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一七四八年      

寛延元戊辰年 三十一歳 七月十八日改元

            十月閏

 

文日堂礫川生

櫻田治助生

大島完來生

 

正月二日師岡南林没

正月二十五日長江士瑶没年五十二

二月四日中村傳五郎没年四十六、守墨庵、二斛庵、鷗心亭、眠柳松籟庵、初麥阿又長水と号す、幕府旗下の士なり

七月九日水野大膳萃陰没年五十六、荘内世臣春台門人なり

七月十一日希因没年五十一、通称綿屋彦右衛門、暮柳舎百鶴園と号す、加州金沢の人なり

七月十九日橘守國没年七十

七月十九日佐野川万菊没年五十八

八月十四日書家馬場春水没年八十六、青地堂と号す、馬場流の祖なり

九月朔日榊原霞洲没年五十八

十月四日伊藤祇明(頓心師)没年五十一、祇明は四時觀の老俳家にして蔵前の札差和泉屋源兵衛と云う實に夏目成美の伯父なり

十月二十一日堀内仙鶴没年七十四,長生庵、化笛齋、白鶴堂と号す、江戸の人、嘗て京都に住し羅人等と名を齋うす、大象の来たりし時の句

今や引富士の裾野の蝸牛

十月二十三日苗村芥洞没年七十五

十一月六日千足盤谷(二世)没、梅堂,雪香齋、比蓮塘、雙蓮、初尾谷と号す、江戸の人なり

十一月二十一日日澤村惣十郎遥波没

十二月二日赤井芳全没年七十四

十二月十八日居初雲峰没年七十一

 

大岡忠相諸侯に列せらる

立羽不角下総に遊ぶ

此頃女子頭飾の禁稍弛む

青張日傘流行踊子ゑもんが創作なりとぞ、菅笠止む(一説に宝暦二年と云う)

青笠で村中あるく宿下り

青笠のかたふく方に車引

悪言の方へ青笠かたふける

御くう所のえんに青笠五六本

いやらしい物ハ和尚の日傘也

日傘さしてをつとの内へ行

ことはりやなどと出さうな日からかさ

日傘さす女房は江戸を一文字

晴天にさすのを持て青く張り

誉られる度持ち直す日傘

からかさで飛たはなしも落さかり

菅笠を元直に売て書て遣り

菅笠の邪魔に成まで遊び過

すげ笠で内儀しんしを張つている

菅笠で犬にも旅の晦乞

ずげ笠に有る名でとん死呼かへし

菅笠の紐があくびをちつとさせ

菅笠へあてがつて居るすいかつら

菅笠で目高取ったが仕方なし

菅笠の内へ帯とくまとも苅

旅立は二度めのさらば笠でする

笠のじぎたがいにふちをたでて行

笠縫ひの針は山又山めぐり

辻諷ひ扇で笠をあげて見る

下馬先ではたら〱と笠をなげ

早乙女の笠ひぼ岡へもつて来る

道問へば一度にうごく田植笠

ひどい風田植の笠に指のあと

切ツ先で麦藁笠の値を付る

風に笠とられぬやうに口をあき

宿引はあたま数ほどさげて来る

忠臣蔵浄瑠璃始まる、八月大坂竹本座に於いて仮名手本忠臣蔵大評判大当たり也、作者は竹田出雲にして実に其の傑作なり

師直は間男はれてするつもり

 忠臣の仮名は末世の手本也

 師直は晴れて間男する気なり

中年に成って師直色気つき

のぞまれたうへに兼好ふ首尾也

つれ〱のあまり局候も書

手は美しいと塩治が妻はいひ

けん好はあのつらでかとなぐり書き

文と手にえんやが妻もかんじ入り

文と手をほめた斗りで承知せず

今度ハ頓阿に盛しやうと師直

間男をするつらかと吉田なくり

師直は見ても居られず墨をすり

初段には一目置て若狭負け

塩あまく見て師直はなめ過る

はんじてはみたが薬師寺きのどくさ

薬師寺が来ぬと寝道具すでのこと

小袖ではないと薬師寺にが笑ひ

さよごろもやつとはんじてはらを立

師直は事もこうじたさゆをのみ

ゆかたにてふくを師直よつくみる

こがるる身よりとかけと武蔵守

代筆の文つれ〱と返事せず

代筆を兼好いつそうるさがり

ひよんな代筆兼好とつかまれ

見そめたは浴衣詠んだは小夜衣

兼好ハあつかましひと跡で云ひ

兼好は中庭などもする気なり

兼好殿武蔵守内用

居風呂の図は師直が書はじめ

はしちうひ湯どの塩治が越度也

師直も若狭にはせぬ井戸呼ばり

冠の客も驚く烏帽子疵

判官も沙汰は無い事気味があり

小夜衣終にやぶれて疵だらけ

其後は師直頭痛がくせになり

烏帽子では手柄にならぬ向疵

義の強さ人間わずか四十七

四十七すてる命に年を取り

二十四の孝より四十七の忠

事大層に綻びる小夜衣

本蔵はえんやらやと抱き留め

抱きとめた片手が二百五十石

八重九重生た其まく城渡し

九寸五分一歩もひかぬ国家老

云ひわけに反魂丹はきかぬなり

錠まへの無ひが一さほゆらも介

かな手本いの字は京に佗住居

皆出ると千字文でも足らぬ所コ

五段目に成て寶のかばそろひ

うられてもやつハりお加る名をかへず

大きひも白いも石は忠義なり

生酔は七書にもれたはかり事

鐡石の忠臣ありし伊達浅野

すめ字は拙者拝領と平右衛門

なぞ〱も兼好二ツ三ツとき

御預けの義士にもはぢぬ達磨有り

侘住したで山科名が高し

門戸をばとぢて平気花を生け

軽く持重き忠義の数に入り

大石の中にかるいしひとつあり

軽い身でおもい一味のかずにいう

寺岡は車の前へつえをつき

本蔵はたつた一軒吹に行き

やうすは聞イたと殺されにまかり出

加古川は親子力弥につツつかれ

足かるもいろはの文字の数に入

大星はくさすり引て文をよみ

更科は月山科は星の影

師直は侍臣をよんて耳をなめ

定九師はいのちの親と猪はいひ

あたためるひまさへも無ひ二ツ玉

計略でおく魂は赤鰯

とらうつも敵をうつもはかりごと

侍の犬もやつぱりえんのした

たこの足これ九太をまく道具也

ちちくつた報でおかる祇園町

かんざしが忠と不忠の中へ落ち

どらもうち仇も打った国家老

黒羽二重で隠れると知れぬとこ

うへは忠下は不ちゅうの七段目

豫譲野良女郎買でも忠は出来

ちりぬるを追うな〱といの字下知

疑ひははれていろはの数に入り

笳の音にちりぬるいろは寄って来る

平右衛門妹にひどい無心なり

蛸の意報いはしてはらす心地よさ

花の仇雪でかへした本望さ

孝よりも忠義は二十三多し

忠臣はふ成就日にかかはらず

ほんまの阿波ぢやないと一力屋

首一つ九十四でにらめ付け

大詰に炭が一俵生キて見へ

前表は死人の山の辺へ越し

前表は念仏を聞く屋敷替

敵打死人の山の近所なり

本所へ隠居をせぬとむつかしい

翌スありと思ふ心で煤を取り

よい見世が出たと家中のうつそりさ

由良はめかくしもろ直は隠おんぶ

目ざす敵うせもの組がめつけ出し

今日は是れ切りと炭の中で死ニ

本望サいろはの数に落字なし

兼好殿へ武蔵守内用

湯上りを見せて侍従が元直にし

市の帰りに本所へ皆まはり

賑やかに並び淋しい技士の墓

一世二世すてて三世の仇をうち

 

俳諧温故集(蓮谷)・南北新話(涼袋)

 

 

一七四九年      

寛延二己巳年 三十二歳

 

正月十日夏目成美生

三月三日太田南畒(蜀山人)生

菅茶山生

仁井田碓嶺生

南仙笑楚満生

唐來参和生

八月八日谷風梶之助守胤生

 

正月二十三日長雄流筆道祖長雄半左衛門耕雲没年六十二

塩を遣る手紙は長雄流で書

二月十三日百拙元養釣雪寂年八十三

六月五日五百羅漢寺中興象先寂年七十三

六月十五日高瀬學山没年八十二

八月十五日高橋都牛没年四十四軣々齋 千蝶子と号す

九月二日元祖瀬川菊之丞路考没年五十七

九月七日並木宗輔没年五十七

十月四日村井古道没年六十九無名園と号す

十一月十日高屋去音没年六十三好々舎瑞雲弗と号す

十一月十七日神田道伴没年七十八

十一月十八日望月宗竹峰軒没年五十七

 

夏秋雨多八月大風あり所々出水

雑司ケ谷鬼子母神境内にて麦藁細工の角兵獅子を売り始む

人足も何千武州雑司ケ谷

袖の下つかふねがひは雑司ケ谷

美しいさしははおくれる雑司ケ谷

雑司ケ谷のどのかわくは平のせい

雑司ケ谷少し竹回の気味も有り

雑司ケ谷まけ勝のそおないさしが降

雑司ケ谷神の内での衣裳持

雑司ケ谷土産はちつと吹て買イ

雑司ケ谷御菜も一把さづけられ

風車外山の風の吹きあまり

風車子持の神が売り始め

風車子のある神の土産なり

風車浅黄の頭巾まてといふ

帰り路急げば廻る風車

川口屋帯が解けたと云つてやり

御すけだくさんがどや〱鬼子母神

子斗りて亭主の知れぬ鬼子母神

鬼子恩神ひとりらんではさしをなけ

せんたくに井戸をかへほす鬼子母神

さみだれのむつきに困る鬼子母神

護国寺及び其の門前にありし金見世という安女郎屋を詠める川柳の例句を次に掲ぐ

護国寺をぬけまいといふ意地っ張り

護国寺を素通りにする風車

近道に寺の胴腹突き通し

音羽の小職風車取って逃け

金持を鶯といふ音羽町

音羽とも出やうとお薬けなるがり

音羽町つか〱と来て袖を取り

吉原はいたし音羽はかゆいやし

鬼子母神などを売るのは安いやつ

はすのどんぶりへごごく寺水を入れ

新吉原仲之町往来の正中に、毎年三月朔日より桜樹を植え列ね左右に埒を結ぶ、晦日を通れば抜き去り明年又新たに植える也、此の挙寛延二年より例となる

仲の町桜に人をつなぐとこ

仲の町こきまぜるのは柳ごし

仲の町さくらにまけぬ柳ごし

散るらんの頃からがよい仲の町

これは〱と斗り花の仲の町

桜まで損料で咲く仲の町

花までが盛がすむと置かぬ所

末頼母しくない所へ桜植え

江北へ桜をうえておもしろし

人のちる時分に人の出るさくら

はざくらはすてものにする仲の町

小木の花見いたつておもしろい

そもそもどらの始まりは桜なり

下馬よりは下女乗の桜おもしろし

さくら迄廓はよるのつとめなり

桜までつき出しに出る仲の町

吉原は桜さへ実をもたぬ所

吉原は桜に迄も実がならず

中の町商売じみた花見也

桜の名所うざつこい舟がよる

しつてるに駕舁桜植ました

けふ切の桜禿に折てやり

町中カで桜をあびる面白さ

あすから花がさきんすと文がくる

ちりんせんうちにと文を八重に出し

女房の鬼門にあたる桜咲き

おもしろや花間笑語の仲の町

桜には山吹のちる名所なり

本性は桜の下でちがふなり

六角は火を両方へとぼすなり

こきませる物の有たき中の町

功成名とげて桜ひんぬかれ

終てさくらのなかりせば母あんど

提灯で桜見の出る中の町

仲の町植てむかふへ廻りたい

面白さ箱提灯で花見なり

姫氏国の通りへ桜植るなり

夜桜は役の行者の知らぬ道

一国は入相からの桜なり

入相の鐘に花咲く一世界

賑やかさ昨日までない花が咲き

御譜代は無い吉原の桜なり

又桜母の苦労は八重にまし

繁昌は年々花もかけながし

明方の鐘には花の人が散り

夜桜は年寄の見るものでなし

桜から桜へうつれ面白さ

泊つたがあたら桜のとがになり

月花の定座五町の徳場也

月花は親父小言の定座なり

売気に月花を結び大ふ首尾

苦の世界女郎買にも月や花

月にめで花に浮かれておん出され

一ト口に五六人売る花の春

待つ顔へ桜をり〱散りかかり

花の外には松葉屋へ行くばかり

幕よりも簾の花が面白い

医者の外乗りうち無用郭の花

来べき宵也さくらから毛虫下り

外になひ事ととぶ口で花見也

おもしろさとぶ口でらんまんと咲

中の町右と左へ咲わかれ

居続の言訳花の外はなし

ばかりではいやだと桜連れがなし

花を見てそしてと親仁むづかしさ

花でさへ廓のつとめは一盛り

蜘場へ毛虫のさがる中の町

買つて来た桜と親仁ト者なり

苦界とは見えぬ廓の夕景色

本年夏江戸三芝居にて忠臣蔵を興行す、これ江戸に於ける忠臣蔵狂言の始也、当時由良之助を勤めし役者中村座は澤村長十郎(元祖宗十郎)、市村座は元祖坂本彦三郎、森田座は山本京四郎なり、此の時悪役の名人中島三甫右衛門(天幸)あ中村座にて師直九太夫の二役を勤む

薮入の仕舞の指は木挽町

肩衣で切りのごたつく木挽町

呉魏蜀の一つ離れて木挽町

勘弥で札売切り候いい天気

三芝居見たでとりまく長つぼね

見物もよろこびのある鈴をふり

さんばそうかぞへる程の人でみる

芝居をかつ〱して見るさんばそう

芝居の証拠は女中先に立

芝居見の留守は旦那とじやもツ面

陸積も母をすすめて市村座

芝居になるぜんぴやう宵にげじ〱

正月のえんま芝居におされたり

芝居でも見しやうとむすこ大じかけ

明日芝居へさとひたいを剃つて居る

右近の橘左近の銀杏なり

いつそくされくし巻で芝居也

芝居のじゅずを切やしたと世帯じみ

芝居のまへは行くまいとねじけ人

芝居へは向ふのめりでむすこゆき

朝喧嘩となりの芝居まて邪魔し

くじどりて芝居の供のろんがやみ

兄よめも芝居願ひはぐるになり

ふるも又可なりと花の芝居好

当り不あたりに構ぬ後家芝居

女房邪すいで芝居ではないけな

芝居へ壱人り取揚へひとり遣り

此幕がほねだとみんなはなをかみ

三芝居髪結所へかおを出し

しよさの内とりて四五人てれて居る

金箱の三重下は稲荷りさま

給金も初穣ほどな稲荷町

さんぼそくやう〱弐〆斗り落チ

死にさうな所へ毛氈出してあり

かんじんの時に胡粉で書いて出し

急用のあとであぐらを一人かき

いきかわりしにかわり出る下手役者

三角な雪見お犬が嬉しがり

幕明夫役しらごひてつつはいり

大詰に足斗りいる役者出る

恥しさその日の芝居身にならず

きやうばんの切ハごぢやうに酒をかけ

みるそらは無ひとさじきでねんねさせ

子が泣て隣さじきのふ人相

さんばそう太夫にうはと樽ひろひ

ここに居やしやうと桟敷の鼻へ嫁

百度ビもおつ立られる桟敷也

花道をまご付く下女に落かくる

花道をのつし〱とかなつんぼ

花道へ井戸かへほどなとりてが出

一幕に成て落つくる桟敷

芝居の翌夕お恨に盲女あがり

着かへずに芝居帰りの夜をふかし

吉の字の上唇が黒うなり

立者は魚蝋かぎ〱はねまはり

木戸番の天窓で結ぶ頬かぶり

百桟敷承知〱と追出され

木挽町鶯の場へ靎か舞ひ

火縄売何のかのとてにじり込み

火縄売ほつても別火くはせる気

隣桟敷で見ているのはづかしさ

切迄見たて仲人安堵なり

毛せんのとなりの桟敷みかんよび

ろくじんとうは是だとせなア泣き

拍子木の尻を結ばぬおもしろさ

あいそうが過ぎて桟敷をせばめられ

しうたんを向ふ桟敷はおそくなき

火縄売何だか外を言ひふくめ

尻で穴上手に明けて人を入れ

番附の腰張りを見て下女は済み

半畳へならべどの子が目すきなり

よくふかく舞台のそばで雨にぬれ

面白い日も急用が白く呼び

吉の字の黒い鼻には燈がとぼり

暑いなと芝居正札つきになり

芝居見て四五日奥のやかましさ

ふり袖の胸打を喰ふ儒事師

適役はやい因果の廻りやう

下桟敷餌を喰ふやうに首を出し

我思ひせめて楽屋ですりちがひ

ながしけに河童のかわく芝居町

引つ返しの幕で明智はしてやられ

ひんのいい桟敷つもつた雪のやう

出があるに早くと馬のあしをよび

ぬれ幕などで仲人返事させ

二三人来るととう〱たらりとう

道具方岩をちぎつてはなをかみ

小千石程に楽屋の窓をあけ

さんばそうまばらな人に見せてふみ

解た侭桟敷で帯を抱て居る

つんぽうもあるもの桟敷にいつぱい

中間の独桟敷は朝の内

頭取が知らせを打つと塀が落ち

楽屋では頼朝公の部屋はなし

百さしき福の雪のともめるなり

さじき迄切りうりにするけちな事

たま〱の芝居通弁にやたら聞き

いり酒をひうどろ〱にして仕舞ひ

幽霊は握拳で引き戻し

幽霊は消えて桟敷へ飲みに来る

所作事のしまひ両手に花を持

ふうわりとねると所作事落がくる

まついたの出来そうな町芝居あり

芝居にやりやしたと母矢取なり

芝居の馬首と尻とが生き別れ

幕の内はざ間を授けた飯を喰ひ

桟敷から出ると男を先に立て

ふけいきなお子だと乳母は木戸を出る

二三人すわると鈴をまいらせる

神〱がつくとはしめるさんばそう

楽屋でばくち鎌倉の諸大名

盗人が出ると後見井戸を埋め

芝居の茶壱文遣てしかられる

もふせんの無ひがさしきの鼻ツはり

五百人藝の背中を見て帰

ふていやつ芝居をは見ていやといふ

頼朝はてれつくてんで出はいりし

楽屋では範頼公に茶を汲ませ

申上ケますはやくしやのこつはなり

芝居では先ず宝物紛失し

毛氈でさじきを佛ふ油むし

ふり袖の内はさじきのはなに居り

忠兵衛は弐両ならしに遣ふ也

忠兵衛か女房にきけば笑ツてる

幕引はへんてつもなく見知られる

木戸番はあたじけないと首を振り

ちぐはぐの顔は貰った桟敷なり

桟敷からのび上るのは下女が顔

出語りに土手が二つにおつぺしよれ

切腹を止めて見ているつかみ合ひ

役者附中よりうへは何ンぞもち

芝居でも見てやうとむす子大じかけ

桟敷から首のありたけ下女のばし

馬になる役者はをとこ二足なり

せりふのつなぎ延びたのが蕎麦になり

雪の叚蝋燭へ降りきなくさし

いん水をたつて女中の芝居なり

となりさじきのまんじゅうをねだる也

けいせいの桟敷に一人目にかかり

袴着て桟鋪へ通ふよろしき儀

身振りして芝居を咄す宿上り

大詰に出てお味方と譯をつけ

向ふ桟敷で見た事はひしかくし

桟敷から人をきたないものに見る

むた足を芝居へさせる御もの入り

百さじき一チ日ほつきあるくなり

百さじきとなりておまん三つくれ

百さじきにはぎやうさんなつくりよふ

どつからかすいつけて来る百さじき

百桟敷戸の明うたびにきやりする

花のよひふればいいなは芝居好キ

歌人斗カより合て見るさんばさう

百さじき茶食の当主にせまくなり

是が本の政宗だと桟敷だぞ

さんばそううらえりふしやう〱ほめ

しよさをする内かたきやくてれて居る

すいりやうでむかふさじきのもらひ泣き

からたちになつて橘町をこし

番付を又御無心と百さしき

幕の留守下女まうせんへ足を出し

次キに出る役者を羅漢シツている

切られたをおかしく思ふらかん台

たばこをば達者にくらう百座敷

隣リ桟敷も見こつちからも見

見物もよろこびのある鈴をふり

おくさまもよろこびありや鈴の音

桟敷番立すくりして追出し

いうれいは煙硝くさく消えるなり

桟敷の奥にいる娘なんにする

追れる度に遠くなる桟敷也

割リの安く付は桟敷の立売

よく下で見てはいるぞと百さじき

五十五割をねから寝ぬ翌ス芝居

百づつ持ておしかけの来る桟敷

首は未だ舞台に置て湯に這入り

ひたち坊飛魚らしいひげが生え

古わたりの親父を持った和藤内

大磯へ馬子はセイ〱追つて行

花道をほめられなからずるいかか

つんぼうは有ルが座頭の座敷無

情硬いやつ花道をつるされる

かぶきのしんざん蓄しやう道へ落ち

所作の内まじいり〱赤つつら

女郎より芝居の百は品がよし

隣桟敷のある遍へ指をさし

うらなつて来たと桟敷をせまくさせ

乳貰ひへ気のどくそうに芝居也

丁どよい刻限御幣出して居る

ひやうしぎで板の間を打つ面白さ

母一ト人古いやく者のひいきする

おさかりを持ましてもと下女芝居

芝居の迎ひもふ行ふ〱

三の切の趣向仲光がはじめ

荒海や闇を着て寝る楽屋番

芝居の馬ちいさいけれど日本足

馬の足当時師匠に居候

役者の法事石橋や道成寺

役者のぬけ落買たのが落度也

入のある内は敵を討もらし

ばつとした物間夫と芝居なり

ふけいきな御子だと乳母は木戸を出ル

床ひらき会料たけはうならせる

ゆうれいも消かねて居る誉詞

芝居の雪は犬よりもひつじ好キ

赤いわしハくハせ蛸ハ知ツてくひ

芝居ではしのんで行にかつた〱

つらの皮うしろへなげるくろんぼう

しやう事も内儀のぞうしゃ今の貧

らうそくを二挺にらめるいい役者

楽屋には敵もみかたも入みだれ

火鉢から出るゆうれいはおもしろい

手のひらを握ってにらむ荒事師

しつはりとたのむとさゆをくんてやり

友切は根太の板にて刃がこぼれ

やみ仕合も蛙が啼て居る

井戸の中からおもしろいどろぼ出る

八両の外はよまずに拾ひこみ

当場から泣子をさらふわしの叚

せり込に骨を折らせぬ美しさ

打出しにしつかりにきり合ツて出る

水仕合ひや〱おもふ一の土間

さてはあの月を張ツたる道具方

猫の皮なると静まる鼠木戸

はんじやふサ芝居の土間を首で埋メ

橘のはしらがき取て嬉しかり

耻しく芝居を壱度娘みる

小便はかすりちんこのさしき番

奢た客か清盛を楽やへ呼

酔るかことく狂ハせる焼酎火

突張て舞台で当る大道具

すばしりの魚でん桟敷への馳走

花道へ糠みそ程なふたが明き

口上は何処かイイのかとつとほめ

幕支へ光次公の役ふ足

龍頭に手をかけかる〱と楽屋番

出る月は下り入る月上るなり

幕明の奴手桶をふり廻し

無台から見初メた恋は花の縁

見物も腹をかかへる狸しま

剃立のとろほふは出ぬ藪たたみ

申上ます花道へたれるやう

馬のしくしりさいおふの詫てすみ

花道の間ぬけハ馬になられけり

馬の足やふ〱菖蒲革となり

馬の足出世をすると足か飛び

イイ役者すかして馬に刎られる

闇仕合そこひが何かさがすやふ

やみ仕合そこひのやうな手つきをし

むごい事向ふ桟敷へ贅女を置

立役の疝気金主の頭痛なり

天神記身もしやふ〱にしてつとめ

二ケの津も野郎帽子ハ江戸仕入

瀧のふる鯉て飛龍の威をふるひ

獏の子は芝居の夢を喰たがり

霜月はしあんのいらぬ橋になり

三国一の大和屋ハ楽屋ひ免

尾張屋の内證客の左や回り

小姑も芝居願はぶるになり

百さじきあぐらをかいてにくまれる

能い幕といふとかならず乳のまう

範頼はぐつと上座にだまつてる

もうせんでおつばらはれる百さじき

ならちやだのそばのとけちなさじき也

くわいぶんのわるささじきに立て居る

箱は明ましたかと来る百さじき

くりぬいてからは源氏のお客なり

天にぬけの底を和泉がさぐり当

百さじき口さびしいとたばこなり

百出して今をもしらぬさじきなり

百さじきそらおそろしく一人なり

桟敷番赤くないのは店を追ひ

桟敷番だんじきどもを追立る

たいめんの幕でさじきでもたいめん

我恋は札銭出して顔を見る

鶉から土間へ仲人指をさし

あやうさは花と芝居と首ツ引き

をかしさは古歌を吟じて百桟敷

立ツた跡頼ミやすよと百桟敷

ようくらう奴ツさと百桟入らぬ世話

はづれ狂言桟敷に百人斗り

りんしよくな桟敷くつつき合て居る

うらなつて来たと桟敷をせまくする

きやうげんと思ひながらも沖の石

恥しさその日の芝居身にならず

女中衆は桟敷でむだの汗をかき

好き屋町女のさいをふる芝居

黒吉の顔を桟敷のはなへ出し

役人に成るといふ小児もむつかしひ

役者絵の見世へもたかる油虫

狂言に実が入芸に花が咲き

ゆび打は役者も江戸のかきつばた

見るに迄顔の乗る役者附

芝居から帰るとつまみ洗をし

芝居の文は何〱といつてよみ

もうせんのしみも桟敷は酒の外

水風呂で役者はつらの皮をむき

間のわるい役者蕎麦屋の一旦那

嫁の髪酒吞どうじの時分出来

井戸がへのやうに五郎を引出し

友達のひや〱思ふほめことば

見世ものの太夫といふは鼠なり

まねられてしやんとをきては我を打たせ

雪隠の龍左衛門にびツくりし

楽屋からまける合点のかたきが出

はきものであたま尋るいつみ町

我思ひせめて楽屋ですりちがひ

とつはづし楽屋の石をふみつぶし

幕引のはかまにさして礼儀なし

はけ長はこんりんさいの声を出し

八百○か乾物箱ハ壁にかき

居酒や番場の忠太いやがられ

兄弟は手付を取て日のべをし

うぶきぬはやつたわひなですまぬ也

愛相ハ茶やの女房ハ一まく見

七夕でなかす竹にてしうたをし

十郎がせりふはとうかいけんめき

二はんめか出たといもとのかへす書

十郎ハふたれる時に糸をぬき

凢百余年と端に高慢し

三立目のあたりに茶やへ来て着かへ

やね仕合ぼうふりの有水をのみ

おふくミて見るのが馬の女房也

おせまかろなどとはかまで折をあげ

丹前は何もなひのにむすぶなり

ぬひ紋の事でさじきを二日のへ

かんじんの時に胡粉で書て出し

かのこもちにつこともせず打ふしい

手にものがいつそつかぬと結ヒをし

手まへから顔が見たふはないかいの

門弟がよつてくやみにふしをつけ

日蝕の生れ初段にだだをいひ

死さうなそばに毛出して有

かんだうは扇でぶつが故実也

追はぎのやうに寝屋でかんだうし

はなれ蔵そめよ〱と母のぞき

きようけんのふさくはあふら虫がつき

紋所あたまにあるはあふらむし

此場をバ赤木のつかでまづすまし

ほめこと葉役者ひや〱もので居る

よく聞ケバみづからといふ年でなし

いり酒をひうどろ〱にしてしまひ

久兵衛が紋ハ何だかしれぬ也

させにくひしうげんなとと恩にかけ

美しひせなかを引てすいつける

天幸が聲斗カきいて百とられ

三甫右衛門北野へ向かむ役者なり

三甫右衛門一段高く無理を云ひ

三甫右衛門一段高く愚痴を言ひ

三甫右衛門くわんぜうを打手附有

按幸の聲反吐をつくにさも似たり

按幸に似て部屋〱が惣に立チ

へどをつく聲按幸にさもにたり

按幸も医者は薬の数へ入り

菊五郎舌の廻らぬ仮名があり

雷蔵に宵から光かる長局

まんちうを喰ふ時鼻を家橘にし

羽左衛門の方をくりやれと窓でかい

二三人羽左衛門寺へびくをさげ

羽左衛門てらさとびくを下けてより

十四郎一あく出してにる手つき

思ふさまむしんいハせて十四郎

諸道具の中で五徳は十四郎

三舛が鼻は鳥居が命なり

三舛もすくつた弟子が九舛有り

だだをいふのを三舛屋でおつとめる

七代目弐舛壱舛の紋所

親玉が内はあれさと釣て居る

薪水は毛の引いたのを紋につけ

紋付に娘中車ののびを追ひ

竹之丞時分虎屋も店をだし

鴛鴦を見るにつけても久米之助

知ツたふり杜若が内は三河町

十郎がせりふはとうかいけんめき

見物も通を失ふ久米が所作

錦の出る幕へでにくい半四郎

牛若にかつた若衆ききにやり

若とのになつたを和尚買ふ気なり

かうしんで死に絵をかへた事が知れ

ざら銭の中へ死に絵はむぐりこみ

ふりつけ場さうさ〱とごみにむせ

旅芝居細いまゆ毛は棚で見る

旅芝居けんくわをのらへ追出し

旅芝居俄渡しの込合て

旅芝居目さえへよせれば落ちが来る

たび芝居後家二三俵どらをうち

旅芝居小町あか松の袴を着

一村をすいにして立つ旅芝居

柱にも少し葉の有る旅芝居

打出しに馬をやろうとたび芝居

がしやうぎに小栗であてる旅芝居

江戸の馬田舎ではねた役廻り

江戸の馬田舎芝居でつがもねへ

江戸の馬田舎芝居で人と成

座頭へおこし一盆村の後家

村芝居せなアふところ手で這入り

村芝居名主と見えて役桟敷

村芝居芋屁山たとせなアイイ

村芝居おかるかきせるハタと落

村芝居こかしよしかな七年母

村芝居屎かき爪もたたぬ入り

村芝居大将役は庄屋の子

村芝居はめをはづすと麦畑

助六の飛無で済ム村芝居

木のぼりで雪をふらせる村芝居

米の弁当よしかなと村芝居

大根か馬て乗込ミの村芝居

やく不足だらけ素人の芝居じやみ

素人芝居どやされる銅たらい

大薩摩いろ身でいける節でなし

大薩摩弟子も座敷もない太夫

大薩摩いつも調子は高いなり

大薩摩張飛のやうな聲を出し

大薩摩筋の出る程声をあげ

大ざつま朝比奈限りねかし物

ほれられぬ気で悟るなり大薩摩

三味線も共にいきばる大薩摩

孝行に土佐を一段聞て行き

めりやすが出ると柄杓で身振をし

くどきそびれてめりやすを二ツ上け

めりやすと御経の聲は大ちがい

めりやすは女の愚痴にふしをつけ

御親父へ其めりやすが聞かせたい

めりやすのこえをしるべにふねいふね

めりやすは御妾徳に入の門

色男うぬぼれのする新無間

つれて唄つてくれ居れと新無間

小さむらい質屋を出ると新むけん

きぎすなど少しうなつて床へ入り

品ンのよさきぎすを爪でひいている

おかしさはすががき斗り上手也

声色も小田原までは通用し

声色はかな川迄は通用し

声色に十二単のすかた有り

声色はむほん勝負の花見をし

声色の稽古本心おは見へず

声色のけい古となりでべらぼうめ

声色へ御経のまじる御縁日

声色に折紙のつく蓮の中

声色で帰るは宵のかん念仏

声色をつかいずか入買付る

御無用を声色でいふかたき物

こわ色が聞たさきぎす娵を弾き

声色は舌三寸のかく屋なり

それはたれだと声色をむごくする

御取立の武士隠し藝声色

くらいばんうぬがこわいろ通る也

金屏風にてこわ色はつり合はず

氏神のこわいろつかひおぶツさり

迷子を声色でよびしかられる

亡者のこわいろをきくには水をむけ

身なりや声色て母の金を取

やさしいこわいろしうとめ上手なり

すずめのこわいろ鳥さし遣ふなり

猫のこわいろでおつているぶしようもの

ねこのこわいろは御うばは上手なり

石が声色馳走の壱ツ也

錦画彩色板大に進む、新著聞集刊行

 

