいひ

霊国責日本で撫でる髭の旗

唐人を髭題目で二度退治

清正は人参畠踏みあらし

清正はりうさ川迄追ふ気なり

空を行玉に清正逃て見せ

犬ころを二疋清正とかまへる

摺子木で何の気だか二羽叩き

忠と義に飢える蔚山首陽山

人参は行長殿に見てもらや

日本勢一人リは伽羅のめききもし

日本勢人参ぐらでつかみやひ

分厘も引くな々と小西下知

手代共進め々と小西下知

大明の後詰に小西匕をなげ

朝鮮のだいわら捜す生茶屋

朝鮮のお種薬種屋とりにがし

朝鮮責の中ではみがきをうり

首帳のよせ算するに小西が出

越前で度々小西利運をし

九層倍どこか摂津に任ぜられ

こしやくさは小西石田がみやくをみる

智仁勇三句に出来る時鳥

なかぬなら鳴かせて見せろ蛍でも

紅葉ふみわけて蛍も一度なき

なく蛍燈付いてひが見えず

威にひかる蛍かすかな義理でなき

君は山臣は蛍を野で泣かせ

下の句で御意の蛍はひかるなり

ならぬ一位をとつたのは猿と蟹

月卿雲客猿だらう虎だらう

曽呂利が話きやつきやつとおん笑ひ

そろりそろりとわらはせる新左衛門

キヤツキヤツと召のに曽呂利々来る

関白のおそばへそろりそろり出る

太閤をおかまにかける気作者

鼻薬御前の耳をかいでとり

難問も鞘師そろりとぬける才

秀吉をそろりとはめる紙袋

曽呂利が女房紙帳でもはるのかへ

白波に千鳥はたかく音を発し

権兵衛が足をふんだが運のつき

大茶の湯さるの下刻にやつとすみ

清正はあんにたがはず落命し

まんじゅうの供物はよしな太神儀

まんじゅうのあんにたがはぬはかりごと

ぬるい茶でたんだんあつき御取立

口ぢかひ湯かけんをしる佐吉なり

汲ムたびに佐吉は指を入て見る

馬の小便を佐吉は初手に出し

気転さは佐吉のかつぱの屁をのませ

さきち御茶上げイと和尚手をたたき

佐吉めは仕合ものと和尚いひ

佐吉めは出世をしたと和尚いひ

寺小姓淀の夜船へ棹をさし

佐吉は出来し冶部でははたく也

若衆方から悪方に石田なり

上りきわがあぶないと冶部気をつけ

もうこまをおなげなさいと左近いひ

嶋がらが能過キ石田に似合かね

 

洞房語園梓行庄司道怒齋自叙・竹馬(祇徳)・蝶つがひ(蝶々子、白應、雲鼓)・俳諧前句火燵びらき・ももちとり(蝶々子)・俳諧其傘(貞山)・俳諧後の花(其国評)

 

 

一七三九年      

元文四年己未 二十二歳

 

春秋庵白雄生

神谷玄武坊生

尾藤二洲生

北尾重政生

初代瀬川奴皐生

市塲通笑生

 

正月九日澤村琴所没年五十四

正月二十三日二代目澤村長十郎慶興没

四月二十四日中村吉蔵其次没年三十九

七月朔日篠崎東海没年五十四

七月十二日元祖嵐三五郎雷子没年五十三

八月八日(或云十八日)中川乙由没、麥林舎と号す、芭蕉末弟、伊勢の人、山田の祠官、慶徳図書と称す、一説に元文三年没

十月二十三日室勿軒没年三十四

十二月十七日貴志沾州没年七十(或云八十)沾徳門、江戸の人

 

正月十二日尾張宗春卿に蟄居を命ぜらる、此卿を世にどら中納言と云う

春日野は四タ人とないきやくを持ち

春日野へしかも名高い一人リ客

春日野が親父はえびすやのかかへ

中将は其後も春日野へ通ひ

大三十日春日野一ト人うらやまれ

八の字で出る春日野か中の町

五十三次を春日野江戸で見る

茶屋の母春日野頃のみそをあけ

傘をさすなら春日のはきつい事

春日のえんで結構な傘を召し

かさがよう似たといひての無いを召し

大きなどらは春の傘秋の下駄

誠の傾城買傘や下駄なり

傘と下駄おツつかツつの御大禄

下駄の上にたたん事かたきは笠

傾城は三人あとは女郎なり

いい傘を持てなにはや名が高し

傘の事池田でもいつかしり

傘の咄のならぬわるい御所

 

十月流行の豊後節禁ぜらる、其の後も依然豊後節流行、延享の初めに

すい過ぎし梅の名代の豊後節

      語るな聴くな心中の種

と云う落首ありとぞ

 

十二月晦日自堕落先生(山崎俊明名は桓不量軒と号す)、葬式に擬して興じ遊び人の耳目を驚かせけるとぞ、日暮里町の補陀山養福寺に擬葬の時に建てし自叙伝の墓碑あり碑文次の如し

自堕落先生之墓

先生ハ武江ノ産ナリ元禄十三庚辰年五月三日生ル幼名伊三郎成長シテ山崎三左衛門平相如ト云十六歳ニテ仕官シ三十歳マテ五君ニ仕フ其質不西騎ニシテ気随ヲ以て性ヲ養リ若年ニテ諸芸学ト雖奥ヲ不極心ニ欲ルホド修テ足リヌトシテヤム書ヲ読ドモ解エルフヲセズ是故ニ無学ニテ無能ナリ人ニ追従阿謡!スルヲ嫌ヨク大言ヲ吐故ニ人ノ薦達ナシココヲ以君不用於此去テ隠レ名ヲ山崎俊明名ハ桓ト改其軒ヲ不量軒ト号シ庵ヲ無恩庵ト名ツケ齋ヲ捨楽齋ト額シ坊ヲ確蓮坊ト云自ラ堕落先生トヨブ又臍人トモ北萃トモ云常寝ルコトヲ業トシ鳥獣魚鼈ノ肉ヲ好ミ酒ハ索陶ガ未知味ヲ知リ酔テハ眠リ醒テハ臥スウカ々々々日ヲ送テ無為ナリ風雅ハ俳諧ヲ好デ蕉門ノ盧実ニアソビ其姿ハ髪ハカラ輪ニ結髭又長シ歯ハ鉄漿ニテ染タリ足ヲ八荒ニ縦ニシ志ストキハ笈肩ニシ難波ノ曙都ノ春松島ノ夕更科ノ秋見ズト云フナシ先生常ニ云フアリ體存テ心死タルハ長ク心存テ體死タルハ短シ月花ニ!シテハ雅ノ雅タリ生前ニ心ヲ殺テハ隠ノ隠タリ官ヲヤメ銭ツキテ富貴ト成リ酒ヲ飲デ浮世ノ酔覚タリト是皆自ラ堕落スルナリ今年今日四十歳ニシテ大ニ休シ眠レリヨツテ碑ヲ建其所ヲ記シ銘ヲ書テ其霊ヲ慰ス銘ニ曰

髭ハ土にも朽ぬといへば

雪白からバ月よ明うれ

神ハ石にも可在なれバ

花匂ハバ鳥よ鳴け

心も體も存するハいやし

心も體も死するハ清し

 元文四未己年晦日  後の北萃謹書

           石工小出氏保教

蜀山人の随筆「金曽木」に曰く、元文四年己未歳十二月晦日年四十にして、たはふれに柩を作り其の柩に入り同好の話子是を贈りて、谷中新堀村補陀山養福寺にいたりて葬儀をなす、住僧下火の文を唱ふる時にいたりてみづから棺を破りて躍り出しに、葬にしたかふ諸子酒肴を携へてうたひつ舞つ楽みて人の耳目を驚かせけりとぞ、さて養福寺の堂の前に枝垂桜一もとを植て碑をたて、みづから狂文を書て後の北萃書と題して世外の人の思ひをなせり、実の墓は本郷三念寺の後の北萃と題せしを先の年見し事ありきと、又其の註に己巳臘月雪後履を躡て三念寺の墓所に至て見れば墓なし、盖主僧其の無縁の為めに棄てたるなるべしといへり

よみがへり御寺へたいし気の毒さ

 

享保元文の頃は祭礼の警固に出る者女の衣服を着じんじはしよりして杖を突きたると云う

 

其角嵐雪三十三回忌

 

山岡元隣の著寶蔵を幸蔵と改題す

 

天の逆鉾(不及子)・俳諧友音鶴(不角)・三十三回(淡々)・正風論(松盧、松佐)

 

 

一七四十年      

元文五年庚申年 二十三歳

 

杉田元伯生

永井嘉栗生

上田澄里生

 

正月三日志田野坡没年七十八、本姓武田氏、通称半次郎又弥助、字弥亮、浅生庵、樗子と号す、越前福井の人なり

三月十三日服部愿卿没年十七

四月五日元祖市川團蔵市紅没年六十二

四月二十六日仙石彦助没年五十七

五月二十八日鈴江知木寄松堂没年四十四

七月十二日(或云二十二日)清水超波没年三十六、独歩庵と号す

閏七月二十八日永井隠求没

九月朔日豊後節元祖宮古豊後椽没年三十八、浅草観音堂うしろに墓あり、都一中門人始め都国太夫半中又和中、後に宮古路国太夫と改む、享保十五年春江戸に下り葦屋町川岸小芝居へ出勤豊後節の祖なり、元文五年九月朔日ある女と情死せりと名人忌辰録に見えたり

十月二十日二代目市川国蔵市紅没年三十一

十二月十三日鈴鹿知石没年六十、寸松堂盧花翁と号す

 

三月五日大島蓼太吏登の門に入る、五月蓼太剃髪す

三月二十一日葉室冷水二卿隅田川遊覧饗応あり

しわくない事が公家衆へ御きょう應

御ばん組迄かね入りの御饗応

御饗応春の日ながくまだ暮れず

かの所はこうかと笏で角田川

此寺と芝で公家衆へ申上げ

 

閏七月隠賣女禁止、踊子茶屋の猥なることを戒める

 

小金井村に桜を栽添う、初は寛永にて延宝の頃迄栽続ぐとぞ

 

花籍流行す

 

石畳の模様流行す、佐野川市松と云う役者之を好みしに因って市松と云う、別説あり松本轟軒の著書「とはずがたり」に見ゆが略す

市松のあたりで帯がふりほどけ

 

此頃俳諧大いに流行して其の宗匠江戸に三十六人あり、夥しき事にて珍しとて常仙といえる人の輯にて千々の秋と云う俳書出たり

宗匠の片身朱青の閃を分け

合紙に句の反古交る庵の茶器

表徳は油いらずのあたまにし

俳諧はいもだが表徳は立ツ派

ヘエけエに行くとむすこは内を出る

はいけいをするをやりてはあざわらい

今夜の俳諧古句だと女房いひ

辞世にる現在のしろ切字也

百韻は紙屑買も去りきらひ

百韻でなしばりをする安隠居

 

 

一七四一年      

寛保元辛酉年 二十四歳

       三月三日改元

 

大須賀鬼卵生

五代目市川団十郎生

 

正月二十三日三宅尚齋没年八十

正月二十四日寺澤政辰没年七十一

四月十七日絵島信州高遠の配所に病没年六十

美しい流人大飯喰ひになり

まんじゅうは女のちえに大きすぎ

島かくれ行を御菜はあぶながり

御代参ついでにほつきあるく也

御代参だんだん事がもつてらし

御殿ものふざけ出してはきつい事

長局役者あらそひ事起り

とんだ出来心桟敷を売りにする

品のよい桟敷つもつた雪のやう

其の他御代参、御殿者、腰元、長局、鋲打駕籠、御菜、おぞう、御用及び宿下がり薮入りに関する柳句を爰収録す

代参は道から神と不和になり

片道はしやうじやうて行く御代参

どうしてさなどとちんじつ御代参

もうおきやくしまやつたかと御代参

御ヨ等はなひうへと聞く御代参

わが朝に先き棒を切る御代参

一トまくを内所で咄す御代参

御代参きつと岩内供をする

御代参池のみきわでとんだ事

御代参ころんで帰るせわしなさ

御代参若衆の物で喰たらず

御代参神とえと野ちやらをいひ

代参のむねにほんなうぼだいあり

奥女中一あみにうつ御内陣

御てんもの来て下んせを忘れなね

御てんものおあし車はいいといひ

御てんもの申におはれていそぐなり

御殿者後家と張合ふいらぬ事

御殿者どこでも見ろの歩行やう

ええ年で初さといふは御てんもの

とんだ事崎之介よぶ御てんもの

汗とりであたまをつつむやかた者

ふところの真ツ四角なが御殿なり

大門をつきやとは入るやかたもの

塩のからひかけまを御てんからかい

つんとして車へ見せる御殿者

腰元は寝に行く前に茶をはこび

腰元は鞠ぐつはいてあるくけいず

腰元は雨戸くるたびおどかされ

腰元ですますはしわいやかた船

腰元は隠居の足を艪にかまへ

腰元は見越しの松に逃のこり

腰元の夜もおふねは其気也

腰元は表屋(おもや)とられし飛鳥川

腰元は敵持故床をかへ

腰元は奥へいふなに迷惑し

こし元のえりをつつこむつめたい手

こし元の化粧にきびに手間が取れ

こし元は度々御らう下を一ついき

こし元のよむを聞き々御しづまり

差紙のつく腰元はにくがられ

氏なくて玉の腰元酢を好ミ

仰山に逃て腰元笑ハれる

白羽の矢立ツてこしもとおこり出し

いけにへの気でこしもとはよりに立

嫁の来る門に腰元泣て居る

伸をする手に腰元はついと逃げ

いもむしのよふにこし元承知せず

おく両の御こしの元トをぼうきやくす

なぶられた腰元狆をけしかける

御腰元十六の時福来る

こしもとは時計元置にしかねて居

御守殿の遍たりとしたはたぶ斗

御守殿は威有てしかも猛からず

白粉を四角に付る御中老

三角な雪見お犬がうれしがり

白粉もところ斑に塗るお犬

はねむしる鴨に手の込む長局

血の道もてんねき見える長局

紋所に私のある長局

えり人で鰹をりやうる長局

なんにせい帯をばしなと長局

御かへりに雪おろしほど長局

おんびんな薬禮もする長つぼね

鳴子から御使の来る長つぼね

三芝居見たでとりまく長局

産んだ乳のあてくらをする長つぼね

みやげをば身振で咄す長局

表具屋へ役者絵の来る長つぼね

さあ殿に成なとわたす長局

前帯にして笑合ふ長局

御目見の顔を取まく長局

あつかんでくつとのほせる長局

沙汰なしといふ虫も病む長つぼね

大それたもちやそびを買フ長局

大それた頬する長局

鼈甲を下界へ落す長局

笑入といふたのしみは長局

わがもので我ものをする長つぼね

どうみやくを夜ル々遣ふ長つぼね

紛失の品は云はれぬ長局

もくぞうの生キてはたらく長つぼね

引出しに夫もことれり長局

おしひ事は形でなく長つぼね

長局御馬が済むと牛を出し

長つぼね一人が二人高まくら

長局ばいやつて見るびんかがみ

長つぼね屋根や一日きぬを締め

長つぼね鈴のあたまに似たといひ

長つぼねきのふの口をもう弐本

長局生キてはたらくのは法度

長つぼね穴のいなりの近所なり

長局腹にやまらぬ物を喰

長つぼね廻りに乳をのませて見

長つぼねうしをやすめて馬に乗り

長つぼねがく屋で聲をからして居

長局染井のやうな名がならぶ

長局男の切ツぱしを持ち

長局けげんな物を賞玩し

長カつぼねある夜ちんちんわかす也

長局笑ひをとこのちぢれ髪

ながつぼねなんたる朝で納太刀

片思長局からいひはじめ

くつはやは出し長局かくす也

御つぼねが夘のごとく雨の故事をいひ

お局もむかし御家へ土佐ですみ

御局はそつとそつとの十三日

御局は柳桜をこき遣ひ

お局は日の暮れそふなうしろおび

御局の女いしやとはすまぬ事

お局の出に大部やは四人泣き

御局はげい子にいつそあやなされ

御局も谷中で土を持ツた人

お局は白縮緬の化粧貌

お局は銭をいぢると手を洗ひ

お局の病気引きとりての多さ

お局はとひけたの有鉄漿をつき

御局は遣手の人のよひの也

くのぬけた枕御局箱へ入れ

かたい金百も御局にぎつてる

年忌かづけが御局の宿下り

こんじきの文字をお局は着し

一町は皆おつぼねの名を覚へ

歌がるたお局くされどうしなり

ごせの金お局そつと借り始め

嵯峨やうの清書などをお局着

はつめいで局大かたかしなくし

ぼた餅で字を書たのを局着る

紺紙金泥の着物で局出る

人二タ人かばつて局不首尾也

歌よりも局おこしてまわるなり

たツた二三本につぼね耳だらい

にくい程いい顔だのとつぼねいひ

あひまにはやきあそばせとつぼねいひ

うしはものかわとかげまへつぼねいひ

やきばへかぶせるやうなを局着る

そのさまちいさからざるを局もち

細工物なら苦しからずと局

局の年明き甥や姪にかかり

牛若と名付けて局秘蔵する

とんだ事局かかとを相手取

代参の蓮の根堀て局聞キ

おつぼねは日のくれさうな後帯

おんみつを不二のふもとでつぼねいひ

するが迄行くは大きな祓参り

駿河まで道聞に行く祓参り

春の日に祓参りする犬としま

神勅をうけに局のぬけ参り

古来稀伊勢へ春日の祓参り

ちうぎさあは鋲打て行くぬけまいり

お伊勢様鋲打で売る忠臣さ

いせのはなしをきかれつぼねはこまり

駿河細工で竹の世にあそばされ

おんみつ以下十句は徳川三代将軍継嗣のことに関し竹千代の乳人春日局が伊勢参と称して密に駿河府中(今の静岡)に行き家康に愁訴して首尾よく家光の世になせしといへる史伝の柳句なり