誹歌集(瓢水)

 

 

一七五十年      

寛延三庚午年 三十三歳

       櫻町上皇四月崩

松平治郷(不昧)生

古賀精里生

市川寛齋生

梅暮里谷峨生

蔦唐丸生

 

三月朔日森川鶴人没年五十二

三月五日鞍岡蘇山没年七十二

五月十六日北川貞扇没年六十四、東国舎と号す

六月十七日松岡青羅没年五十七

七月二日元祖山下金作李江没

七月七日中尾廣徳没

七月十七日井戸甘谷没

九月十二日多田南嶺没年五十三、晩年桂左衛門と称し秋齋と号す

九月十九日長野馬貞没年八十七、名は統勝、通称與一郎、茂林堂,甲子庵、柴石堂、瓢々坊、遠山翁の諸号あり、豊後の人、芭蕉の風を慕い一種の口調を詠す

十月二十三日五代目森田勘弥杜光没年四十七

十一月十七日岡田宣汎没

十一月二十四日辰松八郎兵衛(初代)没年六十六,元藤井伊十郎、人形遣いにて其の名高し

十一月二十五日向井誠安檽没年六十四

 

日暮里に太田道灌の碑建つ、筑波山人石正崎撰文なり

日くらしの里夜はなしのおそろしき

持資の曰くあはれな唖娘

気のきかぬ人と山吹置て逃げ

づぶぬれになるは江戸中ふんだやつ

濡れた桔梗へ山吹の花を出し

お返事に出す山吹は無言なり

賤心あつて山吹見せるなり

どう考へても山吹初手解せず

問へど答へず口なしの花を出し

雨舎りから両道な武士となり

蓑一つあるとやさしい名はたたず

雨やどり迄は無骨な男なり

山吹の花だがなぜと太田いひ

山吹は誉めたが太田ぬれたまま

山吹へ濡れて駆込む桔梗笠

山吹かないと古鞘出すつもり

山吹のよごれを灌ぐ虹の雨

山吹の後はぬれまじものとよみ

山吹はどの道かさぬ色と見へ

山吹はぬれさせ松はぬれさせず

山吹の後は二道の勇士なり

づぶ濡れになつて帰ると歌書を買ひ

なくばまあ菰でもいいと太田いひ

金を出せでは無い馬鹿め蓑を出せ

金がないのとおもつたと太田云ひ

實のならぬ花から歌の種が出来

道灌も金をかせかと初手おもひ

實にならぬ花か歌道の種となり

道灌の山吹種の無いはなし

武に猛き人も恥ぢらふ賤が歌

後拾遺の古歌と道灌後に知り

梅はよんだが山吹はぢをかき

和漢の雨舎り持資と始皇

江戸紫の下染は桔梗なり

山吹も出すは道灌山の茶屋

松はぬらさず山吹はづぶぬらし

實のならぬ花から歌の種を取り

道灌が娘孔子へ尻を出し

(付記)

雨舎り、俄雨、夕立及び傘借り等不慮の降雨に関する柳句

おしそうに姿を崩す雨やどり

てん〱に宿所をかたる雨舎り

今踏んだ雲で三島の雨やどり

夕めしをくふを見て居る雨やどり

ぬれる外よい知恵に出ぬ雨やどり

うまそうに何やらにえる雨やどり

行きなりさんぼう男の雨やどり

うへ下へ着るのはけちな雨やどり

あきらめて上へ下たに着る雨やどり

家の有ルけいせいを買ふ雨やどり

ぬれて行く女かぞへる雨やどり

片かわはにこついて居る雨やどり

うまそうに喰ふを見て居る雨やどり

八九人どろ〱〱と雨やどり

本ぶりになつて出て行く雨やどり

近づきを考へている雨やどり

切落し半畳かぶり雨やどり

ふみつけて禮いつて出る雨やどり

空腹な體でうぢつく雨やどり

もうしゆふくまへといらざる雨やどり

入りもせぬ物の値を聞く雨やどり

ふところで褌しめる雨やどり

きついふり傘をさし雨やどり

おもしろさふとんのうへで雨やどり

鯉を釣ル側に無念な雨やどり

手を打ては届く所に雨やどり

思ひ切る姿の出来る雨やどり

はれまを待は古歌を知る雨やどり

雨舎りきせるを出してしかられる

雨舎り気の毒がつてこもを遣り

雨やどり来そうなものと見へを云ひ

雨舎りするに及ばぬありがたさ

雨やどり男のすがたけなるそう

雨舎とうれ〱とみれんなり

雨やどりおぬしの方にいくら有る

雨舎り子の行けといふ気のどくさ

御宗旨にかたりの出来る雨やどり

雨やどり嫁はしよつたりおろしたり

雨やどり日和の方へかけて来る

雨やどり四五町行くと水をうち

雨やどりごおんとついて叱られる

雨舎りちよつ〱と出てはぬれてみる

近づきをかんかへて居る雨やどり

鐘を突く内脇へよる雨舎

雨舎り草の無心はひんがよし

雨やどりいいおしめりといふやつさ

雨舎り茶瓶にかりて吸付ける

雨やどり出ようとしてはよしにする

雨やどりふみ消てから礼をいひ

雨やどりかんにんならぬ身こしらへ

雨舎りおしい娘に傘が来る

雨やどり鰹をいぢりしかられる

雨舎あたまの上へ餌をはこび

雨やどり額の文字をよく覚え

雨舎五人で蕎麦を壱ツくひ

雨やどりはるかむかふは蝉のこえ

名作の由来をはなす雨やどり

異やうのすがたも見える俄雨

雨やどり他生の椽へこしをかけ

近付の方へ駈出す俄雨

腕ツ切りまくつてかけるにはか雨

やね船で高まんをいふ俄か雨

風呂敷を子に着せて行く俄雨

大名のしづかに通ふる俄雨

生酔をかついて通るにわか雨

せつかちと見えてぬれてくにわか雨

年禮を一けんふやすにわか雨

ばばアがちや淺ぎのんでるにわか雨

椽がわでしんしのはねるにわか雨

いろ〱に戸を立テてみる俄あめ

年禮の落思い出すにわか雨

樽酒のかけ出すやうなにわかあめ

ぶきげんの大だいこくをかうにわか雨

袖口で體よくしのぐにはか雨

張物をいけどりにする俄雨

人間をわらづとにする俄雨

娵帯に抱付イて居るにわか雨

出格子をにらめて通るにわか雨

馬喰うの一鞭あてるにわか雨

千差万別なるすかたにわか雨

牛方のあきらめてゆく俄雨

評ばんの俵としやれる俄雨

何事と昼寝おきれば俄あめ

とり〱化生の姿で俄雨

米や酒やつへし欠る俄雨

だし売も泣出しさうな俄雨

追はぎの案山子まではぐにはか雨

にはか雨けつ王の代にふりはじめ

俄雨つらおし拭ひ〱

俄雨雪ちんで駕よばつてる

俄雨いくじのあるは打てはき

俄雨雪隠で駕籠よばつてる

俄雨手足を長くしてかける

年禮のおちおもひ出すにわか雨

俄雨女がいいと傘がふり

俄雨冬の蘇鐡のあるくやう

俄雨藪醫の門がにぎやかさ

俄雨乞食の相をはたすなり

にわか雨わんももたないこじき也

俄雨帰つて聞けば降りませぬ

にわか雨四ツ手を交ぜて五てうかり

俄雨かけられるだけかけるなり

にわか雨首かせなどで通るなり

にわか雨ひるねの上へほうりこみ

にわか雨伊兵衛がとこに御座の時

にわか雨かつ込ぞしやう五六人

にわか雨こもをかぶるもこころがら

俄雨ほねのくさつた人が来る

にわか雨相手にがしたやうな形

にわか雨はるかむかふでせみの聲

にわか雨四ツ手に禿ふたりのせ

俄雨ほねをさしてくむごい事

にわか雨にこり〱と来るやつさ

俄雨箸も持たない乞食なり

俄雨嫁をくづすに人だかり

俄あめ娵をくづすに見世をかり

にわか雨御慶をのべてうらみられ

にわか雨まざ〱伯父のまへをかけ

俄雨四ツ手に乗っておだてられ

俄雨門番は出てしかるなり

俄雨うらみをいつてかして遣り

にわか雨けつ王の代にふりはじめ

俄雨内儀の声でお気のぞく

俄雨左の口取はぬれず

俄雨ばくり〱とやぶれ傘

俄雨なんとも申兼ました

俄雨あつがましくも久しぶり

俄雨わらでたばねたおとこ出来

俄雨合羽着たのは近所なり

俄雨みりんをのみに寄るやつさ

俄雨元手をやたらかしてやり

百出して五そくかはせるにはか雨

そりやにじがふいたぞと出て引ぱしよ

ふつて来たなんとどこぞへこぞろうか

おまへ方本降りだにとじやまがられ

おこまりかなと雨ふりの子をあやし

せみがなき出すとお世話に成ました

ほととぎすさしてもささんでもの雨

傘におよばずとみのからかけて来る

雨のふらぬまへはもちとばかりいひ

はらをおしぬぐい〱降るに寄り

とび石の臼の目を切るひどい雨

しんばしの松で大雨をしのぐ也

きついふり息杖で度々屋根をなで

あら心なの村雨やなはだしなり

雨もりの穴を女房につつ突せ

歯ぎしりをしい〱歩行安足駄

其の隅へ小桶こちらへ銅だらひ

牛の背を分ける小原の夏の雨

夕立の跡追ツて行ほととぎす

夕立にあつてふんどし好きに成り

夕立に短慮な人は濡れてゆき

夕立の句が出来ぬうち夏の月

夕だちのあした鰹と傘を下げ

夕立にいざりは抜手切つて駆け

夕立は急がぬ人の先を降り

夕立に行かずといいへ暑気見舞

夕立に下水開て小川町

夕立を四角に逃げる丸の内

夕立に蛇の目を廻す茅場町

夕立に五ツ所紋をみなくはれ

夕立や草履で行ける處まで

夕立や七字駆込む六字堂

夕立にあつた女は値がさかり

夕立にソせ詻は一人半ぬれる

夕立にこまつて下戸も十二文

夕立のあとでどふつと人通り

ゆふたちにふんそりかへる瓜のかは

夕立に普賢菩薩はかちで行き

夕立に逢て亡者そしる也

夕立に馬を半分濡らすなり

夕立の盛替を食ふ長ツ尻

夕立にすました顔の石地蔵

夕立の戸はいろ〱にたてて見る

夕立の薬屋と見える雲の峯

夕立にさしかかつてのむしんなり

夕立にあふと女はすたるなり

夕立のむかひはあかで傘をさし

夕立のたんびに仁者かしなくし

借りのある門で夕立むごい事

人我につらければかさぬ夕立

ひどい夕立こしやにも二三人

すどほりを不断していて降ルに寄り

傘かりに沙汰のかぎりの人が来る

化けそうなのでもよしかと傘をかし

うり傘もあるのに数刻見世をかり

人がらへからかさ一本かしなくし

こうさして行きやれと破れ傘をかし

ふきぶりに人間をのむ蛇の目がさ

借金を傘でしのぐて片身ぬれ

こつちでもふるといるよとかして遣り

傘をあけてすぼめてかして遣り

二人めは女房の傘をかしてやる

イヤ是からも御ふ沙汰と傘をかし

傘を上へすぼめる大あらし

傘も二人でさせば恋になり

傘を半分かしてまハりみち

半分つつさすと傘恋になり

かごの跡二タ人で傘を一本さし

傘さけてみればここらは水を打

はたらいた僕傘もかり下駄もかり

あら傘をぐる〱廻し値をつける

傘の無銘手詰をかりたやつ

ひろげるとひつくりかへる傘をかし

からかさをこさず借金はたる也

傘どこか貴様は貴様は貴様は

子どもよウからかさかして上げろなり

傘を雫で返す律儀者

雨のやむうち傘をねぎツて居

なにとも申かねぬからかりにくる

ふの切れた傘やつとかしてくれ

身で無いものへ骨斗りの傘をかし

傘で小言いひ〱薄買ひ

傘で女房戸張りをはかしてる

御物遠御用候かさとかき

つらの皮あついで雨にぬれぬなり

腹たつて出る傘はひらきすぎ

油気のないからかさをむりにかし

からかさを三日かりてる長いしけ

長い雨大きなをとこてれて居る

我出をやめて傘を借ス仁者也

ふる斗でもめいわくなからかさや

傘を包んでしよつた見ともなさ

傘ともいはれず四方山の咄

用心に傘を借りてくごくこん意

傘を返したら又ふつて来る

たのむ木の元より劣るかりた傘

頼む木のもとやぶれたを一本貸シ

引ぱりは御傘杯で帰る也

木の下に居るにはおとる傘をかり

わすれて年を経し傘を内儀かし

破傘五六本あるずるひ内

これでも元トはいい傘とかしてやり

かりた傘何と聞たか下女わらひ

なぜ雨具よこさぬといやふりませぬ

傘といふ字を推量に無筆よみ

四斗樽へ傘をつけとく長いしけ

御傘をいたちこつこのやうにもち

傘出せばひつちなぐつて供は飛び

傘へおたふくでさへ入れにくい

傘はさしかかつてのむしんなり

八日迄こらへろとさすやぶれ傘

一本傘かして小言で内に居る

傘で不沙汰のこもをおへかける

越後屋即ち現今の三越呉服店(デパート)に関する古川柳を次に附載して参考とす

江戸中を越後屋にしてにじがふき

えちごやのあいそうになる雨がふり

呉服屋の愛想になるものがふり

えちごやを又がしにするにわか雨

越後屋の前まで傘へ入れてやり

越の傘ひしこも遂に持って来ず

越の傘小雨にもさすふてへやつ

越の傘かりて恥辱を雪くなり

越の傘かり吉原へ行てもて

呉服屋をささずに出るは雨舎り

呉服屋傘返すものにせず

呉服屋も俄の雨でいそがしい

呉服屋の繁昌を知る俄雨

呉服屋の庭で帷子絞つてる

呉服屋一軒で暮らす六部兵衛

呉服屋の一町前で薦をすて

にわか雨ふるまひ傘を三井出し

にわか雨傘迄を売ルやうにみへ

俄雨不二を目当にかけつけつ

不二山が見えて傘皆戻り

一軒の雨で呉服屋わいやわや

傘はちりあくたよりかるく出し

糸立をすて越後屋へつつはいり

網の目を傘で越後屋ふせひでる

越後屋の手代はよそで傘を借り

道成寺でも越後屋は数本かし

越後屋は嘸丸角も十本かし

まんざらの傘を越後屋と直し

霹靂の下タを三井でかけるなり

ゆうだちにどや〱はいる駿河町

するが町と有るのかわたくしが傘

一町でみんなおんなじ傘を貸

どこでかりても一町は同じ傘

曇つても三百一本ほどは貸し

くもつた斗りではどつちつかずの町

三囲の雨以後傘をかし初め

一トめくり半も三ツ井でもつて居る

駿河尾張は人をぬらさない国

江戸の駿河にも日本一があり

駿河町他国のものにはびこられ

駿河町一圓是を領すなり

駿河町外に尋ねる人はなし

駿河町呉服より外用はなし

駿河町中ごふく物とりちるし

駿河町畳の上の人通り

駿河町みみをこき〱すすめてる

駿河町りきまぬなんでごんす也

駿河町食を三石一斗たき

駿河町とりあげ婆ア用はなし

駿河町とは晴天に名付けたり

駿河町寶永山を芝へ出し

駿河町三保の松原芝に持ち

積りもの一夜に出来る駿河町

仕立まで一夜に出来る駿河町

降りあげくとんだ所に駿河町

化けさうな花婿の出る駿河町

鐘四ツに駿河町までこぎつける

越後の切通し富士のみへる所

呉服屋の切通しから富士がみへ

本店と出見世の間に富士が見え

繁昌な見世は裾野の呉服店

夢に見てさへよい所へ呉服店

扶桑第一の大きな呉服店

げんきんにけいはくをいふ呉服店

きつい事隣り知らずの呉服店

手代にも正札付の呉服店

江戸中の家数を知る呉服店

呉服店二ツに切って人通り

呉服店天命しつて女房もち

呉服店いつの間にやら畳かへ

呉服店八合目あたりでのとら

ごふく店人も上方仕入なり

呉服店奥へ行く程年が寄り

呉服店の突当り迄五ツ泊り

呉服屋へ来てねぎるのはこしをかけ

呉服屋のまける詞は御席に

呉服屋の番頭家に杖をつき

呉服屋の手代畳にはえたやう

呉服屋は飯焚斗とさ言葉

呉服屋の小便で明ク切おとし

えちごやが出て切落し穴が明き

呉服屋のめし安がねでくへぬ也

はやり目の一側並ぶ呉服店

呉服店けつそりとする風の神

越後屋に長どうりうの風の神

越後屋に小半年居る風に神

盗人にあつて三井のめしを喰ひ

尾頭ラをつけて鮪を三井買ひ

気は心だと越後屋をねぎつて見

越後屋の上で一声時鳥

越後屋の蔵中妾かき廻し

越後屋えびすやきもの源五郎

素一分で女房は越後屋へ上り

大丸は越後屋のうへにたたん事

祝うはづ越後屋ぐるみ夢に見る

だまされた人へ三井は夜具を売

呉の国のしろもの越の見世で売り

すさましく呉を取捌く越の店

范蠡が寝てから越の手代ぬけ

越手代西施に夜具をねたられる

きうくつな笋呉服店へはえ

廣い店だにきうくつな庭を付

息出しに四五本竹をうえておき

中そりへ竹をうへとく呉服店

むりたいの所にごふくやの庭

伊勢は米尾張駿河は呉服店

越後屋の脇にちつさな越前屋

ごふくやは小顔と見てあなとらず

呉服屋でぶちのめされる万右衛門

呉服屋は夜分のていもちつとみせ

ごふく屋の子もそこくらに二三人

呉服屋はたより少ない下駄をはき

呉服屋はおちつく迄のやかましさ

呉服屋へ来て迄すねるひぞうむす

呉服屋は覗いて見てもらんがしい

呉服屋で色の黒いはしよつて出る

呉服屋は奥へ行くほどとしまなり

呉服店紺屋を見る前で叱り

ごふく店きせるを廻すふけいきさ

ごふく見世何やらいふと持て来る

呉服店よくはやるのは二人つけ

呉服店符牒で誉めるいい女

呉服店我名のてしにかしこまり

呉服店はなをの切れた下駄をはき

ごふく店うかとのぞくとこんがしさ

ごふく店なでに成るほどとどこほり

ごふく店きたない箱へ金を入れ

ごふく店かついて来てはなげて行く

ごふく店ひくい返詞はおとななり

ごふく店所々へつるして手をふかせ

帳面をめりやすによむ呉服店

しらない人にくやみいふ呉服店

羽衣の外はこまらぬごふく店

げんぷくもならべてさせる呉服店

手代迄紙つきにするごふく店

年に二度土をふませる呉服店

あす仕廻ふ迄もりつぱな呉服店

たまげたつらで呉服屋を覗イてる

いツくらも見せて呉服店ほしがらせ

奥行の無いごふく屋はあいといふ

大丸にむかしの残るへんじ有り

大丸の請けろりをよむまくの内

大門をごふくや一家丸にする

日野中納言資朝が不具者どもの集り居れる車寺門に雨宿りせられる事は徒然草によりて世に紹介せられ人皆知るところなり

中納言九条あたりにしるべなし

おにの出た門にすけともあまやどり

雨宿り資朝胸がむかし

雨やどりこじきの中に中納言

雨やどり資朝ばかり一人まへ

まんぞくなものは資朝ばかり也

めんつうで食ふを資朝初に見る

いざりのかけたは資朝はつにみる

いざり松すけともそれもすてろ也

資朝はらんちう迄も捨るなり

資朝は植木屋で傘かりはぐれ

雨やどり以来植木屋御用なし

植木屋へすけともみんな売払ひ

まきぞへに資朝犬にほえられる

着られもせぬ物を中納言形見

狂歌でもよんて見やよと中納言

御公家さま下りませと雨やどり

資朝と持資知恵がつき

塗下駄を禁せらる、「我衣」に曰く、「寛永ごろ上方より色々の塗下駄を下す、皆女下駄なり、同頃和泉町新道にげほうの下駄作りの上手あり、江戸塗下駄はげほうより始る、然れども芝居役者はきて平人は用いず」と同所には四方という酒屋の赤味噌と此の外方という店の下駄とが共に有名なる産物にてありき

ぬり下駄をいただいてせな腰を懸け

よくうられるあしたげほうののぼり坂

桐の木を外法に見せる御不勝手

和泉町下駄と味噌とで名が高し

下駄と味噌程の違ひは和泉町

はきものであたま尋ねる和泉町

あき樽を味噌につみたる四方の店

重ばこにとり巻かれたる四方が見世

重箱で取巻いて居る四方の店

看板を見るなと味噌を買ひにやり

使ひより先きに来て居る四方の味噌

酒味噌で無名も四方へ響くなり

首のない木馬に下駄を掛て売

観世太夫勧進能興行

能笛はわすれたやうな勤めかた

能の笛あごでかき込むやうにふき

大つづみどふかおろぬくやうに見へ

大つづみのでへとげでもたつたやう

あてがつて成らぬ藝也大つづみ

留守〱と立派にいふて大鼓

あさぐろい男がならふ大つづみ

小つづにをほく清取てふざけ出し

小つづみは耳の蚊を追ふよふに打チ

乱びやうし聞えぬ程のつよいふり

猩々は何かに染るやうに舞

能の舞コイツ忘れたかと思ひ

拝見に女はならぬ御能なり

鬼の面忘れて凄い顔になり

能のわき剃刀をとぐ膝ツ付

上下のむく鳥御能くすれなり

大一座木辻は能の帰りなり

あみの目を大方うめて能しまひ

ワキの僧たばこ盆でもほしく見へ

百里ほと有るを日づけにワキの僧

ワキの僧いぢかつて居て何がいい

ワキの僧宗旨は何かむじしれず

びくに程もみ上を出すワキの僧

釣鐘は無名面ンには名があり

鐘が落たに昔々のはなし

地謡も共に湯となる道成寺

袖口と扇をもちて急候

後のシテしごきでばたり〱来る

わきの僧納豆箱を持ってかけ

おとなしく佇みたまふ最明寺

きめひきがすんでかなでる羽衣曲

南無大事大秘観世が道成寺

わきの僧たづねてあるく百だんな

おとなしくちやんとしで居るワキの僧

山うばの能う金時が事はなし

御謡の日に鉢の木の売り始め

後のシテ太平楽をいつて出る

乞食能わかなのやうなばばアが出

乞食能二三町づつかして行

盗賊をシテ誉めらるる能の弟子

立身をした馬申しあげまする

やるまいといハねば手もちふわた也

ありがたさ錫やるまいぞ〱

手もちが無いでやるまいぞ〱

御中入四百四町は新手なり

深淵へ飛ぶと拝見ばあらばら

「附記」謡曲

うたひ本うなつて見てはえどる也

やぶれたるおんぼうを着てうたひ出し

謡本やたらににごり打たやう

高砂をやんやと誉て叱られる

おかしくもないは謡の下モかかり

うたいにもほうへ手をあてわるい癖

小謡で来る浪人は元手なし

御調への上紫を御免なり

鼓にて四海の浪を打納め

さとられぬやうにうたひであひづ也

いろめいた声に骨をるうたひの師

おやたちを内百番でだます也

手を笛に吹て鼓ミの寒かひこ

互い後手練世上へ名もひひき

うたひ本見るふりをして何かよみ

肩衣は杖もならさぬ風で取れ

落葉かく表は松をたかせられ

大名の質はながさぬ観世水

爺婆のむかし噺も御吉例

幽霊になつてもやはり鵜を遣ひ

まえがみへ白髪の交るうたい講

吉原さなどと入婿謡講

諷講すむと大屋がとりに来る

諷講ちよきにのるのは下がかり

謡講四五度おやじくはせられ

諷講仕廻いに文字をのぞまれる

諷講不参の今は猪牙に乗り

百番の外は風呂屋に縁がなし

やうきひのうたひ宵から二度通り

仲人は四かいのなみをぐツとのみ

順の舞諷はいつちはたきなり

辻諷ひ扇で笠をあげて見る

仲人の諷野がけで出したまま

羽衣のクセは野がけに打つてつけ

謡までうそで仲人おつつける

座敷牢母の投込む謡本

羽衣をうたひ切るのに女郎来ず

御母儀から急度たのみと諷の師

つげ口をするで不如意な諷の師

入婿の諷四五人弟小がつき

うたたねのうたひはしりがつづみなり

得手すえは野の雲になるうたひ講

諷をば無言で通すやなぎはら

女房の諷よツぽどひどくよむ

諷をばむす子すててんげりにする

御子そんもはんじやうあれ切りの諷

かんばつた諷御子孫も繁昌

断金の交りうたひからおこり

ほほへ手を諷の時もあてるなり

五畿内はうたひの中をあるくなり

浅黄がうたふのが本のまちうたひ

あみ笠でけつかふざして諷ふ也

北流は息子のこのむ諷也

東北の間タへこけるうたひ講

ましでなしうなひでなしと女房いひ

おやど迄召しせと諷へもどり駕

うたひをば大事にしなと遣手いひ

うたひ本けだしむす子のうそにして

謡最中へはら〱石をうち

常かつね本の謡もとめられる

猩々でからがうたいで呑みにくい

とばしりが諷の師匠までかかり

うたいにも三人むづかしいばばア

小謡を急に四五番のみ込せ

うたひ初メ寺でおも湯をのんで来る

まつと謡をうたひなと三会目

シテワキで浅黄の通る花の山

練言耳にさかいうたいにて暮し

謡曲に因みある羽衣及び龍宮に関する柳句を茲に附す

羽衣をかへさぬ内は飯もたき

羽衣をなまぐさい手でらりにする

舞ふて見せるによこしなと天女

天人も一度人別帳につき

天人も裸にされて地者なり

天人に舞とは強ついゆすりやう

天人の掛棹にした三保の松

天人はしごきのとけた御すがた

天人はよこつ倒しに遊んで居

天人を見ながらさればどうしやうか

拝みんすとは天人がいひはじめ

ほうばいに三保の天人なぶられる

白龍はすでに女房にする所

きめひきが摘んで奏でる羽衣の曲

一曲を奏なでて受ける三保の質

羽衣をてん〱舞でとりかへし

羽衣を返してしまやおさらばへ

なむさんぼ女房虚空へまひあがり

羽衣を見失ふまで口を明き

白龍は欄間を見るとおもひ出し

美しい捨物のある三保の松

三保の漁夫はま又かと猿麻挊

羽衣がなくても娘天上し

羽衣もなくて娘は雲の上

亀甲へ浦島そつと火をはたき

浦島の尻六角な形だらけ

龍宮で浦島鰤の味噌を揚ケ

玉手箱しまふ時にはほうり出し

真白になつて浦島くやしがり

蓋明けたあと釣竿を杖につき

けつこりとぢぢいになつた浦島

かけすてのやうにうら島としがより

唐は額日本は箱で年がより

つまらない長寿和漢の釣と杣

 

大きな蟲けたの出たは近江也

秀郷に帯をとかれた三上山

秀郷のほまれ七ツと七つ半

七巻と七変化を藤太射る

うつくしく成て俵をたのむ也

ずぶ〱〱と秀郷は客にゆき

藤太さま御入と悔月門をあけ

浦島は無事かと藤太尋られ

珍しい龍宮米を藤太くひ

龍宮は何んぞか土産呉れる所

将門を〆たを龍宮へはなし

からやまとに無いきぬを藤太着る

こうなされてはと龍女へ藤太いひ

秀郷はあぢな土産を貰つて来

これは種々御ていねいにと藤太いひ

水際で藤太みやげに大こまり

海坊主持にしようと藤太いひ

龍神も金作りにふるひつき

しめかへす手が龍宮へついとどき

龍宮の門番グニヤリ〱と出

龍宮のやじりを切つて藤理をたて

龍宮はきすをかぶるが色男

龍宮の嫁はくらげをひつかぶり

龍宮の明地鳥居と蟹を書き

龍宮の火の見に掛かる土左衛門

龍宮の板塀烏賊の墨でぬり

龍宮も蛸は六日の楚城なり

龍宮の火の見へ蛸がひつ掛り

龍宮の碇ゆで蛸など用ひ

龍宮の吊ひ蛸が辱師なり

龍宮武鑑版元は鱗形

乙姫の摘草みるや若和布也

乙姫は浅草海苔で鼻をかみ

乙姫は蟹の鋏で爪をとり

宗十郎頭巾流行す、「芝居役者伎藝古實」に曰く、宗十郎頭巾は古助高屋いまた宗十郎といひし頃、梅の由兵衛の時かぶりしより今に其名を残すといへり、此狂言に用る頭巾小さき鎖を付たり胡桝を小鎖に取なしたりとみゆ

ふんごみと頭巾四郎兵衛から届け

もも引とづきんを取ると女郎なり

あかい頭巾で太神楽嫁ねだり

やくそくは頭巾のやまを折りながら

頭巾には着るかかる福禄壽

山寺は祖師に頭巾をぬぐ斗

月に村雲花嫁に頭巾也

下手の鞠どこぞでくくり頭巾にし

地さハらの頭巾山椒を壱本きめ

熊坂も頭巾一つの祖師となり

二世瀬川菊之丞中村座初舞台を勤む、二世は江戸の在、王子生まれにして幼時より初世の養子となり、宝暦年間終りに二世路考と改む、二世路考は王子むらの豪農清水半六後に弥兵衛といえる者の子にして、五歳の時初代菊之丞の養子となり、童名を権次郎又徳次と称し後に吉次と改む、中村座初舞台は寛延三年の九月親菊之丞一回忌追善として、十歳にて瀬川吉次と名乗りて中村座へ出勤し、秋蝶形見翼の狂言に石橋の所作にて大入りをとりしと云う、この路考は実に絶世の美貌を有し、宝暦明和安永期に於ける女形として江戸第一の人気役者と評されたり

女形王子を出でて遠からず

百姓の作り上げたる菊之丞

菊之丞紋所にまて髩を出し

いつそもう路考が出るといつそもう

四幸丸の有るのが路考不足なり

路考にもおさ〱負けぬ嫁を取り

もちつとで路考は馬を追ふ所

馬鹿な親頭へさがつていよ路考

牡丹ちるやうに路考ははたを脱

菊之丞養父の影と玉の影

菊之丞親を鳶ヒにして仕廻イ

菊之丞襠を着ると素人めき

菊之丞奥方は皆九十川

菊之丞紋所迄やは〱し

菊之丞もふ一箱へ手がととき

菊之丞男と見るは女なり

ろこうくださいと王子でそそうもの

路考茶がひさうと見えて鈴をつけ

わつちやいや生の路考といひなさる

染色は今に瀬川かおきかたみ

たなつ尻路考結びはよせばいい

此の頃迄は婦女の雨衣とてはなく、浴衣を雨よけに着たりしとぞ、塵塚談に曰く、「婦女の雨衣の事、寛延宝暦のころ迄は御家人の妻女下女等は浴衣を雨よけに着たり、大なる紋を五つ六つも附けたるもあり、伊達模様を染しも有けり、近歳は下賎の女も浴衣なとは着るものなし、みな木綿の合羽を着る事になりぬ」

浴衣ではいやだと娘降ると出ず

しやがんでて嫁ハゆかたを引かける

傀儡師江戸の方言に山猫まはしと云う、一か月に七八度づつ同じ所を廻りしが此のころより絶えたりと云う、塵塚談に曰く、「傀儡師を江戸の方言に山ねこといふ人形まはしや一人して小袖櫃のやうの箱に人形を入背負て手に腰鼓をたたきなから歩行なり小童其音を聞て呼入人形を歌舞せしめ遊観す浄瑠璃は義太夫ぶしにして三絃はなく蘆屋道満の葛の段時頼記の雪の段の類を語りながら人形を舞しだん〱好みも終り是切といふ所に至りて山ねこといふ鼬のこときものを出してチチクワイ〱とわめて仕舞なり」云々、又、只今御笑草に「例の山猫てふものはいたちやらむじなやらん毛皮にてこしらへたる小猫程の異物を箱の底より出しヤンマン子ツコにカンマンシヨと子供を追ひあるき興する事にぞ有ける」と記しあり

傀儡師とかく奥歯に物があり

傀儡師思ひ出してはどんと打ち

傀儡師十里ほど来た立姿

人形と同じ縞着る傀儡師

傀儡師箱を叩くが地なり

堤から村見くらべる傀儡師

大詰に妖怪を出す傀儡師

けだものを一疋まぜる傀儡師

笑はせも泣かせもせない傀儡師

合で皆覗かれる傀儡師

又見さつしやるかと叱る傀儡師

野暮なもの角兵衛及び傀儡師

くわいらいし御さゆ一ツとぬかしたり

くわいらいしけだもの一つ交て見せ

傀儡師番町辺にからんで居

傀儡師鼬のやうなものを出し

傀儡師あすも座敷があるといふ

新らしい事をば知らぬ傀儡師

一門のうらみをたたむくわいらいし

三絃とあかの他人の傀儡師

傀儡師其日にもとる形でなし

一生を同じ仕組の傀儡師

はらをせにかへて山猫かへるなり

 

俳諧武玉川正編(慶紀逸)・村雀(不角)・俳諧三尺のむち(笠句)・俳諧家譜(丈石)・芭蕉翁行状記(僧路通)

 

 

一七五一年      

宝暦元辛未年 三十四歳

此の頃より元祖川柳翁の名、漸く世に高くなれり

十一月三日改元、 六月閏

前将軍吉宗薨す、六月二十日年六十八、有徳と謚し東叡山に葬る、正一位太政大臣を贈らる

 

上杉治憲(鷹山)生

川路宜麥生

乾壺外生

村上草石生

中村佛庵生、名は蓮字は景蓮、東叡法王より南無佛庵の号を賜る

廣瀬臺山生、名は清風字は穆甫、作州藩士なり、画を善くす

笠萬成生

 

正月朔日元祖坂東彦三郎薪水没年四十一

二月五日吉井雲鈴没年七十八、吹蕭軒と号す、雲皷門

三月十日深川石腹子没、舶窗と号す、其角門

五月朔日長谷川馬光(其日庵二世)没

六月十九日木下蘭皐没年七十二

六月二十四日祇園南海没年七十六、或云九月八日没年七十五

八月四日荷田東之進在満没年四十六

八月十三日千宗佐恕齋没年四十七

九月十一日西川祐信没年八十一、通称祐助後右京と改む、自得齋と号し又文拲堂の別号あり、京都の人、蜀山人の奴凧に小松百亀と云ふ人春画をこのみて西川祐信のかける画本春画ともに悉く収めおけるよしを記す

にくらしきみな西川はごぜに書き

ねんころにみな西川はごぜに書き

吹キぶりは西川が絵に生キうつし

枕さうしの間ではぢをかき

枕そうしは曲取の仕やう帳

枕絵も初手一枚はおとなしき

枕絵を近眼はかいで嬉しがり

枕絵をたからかによみしかられる

枕絵を美服の影でこそとみる

枕絵のうら打をする前九年

枕絵を持ツて炬燵を追出され

枕絵を出して質屋へ背負て行き

枕絵は添へても質屋値にふまず

枕絵と左伝のならぶ古本屋

まくら絵をのぞひて下女はけしからや

まくら絵を見せてつけ込ムかし本や

よめざあ是になさりやし貸本屋

かし本屋無筆にかすも持て居る

貸本屋密書三冊もつて来る

かし本屋是れはおよしと下へ入れ

かし本屋何を見せたかどうづかれ

かの物へかの本を添へ小間物屋

けしからぬなどと言ハせる本ンを見せ

おや馬鹿らしいと本屋にぶツつける

此本を見なんせんかに娘逃げ

ひじをまげ枕ぞうしをよんでいる

あたり見廻し絵のとこをむすめあけ

かつちうのそはにふらちな書をさらし

御虫干殿は笑ひを御合点

白拍子あほうらしひと四五枚見

四書の間へ三冊のりいれ摺り

わるい持遊び赤絵を子に預け

じゃまをする子には赤絵を遣って置き

九月三十日(或云三日)小澤卜尺踞齋没

十二月二十四日伊達陸奥守吉村卒年七十二

豊島露月没年八十五、名は貞和通称治左衛門、五重軒初織月と号す、露沾門 江戸の人なり

 

越後高田地大いに震う

三月十八日より浅草寺観世音開帳、享保四年より三十三年目にて寺内神仏のこらず開帳あり

開帳場佛の丈もちいさがり

かい帳は五丁二丁でおつふさぎ

開帳へ来るけいせいも施主がつき

開帳も千手たらりの五月雨

散銭をひるてんで取る開帳場

てうちんにつりかねまけるかいてうば

金の龍坂東一の目貫なり

小兵でも坂東一のぼさつなり

浅草寺御門五日と十日なり

浅草寺あとの六日はかするなり

浅草寺手前勝手の雨がふり

浅草寺見附で聞けばつきあたり

両がわにさほひめの居る浅草寺

石臼も色身でまわる浅草寺

竿竹を鳴子に遣ふ浅草寺

たすけるも迷はせるのも浅草寺

親玉に遣手がなつて浅草寺

てうちんに釣鐘まける浅草寺

細見をつるしたやうな浅草寺

細見を大文字に書く浅草寺

はんじやうさ女郎と役者ぶらさがり

提灯にしん持釣鐘程かかり

ぼう天井へ名をつるすよい女郎

提灯の施主万客にとぼさせる

提灯をうその名人どもをさめ

うそつき連中でちやうちんを納メ

あかるい信心けいせいと役者なり

釣合つた提灯堂にぶらさがり

天竺の楽人提灯でかくれ

とうとい寺の門内で四ツ手きれ

鋲打と四ツ手すり合ふ御縁日

夕立の翌日観音の御縁日

観音の鬼は般若の札を撒き

観音へ普賢の乗る花やかさ

観音の見合は二世とかなふたり

観音はつかひでのある佛なり

観音も指を輪にして見せ給ふ

観音も辻番すまひあきた也

観音に義太夫ぶしの次めあり

観音に一面たらぬ顔ツつき

観音も不動もくらひ道具なり

観音様ものむのかといなかもの

観音を道草にする面白さ

観音の千の矢先に五百うそ

観音の次はおれだと絵馬屋いひ

観音で顔をあかめるへんくつさ

観音さんへ御つれなんしとせびり

観音は千手の見世を二日出し

市の日はしやう進蔵の観世音

市二日なから嬉しく御精進

三味線の近所にもある観世音

観音に有間敷名の尻くらひ

如意輪は工面の出来ぬ御すがた

如意輪は虫歯のいたむやうに見え

如意輪は三重ほとな御姿

如意輪は全金か足らぬの御すがた

如意輪はさられたやうなすかたなり

浅草の鏡に千の姿あり

浅草に向ふ合セの二福神

浅草へ来たのでむすこぶかきとが

浅草で拾うた金は内を見ず

浅草に浅艸になき海苔があり

浅草は枕上野は屏風なり

浅草でたつた二日の店をかり

浅草の鐘をもみ消す市二日

浅草に鰐口斗りたまつて居

わに口は錠をつぶしたかたち也

鰐口は女のたたく物でなし

わに口を打つにも女身ごしらへ

用のないわに口たたく護符とり

二寸には足らで大きなあが堂

のりのにはとは浅草で言ひはじめ

親類も浅草辺は邪魔なもの

坂東の十三番を四ツ手ぬけ

十三日十三番のありがたさ

十三のまんなか頃で四ツ手切れ

八ツ足でふだらく世界かけぬける

四ツ手駕補陀落山を乗廻し

四ツ手駕札所を叫び〱かけ

地名を一字喰に出てつながれる

絵が草を喰へば細工が水をのみ

此の外の三社権現、随身門、久米の平内(附久米の仙人)二十軒茶屋、姥ケ池、蓑市等浅草に関し詠まれたる柳句を次に収録す、但し風雷神門の柳句は明和四年の雷門焼失の部に、楊枝及びふし見世の柳句は明和六年の笠森稲荷の部に記せり

さて光る魚と三人初手はいひ

いい漁があつて三人玉の輿

三人兄弟浅草で入りを取り

しれものなりと引上げ見れば施無畏

文殊の智慧で観音を引上ル

鳩を射るやうに左右にしやに構へ

貝杓子鬢につけたが弓を持ち

矢大臣まかりならぬの御姿

髪結ふがきらひのやうな矢大臣

親子づとめと云ひそうな矢大臣

どうせうの相談を聞く矢大臣

運慶の作のそばから乗て行き

雷は通すが仁王睨みつけ

仁王門追はれる雨はもうやまず

生酔のせまさうに出る仁王門

びれ付をにらめるやうな仁王様

抜けるのを弓矢を持てねめて居る

おもては草鞋裏門は弓矢なり

ともかくも先づ裏門へ出て見やれ

裏門を乗打にする目見えなり

裏門へ出やれと尻を押して出る

浦門を左り〱と行けばよし

さう行くと六郷さまの御門だよ

 

神か儒か佛か平内分りかね

平内は神と仏のまぎれもの

平内は云ヒ分ンのあるすがたなり

平内の愁訴に困る大社

平内の臍のあたりへ文をつけ

平内は堅し願書は和し

上下で久米平内へ願ほどき

平内が先祖せんたく見ておちる

そのむかしせんたくの場へ人がふり

物干しは下から通をうしなハせ

洗濯をやめヤレ気附〱

仙人さまあとぬれ手で抱おこし

仙人を生捕にするせんたくし

仙人をしろう人にするうつくしさ

仙人の目にちらついた雪の肌

仙人も還俗をしてのりをうり

仙人の場へ水汲が来てくとき

久米仙も無理ではなひとそつといひ

久米仙はよほど遠目のきく男

久米がすこたん聞いたかと仙仲間

馬鹿仙人だと空雲かへる也

 

貴公をまつこと久しと二十軒

ひる日中茶にうかされる二十けん

惚れられたさうにして居る二十軒

古ぞうが名代に出る二十軒

べら坊で居どころの無い二十軒

鼻の下二本引かせる二十軒

鼻毛をのばしところが二十軒

五文ではとびのいて居る二十軒

やぼとはけものとちぐるう二十けん

奥行はあちら間口二十けん

美しさ普門品第二十軒

昔のでござりますると二十軒

老若の交代をする二十軒

ああもあつがましいものかと二十軒

しめやかに浅黄のかたる二十軒

売物のやうにも見える二十軒

二十軒茶代をやると不人相

二十軒茶がたけなわにおよぶ也

二十軒一たび恵めば百とれる

二十軒すこしやくのもはむき也

二十軒とち狂ふのが一旦那

二十軒脇の廻りが馴染なり

二十軒さいげんもなく茶をくらひ

二十軒石橋山の筋むかふ

二十軒もすつたもれ〱也

二十軒五両がものを出して置き

二十けん三十ふやすおもしろさ

先へ行ったか二十軒中ウに居ば

補陀落の地に善女人二十人

一里塚の先に美人二十人

美しい茶のみ友達二十人

善女人観音経に二十人

べら坊がすくなくも二十人

二十ぐらいの茶代はしらんふり

二十人木にすると茶の字也

善しい茶人が二十人ならび

御へいが出ると二十人うせにけり

八幡は二軒観音二十もち

堂よりも茶見世は二けん廣い也

水茶屋の娘の顔でくだす腹

水茶屋を二軒ふさげて見つ見せつ

水茶屋でうつとはしごくやぼなやつ

水茶屋へ来ては輪を吹日をくらし

水茶屋の仕事はきついさびれなり

水茶屋にぶら付イている大だわけ

水茶屋へ多弁なやつがさきへ立

水茶屋一把焚切る日の永さ

水茶屋でたちまちきまる袋持

水茶屋でせい一ツはいが手をにぎり

水茶屋で世の人口をたはこにし

水茶屋へすいきやうものがついて行キ

水茶屋で見たよりどうかわるくみえ

水茶屋と見せないしやうは是れ〱さ

水茶屋はとくしんしたりしなんだり

水茶屋もすんで七所からもらひ

水茶屋を口説けばせせら笑つてる

水茶屋もかんづいて居る恥かしさ

素懐をとげんと水茶屋にこび付

茶屋女せせなけほとなながれの身

みせ馬だのと水茶屋もけどる也

おもてからみれば水茶屋一トとをり

うらおもてある水茶屋ははやるなり

茶屋女まんまと布子仕立たり

茶屋女日和足駄でとちぐるひ

せんどうのをまだ縫つて居る茶屋女

大だわけ茶見世で腹をわるくする

惚るか〱と茶をくらつて居

恋は曲物茶をのむにかかつてる

はつかしさよの水茶屋の人も見る

茶を五六杯のんで手をにぎり

観音に日参をして手をにぎり

よく〱のかわき婆アへ浅黄寄り

ちつとも惚れず茶二杯銭五文

婆アが茶浅黄のんでる俄雨

粋ぶつて婆アが茶屋へ腰を掛け

手でくなさいと浅黄は腰を掛け

茶をきつし尻をつねる代百銅

よく茶にも酔はぬものだと玩物店

あれ抱き付くよと気にするもちやそびや

 

其ほとり石よりこわい塗り枕

観音の地で殺生を婆アする

一ツ家の頃はよろじのない所

石でない枕が今は人を取り

日の永サうばが池迄のぞきこみ

 

蓑市ばかりは江戸をあてにせず

蓑市は其角このかた出来るなり

蓑市に出て里扶持を取て行き

蓑市はあんまり人の知らぬもの

蓑を着て新造二階中あるき

おととうは又ふつたつけと蓑市

本年大坂より中村富十郎と云う若女形下り、紫縮緬の帽子を冠る、若き者之を真似る、其の時是を大明頭巾という

来る度に名残を当てる富十郎

富十は将門と云ふ芸をやり

按ずるに柳多留などに散見する袖頭巾は、おこそ頭巾のことにて彼の俳優に始まるにはあらざれども、参考のため其例句を二三次に掲ぐ

おこそでおしいめんめを嫁かくし

袖頭巾菊名もつみを作らせる

色おとこ見へに斗カもつ袖つきん

願ほどきやら帷子に袖頭巾

小人島もやひにかはる袖頭巾

しばられた女郎のそばに袖頭巾

風をいたみ鼻に持たせる袖頭巾

大さうな蛙が小嶋の袖頭巾

袖つきんくらひこませる道具也

此の頃迄、当座酢を売るなど少なり、数日押したる物のみなりしと

酢だそうなしんぜもうせと内儀起き

御内儀は千六本に酢をかける

酢のわけを聞いて酒屋の内儀起き

十二文が酢を下戸にふるまはれ

そのくにで酢を一しきり買ひきらし

四畳半たで酢をまハし〱のみ

樽ひろい匂をかいで是が酢さ

此年代若党給金一年三両、中間二両、下女一両二分より二両までなりしと云う

若とうは行野の道で帰さるる

若とうに役者の墓をさがさせる

代脉はわかとうで来た男なり

すだれがおりてと若とう駕へいひ

若カとうの名あてで此間の傘

長生きをするあしがるは馬に乗り

あしがるに棒をつかせて新まくら

ぞうりとり禿へさして汗をふき

草履とりよろけるなりに供をする

草履取潮干の供が名残り也

ぞうりとりへそ迄出すが渡りもの

草履取無言でくるひ〱行

ぞうりとりむねを二はりぬつて居る

ぞうりとりじつはさようとぶちまける

ぞうりとりろへ取ついてしかられる

ぞうり取りなぜかくしやると叱られる

ぞうりとりうぬでも買ツたやうにいひ

そうりとりいらざるけんの習ひ事

草履とり茶屋のむすことかしへ行き

草履取百貫河岸と出かけたり

草履とりふ性〱に猪牙へ乗り

草履取名残の裏と聞かじり

草履とり名残のうらを聞はつり

ざうりとり上をまなんで百たふれ

草履取雪見と聞てうんざりし

又碁かとくるまつて寝る草履取

三聲めの頼みましよふはぞうり取

内儀へははしよらずに出る草履取

つき出して岸に見て居る草履取

をり〱は河岸へながるる草履取

深川の土弓射習ふ草履取

舞留を常にくゆらす草履取

嘘をつく顔をじろじろ草履取

むざんやなはしごの下の草履とり

明日迄の遺言を聞く草履取

春の生酔ぞうりとりはさみ箱

やくそくの猪牙に目のまふ草履取

なまぐさい云ひ訳に出す草履取

かつもつてなどとちんじる草履とり

皇帝の足にあたつた草履取

 