鋲打にのればつつぱるたてえぼし

ごみための鶴鋲打に羽根をのし

鋲打の先へしたたかかしましい

びょう打を据えて前後へはつとのき

鋲打の供明店を二!かり

どてらかいどりで鋲打あらためる

楽屋新道鋲打邪魔にする

びやう打と四つ子すりあふ御えん日

日傘と扇鋲打を十重二十重

いきづへをして鋲打のみともなさ

鋲打の中で地犬をほえている

内ぞゆかしき駕籠脇の美しさ

六尺はこんこんちきの所作があり

御さいかご何が出よふも知れぬ也

札紙のついたおあしを御さいもち

のぞいてはあいそのつきる御さいかご

かみそりも下ざるといで御さい出し

霜どけで御菜えいやらやつと抱き

ところてん喰てるやつを御菜ねめ

ぞうしがや御菜も一把さづけられ

ちくまりとあるきなさいと御菜いひ

よし町で御菜せん香折れといふ

芳町へ廻るを御さい恩にかけ

あかいかと御菜に顔を見てもらひ

やくばらひ御菜の内で手間がとれ

御さいの子もへぎの紐であやを取

御菜とはいつか近しき色男

御さい迄とふとふ房を長くさせ

どうづかれ御さいは壺をまだくなり

おつけ沢山なのを御菜そびき出し

てもくふい内だと御菜腰をかけ

口に戸をたてぬと御菜つとまらず

ぬへらほうといふものを御さいかい

道すがらくされな事をごさいきき

そのむかし御さいか女房柳なり

御菜の子そう有そうな物を着せ

かごのばんして四ツ目やへ御さいやる

びろびろとしては御さいは勤まらず

はり形のあたま二朱程御菜はり

御殿中ひいきの御さい無妻イ也

てうちんで消すのがおぞうきついみそ

べんべらを酷ツたらしく御ぞうはぎ

もういくつ上がるとぞうに聞合せ

花の山いまだ御ぞうが気はしれず

小田原を目あてに御そうかける也

ちえはあるけれどもぞう程しやれはなし

禿さんなどとおぞうは火を貰ひ

そりや旦那が御出とおぞうふみつける

ぼうふりとごぜに御ぞうは役不足

こそぐらせるぞやと御ぞうせめられる

御ぞうさんていらに居なと猪牙を出し

勤者かとのぞけばおぞう一人来る

つみ草のやうにおそうは矢をたづね

おらがのも遊びは下手と御ぞういひ

あんまり御やみくもさまと御ぞう云ひ

問ひつめられて上ぬりをおぞうする

十一里貝がらかひにおぞう行

着せはぎだからすまないと御ぞういひ

戻りにはあぶりふんばりおぞう乗る

何かきくべしに御ぞうをおくへよび

おいらがにや具足があると御用いひ

めしがすすまぬと御用をきんみする

柏めん鳥の訴人を御用する

御用の外は四人でかつぐ也

番太がところで一トどら御用うち

御用にはほとけさまのを下げてやり

川ばたの御用はあたまはられけり

きん酒ことわりて御用を追かける

おきるよりはやく御用をよぶやつさ

こわれないものは御用のあたま也

のむまねをしろと御用と一人もの

喰ひかけて御用をまねく一人もの

十七日のあけぼのは御用ごよ

竹笠へ御用はなををすげて居る

みそこしを御用うざうざ頼れる

あつい茶をのんでて御用しかられる

齋日に御用大しやにおこなはれ

出るそうでわつわつと泣くと御用いひ

白かべのそばでてうちやく御用され

さがり取御用爰だとつれて来る

目ざましに御用したたかくらはされ

もう一本ほしそうにさす御用たし

よこさずばなけと古参の御用いふ

元日の御用いいなとほめられる

さい日に御用夜喰はいやといふ

まりうたをつけて御用はどうづかれ

ええ子だと御用八百屋へ頼まれる

こい口をならせば御用置いて行

中宿へ御用小ぎくを持ってかけ

とうふの湯御用に内義手をあはせ

安玄関御用はらばへうつて居る

ふり袖でぶたれる御用気さく者

人さまの居るのに御用気がつかず

名月に御用発句をしたといふ

天知る地知る二人知る御用知る

せんとのもこないと御用立て居る

いわぬかとよやと奉加を御用出し

気のしれたみやげを見ると御用よぶ

山門で御用立ツ日をきめるなり

若旦那どちへと御用なぶられる

犬小屋を御用目合見てつくり

たるをすてしりをまくつて御用にけ

御用なきないらのみかけ引ツたくり

よくかへと御用にちよくとかうのもの

ふところで御用はせみをなかせてる

わきさしをいかしてさすは御用たし

是さたを御用あまねくふれあるき

金時のまくらを御用とりに来る

くとくのを御用見て居てしかられる

とうふ斗カうつて御用はしかられる

さつまいもなぞで御用はころぶなり

御用らがこぞるとたこのほねを置キ

はめて居てしかるやつさと御用いひ

反吐をつく背中を御用たたくなり

元日に御用はだるくかしこまり

!物を御用手玉に取て行

一升の酒で御用を供につれ

珍客に女房御用の耳に口

忌中のやすみを御用はうれしがり

つき袖で御用一面持て来る

玄関番のむ内御用待つて居る

何申しやしやうと御用百にぎり

どつからか御用きせるを出してすひ

朝がへり御用を内へ見せにやり

客をしかつて出て御用しかつてる

すをくんな御用あないちしで居るよ

しなどの風にさそわれて御用ぬけ

まおとこを御用百にて他言せず

そうめんをくばるを見れば御用也

くぐり戸が明いたと御用湯へしらせ

下向した御用布子に人だかり

色文をひろつて御用百にうり

雪隠でぶどう一ふさ御用喰ひ

あのかかあしやねが有ると御用いひ

戸塚から五文で来たと御用いひ

乳貰ひに今来なさいと御用いひ

一人もの御用をのせてさいをくひ

安げんくわ御用干ものを買って来る

つき出しの御用木めんのもやうもの

鷄を御用一トはしくつてみる

花火よと呼ぶと御用はどちか逃

まくら!蜥をくださいと御用使

こわひ顔一年に二度御用見る

縁日に衣紋津くつて御用出る

縁の下覗くは御用邪推なり

ふてへ御用壱貫六百つかひ

うどんやへえだるの御用たのまれる

番頭の目をぬき御用あぐらかき

かみゆとこ御用くわんじん帳をよみ

らうそくかとおもへば御用がぶんこ

乳母が尻たたいて御用うきめをみ

こい口をならせば御用置いて行

御用の外もかまはぬは十五日

土弓いる御用時々うしろみる

齋日に御用きんきんもので出る

齋日に閻魔の!で御用逢ひ

素麺にたのんましやうで御用来る

そこら見て袂の桃を御用喰ひ

ふてへ御用壱貫六百津かひ

なくなつた狆の居所を御用言イ

うばがやどへちまの水の御用聞

いち川こを御用笑ツてしかられる

宿下り供の飲む内文を書き

宿下リ今度も灸をすえはぐり

宿下り飲むと出してはとんだ事

宿下り隣の内儀ちよつとひき

宿下り道を聞く内葉をちぎり

宿下り芝居の夢がさめたやう

宿下りどうか兄貴が呼んだやう

宿下り兄を二階へぼいあげる

宿下り馬だと見えて外へ出ず

宿下り三をむすんで一ツひき

宿下りすきまかぞへが入りびたり

宿下り日のべを願ふ死にはぐれ

宿下へ叔母の慾なし邪魔をいれ

宿下はむすびのそばへ立かかり

宿下り庄屋の嫁を安くする

宿下に母はどつととたきつける

宿下が済むと年寄ばかり来る

おさらばを宵にして置く宿下り

わが供へ茶を汲んで出す宿下り

すぼまつて馬から下りる宿下り

ぢうくな事ばかりいふ宿下り

一町の血をうごかした宿下り

糠箱をかい干して行く宿下り

一日を大事にくらす宿下り

まかなひは齋米の入る宿下り

白粉を村中さがす宿下り

伯母さん々を邪魔がる宿下り

糸のない三味線の出る宿下り

箸をとらせうには困る宿下り

まぜこぜに母も名を呼ぶ宿下り

おふくろのしようのはけちな宿下り

大吉の神籤で不時の宿下り

下で見せますとはひんな宿下り

無造作なものは丁稚の宿下り

兄弟を見に行く春の宿下り

曽我の後又宿下りの東山

くせに成てはと宿下り母起し

婆々アの宿下り外聞のわるい物

よくよくの事か宿下り叱られる

其沙汰を聞て宿下り廻り道

半年の中に宿下り美事なり

ひとりでに起きて宿下りなぶられる

けんくわ半分で宿下り灸をすえ

野郎の宿下り高い所へ上り

おきやあがれ宿下り宿をきたながり

大風を吹かせに娘宿へ来る

七ツ口これもこれもとくくしつけ

孝行は霞と霧に親に逢ひ

薮入はよい人間になつて来る

薮入の土産でわかるままの親

薮入がかへると酒の施主がなし

薮入の綿着る時の手の多さ

薮入の供はとなりをかりて入れ

藪入の供は母が飲んで差し

薮入の出掛けに物をかくされる

薮入を生マ物しりにしてかへし

薮入が来て母親は遣手めき

薮入のうち母親は盆で喰ひ

薮入の二日は顔を余處におき

薮入の羽織着て居るすまぬ事

薮入に母はおめしの水を引き

薮入の妹はつきについている

薮入の後気の知れた人が来ず

薮入を霞に見初め霧に出来

薮入の数珠をもつ日はつけやきば

薮入にうすく一トきれ振廻れ

薮入はたつた三日が口につき

薮入をしかるを聞けば灸の事

薮入が来て二三日さいが出来

薮入のしまひの指は木挽町

薮入はくされをぬいて願ふなり

薮入によく似た男口を取り

薮入の母へ土産は髪の出来

薮入へ果報な男牛を曳き

薮入に旅立ほどの晦乞

薮入に毎晩そばの施主がつき

薮入の注進に来る樽拾ひ

薮入が帰ると母は馬鹿のやう

薮入が来て鶴翼に床をとり

薮入にはしょれはしょれとせなあいひ

薮入がかへると母は膳で喰ひ

薮入へここぞと息子三味をひき

薮入にむす子芝居の見にげされ

薮入の土産によしごそへて出し

薮入をやつと抓つたぐらいなり

薮入の五ツ月過ぎておひまが出

薮入は春の残りをくどかれる

薮入をむざんなるかな只帰し

薮入を夜ふかに起す母の顔

薮入に出向て噺しさとられる

薮入は隣村から引ツたらし

薮入のしけをくづたもむごいもの

薮入は薮蚊のやうな供をつれ

薮入のうちに水とも小のむし

薮入が来ると其やぶちやくやし

薮入に聞イてしやていはほりに行

薮入の迎ひの傘の一とからげ

薮入の井戸までのぞき晦乞

供が内見るが薮入くろうなり

でかいがと薮入の供茶をしたみ

あそこへは嫌と薮入気の高さ

月の上に薮入を見るにぎやかさ

うづらにもよいと薮入よわく出る

傘で出る薮入はなぐさまれ

物思ひ薮入以後の事と見え

箸をとらしやうを薮入うるさがり

春すえやせうと薮入舌を出し

又春といやるかと母墨をすり

時ならぬ薮入それでよめやした

米櫃で屋日入りを待つ下ぞなへ

火なハうりやぶ入といふ蔵をもち

あやつりをすく薮入はべたつかず

機を織る邪魔を薮入して歩行

年二度丁稚叱責をまぬかれる

年に二度土をふませる呉服店

木枕で明日を嬉しく寝付埓ず

盆過ぎて母は土産の心懸け

付記 閻魔の齋日

齋日の薮入飛脚ほど歩き

齋日の連れは大方湯屋で出来

齋日はちつさな用に事をかき

齋日に切りを見て来て叱られる

齋日に帆を見たやらううなされる

正月の閻魔芝居に押されたり

遊ぶ日もこわい顔見る年季者

伊勢縞の内は閻魔を尊とがり

半分はしきせで拝む閻魔堂

どう云つて拝んだと聞く閻魔堂

しつかりと拝むでもなし南無閻魔

蔵前の閻魔にちるを帳につけ

掛乞は閻魔を二日前に見る

えんまのてらをかけぬけて厄に成

閻魔さまたのみがひなき口をあき

閻魔さまぬりだるといふ頭つき

大王は笏を呑まんづ御くちつき

首のいふなりにえんまはさばくなり

みな色と金しやとえんま帳をくり

かく鼻もこたへかねたり閻魔の屁

 

五月十二日三谷宗鎮没年七十七

七月二十四日新井明卿没年五十一

七月二十七日多々良南川没年七十四

十一月十三日千代倉蝶羽没年六十五

十二月十日中邑元禮没年二十九

十二月人見午寂没

貞山没年七十余、貞室門京都の人後江戸に移住して京橋桶町に居る

三月新吉原仲之町に桜を植える、寛延以後例となる(寛延二年の條下参照)

 

三月より九月頃まで大坂竹田近江大橡堺町勘三郎芝居の向にて繰り竹子供狂言興行非常の人気にて初日より三日間木戸締の盛況なりしと

首が出て来ると人形おもしろし

何とばしござりませうは竹田みそ

出遣ひの顔に文三が生れ付

あやつりのげびは木戸から太鼓也

人形を鑓のかはりに能くつかひ

 

踊子停止謡事あるに因るとぞ転び藝者の鼻祖なりと云う

 

六月四日姫路の城主榊原式部大夫政岑行状不慎菲政あるを以って越後高田へ国替えと共に隠居を命ぜらる、榊原政岑が十代高尾を根曳して下谷池の端の中屋敷に置きたる事は世上によく知るところなり

大門へ車のはひる賑かさ

四天王一人は紅葉を根こぎにし

運のよい高尾は車留になり

二本目の紅葉車にひかれてく

後篇の高尾は池に遊ぶなり

二代目はむつの花さく国へ行

二代目の身請誠に紅葉の賀

大社榊へ紅葉結びつけ

紅葉にも松の位は二本ぎり

二度めのは匁に掛ると十五貫匁

果報いみじく御物見で蓮を見る

三叉の後は冥加蓮を見る

通ひ事と浮名立つ御放埒

車坂下を二度目の高尾行き

船車同じ流のうきしづみ

仕合はせは車むごいは秤也

仇は船恩は車へつんで行き

運不運後の高尾は御手車

姫の気に合わず高尾は所がへ

御朝寝の御つぎ高尾がうわさなり

紅葉の賀源氏車へ乗って行き

車では浮び舟では沈む也

山をぬくいせいをくじく車留め

車座の中へにこにこ高尾出る

紅葉狩したので後は車留

柳の威松も根こそぎ引ぬかれ

車座の女中の中へ高尾出る

うら口を〆切る時分柳来る

!駕出した後は五丁の車留

家老職紅葉をぬいて車留

うつくしい顔で車に口ごたへ

米屋損すれど車屋損はせず

高尾より器量すぐれた留守居也

車より留守居の舌はよくまはり

銭はうへのでかね持は芝にあり

御紋より留守居の口ハ能く廻ハり

申訳柳と紅葉乳兄弟

傾城を乳母が子にする口車

其日から禿の柳名をかへる

乳母の子にして尾を出さぬきついこと

乳兄弟なら尤で事がすみ

後の紅葉もじやじやばると車切り

連理の枝は紅葉と柳なり

御隣は加賀様かへと高尾きく

中入後源氏車に高尾山

高尾が荷目出度車にてはこび

ききおぢて二度目の高尾すなお也

車屋はひつこみ米屋破船する

車座にならび高尾がきげんとり

いい身請横に車はおさぬなり

下谷のは仕合せ芝はふしあわせ

後事の戒にもならずおん身受

しほしほと請出されたは高尾也

水の中雪の中にて高尾死ニ

樊川一日三千句を吐く

本年冬謎付流行後三年程にて停止せらる

なぞなぞもげんこう二つ三つ書き

 

四鉾辻(貞佐)・獨すまひ(祇丞)・鳥なし三吟(祇徳)・俳諧都とり(前句付、聴流齋)・人の花、越前高田正風一列(如雲撰)

 

 

一七四二年      

寛保二壬戌年 二十五歳

 

竹内玄々一生

正月十五日山口酉徳没年七十五

四月六日望月雷山没、官医三英の父

六月六日早野巴人没年六十六(一書に六月二日没年八十一とも云う)、夜半亭(一世)其角門、江戸の人、辞世

こしらへて有とも知らじ西の奥

六月二十八日松木蓮之没年六十三、卯時庵青雲子後桂林と号す

六月二十七日鈴鹿筌石没年三十、寸松堂初知丸と号す、知石の男なり、辞世

終に行く水無月涼し胸清し

十月四日榎並貞峨没年八十、通称喜右衛門又善八、貞峨庵と号す、別に鳥観齋契周の号あり、狂歌師油煙齋鯛屋貞柳の弟、大阪の人医を業とし又浄瑠璃本の著作に従い紀海亭と号し其の名大いに著はる

十一月朔日木村毅齋没年六十三

十一月十一日人見鈴山没年三十四、栄泉堂と号す、一説に寛保三年没

十二月十四日河津裕之湯谷没

 

八月一日二日より七日迄霖雨大水にて両国橋落つ、後延享元年五月始めて掛け直る

二カ国にたまつた用の渡りそめ

二カ国の橋に不足を渡し守

筑波山両国からの行きあたり

両国のたびや茶舟で売りに出る

両国のいくよ寝覚の泣を留

新しい橋をよぼよぼ手を引かれ

ふるひ夫婦で新敷渡りそめ

渡り初めおつかなそうに踏よごし

渡りそめすむと葬礼二つ行き

橋普請大きな茶こし差出し

子をほうるまねをして行くはしの上

たつた今十八九さと橋の人

よくよくの事と見へたと橋の人

橋の番たしかに投げた水の音

季節より早き食物を売ることを禁止せらる

祇徳、押上大雲寺に夢塚を建つ

慶紀逸門人紀聲花もりを編す

 

雲の旅(亀世編)・俳諧心の種

 

 

一七四十三年      

寛保三癸亥年 二十六歳 四月閏

 

唐衣橘州生

大津九老生

 

正月四日吹山市貢没年五十三

正月五日加藤原松没年五十八

正月二十五日津軽采女没年七十七、漁人道しるべの原本たる河羨録の著者也

焼飯をほうばりながら餌をつけ

釣る奴も釣る奴見ているやつも奴

べからずで釣師したたか叱られる

らんとうの脇で釣ててしかられる

釣好きは広い海にて気をつめる

あいそうに釣竿を出す濱屋敷

すこぶる釣好き大海で気を詰る

沖づりは女房のるすにすすめこみ

こんぴらの神酒をひらいてはぜを釣り

釣て来た!是作なく汁で煮ル

しかるひやうしに釣上てどつか逃ケ

釣針を心の臓迄うなぎ呑

そこで釣るなといけがきに坊主くび

釣竿のちよつちよとみえるよしの中

やかたから何もかからぬ釣をたれ

釣道具おろして松の木へのぼり

馬鹿は急ぎ竿屋は馬鹿を釣たがり

はぜつりの事おかしくもたまをもち

はぜつこが居たと岡釣のぞかれる

ぶきびな苞が岡釣の邪魔に成

岡釣をのぞいて爰もはぜつこだ

岡釣は筏にのつてしかられる

岡釣りも小おけをもつは近所也

岡釣は足でふまへて吸ひつける

岡釣は竿をふまへて摺火うち

岡釣を寺の男が叱つてる

おか釣へ御用はひやで持ツて来る

えさ箱の無い岡釣のすさましさ

岡釣にむら重藤をたづさへる

おか釣のあふら大こんぬすむ也

すしや程えさ箱のある下手のつり

みそをつくやうに釣舟かしをつき

是がまあ釣れたと女房舌を出し

釣船の茶飯しよう事無しに焚き

たそがれの渡し釣師が二三人

釣竿を出すはやかたの淋しさう

水を睨めつけて蚯蚓をつまみきり

流れくわんじやうの近所で二疋釣り

女の釣をして居るも憎ひもの

鯉をたたくと釣人は皆かえり

すきな事釣りにもてんや物が出来

残ツた六文をやるから釣に遣り

釣りしのぶふり々をかけしかられる

いをつりがきたぜきたぜと赤がしら

つり上ケたふぐことの外いきどをり

釣舟の沖に弧ならず隣出来

釣出立是はお智恵と品のぎう

釣針とうたかう物を嫁はそり

釣師にたのんで八百工面する

こてすねのあてでからびくの見ぐるしさ

針と糸もつてお船はぎつちらこ

親玉の内はあれさと釣つて居る

七十五文あい釣りとさかななり

八十九日もう鱚を釣に出る

舟ちんの外に菜ほど釣って来る

よめる人にはつりあはず網がすき

魚をつりながら魚りんをあんじ出シ

つつたのをよこしたやうに糸をかけ

下手なやつ川中で蚊帳をたたむやう

大みんへでも行クよふに釣りきらひ

 

魚を釣るとはうそ八百の親仁

此はりでつれるものかと大けんくわ

えんだんの儀なら御免ンと鯛を釣り

すぐな針鯛を半ぶんつり上げる

すぐな釣針を見付てどなり出し

釣つた鯛直ぐな針ゆえ魚がおち

釣竿をしまつて周の代をはじめ

びくとさほもたせ車でかへる也

喰ひますかなどと文王そばへより

文王とふてのたまわく喰ひますか

直針で釣ったは鯛のつくりなり

からびくと竿を車につけて行キ

妻をさり鯛を半ぶんつり上げる

鯛を釣る例に無念な雨やどり

こざかしい天文を見る釣師也

鯛片身釣ル迠まつと夫人なり

夫れ見たかとつて大公盆を出し

去状を車にすがりわびるなり

しかるかかあをおん出してつりに出る

からびくを臣下が寄ツてのぞく也

網でさへまたるい中にすぐな針

釣あげて見れば魚扁とれた鯛

後悔は身にしみじみと盆の水

聖人の釣り汐よりも時を待チ

魚も魚針も針だが人も人

 

二月四日田中桐江没年七十三

四月三日竹田羽紅没年五十七(一説に閏四月三日没すと)、玄々堂と号す、鞭石門京都の人なり、辞世

行雲にまで連たたん時鳥

四月十八日三田白降没、風琴子と号す、江戸の人

六月二日尾形乾山没年八十三

六月四日林信智没年五十七

六月八日植田竹溪没年五十九

七月五日木下竹軒没年七十七

九月十七日四代目森田勘弥眞鳥没年六十二

九月十九日無外坊没、美濃大垣の僧

十一月二十五日二山遊翁格堂没年六十六

堀尾調和(二世)没、敲柳堂初和推と号す、江戸の人

 

閏四月勧進比丘尼の中宿を停止せらる、寛保二年ある比丘尼芝八官町にて桜田辺の武士と倶に情死せらるなど謡猥の甚だしきに因る、売女比丘尼は芝八官町神田横大工町にて美服を着し売色しけるよし、是につづきて浅草田原町同三嶋門前新大橋河端などにて家毎に二三人つつ出居たりと云う

中宿り吉田の町をまほしがり

坊さまの買っていいのは比丘尼なり

びく尼だけしやうじん物の中に住み

かんばんに数珠をして出る憎らしさ

持佛比丘尼のもみあげを曹

比丘尼でも買ふよふに出す百旦那

帆はしらの立たをねかす船ひくに

不受不施のくせに客顔美麗也

くわんおんの茶屋の給仕はびくびくに

びくついて居るに宿屋はもうしまい

指を切るからは九品の浄土まで

髪を切る所をびくには髪をたて

指の無い尼を笑へば笑ふのみ

比丘尼とはどふも請取リにくい尻

本ぶくのびくには結つて見たくなり

びくに程もみ上を出すワキの僧

三ケ日またずびくに見世をはり

御びくにん人のほしがる顔があり

釣䑓のかへりびくにをかふ気也

お比丘尼も御采の附は生落し

 

此頃けころと呼ぶ売女天明の末まで下谷広小路、同御数寄屋町、同提灯店(異名なり)、同佛町(此れも異名なり)、広徳寺前通、浅草堀田原辺、其の外諸所に在りて一軒に二三人づついづれも美貌の者をえらび出したりとぞ、花代は切二百文泊まりは客より酒食をまかない夜四つより二朱なり、昼夜店を張りて衣服は縮緬を禁し前垂れにて必ず半畳の上に坐せしと云う

けころ見世地犬のやうな狆を抱き

けころ客そとはを読ンてたたかれる

けころの屏風白髪三千丈

けころばしごみも無いのにはいて居る

身仕舞をけころ!んどへ向いてする

十二文程の機嫌でけころを出し

承知して寝るにけころとむごくいい

諸色高恵けころでは水を出し

作山にばかりけころはおこされる

佛御前はけころかとむごいやつ

前だれで手をふきながら四百とり

前だれはもののいひよきすがた也

のり合に前垂もあるかやば町

吸ものに小つけけころへこうが下り

只弐百取るとけころは御気の毒

又牛込赤城明神社内其の他宮寺の地内に山猫と名づくる茶屋女ありて売謡す

山猫は娘の功労へたのなり

山猫の母は日附で時を知り

山猫をだまりだまりとかひに行き

功労へた山猫終に花車となり

おやたちの前から取ると茶屋はいひ

腰かけて仕立物する茶屋のかか

蜀山人の奴凧に曰く、天明の頃まで両国橋の本回向院高野山徳院やしきに隠し売女あり、金一両を金猫といい二朱を銀猫といいしなり、其のころ川柳点の前句附に

回向院ばかり涅槃に猫も見え

という句ありしもおかし(安永九年の條下参照)

金猫は鼠とらずの行くところ

金の猫一時一分目がかはり

今西行は銀猫を買に行き

一ツ目ではやるは金と銀の猫

猫好きもをとこの方は金がいり

地獄では畳をたたき猫をよび

猫を焼く女房も畳たたくなり

回向院涅槃に猫も見える也

回向院ぶつしやう猫の恵をきかれ

二代目の旧鼠かへつて猫をとり

一ツ目で五十二類の外を買ひ

おもしろさ五十二るいの外のおと

高輪の猫は杓子の邪魔になり

毛がはへて居るので猫といいはしめ

御ねはんに猫の出て来る回向院

六月大名の留守居役に驕奢不品行あるを戒めらる

御留守居のかたるを笑ひ〱ひき

お留守居のはかまで秋葉くだりしやれ

御留守をふり袖でふつけんきるの

十ヲ斗留守居は手をかひかぶり

娘のはける駒下駄に留守居より

先き箱で来るを留守居は待て居る

うれしそうなうそはなしかと留守居同士

あしからん物だと留守居同士いひ

あまよばりしたとお留守居つきたをし

無い袖をふるに留守居は気が付かず

内証でうると留守居の内儀いひ

こりやひざがおれるはやと留守居いひ

十九には手前そんだと留守居いひ

新う持て弾きなと留守居笑ハれる

薬種屋の近所へ留守居入れあげる

金になるそうで留守居の紋をつけ

人がらのいい煮売屋へ留守居行

よくころぶ顔だと留守居誉る也

三十うり袖が御留守居をばかす也

七転び八おき留守居の御新造

おこんの橘御出と留守居しやれ

一つめり給へと留守居しやれをいひ

猫のとひかかる留守居のはさみ箱

ありがたいころぶ顔だと留守居いい

平六が向ふうらかと留守居聞き

びりつ子もあるに御留守居たはむれる

!ひおれやいと御留守居大ふざけ

三ミせんや声に御留守居のぞみなし

血の道だのにげとくなど留守居やり

てろしを合せてよごせと留守居いい

 

付記 

江戸家老

江戸家老若衆根性出したがり

若衆根性が出たがる江戸家老

いツつけられるをこわがる江戸家老

先づ御入あられましやうと江戸家老

はらをおしがつて見て居ル江戸家老

奥様と江戸の家老を尻にしき

赤腹を手づよくたれる江戸家老

奥家老

奥家老顔をしがめるものをふみ

奥家老らせるしたのを鼻に懸け

奥家老くちに成る程さかりなり

奥家老おんぶしたよと乗つて行

奥家老まだぬり出来ぬかとせつき

奥家老泊りの知れたあるきやう

奥家老頭から馬につけて行き

奥家老ひざつこぞうを出して乗り

奥家老愚痴な理屈に度々こまり

奥家老地犬をしかる花の山

奥家老みんな娘の気で叱り

奥家老桜の中にいためつけ

奥家老まさかの時はこしがぬけ

おく家老よく〱見ればやろうなり

おく家老幕をしぼつて何やつだ

おく家老皆武士のすがれなり

おくかろうやくにたたないおとこなり

おく家老ゆびもささせぬ役儀なり

おく家老朱に交つてぐちに成り

池までは手のとどかない奥家老

ぜんつくしびつくし頭は奥家老

雪隠を過分々々と奥家老

役がらで気斗りつよい奥家老

花に嵐はあてさせぬ奥家老

花を見てさへやわらがぬおく家老

花守の生れかはりが奥家老

木の股を出た顔をする奥家老

どうどうにおんぶして行く奥家老

かみの毛で鉢まきをするおく家老

花の外には松ほどの奥家老

武士もおへなくなると奥家老

弟をつくづくと見る奥家老

から臼のところもねめるおく家ろう

歌学のないは奥家老にせつかれ

国家老

国家老千里さきから聞いて来る

国家老にわかさしからぶつちめる

国家老殿と浅黄をしめにくる

国家老ひつつまんではぺへをする

国家老口をへの字にしてすわり

国家老斗り三味線には乗らず

国家老ぺんぺこぺんを先づおさへ

国家老帰るととてん〱なり

国家老やめらみつちやな品へつき

国家老帰ると奥に顔がふへ

国家老成金ばかりねめまはし

国家老成金めらをにらみつけ

国家老成金女ひでりへ水をさし

国家老御意の中ウにはござれども

国家老落しばなしの落をほり

国家老かへるとなまりめいて来る

国家老来てにく屏風たたませる

国家老曲った所は腰ばかり

飛ブ鳥のはねをひんもぐ国家老

御家法を茶にしをつたと国家老

まんろくに城をしてゆく国家老

たれかしらいじめて帰る国家老

うそ六百でかためたる国家老

やつばらをかたづけに出る国家老

おもしろくなくしてかへる国家老

蛸つぼをぶちわりに出る国家老

ひんけいにあしたはさせぬ国家老

ひやめしをふるまいに出る国家老

門のかぎここへよこせと国家老

みんな馬だといふ所へ国家老

お妾の寝耳へ水は国家老

とういなんばん不くてきと国家老

つるものいふよなが国家老

玉のこしから引きおろす国家老

且おそれ且はじしめる国家老

唇に先反りをうつ国家老

御たねを宿さずんばと国家老

てう〱と花をねめ〱国家老

鄭様を若うして行国家老

傾城に遣手めかけに国家老

めかけの胸の上国家老わたり

牝鶏あしたする時は国を立

おくさまをしりから出しに国をたち

さしかねを持て家老は国を立テ

くろ石をたたきちらしに江戸へ出る

江戸の同役をにらめては座になをり

御隠居をなされと口をへの字なり

気に入らぬ家老が本ンの家老なり

御家老のにがみ御家の富貴のとう

 

元祖路考中村座に於いて娘道成寺を勤む

 

芭蕉五十回忌京都に芭蕉堂建つ

 

是より先き八文字屋本盛んに行われ本年傾城禁短気梓行せらる

 

藻汐袋(沾涼)・蓍の花(祇空)・西の奥(菊鈴)・俳諧秋の月(前句付冠句)・俳諧春の言(不角)・花笠

 

 

一七四四年      

延享元甲子年 二十七歳

       二月十八日改元

 

 

本年五月三日二世川柳(弥惣右衛門)生るとの説あれども誠しからず

扇屋墨河生

戀川春町生

梅里山人生

 

正月二十五日(或云十五日)三輪執齋没年七十六

二月二十七日三代目市川団十郎没年二十一、三升又徳辨と号す

四月十九日江村青郊没年四十四

四月二十六日龍田大立没年六十九、水足軒と号す、才麿門、大坂の人なり、辞世

 花は二十日我は六十九夜明

五月六日桑原為渓空洞没年七十二

五月三日河村滄州没年七十七

六月十五日岡田盤齋没年七十八

七月朔日芳邨銀臺没年四十二

七月三日常盤潭北没

七月九日山本惟命没年七十四

七月二十五日竹本播麿少椽喜教没年五十四

七月三十日中川宗瑞(一世)没年六十(或云六十六)白兎園初風葉と号す

九月十三日寺坂秋女操節没年七十二、本姓田尻氏寺坂信行の妻

九月二十四日石田梅巖没年六十、名興長通称勘平、丹波桑田郡東縣村に生る、心学を創唱せし人なり、京師鳥部山に葬る

九月二十七日彫金工土屋東雨安親没年七十五

十月三日久田宗也不及齋没年六十四

十月六日古澤蘆中没年四十四

十一月四日寺田立革没年六十七

十一月二十四日田村臨川没年六十

十二月三日速水象之没年三十八

上野海門没年五十九忌日未詳

三輪流石没兎角堂初不角と号す

釜師淨林没享年忌日未詳

正月浅草寺境内に柿本人麿の祠碑を建つ、碑は琴䑓紀!忠の撰文にして鳳岡関思!の書也

 