下女は又出てつきやどんさめるわな

下女が来てお新ぽツちが出来やすよ

下女が白むくかたびらのかがみうら

下女が白状大ぜいのそこねなり

下女を直すにつき縁者二人そり

下女がさがるでかみ合がたえぬ也

下女いやな目で切れやさん〱

下女はだを入れ〱どふれ〱也

下女をさし置て姪に茶を出させ

下女が笑ふと産所でもしへ〱

下女がこと一日おりんやかましさ

下女心がはりでしちをたてこづき

下女やぶれさんとうまつたからすなり

下女小便に供舟へ手をあわせ

下女一人あたりさわりで蔵へねせ

下女が灸ゆでそら豆を二合かい

下女が荷もゆたんをて数に入り

下女へはい先か有るのではいもどし

下女ぶんといつても座頭きかぬ也

下女籠の鳥だと文へかきやアがり

下女が帯蛇が蛙をのんだやう

下女だけにさすがりんきも六あたり

下女ふぜいなどとちんじる若旦那

下女が手はおや〱〱と締に逃げ

下女が伯父のがれぬものをくどく云ひ

下女歌をほんとにはつてしかられる

下女が鏡には相模守と有り

下女をふミつぶしなげしの羽子を取

下女が荷をだあ〱〱とせなあ付

下女上り内儀背中ハゆびだらけ

下女が櫃せなあハ明ケてたあまげる

下女のしりつめればぬかの手でおどし

下女承知しそふな處へ頼ミましよ

下女星が夜はいにあたりはらむ也

下女ならば九十九ばんハきれるとこ

げじょあまりこそぐられたて一ツひり

下女腰をいただくやうにもんでいる

下女こしをゆすぶるやうにもんで居る

下女がつらよく〱見れば鼻も有

下女鼻のくつとすつ込ほどふとり

下女出入内儀も里へ五六日

下女が部屋是なんめりと忍び込み

下女が部屋半さかいでくどく也

下女が鼻うた台所のすすがおち

下女くぜつ布子のそでをしぼる也

下女がはれなんぞといふと黄八丈

下女宿で芝居をねだりしかられる

下女が夜着すまきのやうに片付る

下女朕をにしめ一ツですへあるく

下女などは手がるいなどと色男

下女が夜着かりてていしゆをあやまらせ

下女に腹ふりむけられるばかつつら

下女のはら心あたりが二三人

下女が腹こころ当りが五六人

下女はらのたつまい事か他言され

下女が蚊帳のぞくと中にももんかあ

下女が蚊帳仕立おろしのやかましさ

下女が髪あんどんべやの匂ひがし

下女が髪さし上て出てものを買

下女の髪二三度立てやつと結ひ

下女が髪にしめのにへる内に出来

下女が兄ぐらつくやうにかしこまり

下女がせなゆずを二ツに割つたやう

下女がせななくなと馬にかきのせる

げじょがせなたらいをかりてかき廻し

下女がせな笑つてむすめしかられる

下女せなに味噌をかへなと馳走ぶり

下女が恋みなはりこみのうへで出来

下女の恋文もへつたくれもいらず

下女が色いとし男が五六人

下女がいろ大念仏で二度通り

下女が色兄さんよばりにくいこと

下女が色戻るふりして袖を引き

下女が色まき部屋などへとじこもり

下女が色来たですりこぎ手につかず

下女が色毎年さくらざめがする

下女が色ゆやへも四五度つれて行

下女の色もやいにするでらんがしさ

下女色に布子をうけてくれといふ

下女がせなかますをおろし腰をかけ

下女が文書くもんだなと覗かれる

下女が文内儀の下書で国へ遣り

下女が文あたかもはなしするごとく

下女が文書いてはくツてしまふなり

下女が文めしのたらぬをおもにかき

下女が文梵字をひねるやうに書き

下女が文ずすらみじかくぐちをかき

下女が文よしなにはくみわけられず

下女が文油つきりににじる也

下女が文かなを楷書にしたためる

下女が文よむではなくではんじもの

下女が文つけるとけつく手間がとれ

下女が恋むねもとうこもかきくもり

下女が恋日に三度づつ実を見せ

下女が恋五すぢ程におもひこめ

下女が色枕かハした事はなし

下女いびりいはんや嫁においてをや

嫁の下女里びいきしてねめられる

嫁の下女少し内ばにしかられる

嫁の手とくらべて下女は笑ふなり

持参金右同断の下女をつれ

嫁の下女上下なとへ着かへて出

御いもじをいただいて下女寝つかれず

さしを持つ下女ちつとづつ頭下げる

幕の留守下女めもうせんへ足を出し

女房の目のいそがしい下女を置き

腹のたつ下女猫などをひぼしにし

むだつ火をたき〱下女の面白さ

ぼん山に一ト草たのむてんば下女

初恋に下女すばらしい相手也

利そくをばわしが出そうと下女せたけ

わるがたい下女君命をはづかしめ

ばいやつて下女とおぞうが水をのみ

竹馬と下女わけの有るていたらく

おき〱のふきげん下女は舌を出し

連れて来た下女ばかり嫁しかる也

朝がへり下女が事までがなり出し

黒鴨はあひるのやうな下女と逃げ

鳥居ぎはへへんといつて下女残り

つづらをばしよわせて出るが下女はいや

二タ道をかけてと下女はいきどほり

はど板で下女いやつたく追つかける

ほととぎず下女は小袖でくるしそう

物もふに下女まげほうへ巻付ける

先づ息子さまさと後家の下女はいひ

佛眼でちやんとして居る下女の酌

二歩がものかりたら下女は立ちの侭

おまへよく下女をと跡のむづかしさ

たれながらだあ〱といふ下女がせな

あいそうにいつたを下女は本にする

うかがいに下女めしびつをひつかかへ

としやうのさいにと下女はひつぱたき

うなぎやに囲はれの下女けふも居る

うれしさはうれしいが下女よめぬ也

門すずみ下女わりい事しなさんな

こんみりとしたこともなく下女はらみ

杖のたび下女おつついて子をあやし

わたくしは子ばやい方と下女おどし

ぢうくふをいふなと下女をせな叱り

ぬめのえりかけていやあと下女いはれ

いはふかと下女をいたぶる樽ひろひ

色文をおとしてめしもくはぬ下女

松の内下女ぬつたとはぬつたとは

花の朝いやアと下女もほめられる

時鳥下女居ねむつたのがしれる

かひぐひが過ぎるからだと下女が母

若旦那さまと書いたを下女おとし

みつもの屋下女におつぱだぬけといひ

お舟ぎつちりこと下女wらはれる

出世する下女ちよんの間へ召出され

荒神のおまへをみれば下女ねむり

出来た下女井筒のまへとなぶられる

さん留をへし折つて下女すわる也

月しよくに向つて下女はぬり立てる

雨おちをほり〱噺す下女が宿

初に下女置いてやたらにしかる也

かみをゆふ下女ひらいたりつぼんだり

あの人とそしてだれだと下女が母

猫を抱きお三の雲と下女が洒落

なぶつたらええわさと下女しかられる

そんならば湯でもくみやれと下女をつれ

うら店でさられたやうに下女さがり

ぬか袋下女は目鼻をつかみよせ

番頭もうなだれて居る下女がもめ

花の雨下女色あげをむごい事

いふ口の下長いもを下女は行

かな釘とめめずと下女はとりかわし

あらツぽい下女ひな皿がわり納め

自身にはいひにくかろと下女が宿

めかけのはねだり下女のはゆすりかけ

茶ぶくろの立ぬひ下女が申たて

二度とはつれぬとさくらへ下女くくし

かたみわけ貰ふ気で下女やたら泣き

なぜでもと鳥居のきわに下女残り

紙張でかいたのを下女はいきどおり

しかられて下女はき溜へごみを捨て

ほらをふく迄いひ立に庄屋の下女

かがみへ向ひ鼻など下女つまみ

袖づまをひかれしたびに下女なびき

へツついの前へこごんで下女がかね

つめられて下女すりこ木を持ちなをし

入りむこは下女と一所におん出され

一ふで申されて下女はこまり

たくましいふくらツぱきを下女は出し

ほら貝もふくかと庄屋下女に聞き

なけなしで を買って下女しかられる

ばんつけのこし張を見て下女はすみ

おはぐろの廻りにおきを下女ならへ

みつものを下女は直斗聞て見る

あじきなく下女よし町の供をする

かんやくで一つまなこの下女を置き

がくや新道さと下女がしつたふり

その下女の昼は木で鼻おつこくり

片荷づるあたまで下女はあらい髪

なげ込んでくんなと頼む下女が文

大なんぎ下女女房に成る気也

口上を下女は尻からゆすり出し

耳へ口あててそばやへ下女をやり

親の日にあたつた下女は二つかみ

さかるからほえますと の下女

月なみをのみ〱下女はぞんざへる

いなか下女真わたといつそつかみ合

身の伊達に下女が髪迄結て遣り

ごろがわきやすかとかこいの下女ほざき

せめられて下女留守の事有ツたけ

せんたくに下女はあたまは片荷ずり

なぶられて逃ながら下女帯をしめ

はつ鰹一ト口のめと下女へさし

歌がるたとふ〱下女はどぶを喰ひ

三人で下女はあかるく蔵を出る

いやらしい下女前垂をふみしだき

遣ひたてましたと下女へいとま乞

手打そば下女前だれをかりられる

かか様の無い後下女にはだかられ

しんこうへつれて行く下女れこさなり

順の舞下女あか切れの申わけ

かんがくをしたと下女へはよごれもの

けとられた下女めはいやみを聞きあるき

そらじきをするなと下女をつかまへる

杖のたび追ツついて下女ゆすり上げ

上田紙でつちは下女に見おとされ

いい日和下女は茶碗へ銭を入れ

あの人と蔵へはいやと下女はいひ

さつきうな下女前だれをむねへ上げ

ちりめんを下女青梅より安くあげ

ぼたもちとぬかしたと下女憤り

百ぎりて一筋はねる下女が縄

情書につつとちいさい下女が文

うぞうが出るとむぞう来る下女が部屋

あてもなく下女ぶら〱と恋病ヒ

おきやあがれ下女虫干をいたしやす

御祭に出たのを下女はきついみそ

出て行くをわすれる程に下女は酔ひ

若歳を下女ありツたけ笑ふ也

松の内下女べんべらの錦が落ち

見くびつて下女に盃おさへられ

花鰹下女はだいなし葉にけづり

札附の下女政宗の在所もの

しまい湯へ来る下女五日ぐらい也

ぐわいぶんのわるさ女房と下女が論

精霊の瓜の目ききは下女へさせ

しくじつて二十里上へ下女かへり

奉が帳めつかつた下女世話をやき

しん水のらうをたすける下女が色

膳立に下女香の物ぶつちがひ

くどいたを下女ふれあるく其にくさ

百くれた切りでのぞかぬ下女が色

跡に成り先になり来る下女が櫃

他に事をよせてはんとに下女を出し

紅葉見を下女にやかれるはづかしさ

平間ほどは有るぞと笑ふげじょが髪

圍はれの下女とひじやうにかけられる

ふ承知な下女たくわんでくらはせる

土用干下女にもしろとなぶる也

さがみ下女相手にとつてふそくなし

すりばちをむごツたらしく下女が買ひ

一歩とは下女ばくだいの無心なり

百持つて下女正月を待ちかねる

見くびつた人だと下女は二百かし

あれ垣を喰ふよと下女がせなにいひ

書ちんを取るぞと下女にたのまれる

いそぐと下女こし帯をにはでしめ

から馬で今年も帰る下女がせな

どうせもう知れたと下女のいけづるさ

あかねうら着る内下女もりちぎ也

こはがつて下女御新造のそばに寝る

どの羽織着てござつた下女に聞き

なまじひにくどくと下女はできぬ也

ぬれのまく下女のび上りしかられる

いふ事をきいて云ふこと下女きかず

つみ草のいれものにする下女が袖

雛箱を下女気のしれた仕廻さま

子おろしを下女は八百へかひに行

しかられた下女膳立のにぎやかさ

仲條の引札で下女くどかれる

なめた下女せせら笑て茶もくわず

木綿高値につき下女むふんなり

ぬり立つて下女さそふ水くみにでる

はやる下女又飛入りが二三人

ひよい〱と帯ををどらせ下女はかけ

ぬりわんぼうを脱捨て下女も春

みンなめすならとから手で下女は来る

見苦しさおともの下女がとちくるひ

そのようにたれにされたと下女が宿

二タ聲で目がさめたのが下女じまん

とぢ蓋を見付けて下女は隙をとり

なぜ下人とかまいないと下女が宿

くらがりをこそり〱と下女がいろ

下げ銭でくどいたを下女いきどをり

来た当座下女吹がらを手へはたき

おれも中くらいだと下女おもつてる

八九人べい来ましたと下女は泣

聲じまん下女ひき臼のひきがたり

片月見せないものたと下女へはい

火廻しに下女ひやわひと口ばしり

づはらんでいますとにちる下女が宿

ふつた下女見せ付られる十三日

薬出す下女がその手のみやくを取り

二三年ためした下女を嫁につけ

御いんきよがなてるで光る下女が玉

居風呂に下女が居る内春になり

やき餅を下女はちいさく路次でやき

しよいつつら出来ると下女に負せて見

目と鼻の損じた下女を嫁につけ

倹約で一ツまなこの下女を置き

すりこ木で下女も砧の加勢をし

うわ気ならいやさと下女がぬかしたり

下女文をよんでもらつていきどほり

御葉といふつらかと下女を見世で云ひ

明の方見るうち下女は逃したく

取もつた下女が一反とあでておき

やくそくを下女はとツくりねてしまひ

かね付る下女くれないの舌を出し

心づけあぢに気の付く下女が宿

うつくしい下女そろばんへのせて置

うらみいふ下女井戸つなの毛をむしり

くれないのほうふくらして下女は逃げ

仲條の下女は前車をじろ〱見

如才にはせぬさと下女をたらしかけ

よそ行をかりまいらせに下女はあひ

花見さと下女かる石で手をあらひ

おしろいをした下女首をついだやう

花の外には松の木のやうな下女

よくせきがたばこぐらいと下女見切

井戸端で身ぶりが過て下女すべり

いいなされかたと女房下女にいひ

晝ばかりつとめて下女は重年し

百介をどう思ふ気か下女は買ひ

ほツぺたを下女むらさきに作るなり

くツさめに下女へツついの灰をたて

物思ひ下女おやわんへ汁をもり

かごかきと下女同様に尻をふり

やく女房千人なみの下女をおき

あかがりで下女天もんをかんがへる

三世相下女ことの外くろうがり

其手代その下女晝はものいはず

まづ下女のぶんさと横へむすんで居

ねそびれた下女はめツたに薪をくべ

寝わすれた下女はやたらに薪をくべ

ひやめしをたいらげて行く下女がはは

めし時はひなまつりだと下女は云ひ

燭台のけぬきが無いと下女は云ひ

下女の舟よつてたかつて渡し守

飯たきと下女ときのふの飯を喰

さア事だ下女鉢巻を腹にしめ

もんづけで下女御不如意と純成

きのふの飯を伴頭と下女と喰

シイ聲か高いと下女へむくり込ミ

いやらしさ下女酌に出てぐうな〱

大口か来ましたと下女嫁へつけ

人も無いように三ツ口下女を置

じんしやうにおはぎハいいが下女七ツ

目を覚し下女足をかき又いびき

花の留守下女がぬき捨這ひ歩行

両の手に砥を持て下女叱ツてる

国自慢下女六齋に市が立

くどかれて下女焼き付けを直し

とこの質屋だいいなと下女せたけ

ぐわたひしと下女部屋にする琴の箱

宿おもひ下女替り味噌などもらい

おりんめにさとられるなと下女へ這

大騒井戸へ西瓜を下女落し

てうしの口をいたたいて下女ハなめ

銀のやうなるかんさしハ下女も持

とんた事下女はき溜と浮名立

田舎下女平気で江戸を馬に乗

遊バされたであの腹と下女が宿

おむづかるなと鬼灯を下女まとひ

中で気のよさそふなのに下女かぶせ

里芋の本阿弥下女が純出で

山出しの下女は真綿とつかみ合

指弐本額へあてて下女は逃げ

惣割にして出ずげじょがおろし代

誘ふ水下女汲ミに出る手筈なり

ねごい下女車がかりを夢のやう

袖つまを引れ次第に下女なびき

大ぜいて生とる下女はふとり肉

いん徳を施して下女いい工面

一チもく取ると向がちに下女造り

物思ひ下女雑巾も手がつかず

しめたあす舌ツたるいか下女の疵

二三日間がありや相模うらみわび

いふ事を夜きく下女は晝きかず

夜ばい星見た夜に下女ハ這こまれ

女房を三聲起して下女へ這

花鰹下女が鼻で吹ちらし

はなくたな下女おひやくろが出ぬといふ

喰かけて下女は返事をして貰ひ

てんば下女ねどこへまきを壱本もち

鰒ふところに入ると見て下女孕ミ

ざいご下女てるし平目のあぢがする

聟を見に茶だい 下女はした

屁をひつて妾は下女に壱歩やり

つれて来た下女計り嫁しかる也

かたい下女はしつてやれとおとことも

せきこんで下女口上を咽へつめ

だれが来るものかと下女はくどかれる

聲しまん下女引臼の引がたり

うらおもて下女二タばんにねだり出シ

目をこすり〱真木屋に下女小言

おそろしい下女こんた衆にやいやといふ

おさうりを持ましてもと下女芝居

かつかれた下女ひんそうのかさねどき

せんやくをいただけば下女ついと逃

後家の下女うのまねをしておん出され

よしなよと下女おはぐろのひぢてつき

はらんだで下女は死にもの狂ひ也

くさづりをたたんで下女ハつツつかれ

七どくが八どくで下女モウ靡き

やミの下女よい〱で行むごい事

さがみ下女いとしとのごが五六人

きむすめのおかげで下女はせめに逢イ

御ぜん迄あるかれるかと下女が宿

くどかれて下女ぞうきんをあてツつき

ますわなへかかつてばれる下女が色

あかりをけすと下女いつそかなるがり

下心腰がいたいと下女を呼び

論ンの元トござれ〱の下女を置キ

うそをやと下女あまたるい目付をし

くどかれて下女上ハ水をこぼす也

着せたよとかこわれの下女ふれあるき

時鳥袋の中で下女は聞き

どたばたを見れば鰹と猫と下女

寝そびれた下女ふんとじで二疋取り

つまみぐいつか目に立つ下女の腹

あばた下女かの子まだらにぬりちトし

作つたで下女二三段わるく見え

なめた下女叱ればぺろり舌を出し

ふんだんにぬるなと下女へ百渡し

後添にならんとすらんふてえ下女

ぬり立て下女さそふ水くみにてる

下女が手でぱり〱たたむ儒子の帯

下女が縫ひもの糸までが笑ひ出し

下女が髪みだれて今朝ハふ首尾也

下女が髪昼まに成るとぶちかへり

下女が文よんべうるしく候と書き

下女化粧鼻つまみあげ〱

下女つんのめり頥もちと額餅

下女が鼻無分別なる買どころ

下女が文二三度立つて書きじまひ

下女真面目出まして留守で居ません

ひよい〱と帯をたどらせ下女はかけ

駕供の下女杖のたび子をあいし

町内に人は無イかと下女が聲

おつかけもせぬのに逃げるいやな下女

蟇蛙立たせたやうに下女はらみ

よく〱の事に唐瓜下女は断ち

肥桶の乗りかけで下女御江戸入

背負葛籠出来ると下女に負はせて見

化物をこは〱下女は借着なり

鷹の爪土瓶へ下女はつかみこみ

小田原の下女相談が直に出来

書出しを自慢の下女ほうりだし

極楽は十若石と下女覚え

立聞きにかゆみが出来る下女が耳

わたしのも下女が蚊帳だと下女ぬかし

鶏をどうせうのうと下女は追ひ

堅い下女はらむは葛籠ばかりなり

親の恩低しと怨む下女の鼻

自慢な下女水鶏だにお開けなね

大笑ひ放屁の玉と下女覚え

柳樽下女読んで見て腹を立テ

柏餅似たとは下女がふざけ也

花聟の顔つく〱と下女眺め

風呂敷の結び目へ下女喰ひつき

おてんばな下女は寝床へ槇ざつぱ

下女ちうや務めて内がもめかへり

どうになるまへあの娘ここの下女

向ひ風お化が出るに下女こまり

それ下女をふるは苦肉のはかりこと

みンなめすならとから手で下女は来る

気の弱い下女はつまらぬ子を儲け

懲りたやら今度の下女に沙汰がなし

白粉で下女七難の上塗し

五月雨に下女あつくなる火うち箱

下女が兄干鰯二俵のどらをうち

ふんだんにアゼ惚れるよと下女が兄

引ほいて起すと下女はむふんなり

いかなる夢や結ぶらん下女寝ごと

下女あくび口を明ほどはなはなし

是れ命とりめと下女はなぶられる

下女いびり況んや嫁においておや

供の下女笑って通る宿の前

山の手は下女の目見得に井戸を見せ

車井戸下女つぼんだり開いたり

無筆でも帯は矢の字に下女結び

白川の夜船は下女が遊山なり

両方の谷間に見える下女が鼻

元結髪目をむき出して下女始め

桃の花下女が迎ひの馬につけ

灰神楽あげててんてこ下女は舞ひ

裏店ですられたやうに下女さがり

ぶら〱病疝気かと下女思ひ

いやな下女あて事もなくつるるなり

五日より五日までなり下女が色

どぶつ下女目をなくなしておかしがり

門口で下女がおやぢは嘶かせ

下女か恋いまた定まる殿もなし

並ぶべきにはあらねでも下女造り

殿〱と葛籠の孕むかたい下女

外聞のわるさ女房と下女がろん

ハイと下女たすきをくくり〱出る

おかしさは下女も情を売気なり

沙汰のかぎりはめしたきと倅逃げ

笑はれる度に田舎のあかがぬけ

山出しは笑ってやるが指南なり

山出しは立小便で叱られる

若だんな夜はおがんでひるしかる

なまの薪下女巣ごもりを吹いている

 

江戸奉公人、信濃者、米搗、乳母、出代り及び懸り人(居候)の事に関して詠まれたる柳句を次に収録す

東都歳事記の十一月行事に曰く、「当月より越後信濃上総の賤民江戸へ出て奉公す是を冬奉公人といふ越後信濃は雪国にして冬のたつきなし故に其間は江戸へ出て奉公するなり俗間称してむくどりといふ多く群りていづるといふ意なり」と、按ずるに江戸へ出る信濃者は三々五々群をなして来る故に、椋鳥の称ありしものにて、彼らは都にて飯焚き、米搗きなどの労役に従事し、骨身を惜しまず働けるだけに食事も亦人並み勝れて大食なりしかば、川柳には多く信濃出の奉公人殊に大食家としての信濃者の事を咏めるなり。

 

守貞漫稿に「乳母俗におんばと云半季給銀百目許を與へ夏は麻衣冬は冬服を與へ其間春秋には主婦の古着を與へ諸費を給す云々」と云へり、又東都歳時記二月の行事に曰く、四日五日僕婢旧主を辞して新主に付ふ江戸奉公人出代りの事以前は二月二日なりしが明暦三年酉正月十八日の大火に依りて其年三月五日に出代りすべき由公より御沙汰あり夫れより改りて三月五日なれり」とぞ

 

懸り人は漢語に所謂食客のことにて、他人の家にかかりて養わるる人、即ち人の家に居て厄介になる人と云う意なり、之を居候と称するは天明頃にして其の以前の古川柳には皆懸り人と詠めり。

奉公人を置きあててきついいり

江戸まへの奉公人は世話がやけ

信濃者江戸と国とは雪と炭

商売も国と江戸とは雪と炭

女房を雪に埋めて炭を売り

古里寒く大めし喰に来る

一箇国一ト冬江戸でくつて居る

去年来た信濃出道の世話がなし

北国方より出たがるが大ぐらい

しなのもの内儀をよんで見たてさせ

安ものの米うしなひはしなのなり

初雪や是から江戸へくいに出る

あく迄くらいあたたかに成て行き

喰ひぬいてこよふと信濃国を立ち

信濃をばお寺のやうに直をきわめ

信濃から来てめい月をひとつ見る

信濃ものにつこりとして喰ひかかり

しなのから来い〱大根あらふ也

しなのものだれか本田に結つてやり

信濃者ぶらり〱と直うりをし

しなのから来たとつん出す病み上り

信濃をおしのけ七種旦那うち

小佛をぞろ〱おりるさむい事

あく迄くらひあたたかになりや帰ル

しなの宿けだもの店のやうに寝せ

こつずいにうまそうにくふしなの者

姨捨をしなのに聞けばいもで居る

ひきぬきにしなのの伯母も捨られず

ひいきよさと藪医見たてる信濃者

ひいきよとは何の事だとおしないひ

おしなやとよんだをみれば男也

主命でしなのぜひなく豆をまき

先刻の間違信濃ものとわび

鳥のほねしなのにきけばすてました

小所でしなのを置て喰ひぬかれ

はやい事しなのがのぼり立て行

色出入にはかかわらぬしなのもの

親椀をたがへす様に信濃くひ

しやうばんにしなのもさんりすえて立

冬の内しなのの介をめしつかひ

はやい事しなのせきはん喰て行き

男めしたきが内儀ののぞみなり

はさみ箱にはしなのをとあてて置

二タ人づれたさにしなのにはさみ箱

つれないにやおどりとしなの供につれ

しな介やおはちのそこをならしやるな

かみゆひの好キにゆわせるしなのもの

わづらつて人並にくふ信濃もの

人なみにくへばしなのもやすいもの

もりつけたうへをおしなはねじる也

うづ高く盛つたをおしな五はいくひ

かぶ汁であさま左衛門五はい喰ひ

五六ぱいくらつて伯母をすてに行き

ひやめしの方からしなの片づける

どれ程喰つたかしなの腹がくつちい

ねこのぶんしなの度とことわられ

たべる外しなのわる気の無いをとこ

喰ふが大きいとしなのを百ねぎり

切れた三もたせしなのを買ひに遣り

のこりをしそうに湯をのむ信濃者

まき事しなのをまぜて引いて出る

いくよ餅信濃の臼でつきたがり

こめのめし喰ふとせつきやうかたり出し

海晏寺からしな介は帰さるる

銀ぎせるひろつた信濃いもで持て

色男どうだと信濃なぶられる

木曽のさんとうを冬中こきつかひ

冬の内月三年づつくひこまれ

市の供信濃ひたすら願うふ也

捨てられた も全体くらひぬき

関取と信濃を呼ばる飯時分

食するに語らず信濃五六杯

猫を追ひ出して信濃は焚きつける

吹竹のあるのにおしな口でふき

彦七の苗字をしな五杯喰ひ

耳をすぼめて牡丹餅を信濃喰ひ

五々二十五きれと信濃笑はれる

きうびまておしな三度が三度つめ

夷講耳をすぼめて信濃くひ

夷講信濃は飯の二日酔

泣出すを聞いてしなのはいとま乞

ふだん帯しめながら出てたんと喰や

麦めしにさいはいらぬとみなくらひ

挽割の袋が米を喰ひに来る

手と足の長い野良を冬抱へ

追うひ焚きの下へさんまをつつくべる

あの瘠せでおめしは四ぜん五ぜん喰ひ

百八十四文さんまの膳へ出し

国ばなしつきれば猫の蚤を取り

しよくの国とは信濃さとしつたふり

大喰の国に飯山飯田なり

米つきに所を聞けば汗をふき

米搗のなんにすねたか二はいくひ

米つきは一きねに首二つふり

米つきはとりをかかへて休んで居

米つきを落城すると呼びに遣り

米つきはまつかなやつを二つくひ

米つきにおめしといふと帯をしめ

米つきを二人とあてて米をとぎ

米つきはみごをくわへてこしをかけ

米つきは箸をしごいてくいかかり

米つきのなげ込んでやるそれ御鞠

米つきはあしたにくるを夕べいひ

米つきのあかるみへ出る一つかみ

米つきは舌をぬくのがしまひなり

米つきの末家唄三味線をひき

つき米屋女を見るとつよくふみ

舂屋つはそばやの箸を付て出し

きねへ茶を置て米つきあせをふき

あをむいて見ては米搗ひだるがり

水くみをひさくで舂屋おつかける

あてこともないと舂屋に起される

げつぷをしてからつきや二はいくひ

ふいに来たつきやで二人ひだるがり

布引に通るでつきやふるまはれ

やきたてのこはだつきやへちそう也

おつけさへあればとつき屋汗をふき

下直とやいはんつき屋へさしみなり

ふたをせぬつき屋喰ひ〱しかる也

わきはらをかかへてつき屋やすむ也

ものもふをつきや見かねてはだも入れ

初鰹つき屋呼びつぐばかりなり

とうがらしつきやの貰ふすばらしさ

なんにしろつきやが喰つた跡の事

二代目はつき屋に門をたたかれる

ぶつかへりそうにつきやはかしこまり

ぞんざいにせけんをおこすつき米や

大門をつきやと這入る屋形もの

松の供ふだいおんこのつきや也

米つきのあし元をほるいそがしさ

藤四郎さまのはつきやこりはてる

たばこ入からとうがらしつきやだし

にたやうできねやとつきや大ちがひ

三つ四つついてつきやはひとつぬき

かいどりをつきや四五十ついてぬぎ

三度が三度親わんでつきや喰ひ

御内儀にとはれてつきや三つぶ喰

はりものの杭を舂屋が打て遣り

臺所の敷居へ舂屋腰をかけ

薪ざつぱ持つて米搗さゆをのみ

めしの時搗屋衣装をつけて喰ひ

銭だけに搗屋しらけを厭ふ也

皆汗に出ますと搗屋のんで居る

なんにしろつきやが喰つた跡の事

どやされてこりたか舂屋内ですい

先づちよツとうんでこべいと臼を上け

米搗の起す後ろに息子たち

しなのから見れば米つき地もの也

真ツ白になつて稼ぐがつき米屋

乳母が手へ渡ると羽子も二つ三つ

乳母同士たいけつになる柿一つ

乳母が荷のすだれを這入る気の毒さ

乳母が尻たたいて御用うきめをみ

乳母が尻ほうばり兼る枕蚊帳

乳母がおや熊手の様な手であやし

乳母が親油のやうな酒といひ

乳母が宿一と針ぬきのそばふたつ

乳母が宿歯をむき出して一分取り

乳母が来て鼠のふんをほきださせ

乳母が子も御幣の下にちぢこまり

乳母ハ喰ひかけてああ〱大水だ

乳母のやく朝めし前に一廻り

乳母が灸そばに泣き人が付いて居る

うばどのを貸すなといへばあかんべい

乳母や〱おれは臍から生れたか

乳母が宿糸瓜の水の御用きき

乳母が 話子ごころでさへ笑ふ也

うばたべるうち御しんぞうおとつてる

乳母くへのせんべいねからむまくなし

乳母がちえてうしへさゆを入れて出る

乳母の名は請状の時よむばかり

うばちつとたしなめぐらい屁ともせず

目見乳母大はだぬいで両手つき

あの乳母が書でおかしいことが有り

下る乳母亭主にこ〱櫃をしよい

てんば乳母切金入のお子を抱き

若い乳母きづして出たと嘘らしい

色男乳母がなさけを餅につき

田舎乳母ぜんたい無理な髱を出し

乳母が顔あやしてごぜは笑ハれる

やせぎすはうばがじまんの亭主也

晝めしを乳母は帳場へことづかり

此鈴でお出来と乳母は引て見せ

乳母の名は家内ひとりも知りてなし

乳母にさへやせる由来は語られず

給金も乳も張ました御奉公

ひよんな時とけいの鳴るは乳母がわざ

せきぞうに別れて乳母は泣出され

雪投の加勢に乳母の片手わざ

手を帯へはさんではなす乳母が宿

我里へかへる御乳母はまんがまれ

傾城を乳母が子にする口車

供部屋の外トから乳母は乳で呼び

えいかんに作れと乳母へ抱いて来る

けんぺいをいふのが乳母は癖になり

ふ景気なお子だと乳母は木戸を出る

くどかれて乳母うな〱をしなといふ

くどかれて乳母だいた子に聞合せ

くどかれて乳母ハこくふに子をあいし

だいた子をおとそうとするうばがちわ

鶴も居る亀も居るしと乳母はほめ

里ぶちをわたすと乳母は行けといふ

ごうはらな乳母は人形町に居る

こうしなと乳母はま弓をひやうと射る

もうせんへうば二三人おん出され

旅戻り乳母はから手でかけて来る

じやうたんにうばだき付ていやからせ

どりやおれものまうとうばへたよる也

おとなに乳をふるまつて乳母不首尾

枕がや二はり三針うばはじめ

ばん付の銭を御門で乳母かりる

こりや〱とおうばはづした飛車をかり

富士の夢丸綿めすと乳母判し

夢見でもよかつたか乳母ぬりたてる

是で最ウ二度さとおうばつるして来

きちの有ハ前乳母はいひぬかれたの

へんてつも無いと御うばは鱚を喰ひ

草ぞうしおうばつぶさに申し上げ

金ぐそをひるのは乳母のそそうなり

しやう太刀乳母どつこいと請止める

ねだられて乳母はあぶくを二ツまき

あれは元うばのずる〱べつたりさ

気にいらぬ縞とは乳母のほたへ過き

樽ひろひさしもの乳母を云ひまかし

あいくつわむしさと乳母はたれて居る

ばけもので度々乳母はりくつする

盆おどり是非なく乳母も地をうたひ

あいさつに一ツはははく乳母がしり

ことふれの詞に乳母の乳があがり

太神楽御うばの尻を横に喰

向後はいたしませぬを乳母がいふ

そり橋は乳母一生のなん所なり

せんたうへ乳母はつるべと手桶もち

たきもりへ乳母はおならを言おくり

白状を娘は乳母にして貰ひ

田舎乳母籠で二三度へどをつき

したひらめ御乳母はふてて喰はぬなり

一本の矢取りに乳母はあきはてる

着飾つて乳母は裸を追ひまはし

長い夜をちつとづつ見る乳母の夢

正直にすりや標は乳母へゆき

そりや来たと乳母股ぐらへ逃げこませ

水がかり乳母家根板の船大工

突き袖で乳母のすねたはかしこまり

ふせぎ矢は乳母が合点でつかまつり

出代りの乳母は寝顔にいとま乞

柏餅妹の乳母は手つだはず

もの申ににげのこつたは乳母一人リ

御さらばをしなとせ中を乳母かしげ

乳母斗禮奉公に値がさがり

麦めしは下女にかわつて乳母がたき

 