二月十五日宇佐奉幣使再興

神功皇后、武内宿禰に関する柳句は元文三年富岡八幡宮の條下に載録したるにより爰には和気清麿弓削道鏡に関連する古川柳を掲出すべし

わけある勅使を宇佐へたてるなり

身の上に取ては宇佐のちょくしなり

和気のいい勅使は清く奏問し

手のうら返す託宣ににぎる汗

託宣で三尺下をこはがらせ

神代より接穂にはせぬ菊と桐

なでつけの馬を天皇御てう愛

天皇馬のむと見て僧を得る

道きやうは居風呂桶の御宇に出る

道鏡は一ツかいたもつ斗り也

道鏡は君かかたりと勅答し

道鏡にあるぞ〱と大社

道鏡がをさな名たしか馬之介

道鏡が母馬の夢見てはらみ

道ならぬ鏡女帝の気をうつし

道具の鏡具を取れば天下一

公家めらがやきをりますと道鏡

権右馬の頭に道鏡任ぜられ

大仏の鼻ほどあると奏問し

君がためなかくもかなと弓削たもち

弓削の道鏡大内を掻き廻し

夫まては十人組て弓削すまし

あればあるものと女帝の御満悦

弓削おへ勅使のまへに山師来る

弓削おへ廣橋殿を勅使なり

左少介殿弓削おへ勅使也

したを出し〱ゆげおへちよくし行き

弓削の母内侍とおくり号

度々後家に成ったは馬の内侍也

 

六月中旬より風邪流行す

はやり風十七屋からひきはじめ

湯とうふを喰にけにする風の神

藪医者の飯を喰ふのも風の恩

藪医者に芽をふかせたは風の神

たいがいな風邪はぬける三つぶとん

風くらい神農の屁でふんぶくし

けいせいのぎりハちよつ〱と風を引

かりそえに風のかけたる薬なへ

風ぐらひなんなど御用きめられる

はやり風もと船を出るくすり箱

二三俵のむとぬけてくはやり風

はやり風ぐらい花よめつくり立

神奈川の客は大方風できれ

仲人はあつたら口に風をひき

時花風ぐらいにや立ぬ金屏風

ちう三の一チぼくつれるはやり風

そうたてのかうべにやどる風の神

下地さとすまされて居るよめの風

云いなづけたがいちがいに風を引き

 

金銀の櫛笄簪停止、角鼈甲錫等を許さる

きり〱を云ひなと櫛をすかして見

べつ甲屋くるつた所を継いで遣り

べつ甲はどちらの道に女もの

鼈甲のむら雲が出て値が下り

鼈甲も数十枚ある煮売店

そのくしは誰が施主だといやからせ

ぬけたくし四五へん踊る琴の上

あたまをばひきわるやうな櫛をさし

ぬき櫛を取る時右の足を引

小間物や男に櫛をうりたがり

しかられて娘はくしのはをかそへ

ぬき櫛に引つ立られる病み上り

黒木うりまけると跡へ櫛をさし

うたがひの深さ手引にくしをみせ

是からは所斗じやと櫛はらひ

ぬきぐしにせなかをきめるひざ頭

髪買のくしさせばおちさせばおち

櫛をさし直すが笑ひ仕廻なり

手をとると片手で櫛を深くさし

二三町出てさしかへるもらひぐし

白いあたまをなでてやるくしついで

じやうはりが有つてせつない御櫛上げ

なく時の櫛は炬燵を越して落ち

拾ハれて油とられる下女が櫛

さら〱と木櫛の辷る洗髪

目を覚し下女は木櫛の炭をふき

百廿三で油と櫛が出来

鶴亀は櫛かうがいと身を変じ

挨拶のたび笄は場所をかへ

面白く笄でこぐ宝船

うぬぼれは笄などを借りてかき

笄で目を突さうな惣仕舞

笄の足くたびれるもん日前

笄の外にたしかなささめごと

笄を人質に取る面白さ

笄をあぶなくさすも道具也

笄を熱湯でさがす雪の朝

笄と巾着が出て縛られる

 

此頃より更紗団扇奈良団扇本渋団扇など呼ぶ行商来る

団扇売りすこしあふいでだして見せ

大門を団扇と虫と入り替り

絹張で追ひうちにする憎い口

渋うちわかぶつたやうなみこしかき

しぶうちわつるすはけちなにうりみせ

おく道者明キ手の方へしぶうちわ

民眠りをしい〱団扇張って居る

手本をバずた〱にして団扇出来

団扇さへ右へ持たせぬ孝行さ

右の手に団扇を持たぬ株になり

寝て居ても団扇のうごく親心

やきざかな団扇を読んで叱られる

うつつにも団扇のうごく蠅ぎらひ

うたた寝の団扇次第に虫の息

てんかふん団扇へのせてなすりつけ

団扇では思ふやうには叩かれず

団扇ではにくらしい程たたかれず

やうきひへ長いうちわをさし懸る

江戸前の風は団扇でたたき出し

うたた寝の団扇の風が母の恩

団扇のうの字いつたくる面白さ

団扇にてたたく男はにくからず

云兼て娘団扇を口へあて

いい役者団扇にしてもあふがれる

樹下の納涼団扇売紙帳売

涼䑓似顔の邪魔に渋団扇

惜しまれて海月にされたいい団扇

 

本年豊作にて新米一石三斗替えなりしとぞ依之御蔵米の旗本衆困窮に及ぶと云う、又文金壱両に付銭三貫七八百文替えと云う

 

此頃江見屋上村吉右衛門というもの錦絵の版木へ見当をつくる事を工夫して四五遍の彩色摺を製し得るに至れると云う

江戸みやげ車長持などへはり

馬喰町死んだ役者の絵などかひ

ひやぐ屋へ役者絵の来る長つぼね

錦絵と墨絵と行者もつて居る

紅粉絵では見た事のない座頭の画

俗な絵合せ歌麿や栄之也

 

苧環(湖十)・雪の尾花(遊五)・春の言(不角)

 

 

一七四五年      

延享二乙丑年 二十八歳  十二月閏

家重九代将軍宣下、九月二十五日吉宗西の

丸に移り大御所と称す

 

岩井半四郎(杜若)生

 

三月三日鶏冠井令徳没年六十八

三月十三日山本海徳没年四十四

三月二十八日千宗守眞伯没年五十三

四月十八日関口黄山没年二十八

四月十七日宇野新没年六十五

四月二十二日無外坊燕説没年七十三、通称

伊藤勘右衛門、勢州の人

六月十一日伊佐幸琢没年六十二

七月七日狩野随川甫信没年五十四

九月二十三日水木辰之助歌蝶没年七十三元

禄中京四条より江戸に下り諸人に愛でられ

し歌舞妓の女形なり、鑓踊猫狂言に其の名

尤も著はる

女がた浅黄のあごをせつながり

疝気をも癪にしてをく女がた

女房にかなされている女かた

おかしさは女形にはほれぬなり

若女形実悪を妾つとめ

気の迷ひ女形にはほれぬなり

女形女房ばかり手が寄り

十月十二日寶生立圃(三世)没

十月十八日長澤東海没

十月十八日伊藤梅宇没年六十二

十月信序没、二世湖十門、江戸の人

十一月十一日八文字屋自笑没年八十余

十一月二十三日薮内竹心紹智(五世)没年六十八

十一月二十四日日下貞靖没年六十二

十二月二十四日長谷部好齋没年五十六

中村吟松没、後奥田氏、号花月庵、京都の人一説に没年不詳なりと

 

二月五日亀戸天満宮類焼

亀戸神社、太宰府の天満宮を勸請したる社なり、其の境内に在る飛梅、藤、反橋、妙義社及び菅公左遷、怨霊俗説等を詠める川柳の例句を一括して爰に収録す

天神へ素顔で参る手ならい子

花ものいはねど配所へあとを追い

不知火をあてに飛び行く梅の花

夕アの飛びものはなんだんべい梅

京都では梅を盗まれたと思ひ

盗まれたろと京都で梅の評

おん後をしたふは花の兄ばかり

飛梅を羨みたものに北の方

飛んだ儀が御座りましたと安楽寺

いつの間に誰が植えたと安楽寺

梅干をこわごわつける安楽寺

寝坊な鶯目がさめてオヤ筑紫

この梅がそだとこはごは指をさし

左大臣凡慮の及ぶ悪でなし

悪筆が寄って筑紫へ遣る工面

時平こそえんぎのわるい臣下也

時平ラは文景時は武を讒じ

時平めはにくいよのうと手習子

能く書くが好かぬ手風と時平いひ

ほしいのは手ぶし斗と時平いひ

能くツてもすかぬ手風と時平いひ

筆屋へも借りがあらうと時平いひ

何梅が飛ばふと時平なつけなし

梅の木の化けそこないと時平いひ

もと角力取の家だと時平いひ

しがらみと拵たなと時平いひ

えんぎの代わるいかつらが二三人

延喜の金箱だざいふにおしこまれ

よい御手を反故にしたるは延喜帝

延喜帝藪にまぐはを是となされ

しらぬ火はあかるい御身の配所なり

筆を取られず松の枝で教へ

築紫では梅干おやぢ御気に入り

松自在梅も自在の証拠なり

白太夫もしや脹満かとあんじ

白太夫青竹九本初のぼり

ぬれ衣の袖不知火でほしたまひ

天帝へ心づくしの御告文

告文はあつたら御手の書おさめ

告文も自由自在の神のとく

隠居が来ても開けるなと時平いひ

筑紫から一度師匠へ御通ひ

僧正がかぶりをふればもえあがり

師の坊はぎしやばり妻戸こがされる

雷も法性坊へわたりに来

声あららかに参内をとめ玉ふ

御話しだんだん雷の声に成

雷声で僧正と御ン話し

妻戸見て残った柘榴喰ひんなし

叡山へ行きつ戻りつ沓の音

叡山の勅使時平を尻目で見

きたはしを上ると時平ねめ廻し

度々勅使余の儀にあらず雷の事

玉躰危ふし只今と勅使

三度目の勅使そこらへ駈ツこむ気

ぶちまけるやうだと勅使ぼじ〱し

勅使のしけは叡山がはしめ也

何をかくさうと勅使に妻戸見せ

袞龍の御衣を御耳へあて給ふ

雷に召す論言はほんの汗

御後悔蚊帳の中へ御幸なり

法性坊出来合ひの戸を一つたて

作病は法性坊が元祖なり

ひどいめに法性坊は道であひ

すつてんとんを僧正は道で聞き

僧正の一番弟子は恐ろしい

僧正をひつぱり足らぬ恐ろしさ

僧正は初めて公家を二度だまし

僧正へ大きなお手を三度下げ

僧正の七尺わきへ一つ落ち

くち音がすると僧正うなり出し

僧正はふしやう〱に尊がり

御怒りのとき僧正を煙からせ

僧正は衣のえりに見こさるる

笏を持給ふが雷の殊勝也

僧正がわせると臍かよみかへり

僧正の中にくらまは腕をこき

梅のじゅず持って僧正は参内

まごつく中へ法性坊参内

はたたがみ聞に僧正参内

公家はしをかけて僧正よびたてる

雷リの僧正などと諸公いひ

ひつかりといふと僧正はりあげる

是はよふ社と僧正しよてはいひ

僧正の来ぬ内にせい出してなり

こをふ御座ツたかと僧正頭でいひ

稲妻をぐた〱にする師の御坊

はれやくたいもないと僧正帰山

僧正の鼻はその後たかくなり

加茂川を胴切にして参内し

其頃は法性坊と書いて貼り

はてらちの明かぬ坊主と時平いひ

よいしめりなどと時平も初手はいひ

五月雨に本三条の通り絶え

ももしきの勝手を知った雷が落ち

念力と法力を見る紫裏殿

其時の雷臍に目はかけず

どのかやへ行っても時平つき出され

洛中へかやをつらせる御うつぷん

洛中はそれとも知らずかやをつり

ときひらのしやうばんをする迷惑さ

御しやうばん洛中鍋も釜もわれ

雷はおもねる公家の上へ落ち

雲の上手近き雷の落所

時平がたこくらむてんにびく〱し

うわらりつと晴れて時平をとり集め

天が下名を流したは時平也

おもふ壺へは落させぬ師の御坊

ぐわら〱びつしやり北野へ身退き

時をえて平げ給ふ御欝ぷん

洛中の蚊屋を僧正たたませる

僧正を送りため小使をする

青空に直して帰る緋の衣

稲光りあたつてきへる緋の衣

稲妻が消えて緑の色をまし

四度目の勅使は禮に行くのなり

毛があると僧正も!言にあい

かみなりに成る筈もとは雲の上

鼻ツこけざるたんと居る延喜の代

地ごくにて知る人にあう延喜帝

地獄から言づてする延喜帝

日蔵に面目もない延喜帝

ねむい目は柿見えぬ目は梅であき

 

遠藤は亀戸近藤は佃なり

正直の頭で帰る初卯の日

十二文串髪へさす初卯の日

大串を頭へさして梅を誉め

初寅の帰りあしたは妙義だの

そり橋は乳母一生の難所なり

そり橋へ来ると禿は對になり

そり橋を先へ渡って口をきき

奥家老そり橋を這う!い事

かるわざが出るとそり橋ふところ手

亀戸には天満宮鷽!替の神事なかりしが筑紫太宰府の旧例にならつて文政三年よりこのことを始めらる

鷽かへの神事を誘ふ息子づれ

鷽かへは廓にありたき信じなり

大宰府はもつとはやるとうそ話し

御神事に鷽替もあらまほし

亀戸天神にては他の諸神社にて毎年六月晦日(閏月あれば閏月に行う)に行う夏越の祓(なこしのはらい)を二十四日浅草川にて執行せらる

狐釣るやうに名越の神事なり

御祓川七日路行くと天の川

御祓川一夜明けると法の聲

茅の輪から抜けて踊る輪へ抜ける

 

二月十二日青山失火品川まで焼ける

芝高輪の眺望、二十六夜待、牛宿、御殿山及び品川の妓楼等に関して詠まれたる川柳を次に掲げる

高輪の地代にこもる帆掛舟

高輪ではしよつをおろすけちな客

高輪の茶屋は杉戸の引手なり

高輪の茶屋唐紙の引手なり

高輪の給仕は下駄をはいて出る

高輪へ祭の残る五六日

高輪へ来ると忘れた事斗り

高輪は提灯で行月見なり

高輪の月化物の出る時分

能いとまりやの候と高輪でいひ

わる程な気で高輪へ置て行

日の暮れに高輪の戸は惜しく立て

品川へ来て思出す事ばかり

高輪は月を三つと勘定し

一ト寝入して高輪の月を見る

品川は年増の月も見る所

品川はいびつな月も見る所

品川の月に暗い道を行き

品川の月を逃るはしてんぼう

品川は釈氏定木な月が見る

品川の文来るも月〱

品川は丁吉原は半の月

品川は拝んで見ると四ツなり

品川の月がおかまの団子也

品川の月縁側をねだるなり

品川で紺屋の息子どらをうち

品川へ六夜の客が来迎し

御来迎三文で済まぬ海の端

御来迎前山門へ文が来る

御来迎すんですぐさまお床入

御来光浄土の願ふ所なり

六夜待一ト宿つづく鬼すだれ

六夜客あしたは山のしほれ草

世は逃れても義理のある六夜待

お運びを山〱願ふ六夜待

釈教へ恋を結んで六夜待

死ンだ金いかし六夜につかふ也

盆によつたので六夜を仕廻ふなり

もりつけた上で六夜を仕廻はせる

又九月来なと品川にくて口

月に又ござれと紫の戸をたてる

わづうかな月も品川数へ入れ

水の面に照る月で宿りの群衆

明方の月も紋日の数に入り

品の月かくれん坊はけちな奴

数ばかりあつて淋しい品の月

房州の雲晴れやらぬ品の月

抹香も国府も匂ふ品の月

芋の無い月を品川二つする

いたい月品々御目にかける所

名月に釈迦の近所へ文使

色をかへ品をかへさま〱な月

所かはれば品かはる月もうり

十五夜を十一ふやし衣を見る

月の走りを品川で和尚見る

高輪までは釈尊の御弟子なり

高輪からは手を出して通るなり

高輪が則所化ル(化る所)なり

高輪へ来ると後ろで帯を〆

高輪へ来るまで帯を前へ〆

高輪で我は化たとおもへども

朝帰り高輪からは出家なり

塀越しにあるに高輪越えて行き

あの客僧こそと高縄まて追ひ

衣モへもつく高輪の四ツ手駕

所では化ケず南のはてでばけ

かふじ門を出る事三町なり

たそがれにいの字の続く芝の町

どこへ〱と牛町へおして出る

品川の客牛町に気が付かず

しほらしい姿牛町かぎりなり

早代り牛町からはぼんまなり

牛の背をわけて六夜は半つぶれ

牛方に衣を脱ぐを見付られ

牛はうし連で南の大一座

海辺だけ牛に迄帆をかけて出る

賢人は芝牛町に二三人

うし町で評判をした女也

俄後家大勢連れて牛を避け

盆の茣蓙に桜散りしく御殿山

花よりは心のちるは御殿山

子の尻を端しよつて放す御殿山

狼へ犬のついてる御殿山

泡盛で酒もりをする御殿山

御殿山芝の響で花がちり

御殿山昔ゆかしき花のころ

御殿山むなしく帰る所でなし

御殿山三味の隣りは伏せる音

御殿山銀の扇に帆がうつり

茶屋をたをしたで御殿山へ廻る

御殿から下り旅籠屋で遊ぶ也

南北の恋路八ツ山真乳山

品川は浅草のりの奥の院

品川は木綿の外は箱へ入れ

品川の衣桁股引なども掛け

品川はころも〱の別れなり

品川のどらは破れた衣なり

品川はきぬ〱山の帯をする

品川のあけぼし急度妾語戒

品川の紋日へんがへ妾語なり

品川で遣ふは本ンの入れぶつし

品川の医者佻名は芝山なり

品川へ真一文字に医者は行

品川へ猪と狼毎度来る

品川の客にんべんのあるとなし

品川で口がすべると愚僧なり

品川のどらは檟家に見限られ

品川の客横づけがきつい味噌

品川の横づけ無仏世界なり

品川の客勘定のあるとなし

品川の客の国府は本ンの事

品川の手取り上布をねだり出し

品川へ寺澤流で書て来る

品川は山の芋よりさつま芋

品川は薩摩斗りの下駄の音

品川で精進向キは先へうれ

品川は着てもさしても行く所

品川へ四ツ手一文字にあけ

品川へ猪牙は血気の勇で乗り

品川の片腕になる源五兵衛

品川へはまり衣の楯が切れ

品川へ風をくらつた客が来る

品川は按摩斗りの下駄の音

品川は!よりつらい馬の聲

品川は馴れ染むと盛つてくれる所

品川は杓子果報な大一座

品川は現世来世へうれる所

品川で厄除けてる太いやつ

品川で御厄払ひゃく落し

品川もまけず近所に海晏寺

品川も表立ずに売れ残り

品川も旅で泊れば浪の音

品川はたいこ五丁は百をつけ

品川にはまり椽側から落る

品川の下!にはつらがしやくんでる

品川で狼之介とんだこと

品川であれ切かのとたわけもの

品川へはぢき仕廻つて四ツに来る

品川は床の海とも謂つべし

品川は波打きわへ床をとり

品川の女郎とんびのわけをきき

品川は山にかけ値のある所

品川はぶしやれなやつが為に成

品川はしづうかなのが為に成

品川に居たが三両壱分減り

品川はしでほろぼしの所なり

品川で美事な貝はみなにされ

品川は玄関へどうか這入るやう

品川の干潟が息子運のつき

品川の汐干はよほとふかみなり

品川でよねまんぢうを走らかし

品川の目立テちらほら酔て来る

品川は膳の向ふに安房上総

品川に居るに陰膳三日据え

品川は同じ風味を橋でわけ

品川の橋を越すのは吝いやつ

品川が本のくつわの!売屋

品川へ来てなが〱の口直し

品川のほたけ一日なげて居る

品川の藤沢泊りあまりなり

品川へ着いて天窓を江戸にする

品川へ着くとあたまをしらけさせ

品川をうらからそそるうららかさ

品川で同勢の増すいせのかみ

品川で同行五人などと洒落

品川の星へ新田のそれや来る

品川へ沈めにかける矢口連れ

品川のうそは古川やこしなり

古川とかけ品川とといて行

うららかさ品川沖へ徒士はだし

たてつけで品川通ひ荒りやうじ

待ちひとおそし品川であそぶなり

山さんといふは品川初会なり

山程な苦を品川は捨てる所

人まねこまね品川のお客也

かきがらをだしに品川大一座

松がとれると品川は月の沙汰

川崎の品川と来るむす子旅

奈良茶喰ひ〱品川を息子きめ

やぼと化もの品川に入みだれ

恋衣とは品川でいひはじめ

石で手をつめ品川へ閑居する

ひきはだて寄る品川は久し振り

入髪をして品川をやたらほめ

一ツへん上人は品川でふられ

紅葉乱れて品川へ流るめり

大井川よりも品川首ツたけ

旅帰品川からはいんぎんに

馬はものかはと品川よむところ

貴僧さまなどと品川初の文

霊げんあらた品川の尻がわれ

言葉多くて品川へ四ツ手駆け

おの客客僧こそ大事よと品川

まだ夜をこめて馬のなくは品川

芝うら品川へ通る所化の僧

薬箱持たず品川さして行

外面女菩薩と品川大口舌

三界を家とし品川で遊び

八宗けんがくいろはの品川の

御心見程品川は見世へ出し

関札が立って品川下卑るなり

関札に淋しく僧の帰宅なり

関札を紋日と思ふ留め女

品の客酒たけなわに及んだり

山品のかくれ家芝の裏屋也

心待岸うつ波の音斗り

浜風に屏風の衣吹きおとし

股引泊りもとるで下卑るなり

品〱は出さず二ツ三ツ見せ

あの出家兎角に川で金を捨て

安房上総ほめ〱二三戒破り

安房上総を杉戸にて仕切るなり

お定り通り杉戸の前へ座し

桑の門から杉戸へ通るなり

杉戸へは二品三品出して置

みめよからざるを杉戸へ立てかける

杉戸まで残らず売れるいい送り

貸夜具を杉戸の前におつかさね

つけ登せ杉戸をじろり〱見る

宿帳をつけると山の客はなし

宿帳をつけるとみんな御いしゃ様

高輪に袖と丈ケとを置て行

海上禅林の前から医者に成

九族を皆海ばたで迷はせる

わる洒落につけ鬚で来る品の客

山の客くんだりや夜叉の方へ行き

医者は医なり山の御客は山としれ

山のいもうなぎに成て羽織也

死んだ金生かして使ふ品の客

南をはるかなにがむれば坊主行キ

とんだ事十夜を南紋日なり

桑の門出ると御医者が壱人出来

旅籠屋は山出しの客待ている

傾城は飯盛客は釈氏なり

飯盛と更に見えない品かたち

口三つならべ飯盛うつくしい

駄荷をおろすので南州げびるなり

北狄にやはか南州劣るべき

北狄よりも南蛮と芝でいひ

江南のもみち化しては飯となり

高が飯盛と北国より笑ひ

五百生手の無き人に南女する

赤羽根の鳥居をこすと医者に化ケ

赤羽といやな得心で四手乗せ

四十二は唐紙ばかり見てかへり

かづさ戸をひツしやり立てて五十とり

品の妓夫寺波ならばとわりをつけ

入船を見なと初会の客にいひ

いふ事がなさに初会は海を誉

やつぺしに海をほめるは初会なり

花を見棄てて旅籠屋へ搔込み

江の島の十里こなてに三日居る

口をそろへて江の島へ行つたぶん

嶋を売りや三日とそこら遊ふ也

おころもで随分よしと若いもの

人足も馬もうけ込わかいもの

売れぬやつ馬の尻計りかいている

昼見世で馬をかぞへるひまな事

木のはしでないのは海のはたを行き

海辺にへいを四五日つかつてる

水の無い川留め江戸の出口なり

川留とおぬけなんしと女郎いふ

川止の間太夫も麦をつき

旅送り橋より川が人が殖え

にくらしい後顔を見る旅送り

まだ俗がおとなしいよと旅送り

川越した手紙で川が案じられ

飯盛に大森細工みんとられ

とめ女石尊時分けいきあげ

飯をくひすぎて傘一本なり

扇の間より涼しいかけつくり

齋日にあぶなく遊ぶ海おもて

そこ行くと岩附だよと笑はれる

一ト盛り猪牙にて海をわたす也

総花の返へし親船まで聞こえ

矢一つ来りて飯盛にとどまり

戸塚からとは見えまするあはこし

戸塚立とは見えますとぎ子はいひ

戸塚だと思った晩にとつかまり

戸塚から早くて四ツと妓夫はいひ

あの元気よふ戸塚まで行かぞへ

仲間われ川崎泊り二三人

旅迎い遠見を出して揚げている

旅迎素矢をした日のおもしろさ

旅迎幇間四五通持ってくる

十八丁あなたへ僧は四ツ手なり

四ツ手駕東海道をさして駆け

そつと出る家を四ツ手ではこぶなり

芝の戸を出れば四ツ手は附いてくる

山の芋だと大木戸の四手いひ

けちなみえ坊八ツ山で篭に乗り

四手篭法衣のさがるにくいこと

うすべりの窓から見れば法衣なり

やは〱と墨の袂を四手ひき

墨染の袖に篭舁とりすがり

禅僧に四手したたか叱られる

十一月十二日御付小十人美濃部左伝次相番横地六郎左衛門を斬る

女の髱差しと云うもの流行し始じむ、後一旦廃れしが寛政より再度行わる

のびの手で髱へさわつて嗅で見る

江戸へ出る日には手作の髱を出し

髪買に乳母も強気な髱を出し

きれでしたたぼをとう犬ンひたい好キ

田舎乳母ぜんたい無理な髱を出し

おもひなしたぼもあふひのやうにみへ

めし粒のやうに油を髱へつけ

いろばばアころうきなりの髱を出し

びんさしか出て髱さしが隠居する

かうばいのはやいたぼだと家根でいひ

具足びつのは髱の出た男なり

たぼさしへ一度ゆうほどくつ付る

守武二百回忌

守武は荒木田神主、正四位上、五十鈴大宮の長官、園田長官と称す、俳諧の鼻祖なり、天文十八己酉年八月八日没す享年七十七、

辞世

越方も又行末も神路山

   峰の松風峰の松風

発句

朝貌にけふは見ゆらん我世哉

横井也有卯月六日江戸を発して尾陽に帰る

加賀の俳士両派に別る

此頃市村座狂言作者に堀越菜陽あり大いに行なわる、劇場新話に曰く「扨又浄瑠璃文句は近来にては堀越菜陽不思議に珍文句を書出し常磐津文字大夫の節附よろしく殊更役者は家橘慶子二代目路考何れも名人三拍子揃いし故とは申しながら全くは浄瑠璃文句による事堀越の手柄なり、近くは桜田左交などは文句よりつづりたり狂言作者も堀越金井などは少々古風も残りしにいつとなく変して作者は役者の書役に成りし事世の流行とはいひながら口惜き次第也」

 

続清鉇(不角)・俳諧右紫(白羽)・本たわら(一水)・浦やとり(祇中)

 

 

一七四六年      

延享三丙寅年 二十九歳

 

須田一之生

鷺白生

六月朔日頼春水生

村瀬栲亭生

伊能忠敬生

三世瀬川菊之丞生

塙保巳一生 

目はないが塙名高き学者なり

番町で目あき目くらに道を問ひ

交五町生 新吉原幇間の祖

たいことは是口をよくたたくの義

たいこ持宗旨ばかりはまけて居ず

たいこもちつかわせるよりわる気なし

たいこ持若年ものをむごくする

たいこもち一はなはねてかへりけり

たいこ持べんにまかせて借りたをし

たいこもち禿に爪をとれといふ

たいこ持ほんだのわけち程にゆひ

たいこもち何を置てもとんで来る

たいこ持遣手をまねてぶつさらい

たいこもちそんじの外に酒もなり

たいこもちしやれて内儀にしめられる

たいこもち金になる屁を二ツひり

たいこもちやりてがたつと舌を出し

たいこについて前へ出る大一座

たいこから見れば仲人地者也

牽頭目をふさがれてあてて見なんし

身代をなげて見ねばとたいこいひ

いい遊ひ所コと牽頭へ家見来る

よいちえハみぢんももたぬたいこ持

閉口といひ〱しゃべるたいこ持

牽頭の女房ハ野へ出した死人

おやぢよりまづ見限るハたいこなり

じゃ気のあるばばアとたいこ申上げ

お羽織などへたいことハねつをふき

ゆきたけの合はぬをたいこぶつかさね

たい口舌たいこくふうをこらすなり

あしくははからハじと四手へ牽頭

たいこづらにはばち鬢がよく似合

取物をとるとたいこはしづか也

金だけにさわぎあてがふたいこもち

しつをかくたいこしんだいはめつなり

わるもてのしたはたいこくさくいなり

さあ雪だ対決なしとたいこいひ

口ばたをたいこ遣手につめられる

久しふりたいこも一ツどうづかれ

平項がかはつて咄そふと牽頭来る

逃こんだかむろ跡から牽頭也

まついざをかけてお出でとたいこ云ひ

是はきびししにほたんとたいこほめ

鳴りこんで来るがたいこの手始なり

年忘れぎりでたいこはひまに成り

しなれるとたいこ三日にあげずに来

仲人を地ものとおもやたいこ持

脉有内はたいこも見放さず

怪力らんしんをかたるたいこ持

たいこがさし口でかぶろとりに来る

つつと出すから突出と牽頭いひ

一言ン以てつらぬくはたいこなり

まだいきがあるとたいこはつきまとい

わんきうの古れいをたいこ引キたがり

ぼんぞくの及はぬ所とたいこほめ

十かへりの松だと牽頭わるツ口

二度着るとたいこににくれるあきほさ

紅衣が二人リつきますとたいこいひ

たいこは細見をかへりみずしやべり

やすくないふんべつをかすたいこ持チ

がうはらさたいこに見なりふりをされ

ふ仕合せたいこを見ると横へ切れ

一トさかりたいこのことばきなりとす

たいこ持らうのすげかへ見てにげる

たいこ持お針のそばにまつぱだか

若旦那ちいさいぞえとたいこいひ

どくるいを二日くはぬとたいこのみ

叱られるそばてたたみをたいこのみ

まだいいと大きな尻を牽頭ぶち

芝さまのお入とたいこなりわめき

たいこ持身は引裂けてどらをさせ

いい息子こなこみちんに牽頭する

さあばあ様御出だとたいこのき

珍説があるとたいこはすすみいて

いい知恵を出して牽頭にかつ消れ

女房に舌はありやとたいこきき

三度しくじらせ牽頭は身退き

あやまつて論語のぞいた牽頭もち

伊左衛門たいこをみると横へきれ

羽二重のしらみ太鼓がたけはじめ

羽二重は牽頭の手から気を揚ケ

ほころひを縫ふ内たいこ土俵入

たいこもちどらを打たせて陣を引

駒形て見竹町て見牽頭かけ

ある内はいつきかしつく牽頭もち

たいこ持粋がからじて乞食めき

是切の小袖着てねるたいこ持

親御様だがとたいこは悪くいひ

ふ断着でたいこはどつこ迄も行き

太鼓持ありんす国の通辞也

紙くずも壱分にうるはたいこなり

紙屑は一歩に太鼓持は売り

本性になると太鼓は寄りつかず

てうしにて牽頭のまづい事をしり

口を書入レたいこは一歩借り

息子をばどんつくにする太鼓持

御むほんをお勧め申す太鼓持

大風の出て行跡トてたいこ来る

二代目は牽頭迄よふえびすから

生むす出にたいこはうたせたがるなり

笑い顔現が金だとたいこいひ

どんつくな奴にはなれぬ太鼓持

ばばあ日でりはしまひしといひ

たたかれる太鼓きんちゃく〆めるまね

御免駕牽頭らしいか追かける

切れ小判たいこの知恵で遣ひすて

いや気味をぬかす婆アとたいこ云ひ

かみなりでおかめの面ンをたいこかい

初雪の下見におきるたいこもち

とてちりの内にたいこはさゆをのみ

どら一道ははく学なたいこもち

野だいこはうそとよくとの皮ではり

正月二十四日深川湖十(二世)没、初會氏巽○ 一點香 初永機と号す

二月十五日前田青峨(二世)没年四十九、二柳庵、點々齋、春來窓と号す

三月三日鶏冠井令徳没年六十八

三月二十五日曲直瀬正珪没年六十一

三月十八日赤井文次郎没年五十七

六月十四日藤江東江没年五十一、龍野の儒臣、江戸の旅舎に没す

七月三日藤田松樹没年百六

七月十一日松岡玄達怡顔齋没

七月二十七日山内義武没年六十八

八月二十三日衣笠南翁没年六十七

九月十四日西川一四没年三十四、明月庵蚊齋と号す、辞世

何悟る喝と一聲秋の蝉

九月多田南嶺子没

九月十九日松下見檪真山没年八十、見林の男なり

九月二十七日大矢白鵠蘆隠軒寂す年七十九

十月四日犬井乾峰没年三十四

十二月七日井上弘甫没年五十八

二月三十日築地失火、両国向本所及び浅草より小塚原迄焼ける

衣類の袖口芥子括りとて細く括りたるもの流行す、暫くにて元の太さに返る

十二月金銀貸借の元文以上に係るものは裁判せざる旨を達せらる

十二月十三日原田伊太夫(津軽小石松家来江戸諸茟役二十七歳)、遊女尾上(新吉原江戸町壱丁目太左衛門店太四郎抱二十三歳)の未遂情死あり、両人とも法により於日本橋三日晒し上、伊太夫は新橋江南品川までの非人頭松右衛門に、尾上は新橋以北千住までの非人頭善七に下げ渡さる、此の事件はその頃非常の評判となり新内に唄われ数多の落首戯文まで作られたり