出代りに日和のよいも恥の内

出がわりにかんじやう高いやつのこり

出がわりの涙にしてはこぼし過ぎ

出がわりで娘の恋の橋が落ち

出がわりの鏡へうつる馬のつら

曇つても先づ出代りの義理がすみ

奉公人の出がわりをうりに来る

男の出代りおつちよつてつツと出る

もぎどうな出代り馬でうつ走り

雛をしまふと人間の値をつける

御隠居をあまくちに見て飯につき

御指南をうけましたらと飯につき

人主を三文出して買にやり

重年をさせなさるかと水を向け

縮緬もとは肝○の出放題

目見えだと見えて小袖で給仕なり

此ぬしなべとある盥馬につけ

おとなしさ櫃や葛籠を馬につけ

塗り下駄をいただいてせな腰をかけ

山の手の目見えは井戸を覗いて見

ぢつとして目見えは狆に吠へられる

三月は大津絵も来てめしにつき

山の神おこぜ斗りをめしにつけ

かみさまは草の餅までやき通し

壱分さへ出せば生国より存知

生国を能く存せずが壱分取り

請人は金のある御新造

請状が と買たいものばかり

うけ状のかへるを見ると日なし来る

けいせいに三本足らぬ請状し

冷麦でする請状は二度めなり

にせ首を請人の見る気のどくさ

 

 

懸り人一分が薪をながめて居

懸り人へらへいとうにいぢめられ

懸り人むかしをいふとはりこまれ

かかり人ちいさな聲で子をしかり

かかり人勝てば内儀にかりられる

かかり人むすこにてんをしなんする

かかり人みなごろしだと湯をわかし

かかり人寝言にいふが本の事

かかり人たとへのごとく市にたち

かかり人かつのこなどはころし喰ひ

かかり人覚悟してくふ初がつお

かかり人樽ぬきにして葬られ

かかり人あたまのうへの蠅を追ひ

かかり人やねから落て酒によひ

かかり人二八一つで二度あるき

かかり人五百両ほどかんにんし

かかり人まつりがのびてむねがやけ

かかり人おおくひなりの餅をくひ

懸り人あらしかすると屋根をはい

懸り人へそきりといふはらを立

かかり人何をするにもてぐらかり

かかり人あのね〱をうるさがり

かかり人質屋の使こうしやなり

かかり人せんたくをしためしをくひ

かかり人ほうさうをした餅をくひ

かかり人さじきを聞に二度やられ

かかり人一ツ巴のやうに寝る

かかり人はやりやまひの使者にたち

かかり人俵やしごくあいぐすり

かかり人いもむしほどのはらをたて

かかり人しやつちらにはい物を着る

懸り人銅壺の蓋で手をあぶり

かかり人とツととわらひしかられる

かかり人七十五日いきのびず

かかり人からやう書てしかられる

かかり人たつみ下りに腹をたて

かかり人御座きりといふ腹をたて

懸り人いらざる鰒の嫌ひ事

かかり人立派に出来る畳だこ

かかり人隣へ腹を立てに行

かかり人此嬶アとは思へども

懸人ふくれる所はほうばかり

懸り人へそきりといふはらを立

向ふから硯を遣ふ懸り人

吸口で火を吹いて居るかかり人

重箱を尻目にかける懸り人

二はいだと下女とあらそふ懸り人

下手にうろたへると干死ぬかかり人

かけ取のいひぐさになるかかり人

そして又身をも崩さず懸り人

米相場はなすも耳にかかり人

かた身よりおなかのすわるかかり人

ひやめしのあつものを喰ふ懸り人

たばこまで細末をのむかかり人

七転びきりと見えたるかかり人

ねる時につえをたつねる懸り人

胎毒の蠅を追ツてるかかり人

蓮の実の飛ぶを見ているかかり人

日の出の下手医者にかかる懸り人

酒とうふばかでよしかと懸り人

湯でもよし飯えもよしとかかり人

よろいつきしてはかゆがる懸り人

朝起きも早寝もならぬかかり人

かけ針の場をかかり人相つとめ

ものにかかりでしちりきのけいこ也

ちちれ髪ものにかかりが文をつけ

 

居候いんぐわと子供きらひなり

居候しようことなしの子煩悩

居候女房のくせをよく覚へ

居候たんこぶのある蚊帳をつり

居候かげひなたなく胡麻をすり

居候湯気のあがらぬめしを喰ひ

居候花より團子うちながめ

居候酢のこんにやくを不断喰ひ

居候一皮うちで腹をたち

居候一つどもえにころり寝る

居候狆を叱つてねめられる

居候蟲のいどこのいい男

居候人間なみのをとこなり

居候拳を教へて叱られる

居候面あてらしく雪を喰ひ

居候遠吠ほどの欠伸をし

居候只喰ひたがる病なり

居候四角な餅を喰ひたがり

居候嵐の屋根を這ひまはり

居候いつもせんべいかしは餅

居候他人の親に孝行し

居候三はい目にはそつと出し

居候あんどん部屋の暇居

居候ひだるい腹を度々かかへ

居候角な屋敷を丸く掃き

居候或る夜の夢に五はい喰ひ

居候うぬが忰で手をあぶり

居候こげが好じやとたんと喰ひ

居候はらハうたやと御看経

居候此かかアめとおもへども

居候七十五日壽をちぢめ

居候置候を裸かにし

居候千松ばかりいとしがり

居候あまだれ程に戸をたたき

居候おうきなもちを撰つて焼き

居候花の留守居が喜見城

口がるで尻のおもたい居候

夜や寒き衣やうすき居候

四はい目はあたり見廻す居候

大雪やおれも人の子居候

腹の中遠吠をする居候

喰ふも暮し喰はぬもつらし居候

世を捨てた身はなきものの居候

いとどなほひだるい秋の居候

片そぎの御歌身にしむ居候

慮外ながらの物を喰ふ居候

種柿のひけ物をくふ居候

こつそりと癇癪おこす居候

飯ばかり十人並の居候

行燈の背中をつかふ居候

くわんれいのりんしを持て居候

まき紙を継イでくわろと居候

今年も重年さと居候

まつくらな所コへすはつて居候

冷飯へ夜ばひにかかる居候

数年来姫が一人居候

銭までが煙草の中に居候

おもふ事叶へて二人居候

ああと戸棚内や床しき居候

あてのない晝寝している居候

御預ケと号し立派な居候

左太郎を年中喰て居候

稍餓鬼道に遠からぬ居候

花の留守大の字に成つて居候

花の留守悠然としてしらみを見

喰ひつぶし野郎人別外に置き

積善の家によけいの喰ひつぶし

むかしは何の某今は何もなし

蕪村数年所々に遊歴して此の頃西に帰る

松永貞徳遠忌取越實相寺に於いて興行

宗祇二百五十回忌、宗祇は飯尾氏種玉庵、自然齋、外見齋と号す、紀州藤並荘苑の人、連歌を以て天下第一と称せらる、文亀二壬戌年七月三十日(或云二十八日)湯本客舎に於いて寂す享年八十二、駿州駿東郡冨澤桃園定輪寺(又箱根湯元早雲寺)に葬る、辞世

はかなしや鶴の林の煙にも

  立ちおくれぬる身こそ恨むれ

髯ををしんで追はぎに一首よみ

雲長と宗祇和漢の髯をしみ

追はぎにあつても宗祇名を上る

追はぎにあうたもしるす旅日記

 

誹諧武玉川続編(紀逸)・雪おろし(蓼太)・続五色墨(宗瑞等)・俳諧こひす帖(白羽)・蕉門頭陀物語(涼袋)

 

 

一七五二年      

宝暦二壬申年 三十五歳

 

十月四日亀田鵬齋生

林子平(六魚齋)生

築地善好(竹杖為軽)生

野遊亭一巣生

加茂季鷹生

島器観生

鳥居清長生

 

正月三日丹羽正伯没年五十三

正月二十日渡辺右範雲工園没

正月二十八日荒川右門方正没年五十九

三月三十日谷垣守没年五十五

四月八日中澤亭崑岡没年五十一

四月二十六日田々良林石没年六十三、伏亀堂、寸松堂、郁齋等の号あり、知石門京都の人

五月十一日市川宗三郎和厨没年六十六

七月十四日佐野隠山没年九十七

七月十五日中西曾七郎淡淵没年四十二

七月十七日谷傳右衛門本教没年六十四

七月十八日油谷倭文子没年二十、加茂真淵に学び歌文を能くす、伊香保記の著あり

七月二十九日山口羅人没年五十四、通称柊屋甚四郎、蛭牙齋、老桂窩と号す、書肆を業とす、後年大いに貞徳風を唱う、京都の人なり

八月十二日山縣少助周南没年六十六

八月二十四日木村得臣没年五十二

九月五日松尾宗二没年七十六

十一月十三日宮川長春春旭堂没年七十一

十二月十九日大岡忠相卒年七十七

十二月山中梅應(一世)西翁堂没

十二月三十日日下部眞蔵生駒山人没年四十一

 

二月より三圍稲荷開帳し新吉原玉屋の花紫と云う遊女提灯十二を列ね鶴の丸の紋を付けて奉納す、これより十二提灯の花紫とて其名高く、十二てうちん花紫の紐付て飾りし玉屋の女郎衆が戀の巣籠りもんな鶴の丸よいわいな〱と云う小唄など出来てうたいはやしけり(一説に本所回向院にて圓光

大師開帳の時と云う)

三囲の鳥居思はせぶりに見え

三囲をため小便の揚場にし

三囲の渡しに本田二三人

三囲で気のそれたのを付けのぼせ

三囲で蜩の鳴くいい時分

三囲ふきまり故に行がばれ

三囲の御留守にあるへい紛失

三めくりへついたがついたにもあらず

三めぐりは淋しく堀の灯がとぼり

三めぐりの鳥居を猪牙はこへたどら

みめぐつて居る内狐のり移り

みめぐつて来て船頭を起すなり

夜具の願ンをば三囲へかけるなり

女日でりもみめくりの神ならば

亭主は三めぐり女房はうたぐり

時鳥三囲へおつこちたやう

土手へ鳥居がめりこんたやうに見へ

幽霊の鳥居が今戸から見える

踊り子の揚場は石の鳥居なり

ぬけがけの屋根船のある鳥居下

雨乞の神故笠木斗見る

夕立に三囲牛の背を分ける

(附記)

元禄の頃寶井其角といふ俳諧の點者遊船に誘はれ此の川きしに至る時に当社騒躁すゆへを問ふに此ほとの旱魃にて雨を祈ると云同船の輩其角に対して曰和歌を以て雨を祈るためしあり俳諧の妙句を以て雨ふらせ玉へとののめきれば其角ふと肝にこたへ一大事の申事哉と正色赤眼心をとじて

夕立や田も見めぐりの神ならば  其角

書て社に納む神納受ありしや一天俄に曇て人々楼船にかへらざる内雨車軸を降す是世に知る所なり(菊岡沾涼著江戸砂子所載)

一揆ほど其角取り巻く句の無心

夕立や十二字足すと降って来る

三囲の雨はゆたかの折句なり

きつい事いい天気だに夕立や

きつい事いい天気だに雨が降り

夕立の一句稲荷もむだになり

夕立の句にあやまつた稲荷様

越後屋の稲荷を其角しゃくるなり

越後屋の稲荷を其角恥しめる

傘を貸す家の稲荷で雨が降り

其角がなくばおもらいになる所

其角がないとおたすけに出る所

句をほめるやうに蛙は鳴き出し

雨蛙すぐに其角がわきをつけ

夕だちで一斗七升河岸かたれ

われた田へ寶の水をぶちまける

かんばつに天水を呼ぶ寶の井

草を取る其角に空も墨を摺り

金のふる雨は寶の井からわき

其の時の雨はいたつて角が立チ

いろはをたつた十七よせてふらせ

人の田へ水を引かせたのは其角

はせをの片腕から大雨がふる

是で蚊もなくなりますと其角いひ

これで涼しくなりますと其角いひ

糸立や菰を買はせて名をあげる

俄こもかぶりを其角こしらへる

尻を引ツからげ駈け出す名句なり

名句だとほめからかさにこまるなり

梅干やほし瓜の邪魔其角する

梅よ干瓜と中の郷大騒ぎ

誉れさは久し振りにて人がぬれ

傘のかし人の多いのは其角

わるい口きいて其角は雨にぬれ

白髭にかつ込んだのも八九人

宗匠へ簔よ傘よと土手の雨

たなつもの持て発句の禮に来る

庄屋年寄罷出で雨の禮

さあ堀であげ申さうと簔を着る

恐れ入りましたを其角ききあきる

村のもの其角をやつと云い覚え

表徳を田夫野人も雨で知り

其当座雨の如くに點が来る

夕立のあと降るほどに點が来る

傘の禮すむと其角の話しなり

あのづくにふが其角かと米やども

三めぐりで雨こん〱といひはじめ

夕立は十七屋から京へ知れ

十七はみぐり十八はよしの

夕立は歌と発句の理詰にて

両腕の弟子雨も呼び雪もふり

四十八文字で京都も江戸も降り

三囲の雨は小町を十四引き

男十七女は三十一

十徳に十二ひとへでいいしめり

歌はうちまき発句では米をさけ

歌も句もはの字どまりは占てには

龍神は歌と発句で二度選み

この歌とその句で稲はほつと息

雨乞はなんでも濡れて来る気也

雨乞は泣き出す空に笑ふ民

百姓の傘さしてよむむづかしさ

三囲にまけず弓町降らす也

稲荷では降らせ狐は寄り付ず

貮どめの名句狐の足をとめ

蚊が無いと其角千両迄はつけ

五月三十三間堂重修

鳥山石燕役者似顔を画き始む

六月二十二日より池の端新地の茶屋五十九軒其の外数多の屋敷引払ハせらる多くの女をかかへ置て猥なる事為しゆえとぞ(斎藤月岑の武江年表に由る)

不忍池畔には男女密会する出会茶屋なるもの有りて此時代繁昌を極めたるなり川柳にはその風俗を詠める例句頗る多し

出会茶屋忍ぶが岡は尤もな

出合茶屋あぶない首が二ツ来る

出合茶屋 切れば鼻であいしらい

出合茶屋小便におりししに下り

出合茶屋あばたづらが金を出し

出合茶屋ほれた方から払する

出合茶屋商売がらで兎角すぎ

出合茶屋下に岩内頌て居る

出井亜茶屋あんまり泣ておりかねる

出合茶屋かり人は御ぜんかごでより

出合茶屋汁一色のちそう也

出合茶屋勿論すきやのかかり也

出合茶屋生キてかへるはめつけもの

出合茶屋女は蛇なり男は蚊

出合茶屋泣きさけぶのが耳につき

出合茶屋ぬき足をしてしかられる

出合茶屋弁財天は女体也

出合茶屋莫邪がつるぎ折きる也

出合茶屋上ルやいなやたたきつけ

出合茶屋蓮を見に来て立チこめる

出合茶屋ひつそり過キてのぞくなり

出合茶屋すもものやうな顔て出る

出合茶屋主従で来る不届さ

出合茶屋御宿下りかと星をさし

出合茶屋耳をすましてしかられる

出合茶屋いけまじまじと手を洗ひ

出合茶屋ていしゆまぬけなあくびをし

出合茶屋穴でしはらくまち合せ

出合茶屋二ツにわれてかへるなり

出合茶屋女が酔てもてあまし

出合茶屋初手二三本うのみなり

出合茶屋庭に池水をたたへつつ

ひそひそと繁昌をする出合茶屋

手の音にすつぽんのうく出合茶屋

賑やかすぎて儲からぬ出合茶屋

口すぎになるとは見えぬ出合茶屋

気の知れたあばたをつれて出合茶屋

蚊の来るを蛇が待て居る出合茶屋

慾心さあんなものをと出合茶屋

此次はどうしてしやうと出合茶屋

二人して出すとはけちな出合茶屋

もし死ハせぬかとのぞく出合茶屋

すて鐘の飛ヒに上らせる出合茶屋

夕べからけちな見やすと出合茶屋

みみに口あててはしいる出合茶屋

たことふを出してもてなす出合茶屋

むつ言のとなりへもれる出合やと

蓮の茶屋今朝から半座明けて待ち

あるひて行くかと出て見る出合茶や

ちとかみをなでつけねへと出合茶や

女中満先ンこくからと出合茶や

出合茶やねこなどじやらし女まち

来て籠る源氏名もあり蓮の茶屋

池の茶屋ねぶとへ針をたてに来る

かげまやが無イと出合やまだはやり

出合する所コを白鳥ウのろりみる

池で鳴ルやうだと二人リ首を上

あばたと出合物取りにおちるなり

あうるむと出合の屏風かり取られ

あつけなく汀の茶屋を二人出る

池の汀に鶴を折り待つて居る

出合するぐるり池水をたたへつつ

悋気な後家山割りで茶屋へ来る

茶屋借りにいの字とろの字這入る也

蓮池をこいつと思ふ二人連れ

蓮池院つれて助手茶屋へ来る

蓮を見に息子を誘ふいやな後家

蓮を見にかこつけ飾所の顔が来る

水かさまさりしを池へ連て来る

はちす葉の濁りに後家はしみに来る

床代は蓮葉な女払ふなり

すつぽんが居やすと顔を二つ出し

顔二ツ池を覗いて憎くがられ

六立目始りさやうと池の窓

不届さ家斗り十匁で借り

何で間違つたか出合あけらこん

不忍へ二挺辻駕きばるなり

春秋は池へおし鳥おりるなり

しろ水の流れた所へ蓮が咲き

あの蓮へかう居やしやうと腐れつき

向ふが榊原かへとたてこめる

池の名と相違ふ客の来る所

蓮花見に行とは釈迦も知らぬ也

男ハの二文も無いと出合茶屋

おごのしらあへいつしゆ也出合茶や

出合茶屋何か女の強いる聲

出合茶屋何か男の詫びる聲

蓮のめしふたあり前で壱分なり

相傘で弁天尋るにくひ事

弁天へ一ト月置に堅い後家

あふなさはねだか落ルと池の中

あらつほいやつらが池のはたを行キ

くわんおんをしこてこしこむ池のはた

おしやじが明くとおし鳥きしへ寄り

白鳥はさびしい池をにぎわせる

しまりの無ひ鐘の音池へひびき

承知して居てもあきれる出合茶屋

夫婦して蓮飯くふに二分とられ

出合する方は仁王も無言也

出合をばにごりにしまぬ中でする

口べにがさつぱり池の茶屋ではげ

蓮の葉の上へ書出し置いて行き

池の茶屋玉に疵なは惣がうか

蓮堀に気を通しやなと池の茶屋

其下ですつぽん首をおやしてる

一蓮托生蓮飯の出逢ひ

朝に此功徳蓮のちやや紙が切れ

蓮の茶やにごりに染ぬつらで出る

はちす茶のにごり紅裏しみだらけ

ほんにくはへて打込むと蓮の茶屋

蓮飯をとろろで二人喰て居る

居膳の方から茶屋の払もし

あつちへもこつちへも付く茶屋のかか

振袖のとつたり茶屋に二人待

枕分隙で茶屋の喰込が出来

人の目を忍が岡へ二人連

勝山と本多と這入る出合茶屋

へんなやつ若衆を連て出合茶屋

ちと髪を撫付ねへと出合茶屋

根をしばつてももういけぬ出合茶屋

待兼て一人ごといふ出合茶屋

ころばぬは銭にならぬと池の茶屋

大勢来てはよろこばぬ池の茶屋

寝なひのは銭にならぬと池の茶屋

池の端今度目を吹蓮の茶屋

能書を丸めて池へ捨てるなり

池の端匂ふ男は籠の鳥

蓮の茶屋奥は牽牛織女也

弁天を連て蓮飯喰に行

弁天の池がほしひと八百屋いひ

根が妓で蓮飯二人喰に行

こんたんの枕蓮飯出来るうち

めいどは知らずかうせんは池の端

身と鞘の連立てゆく蓮見哉

茶屋は皆いきた弁天sまですぎ

新出合茶屋は笑ツて客が来ず

並木宗輔の一の谷嫩軍記成る  此浄瑠璃は並木宗輔三段目迄を作り未完の侭にて病没せしに後ち浅田一鳥、並木正三等これを補い五段目迄をつづりて完結せしむ所謂壇特山より陣屋の段に至る敦盛身替りの條は全く宗輔が意匠に成れりと云「浄瑠璃譜」に此浄瑠璃古今の大入にて翌年壬申の盆より大切に操り踊りを附る宝暦二年十二月七日初日と見ゆ蓋し此浄瑠璃本は宝暦元年中に完成したるものなるべし