大変とやけて剃刀持て下り

はしごの二段めから心中〱

心中の座敷をかぶろかけぬける

心中の座敷一トばん遣手ねる

心中が化けると禿おどされる

心中も男の方はかりだらけ

三ツ蒲団乞食へくれるふ慮な事

其畳そうで大門かつぎ出し

たまだま事に心中の晩に行き

明部屋にすごし二枚の紙位牌

松右衛門神祇釈教恵無常

松右衛門いらざる道でかがみごと

松右衛門二言といあはず酒をうけ

松右衛門櫻と山出し取次で

かぐ鼻は座頭見る目は松右衛門

折釘を打て松右衛門一本きめ

むせつぽいもので松右衛門ひつかける

吊の押へ盥と松右衛門

愁中に笑あり棺屋松右衛門

藪入へはやまつて来る松右衛門

此頃黄表紙本年を逐うて行われ、一巻の紙数は五枚にして全二冊の価十二文、三冊物は十八文なりしと云う

事跡合考写本成る、江戸巡り梓行

 

俳諧時津風(果然編)

 

 

一七四七年      

延享四丁卯年 三十歳 桃園天皇九月即位

 

野呂介石生

岡田寒泉生

伊庭可笑生

山路蓮之生

 

三月四日椎本芳室没年八十四

三月二十六日佐藤謙齋没

五月四日(或云十日)仙石蘆元坊没、年五十六、茶話仙 獅子庵(二世) 黄鸝 里紅の号あり

五月八日釈角上寂年八十四(或云七十三)名は明因舜ヒ亭と号す、千那の養子、江州竪田本福寺十三世の住職たり、後三井寺の傍に住す

五月十日市山助五郎之山没年五十四

五月十七日菅野兼山没年六十六

五月二十五日元祖大谷廣次十町没年四十九

五月二十七日笠家逸志没年五十八(或云七十三)曲庵 半曲庵 致曲庵 素竹軒 玄哲 初一志と号す

五月三十日(或云二十四日)太宰春臺没年六十八

六月三日小川破笠没年八十五(或云八十四又八十七)名は宗宇通称平助 夢中庵 笠翁 卯観子の号あり、初露言後芭蕉門、又画を一蝶に学び一蝉と号す、江戸の人なり

六月十五日元祖榊山小四郎仙山没年七十七

六月二十四日板倉帆邨没年三十九

八月八日山科宗安没年四十六

八月二十九日坂本融賢庵没年五十四

九月四日清水道慶没年五十

九月二十日坂埒曹静山没

十月六日寺坂吉右衛門了貞没年八十三、名信行、下谷曹慶寺に葬る

十月二十四日菊岡沾涼(一世)没年六十二(或云六十四)名は房行、通称藤兵衛又藤右衛門 崔下庵 南仙齋 米山の号あり、江戸の人、学和漢に通じ江戸砂子を始め著書頗る多し

十二月六日水原貞佐没年六十八、一十軒 短頭翁と号す、辞世

跡はみずとしの瀬を行く千鳥哉

十二月二十日渡辺壽庵没年五十四

十二月二十五日二代目大谷廣右衛門幡風没

十二月二十七日隠岐米史没年四十四、四時堂(二世)初如牛 阜澄と号す、京都の人なり、辞世

心から地獄は敷居高なりき

   生まれて行かん銀持の家

三月濱島庄兵衛及び其の党類処刑、是日本左衛門がことなり、庄兵衛は尾張の者、京都にて捕えられ遠州見附にて刑せらる

此国で左衛門とつくふといやつ

三月の頃より不忍池新たに築地出来て茶店 揚弓場 講釈場等建つらね繁盛す(宝暦二年の條下参照)