一の谷六の方からさかおとし

一の谷楽屋新道うら廻り

御舎弟の手がらは日本一の谷

坂を落して名の上る一の谷

飛車角のみんな成り込む一の谷

鵯のみちをば鷲がよく教へ

近付になうて熊谷首を取り

熊谷はまだ實の入らぬ首をとり

熊谷は不性ぶしょうな手柄なり

直実は不性ぶしょうに高名し

熊谷はためしに一寸吹いて見る

敦盛と子守青葉の笛をふき

花は散り青葉は笛に名を残し

のがけ道青ばのふえをふいて行き

熊谷はいい諦らめの返事見る

後ろから招いた扇毛請なり

蓮生は中でもひたい生きて見る

その後は衣で通る一のたに

ほつ心も谷法躰も谷でする

黒谷に坂本聲の僧ひとり

黒谷へ武をすて嵯峨へ恋をすて

熊谷の馬子此法師ふねたわへ

馬の屁をかいで熊谷馬にのり

熊谷へ土手の物騒訴へる

熊谷は今に頭から追ふところ

月のわへ熊が谷坊を連れ給ひ

蓮生になり絹売の日向する

あつもり及きぬうりもえかうする

強そうな名で弱のは武者所

忠度はいつぱししめた気で押へ

忠度は勝手を悪るく取つて投げ

忠度は後へ来るを気がつかず

片腕になる郎等を岡部もち

六弥太は獨り者だとかぶじまい

六弥太は符牒のついた首をとり

行くれた歌を鎧のひきあはせ

俊成卿の片腕を打おとし

忙しい軍さなかばに行暮れて

忠度の外は浪路に行暮れる

六弥太と猪俣酒をねだられる

猪俣はなにさ〱で腰を掛け

煙草でもあがれと小平六はいひ

猪俣も手こきんなればかぶじまい

重衡は大きな佛火にくべる

蒲殿が搦手ならばなんとして

梶原は思ひの外の歌人なり

梶原は歌をよむのがめつけもの

たつた今捨てた梶原二度のかけ

二度のかけ散らす火花と梅の花

名将を花やこよひの客にとり

其の他源平時代に関する咏史的川柳を次に収録す

平家では鷺の位をおかしがり

深い知恵あつて浅瀬を聞いておき

百貰ふ気で深瀬を教へたり

百やらうわさと盛綱だますなり

盛綱が口留むごい仕様なり

豫め聞くと盛綱引ツこぬき

渡らぬ先にすととんと漁夫の首

三寸の舌は藤戸の浪のひら

佐々木殿藤戸の母にこまつて居

その後藤戸で路問へば知りません

海の案内藤戸からとんとやみ

御一門見ぬいた様な銭遣ひ

元船へ内裡を崩すにはか事

平家方小便もせず船に乗り

能登殿はおはぐろ壺を下げて乗り

平家から軒上らしい船を出し

平家ではほうろくの入る船を出し

平家ではぼちやぼちやらしい船を出し

美しい蟲舟ばりへ出てまねき

玉むしはあぶない役をいひつかり

玉蟲の外は官女の名をしらず

かほを見い〱よつぴいてひやうと射る

満月に引き日の丸を射て落し

与一が矢それると虫にあたる所

要を射られちりじりになる平家

胸板をすえて忠義の的にたち

二本目は与一もこまる扇かな

借銭をなすの与一や要ぎは

舟蟲に門院はじめ総にたち

屋島落施餓鬼のやうに平家のり

鉄漿壺はつんだかと聞く屋島落

おはぐろにしろと景清船へなげ

三保谷がかへりは襟に日があたり

何やかを三保の谷其日損じさせ

三保の谷がはたいだぎりで陣を引

千の手でひくと三保の谷気がつかず

三保谷は負けて冑の緒をしめる

景清は尻もち四郎つんのめり

三保谷が咽へめりこむ忍の緒

草摺は五郎錣は四郎なり

其らと見えて熊手のあたりきず

義経の弓は荒布にひつかかり

弁慶に一本借りて弓を取り

狐川より引かへし行暮る

千載へ日かげのさくら散り残り

山ざくらよみ人しらぬ者はなし

読人はちりてものこる山ざくら

志賀と名古曽は源平の山ざくら

此花と心中しろと札をたて

此枝がほしくば指を一本づつ

指を切ることも弁慶一度かき

須磨寺の花には指もささぬ也

矢合せのなき日は須磨の歌合

お妾は故事をいひいひ濱でまひ

舟子ども舞をのぞいて叱られる

しづかな舞で弁慶ねむる也

烏帽子直衣で出舟の邪魔をする

舞の内弁慶は出て船の世話

武蔵坊やつとおめかを引きはなし

いそいそとしづか御ぜんの跡につき

あの通りだと静へは浪を見せ

弁慶が居ぬと静をのせる所

だらすけをのんで静は癪を下げ

まひの内むさし時々そらを見る

武蔵坊水車ほど背負って出る

武蔵坊兎角支度に手間が取れ

源氏から大工が出たとなぐさまれ

弁慶は四日一歩の出立ちなり

たてるとも剃るともつかぬ武蔵坊

前と背に不用ナ道具武蔵坊

女に目のある男は武蔵坊

武蔵坊袴で剃ったまんまなり

武蔵坊あつたら事に上み言葉

弁慶のわるさで時がしれぬなり

蒲殿はぐづぐづとして仕舞はれる

法師武者勝つて頭巾の緒をしめる

かくてはてじと法螺を吹き立てる

ああらめづらしやは怖い土左衛門

反吐をふみふみ弁慶はいのるなり

引汐でさいと知盛まだうるみ

海上で知盛一人口をきき

よわり目に出ても知盛歯がたたず

知盛は喧嘩過ぎての棒を振り

白波になつて弁慶汗をふき

しんちうを武蔵とうとう祈りのけ

やれ立つな〱と武蔵数珠をすり

よくよくの事弁慶も数珠を出し

知盛をしやぼんのやうに祈り消し

怨霊は消えて源氏の浪になり

判官はどれだと笏で陸カへさし

平家方皆船ばりで癪を押し

よし経は海せがきでもすればいい

はうろくの因果しびんとなつてはて

一門はどぶり〱と奏問し

奏問も船へするのは頑是なし

壇の浦笏で四五杯盛って喰ひ

壇の浦能州出やつと笏でつき

壇の浦親子は水が達者なり

壇の浦美しひのへ助舟

壇の浦その尾に付てどんぶりこ

弥生と皐月ごたまぜの壇の浦

壇の浦小手すねあての土左衛門

鉄漿は付て居られぬ壇の浦

壇の浦其後海士は大仕事

壇の浦池のかはづを見るやうに

恥かしひものも流れる壇の浦

古来稀なる密夫は壇の浦

三月と五月のやうな壇の浦

八艘と七尺和漢ひやなこと

七尺と八艘とんだ危ひ場

義経は孔子の嫌ふ軍をし

能登どのはのみを逃がした顔ツつき

能登殿は二人禿で入水をし

教経の入水あぶくが三つたち

二位殿は小意地を悪く差して行く

二位殿の入水年には不足なし

だいてはいるとは二位殿が云ひ始め

注進のたびに平家は後家が殖え

御一門遂にうんかに喩へられ

一門の気ながと頼む能登守

ときの聲聞くと能登殿一ツのみ

尻ツぽをとらまへはぐる能登守

かん事とは能登殿が云ひ始め

さて埒が明かぬ〱と能登守

とつつきひつつきする所へ能登守

末期とは潮を呑んだ平家方

ひどいまけ平家一門なしにされ

一もんのなくなるほどに奢すぎ

湯の意趣を水でかへすは源九郎

すばやいが義経しじう疵になり

義経は母のかたきを舟でうち

義経は文武女道に達せられ

平家方末期のみずの塩からさ

八十年早く平家は運がつき

西海へさらり源氏の厄落し

栄華の酔さめ西海の水を飲み

盧生か夢の半ハにして平家さめ

おごり仕舞か西海の潮なり

二昔栄華の夢は舟でさめ

西海は栄華の夢のさめるとこ

満ちくればかくる寿永の秋の月

赤旗の怨霊横に這ひあるき

知もりのなぎなた鮫も呑み込まず

知盛の幽霊ばかり足を出し

幽霊の皆横に行く平家方

平家方死んでおごらぬ穴をほり

文覚を挟んでやれと平家蟹

平家蟹静御前をはさみに来

平家の怨霊うるしかぶれに妙

平家の怨霊打ち物ははさみなり

はさめ〱と知盛は下知をなし

一門は蟹と遊女に名を残し

長州で内裏崩れを商はせ

壇の浦なんでも後家は十九文

九ぞくを皆海ばたでまよはせる

ほんとうの流官女は壇の浦

せちえを仕舞てくんなよと下の関

とうぞせちえをしまつてと下の関

まらうどだよアイーと下の関

四筋をかじりたまひねと下の関

割床を几帳でしきる下の関

赤旗を前垂にする下の関

平の飯盛といひさうな下の関

源氏名は決してつけぬ下の関

下の関玉虫いつちはやるなり

緋の袴ふんどしにぬふ下の関

歯の黒い商人もある下の関

下の関けだしになほす緋の袴

水上清き泥水は下の関

武蔵じゃと聞て土佐坊丹羽色

喜三太は別当ゆえに名乗なし

喜三太は馬の盥で行水し

伝授事になる嘘土佐坊はつき

土佐駒ぐるみ生捕った武蔵坊

土佐坊は熊野のだしでくはせる気

武蔵坊あたかもまことらしく讀み

土佐坊は月でもたのむ程にかき

平家追討の時とは風変り

お妾は花の名所へ捨てられる

ほら貝は吉野の町をねせぬ也

不風雅な軍さ吉野でおつぱじめ

所こそあるに吉野で叩き合ひ

常陸坊風来ものの元祖なり

山伏にたび〱化ける源氏方

弁慶は肝煎なしの奉公人

ひたちばういきまな所へつれ申し

山ぶしを初手はとが〱しくとがめ

珍らしく忠義主君をぶちのめし

君五両臣八百で関を越し

妄語戒関所で辨を振つてる

弁慶が一度の相手名も知れず

精霊に成りても荒れし武蔵坊

弁慶が間にあひでんじゆ事になり

つくえ高クして弁慶さらひ上ケ

弁慶は書置き迄のいらひどさ

弁慶の使かさごでのんで居る

扇おつとり道を聞武蔵坊

弁慶はちからの強いわけがあり

弁慶はせめて小町はからむたい

なぜだいと武蔵静になぶられる

じやによつて弁慶玉極無病也

衆には一度でこりた武蔵坊

君を打杖は柱の臣下なり

弁慶は啌の巻物取出し

弁慶に見せたし廓の夕景色

弁慶と腎虚は立て往生し

立往生は弁慶と腎虚也

遠くから の突て見る衣川

衣川坊主にはよひ死に所

衣川さいづちばかり流れけり

衣川さすが坊主の死に所

弁慶はやまで育って川ではて

居候めがと錦戸蔭でいひ

埋れ木は宇治立ち枯れはころも川

八郎は八たん九郎は蝦夷にしき

九郎どの五常を守り〱にけ

継信も十ウが九ツ当らぬ気

あと王手らしく継信討死ニし

継信を損にして置く勝いくさ

忠信は胡麻塩にして取て投げ

宇治川のそこには馬のわなをかけ

いかさまにかけて佐々木は高名し

盗みし馬と景季は乗せられる

怪我あるなどと高綱ちゃらをいひ

橋は軽業宇治川は綱わたり

する墨は水をさされて二番茟

人を茶にしたと梶原くやしがり

近江泥棒めと源太くやしがり

梶原を二度だましたと佐々木いひ

にくい手で佐々木兄弟名を上る

先陣は兄弟ながら手が悪し

佐々木の四郎讒言によく合はず

兄弟のほまれは宇治と藤戸なり

我陣へ入れば箙に枝はかり

梅の花二枝三枝武者が折り

ほろ武者はふくれてみたりしなびたり

実盛は晴着を一つねだるなり

実盛は守袋を上着にし

若い気の親爺と樋口申上け

実盛はまんがちな気で若くなり

さね盛の切ツ手で通す佛が荷

年よりの化もの手塚組とめる

みんな荷にしろと笏にて御差図

自堕落にどや〱逃げる都落

櫛巻にしろと二位殿下知をなし

夕日をば招ぎ旭に逃げるなり

落武者は榎をうえぬ道をにげ

八陣の出口に迷ふ白拍子

人知れず羽武者源氏に加勢する

富士川で三味線を折る白拍子

腹を抱へて富士川を源氏越し

ぬかぬ太刀とは富士川でいひはじめ

立つ鳥に後を濁して平家逃げ

水鳥におぢひよどりに目をさまし

水鳥は逃げてひよどりは最後なり

継盛も見ては居られず海苔をやき

あさつてに源氏の簱はかかはらず

源氏方ふじ川己後はかまがきれ

あてがある松過ぎまでと長田いひ

おしつめていい相談を長田する

忠殿はいい正月をするつもり

すばらしい舅爺いを鎌田持ち

あかすりの糠のと長田世辞をいひ

睾丸をつかめ〱と長田下知

屠蘇酒だまいれと長田聟に強ひ

うま〱と長田にえゆを呑せたり

聟殿やすごさつしやいと長田いひ

酔ふまいことか三州を長田出し

女房子も目付次第と長田いひ

雨の洩る家とも知らず左馬頭

義朝へ鳴海絞りの浴衣あげ

むかしから湯殿は智恵の出ぬ所

義朝ははだか常盤はうづみ着る

義朝は湯潅を先きへしてしまひ

親の罸湯殿であたる松の内

おそろしい初湯は野間のうつみ也

義朝は年をとつたといふばかり

末期の湯呑で義朝最後也

義朝は抜身をさげて討死し

左馬頭桂馬の所で歩のえじき

義朝はも初手は握ってはたらかれ

悪源太八町上ではらをたち

清和源氏のごろつきは悪源太

死ンでごろ〱と騒だは悪源太

悪源太ゆうれいなどは手ぬるがり

もろこしへびたもやらぬが源氏なり

平家から検使にあきる五条橋

為朝は先づ褌に気をくばり

為朝餅は餅屋と云て立チ

牛若丸の御供には足駄とり

牛若は大長刀に二度出合

牛若はどこへ行くにも足駄がけ

千人目七つ道具をらりにする

牛若を見ると明月闇に成り

牛若は年増の熊といどみ合

鞍馬山まづ下枝で飛ならひ

五条橋其頃何かしら拾ひ

御曹司何所へ行にも足駄がけ

七条をぬいで五条で主をとり

五条ではぶたれ安宅でぶちのめし

小腕でも薙刀ばかり三本しめ

牛若ははらツぶくれと連になり

牛若も道中すから汁の事

牛若ははね元結の元祖なり

牛若の鞘にさわつて飛び上り

無調法ものと五條の橋でいひ

灯ともしは悪るい思案の笠を着て

太刀凪に木の葉をちらす御曹司

僧正ケ谷にちつさな足駄あと

忠盛の功名の場を犬がなめ

忠盛はかへると糠で手を洗ひ

忠盛は師走はそツと抱ときる

たたもりも師走はひどひ水をあび

師走だと忠盛水をあびるとこ

しつ呵り忠盛糠で手を洗ひ

極密を知り竹光で参内し

銀箔であかりをたてる闇の太刀

忠盛は竹光を差こと元祖也

吉廣をさして忠盛おちを取り

組留て見て忠盛はべらぼうめ

重代のゆづりものにはぬかぬ太刀

清盛は異見いはるる年でなし

清盛は師の為に迷はされ

清盛は師を閨に安置する

清盛も其日に夜食二度くらひ

病気までおごりがましい火のやまひ

清盛は末期に水をあびるなり

清盛も時疫だらふと初手はいひ

清盛は初手は瘧りだなどといひ

清盛の医者は裸で脈を取り

清盛の医者脉を見て焼けどをし

清盛の幽霊不動かとおもひ

清盛入道朝日をばまねきかね

清盛の護符に纒書いてやり

始皇からみれば清盛小僧なり

前表は清盛水を呑んで見せ

三年忌ぎりで清盛無縁なり

伊勢武者としては清盛大気なり

かん病に佛御前は手がほめき

湯に這入る時清盛はジユウといひ

月を招くと清盛ははれ病

後家もをどり子も入道しめる也

千人に一人の後家を入道しめ

一門は水清盛は火でほろび

三人が悟り入道肌寒し

入道の相談相手次男なり

入道の前へ障子をもつて出る

入道のふ埒常磐津囲つとく

入道にあつちへ行けと勅り

入道は冷へた女を〱と

入道は真水を呑んで先へ死に

入道の涎れ源氏のこやしなり

さすがの入道傘屋を知らず

傘屋の娘むね姫と付く所

分別の外に入道子を助け

禿が来ては入道へ耳こすり

鹿ケ谷みんなが道を変へて来る

掃溜へ鶴の下りたは小松殿

ほんとうに紙を破るが小松殿

若死をしあてた人は小松殿

賢者のためし千代もひく小松殿

曲り木に似ぬ真直な小松どの

異国から納豆を貰ふ小松殿

小松殿一人後悔先に立ち

小松殿以後一門は海のもの

小松殿よい仕舞だと舟でいひ

小松どのしやじんもののみかり也

小松では森のしげらぬ筈の事

餅の皮むかぬは小松殿ばかり

汐風にもまれぬ先に小松枯れ

日本の小松のしげる育王山

育王山小松三千両がうえ

育王山おしひ旦那の跡がたへ

今見ろよとは重盛が云ひ始め

唐の寺和の賢人が一旦那

御一門見抜いたやうな銭遣ひ

平家をば三千両で明渡し

伊勢平の息子三千両がどら

祠堂金見ては内大臣でなし

育王山和尚押し込み案じられ

案のぢやう日本であとのとひてなし

重盛は水にも火にも縁がなし

重盛は元手を入れて死にたがり

安産の筈やすよりを先づ赦るし

やすよりは御産に至極よい名なり

だだつ子のやうに俊實だだをこね

足摺りは鬼界手釣りは佃島

瓶子わつたといふうちに尻がわれ

六波羅にいけまじ〱と池殿は

琴箱をさきへよこして祇王祇女

母親は祇王が供に連れ始め

祇女が母遣手のやうな口を聞き

六波羅へ番狂はせの佛が来

六波羅は佛が出来て尼二人

たらちねの為にはらからおどるなり

押売の芸子に祇王祇女押され

加賀骨を開き西八条で舞ひ

草深い所に二人いい娘

加賀絹のゆもじに祇王祇女押され

祇王祇女田舎娘におつぺされ

名もあろふのにばち當りめと祇王

祇女が出た頭で障子を張かへる

嵯峨やうで障子に一首書いて行き

おのし若したれはせぬかと祇女が母

佛在世悟りを開く祇王祇女

祇王祇女世を味気なく鍋ゆづけ

佛在世祇王と祇女は尼に成

ころび芸者のしゆりやう祇王祇女也

祇王祇女廂の下へつき出され

移り気な坊主と嵯峨で悪くいひ

六波羅に三人揃ふ女の気

後家が来て踊り子みんな嵯峨へ逃げ

此比は後家ぐるひだと嵯峨でいい

さがのおく能いしんあまが二三人

世話人も西八条はこり〱し

佛といあはれた妾一人なり

舞ひあふぎ毛うけに遣ふ嵯峨のおく

對に咲く花も仏にへだてられ

尼となる佛も元は凡婦なり

王も佛もいい後家に見かへられ

嵯峨のおく姦しくない女連

相国へ出る前佛二度おろし

秋と見て嵯峨へ扇の手まですて

滅亡のきざし佛をはふり出し

いよ佛さまと入道誉め給ひ

佛とはいへど清盛次第なり

佛御前はけころかとむごいやつ

鏡をふくのが佛御前上手

子の為に常盤小便組となり

常盤は子のため常磐津は親のため

ぎり〱の所で常盤色をかへ

源平に咲いて貞女の名をのこし

白を緋にかさね三人子をそだて

枝や葉をあばつて常盤落るなり

よしともとおれとはどうだなどとぬき

ひさしをかしたらおもやを常盤取

寿永迄常盤を笑ふ嵯峨の麀庵

 いの智慧で源氏の世にかへし

六波羅の禿いひつけ口がすぎ

梅を持つ禿洛中かぎあるき

みそをお捨てて白旗を染め直し

じやうかいは常盤の方へ付けたい名

搦手へ摘草に出る白拍子

實検を見て寝そびれる白拍子

抓めるにとすき局を揮す白拍子

近所から来たとは見へぬ白拍子

陣太鼓うたせて見なと白びやうし

足本のわるいは今の白拍子

降参の顔を慰む白拍子

白拍子手柄をしなと着せてやり

白拍子毘沙さんへなどとさし

白拍子旗色を見てついと立ち

白拍子寺まいりするふうでなし

白拍子赤膏薬をのべて遣り

白拍子口説のあとで和睦をし

白拍子とは間拍子のいい女

白拍子あほうらしいと四五枝見

白拍子どぶつか舞ふと雨がふり

白拍子功名沙汰に無心文

白びやうし今も吉野へすてて堀

白拍子後世を願ふ風ウでなし

ふみ箱をもち官軍の陣へ来る

数十騎をばち一本であひしらひ

踏付る足に思ひの白拍子

陣羽織着ておかしがる白拍子

大将の膝へ遠慮も白拍子

色がさめ黒染と成る白拍子

白拍子具足の中へ脱ちらし

磯の禅師が附て来て二分ン取

福原の後チかたつみへつれ申し

伊勢平治にしては築島は大気

築島はげに入道の疵に玉

宮島は栄華の夢のさめのこり

いつく島おごりの内の疵の玉

厳島年季を切って守になり

安芸守時分は至極信者也

いつくしま今ぞうえいもあきの守

宗盛も親父に着物ねだられる

拝殿をかい込んで出る安芸守

さすがの入道傘屋を知らず

宗盛が実父家名は六郎兵衛

二十年たつて張替へたのが知れ

宗盛とつけてお里がしれる也

六はらははりかへ傘のやふれ口

入水しようより傘張る方がまし

張替の傘六波羅で破れ出し

傘にしてもむねもりではいけず

毛せんの上から熊野は晦乞ひ

ゆや御ぜんなが居をすると水をのみ

仕合せは宗盛おろく不仕合

熊野御前見抜た様に隙を取り

だまかしていけぬと熊野もたれる所

月毛にのつてきつとした文使

仲国はなか〱野暮でない男

琴の音にひくりとおりる文使

月毛の駒で仲国は乗り出し

どう〱といつて仲国笛を出し

はてなと仲国口びるをなめて息

コロ果なリンははあシヤンここだはへ

たそやこのと弾けば仲国戸をたたき

十三夜だと仲国は栗毛なり

さがしましたと仲国馬を下り

琴を聞き〱馬栖杓へ月を汲み

驚き給ふな仲国めで御座る

松のねを竹で尋ねるさがの奥

嵯峨やうの返事仲国持って居る

仲国は西八条へぶしゆびなり

馬の屁にぶつくり小督琴をやめ

盛遠は首代に剃る元祖なり

渡し舟わたる思ひのけさ御前

文覚は一杯喰つた坊主なり

盛遠は元子失ふ事をする

盛遠は袈裟を殺して衣を着

けさを見てから盛遠はしゆつけする

朝飯をくふやうな名はけさ御前

たたまれる袈裟ねがへりをしては待ち

袈裟を手にかけて夫から法體し

手にかけた袈裟を涙で首にかけ

けさがけに遠藤武者は切る所

袈裟がなく成りて衣が二人出来

盛遠が煩悩は是そくぼだい

美しい袈裟で黒塗二人出来

恋で世をすて荒行で世にひツつき

那智の瀧袈裟のよごれを洗つてる

袈裟をうち我身をうつは那智の瀧

二童士が出ぬと文覚土左衛門

文覚の屁は水玉と混乱し

瀧壺を出て大内へどなりこみ

水行の坊主御所までどなりこみ

おんがくを文覚どなりつぶす也

文覚は雲井の曲をなりつぶし

音楽の中へもんがくあばれこみ

さて強いぱつち坊主と御所騒ぎ

満仲の息子は美しひをんな

満仲といへど子供にあまくなし

満仲は子にあまさうな名なれども

いい手で満仲は新發意になり

基経公の惣領は不出来也

「付記」大江山並前九年、後三年役の史談川柳

弓づえでこれ頼光よ〱

頼光はおきると弓を引いて見る

頼光は女の夢を一度見る

頼光の弓の師匠は他人なり

頼光の武具あらましはもらいもの

頼光へ出たはささがにどこでなし

頼光の寝間のささがにおつかなし

頼光でないともうぞう見る所ロ

人をえらんでばけものはおぶツさり

頼光に仇大臣に糸をひき

蜘蛛の糸だらけて戻る四天王

おそろしいわらは頼光二タ人しめ

君ねらふ鬼は野牛の腹ごもり

ひどくしばつた反ときどう腹を立て

頼光はかはつた物に見こまれる

市原野角ぐむ蘆に鬼薊

頼光を伯父イといつて御意に入り

金太郎わるくそだつと鬼になり

金時は母にはきつくぶさた也

金時は峩々たる道が上手なり

金時を峩々たる道で遊ばせる

金時の親類書に山の神

金時は親類書にこまる也

金時は鬼が出ないとねかしもの

頼光公の上意だぞ山姥

三人はせうぢ金時おらアいや

金時が行きそうな所らしやう門

金時の系図はたつた一くだり

あからが好きさと山うば綱へいひ

熊こい〱と山姥ハしいをやり

頼光が来ぬと角力にするところ

まつかながきがおりますと綱はいひ

山姥はくひつく程の鬼でなし

其当座母より熊を恋しがり

足柄の奥で頼光金をほり

足柄で頼光無宿召抱へ

魚籃近所かと頼光聞き給ひ

見せ物にするならいやと坂田いい

まさかりとどてら一つで抱へられ

足柄は故郷手柄は丹波也

山姥は成ツて父なぎ子をそだて

おちが山姥とはよほどうんでの名

貞光はわんぼうぬけもした男

四天王わたなべ斗紋が知れ

氏神も一人は知れた四天王

保昌の門トにしばらく紙のぼり

保昌を江戸言葉にてやりこめる

保昌も袴のくせはなほしかね

保昌は九条あたりへ迎ひに出

御手に逢ふなと保昌は異見する

笛の音に袴はひやりひいやひや

袴垂たたんでしまふ心もち

袴垂或夜は屎に角盥

盗人の兄嫁歌が上手なり

小舅の袴に式部度々こまり

小式部が緋の袴までぬすみ出し

洛中で丹後の袴うるさがり

雷の屋根へ渡辺とんと落ち

掛取の鬼戻り橋わたるなり

腕をひつさげて北野の社内出る

その時分八条までは人どをり

東寺の門番いくらでもいやといひ

東寺の門番その頃くりへ寝る

東寺のあたりを放馬〱

一しきり東寺をむごくさびれさせ

渡辺氏のおかげでと東寺いい

江戸ものが九条通りの道をあけ

江戸ツ子にしてはと綱はほめられる

口程のことは渡辺して来たり

札を見に九条通りをどうろどろ

金札を立てたばんから人通り

羅生門綱おれが行くべいといひ

らしやう門おにまでかたわものになり

らせうもんむかしかたわの居た所

羅生門胴がねの有るうでを出し

鬼のうでとりにともべ屋からぬける

渡辺は片腕になる家来也

只今かへりましたとうでを持参

文箱と腕頼光の前へ出し

渡辺はてもちふさたでなくかへり

是れでかうつかみましたと綱はなし

大江山出見世の亭主ふりよのけが

手鼻をば茨木童子かみはじめ

茨木はのびを一本半分し

腕づくで取られず伯母に成て取り

部屋がたへ来るいばらきは伯母に化

茨木も伯母になるまで片手業

茨木は聲えを絞つて元直にし

渡辺のをばは左に杖をつき

ふところ手したのに綱は気がつかず

ものいみで守護する鬼のきれつぱし

伯母酒のめ〱と来る甥の鬼

甥の殿などとかうべる綱の伯母

綱が伯母見しやれ〱と角めだち

ああもにるものかと綱はくやしがり

ヤレソレといふうち破風をけやぶられ

破風のそと黒雲じつと待つている

弓手には外科をさぐつて大江山

茨木も足だとああは逃げられず

金時が行クといばらき切られぞん

さては手事と渡辺は悔しがり

腕づくで参らぬ事と綱はいひ

破風をにらんで 師を綱はよび

三人へ面目ないと破風をやめ

石で手をつめたは綱がはじめ也

渡辺は初めて粗相つかまつり

つなよりも角仲間では伯母をほめ

京の鬼さたを大津で買って来る

四天王腕を返して首をとり

四天王金綱杖でいがをむき

四天王となりへさして舌を出し

四天王血にまじはつて人を喰

気さしにおしもんで見る四天王

頼光は煎豆などを用意させ

頼光を初め梢へ小便し

此女ひがわるいなと四天王

洗濯で留守かとおもふ四天王

鬼は留守かと洗濯へ綱は聞き

大江山捨子のとうろへたのむ也

大江山くらいものからつけ込まれ

大江山座敷歩きも鉄の棒

大江山灸のないのを客へ出し

大江山美しいのを喰ひ残し

鮫肌をかまぼこにする大江山

わる樽をいれてあばれる大江山

おにしめに酒をもつてくる大江山

口ごたへだが格別な大江山

 ぬのは七福神と大江山

祭文を肴にのぞむ大江山

さいもんをかたらツしやいと童子いひ

頼光も鬼が下戸ならどうだろう

疑ひのはるるは大江山の留守

さいもんをこのまれ四天王こまり

手や足で強ひられたのは四天王

頼光は一ト切れやつとうのみにし

二三ばいのむといばらぎづつうがし

いばらきも見たやうたとハ思へども

まんじゆうの子が酒呑をぶつつぶし

鬼の手を互ひに出して酒を飲み

主従の兜歯のあと爪のあと

上腮へ鬼鍬形のとげをたて

四天王始て人の味を知り

四天王首実検に角をもち

退治してから足弱の連がふえ

金時はくはへ煙草で角をもぎ

鬼殺し頼光時分からの酒

赤鬼は一盃過てしろく成り

渡辺はうかつなものと御諚あり

山入はにたり四人つよい人

鬼の住む国は栗まで不幸也

栗の出る国に大きなわらはすみ

前九年元は女房の出入なり

頼義は振舞水の元祖なり

京淡が十四どさあ十七字

頼義は又出直して叩き合い

前九年ひつぱり合て一首よみ

衣川敵と味方で一首出来

下の句は京だん上ミどさあなり

貞任は質屋が貸かぬ歌をよみ

引つぱつて居てほころびを半首ぬひ

ほころびる命を歌でぬひなほし

鼬なら最後屁の場を年をへし

ふせぐ矢もつきて一首つぎあはせ

年をへし糸のみだれでかさぬなり

兄よりも弟は十四多いなり

兄弟で四十八字の歌をよみ

ほころびと梅で兄弟落をとり

弟へ兄の花出しはぢをかき

名将と勇士綻び縫合せ

当意即妙ほころびと梅の花

山吹と逢ひ見事な梅の花

生捕へ大宮人の口が過ぎ

梅花を折て武士へ出し恥をかき

諸卿の中でさし出たが梅を出し

あべこべな歌は入らざる梅を出し

あべこべさ公家衆を歌でいひこめる

関東べいをなぶらんと公卿出る

梅の花出した公家衆手前遠慮

はじかいた公家は梅ぞの中なごん

五の花とでもいふずろと公家思ひ

梅の花公家衆が持て出てなあに

やつぱり梅といふそうで公家てれる

我国の梅の花にてはりこまれ

そりやアはアともいふべきを我国の

国柄で宗任梅をはなにかけ

白梅を出して赤恥かかせられ

梅の花大宮人は紅葉なり

宗任が生捕られたは春と知れ

一枚のなぞに夷も名を咲かせ

文と武の梅でもののふ名がたかし

京だんとださあで九年いじり合い

前九年年賦のやうに首を取り

前九年ぐそくのいしやうはつとなり

前九年後家にせぬのがみやげ也

是でもう二りやう着切ると前九年

具足のつくろひはと歩く前九年

緋威しも柿色となる前九年

さあ登るべえと頼義はほねがをれ

鎧をは目ざしにしたる御弓勢

諸事前の通りとふれる後三年

雑兵は又来ましたと後三年

いけぶといやつと又行く後三年

九年の元入れ利を見るは後三年

松島を二度見物の後三年

後三年とう〱こすい方がかち

後三年めだつた手がら権五郎

目に立つ疵はかまむらの権五郎

一目まけとりかへす権五郎

血眼になつて景政おつかける

権五郎浮絵のやうに城が見へ

権五郎目ざす敵は弥三郎

和らかな石を持てる弥三郎

鳥の海きりを通して逃げて行き

案内が知れて六年早く勝ち

目に立矢取らずに敵鳥の海

柚とももなるほどかかる軍也

前後の軍さ柚もなり桃も生り

松島に人ツ子もなし十二年

塩釜の煙たえだえ十二年

前後十二年風景どこでなし

十二年あつたら萩はむだを咲き

前後十二年干戈をましへたり

神田柳原の柳数は昔七百二本有りけるが此頃二百八十四本となれりと

柳原塀へ掛物かけて置き

柳原幕がおそいと石を投げ

柳原樽をちよと〱捨て逃げ

柳原夜もばくもの売る所

柳原七分通りは蔵がたち

柳原めくらをばかすところ也

柳原竹田のやうに日がくれる

柳原をんなじ軒をならべてる

流れの末の昼夜出る柳原

泥棒に見せてもといふ柳原

おつとつてさされますると柳原

隣から一番来いと柳原

諷をば無言で通す柳原

かいとりで五十まけろと柳原

湯島から黒くしくるる柳原

土手の噺しすれば見に行柳原

柳原となりから碁に助言ンする

両側で小便をする柳原

ながれのしえのちうや出る柳原

ふんどしが訥子に化る柳原

柳原四入り目にはさしへさし

松永貞徳百回忌  貞徳は幼名勝熊少壮薙髪して松友又逍遥軒と号す、松永僤正久秀の庶子なり、細川玄旨法印に従って和歌連歌を学び其の精微を得殊に父の志を承て連歌を法眼紹巴に交い始めて式を連歌に取り格を俳諧に定め御傘を編集す、晩年髻を束ねて童服を着し自ら呼んで延陀丸又長頭丸と云い始め、三條大路に住し後五條松原の北東洞院の東に移り賜號に因て居を花咲舎と号す、承応二年癸巳年十一月十五日八十三歳を以て没す、洛南上鳥羽村実相寺に葬る、辞世