しのばずのふたは釜より早く明き

揚弓は新迭ほとなはつをもち

揚弓場つれをまつ間のやりばなし

奥深く桶屋の出きる揚弓場

やう弓場女をねろう射てがある

流し目て娘妙に弓矢をうちつがひ

土弓場にそろうたるばか五六人

昼まへはおおいにけらしなやうきうば

揚弓を買ひ座敷中穴を明け

土弓場にねらいの違ふ矢取有り

土弓場の人身お供の美しさ

はなつ矢にむすめは尻をつん向る

齋日の土弓こわごわ矢をひろひ

土弓場も美しいのを的におき

土弓場へけふもたいこを打ちに行き

揚弓場矢取のきりを的にくる

射る気よりはる気で土矢はやる也

枡花女の出る土弓場は入があり

土弓はす左でいるがきついみそ

いらざる僧のうでだては土弓なり

おやゆびを鼻へ入れなと土弓いひ

その方でもつとなさいと土弓いひ

土弓いる御用時々うしろみる

土弓場の娘をちやらでいておとし

射りやうを娘に習ふいやなやつ

土弓場の娘左で能あたり

弓矢とる娘の下駄は八幡黒

しかるにむすめ弓矢をとつてはやり

くつきやうな射手は娘にかかわらず

やうきうを耳迄引てしかられる

いつ見ても羽斗のして土弓ばば

土弓場は黒染といふいろおとこ

講釈のかたきは明日へ逃のびて

夜講釈張飛びいきはほうかぶり

夜講釈杖で来るのはけだいなし

夜かうしやくなどといひ〱再発し

じゃまに成る柱の多い夜講釈

つんとした内儀のミへる夜講釈

孔明が死で夜講の入が落

おやぶんをたづねに這入る夜講釈

討死を日送りにする講釈師

鉄砲を扇ではなす講釈師

講釈師うそを扇でたたきだし

笑ひ止む迄は高座であせをふき

湊のごとく船がつく下手講釈

茶臼山講釈なかば下女笑ひ

あさつては紺屋あしたは講釈師

弁天もほこらに似せて池をほり

水無月の池に寶珠を盛上げる

清らかな花水鳥の留守に咲き

弁天は蓮華の中に御宮也

雲中に声あり弁天が見へる

蓮の茶屋客に蜘蛛の巣払はせる

蓮池をぐるふり廻る安い客

くたびれたやつがめつける一里塚

一里塚近所估券の高い所

一里塚西瓜のかはですべる所

一里塚西瓜の皮を捨る所

一里塚がからつくと出女さびれ

根のはえた麁故三十六丁め

余の木の聞遠へ三十六丁

おつとがてんと榎木をうえる也

麦飯と書いて榎へのたくらせ

落武者は榎を植えぬ道を逃け

勤学屋蓮をうぬがのやうに見せ

勤学屋腕をまくつて銭をつき

勤学屋そりや抜たはにおどろかず

勤学屋中條をする隠し芸

すかかきを弾イて居そうな勤学屋

吸ひつけて出しさうな店勤学屋

骨斗カの障子はめとく勤学屋

耳ほつたてる勤学の雀ッ子

手ばつかり出して売のは池の端

四月十六日江戸城二の丸焼失す

江戸の繁栄、玉川上水、武蔵野、迯水及び名所旧跡、神社仏閣並びに徳川歴代の史跡(大小諸侯共)に関する古川柳を爰に収録す

繁昌さ四角な四里に諸国住み

繁昌さ諸国と寝物語りなり

繁昌さ屋根から屋根へ虹がふき

繁昌さ国守はどなた様と聞き

繁昌さ武蔵野は今松の園

繁昌さ芒は山車に見る斗り

繁昌さ名所の月も屋根から出

西ンは竹東ンは松のそのふなり

天然自然武の蔵へ武を納め

お江戸でもそとがはまから御登城

御勝利も初てはおかざきからの事

掃溜の廻りは凢十六里

幾年もかハらぬ松のおめでたさ

江戸にない物はと問へば閑古鳥

江戸を見よどつと場末に都鳥

ハ百の上ハ端へ落る日千両

啌よりは八町多い江戸の町

山吹は散らぬ日はなし花の江戸

財散て民のあつまる四里四方

うら壁はとなりでかへす江戸の町

廣い事ほうそう神がふ断居る

百九十二町足したい江戸の町

千代田お地形の度に鶴が下り

いつそいい土地は日本のよる処

一ケの御の字の付く有がたさ

玉川をせり出しにする四里四方

玉川は車をまわし江戸へ出る

玉川の水は弧ならず隣同士

玉川は江戸へ出掛けに米をとぎ

玉川の真水上方はきの露

玉川の水は折れ〱枝がさき

玉川といのかしらとがからみ合

玉の水枡で計って分けるなり

繁昌さ枡で計った水を吞み

繁昌さ水も四角に地をもぐり

繁昌な土地箱入の水を吞み

箱の水蜘手に分る繁昌さ

はんしやうハ水まで玉をのべるとこ

水迄も枝の咲くのは花の江戸

箱入の玉川外の国になし

あづま生れはまくりから玉の水

おやしきをくぐつて水に枝がさき

調布の水は米まで白くかし

花の江戸だけに水迄枝が咲き

われ勝にあ玉を汲む江戸の春

水は箱鮎は籠にて江戸へ出る

玉川の水清らかに鮎の色

玉川と名乗て鮎は籠に乗り

いの頭尻尾は江戸にとぐろ巻

江戸の水のむと油をうりたかり

武蔵野は榎四本をひつこぬき

武蔵野は中の一字でおつふさぎ

武蔵野へ澄切つて出る月と玉

武蔵野に舂屋の残す朧月

武蔵野の俤残る二度の月

武蔵野は名斗りだしにつかはれる

武蔵野は猪武者の居た所

武蔵野で蟲を商ふ繁昌さ

武蔵野の蛍合戦大晦日

武蔵野に露月町はいい名なり

三夕をよむ所のない繁昌さ

草の跡ならして花の四里四方

月の場をふさげて花の江戸に成

原の跡虫を商ふ御神徳

はんじやうさ薄はだしに見る斗り

名の高い原を瓦でおつふさぎ

名所招かねど人が寄り

有りそふで江戸には見へぬ紫野

うばはれる物から江戸へ紫野

月は今松より出でて松に入り

鴫一羽たつ所もなし江戸の秋

武蔵には臆病なもの水ばかり

逃水をおひつまくつて家を建て

逃水も白水と成ル繁昌さ

逃水の頃居ましたと太田いひ

逃水の巴にかはるはんじょうさ

逃水の土地に育って向ふ見ず

逃水の頃はめてたくさきひろげ

ひろい野をここまでござれ水は逃げ

業平を追ふのに水も逃げる也

天窓ばか見える追人が在五やア

水斗り逃げると思や月も逃げ

水縄で大工逃水追ひなくし

御入国以来卑怯な水はなし

江戸中を数とりに鳴くほととぎす

寝ても見よ起ても御代や江戸の花

くうかいと天海どれも野をひらき

ありがたさ御みすまぢかく江戸の町

六十五しうむらさきをほめるなり

千住品川むらさきのたもとなり

佃島松の代りに藤を植へ

御講凪佃島からいひはじめ

江戸の図に点を打たる佃島

夜や寒く白魚に出る佃島

佃島女房は二十筋かぞへ

佃島汁の実迄も渡りもの

箸と盆持って奇麗な魚を売り

女客白魚なども聞て出し

白魚は王子で喰ハぬ内の事

白魚をかわゆいそと子に見せる

花の江戸桜のそばに春露

建て込んでなかなか石扔むせきはなし

山下門から大きな鍋が見へ

なべしまのしりにくろ田はおもしろし

小百万石も露の中に見へ

関もない筈お二人で小百万

大名を近く見て居る木戸の際

丸の内窓から犬をけしかける

月蝕は霞に一の御大禄

丸の内なんにも丸ひ物はなし

大名は一年置に角をもき

下に下にでいなかものかしこまり

野や草を江戸へ見にでる田舎もの

江戸見物には雀が一羽付き

丸の内きょろり〱と田舎もの

珍らしひ神の名を売る宮すずめ

宮雀爰にあらわれかしこに出

わらはれる度に田舎の垢がぬけ

極楽は遠きにあらす御膳元

御治世は実にも戸ざさぬ外廓

有がたさ枕は高し直は安し

御静謐工面のわっるひ御大足師

ありがたいは代三度づつ飯をくひ

千金の夜なべはお膝元で出来

けつかうな御代と太鼓の上で啼き

御代はどんどん鳴らぬのは陣太鼓

御代しづか子狸までも腹鼓

御代静納めた弓に鳩のふん

耳かきで妻子をすくふ御ひざ元

日に三箱ちる山吹は花の江戸

大名の尻尾をとらへどなたさま

御太鼓に鳩おどろかぬおだやかさ

納ツて弓矢は鳩のふんだらけ

ありがたい御代本とうに子をおぶい

ありがたさひくい枕は棚へあげ

有りがたさ御庭一ぱい江戸の町

基は武家町には越後者が住み

桜田で戸ざさぬ御代といひはじめ

江戸橋で道化を一人づつ抱へ

三河から江戸橋に来て供を買ひ

国々のみよしは江戸の方を向き

堀留メに冬は捨子の市が立チ

江戸橋へいちかりまたでやつとゆき

江戸橋へ反吐だらけなる船が着き

江戸橋で見れば土蔵の紋尽し

通り町うろたへて来た蝉の聲

ひからびたそばな売れる通禮町

通り町一町行けばかるイかご

通り町呉服店からたそがれる

通り町あきたか鰹横に切れ

御入部は伊達な火縄で通り町

吊の通も笑ふ尾張町

室町と両替町は飾所のうち

室町を通れば富士がついて来る

北朝室町南朝尾張町

石町は桜にうとき鐘をつき

石町の鐘は桜に憎まれず

石町は江戸を寝せたり起したり

石町の裾分けをする番太郎

石町で出しても同じ鐘のわり

石町の鐘で昔は引けを打ち

石町は遠い得意を持って居る

石町の鐘は日本の外も聞き

石町の鐘は紅毛まで聞え

石町の客へ子供の茶の給仕

一ケ所は和漢へひびく時の鐘

あさつてはそばで見ますと島屋いひ

十七屋一町遠く富士を見せ

御めんめん小伝馬町のつけ祭り

馬喰町きうじの手でもにきらせず

長屋門馬喰町までかつぎ出し

馬喰町衆と杉戸へにげこませ

馬喰町五百のあすが四十七

馬喰町ととでまんまを喰て居る

馬喰町てんはい桶へたれられる

馬喰町人の喧嘩で蔵を建

ばくろ町二かいへずつと文づかひ

馬喰町すいつけて出てしかられる

馬喰町ばきりばきりと手をたたき

なさけなくゆへつきはなす馬喰町

諸国からぞう履ふみ込む馬喰町

湯くみばへ首をつつ込むばくろ町

汁わんをてんでにすすぐばくろ町

めしどりを出してかみゆふばくろ町

椋鳥にいんだうわたす馬喰町

鷺と烏が泊ツてる馬喰町

如何藤振袖の来る馬喰町

せいてんの雨具は馬喰町をきき

椋鳥も毎年来ると江戸雀

横裂けは富沢町の春霞

箱崎は四方を向いて居る所

いそいそと椎茸わたるあらめ橋

荒布から親仁いそいそしてわたり

どの道に帰る思案の橋でなし

橋の名を問へば思案をして答へ

親父橋もうろくすると願ふ也

名を聞て孝子は踏ぬ親父橋

どつちへも行気のなひは親父橋

掛け替へて又若かへる親父橋

新らしくしても矢ツ張親父橋

辛抱のいいを見て居る親父橋

元吉原で如露を買ふおうとなしさ

思案橋親父橋には遠からず

鉄砲洲うそをつきじの近所也

てつぽう町あたり昔のつぼねみせ

大門を呉服屋一家丸にする

一町の内で泣く泣く日和

一町はさせ干せ傘にかかつてる

一町は俄かに変る傘屋

春は姉夏はおとうと尾張町

煎餅屋斗照降なしにうれ

字は昌平本名は芋洗ひ

芋洗い坂へ養母を別住居

吊の通るも笑ふ尾張町

尾張町抱いい魚の釣れる所

尾張町ぶらぶらすると釣込まれ

尾張町とんだ所へ干してあり

尾張町通りぬけると静かなり

名はたいをあらはして居る呉服店

福居叩ともいひそうなをはり町

枕紙江戸中配る呉服店

呉服物釣りをしながら売るもあり

呉服屋も二人乗ってる寶船

十月の隣へ布袋見世を出し

茅場町一番船は手習子

中樢は飲ム浅草は喰ふ真木や

御縁日いざや植木をかやば町

茅場町手切読み〱船に乗り

まん丸な日陰の並ぶ茅場町

植木どの破るまいぞと茅場町

丸い風吹くには困る茅場町

一寸した船中をする茅場町

乗合に湯あがりもある茅場町

乗合に前垂れもある茅場町

赤い切れ持って鎧の渡し守

手の墨を洗ふを叱る渡し守

傘と米の間が鎧なり

徳は一棹もどす渡し守

渡し場を跡から上る梯子売

渡し場の名に斗りいふ穏かさ

瑠璃色の日傘も出来る薬師前

月に二度植木を通す渡し舟

傘は八日の手つけ十二日

五日跡手付けを置て傘を買ひ

八日までこらへろとさす破れ傘

渡し場のさびれる九月十三日

新川は上戸の建てた蔵計り

しん川の手がらは水をあびせられ

新川の菰ツかぶりは蔵住ひ

番町をさかなのさがる程尋ね

知れぬ筈番町様と斗り置き

いふもさらなり番町でむごい事

いふもさら也ばん町でむごい下女

よく皿をわりをつたと井戸へどふん

いくらする皿だかむごい屋敷也

目を皿のやふに井戸からうらめしや

番町に御名は知らぬが花屋敷

番町のやしき皿地で故人なし

さら地ではいやばん町のやしきがへ

堀江町春狂言も夏見せる

繁昌さ金と呉服で橋が出来

屁のやうな由来一石橋のなり

江戸の町金と呉服へ橋をかけ

地内であらうに僧上寺の旦那

本郷の町酢いものでくつて居る

海辺だけ牛に迄帆をかけて出る

横町に一つづつある芝の海

海遠うして浅草で海苔を売り

狭まがつて茶屋は片足海へ出し

数万艘入れても廣ひ江戸の袖

手紙には狸臺には鯉を乗せ

秋葉道寺にも鯉のあるところ

鯉までも紫になる江戸の水

下卑た鯉緡に通して一本さげ

木でしたを見て来生きたを料らせる

料理人研く内鯉を泳がせる

洗ひ鯉喰って茅花の値をねぎり

鯉の喰逃げやるまいぞ〱

一本も並木の見えぬ賑やかさ

よく聞けば砂利場の伯父も他人なり

巾着は亭主を砂利場辺に置き

土器は浅い深いの土で出来

狸と今戸新造が土で出来

かはらげや一日こまを廻すなり

西行と五重塔を干し固め

繁昌の雲気今戸へたち昇り

浄瑠璃をやつとひひたと車力いひ

浄瑠璃坂は五段につづいてる

下谷では弾く市ケ谷で語るなり

旦方の行〱迷ふ大音寺

彩色の裏に墨絵の大音寺

人の親の寺と思はぬ大音寺

大音寺の方向ひて娵とらず

桃ばやし女房の苦が一づ殖え

駒形の油屋河岸へ売べき名

藪小路風音の減る十四日

江戸見坂千社一目に午祭り

繁昌さ諸国の船を袖へ入れ

実に堅い御代大木戸も石ばかり

御門をば錠より堅い石でしめ

茶かゆ喰う喉に木遣の聲は出ず

浮世なれ蝦夷にもまさる江戸錦

紫へ来る道の記も五十三

御條目道の分ツた札の辻

江戸紫の錦留は綾瀬なり

江戸の名物紫とけつの穴

しける筈雲の上から龍の口

代のゆたか水の出もよし龍の口

旅日記江戸引あけに烏石

旅日記袖から草をとしはじめ

袖が浦から吹通す寒さ橋

のりつけて干よけて出す袖ケ浦

袖がうらぐつとまくつて汐干がり

材木の梢に宿る木場の月

鉄砲で蚊帳を押へる船番所

何を売たか吸物を木場で出し

中川は同じ挨拶して通し

鐘を撞く堂の近所に撞木橋

おたやかさ御賊の名は橋斗

大橋で見れば三幅對の橋

八橋を江戸はろじにもかけておき

三倉橋世渡る橋を誉揚でかけ

萬代にくちぬ竹橋常盤橋

中橋を欄干あてに通り過

どん〱で女のかける一ツばし

橋の鬼一口茄子も追払ひ

京橋は江戸橋よりはこみあはず

富士筑波左右に江戸の渡初

日本でも腹を日に干す小舟町

鰐足の出るもことわり鮫が橋

江戸のあご瀬戸物町がはづされる

擂鉢はせと物町の真正面

よつ引た故事を云ひ出す鮫が橋

生鯛の市見て通る神田橋

竹町を越スと屋かたは明ケて来る

須田町にありそふな物白うるり

佐久間町あたりに蔦を植直し

神楽坂あるで近所に岩戸町

濱町の井戸に行者の跡をたれ

寺に無い釣鐘亀井町に出来

御要害ちかく弓町鎗屋町

町に鍋川岸にへっつい堀に釜

長崎と唐は江戸でも向ひ合ひ

長崎屋今に出ると取り囲み

越カ内へおしわけて入る長崎屋

市が谷は六番町ぬらどをり

牛込へこひでく猪牙のやぼらしさ

無量寺と小石川中野暮に聞

極楽の水も流るる小石川

伝馬町風まけのするかるこ出る

家中の気だと山王の町はいひ

赤坂はやつこなやつが客をとり

山王の町屋は神の組やしき

伝馬町七十二町人を追ひ

釈道と武道綱坂聖リ坂

金の龍坂を一の目ぬきなり

生鯛の市見て通る神田橋

新場うら安針町へ鳩はとび

本所に二三字京に一字なり

仙台堀といふべきを神田川

なまぬるな事では出来ぬ御茶の水

公家悪は成田神田は荒事師

神田では古状様の橋をかけ

神田川水道の樋と十文字

当方はのりもの町を後家とおり

田原町からねらつてくふてエやつ

かいで見て小田原町でしかられる

三味線堀は駒込のふじの跡

三味線があるで近所に三筋町

三すじ町三みせんぼうの近所なり

廣こうじ武鑑を見るのにぎやかさ

本郷と小石川とに鳩が住み

本郷を梅やしきにておつぶさき

本郷で瀬の尾太郎しやべつてる

梅の側春木町とは面白し

本郷は春木うしごみ夏木なり

浮御雪まづ江戸ならば駒形さ

とらの門通りを行くはさり荷也

さぬきから虎の門までははなを出し

本郷の町酢いものでくつて居る

本郷をどツこ迄もと傘しよはせ

竹之丞じぶん虎やも見世を出し

泉岳寺わるひユミをする息子

霊岸の尻からぬける雲光院

唐ならば一里半ある音羽町

金持をうぐいすといふ音羽町

豊鶴町母のなひ子を育上げ

生替り死替り出る稲荷町

飯田町ふせらぶせらに船が着き

加賀様は湯島に近き梅の花

本町の桜年中匂ふなり

本町のぬれて通るの恥かしさ

谷中からにこ〱戻るおもしろさ

海苔のなる木は品川に植て置き

鍋島に遍つい河岸は離れ過

鍋島と佐竹は琴の組頭

中洲今馬鹿者共が夢の跡

夢の跡大門通り名のみにて

出来ぬはづ小田原町と鉄砲洲

江戸の関帯と薬缶の間を行き

縄一重席より重き御道筋

江戸斗えの木の所へ銀包

いい天気高田へ富士が二ツ見え

青山に有りさうな物三途川

花の江戸けんくわにまでも枝がさき

突然のきつひは江戸のならい風

爪に灯をともしおほせし江戸生れ

番頭が江戸言葉ではげびるなり

異国から来ても鸚鵡は江戸詞

むさばんの三ツぐみ江戸で名が高し

名が高ひやもめ辛崎麻布也

銭と金左右に弥陀の本願寺

鳥越で喰へば神田で腹が減り

江戸にないのがやつこと五月女なり

江戸の住吉反り橋の塲を渡り

住吉の氏子りつぱな家をたて

住吉のとなりの国は四千石

住吉の祭朝から網を干し

江戸に無ひ紋日田植と祭り也

藤を見がてらに僅かな渡海なり

藤を打たのでりやうしにとつかまり

本店は田植出見世は潮干狩

一声であまる佃の時鳥

海賊の用心に戸をさす佃

小便で佃の藤を見てかへり

罪なくて配所の月を佃見る

二三人海をも渡る厄払ひ

佃への一番船は米屋なり

佃へも二人位いは厄払ひ

座頭さん又島かへと渡し守

湯へ行くのにも船に乗る屋敷なり

狐と袖を摺り逢ふ面白さ

通ひ路に文や袖摺りいい名なり

両国は印籠田町袖を摺り

軽焼を買ひに他宗の通りぬけ

白山へ堀の亭主が案内し

東風かぜの吹く夜は見世で伽羅がいり

大一座焼場の分も二人り揚げ

そうせん寺までかへと猪牙太義そう

廣徳寺下におかれぬ百旦那

高野六十扨つづいて薬研堀

目の色に着のなひ薬研堀

薬研堀から来た乳母のじだらくさ

薬研堀薬師の御座りそうな町

薬研堀どぶ板までが一度なり

佛師屋をしても恵心喰へるなり

夕薬師ざつとたばねていきやせう

夕薬師息子の嘘の三番叟

負おしみ薬師如来に手をふやし

さん銭父植木のは母がやり

生娘と見えて薬師へ願参り

開運を女の願ふ蛸薬師

蛸薬師おれを喰うなの御誓願

蛸薬師八人芸の願を掛け

脇道へ吸込みたがる蛸薬師

なまぐさい薬師で無分別が出る

いぼの願尚出来さうな所へ掛け

参つた沙汰をきかぬ古川やくし

薬師より杓子の利生はやまわり

下戸の禮四ツ谷赤坂こうじ町

勇士の名くぐると麹町へ出る

あにさんにかした一分は麹町

おつかない立売りをする麹町

猪猿は元より象迄もある町

象は獣店からと知った振り

勘平は麹町へも打〱出

獣物屋藪医者程は口をきき

麹町冬はとりべに人だかり

麹町狐を馬に乗せて来る

麹町芝の屋敷へ丸で売れ

麹町井戸の廻りに座頭居る

薬喰女房きせるをひつたくり

薬喰見て居る顔の美しさ

薬喰隣の亭主箸持参

薬喰人目も草も枯れてから

包丁を淋しくつかふ薬喰

薬喰でも後家は見めおつとせい

毒になるやつが煮て居る薬喰ひ

おつとせいころばぬ為の薬喰ひ

鴨などが及ぶものかと又百匁

猪を喰ふ会亭をする獨り者

薬喰人に語るな鹿ケ谷

冷症二十日程喰ふ冬牡丹

此土手はいくらだと葱さげて居る

葱ばかり喰ふも一と足ちがひなり

これだから貸してやるなと鍋を捨

じやと蚊の出るのは駒込の六月

駒込の富士は二三も一と所

麦藁が化けて蛇となる厚い事

一手に一度蛇の出るにぎやかさ

六月の布子は天へもふちつと

蛇の道をつか〱行くとお富士様

情姫をひつ提げて来る富士詣

駒込に三合一歩山を築き

時は今富士へじやの出たあしたなり

じゃのひけものを朔日の晩に買ひ

真桑瓜富士で売るのは月足らず

富士土産舌はあつたりなかつたり

富士土産舌たらずのすつ〱す

人穴は富士権現のうしろ也

浅草の富士も抜穴一ツあり

富士と吉原はお江戸でも近所なり

富士道者下向吉原泊りなり

江戸の不二吉原宿リへすべり落ち

須走口を出ると直き田町なり

忠常はだん〱行くと田町へ出

麦藁のじゃすいを女房廻すなり

蛇の土産女房も赤い舌を出し

蛇だらけになつて賑ふ二十軒

売物の不二は六郷そこら也

江戸の富士六合目から横へ切れ

四五人まへの蛇を持て聟帰り

富士の蛇は六万坪の主となり

田と谷の間イへ流レる不二の雪

麦わらの蛇を遣つてふ首尾也

だまかした大蛇で女房角がはえ

七度半お茶ツぴい程かけあるき

田楽へ味噌をつけぬは金輪寺

十七檀林は蛙の声を聞き

尊さは無言で蛙経を聞き

三日月の光り尊きお山なり

三日月の光り蛙は恐入り

三日月に蛙一句も出でばこそ

道徳で壬生狂言のかはづ出来

其罪斗りでお七にくまれる

祖師堂を先づお七が出吉三が出

生壁はきつい毒だとお七いひ

お七どの菜をくさしめとけんびたい

蛇をさけでお七墓所を聞あるき

耳のわきかき〱お七そばへ寄り

火の付いたやうにお七は逢ひたがり

吉祥寺雛に毛氈かりられる

水晶のなま長イのをお七もち

らんとうは薮蚊がくふとお七いふ

糀屋の息子お七にはわられる

かねやすはお七を見るとたたきたて

八百七の時分は恋もりちき也

八百久の乾物箱は壁に置き

久兵衛を七日見かける雑司ケ谷

九兵衛が紋は何だか知れぬ也

頼政と八百屋お七と行きちかい

古今武総の建立は九品佛

九品佛こしをかけると糸をやめ

神明は甘い辛いの土産なり

あま希けもかためにつくる生姜市

つぶれだと紺屋の参るせうが市

はじかみの祭礼などと論語よみ

ちつほけなおかわ生姜へくくしつけ

生姜市あきなひ斗り無い所

生姜市一歩のつりを持あぐみ

どつこいといつて生姜の置を付る

葉生姜は拜んで来たと見えるため

葉生姜をちぎつてはねた泥を拭き

せちがらさ息子生姜の市も売り

遂には神明の市がばれ不首尾

どろだらけ土産は捨てずして帰り

どろでこしらへた人間生姜下げ

九月咲く藤は十一日盛り

江戸のあたごはなげずとも町でしみ

愛宕橋汗を拭つて拝む所

愛宕橋遥拜をする不達者さ

愛宕山勤也が屋根を探してる

何事も愛宕の帰り下馬で聞

猿田彦愛宕の下で月禮し

額堂で人目に見せる四里四方

御はしたのまたには足らぬ女坂

是見よと御礼参りに男坂

ふり袖のりちぎに見える女坂

花の無い霊地は鐘へ人だかり

会者定離三縁山かひびくなり

釣鐘の厚さに扇つかはれる

釣鐘の話し芝から京へ飛び

真黒に成ツて佛も御味方

御山○三河に縁の霊地なり

野に野なし芝に芝なき霊地なり

増上寺生酔の出る所でなし

増上寺空に知られた雪ばかり

地内であらうに増上寺の旦那

ぎよらんさま御使からのすがたなり

魚籃様御使ひからといふ姿

海晏寺真赤な嘘のつき所

海晏寺時分ひるまはきついそん

海晏寺こいつものめる所なり

袖から見えるもみ裏は海晏寺

海晏寺からしな介は帰さるる

紅葉より飯にしようと海晏寺

おいてくんなさいどこの海晏寺

禅寺はいい方角の紅葉なり

禅宗のもみち息子の天魔なり

禅寺も隅に置かれぬ紅葉なり

座禅觀法の地に紅葉とはいかに

山門へくん酒をゆるすたつ田姫

沢庵の近所浅野家功のもの

其後は浅漬和尚ばかりなり

なかんづく沢庵時分銭がなし

沢庵の口をあけるに二三人

沢庵の近所赤穂の塩だらけ

沢庵をへし折つてくふ独り者

浅漬の石沢庵のきんじょなり

重箱でやる沢庵は渦を巻

不承知な下女沢庵でくらはせる

さあ厭をたのむと女房糟だらけ

沢庵はどの宗旨にも口に合ひ

草臥れた跡を見て居る嶋の台

白波の果も有けり鈴が森

念仏を布ごしにするむごいこと

泥棒を一俵にするむごいこと

泥棒の謄玉でくふ浅右衛門

浅右衛門謄をつぶして銭をとり

大森は枯木を海に植える所

大森は筵の屏風そとへたて

大森で桐を錦に織って出し

大森で乞食仕立の箱が出来

麦刈に出る大森の細工人

切っ先で麦わら笛の直をつける

山がへりあたり近所は笛だらけ

切っ先で槍の直をする山がへり

町人も槍でふり込む山がへり

百貫の肩へ麦わら笠一つ

初上り土産に配る和中散

わき目からしやきやくまける和中散

水車ひからびている和中散

すれ〱に三人くらす和中散

梅の木が大きな森に二三本

箱根からこツちにヤやぼな地蔵あり

附木屋は腕にまかせてぎつくぎく

附木突腰におどけた拍子あり

附木突堀り拳は残すなり

猿をぶつうと思ったら附木屋

十七屋なかに恋文二三通

あさつてはそばで見ますと島屋いひ

十七屋一町遠く富士を見る

十七屋木綿合羽へ馬を入れ

十七屋日本の内はあいといふ

十七屋とてんは如何に渡るまじ

十七屋立横に寝る人斗り

十七屋ほどにんさんも配るなり

だうでばしござりましよふと十七屋

かんこ鳥住所なし四里四方

真中に蓬莱山の四里四方

日本の臍の大きさ四里四方

四里四方のうちに五丁の花ばたけ

四里四方見て来たやうな新茶売

あかるい手書四里四方○置きあるき

太郎兵衛がぼたん畑は四里四方

文月に古歌の吹きちる四里四方

箸と盆持って奇麗な魚を売り

女客白魚なども聞て出し

白魚の眼は楊貴妃の手のほくろ

白魚のあとへかまるるところてん

白魚は王子で喰はぬ内の事

白魚はかわゆいととと子に見せる

篝火のもとへ源氏の魚が寄り

白魚のやうに玄猪の供はまち

子をもてば白魚迄がまづくなり

椎の木は梅で手柄をした屋敷

椎の木は殿様よりも名がたかし

椎の木一本小楯に取った松浦

一本の木立屋敷の名を広め

梶の葉よりも椎の葉を人が知り

目がさめてから椎の木を陸カで見る

放れ馬椎の木へ来て突き当り

向ふのが松だと石にけつまづき

不風流駒止石にけつまづき

雪の日に駒止石は玉兎

石だの橋だのと本所馬をとめ

 

君が代は暑寒できたへ丈夫也

君が代は豈金へんを用んや

御代なれや松も平に枝もふえ

下顔にすんで万民松露也

草も木も廉かぬはなし松の風

松の露万民これを賞翫し

甲冑に樟脳匂ふ太平サ

抜ぬ太刀はねぬお馬を御献上

軍配は裃で持御代と成り

鐙にて蹈〆給ふ天の声

鐙にて大日本を御ふまへ

物を喰ふ質をば取らぬ御代となり

軍ハないと見切たでかさぬ也

金屏で見れば軍も面白し

治に乱を忘れる程の有がたさ

練鼓苔むして万民腹太鼓

麟鳳も出る聖代の御船蔵

開国の紋が御門の名に残り

草も木も我がおふきみの御紋也

年代記みる程御代のありがたさ

紅いは玉座紫御ひざもと

御入国以来値の出た初がつを

高枕今寝返りの武士はなし

太平の世は兵法もはらこなし

おたやかさ猪牙と四ツ手が飛道具

天の下終にしめこのおすひもの

青味には木賊のほしい御吸物

御家柄兎はとんだ御立身

日の始め座附は月の御献立

御吉例みんな昔の御かんなん

鎧荷の上手の忘れぬ御代の値

駒下駄で越すはお庭の箱根山

日の光移して赤き紅葉山

紅葉とは名のみ常盤の御山也

双六の絵図で出来たる御庭なり

御生国君も栄えてましんます

家の風ふき起したは寅童子

御着帯峰で一体刻む頃

其当座迷子の〱虎神やあい

御化身の虎よりおこる時津風

枝ならは風を化身の虎しづめ

天是を代将軍におん與へ

栄華より煋より是はよい御夢

一不二といへど是にはおとるべし

是を入れると四番目が茄子也

おん夢を吉野山ほど諸侯賀し

日の下の人も寝ざめのいい御夢

ことかはつたる計略は和の太鼓

和漢の智謀太鼓の音琴の音

長篠から夜通しとすねをさすり

忠臣は末世にくちぬ鳥居なり

御忠節朽ちて鳥居の名が光り

御忠節上を越えてのない鳥居

鳥のすね一本で城もちこたへ

命がけ丈夫なすねで網を切り

水鳴子事ともせずに鳥のすね

脚の達者さ長篠から一息

すね右衛門をとらへたかいもなくまける

九八郎身には鳥居が百万騎

鳶の巣は鳥のなかぬうちにおち

藤づるがからみ鳶の巣おつことし

とんばうにまけじと蜂屋敵をさし

蜂もとんぼも名の高い勇士なり

とんぼ切とは御味方に御吉相

秋津洲を切したがへる槍の銘

落角の一度もしない兜なり

唐獅子と鹿に甲陽へちをまき

鬼か人かしかとわからぬ兜なり

奥の手を出さず長篠持こたへ

軍配がよさに長篠もちこたへ

長篠へ後詰破竹の御威勢

小牧山一きは目立井伊榊

忠義には夢中にならぬ作左衛門

平八とばかりでは強さうでなし

日に光る骨は五本の御扇子

御扇子は武運のひらく御印

御扇子に風も当らぬ御代となり

御扇子で蛍押へる関ヶ原

ぢん中へ四ツ手の出るはせきが原

とつ〱と笑ってかへるせきが原

じぶくつて見てもいけない関が原

けつの恩命投出す関が原

毒石を扇でららく関が原

ぬるい茶のやうには行かぬ関が原

関ヶ原もすてつぺんからおし碁也

関が原ひんほうて無イ御さきかけ

関が原手柄は笹をほうばらせ

関が原盲を杖とたのまれる

いらぬこと手引を連れて軍なり

勘ンのいイ目くら石田に抱キ込れ

うらがへる金で石田のやぶれ也

石田組尻の金から総くづれ

尻金に香車で石田つきくづし

尻から金と打たれず石田負け

大がきが落ちたで石田渋いつら

雪隠で味方まける石田きき

へらがあるのにのべ紙で石田ふき

とらの尾をふんだが石田百年目

とらと見て石田なか〱矢が立たず

石が粉になるは那須野に青野也

石に判押した手合はみんな逃げ

せめ合に成ると石田はみなかけ目

御手を引き申せと石田世話をやき

治部いわく此人にして此やまひ

千なりを真似て三成ぢきもがれ

尻の恩首でかへすは刑部也

刑部か敗軍駕籠烟リ立て逃ケ

刑部様御入と草津大さわぎ

筋をひく病大谷切りで絶え

ぞん命で居ても大谷六部なり

御勝利は青野の原を赤く染め

大谷検材で居れば死なぬ所

四奉行は鼻をおほうて列座する

よこしまはきらふ結城の御名君

打取った印へ笹をかにが入り

左衛門の太夫にも才三があり

福島がだだはいなともいひかねる

正則後悔ほぞを噬むいなの腹

小松菜を大久保千代のためになり

大久保は葉ばかり多く鶴といひ

早桶の迎へは江戸の花川戸

爼板へ大の字ひれのある男

横に車をおさせぬは御殿也

今に見ろなどと若殿附はいひ

大名の過去は野にふし山にふし

大名と町人足の出合ひなり

島原の智謀はすえぬ握めし

焼めしに天草勢の歯はたたず

賑やかさ煙をさとる安房守

うそつきの達人駒木根八兵衛

せいろうをおろし軍を餅につき

せいろうははたきに鍋は大あたり

とぢ蓋の天草勢は鍋におぢ

兵糧と鍋に天草こまりはて

天草勢を馬鹿にする御紋也

天草で古今みやうがな手柄也

天草へ出たは利口な茗荷の子

天草を御乳母の馬がくひつくし

抱茗荷乳母が忠義で先陣し

御出陣乳母はめうがのために死に

念力の高島原で草をくひ

軍中で乳母におぶさる甲斐守

天草の時にめうがなおん加増

新しい鍋は天草以後に出来

龍造寺末寺天草以来出来

茗荷でも馬鹿にはならぬ御家柄

鍋島の表門から物忘れ

牛込先生とんだ事をたくみ

ごく薬を慶安すぐに盛る處

もちつとの事で鮎までみなごろし

玉川の鮎もちつとでみなごろし

玉川にも一つ疵をつける所

もういとつどくの玉川出来る所

高野のをすでに武蔵へ引く所

江戸中へくむなとすでにいふ所

ちうしん〱と藤四郎

藤四郎矢よりも早く御注進

袋の弓の出ぬ様に御注進

袋から出さぬは弓師藤四郎

ふてえ奴ツ江戸と駿河でとらへられ

冷飯を食ふと正雪しれぬとこ

だいてはいられぬが丸橋じまん也

へんのない文字は慶安四年なり

榊葉は神慮にかなふ久能山

榊の威杉も根こそぎ引きぬかれ

御供立何所から見ても掃部様

二つとはない先箱の御家柄

先箱の一つ溜りの上座也

一本に一箱これはいい御家

安塾黒田幾代霞が御関守

御紋から真黒だよと覚えてる

太へやつ傘へ黒田の紋をつけ

森の木を一本へらして立身

三本の指に十万余騎おそれ

犬の使が一代に一度来る

青首も実検にいる御供弓

御時服を呪った的に穴二つ

関東へいたちの道をきらぬなり

いたちを對にふらせるは脇になし

富士一忲ひき馬にする青木様

諸侯にも二つとはない紋所

不二山は武鑑で見ても一つなり

をはりさまでも武蔵では初めに居

しやちほこと大根で名古屋みそを上げ

城で持つ国は寶の雨ざらし

知恵袋和漢黄色な石と門

御果報は東の福がうちへ入り

敷島の道普請にて軍止め

古今のほまれ軍中へ勅使也

一城の蘇生は和歌の名誉也

三鳥の値で一城つつがなし

ほまれある和睦あつかひ三つの鳥

武のほまれ三鳥でとく雅のほまれ

歌人は居ながら一城を持こたへ

九つの星で歌道も暗からず

九つの星であかるい和歌の道

お蟲ほし達磨とならぶ古今集

和歌の御家は替紋も桜なり

御領地も源氏程ある和歌の道

一曜が六万石の御高なり

武夫の腹から出たは達磨なり

血達磨の実は本来無一物

坐禅より名の高いのは腹ごもり

忠臣のあけにも染まる緋の衣

加賀紋へ梅の折枝付けはじめ

御子孫は三国一の梅の花

さいふからでたにはいかい御高也

御先祖も百にはぬけぬ御家也

御先祖も子孫も蛇でせめる也

御苗字も紋も先祖の御聖木

三カ国好文木でおつぶさぎ

三国へはびこる不二と梅の花

御大禄わけて飛梅こぼれ梅

梅ばちがあたつてへびにせめられる

裏月ほど御高を別けた梅の花

打羽ならもつたといふ御先箱

犬千代君の足跡が御定紋

犬千代の叔母を万代御献上

六つの花五つの花の御献上

梅の宝から雪の出る暑い事

水無月の献上鱈のつくり也

御献上たら〱汗をかいてくる

献上のたらは江戸までうつつぜめ

お物好をさまる御代の槍の鞘

やつとうとまいるやうなり丹羽の紋

腹かけのあと丹羽様の紋に見え

先箱は雀道具は大鳥毛

お茶の水竹に雀がひとりあび

お茶の水出来あがる頃お目がさめ

あの御家とかくに川で銭をすて

まさむねの太刀できりぬく神田川

仙台で丸印とは何の事

牡丹餅は甘く見られぬ御紋也

蕗といふも茗荷といふも御大禄

日の丸の扇になびくはたの魚

はた〱の焼物のつく蕗の平

御領分しらべて蕗の論をわけ

御怒で家老に蕗をしらべさせ

御家老は蕗の工夫でにがい顔

蕗市のやうに家老の玄関先

柳営へ御免の杖も古来稀

麻布でもよく木の知れた御杖也

御紋からして角トひしな小笠原

とめるさむらいはするがに居る

せツつきに弓師へ通ふ小ざむらい

合点せにや切刀を廻す御部屋住

忠臣は根づよく申す御諌言

御つけ人味噌用人と下女覚え

御尤〱とて町送り

関守の居眠り賃が五百石

年号を正しき徳の御制札

密柑から大御所柿の御高運

ふんどしの異名にこまる一家中

飛鳥のまさしく落る御鷹がり

いにしへは小六今では御大禄

鳥居様あてじまひなる御紋也

八月十五日板倉修理殿中に於いて誤て細川越中守を斬る、二十三日切腹を命ぜらる

四方をにらみ三方をみつし〱

新吉原遊女盛粧して仲之町へ出る、之を道中と言い此頃始まる

人の泊る時分道中はじめる

有ツたけ着たとは見えぬ仲の町

とまる時分に道中をはしめる

大たばにつまをとるのは仲の町

中の町傾城に威の付く所

駒下駄の高く噺く仲の町

口取のやうに新造先へたち

仲の町火のふる上へさしかける

仲の町薙刀持もつけたい場

北国の弥陀駒下駄で御来迎

道中の駒の後からやりが附き

全盛は双子の様に着せて出し

植えた様に駒下駄も勇むなり

鳳凰の足あとからも文字が出来

蒼鳥も知らぬは鳳の八文字

籠の鳥足跡つくる八文字

片足に四文は派手な歩きやう

大そうな物は女郎の他出なり

釣合をよく歩くのは三歩なり

善尽し善尽し三歩八文字

仲の町そとはだかりはいい女郎

全盛は花の中行く長柄傘

傾城は傘を持つ手は持たぬなり

れき〱の遊女禿を二人リつれ

三尊来迎喜助は傘をさし

油ふき長柄に花の雪がふり

我はなの先を見て行くいい女郎

三分の股を八文で少し見せ

極楽の町錫杖で御成觸

大江戸の真中に来て化けるなり

八文で桜の跡をふみかため

八文であるけばたびもはかどらず

六文は西八文は北の旅

八の字と道連に成る面白さ

面白や花間笑語の仲の町

花が三文ではすまぬ仲の町

何かしらしよはせて送る仲の町

よい春だのとは大きい仲の町

提灯に下座見のほしき仲の町

よく汗を出さずにといふ中の町

升わなをひるまかけとく中の町

源氏絵も翠簾着せてある仲の町

無心いふ顔とは見えぬ中の町

犬の屎有てもよけぬ中の町

一軒の禮でふさがる仲の町

凧きれて足軽二人仲の町

かした子に移り香のある仲の町

入髪でいけしやあ〱と仲の町

草市に桔梗のきれる仲の町

こきなぜるもののありたき仲の町

端近なとこでのんでる仲の町

三夕の外の夕暮仲の町

吉原の背骨のやうな仲の町

らく日にくれないの出る仲の町

うろたへるふりが上手の仲の町

もう外につうはなしかと仲の町

槿花一日の栄とは仲の町

銭は通用せぬやうな仲の町

蔵王権現を買たい仲の町

おふくろになかれてこまる仲の町

女房がにくくてならぬ仲の町

一番手羽織をつかむ仲の町

むらさきと鹿の子落合ふ仲の町

菅笠と雪駄はぶきな仲の町

とほ口てちわをして居る仲の町

はしめてと見へてきよろつく仲の町

其むかし菜たねの発句仲の町

きつい行通傘しよつて仲の町

鈴の音人足繁し仲の町

かつら男を待つて居る仲の町

糠味噌のちは汁を吸ふ仲の町

貧乏のかくしごつこは仲の町

稲妻をさせて振向く仲の町

きうな事片〱つれて仲の町

うちでくふ程くわしから仲の町

白い手で御簾をかける仲の町

素一方はまん中を行く仲の町

素一歩は用向きのない仲の町

仲の町足音のせぬにきやかさ

仲の町はかま着たのはいたく見へ

仲の町あかるくなるとほととぎす

仲の町なまけたやうに腰をかけ

仲の町立はだかつて年始なり

仲の町ひろ〱とした郭公

仲の町夕暮なしにくれる所

仲の町しきりに身の毛よだつ所コ

仲の町末たのもしくない所

仲の町豪気に褄をつかむ所

仲の町買見をしたり勧めたり

仲の町かつぱらはれて泣て居る

仲の町飾るも無いに美しさ

仲の町母のぞきこみ〱

仲の町月雪花に事かかず

仲の町さいたが通る見ともなき

仲の町扇使ひでいもの禮

仲の町をつをじくねて腰をかけ

仲の町をつこちさうに腰をかけ

仲町へのの字を入れて三年住み

仲の町馬鹿が禿に引キすられ

仲の丁腰を掛けてる待女郎

仲の町忌中の札のないばかり

中の町道を作ると時鳥

仲の町暮を打ならきつひ事

仲の町喰摘迄も一分めき

仲の町どらと太鼓で大騒ぎ

中の町月丁山に小百いり

本年堺町豊竹肥前芝居にて菅原伝授手習鑑新狂言始める、江戸町中手習師匠方へ切落札を配る、是引札の始めなりと云う

ひなびても芹生の里の名がやさし

寺入が来て源蔵はむねをすへ

引札はゆびをなめ〱はすに来る

引札はゆびをなめ〱ほうりこみ

切おとし札をみせるは引けのやう

切落しおしをおかれぬまでの事

切落し迎は首をたづねてる

切落しても御屋敷をつツはらせ

切落し気の毒そうな乳をのませ

切おとし中を禿があをむかせ

切落し実をなげぬのは得手勝手

切落し半篭かぶり雨やとり

切落し海老蔵をしてしよい出され

切おとししよりやうのいしゆでつかみ合

切落し八つ時分から火にこまり

切おとしごふくやあなをあけて出る

切落しやき塩つぼはあんじ也

切おとしりくつな方も引出され

切落し火打を出すは八つ下り

切落し座頭からべをかたむける

切落し祢つからにない首がおち

切落し尻をはしつてわけをつけ

切落しもみほくされる後ロ帯

切落し火縄も袖のふり合せ

切落し少シは義理の有ところ

切落しほどけた帯をたいて居る

切落し密椎の皮を町おくり

切落し平等院へ乳母がしり

切落しても御居家をツツはらせ

跡たのむ扇の芠の切落し

手のひらへけんくいをのせる切落し

ごく無理なだめさしに来る切落し

自らをかぢるなはけた切おとし

りべつした女房と並ぶ切おとし

一寸した不埒の出来る切落し

ざるで札すくいには入ル切り落し

はやおけよりもちぢませる切おとし

見物らんぼうかづ〱切おとし

ここいらにしやうとははやい切おとし

なめくらを二本ひんぬく切落し

けんくわして根こそぎにされる切落し

首一つ取次いでやるきりおとし

居替ツてくれなといやな切落し

是ぎりの幕で手を遣ル切落し

弁当をその手でもらふ切落し

美しさ切落中あふむかせ

首数級ならべたやふな切落し

二人切おとしへ遣つて広い也

せなかから肴をはさむ切おとし

急用の跡であぐらを一人かき

奥方に異名を付ける切落し

切落し立てはおやまとなくさまれ

切落し泥鰌に酒をかけたやう

たのまれて足をふみ出す切おとし

一チ日はでつちでふさぐ切おとし

切落し五尺からたを引こぬき

切落し妾を中か7におき頭巾

切落し聟八人でつめり出し

けつをまくつて尻を抱く切落し

 

俳諧繍十八公(蓬莱軒)

 

 

 

 

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