露の命きゆる衣の玉梯子

笱ふたたびうけぬ御法ならなむ

 

新著聞集十八冊梓行せらる

俳諧武玉川三編四編(紀逸)・眉斧目録初編続編(湖十)・新石なとり(湖十)・一丁墨(寥和)・風狂文草(支水)

 

 

一七五三年      

宝暦三癸酉年 三十六歳

 

山本北山生

高山彦九郎正之生

喜多川歌麿生

鳥山豊章生

十二月十四日石川六樹園生 

狂歌堂眞顔生 牛門 狂歌四天王の随一人と称せらる

松平雪川生 川と云う字の羽織名あるたいこ持着ざるはなしとうたわれたる通人、松平不昧侯の舎弟なり

 

正月十二日阿部友之進将翁没年百四

三月七日堀正蔵南湖没年七十

四月十六日多胡山没年七十四

四月二十六日吉田弥一没年三十二

五月十二日松崎尭欄没年七十二

六月二十一日立羽不角没年九十二 築地本願寺中浄勝院に葬る、松月堂・虚雲齋・虚々齋・南々舎・千翁の號あり、不ト門、江戸の人、古今独歩の宗匠、法極より法眼に昇進す、前妻と死別せし時に

五月雨や何やら足らぬ家の内

辞世の句あり

空蝉はもとのはたかに戻りけり

七月十六日吉住小三郎喜鳳没年五十五 六代目杵屋喜三郎門人

七月二十四日矢野恒齋没

八月二十一日書家平林惇信没年五十八

八月二十五日彭城百川没年五十六

九月十日奥村宗栄没年五十七

九月二日津山松香没年五十一

九月十九日月光院尼薨年六十八

十月八日植田蟠龍没年五十一

十一月十三日宮川長春没年七十一

中山小十郎没年四十九

 

二月「医師は本科を研精せしめ雑科を兼ることを許さす」と達せらる

御てんやくちんぴも安く見へぬ也

御てんやく逃げると跡は浪の音

御てんいのそばでかんどうゆるすなり

医者衆はじせいをほめて立れたり

いしやとなつてじやうふだんおこされる

医者殿が見切るとくつわからつかせ

いしやの供一尺ほどうそをさし

藪医者は浅黄鴨などつれてくる

御殿医の薬淋夢火へくべる

いしやの山二つ一つの玄関なり

医者へ脈はしたに見せるりびやう病

医者の門ほと〱打つはただの用

いしやの駕先でしよしなを一人する

代脈はけつくちんぷんかんをいふ

振袖を四人リつれる流行医者

御玄関を淋しく出るが町医者なり

この村の名医で箱をかつがせる

御てん医者鈴をならして笑はせる

けつしてよ〱とて医者かへり

いしや迎ひ少しこごんで先へたち

春まけは医者の手ぎはにいけぬ也

いしやがはなれるとぬき身を持てかけ

とどめをば余人にわたす叱加減

門に馬たえぬがむらのはやりいしや

よみかけをいしやはたたんでかごを出る

医者の隣で行ふしはむだに起

でござりませふと御医者にいこ〱

医者衆火動をおつしやると女房いい

医者が見放すと天狗をよばる也

のびあくび帰ると医者は乗ツて出る

もりあてた医者はほどなく痛入り

それは気の毒と道から医者かへり

まき羽織ほぐしていしやは駕を出る

変といふ逃道医者はあけて置き

駕へは無點假名づきは内で讀み

唐本はかごにのる時斗りいれ

気の毒さ医者へ使ひが二人来る

気のどくさもちやのみせへいしやを呼

玄関にあくびをさせる匕加減

やうだいを十分きくと膝を立て

うはごとを笑つていしやに叱られる

医者どのは女房が立つといけんいひ

田舎医者へびを出したで名が高し

よそでへりますと内儀はいしやへいひ

しよくしやうの医者はゆかたに羽織也

能い後家が出来ると咄す医者仲間

やうだいをいひ〱女房いつ付る

はやり医者やうじをもつてかごにのり

はやりいしや手紙を持てかごに乗り

半ごろしにして逃げるはやりいしや

はやりいしやひたいのはえた供をつれ

絞殺されますとはやり医者はいひ

はやりいしやのり物ぞしやう二三人

駕わきのおしこんで行くはやり医者

じゆくすいの玄関にたえぬはやり医者

はやり医者乗てにげるでひんがよし

其こつがらはあつぱれな医者とみえ

下手そうな医者葬礼へみ取る也

時花医者湯屋で願ふが二三人

時行医者おんなじたちが十九人

一重はぶきひな医者の薬箱

いそがしい医者危に近づかず

はやり医者壱人リ殺すと二人りふへ

はやり医者すでに無刀で出る所

はやりいしやお月番ほどためる也

時花医者山椒をもるのいそがしさ

病人を取寄せて見るはやりいしや

寝た人をさじでおこすではやる也○

ふんどしへ脇指をさす医者の供

薬箱初にもたせてふりかへり

薬箱むかふのさなだ取てやり

くすり箱出ると居眠ひとりへり

はやりいしや両手をかごのふちへかけ

薬箱いかして持つはわたり者

薬箱あつたかそうにしまわれる

きざ〱の有るえりで持つくすり箱

つつかけに先ツ医者格がはきき也

死ぬ迄はやたら請合はやりいしや

いしやは医者だが薬箱持たぬ也

はやり医者一かたまりに睡らせる

玄関で腹をたたせる時花リ医者

はやる医者壱ツの疵は藪にらめ

匕で天窓をかきながら又殺し

上手にも下手にも村の一人医者

田舎医者師使ひは来たり馬に鞍

御局の女いしやとはすまぬ事

金包医者は上から脈を引き

大笑ひ竹の子笠を医者かぶり

藪医者のかげて念仏講を取り

藪いしやの余人へといふかるい事

命をぢんかいのごとくやぶいもり

ころしたもよこせば藪医よい仕事

節句前藪医四百と二百とり

ふところの当にならぬは藪医也

藪医にかうの物で茶漬を喰せ

政宗をかいこみ藪医かけ廻り

おまかせなされと藪医のこわい事

藪いしやのとくはにげるが目立たず

藪医そのくせうるさく多言也

やぶいしやは一人リいかすと二人しに

やぶ医者へ金百ぴきは月行事

くわくらんと藪医見たてるうるしかき

藪医者の先へかな棒引いて来る

ひいきよさと藪医見たてる信濃もの

雪の晩鰒だんべいと藪医おき

せつからいやつ藪医者にかけてみる

藪いしやのはいつた家にさつき立ち

藪いしやはうきめをみせて世をわたり

やぶいしやのともは遠方より来たる

半ごろしにしてよじんへとやぶいしや

とものいしやもりころしたに相違なし

藪いしやへ自身に薬とりが来る

しやうかんとやび医見たてる狐つき

藪医者へこもから脈を出して見せ

禮もせぬくせに藪医のなんのかの

出ませねば知れぬと藪医疱瘡子

分散にちんばをいしやへおつ付る

直助を出して佐内を藪医置き

藪にも功の者仮病を直し

薬取藪医女房が出て渡し

みんな見放に藪医の頼母しさ

藪医者の玄関四ツ目の狆が居ル

藪医者は肩先へ着た紋所

一思案ありと藪医者こわい事

人の命の惜気なく藪医もり

あとで三朱の礼ありと藪医しやれ

藪医者は匕より口がよくまはり

外科医者を祭の形リで呼びに行

外科殿の豚は死に身で飼はれて居

御かん状外科の出て行く跡へ来る

まきじたてやうだいをいふげぐわの前

其気をおだしなさるなと外科はいひ

かわづとも出るとは外科の座敷なり

女房はそれ見なさいと外科を呼び

げくわの子の本道に成るおくびやうさ

外科の子の本道に成る奇麗好キ

外科の供とかくいさいを聞たがり

見せた外科見ると内儀は逃る也

あたらしいふんどしをして外科へ行き

げくわの弟子だれぞ切られろがして居る

げくわの戸をほと〱たたくうしろ疵

外科へいさぎよく行く向ふきず

外科の戸はせハしく斗りたたかれる

気の毒さ外科の息子の鼻が落

外科の名を聞に帰てしかられる

外科の玄関に廣袖の薬取

外科の前へきり口上でまくる也

げくわの箱小ぞうなんだかなめたがり

よみかけをいしやはたたんでかごを出る

なおらねへ病は無いとぎばはいひ

内イ濟をしてだきもりを外科にかけ

日の出の下手医者にかかり掛人

くどかれるやうに花嫁脉をみせ

小児いしや坊や〱とにじり寄り

小児いしや常の熱とは違ひます

小児いしや口をすつぱく脉を取

小児いしや赤い紙燭でおくられる

小児いしやさじをとられて手をかさね

小児いしや一つのきずはこわい顔

小児いしやあふきでたたきながら立ち

小児いしや虎の脉などとつて見せ

小児いしや無駄な脉からとつて見せ

小児いしや脉を追つかけ追ひまはし

大道でみやくをみている小児いしや

大あばた小児医者とはふりやうけん

どうしたか娘いやみな医者といひ

哀ほいものは眼医者の玄関也

見まはして目医者の叱る唐辛子

藪針医げにも藪蚊のさす如し

舟玉の上まで針医撫おろし

かの事がもふよいぞやと小児いしや

倒れものおととひ剃つた医者にかけ

代脉はわかとうで来た男なり

代脉は何をこいつの気で見せる

まんぢうをいしやに持たせて追廻し

代みやくが来たていまさら引つこませ

代脉こたへて生死は天に有

代脉はあんまり口をきき過る

代脉へ片腹いたくみせる也

代脉の因果とけふは不出来なり

代脉はやんまを追ツた小僧なり

なんぞ聞こうかと代脉くろう也

あざわらひながら出て代脉に逢ひ

ひまな時ちんぴをきざむ玄関番

節句前藪医十足二十疋

もの申に藪医あわててけつまづき

まかりとをこすと藪医はひつぱしより

やぶ医しやの寝言どうれと二ツいい○

薬箱持せて嫁の下見に来

大脉に聞ば薬とめしばかり

仮名遣ひ医者と石屋の門違ひ

俄医者もしもの為になでになり

本草で金のなる木を医者たづね

過ぎたるは医者の匕にも及ばざる

医者どのはけつくうどんで引かぶり

こいつめがわざをいたすと針医云

いたづらじやないかとやぶいおきるなり

おやわんで喰てていしやにしかられる

ぐしやもせんりよとやぶいしやにかけて見る

大吉を取てやふいしやよびに行き

いい間合外科おくり膳ふるまハれ

藪こうじいしやの住むにはわるい所

うぃしい事よしざねげくわにこける筈

十五日天竺のいしや匕をなげ

はづかしさいしやへ鰹の値が知れる

ほうばいがいしやの娘で事にせず

本草の通り代みやくしやべる也

後家を栫へるが藪医上手也

法眼をまたせて四ツ五ツける

そいでとりますとげくわ殿平気也

御子息へ御近付にと外科はしやれ

しわいやつ一家が寄て医者にかけ

はいほうを大きくいへとはやりいしや

さし引は閻魔も困る医者の罪

よくはやるいしや薬も風引かず

のうれんをいしやは扇ですくひ上げ

りんじゆをほめ〱薬礼受け納め

見所が御座るとやぶ医四ふくもり

一トあんござるよとやぶいこわい事

仮病を藪医者本の物にする

あかんべいさせて目医者は療治する

天井を物置にするいしやの内

モツてみたけど薬を頼れず

がくもんが無うて仲人上手なり

正草の御まんだらだとやふい出し

目と鼻のあひに町医者ひらき門

耆婆るらば知らずと藪医過言也

代やくの内は鳥のえすつて居る

それに又子守めらかとはやりいしや

鈴の音を留めて法眼匕をとり

しかたなくみな板にするはやりいしや

本草盲目といふ書藪医持

はやり医者近所で頼むものでなし

柿こづきを聞ていしやにしかられる

さじの元でえりをかき〱かげんする

脉をみるそばに四角な絹の羽織

雪の薬とり引かへしてことはり

針仕事医者のするのはおそろしひ

針医よくがまんして手をやらずに居

衝立の月の景たに薬取

くすり箱素人の持つはきう病気

病人のみんな見て置く医者のくせ

余所で減りますと内儀医者へいひ

竹の子にあたると藪医呼にやり

いろ〱の居ざまは外科の玄関也

藪医の年功やくどくを能く覚え

薩摩芋のやうなに外科手を尽し

法眼の馬上でくすり取り

むだ骨を医者にをらせる美しさ

時に半礼医者殿にがひ顔

呼びこんで何を喰ツたといしやは聞

匕などで喰へる物かと口入する

いんふと見えますとはりい口ばしり

捨薬一ツぷく置て耆婆帰り

四まい肩異香薫じてもり殺し

幸運は藪から棒も長くなり

百八をいしやおツことしぶツこわし

あれ今湯へうしやアがらと薬とり

法げんが四五丁行クと信女なり

気つけ針たてられるまでくどく也

代脉のチト見直ほした晩に死に

是におりますと代ミやくやすくされ

蛤のひへたをくつていしやをよび

代ミやくはかへるとえさの鉢を出し

看病が美しいので匙を投げ

女房をいたみ入らせていしやかへり

俄医者三丁目にて見た男

気を付て進ぜられまし元だろう

証文をしまつてけくわははりを出し

こていしやの玄関へみんなそそうもの

げくわでなし本屋で無シふらち也

御てんいのかこをおしのけどらは入り

馬島での近づきならばうろ覚え

黒鴨をつれたで医者の安く成り

いしやのかご兄キでしや品を壱人する

もうぞうを相見したといしやにいい

えちせんだけにしにくいとげくわはいい

よふたい書キにねこなどをじやらし候

天徳寺おんむくじつて藪医見る

穴市の助言しに行く医者の供

六尺にまで馳走する念ばらし

薬箱一皮むくと江戸の気

薬箱きか内といふやつがもち

渡守一さほもとすくすり箱

駕の者おろして願ふこし薬

現在の親のかたきに五分禮

薬禮のときはこつちのさじ加減

薬禮のしかたにこまる二三ぶく

薬禮に出した金斗十九両

薬禮をふぐの小言でつつむなり

調合は出来てもうかと渡さない

調合をしてもめつたに持つて出ず

調合がさつそく出来た夢を見る

調合しさておはなしの縁女の儀

薬とり出来て一ぷくふみつぶし

薬とり甘草くつてしかられる

薬とりきのふ余つた噺をし

くすり取とう〱とけぬはんじもの

薬取やつぴし犬に手をもらひ

薬とりさん早ひのと渡し守

薬とり直にかへるははかまなり

薬取朝起ほどは寝へ帰り

来ると寝るものにして置薬取

寝ているは第一番の薬取り

壱番に来るか奈良屋の薬取

まだ御呼出しはないかと薬とり

今死ねば嫁が浮ぶと薬取り

おらがのは年季を持つと薬とり

おめかけの親元薬とりも来ず

のびの手で直に受取くすりばこ

三月身延山祖師開帳出迎ひ甚だ盛なりしと開帳の出迎ひ此頃より始まる

日蓮はかきとぶどうにあき給ひ

日蓮もほうの髭をば抜て置き

日蓮はふしきにえをくに病ず

もちつとの事で日蓮片月見

由比ヶ浜すでに一宗たえる所

虎の口のがれたまひし龍の口

龍の口虎口の難も法の徳

上人は太刀のをれたも振向ず

太刀とりのしやめん状きくばからしさ

赦免状首に合イ釘した心

経文を八つに分けてうりひろめ

御生国寺の名までたん生寺

出現は湊迁化は池の上

なべの中からきやうをよむ声がする

日親は御なん築广ははつかしい

かむるとは築广祭りのやうな僧

さかさまな題目講を八百やとり

堅法華橘町へ転宅し

宗旨講耳と首とに数珠をかけ

宗旨講どれが負けても釈迦の恥

五月芝居にて曽我祭始まる

按ずるに江戸歌舞妓二三冶作の「紙屑籠」に宝暦六年の名題に、梅花二葉曽我のときはじめて市村羽左衛門にて曽我祭をとり行ふ後に天明元丑年五月二十八日に同座にて二度め相勤る今三座にて祭礼あり

有かたや橘さかふ曽我祭  邑洲亭

             古 家橘

神まつる皐月を曽我の世界哉

             狂言作家

             左文

曽我まつりは近年の物にして天明の頃宝暦を始とすれば初代櫻田の時代にて考ふべし云々又「劇場新話」の芝居年中行事の項中に抑此曽我祭りを舞台にて執行ふ始まりは宝暦六年市村座にをいて春狂言大名題梅若菜二葉曽我并大踊り三日酒盛附り男色吉原踊り云々と記しありて其の始まりは宝暦三年にはあらず六年なるが如し尚考究を要す

曽我祭するから芝居金がなし

奥は花お部屋は曽我のねだり言

降るとつてこまるものかと曽我を見る

月参の宵顔見世や曽我をはり

顔見世のむすめは曽我に嫁で来る

曽我の後又寝下りのひがし山

玉屋のあげ初め曽我のまつり

宮芝居如何にも曽我が貧に見え

宮芝居百石ほどの工藤が出

顔見世のお供はみんな づよし

顔見世が見たいち云つて舌を出し

顔見世と見える女中のあるきつき

顔見世のくじに腰元信をとり

顔見世の木戸に番首さかさなり

顔見世のさたに出つきん二三人

顔見世に顔を見せぬは馬の脚

顔見世へ旅立のある乱がしさ

顔見世の留守居着かへておこされる

顔見世のかへり近所のらんがしさ

二タ月かかつて顔見せ見てかへり

朝霧で櫓の見えぬ時分行き

桟敷のはどれも跡月結ふた髪

霜月の化粧十月髪を結ひ

霜月の朔日丸は茶屋でのみ

霜月はしあんのいらぬ橋になり

是からは行く斗りぢやと櫛はらひ

椰死の葉を芝居の留守に掃出され

八百五町常禮の晦日なり

神は帰らせ玉ひけり三番叟

神〱の御帰り んで幕が明き

御講の前に面白く一度着る

御講へも余程引けると木戸でいひ

 

来た〱と二度に隠れる椎の蔭

椎の木の根へおつかけて弓を張り

椎の木蔭に待駒はつて置き

覗かつしやるなと大見八幡を呵り

うよひよを置き椎の木の下で死に

髪置と袴着を置き河津死に

しいの木を祝ふ頼政恨む曽我

かはづの三郎大いそすけん也

椎の木を曽我ではうらみ猪牙でほめ

河津の三郎素見にはいい名也

茶のみ友達で祐信苦労する

蟇ケ谷あたり河津のやしきあと

由井ケ濱びくり〱とさせた所

敷皮の上まではまだ此世なり

仕合な事と敷がわ引ツたてる

ころり行くところへ馬がかけつける

ひツきやうが箱根へやるも口へらし

箱王が両のたもとに蝉の聲

赤はらを釣て箱王呵られる

色直し箱王乳をのみたがり

一萬箱王貧乏な名でなし

貧乏も曽我ほどすれば名が高し

鬼の目になみだをながす曽我のひん

官金を日向勾当曽我へ貸し

どりや曽我へ行ふと座頭二三人

そがの代にいぢめた座頭うづめられ

時致が留守をねらつて催促し

質草は逆澤潟が始めなり

しちやで能しつて居るよろい二りやう

紋かさかさよと鎌倉の質屋いひ

兄弟の質朝比奈が迓てやり

奉加帳曽我の老母が附はじめ

手にあまる所で河津の位牌が出

鬼の王でも怨取にせめられる

朝比奈の家で兄弟年をとり

宵立があると祐成呼にやり

十郎は度々虎の皮をはぎ

虎の巻さと祐成は封を切り

鬼王の虎御前のと分にすぎ

兄弟は相模女にくらひ込み

相州に有べきはづ虎御前山

虎坊としこなして呼ぶ鶴の丸

若殿のやうには見へぬ鶴の丸

かまよりは石をこわかる鶴の丸

兄イめはねれたものだと和田がいひ

八文がのむうち五郎のつてにげ

時致はむちをかぢつて息をつき

大磯へ馬士はせい〱追て来る

鎌倉の時代ねりまの鞭を出し

大磯へどろぼ〱と馬士は来る

大磯でよう〱馬を取り返し

蝶々や千鳥に化けるかはづの子

蝶々と千鳥を鶴がひきあはせ

やわらかなぼうしですけなりくらはされ

祐なりがかげはかうしを引たくり

朝比奈は御神酒の口で髪を結ひ

なけなしの鎧朝比奈引つちぎり

まきがりがないと手ごわいかたき也

至極おんみつと和田から狩場の図

烏帽子親祖父の敵も討てといふ

祐つねは一ツかいのがれする男

祐つねは椿の花のさかりなり

けしあらぬ降り徃藤内と話し

此お玉杓子めがと工藤いひ

祐経はお玉杓子に喰ひつかれ

鬼王へ知りやる通りとかたみなし

なげなしの銭でたいまつ日本買ひ

ひどい工面で松明を二本買ひ

忍ぶには松明はちと明かる過ぎ

時鳥きき〱二人討にゆき

猪や猿またいで二人しのび込み

蝶千鳥富士の裾野をさして飛び

夜討の図蚊屋を工藤に書落し

兄弟の夜うちは紙帳目にかけず

其夜は富士の夢見る曽我の母

本望は松明で見る寝顔なり

どろ足で工藤が夜着をはねのける

たいまつで工藤が夜着は三所こげ

祐経は二度目の疵が深手なり

祐経はむしのいきにて五寸ぬき

備前ものさげて徃藤内はにげ

最後屁は徃藤内がひりはしめ

臆病を徃藤内は絵にかかれ

犬坊もかり屋に居るとやらかされ

ざつとした家で祐経うたれたり

祐経は久しいなりでうたれたり

祐つねはころばし根太のうへで死に

いのししやむじなのわきで工藤死に

公用を工藤はんとにしてうたれ

すけつねは三国一の死にどころ

兄弟の誉れ三国一の場所

祐経は今朝の御礼が晦乞ひ

ふじ川がとまり工藤はさいごなり

祐経は狩場へたつにかげがなひ

北條のかり屋ばかりはしづかなり

狸ねいりは北條のかりやなり

ふせがねをうつが工藤がかり屋也

づぶぬれに成つて兄弟わたり合ひ

大さわぎ鬼ふり袖が二三人

頼朝をはけ次手には大き過ぎ

兄弟の仕廻ひ仕ごとに大あたま

十一番目烏帽子首既での事

かりやからごうこの僧の笑つて出

五郎丸おまちなんしとだきとめる

振袖にうかと蝶々おさへられ

箱根よりこつちで化けた五郎丸

つらに似合はぬ半がけは五郎丸

めし籠を持タせて見たい五郎丸

其あした着て見て笑ふ五郎丸

ぬき足で蝶々をとる五郎丸

豆蔵の楽屋をかぶる五郎丸

見知りよいあたまは御所の五郎丸

五郎丸其後はねた沙汰もなし

其後は何のさたなし五郎丸

其後はねから沙汰なし五郎丸

月夜だと五郎なか〱とかまらず

高名をしてにくまれる五郎丸

五郎丸まいるぞかかるぞはいけず

長刀じやしよせんいかんと五郎丸

しがみつきやれこい〱と五郎丸

だきついてみなこいやいと五郎丸

五郎丸ふわりとぬいでしがみつき

時政はそれからにらむ五郎丸

五郎丸仁王の前ひあたま也

五郎丸はだかに成ると仁王めき

ぬき足で蝶を捕へる五郎丸

五郎丸きたない将棋さす男

ぞろ引て出たで時致とつかまり

時致は傘持チにいけとられ

時致は重目を振つて生捕られ

時致が二度目の太刀はとどきかね

夜が明けて狩場々々へ外科を呼び

五郎丸二十九日は気くたびれ

井戸替のやうに五郎を引出し

えぼし親曽我いつけんに口をとぢ

富士の狩虎が出たのはあはれなり

犬坊へへしにかぢわらけしかける

犬坊はかみつくやうにくやしがり

鼻にしわよせて犬坊いきどほり

六月四日犬坊は寺まいり

犬坊へそろつたばけた悔ミ来る

犬坊へ舌を出し〱くやみ也

不二祭犬坊丸は忌中なり

不二のすそびんぼう神の宮も有り

 

よし雄と祐なり忠孝の遊女かひ

五月雨に本望とげる蛙の子

兄弟は四郎と丸にしてやられ

兄弟の誉れ三国一の場所

孝で名を揚る裾野の蝶千鳥

牧狩の夜討の雨はいまだ降り

虎が雨玉屋鍵屋はもらひなき

敵討親と主とは雪と炭

其のあした仁田の小屋はねぎだらけ

うよ〱する程蛇がと仁田いひ

 

女の櫛巻と云髪の結い方浅草の茶店莫人阿六という者より始まり流行す

櫛巻にするが嫁のくづしそめ

櫛巻にわざと斗りのたがをかけ

眞實さ櫛巻で来る薬取り

櫛巻でまんぞくな目を逆づらせ

鉢巻とくし巻の中ふどうそん

深川六間堀要津寺に俤塚建つ

 

牛嶋長命寺に祇徳門人瓢笠祇はせを翁の雪月塚を建つ

 

山崎宗鑑二百回忌

宗鑑は支那氏名は範重、通称弥三郎、近江の人、初め足利義尚公の侍童たり、後尼ケ崎に関居し一休和尚に参禅す、一休寂後草庵を山崎に結ぶ、因て世人山崎を以て称す、晩年西遊の帰途讃岐金毘羅山麓に暇居し一夜庵と号す、天文二十二年癸丑年十月二日没す、享年八十九讃州豊田郡坂本村興昌寺の側一夜庵の傍に葬る(或云京都天瑞寺)、

辞世

宗鑑は何処へと人の問ふならば

     ちと用あつてあの世へと云へ

又没年に付いて諸説あり、「西讃府志」は天文五年正月二十四日没年七十二となして「滑稽太平記」は天文二十一年八十五となし「俳家大系図」は天文二十一年八十九となせり

 

本年津打冶兵衛淡嶋栄花聟を著し市村座に演じ大いに行わる

「紙屑籠」に曰く、津打冶兵衛鈍通先生始の名は津打英子といふ父母を養ふが為に暫く劇場の作者に成て英名四方に聞へ歌舞伎に残す志年白隱和尚に隻年の聲を悟れり本所亀戸瑞亀山に登りて大按和尚に禅学を益々進む太鼓堂泥築鈍通後に作者に鈍通與三兵衛といふ門人に鈍通の名を譲る津打冶兵衛が由縁なるへし津打の名は團十が家に伝ふ云々又「劇場新話」に曰く、元祖市川團十郎柏筵座頭たりし頃津打冶兵衛といふ立作者ありしが之より交り宜しからず不和にてある顔見せ本讀当日先一ト通り讀たるに弥不承知の顔色冶兵衛少しもいろはず三度目に又々別本を出し既に讀んとせし時流石柏筵感じ入誠に名作者かな一通二通りと本讀納り兼しに少しも綺はず三通り迄の心掛外人の不及所也此上ハ作者了管次第いつれ成とも指図に任せ早々稽古いたし度よし詑て早速稽古にかかり其狂言大当りなりしよし申伝ふ此頃迄は座頭へ相談の上作せしとは見えず

近松と津打優家の孫子呉子

 

俳諧武玉川五編(紀逸)・夜寒碑(紀逸)・篗纑輪(千梅)・俳諧春漲江(乾峯選)・俳諧合せ鏡・俳諧美女の笑(園井花翁選)・家の杖・俳諧折句式・俳諧子日衣(雪水丈選)・俳諧花の浪(朝陽軒)・俳諧師走桜(乾峯選)・俳諧筑波山(一池選)・眉斧日録三編四編(湖十)・俳諧法の囀(園井花翁選)

 

 

一七五四年      

宝暦四甲戌年 三十七歳

 

去来庵普門生

五世宗瑞生

桂川月池生

近松徳三生

森羅亭万象生

頭の光(岸宇右衛門)生

 

正月二十日萩生北渓物観没年八十二、徂徠の弟なり

三月十二日五味釜川没年三十七

三月十六日莊子謙没年五十八

四月二十五日谷口多勝千秋没

五月三日土屋繩直栞䑓没年五十七

六月二十五日櫻井吏登没年九十三 雪中庵二世、嵐雪齋、初李洞、又人佐班象と号す、嵐雪門、江戸の人

七月三日城戸南華没年四十一

七月十八日二代目芳澤あやめ春水没年五十三

七月二十二日羽川珍重三同没年七十六

八月十七日石嶋正猗没

九月十二日津田忠助東陽没年五十三

十月十日三代目嵐三右衛門杉鳥没

十月二十日須賀精齋没年六十七

十一月二十四日小貫循涯没年七十四

十一月二十六日(或云二十四日)自在庵祇徳(二世)没年六十四 遲日園、水光洞、竹陰子、實健齋の號あり、祇空門、江戸の人  辞世

空さへてもと来し道をかへるなり

十二月十六日河口三八静齋没年五十二

瀧野瓢水没年七十七

平河天神別当龍眼寺住職慈雲大亨法印和尚没

 

九月小菅御殿の稱を止む

十一月政暦頒行(西川忠次郎、渋川圖書撰)

十二月朔日将軍家世子閑院宮五十宮と婚儀成る

御婚礼蛙の聲をみやげにし

もちやそびで御先キを拂ふ御こん禮

大文字屋の大かぼちやと云う童謡行はる(安永元年の條下参看

 

新吉原女芸者此頃扇屋内歌扇と云う者に始まれり、当時歌扇ただ一人なりしがその後おいおいに他の娼家にも茶屋にも出来たりと云う、後又大黒屋正六番を創立したりとぞ(安永八年の條下参看)

すががきを律儀に弾くは出た当座

 

俳諧武玉川六編七編(紀逸)・雑話抄(紀逸)・紅葉合(李井)・枯野月(祇明)・俳諧金砂子(晩成齋)・眉斧目録五編(湖十)・諸公画賛(米仲)・俳諧童の的(雪丸)

 

 

一七五十五年      

宝暦五乙亥年 三十八歳

父柄井八右衛門隠し其の後を襲で名を八右衛門と改め名主役となる、前名勇之助と称す

 

宇田川槐園生

松窓乙二生

渡辺歩牛生

鶴屋南北(四世)生

 

正月六日雨森芳洲没年八十九(或云八十八)

正月六日各務吉左衛門栗几没

二月十三日香川太仲修徳没年七十三 医を以て鳴る、播州の人

二月二十日工藤元齋丈庵没年五十三

三月十一日清田宜齋没年七十三

四月十二日井澤強齋没年五十二

五月二十六日佐藤冬嶺没

七月二十一日八田龍渓没

七月二十九日渡辺始興没年七十三

八月三日望月玉蟾望玄没年六十三

八月二十三日秋山玉山没年六十二

八月三十日元祖中村重助故一没年五十八

十月十日飛鳥圭洲子静没年四十三

十一月二十一日玄無法師自然齋没年七十一

右江渭北没 牝冲巣時々庵、麥天、因角の號あり、二世青峨門、江戸の人

高田啓輔隆久没年八十二

 

千代尼素因と改む、麥水に會す

祇空三十三回忌

此頃より江戸町々男女煤竹色の小袖流行す

男色盛んに行わる、芳町を第一として木挽町・湯島天神・麹町天神・塗師町代地(八丁堀に在り茅場町の辺)・神田花房町・芝神明前此の七か所に陰間茶屋ありしが後次第に減じて天保の改革に至って全く止みたり、宝暦頃は芳町に陰間百人余も有りしとぞ、平賀鳩渓に江戸男色 細見(一名菊の園)の著あり

よし町は仏の落る地ごく也

よし町のとのは白むくふつかさね

よし町で客札貰ふ後家の供

よし町へ行にはまねをせずいまし

よし町のむかい片手にくつかむり

よし町へ羽織を着ては派が利かず

よし町はこしなどかけて針仕事

よし町へ俗の行くのが末世なり

よし町なればよけれどと納所いひ

よし町にござるたちかと納所いひ

よしまちへつん〱としてまがる也

よし町へ行くをめつけてくどくなり

よし町へ行くには和尚たちのまま

よし町の月はおかまのだんごなり

よし町でもうとらまつ年と成り

よし町の尻を且方までくらひ

よし町でうつはくすんだ手代なり

よし町の穴を後住がうめている

よし町の繁華生島いごの事

よし町は文と手がミの間をかき

よし町でふかく合はせた前を明け

よし町のふらち御殿へぱつと知れ

よし町で御菜せん番折れといふ

よし町の文物申でもつて来る

よし町へ世俗にうとい客が行き

よし町のけんぺきになるいろは茶屋

よしちょうへほうぼうざいの客がとれ

よし町は通ふ佛と に書き

よし町でだかりあふのはふしゆび也

よし町で釜の鳴るのは吉事也

よし町へあべこべと出る門徒寺○

よし町で女の家ハかへりうち

よし町は横だと和尚気がそれる

よし町の淋しさ萕を買て来る

よし町へ買に行くのはまだ初心ン

よし町はふられた客がむかつて寝

よし町で牛房をあらふ女きやく

よし町へ女のあがる気のわるさ

よし町へかわれに来るとひそか也

よし町の居つつけ本のくそたわけ

よし町は女の聲の低い所

よし町は二階は闇を白夜にし

よし町で長命丸は羽目に付き

よし町へ○を持参なさるしは

よし町の笠は一寸空を行キ

よし町に五句去りほどの伯父ト甥

よし町で布袋にしたる後家もあり

芳町で化けさうなのを後家へ出し

芳町へ後家引ツたちを買に来る

よし町へ廻るを御菜恩にかけ

芳町で地物と笑ふ寺小姓

よし町の意趣で本寺にいじめられ

よし町の穴に後住は肝をかし

よし町でうちは律儀な和尚なり

よし町はいやだと和尚気がふれる

よし町をぶらつく乳母へ不人相

芳町の文殊は弥陀に受出され

よし町は編笠ぬげば杜若

よし町へ寺澤流の文が来る

よし町の客女人とてへだてなし

よし町へ売れるせん香おそろしや

芳町は の箔できら〱

よし町の顔は牛若武蔵坊

芳町で酔たが御さい越度也

よし町は和尚をおぶい後家をだき

芳町の事かけしろと小間物屋

芳町は坊さまござれ後家ござれ

よし町で新まいの下女どき〱し

よし町へ孝行の釜うつてやり

葭町をあしともいわず野良買

芳と吉おなじつとめのうらおもて

吉と芳同じ ながら前後

女でも男でもよし町といひ

ここは内証芳町はおもてむき

よく〱のばかよし町に三日居る

裏門はよし町にある二丁町

繁昌な釜やよし町小網町

老込んだかげまやつぴしあごをなで

よしの字の付イた所はとことても

味気なく下女芳町の供をする

二上りでかげまののどをしごくなり

馬鹿もあるものかよし町へ大一座

ばかな事かげまやけさを持つてかけ

もののけがよし町へ行く連れに成り

酔覚て見れば陰間を抱て居る

目出度かし差と留メてあげまへ遣り

尻のつまらぬは年明のかけま也

しりがかいいといい事を陰間聞

やろうの細見を呉服店へ下げ

かたみ金今はあだなれかげま買

かこはれのちんやろうをばほえる也

川さきへ参るかげまはもういけず

申のこく無イとかげまはこしがぬけ

芳兵衛といいそふなのを後家は買

なんの気も無いによし町やかましい

一旦那死てよし町までもしれ

おとり子とかけまをあげてまま子立

関東の子はよし町へむかぬ也

ふり袖を着して後家のあいて也

よつぽどのたわけかかげまをつれて逃

生酔になつてかげまを一度買

背に腹をかへてよし町客をとり

しろもののはなはだよハる女客

御守殿はかげまをえらいめにあわせ

昼過のかげまはしめろやアが出ず

かげま客しりのしまひのつかぬ物

牛はものかハとかけまへつぼねいひ

売りものに芳町表裏あるところ

そこくらでいかけて元の釜となり

和尚の頭痛はおけつのとどこほり

かげまを買つたらだまつて居なさるか

つら〱おもんみるによし町はそん

おかしさは和尚陰間を買ツてみず

あらう事女中よし町でふられ

今はあたなれ芳町で遣ひ捨

付キ合で斗カよし町へ和尚行キ

口説してかけまは前へ向イて寝る

御殿もの来てくだんせを忘れかね

睦言に和尚脇差ねだられる

陰間茶屋祇園ばやしで火をともし

あはれさは祇園ばやしに三味がなし

日に焼て凡夫にかへる旅陰間

だれかどう行か賑ふ花房町

吉原と芳町の間イ蟻わたり

芝居とはそらこと女中かげま也

行カぬ気で見ればよし町わるさわき

けつ王にはじまりそうな衆道也

菊慈産かげまにすると徳なたち

つつはたち若衆にすれば花の坂

腐つても若衆女は見るもいや

唐がらし喰へば若衆はだまされる

若衆にほれたをしりめと申すなり

もんさいがあつて若衆はだまされる

大ぜいのへんじに若衆一人来る

御さいをつれて大釜を買たがり

かいどうでかげまを買ふは人がよし

芋を喰かげまは部やで叱られる

大かげまむきの違た客も取り

和尚さま若衆にあきる不届さ

女郎よりかげまはどうか罪のやう

書いている側に野良の根体也

あないちに野民の交るみどもなり

ぞんさへるやろうかこいの弟也

しつぺいの机へそれる若衆ぶり

しつぺいのそれた若衆の美しさ

実検に惚人の付し若衆

若君に成つたを和尚買ふ気なり

 

七月宗対馬守に三ケ年間金一万両を賜ふ旨達しあり、朝鮮の飢饉によると云

 

冬米價騰貴

 

俳諧武玉川八編(紀逸)・眉斧日録六編(湖十)・桜五歌仙(紀逸)・名目集(金翠)・俳諧百太郎(牧童)・教訓百首(素丸)・うたたね(紹廉)

 

 

一七五六年      

宝暦六丙子年 三十九歳

 

ョ杏坪生

大槻磐水生

野士雄生

 

四月十日浅尾女自殺 加州侯の老女於貞の方、法號眞如院

当夜下を咬て死すと云ふ

四月十七日佛行坊不覺没、名は敬巳、僧都に叙せらる

五月三日(或云正月三日)元祖澤村宗十郎訥子没年七十三

五月五日三浦義質竹溪没年六十八

六月十一日黒川亀玉松羅館没年五十八

六月二十五日山本亀成雨夜庵没

六月二十七日西村重長没年六十余

九月十一日伊藤長準竹里没年六十五、仁齋の四男

十月二十一日竹田出雲没年六十六、名は清定、千前軒と号す、大坂操り座の元祖近江椽清一の二子、享保八年三月大搭曦鎧という浄瑠璃を作り近松門左衛門の添削によりて世に行う、これを手はじめとして竹本座に於いて数番の作をものす、仮名手本忠臣蔵は実に其の傑作なり、辞世の句あり

影涼し水に弥勒の腹袋

 

十一月二十六日岩井半四郎梅我没

十一月二十九日甘古齋杖信没年八十八

十一月二十九日長村豊秋皐鶴齋没年五十七

閏十一月十三日瀬川菊次郎仙魚没年四十二

閏十一月二十日小出大年二山没

秋、藤田和三没、土屋侯の侍医

春中度々火災あり

五月古銀引替の令あり

五月上旬より下総古河に弘法大師の霊水湧出るという俗説を信じ江戸より参詣の者群集し九月までに彼の地に旅舎千軒余を列ねたりとぞ、一説に宝暦五年四月の頃よりと云う

弘法大師及び高野山に関する柳句を爰に収録す

弘法は何ンにかけても 用もの

弘法最初字余の額をあげ

弘法は点をうたれて点をうち

弘法はわか身つめつて見ぬと見へ

弘法も只は居まひとうらを行き

弘法は一村をならふうじこめ

弘法の惜しいことには細工過ぎ

空海は佛の屑で蚊をいぶし

仏師屋をしても弘法くえる也

筆法の外に一流ふるひ出し

玉のきず弘法大師見付出し

忘れても汲むなといふが玉に疵

此水を飲むなといふは玉に疵

どく水の流るる川は玉に疵

六玉川秘密の山に疵ひとつ

六玉川女六部は五つ見る

六玉川女の見るは五ケ郎なり

六玉川一つは男世帯なり

玉川も高みにあるはすばらしい

玉川にさへ毒のある人心

玉川の不足は女六部なり

二三人死ニ玉川へ札をたて

から屋の玉川毒で名が高し

毒水を飲む気遣は女なし

どく水は高野薬水みのにあり

霊場に不相応なる川壱ツ

渇しても飲まれぬ水のある所

たとへ忘れても女は汲ぬ川

弘法の手にもどく水おへぬなり

野を二つ天と空とでひらく也

古い寺系図のやうに香をたき

字余の額佛指の最初なり

女人堂佛の山へ入りながら

花なればこそ高野にも女郎花

口からもまいる霊地へ歯ををさめ

はばかりと高野へ送るいい序

高野山むかし隠した歯を納め

高野山みんな摺る木場主なり

高野山うとくな人にけちをつけ

高野山金持の燈にけちをつけ

高野山たてひきのよい火がとぼり

高野山人見知りする橋があり

びんぼふの徳は高野の山ばかり

犬骨を折て高野の霊地なり

霊山は鳥も仏法たもつなり

芋は石字はやはらかに置き残し

かもじやを見ても重氏うなされる

髪と髪かみを剃らせるおそろしさ

味噌をすれには重氏こまる也

重氏は菩提のためにみそをすり

重氏も寺号を聞かれこまる也

一山がよつてかるかや痔持にし

是ははや弘法寺に着て候

 

十一月八代洲河岸失火芝口迄焼ける、濱御殿類焼

 

眞崎稲荷流行して料理屋数軒出来る、甲子屋の田楽其の名尤も著る(安永五年の條下参看)

眞崎ですれば位はだまされる

眞崎の稲荷おさきに使はれる

眞崎の稲荷に女房化かされる

眞崎へ寄る口ぶりと内儀いひ

眞崎はここ迄来てといふところ

眞崎でげにもそうよが二三人

眞崎はにぎやかかへとよりかかり

眞崎で分別を出し叱られる

眞崎のしり尾を亭主見付られ

眞崎でそろいも遊ぶほう

眞崎は当世へむく稲荷なり

眞崎でとしまやをいふげびた事

眞崎へつけたが事の起りなり

眞崎と云つちや内が出にくいよ

眞崎の迎へ箱提灯でくる

眞崎で股がすくみんしたといふ

眞崎で黒がもいつちたんと喰ひ

眞崎のむれ田楽の字に當り

眞崎の田楽串で封を切り

眞崎の味噌は喰人が揚て遣り

眞崎の田楽味噌の付はじめ

あじな気だなどと眞崎から分れ

よぎも無い事眞崎で日がくれる

袴着て眞崎に居るもふけ筋

ひちりきを眞崎でふくどこのばか

田楽でのむ内とんだちえが出る

田楽を喰ふ内まゆ毛かぞへられ

でんがくはむかしは目で見今は喰ひ

田楽を飛こして出てこりやどこへ

田楽の途中からやむ面白さ

田楽は田で楽しむの訓みがあり

田楽をちよび〱運ぶ女連

田楽で変るがほんの信者なり

田楽で知れる向ふはかあんかん

田楽の足手まとひは女中づれ

田楽を喰はせて置てのみこませ

田楽のなぐれめなさと遣手いひ

田楽の口は遠くて明いて行き

田楽はとつ程遠く口を明き

田楽を面白く喰ふ座頭の坊

田楽を持って馬方叱りに出

田楽を叱った旦那おとすなり

田楽の方へ色めきわたるなり

田楽にすすき親分気にくはず

田楽へ吸付けに来る夕涼み

田楽の二た筋めにはこきあげる

田楽で飲めぬが事のはじめ也

田楽と向ふ合てる寿志神

田楽屋いざうつたてといふ所

木琴のやうに田楽焼いて居る

取り楫で田楽までは遣りたてず

相談が出来て田楽せつくなり

行かうかと田楽串で歯をせせり

ふところは田楽ぎりの仕度なり

切手の入らぬ田楽はまずいなり

うぐひすとれん木が出るとおでんなり

隅田の景田楽串で挨拶し

甲子屋是れから先きが伝授事

まだお早いと甲子屋知ったふり

甲子に半てうばかり何の事

 

其角嵐雪五十回忌

松木淡々初て横井也有に會す。白井鳥酔上方に行脚す

 

俳諧武玉川九編十編(紀逸)・眉斧日録七編八編(湖十)・続其袋(蓼太)・花鳥の巻(寒瓜)・祇徳追善集・超波追善集・東風流(春来)・道の雪(如麩)

 

 

一七五七年      

宝暦七丁丑年 四十歳

 

川柳万句合本年より興行し以降寛政元年迄三十三年間毎年八月より十二月上旬まで月三回五の日を定会として間断なく行われる、此の頃前句附江戸市中に流行し詰所に同行者の団体たる連中なるものありて各連中競争的に其の連名を以て市内に散在せる便宜万句合取次処へ出句するの例なりしが、数多の前句附点者中川柳評の万句合は殆ど超絶的高評を博し毎会非常の盛況を極めたり、其の頃の連中の主もなるものをここに表示すべし

上野山下    桜木連    麻布永阪

柳水連     市谷田町   初瀬連

芝二本榎    水仙連    青山若松町

眞砂連     浅草新堀端  若菜連

神田三河町   杜若連    下谷廣小路

伊呂波連    四ツ谷    鳳凰連

牛込納戸町   蓬莱連    赤阪

紅葉連     飯田町    錦連

両國薬研堀   旭連     本郷春木町

名木連     本郷四丁目  古月連

丸山片町    風雪連    千住大橋

登連      小石川白山前 鶴亀連

糀町天神片町  初音連    牛込

深雪連     四谷     清龍連

櫻田      高根連    大伝馬町

諫鼓連     浅草今戸   井升連

神田      羽衣連    小石川小日向

養老連     八丁堀    兜連

小石川     舞鶴連    橘町

橘連      柳原     大津絵連

三田      玉川連    芝濱松町

近江連     浅草     八重垣連

春日町     曲水連    四ツ谷塩町

雨りやう連   橋塲     せいくわ連

青山      若竹連    神田明神下

姫松連     外櫻田    常盤連  

浅草黒舟町   花月連    下谷廣徳寺前

山水連

其の他 唐崎連・芙蓉連・松嶋連・霞連・籬連・梅連・玉水連・鹿子連・飛梅連・玉垣連・

水池連・飛鳥川連等なりき

 

鈴木道彦生

窪田黄山堂生

 

二月二十九日本多忠統猗蘭没年六十六

三月二十七日中川孝之進関雄没年二十九

六月二日二代目大谷廣次十町没 初代廣次養子鬼次、 六月一日心太を食して死せり、或人のよめる落首に

ところてんいかに十町くふたとて

     あたるといふは本ンの水もの

七月六日高野惟磬蘭亭没年五十五

七月十二日祇園百合女没

七月十二日佐渡嶋長五郎蓮智坊没年五十八 中興所作事の祖一世の事佐渡島日記に在り、後剃髪して蓮智坊と云う

七月十七日(或云十九日)果田蛻巌没年八十六(或云六十八)

八月十四日土肥霞洲充仲没年六十五

九月十八日各務東羽白馬亭没 通称弥三次、支考甥

十月二十日彫金子柳川直政没年六十六

十一月二十五日六代目中村勘三郎冠子没年五十八

十二月十八日松葉軒桑楊没 桑楊一に桑楊に作る、桑岡貞佐門、書肆を業とす

長島宗久没年八十二 甘谷の子 江戸の人

 

六月十三日南部の臣尾崎富右衛門方物を献するに當り有司の舊例に違う扱いせしとて抗論不屈遂に其の舊に得するを得たり

 

田村元雄始めて湯嶋に於いて物産会を開く

 

此の頃新村木町白子屋お熊の屋敷跡にて当時の人気相撲和國といへる者和國餅というを売り出し流行す

大たんな娘のあとへ餅屋こし

八丈の跡で日本の餅を売り

しろこ屋の跡餅屋とは思ひ付

たしかなおくまはここらだともちを喰ひ

咄し聞きたさに築地の餅が売れ

和國とは虎とあらそふ家名なり

唐ぐしに和國つまらぬりんかなり

素人が餅屋に成るといそがしい

もち見世のさわぎせなかをくらはせる

気のどくさもちやのみせへいしやを呼

石突の棒で餅屋は陣を取り

のまぬやつ餅のさしみを拵へる

餅を焼く匂ひに上戸いとま乞

餅は人の喰ふ物でないと上戸

餅の有る内はなまける一人者

重箱をもたせ餅屋でつもらせる

もち屋から出て酒のみをまち合せ

糸を巻くやうに花嫁餅を喰ひ

餅席嫁はけいして遠ざける

法にもれ餅屋りつぱな蔵を建テ

汁粉餅よめはちぎつて舌へのせ

のし餅もよく〱見れば裏表

餅へ入れたのを男は軒へさし

石垣へくつ付キこごめ餅をくひ

のし餅を着物のおしにいい仕廻

とんだ事餅きげんにて三日居る

五人ばりをぶつつがひ餅をなげる

せいろうの禮は片肌ぬいで来る

餅の間に合せますると紙帳こし

あわあれな者でかたもち隠居喰ひ

かかり人疱瘡をした餅をくひ

かかり人おおくびなりの餅をくひ

すまぬ事となりではもう餅をつき

一年のどん尻餅をついて居る

一長屋いつちに成て餅をつき

若餅へ一と臼すける禮の供

松の内餅が邪魔だと夜蕎麦いひ

無いやつのくせに備へをでツかくし

うそと餅つく覚悟するとしの暮

餅の丸やくを柳へよめはつけ

餅をなくつて正月と村でいひ

御ぜん籠から餅の出る月迫さ

うろたへて外郎餅を髪へつけ

こわい事こたつで餅をつく気也

雪折もせぬに餅にはへしをられ

禮に着て来たのを羐の餅へ忿○

餅くわしで見世を囲ふと女郎ふえ

夜ツぴとい地主の餅で寝つかれず

餅を搗くこれから嘘をつく斗リ

ひとり者飲まぬ代りに二朱がつき

せわしなき寝耳へ餅の音を聞き

こねとりは先きをぬらしてさあといふ

こねとりは尻のかゆいをもて余し

是切りのこねとりぐつとさし上る

寝所相談をして餅をつき

大釜の月代を剃る忙しさ

大釜のつるんだ時の忙しさ

二十日過廻りに釜を借りられる

寒い事団扇づかひを餅屋する

月迫に餅屋は団扇づかひなり

女房うるさく餅米は〱

賀の餅は腰の強いが自慢也

正月の餅は内儀の名付親

お里へと置いてすわりへくはへさせ

おそなへの取つ替へこする忙しさ

大家から蓋ももちやげぬ餅を呉れ

遣れば取るものだと餅の相談し

さつ〱とくばれと渡すかかみ餅

くばり餅わらじをはくと一里の余

壱軒の口上で済むくばり餅

又今のやうにさといふくばり餅

気味のよさ札を下げたそなへなり

米櫃で藪入を待つ下ぞなへ

くばり餅から女人とてへだてなし

きり〱くばれ師走だぞ〱

せん人のころも替へほど柏の葉

牡丹や萩の名をかりて俗な餅

ぼた餅を気の毒そうに替て喰ひ

ぼた餅の精進落はいのこ也

ぼたもちをいさぎよく喰ふよめの里

つけ紐で牡丹餅くばるいぢらしさ

ぼたもちを飛脚へ出して物語り

ぼた餅のこげつき御用二つくひ

ぼたもちをすり子木でつく恥かしさ

ぼた餅の椀をよめん女もぎ放し

ぼたもちで思出すのは他人なり

ぼたもちのととまじりする神無月

ぼたもちえはたの余りをかけて来る

よめさへ〱とぼたもち七ツくひ

ぼた餅をこはごは上戸一つくひ

ぼた餅に角のあるのは貰ひ物

ぼたもちのすりこ木置所にこまり

都になるとほた餅所々へ付ケ

あはもちもいいやいや二十九日

鶴はまんちゆう猿はかしわ餅也

大小で配つてあるくかしはもち

牡丹餅をつくと魂魄どつか行

柏餅ふけるたんひにひとつ喰

かしわ餅念頃ぶりは味噌もやり

柏餅妹の乳母は手つだはず

柏餅ねこそげ膳をならべ立

柏餅の使すべり〱来る

かしわもちあまくこしらへ内で喰ふ

柏餅塩にしたのを伊勢屋くれ

柏餅配つて来ては一つ喰ひ

ぶざまなる物ふけ過た柏もち

かみさまをいくらもよせる柏餅

辻番へ守が指図の柏餅

行まわりかんまわり喰ふ柏餅

喉ばかりかわく伊勢屋の柏餅

太刀をぐわらりと投げ捨て柏餅

山椒味噌いづれあやめの柏餅

おつとり刀で柏餅をくんな

葉裏〱葉表〱味噌と饀

いく世餅どく〱にして汲で出し

かけ取へもちの酒のといかぬこと

武具の禮白イ木の葉の餅を呉レ

五月雨に戸板へ餅の跡か出る

よくに目がくれてぼた餅喰つて居る

酒樽へ下戸は四角に口をつけ

おはぎの下の火でもまあ入やしやう

もう幾つあがつと雑煮きき合せ

青醒めた顔に雑煮が別に出来

物もうといふは雑煮の出るのなり

花まくろぞうにへかける村ぶげん

おも入れをわらつてぞうに二ぜん出し

他人ンのまづさほたもちで思ひ出シ

ほたもちは男がつくとそこをぬき

おはぎくばつて置キなよと二度目いい

はらあんばいかわるいにぞうに出し

ほたもちのすり子木ちやんと持て居ル

下戸の禮者に消炭をぶんまける

糸を巻くやうに花嫁餅をくひ

夫婦してちぎるはけちな餅や也

変な嫁うい〱しくも雑煮也

かき餅の有りどをさがす花の留守

雪打もせぬに餅にはへしをられ

こつこうな雑煮上下で喰はづ

ぼたもちのまな板へのる五丁町

下戸と見へ屈原餅をねだる也

もちやからよろ〱出るは身内也

青貝のせいろう餅屋半落もち

貞女をば餅を搗く迄ヤツと立て

手の甲へもちをうけ取るすす拂

棟上の餅によごれぬそだてやう

大こくは五十にたらぬ餅を喰ひ

汁粉もち出て来る顔の寒むそうさ

うそと餅をつく覚悟するとしの暮

せ○とほた餅をとりかへて後家たすけ

かしわもち何かぞうにで名が高し

くらわずハいいハだまれとあわのもち

ぼた餅も獅子身中の蟲をやみ

さつたばんもちやさとうで夜をあかし

餅あみにひツかかつてる下戸の禮

じんじやうにおはぎはいいが下女七ツ

菱の餅女に故事があればこそ

菱餅はをなこ糀は男の子

餅屋かときけばおまへは鮓屋也

餅を喰ふ礼者は足が強ひ也

貰つたかして牡丹餅に角があり

餅舂の時はさしみにしても喰ひ

十の目をはづれぼた餅店ざらし

下戸の禮炭けしつぶをぶちまける

切餅をしやく持不断あぶつてる

汁粉餅ぶたれたやうな縄すだれ

米相場師走あがつて餅につき

哀アれな音で掻餅隠居くひ

こね取は尻のあゆひをもてあまし

此餅もたがつかせたと女房いひ

賀の餅に限り上戸も誉て喰ひ

御備はのし時分皺がより

べらぼうも有るものしるこ餅をしひ

さする筈貰ていたひ柏餅

うさぎのついたもちを女郎がしいる

餅も茶もさて阿部川はわるくなし

丁度よく来て阿部川も明いた口

阿部川がとまると餅も胸つかへ

おぶさつて幾らでやると餅をくひ

安倍川餅のあとへ喰ふとろろ汁

神鏡で嫁てらされる暮の餅

のどが餅につまりましたと書て見せ

棟梁の馴染で餅が塀をこし

 

秋関東大水米価騰貴

 

荒木田守武の霊を五十鈴川岩井田山に祭る

 

大伴大江丸五升庵蝶夢相會す

 

洒落本の最古の称ある可亭作の聖遊廓及び老々道人作の異素六帖版行

 

俳諧歳華集(紀逸)・燕都枝折初編(紀逸)・俳仙窟(涼袋)・芭蕉句解(蓼太)

 

 

 

 

 

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